トビマス!トビマス!
(ん?)
空が白み出した自分に、アルトゥルは目を覚ました。
(夜明けか……)
毛布から顔を出し、未だ薄暗い部屋を目を凝らしながら見渡した。
昨日の騒ぎのせいか、他の兄弟姉妹は全員ベッドに横になり、一番奥のベッドでは、昨日産まれた弟と妹が寝息を立てている。
(6つ子だもんな……驚いた)
結局、昨日はビアンカが全員を取り上げた直後に、父親達が戻り。アルベルトが喚んだ産婆さんは殆どすることがなかったようだ。
そんなビアンカは隣のベッドでスースーと寝息を立てていた。
(さてと、やるか)
アルトゥルは同じベッドに寝ている姉弟を起こさないように、慎重にベッドから抜け出した。
(なんか、昔を思い出すなぁ)
アルトゥルの頭の中では前世の記憶が過っていた。
それは、夜中に妻と寝ているベッドから抜け出す時の記憶だが、別にやましい物ではなかった。
50代後半を迎えた辺りで、流石に身体が衰え夜中にトイレに行くことが多くなったのだ。
その時の事を思い出しながら、ゆっくりと室内を歩き、1人だけ寝室から抜け出た。
(さてと、着替えっか)
こっそり隠しておいた普段着と2、3日掛けて作った釣具の在る納屋へ向かうため、アルトゥルは裏口から庭に出た。
「やあ、時間通りだな」
すでに、昨日の内に街に戻っていたライネが待っていた。
「なんだ、その格好?」
ライネは赤いベレー帽を被り、白地に黒いチェック柄のポロシャツに茶色地に白いチェック柄のズボン姿だった。
「釣りでしょ?スポーツウェアさ」
よく見ると靴下までチェック柄だった。
「まあ、良いか……納屋に入るぞ」
「はいはい」
薄暗い中、2人は足音を立てないように納屋まで庭を横断し、アルトゥルは慎重に納屋の扉を開けた。
「ところで、どうやって街を出た?」
ふと、街の門は夜中に閉まっていることを思い出し。アルトゥルはライネに訪ねた。
「4時には門が開くんだ。ほら、橋を渡る商人が多くてさ」
「なんだ、そうなんか」
納屋に入ると、扉を締め。アルトゥルは服と道具を隠してあった棚を開けた。
「普段と変わんないけど、なんでコッチに?」
わざわざ普段着を納屋に閉まっているのか、ライネは気になった。
「いやよ、寝室のタンスに置いとくと、取り出す時に皆に見付かるんだよ」
「そんなにバレる?」
子供なんだからそんな事ないだろうと、ライネは思ったが。
「それがさ。不思議とばれちゃうのよ。便所ぐらいじゃ起きないけど、どういう訳かアイリとかアルベルトが起きちまってよ」
喋っている間も、器用に着替え。アルトゥルは上着を着始めていた。
「毛針?」
「あ、勝手に開けねえでくれよ」
ライネが開けた小箱には、小さな毛針のような物が2本入っていた。
「暇見て作ったんよ。使えるか判んねえけど」
そう言いながら、アルトゥルはライネから小箱を受け取り、上着のポッケに入れた。
「他には、ミミズとか変な虫とか有るから。ほい、釣り竿」
「でもさ、遡上するマスって数が多いから針だけで釣れるって聞くけどね」
「ほんとかぁ?……い゛!」
それぞれ釣り竿とバケツを持ち、扉を開けたアルトゥルは絶句した。
「わ……」
ライネがひょっこり顔を出すと、原因が判った。
「アンタ1人だけ抜け駆けさせないんだかんね!」
「させない!」
「ずるい!」
アルトゥルの同い年の姉弟、アリナ、アイリ、アルベルトの3人が仁王立ちで待ち構えていた。
「言っとくけどよ!お前ぇ達は俺達が釣りしてんのを見てるだけだぞ!」
「「「うん!」」」
土手の麓で姉弟達相手にアルトゥルは説教を始めていたが、3人は返事は元気だが、あまり懲りた様子ではなかった。
(仲が良いって事なのかなあ?)
親姉弟揃って転生しているライネの家は、アルトゥルのカミンスキー家の様に転生者ではない姉弟が居ないので、見ていて新鮮だった。
「土手の上で見てるのは良いけど、下るなよ!」
「「「うん!」」」
周囲を見渡すと、自分達と歳が近い少年が初老の男性と木刀で剣の練習をしていた。
(こっちの世界にはフットボールもテニスはそこまで流行って無いからなあ。習い事と来れば剣とか弓だもんな)
転生者を中心にフットボールやテニス等のスポーツは持ち込まれているが、子供は剣術や弓術を習うのが珍しくなかった。
殆どが、騎士団へ入団し騎士の世話をする従士や街を守る衛兵、更には冒険者などを目指す。
豊かになって来たとは言え、未だにこの世界の文明は騎士階級が一番身分が高い。
また、街の衛兵は住民を魔物や盗賊から守り。冒険者は魔物を退治するため危険な森や洞窟に存在する魔物の巣に潜る。
どれも危険な仕事には違いないが、子供たちは男女問わず、名誉や富の為に武術を習い、騎士や兵士、はては冒険者を目指すのだった。
恐らく目の前で木刀を振る同い年位の少年も、剣で身を立てるつもりなのだろう。
「よし、行くか!」
説教も終わり、アルトゥルは釣り竿に釘を捻じ曲げて作った針を結びつけると土手を登り始めた。
「太くない?」
どうやって、この釘に虫を着けるのか……。
ライネには判らなかった。
そもそも、毛針の針は何の針なのか……。
疑問だらけだった。
「無くなっても良いやつから使いたいんだよ」
そう言いながら、アルトゥルは土手を降りて行った。
「お~っとと。あらよっと!」
土手を降りると、川に比べ一段高くなっており、雑草が生い茂っていたが、アルトゥルは構わず川面を目指した。
「お、着いた着いた」
川面から一段高くなっているのは、過去に洪水時に土手の根元が激流で抉り取られ無くする為に土手から離れた位置に築かれた石垣が砂で埋もれていたからだった。
つまり、アルトゥルが歩いていた雑草が生い茂る一帯はかつては川面で、砂の除去がされないため河原のようになっていただけだった。
「結構居るね」
土手の上から見ても川の色が変わっているのが変わったが、間近で見るとマスの大群が遡上しているのがはっきりと判った。
「なんで、こんなに居るのに誰も釣らねぇんだ?」
アルトゥルは前々から思っている疑問をを改めて口にした。
対岸もそうだが、上流や下流に目を移しても、誰も釣りをしている人が居ないのは不思議だった。
「港に飛び込んでくるマスが叩き売りされてるからじゃないかな?」
「そんなに飛び込んでくるんか?」
両親がタダで貰ってくる物だが、まさかそこまでとはアルトゥルは思っていなかった。
「貿易船に勝手に飛び込んでくるんだよ。錨地周辺は魔法で守ってあるけど、それ以外だとあの船みたいに布で甲板を覆ってないと沈んじゃう位、飛び込んで来るらしいよ」
ライネの指さした船は甲板をすべて布で覆い、マストと帆だけが表に出ていた。
「まあ、いっか……。はい、虫」
「うわっ!」
アルトゥルが木箱から取り出し針に着けようと握っているミミズは一般的な巻煙草並みに太く、また30センチ程の長さが有り、まるで……。
「スパゲッティのお化けじゃないか!」
まるで、ミートソーススパゲティのような赤黒いミミズが木箱の中で蠢く様は、下手なB級ホラー映画よりも恐ろしかった。
「んなもん、前の世界にも居るよ」
アルトゥルは眉を顰めなら針にミミズを着け始めた。
(居てたまるか!)
ライネは詳しくなかったが、このサイズのミミズは割と多く。日本でもシーボルトミミズと呼ばれるミミズがコレ位の大きさだったりする。
「あー……気持ち悪い……」
針に刺したミミズがのた打ち回るのを見て、ライネは気分が悪くなっていた。
「んなもん、畑弄ってたらすぐ出て来るっての」
ライネを横目に見つつ、アルトゥルは川に向け竿を振り、針に着いたミミズが宙を舞った。
「え!?」
「なっ!?」
するとどうだろう。
ミミズがまだ3メートル程の高さに居るはずなのに、マスが下流から飛んできてミミズを咥えてしまった。
「おおおおおいおいおい!アレ、飛んでるぞ!」
マスがトビウオの様な羽を広げ飛び去ろうとするが、糸がそれほど長くないので水面の上空をグルグルと回っていた。
「あー!飛んでる!」
「すごい!」
「鳥みたい!」
土手の上から眺めているアルトゥルの姉弟は呑気にはしゃぐが。
「トビマス……って、ええ!?そう飛ぶの!?」
トビウオの様に滑空する程度だと思っていたアルトゥルとライネは、航空力学を無視して四方八方に動くトビマスを見て大声を出した。
「……えっ!」
ライネが水面の変化に気付き声を上げた。
まるで、冒険譚に出てくる竜や海獣が現れるかというほど水面が盛り上がり始めたのだ。
「何か出んぞ!?」
自分達の身長を優に越える高さにまで水面が盛り上がり、アルトゥルは声を出す。
すると、盛り上がった水面から黒い影が一斉に飛び上がる。
「竜……じゃない!?」
竜が飛び出たのかと思うほどの黒い影は空中で一回転すると、こちらに向かってきた。
「マスだああぁぁぁ!!!」
「うわわわわ!!!」
数万匹のトビマスが空を飛び、餌を持っている2人目掛けて急降下を始めたのだ。