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クリスマスツリー

作者: 飴坊

 モミの木という樹木が、その昔にはあったらしい。私の曽祖父はそう語っていた。幼いころに見たきりのその顔は、かつての12月24日、世間一般で言うクリスマスには飾り付けたモミの木を立て、その可憐さを称えながら家族と食卓を囲んだらしい。私の祖父や、父たちはその後継を目にすることはなく生涯を終えた。地球上に、飾り付けられるようなモミの木は無くなっていた。人々は、恒久的な平和と幸福の象徴として祭り上げたそれを信ずるあまり、それが消えてなくなりかけるまで切り倒し続けた。


 ――すべての人々に、温かい家と幸福を。


 耳障りのよかったその言葉は真実だった。訪れた平穏で豊かな生活には誰もが満ち足りているように思えた。己の人生を全うできる幸福は、生まれた故の必然へと変わっていった。


 ある一種の樹の喪失と引き換えに。


 今年のクリスマスも、人々は暖かい家で少しだけ豪勢な食卓を囲むだろう。家族に、友人に、そして世界に感謝しながら美しい一日を過ごしていく。ただそこに、かつてはあった緑色の大きな樹はない。あるのは作られた象徴としての『ツリー』だけ。生気も活気もないその無機質な物質は、形骸化した風習の残り香を携えて無表情に立っている。無防備に幸福を享受する人々の目の前に。


 そして、私の目の前には一本の樹が立っている。吹き付ける風にも、見上げる人の目にも僅かにさえ動じない一本の樹が。それはまだ若く、ともすれば頼りなくも見える。しかし、これは真に生きている。『己』の為に立っている。誰のものでもなく、誰の為でもない。己がそこに生まれたことに一片の迷いも見せず、威風堂々と聳えていた。

 私は幸運だった。朽ちていく前に気づくことができた。自分がどう生きたかったのか、どうして生まれてきたのか、それをはっきりと知ることができた。誰に語るための生き甲斐でもない、己の為の生きる意味を掴んで見せた。


 私は直にここからいなくなるかもしれない。軟弱なこの身は左程時を待たずして屍へと変わっていくだろう。しかし、ここで見つけた自らの真実だけは生き続ける。それは真の意味での希望だ。誰に押し付けられたものでもない、純粋な意味の希望なのだ。


 だから私は敢えて声を上げて見せたい。この哀れな一本の樹の為に。


「メリークリスマス」と。



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