第2章 アンドロイドは英国の夢を見るか 六編 ロイヤルナイツへの憧れ
イプシロンは、ウルフが本気を出しても追いつかない速さを持っている。
ヨーイドンで初めても勝ち目はないだろう。
ならどうするか。
ーー決まっている。
どんな手を使ってでも負けなければいい。
「おい、イプシロン。 ちょっと聞きたいことがあるんだが」
スピアー。
イプシロンは大きな槍を構えながら聞いてくる。
「なんだ? 聞くだけなら聞いてやろう」
「まずは、あれを見てくれないか」
「……?」
イプシロンはウルフが指差す方向を見るため、大きく振り返る。
小回りがきかないのは甲冑の弱点だな。
「そうそう。 質問だったな。 何故なんだ?」
「何故とは……そして、何を見ればいい?」
イプシロンはカブトを揺らしながらキョロキョロと左右を見渡す。
「何故……敵を目の前にしてよそ見をしていられるんだ?」
音速に到達しない程度の速さでイプシロンに接近する。
「なにっ!?」
イプシロンが違和に気がいた頃には、剣状に伸ばされた黒球は振られていた。
「安心しな。 もう、なにも見なくていい」
振り切る。
手堅いはないが……それが黒球の性質。
防御無視の一撃必殺を食らわせる。
ーーやったか!?
つるぎを振るった後にはもうなにも残っていない。
跡形もなく消え去った……か?
カチャリ、カチャリ。
金属の擦れる独特な音が聞こえる。
背後から。
「騙し討ちとは……卑怯な」
「やるか、やられるかの真剣勝負なんだ。 お前の方こそ集中力が足りてないんじゃないか?」
にいっと口角を上げる。
余裕そうに笑みを見せる。
だが、ウルフは内心焦っていた。
普通にやって攻撃を当てることができないから、あんな手を使ったんだ。
くそ、黙って攻撃すればよかった。
ーーそれは、悪人特有の慢心だった。
結局、過去に世界を滅ぼさんとせんかった悪人であるウルフも、あの状況では慢心せざるを得なかった。
そう、それはもう……悪である以上破ることができないルール。
自らの道を突き進んで死ねるなら本望。
「どうやら、より実戦を知っているのはお前らしいな。 くっ。 某が甘かった」
ーーなんかわけわからない納得をしていらっしゃる。
なんだこいつ。
クソ真面目か。
なら、考えがあるぞ。
あるいは……もう一度。
「イプシロンさんよぉ。 実はな……儂にはお前を殺せないようだ。 だって、考えても見ろよ。 黙って攻撃をすればよかったものを……儂はわざわざお前に攻撃を教えるような真似をした。 どういうことがわかるよな?」
「某に攻撃を教えた……某を殺したくない?」
ダメか……と思われた矢先にとても面白いことを言い出した。
やばいこいつアホだろアホか。
「そうだ……もし、儂を信じてくれるのなら、後ろを向いてくれないか?」
「あ……あぁ、わかった。 信じるよ」
イプシロンが後ろを振り向こうとする。
その刹那、ある男の声で邪魔をされた。
「イプシロン!! 騙されちゃダメだ!!」
ジョーの声でハッとしたように、イプシロンはスピアーを構えなおした。
「そうだ……貴様は敵、悪いが手心は加えん」
完全に立て直したようだ。
もう騙されまい。
「おいおい、ジョーさんや。 なんで教えちゃうの」
「にいちゃんはおいらの義兄ちゃんになる男だろ? そんな卑怯なことダメだよ」
もはや、どこからツッコメばいいのか見当もつかなかった。
ーー殺気っ。
に合わせて首を傾ける。
そこには本来貫かれたトマトができるはずであった。
間一髪、間に合った。
「やるではないか。 だが、ギアはどんどん上がっていくぞ」
イプシロンの宣言通り、速度はだんだんと上がっていく。
儂の速度で追いつかない……ということはやつは音速を超えている。
だが、ソニックブームは起きていない。
無音の槍は突き、なぎ払い、小足取りとコンビネーションを見せる。
かろうじて避けられるものの目が、相手の姿を捉えられなくなる。
ーーせめて、奴の速度の正体をつかむことができれば。
ウルフは1つだけ妙なことに気がついていた。
マッハ……音の壁を変えるというのに無音である。
そして、周りに被害も出ていない……つまり。
プシャリ!!
鮮血が舞った。
もうすでにウルフはイプシロンの姿を捉えてはいなかった。
どちらにせよ見えない……何故。
ーーーーオレのチカラがホしいか? なら、こっちへコいよ。
正邪が語りかけてくる。
ーーうるさい。 黙っていろ。
ーーーーつれないね。
1つだけ、方法があった。
この状況を打破する方法。
正邪に頼ることなくできる方法が。
「死なないし、死にたくないんだ。 やるか」
息を大きく吸い込み。
……止めた!!
周りは見えないものの、なんとなく急所を守ることにより、致命傷だけは避けていた。
だんだんと心拍数が増えていく。
奴の高速移動……タネは割れた。
心拍はなおも増える。
血液が大量に巡り、大脳に流入する。
目前に死さへ迫ったウルフに不思議な現象がおこった。
時がゆっくりになっていく。
超集中。
やがて、イプシロンの姿を捉えることができた。
斜め上、右肩から振り下ろし……半身で避ける。
「なに!? 某の槍を避けた!?」
「おおっと、驚くのはまだ早いぜ? 反撃開始といきましょうか」
さらに、心臓を動かす。
それに比例するかのように周りの時間は静止に近づいていく。
ーーーーほうタキサイキアか。 また、面白い手品を。
ーータキサイキア?
正邪は笑い転げるだけでその先を教えてはくれない。
もういいよ。
そして、もう1つの手品……儂の力なら簡単だ。
最低限の動きで攻撃をさばき続けるウルフだが、その動きは次第に早くなり、音が消えた。
周りをゆっくりにするタキサイキア、そして、黒球により音速を超える動き……名付けて、エアレジスタンス。
黒球を槍状に伸ばし、相手の振るわれる槍の軌道においてやる。
それにより、槍は真っ二つに切断された。
「くそ!! 某は負けるわけにはいかない!!」
徒手格闘の構えをイプシロンはとった。
「おいおい、まだやるのか? つぎは命をとるぜ?」
「何故、某と同じ……いや、某より早い? 貴様も、この力を扱えるのか?」
音速を超えるタネは簡単だ。
音速のタイミングで現れる、空気の壁。
それを無効にしてやる。
それだけだ。
おそらく、空気抵抗そのものが無効化されているのだろう。
つまり、空気を破壊しながら動いてやれば早く動ける。
「いや、あんたがそれだけ見せてくれたんだ。 そこからヒントを得ただけだぜ」
「バカな……大臣の言う通りだった……だが、 くそっ」
イプシロンは、固く握った拳を自らに振るった。
うっわー。
あれ、痛いんだろうなぁ。
「悪いが……スラムに帰らせて……やばい」
ヒュルルル。
風を切る音が聞こえた。
軌道はジョーに向けて飛んでいる。
長距離狙撃、それは圧縮された火球だった。
「うぇ、 おいら……あっ!!」
「焦んなよ。 まぁ、なんとかなるだろ」
着弾前に、ジョーの間に割り込むことができた。
それは、もうじきに、到達するだろう。
やや、背中が熱く、明るくなる。
もう着弾したのだろうか?
ーーゆっくりと振り返る。
「貴様を勘違いしていたようだ……な。 その子を……守ろうとするとは」
イプシロンが間に入って、火球を防いでいた。
甲冑は金属……熱伝導をする。
「くそ、脱がせるぞ!! いいな?」
甲冑に手をかけ、無理やり剥がす。
黒球で破壊しながら……手を焼きながら。
「貴様……貴様はいい奴だ」
「うるせえよ。 たく、どいつもこいつも」
「おいら……どうしたら、どうしよう」
「ジョー、家まで案内しろ!! ……ジョー!! しっかりしろ。 お前がしっかりしないと、1人の男を見殺すことになるぞ」
ジョーが口を結ぶ。
ジョーの震えが止まる。
そして、ジョーは指を指す。
「こっちだよ」
よし、いい子だ。
イプシロンを背負い向かう。
ーーやけに軽いな。
この柔らかい感じ……こいつ、女か。
急ぎで、ジョーの先導に着いていった。




