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思い出の女の子です。


 祖父母の家、田舎に帰るのは夏冬の楽しみだった。特に夏は楽しみだった。


 地元の子、恵美めぐみちゃんとはすぐに仲良くなった。

 歳は覚えていない。けど、年上だったのは覚えている。ぼくは恵美ちゃんを「めぐ姉」と呼んで、本当に朝から晩までずっと後ろをついて回っていた。めぐ姉もお姉さんらしくぼくをかまってくれて、駄菓子屋さんのかき氷を「ぼくには多すぎるから」と半分こして食べさせてくれたりした。


 田舎に行くのがぼくは本当に楽しみだった。着くなりぼくは、祖父母へのあいさつもそこそこに家を飛び出してめぐ姉の所に行った。一日中ただ延々とセミを捕まえ続けたり――虫かご一杯のセミを、夕方に放す。いっぺんに飛んでいくのを見るのがけっこう楽しい――魚やタニシをひたすら集めてみたり、日が暮れても離れたくなくてどっちかの家に転がり込み、一緒に晩ご飯をご馳走になったりした。本当にいつでも一緒だった。


 その日は川で「宝探し」だった。

 何かお宝っぽいものを見つけてきてはお互いに品評する。だいたい石ころしかなかったけど、綺麗な色や不思議な形をした石を見つけてはもっともらしく値段をつけた。そうやって夢中になって石を探しているうち――ぼくは深みに足を取られた。


 背も小さく、まだ泳ぐことも覚えていなかったぼくは、簡単に溺れた。一気に鼻に水が入って息ができず、どうしていいか分からなかった。ただ、このままじゃ死ぬ、と直感した。


 冷静に考えればそこまでの深みではなかったはずだし、対処はできたかも知れなかった。でも幼いぼくには無理だった。ただ必死にもがいた。


 めぐ姉がびっくりして駆け寄って来るのがちらっと見えたのは覚えている。

 息ができない。手足が思うように動かない。

 そのぼくに、めぐ姉は手を伸ばした。


「コウくん! 死んじゃだめぇっ!!!」


 それが、ぼくが聞いたその人の、最後の声だった。




 気がつくと、病院だった。


 ああ、助かった。そう分かるまでに、少し時間がかかった。


 ベッドの横には、母が座っていた。その表情を不審に思ったことを覚えている。


 母は、悲しそうだった。ぼくが助かったことを喜ぶでもなく、危ないことをしたぼくを叱るでもなく、ただただ悲しそうだった。


「ママ……?」


 ベッドの上で起き上がったぼくを、母は静かに抱き寄せた。


「コウくん。恵美ちゃんがね……恵美ちゃんが、死んじゃったの……」


 何を言われたのか、意味が分からなかった。

 言葉の意味自体が分からなかった。


 死んだ? めぐ姉が? どういうこと?

 死ぬって? めぐ姉はどうなっちゃったの?


 まだ小さかったぼくには、死というものがよく分からなかった。

 ただ母が、何も言わずにぼくをぎゅっと抱きしめて肩を震わせているのを見て、その向こうに立つ父が握り拳を震わせているのを見て、ただごとじゃない事だけは分かった。

 だからと言ってどうしていいのかわからず、ぼくは黙っているしかなかった。


 告別式には、血縁ではないから遠い席から参列するしかなかった。

 式が始まる前、ぼくの両親はめぐ姉の家族に土下座せんばかりの勢いで頭を下げた。ぼくもその隣で頭を下げた時、初めてぼくは、ものすごく済まないことをしたのだと感じた。


 めぐ姉のお父さんもお母さんも、ぼくら家族を責めることは一切言わなかった。


 だけど出棺の時、亡骸なきがらに縋って号泣する二人を見ていて。


(どうしよう……?)


 血の気が引いた。

 取り返しのつかないことをしてしまったと、初めて気がついた。


 めぐ姉が死んでしまった。ぼくのせいで。

 もうめぐ姉は帰ってこない。二度と会えない。


 悲しみにくれる家族を見て、どうしていいのか分からなかった。

 その家族を不幸のどん底に叩き落としたのは、ぼくなのだ。


 気分が悪くて、立っていられなかった。

 しゃがみこんだぼくを心配する母親に支えられながら、ぼくの頭の中はぐるぐると回っていた。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう……?


 回りの人が囁いているのが聞こえる。


「かわいそうになあ。どうしてこんなことに……」


 ――ぼくのせいだ。


「あんな小さな子が。これからだってのに」


 ――ぼくだ。ぼくがめぐ姉の未来も、なにもかも奪った。


「気の毒にねえ。見ていられないよ」


 ――ぼくがめぐ姉を死なせた。



 ぼくが。ぼくが。ぼくが!



 ――言えなかった。


 そんな勇気なんか、なかった。


 傍から見れば子供が二人溺れて、運悪く一人が死んでしまった。それだけだ。

 そして多分、それは事実だ。


 だけどぼくを助けようとしなければ、めぐ姉は死んでしまうこともなかった。

 めぐ姉はぼくの身代わりになってしまった。


 だけど、言えなかった。

 その時ぼくの心のどこかが、一緒に死んだ。




 それからぼくら家族は、田舎に寄りつかなくなった。

 お盆と正月のあいさつに申し訳程度に顔を出すくらいで、ほぼ日帰りでそそくさと帰ってきてしまった。

 家族の誰も口にしなかったけれど、誰もが重い「枷」を感じていた。

 自分が生きている。それだけで申し訳ないその気持ちを、ぼくは封印した。

 正確には思い出せなくなっていた。夏の思い出も、めぐ姉のことも、思い出さないようになっていた。




 + + + + +



 意識がもうろうとしている。


 ちゃんとつなぎとめておけない。



 碧子に支えられて家に帰りついたぼくは、半死半生のようなありさまだった。

 そのまま倒れて、寝込んで、ぼくは夢とうつつの狭間から抜け出せずにいた。


 ぼくの、取り返しのつかない過去。


 過去はもう書き換えられない。


 だから忘れていた。でも思い出してしまった。


 ぼくはどうしたら。


「コウくん。コウくんは何も悪くないです。誰も悪くないんです」


 めぐ姉。


 違う……碧子?


「きみは……誰だ?」




 目が覚めた。


 脇を見ると、そこには碧子が座ってぼくを見ていた。


「碧子……」


「コウくん。おはようございます」


 碧子は穏やかに、言った。


 ぼくは起き上がった。

 今初めて、現実に帰ってきた気がする。

 そのぼくを黙って見ている碧子。


 途中何度も目を覚ましては、現実から逃げるように眠りに落ちた。そのたびに、そこには碧子がいた気がする。まさか今までずっとそこに?


「気分はどうですか?」


 碧子が静かに微笑む。いつもの碧子じゃないみたいだった。


「ぼくは、どうしていた?」


「ずっと、眠っていました」

 

「どのくらい?」


「一日と、半分くらいです」


 そんなに?


「ずっとそばに……いてくれたのか?」


「はい」


「どうして?」


 碧子が笑う。


「そうしたかったからです」


「ぼくは……ぼくはきみを死なせたのに」


 碧子の表情は変わらなかった。


「コウくんが悪いわけじゃないです」


 はっきりと訊くのは怖かった。唇が震えた。


「きみは……めぐ姉?」


 穏やかな表情の碧子。


「コウくん。あたしは夏に死にました。死んだ幼子の魂を、哀れに思った雪女の里長が拾って下さいました。だからあたしは碧子。緑濃い夏に生まれたから」


「きみは、めぐ姉の生まれ変わりなのか?」


「恵美は死にました。それは変わりません。あたしは碧子。恵美の記憶も持っているけど、恵美ではありません。過去は変わらないんです」


 その言葉は、ぼくの心を串刺しにした。

 ほんのわずか、残っていた希望が消えて、新しい心の傷がどくどくと血を流す。そんな気持ちだった。


「……ごめんよ、ごめんなさい、ぼくが……ぼくは、なんて言えば……」


 再び涙があふれてくる。昨日から感情が制御できない。というより、何を感じているのかわからなくなっていた。ただ感情が昂ぶって暴走していて、どうしていいのかわからない。


「ねえ、コウくん」


 恵美――碧子は、近寄ってぼくの手を取った。


「コウくんは、恵美と遊んだこと、憶えてないですか?」


「憶えてるよ。いっぱい遊んだ。いつも一緒だった」


「恵美といて、楽しくなかったですか?」


「そんなこと!」


 あるわけない。


 いっぱいいっぱい遊んだこと。どれも憶えている。いつもとても楽しくて、でも夏は終わってしまって、とても淋しくて、泣きながら帰った。よく憶えている。


「あたしも楽しかったです」


 碧子は再び微笑んだ。


「恵美は死んでしまったけど、楽しかった思い出まで死んでしまうわけじゃありません。あたしはコウくんの楽しい思い出の中で、楽しいまま生きていたい。

 楽しかったですよ。とてもとても。その思い出がコウくんの中で生き続けて、輝いてくれたら、あたしはとても嬉しいです」


 穏やかだけど輝くような笑顔のめぐ姉――碧子に、でもぼくは笑顔を向けられなかった。

 涙でぐしゃぐしゃの顔で、下を向かずにいるのが精いっぱいだった。


「もう、子供みたい」


 ぼくの頬に冷たい両手が触れる。


 そんなこと言ったって。

 そんなにすぐに割り切れるわけがない。取り返しのつかない過ちを、忘れられるわけがない。


 ぼくの頬に置いた手を頭に回して、碧子がぼくの頭をそっと抱きしめる。


「コウくんは優しいから、自分を責めてしまったのですね。でもコウくんの人生はコウくんのもの。コウくんのために生きて下さい。

 コウくん、泣かないで。いい子いい子です」


(コウくん、なかないで。いいこいいこ)


 ……ああ、そうだ。


 何かといってぴーぴー泣いているぼくを、めぐ姉はそうやってあやしてくれたっけ。


 その思い出すら、今は心に痛い。失ったものは、二度と取り戻せない。


「コウくん、あたしに幸せになってほしいですか?」


「……もちろんだよ」


 しゃくりあげながら、やっとのことでぼくは答えた。碧子の肩に押し当てられているせいで、声がくぐもっている。ひんやりした肩。なのに柔らかく、暖かい。


「あたしの今一番の幸せは、コウくんが笑顔でいてくれること。コウくんが幸せでいて、たくさんの友だちや恋人に恵まれて、そして結婚して家族ができて、幸せな人生を送ってくれること」


「きみは……それでいいのか?」


 そこにきみは、めぐ姉はいないじゃないか。


「好きな人の幸せを願わない人なんて、いませんよ。今は雪女ですけど」


 少し離れて、碧子がくすくすと笑う。その言葉が、めぐ姉はもういないのだと告げる。

 明るい笑顔。どうしてきみは、そんなに屈託なく笑うことができるんだ?


「あ、でもね、コウくん」


 ぼくの涙を拭きながら、


「あたし、ひとつだけ心残りがあるんですよ」


「?」


「憶えてるかなあ。コウくんと花火を見に行く約束をしたこと。あたし、その前に死んじゃったから」


「……思い出した」


 ぼくが田舎に行くのはいつもお盆の前後で、その頃には花火は終わった後だった。めぐ姉はいつもそれを残念がって、来年こそはと言い続けていた。そしてその年、ぼくはわがままを言って、ずいぶん早くにここへやって来たのだ。


 だけど、約束は果たせなかった。


「恵美の記憶はあまりないのだけど、そのことはよく憶えていて。

 あたしどうしても花火が見たいと思って、人里に降りてきたんですよ。そしたらうっかり溶けかけちゃって……」


「やっぱりお前はポンコツだ」


「ひどい」


 ぼくが頭を小突くと、碧子は笑った。


「でもよかった。コウくんに会えると思ってなかったから。だからあたしのためと言うなら、あたしに花火を見せて下さい。それが碧子の、恵美の、今の願いです」


「わかった」


「約束ですよ。今度は絶対、約束ですよ?」


「ああ」



 すぐに心の整理なんてつかない。


 そんな簡単につぐなえるなんて思ってない。


 だけどせめて、せめてひとつなりとも、願いをかなえてあげることができるなら。


 今は全力を尽くそう。





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