其の壱 ~repatriation and...~
目が覚める。
部屋が薄ら明るい。
「もう、朝か……?」
カーテンの隙間から漏れている陽光が朝を告げる。
ほとんど寝た気はしないのだが、不思議と眠気も無く、身体の調子も良さそうだ。
「ん〜! よーし、今日から魔法と剣術を……」
伸びをし、カーテンを開けたところで、意識が完全に覚醒した。
「……ここ、俺ん家じゃね??」
やはり夢だったのか、と突きつけられた現実に眩暈を覚える。
心機一転、少女として新たな人生の幕開けを夢見て床に入ったというのに、本当に夢だったとは。
「開いたのは新たな人生の幕じゃなくて、カーテンじゃんかよぉ……」
昨日の十五時過ぎから眠り、目覚めたのが朝七時頃。
「夢もリアルで長かったけど、睡眠時間も長ぇなぁ……」
あまりにもリアルすぎる夢。
いや、待てよ? と。
諦めの悪い脳味噌が寝起きの頭で考える。
「逆に考えるんだ。こっちのほうが夢なのではないか?」
俺は既に向こうの世界にサーニャとして転生していて、今はその夢の中でこの世界のことを思い出しているだけ、と。
無理がある理論を打ち出し、うんうん、と一人で納得し始める。
「ならば夢かどうか確認をしようではないか!」
いざ! と、自分の股間を弄る。
……あぁ、付いている。
長年慣れ親しんだ感覚だ、間違いない。
股間を揉みながら涙を流す。
夢乃出流二十三歳、只今、現世へ帰還いたしました……。
夢の中で出来た彼女が、朝起きると虚無のトリガーに早変わりする経験なら幾度とあるが、今回のは余りにも度が過ぎるだろ……。
起きた瞬間は軽かった身体も、数分でずっしりと重い。
虚ろな目で洗面を済ませ、テレビのニュースに耳を傾けながら朝食を準備していると、
『昨夜未明、〇〇区の路地で女性の遺体が発見されました』
今の日本ではありふれたような事件、事故のニュースの数々。
聞き流しても不思議ではない内容に、胸騒ぎを感じて画面を見る。
『遺体となって見つかったのは、フランスからの留学生、リーナ・マクウェルさん二十一歳――』
名前と共に表示された顔写真に目を剥く。
「……サー、ニャ?」
飛び降り自殺だったらしい。
理由は不明だが、留学先で死を選ぶほどの出来事が起こったのだろう。
こんな偶然があるのだろうか? 夢で成り代わった少女に瓜二つな女性。
他人の空似と言ってしまえば御終いだが、本当にそれだけか――?
「夢の世界へ行けば、確認出来るか……?」
二度寝を敢行すれば夢の続きを見ることが出来るのは経験済みだ。
カンダタが天国から垂らされた蜘蛛の糸に縋りつくかのように、もう一度横になる。
……が、一度覚醒しきってしまえば眠るのは至難の業。
寝たいときに眠れない自身の病気を呪う。
「いや、寝れたとしても、また夢見れる確証は無いよな……」
続きを見られるのは、寝起き直後の二度寝だけだ。
少しでも時間が空けば、不可能となる。
蜘蛛の糸は、既に切られていたらしい。
ニュースの女性が気にはなるが、夢で見た内容以外に手掛かりは無い。
今は諦めよう。
症状が出て眠くなるまでに出来ることをやっておこう。
「とりあえず、仕事を辞めてこようかな」
ササっと身支度を済ませ、家を出た。
* * *
「キミさぁ、そんな簡単に辞められると思ってるの?」
会社へ出向き、上司の眼前に診断書と退職届を叩きつける。
「ウチの就業規則では三ヶ月前に届出を出さないといけないんだよ」
「はい、知っています」
正直、引き留められるのは驚いたが、病気の都合上そんなことは関係ない。
「だったら、なんで今日限りで辞めるなんて言えるんだ?」
「睡眠障害の症状として、いつ寝てしまうかわかりません。このまま勤めていても会社に迷惑が掛かるかと」
「今すぐ辞められたって迷惑は掛かるんだよ。キミの代わりを補充しなきゃいけないんだ、わかるよね?」
「お言葉ですが、私の代わりは幾らでも居ると仰ったのは課長では?」
禿散らかしたメガネのオッサンが珍しく言い淀んでいる。
この際だ、今までの鬱憤をぶつけてしまおうか。
「それに、就業規則を語る前に労働基準法を遵守したらどうですか?」
「ど、どういうことだね……」
「休憩時間は短く、長時間のサビ残を部下に課して、低賃金で酷使する。労基に駆け込めばどうなりますかね?」
ニッコリと、嫌味を凝縮させた満面の笑みを元上司へ向ける。
「そういうことなんで、失礼しますね~」
意気揚々どフロアから立ち去る俺に、何か言いたげな視線だけが飛んでくるが、気にしない。
昼前、会社を後にする。
空は高く、広々としていて清々しい。
心地よい風が吹き遊び、共に奔ろうと誘ってくる。
夢の中とはいえ童心に還り、親の温かさを思い出した。
一日違えば世界も変わる。
今後に対する不安は、無いと言えば嘘になる。
それでも、暗雲は晴れたのだ。
「今なら、気持ちよく寝られそうだ……」
久しぶりに晴々とした気持ちで、
「あ、トイレットペーパー切れてたっけ」
家路についた。
* * *
近所のスーパーで日用品や食品を購入し帰宅する。
トイレットペーパー、食器用洗剤などの消耗品をそれぞれの保管場所へ収納、食品類を冷蔵庫へ押し込めていく。
「昼間っから缶ビールでも飲もうかな~」
今までは絶対に出来なかった悪魔の所業。
テレビでバラエティを見ながら少し遅めの昼飯を頂き、お酒を嗜む。
営業に出た道中、飲食店でお酒を飲んでいる人を見ては恨めしく思っていたが、立場が変われば見方も変わる。
きっとあの人たちも、この沼の毒牙に掛けられただけなのだろう、誰も悪くなどないのだ。
上司に連れられ、付き合いで飲まされた酒とは違い、何も気にせず一人で掻っ食らう酒がここまで美味いとは。
「これは、堪りませんわぁ……」
身体が求めるまま酒を愉しみ、気が付けば四時間が経過していた。
「んぉ、結構飲んじゃったな……トイレ行こ」
ソファから立ち上がると、足元がふらつく。
お酒は強いほうだが、これは流石に飲みすぎたかな……
倒れないように気を付けつつ千鳥足で進み、便器に座――