綿花畑にて
綿花畑を見ると昔を思い出す。
安い給料で働かされる黒人の従業員。
大学に行ったが自殺した兄。
優しい黒人の家政婦が作ってくれたビーフストロガノフに、対称的に意地悪い前世の父親。
綿花畑の中に居た小さな人狼の男の子は、そんな嫌な記憶を払う様に頭を振ると、両手で抱え込む様に持ってた籠から綿花が3つ零れ落ちた。
「あー!アルトゥル、おとしたわよ」
近くに居た同い年の姉が拾おうとし、その姉は自分の籠から綿花を5個落とした。
「あれ?」
「アリナ、置かなきゃだめだよ」
アルトゥルとアリナは籠を置き、2人で綿花を拾っていると更に同い年の弟と妹が空の籠を持って現れた。
「もうすぐ帰るって」
「はやくしましょ」
この4人は狼の耳と尻尾を持つ人狼の子供達で、まだ6歳ながら綿花の収穫を手伝っていたのだ。
「みんなー!そろそろ帰るよ!」
父親の呼ぶ声が聞こえ、4人は「はーい!」と返事をしながら、父親の元へ向かった。
「綿花20箱か、ヴィスワ銀貨2枚と銅貨8枚って所だな」
父親が買い付けに来た商人と商談をしている間に、4人は綿花畑の脇で大人しく待っていた。
「しかし、君の所の子供は言うことを聞くから羨ましいよ。うちは最初の子供が女4人に男1人のせいか、どうもワガママだし、やんちゃだよ」
「それを言ったら、うちのも仕事が終わると凄いですよ」
親バカ同士の話が長引き始めたのでアルトゥルは小道を渡り、高さ3メートル程度の土手を登り始めた。
「あーだめでしょ!」
妹がすぐに気付き、3人は後を追った。
“危険だから土手に登るな”と父親に言い聞かされていたが、好奇心が勝り土手を登った。
「わぁ…」
目の前の光景にアルトゥルは息を飲んだ。
「わー…」
「何あれ!」
幅が5キロはある大河の河口に存在する中洲の上に建設された都市。
その都市の上流側の小高い丘の上には。アルトゥルの記憶に有るようなニューヨークの摩天楼にも引けを取らない巨大な魔王城が聳え立ち。
沖合いでは遠い異国の4本マストの外洋帆船が投錨し、比較的喫水が浅い2本マストの帆船へ荷物を積み替えられると風魔法を使い川上へ登って行く。
投錨している外洋帆船に小舟が接舷すると、港の作業員が縄梯子に登り。外洋帆船の側舷に設けられた積み降ろし用の開口部から、バケツリレーの要領で木箱や麻袋に入った貿易品を器用に積み下ろし。方や、クレーン付きの艀で竜種が入れられた鉄製の檻を吊り上げ、上甲板上の開口部から帆船に積み上げられる様子に、アルトゥルの姉弟達は目を奪われていた。
「あれ?あの子達は?」
「…え!?」
雑談に興じていた4人の父親と商人が、子供たちは4人が居ないことに気付いた。
「居た!土手の上だ」
「あ…!」
港の様子を割と見馴れていたアルトゥルが直ぐ近くの川面に視線を移すと、大量のマスが遡上する様子が見て取れた。
「魚だ!」
「えーどこ?」
妹のアイリが遠くを見るので、アルトゥルは土手の下を指さした。
「ほら、はねてる!」
「ほんとだー!」
「こら、ちび達!」
4人の父親が左端から順番に、アリナ、アルトゥル、アイリ、そして弟のアルベルトの順番に頭をポンと叩いた。
「土手はダメだって言ったろ?」
何時もの様に注意したのだが、完全に興奮した子供たちが父親に抱き着いてきた。
「父さん!あれ何!?」
「父ちゃん、マスだよ!」
「あれ、ズヴェルムでしょ!?」
「抱っこー!」
「こら、落ち着きなさい!」
「でね!おっきなオフねがね。ズヴェルムを乗せてね」
綿花畑から少し歩いた所にある家に帰ると、アリナが2歳下の弟と妹に帆船の事を話し、盛り上がっているのが居間で木の棒を弄るアルトゥルと夕飯の支度をする両親の所にも聞こえてきた。
「何作ってるの?」
お腹の大きい母親が、息子のしていることが気になり、夕食の調理をしながら質問をしてきた。
「えーっとね。なんだっけ?魚を取りたいからRod作ってんの」
「Rod?…ああ、釣り竿ね」
偶に転生前の言葉を話す息子だが、両親は気にせず接してくれていた。
「そうそう!釣り竿!今日、マスが跳ねるのを見たから釣って食べようと思って」
アルトゥルは引っ張られても釣り糸が外れないように、木の枝から飛び出た突起部分に丁寧に巻き付けていたが、父親が頭をポンと叩いた。
まさかの父親からのダメ出しに、アルトゥルは耳を倒しながらゆっくりと父親の方を見た。
「釣りはダメだ。危険すぎる。父さんもやらないんだぞ」
「なんでー!?」
“子供が川に落ちて危険だから”なら前世の記憶があるアルトゥルは納得できたが、“父さんもやらない”と言った部分が気になった。
「怪我するからだ。トビマスは危険だぞ」
「今日だってトビマスのスープじゃん。買ってくるより、釣った方が良いじゃん!」
毎年この時期になると、産卵の為に遡上するトビマスを両親がどっかから買ってきているのは知っていた。
「お金ないって知ってるんだからね。オイラだって手伝いたいよ」
痛い所を突かれ、父親は一瞬固まったが、直ぐに気を取り直し説得してきた。
「ダメなもんはダメだ。釣りだけは絶対にだ、良いか?判ったらお皿を出して」
「……はーい」
農家をしている今の家族が極端に貧乏では無いことをアルトゥルは知っていたが、先月からお金の事を気にするようになったので、両親を悩ませていた。
原因は夜中に、これから生れて来る子供達を養子に出すか、貰い手が無ければ最悪の結果もあり得ると話していたのをアルトゥルが聞いたせいだった。
アルトゥルの父親は妻の視線に気づき、振り返った時に見た我が子の顔をあの日以来忘れられずにいた。
素直で手伝いも率先してやるので、他の10人の子供達の手本になていたアルトゥルだったが、あの時ばかりは大泣きし、他の兄弟姉妹が起きるのをお構いなしに駄々をこねたので、父親は彼を納屋に連れ出し落ち着かせることになった。
その時に、「お金を稼ぐ方法を探すから、養子に出すのは待ってくれ」とアルトゥルが譲らなかったので、生れて来る子供たちは手元で育てることをアルトゥルと約束し、その場は収まった。
「でも、あの数だと…」
アルトゥルがまだ独り言を言っていたので、父親は頭を撫でた。
「無理はするなよ。お前も大事な家族なんだから」
「むぅー…」
それでも、何処か不機嫌な息子に父親は声を掛けた。
「そんなにガツガツ稼がなくても大丈夫だよ。今年から始めた綿花だって軌道に乗りそうなんだ」
耳を若干後ろに倒した事から、息子が考え込んでいる事を父親は察した。
「でも、稼げる内に稼いどかないと………」
「別の方法を考えなさい。それにアルトゥルが心配しなくても、ちゃんと稼ぐあては有るんだ」
「むぅー…」
アルトゥルは木で出来たシチュー皿を12人分出し、母親の所に持って行った。
「そうだ母ちゃん。マスの卵ってどうしてんの?やっぱ捨ててる?」
マス釣りの餌にでもするつもりで尋ねたが、意外な返事が返ってきた。
「卵は売ってくれないわよ。そもそも、毎日食べてるトビマスは漁師さんが卵を取った後の余りをタダで譲ってもらってるのよ」
「マジで?」
前世ではロシア人や日本人が“イクラ”として魚卵を食べているのを見たことがあったが、今世でその文化が有る事を初めて知った。
「ドワーフが買い取っていくんだ。食べるらしいが」
父親が補足説明をしたが、両親ともどう食べているか全く知らなかった。
「結構良い値で売れるらしいが、良くできるもんだと思うよ」
「良い値…」
実際のところは、ドワーフ達は卵を醤油漬けや塩漬けにして、自分達の領地に輸入しているのだが。それが結構な高値で売れるので、漁師たちは卵を目的に色々と工夫しながら漁をしていた。
「じゃあ、みんなを呼んで来い」
全員分の茹でたジャガイモを平たい木の皿に乗せた父親に、他の兄弟姉妹を呼んでくるように頼まれた。
「はーい」