お姉さまと対決です。
全力を尽くす。めぐ姉の、いや、碧子のために。
ぼくが夢うつつの世界をさまよっている間に、ずいぶん時間が経ってしまった。
花火はもう今夜。無事に花火を見に行くためには、まだ解決しなければならない問題があった。
時間がない。
全力で越えなければならない。この障害を。
「ずいぶんひどい目に遭わせてくれたわね、碧子?」
腕を組んで仁王立ち。斜に構えて碧子をにらみつける萌葱さん。
そのとなりで微笑んでいるあづささん。愛らしい唇から、にこやかに言葉を発する。
「まさかあんな能力を身につけていたなんて。このポンコツ娘どうなるかしらって心配だったけど、成長しましたね。すごいすごい」
顔は笑っているけれど……容赦ねえな。
「あづさ姉さま、あんまりです。いくら美魔女でも許されないです」
「歳の話はするなって言ってるでしょ」
一転して凍りつくような声。やっぱりお姉さま、こわい。
「とにかく、それとこれとは別。もう帰るわよ」
「萌葱さん。あづささん」
一歩前に出たぼくに、萌葱さんの鋭い視線が突き刺さる。なんて迫力。視線だけで負けそうだ。けど、下腹にぐっと力を入れて睨み返す。
「どうか見逃してもらえませんか。いつまでもとは言いません。せめて……」
「おう、男だねえ、少年」
萌葱さんがにやりと笑う。年上の余裕か。ぼくなんか子供みたいなもんだろうな。
「あやうく氷漬けになりかけたってのに、勇気あるねえ。お姉さん、嫌いじゃないよ」
「お姉さんじゃなくておb……」
碧子が口を開くやいなや、萌葱さん必殺の踏み込み。
「ほあたっ!!」
「きゃう!」
「この期に及んで、おまえは暢気でいいな、碧子」
あやうく雰囲気に流されて和みかけたが、そんなことをしている場合じゃない。
「お願いします。萌葱さん」
ぼくは頭を下げた。
「だめよ。変な未練が残る前に帰るわよ」
「どうしてもですか?」
「どうしてもよ」
ならば。
強行突破あるのみ!
「やるか? 少年?」
ぐいっと近づくぼくに身構える萌葱さん。
ぼくは後ろに隠していた右手を突き出した。ごめんよ姉さん。
「ヒートショック!」
「うきゃ!?」
使い捨てカイロが肩のあたりにヒットし、萌葱さんの身体が溶けた。
萌葱さんがよろける間に、碧子の手を掴んで走り出す。
「萌葱、大丈夫?」
「くう。やるわね」
振り返ると、あづささんが萌葱さんの肩に手を当てている。
溶けた身体はみるみる元通りになり、ぼくらを追いかけてきた。
逃げ切れるか?
走りながら次の手を確認する。
季節は真夏。地の利はこっちにある。
この暑さ、雪女にはかなり堪えるはず。
「うみゅう。コウくん、あたし死にそうですう」
「おまえがへたれてどうする? しゃんとしろ!」
……こいつはやっぱり、戦力にならないかな?
路地を回り込んで、ブロック塀の陰に隠れる。
近づいて来る二人に向かって、
「くらえ! エクスカリバー!!」
「きゃー!!!」
バケツになみなみと汲んであったお湯をぶちまけた。
さすが、と言うべきか、すんでのところで萌葱さんは凶悪な毒液攻撃をかわした。が無事では済まず、だいぶ身体が溶け落ちる。
そこへあづささんが駆け寄って、またも冷気を吹き付ける。溶けた身体はすぐに復活。
(やっかいだな)
前衛の戦士と後衛の回復師。ゲームみたいな編成だが、なかなかに手ごわい。
二人いっぺんに何とかしないと、すぐに回復されてしまう。
ぼくは碧子を励まして、ひたすら逃げた。
逃げ込んだのはこの辺りにはめずらしい、三階建てのコンクリートのビル。今日は休みなのか、人はいない。
入口で、ぼくは碧子を振り返った。
「よし。お前は囮だ。ここにいろ」
「ひど! あたしゃ友釣りの鮎ですか!?」
「この作戦の成否はひとえに、貴官の行動にかかっている。健闘を期待する」
「はっ! 粉骨砕身、任務に邁進するであります!」
どこでそういう言葉を覚えてくるんだ?
ともかく。
「がんばれよ」
そう励まして、ぼくは入口脇の非常階段を駆け上がった。
+ + + + +
ビルの前に佇む碧子を見つけて、萌葱さんとあづささんは速度を落とし、近づいた。
「碧子。いい加減にしないと姉さんたち怒るよ」
萌葱さんが立ち止まって碧子と相対する。
「いやです」
「碧子」
後ろからあづささんが、諭すように話しかける。
「わたしたちは人とは暮らせないの。あなたももうすぐ大人でしょう? そうしたら彼のことも忘れてしまうわ。お互いに悲しい思いをするだけよ」
「分かってます。でも今だけ、ここにいたいんです。コウくんと一緒に、いたいんです」
萌葱さんがため息をついた。
「どうやら、力づくしかないようだねえ。もう容赦しないよ」
そう言って手を前にかざした瞬間。
「今です!」
どさささっ。
大量の粉が二人の頭上から降り注いだ。
「きゃー!」
萌葱さんとあづささんはたまらず、頭を抱える。ものすごい量の白い粉が二人の全身を真っ白にした。
「今だ! 碧子!」
頭上からぼくが声をかけると、すかさず碧子が、
「えい!」
手の先から水を発生させた。
霧状の水。それが萌葱さんとあづささんにまとわりつく。
「なにこれぇ!?」
「べたつく……気持ち悪い!」
二人ともばたばたするが、取れない。水で流すのではなく、霧で粉を混ぜてしまったので、むしろ水を吸ってこねたうどん粉のような状態になっている。べっとり貼り付いて、これでは簡単に取れない。
そのうち。
「あつっ!」
「熱い! いったい何をしたの!?」
「生石灰ですよ」
階段を降りたぼくは、二人に言った。
白い粉の正体は生石灰。じいちゃんに頼み込んで、知り合いの農家に分けてもらった。それを雪女の二人に頭から振り掛けたのだ。
生石灰は水と混ぜると発熱する。それも半端ない熱量を発生する。水が大量にあれば水が熱を吸ってしまうのだが、今は少ししか混ぜていない。碧子のさじ加減は絶妙だった。
「きゃー!!」
もがく二人だったが、全身にこれだけべったりと熱い生石灰がまとわりついては、雪女ならひとたまりもないだろう。
思ったよりうまくいったことにほっとしながら、かと言って快哉を叫ぶ気にもなれず、ぼくは碧子の隣に立った。
やがて二人の雪女は跡形もなくなって消えた。
ぼくは残った服の中から、小さな氷の欠片をふたつ、探し当てた。
二人の雪女の核だ。
(やってくれたわね。覚えてなさい。あとでひどいから)
なおもに憎まれ口を伝えてくるのは、さすが雪女の成体、ということなのだろうか。でもこんな姿になってしまっては、当面は手出しできないだろう。
氷の欠片を敬意を込めて、ぼくは丁寧に拾った。無下に扱うつもりはなかった。
ただしばらく、ぼくらを自由にしてくれればいい。
そのまま居心地のいい場所、氷室に彼女たちを「案内」した。
つまり、駄菓子屋さんに立ち寄って氷を預かってもらったのだ。
おじさんは快く引き受けてくれた。