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お約束のお風呂です。


 すっかりこの家になじんで、昔からの付き合いですみたいな顔で居着いてしまった雪女――碧子みどりこ


 別に害はないからいいのかもしれないが、何か釈然としない。祖父母と和やかに笑い合っている情景を目にすると、自分だけが取り残されているような気がする。


「じゃ、ご飯の前にお風呂に入ってらっしゃい。汗かいたでしょ?」

 

「はいっ! そうします」


「おい待て。おまえ着替えはどうするんだ?」


 着の身着のままだろう。そう思いつつばあちゃんを見ると、


「そうねえ。コウくん、貸してあげなさいな」


「いや、それはちょっと……」


 男物じゃサイズが合わないし、自分が着ている服を女の子に着られるのは、何か恥ずかしい。第一碧子だって嫌だろう。


「え、コウくん服貸してくれるんですか? わーいコウくんのふくー」


「いや、おまえなあ……さすがに下着はないぞ」


「コウくんのぱんつー」


「あほか!」


 下着を貸す奴なんか、いねえよ。


「まあまあ、足りないものは明日買ってくればいいわよ。今日は間に合わせで我慢してね」


「はーい」


 ぱたぱたと風呂場へ駈けていく碧子。まるっきり子供だ。


「ていうか、ばあちゃん。明日も面倒みるの、あれ?」


「いいじゃない。娘ができたみたいだわ~」


 ばあちゃんは穏やかな人だ。怒っているところを見たことがない。いつもにこにこしている。

 それが常にも増してご機嫌だ。本当に嬉しいらしい。


「やれやれ」


 あんな天然でも、嬉しいものなのかね。


 そう思いながら適当に服を拾い出していく。

 そんなにたくさん持ってきているわけでもない。Tシャツとかスウェット、それからこの家に置きっ放しにしている古着が少しあるくらいだろうか。


 まあ後は寝るだけだし、サイズが合わないのは我慢してもらおう。

 そう思いながら、風呂場に向かう。


 脱衣所のドアをノックしてみる。そこには既にいないみたいだ。脱衣所に入って服を置き、風呂場に声をかける。


「碧子。服置いとくよー」と言ったとたん、


「きゃあっ!!」


 いきなりものすごい悲鳴が聞こえて、ぼくは跳び上がった。


「なっ、なんだ! どうした!?」


 あわてて引き戸に飛びつくと、まだ悲鳴が聞こえる。


「いやあっ! これ……助けてえ!」


 一瞬ためらった。けど、明らかに尋常ではない事態が発生している。

 ええい、仕方ない。


 勢いよく引き戸を開けた。


「碧子!」


 中に飛び込んだぼくの目に映ったのは、予想どおり一糸まとわぬ姿の碧子。

 だがその形が尋常ではなかった。へたり込んだ身体の一部がない。


「間違えて、お湯かけちゃいました~」


「ばっ、ばか! 何やってんだ!?」


 ぼくはあわてて、出しっ放しになっているシャワーを止めた。

 だけどそこから先、どうしていいかわからない。


「コウくうん……」


「大丈夫か? どうすればいい?」


「氷……氷水をください」


「氷水だな。わかった」


 台所にすっ飛んでいって、冷凍庫から洗面器にありったけの氷をぶちまける。

 また風呂場に駆け戻り、洗面器に水を足して氷水を作る。

 それを手ですくって、肩口からかけてやる。


 しゅわしゅわしゅわ……。


 かすかに泡立つような音がして、溶けた身体が再生していく。


「ああ……」


 前にかき氷をかけたときのように、碧子の口からあえかな声がもれる。


「あ~、生き返りますう~」


 嬉しそうだ。よかった。大丈夫みたいだ。ぼくはほっと胸をなでおろす。


「ありがとうございます。おかげで、はだかを見られちゃいましたけど」


「ばっ!」


 がばっと立ち上がって後ろを向いた。


「ばか! しょうがないだろ? ぼくだってびっくりしたんだぞ!」


「はい~わかってますよ。でもコウくんになら、見られてもいいです」


「何言ってんだ!」


 擦り寄ってくる碧子を突き飛ばして、ぼくは大急ぎで風呂場を出た。


「ああん、コウくうん……」


 何故か切なそうな声が聞こえたが、知るか。


 まったく、心配させやがって。

 おかげでびしょ濡れだ。


 ぼくは濡れてしまったTシャツを乱暴に脱ぎ捨て、脱衣かごに投げ込んだ。


 なんだろう? ぼくはなんでこんなに、いらいらしている?


 ドジっ娘雪女の碧子にびっくりさせられたのもある。

 死んでしまうんじゃないかと思った。ほんとに心配した。


 そんな心配を知ってか知らずか、あの能天気なリアクション。そりゃ腹も立つ。


 それに雪女とはいえ、女の子のはだかを見てしまったこと。どきどきと、罪悪感がない混ぜになった感覚。


 いっぺんにいろいろありすぎて混乱していたけど。


 でもどきどきの原因は、それだけじゃなかった。

 何だか分からない、何か。それが分からなくて、余計にいらいらする。


(コウくんになら、見られてもいいや)


 馬鹿にするな!って思った。

 でもそれが何だか、思い出せない。


 それは、誰が言った?

 なんでぼくは、そう思った?




 + + + + +



 夢を見ていた。

 夢を見ているって分かっている夢。


 そこは自分の通う高校だった。夏休み前、今日で学校は終わりという日。


昂大こうだいくん、ごめんね。私たち、友だちに戻ろう」


 目の前にいる女の子、香奈かなが告げた言葉も、口調も、淡々としていた。


 きっとずっと考えていたんだと思う。だけどとてもドライに見えたのは、ぼくに心配かけたくないからだとわかっていた。香奈はとっても優しい子だから。


 二年の初めから、ぼくらはつき合い始めた。話も合ったし楽しかった。


 でも会うほどに、香奈が心配そうにぼくを見ている時間が増えた。


「ねえ、つらいことがあったら言って?」


 そう話しかけてくれた香奈の表情は本当に心配そうだった。ぼくが時おりつらそうな顔をみせるんだと言う。自分にはまったく自覚はなかった。だから何故そんなことを言われるのかわからず、ぼくは戸惑った。


 なんとなくぎくしゃくした空気が、ぼくらの間にあった。ぼくはそれから、逃げた。


「ねえ、わたしといると楽しくない?」


「そんなことないよ」


「でもいつも、つらそうな顔してる」


「ごめん」


「ううん。きっとわたしが悪いんだね」


「違う。ぼくのせいだ」


「どうして?」


「ぼくは幸せになっちゃいけないから」



 ……目が覚めた。



 そうか、夢だったっけ。


 振られたけど、悲しくはなかった。

 形としてはそうだったけど、香奈にそう言わせたのはぼくだから。


 でもそれなりにへこんだし、誰とも会いたくなかった。

 少なくともその話をされたくなかった。


 だから田舎に逃げよう、即座にそう思った。

 思った瞬間、田舎に来ていた。


 ばあちゃんがいつものにこにこ顔で出迎えてくれた時、ぼくは何故か泣きそうになった。


「まあおあがんなさい。お茶でも飲む?」


 なんとかこらえて、何気ない風で上がり込み、居間に行くと、碧子みどりこが座っていた。


 なんだ、もういたのか。


 ぼくは向かいに座る。碧子は両手でコップを持ち、冷たい麦茶をこくこくと飲んでいる。そしてコップを置くと、にっこりとぼくに笑いかけた。


「コウくん。久しぶりだね」



 ……目が覚めた。



 二度寝しちゃったか。


 一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。まだ夢の続きにいるような、ふわふわした感じだ。

 だけどまぎれもなく、ここは田舎。雨戸が閉まっているから部屋は暗い。

 雨戸を開けないと、朝か夜かも分からない。


 ずいぶんたくさん夢を見ていた気がする。少し頭が現実に傾いてきて、夢の内容を思い返すことができた。


「ぼくは幸せになっちゃいけないから」


 自分ですら初めて聞く話だ。少なくとも香奈にはそんなこと言わなかった。

 ぼくは何故そんなことを思ったのだろう?


「コウくん。久しぶりだね」


 ああ、それも初めて……じゃない。


 確かに聞いたことがある。どこかで。どこで? 誰が言ったんだっけ?


(碧子……)


 夢の中でそう言った女の子。


(そうだ、碧子!)


 目の前で、くうくうと寝息を立てている女の子。


 昨日拾った雪女。


 ていうか、なんでここに碧子の顔……って、ええええええええええええええ!?


「何やってんだ、碧子!?」


「うにゅ? ……あ、おはようございます」


「おはようじゃないよっ! 人の布団でなにやってんの!?」


 ゆうべはいろいろ騒ぎがあったけど――あり得ないような騒ぎだったけど――いつもの部屋に一人で寝た。碧子は別の部屋だった。部屋は余っているってばあちゃん言ってたし。ぼくが床をのべてやったんだし。


 それが今、一緒に寝ているのはどういうわけ?


「あ、これはですね、せめてもの恩返しにと思いまして」


 なんの恩返しだ!?


「ほら、日本の夜は暑くて寝苦しいじゃないですか。だからせめて涼しく寝られるように、冷えた抱き枕としてですね」


「いいよそんなの!」


 いくら雪女でも、生身の女の子を抱き枕になんてできるわけないだろ?


 すっかり目が覚めてしまったぼくは、そのまま碧子を置き去りに部屋を出たのだが。


 いったいこいつ、なんなの?


 昨日から振り回されっぱなしだ。




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