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雪女を拾いました。

 炎天下の道端、強烈な陽射しにかれながら、ぼくは考えた。目の前の「モノ」を眺めながら。


 目の前には女性が倒れていた。うつぶせだから詳しくはわからないが、長い黒髪と色白のほっそりした手足から、女性であることは間違いないだろう。多分少女という年齢になるだろうか。


 普通なら駆け寄って助け起こす場面だろう。普通なら。だけどぼくは躊躇していた。

 何かが普通じゃないのだ。


 輪郭がぼやけている。

 よく分からないのだが、そうとしか言いようがない。人という物体なのに、陽炎のようにゆらめいていてはっきりしない。


(これは一体、なに?)


 正直に言うと、面倒ごとに巻き込まれたい気分じゃなかった。

 それを避けてわざわざ田舎に来ているというのに。


 しかし、である。いくらうさんくさそうでも、炎天下に行き倒れの人を放置していくのは、さすがにうしろめたい。


「あの……どうかしましたか?」


 ともかく、声をかけてみる。


 声に反応して、その人は力なく顔をあげた。


 やっぱりおかしい。顔の輪郭もぼやけている。なんと言えばいいのだろう。不確定性存在?

 空間にゆらぎのように存在する不確定な確率的……いやいや、待て。

 そんな人間存在があるわけがない。


 その人は弱々しい声で、ぼくに言った。


「すみません……あたし、雪女なんですけど、うっかり溶けかけてしまって……助けてもらえませんか?」


「は?」


 目が点、とはこういう時に使えばいいのだろうか。


「雪女?」


「はい。雪女の郷から人里に降りてきたんですけど、この暑さにやられてしまい……ロックアイスでも何でもいいので、冷たいものぶっかけてもらえませんか? 日本の伝統の技、BUKKAKEプリーズ」



 ゆきおんながなかまになりたそうにこちらをみている

 たすけますか?


 ・はい

 ・いいえ←



「ああっ、待って! 見捨てないで! 溶けそうなのは本当なのですう! 助けて下さい!!」


 女の子は必死の様子でぼくににじり寄った。

 よく見ると、美少女っぽい。「ぽい」と言うのは、ぼやけていてよく確認できないからだ。

 中学生と高校生の間くらい、と見当をつけた。だから多分ぼくより年下だけど……雪女?


 ぼくは迷った。なけなしの本能が、「こいつにはかかわるな」と告げている。間違いなく厄介ごとだ。拾えばきっと、ろくでもないことになる。


「なのでさよなら。ポンコツ美少女には関わるなって、ばあちゃんが言ってた」


「ひどい! 見ず知らずの美少女をつかまえてポンコツ呼ばわりですか!? 美少女と言ってくれたのは嬉しいけども! 嬉しいけども!!」


「たった数センテンスで突っ込みどころ満載だな」


 自分で美少女って言うか。

 ぼくはしゃがんで、女の子をのぞき込んだ。


 関わりたくなかった。


「しょうがない……」


 だけど結局、見捨てられなかった。可愛い女の子、というのももちろんあったし、せめて命は助けてあげないと、人の道に外れる。


 ……昔もこうやって、捨て犬や捨て猫、よく拾って帰ったよな。


「ああっ、やっぱりあたしは犬猫扱いですか!?」


「うるさい」


「きゃん」


 軽くデコピンをかましてから、


「取り敢えず、氷のあるところまでだよ?」


 ぼくは女の子をおぶった。抱き上げるのはさすがに恥ずかしすぎて出来なかった。


「よいしょ」


 軽い。華奢だなと思っていたけど、予想以上に軽い。


「うにゅ~」


 背中で女の子がうめく。本当に参っているみたいで、ぐったりとぼくによりかかった。


 背中に押し当てられる柔らかい感触にどきっとした。柔らかい、けれどはかない、これはつるぺ――。


「今、『こいつぺったんこだな』と思いましたね?」


「……ひんやりした手足だなと思っただけだよ。冷え症なのか?」


 ぼくは必死でごまかした。顔が見えなくてよかった。


「雪女なんだから、ひんやりして当然です。それより、ぺったんこって……」


「言ってないでしょ」


 女の子はなおもぼくの表情をのぞきこもうともぞもぞしていたが、そこで力尽きたみたいだ。やっとおとなしくなる。




 + + + + +



 真夏の道を、見ず知らずの女の子をおぶって歩く。

 あたりは森と畑ばかり。人なんかほとんど通らない。


「まったく、たまたまぼくが通りかかったからいいけど、運が悪けりゃあの場所で干からびてたぞ」


「はい~。それはもう、感謝してます。ありがとうございますう」


 季節は言うまでもなく真夏。太陽は容赦なく照りつけ、山あいの町なのにひどく暑い。大きな木が頭上高くに黒々と枝葉を張り、涼しい木陰を作り出しているが、それもアスファルトの道路までは届かない。そりゃあ行き倒れる。


 太い木の幹には大量のセミ。しゃわしゃわしゃわと重なる大合唱が、すこしだけ涼しげだ。


 祖父母の住む田舎に、ぼくは遊びに来ていた。

 民家や商店はぽつぽつと数える程度。そんなのどかな山間の町。


「どこに行くのですか?」


「氷のあるところだよ」


 昔からよく来ていたから、道はわかっている。それでもこんなに長居しているのは初めてかもしれないが。


 歩いて十分くらい。目指す駄菓子屋に到着した。


「おじさん、こんにちは。まだかき氷、やってますか?」


「おう、やってるよ」


「よかった。じゃ、かき氷みっつ、ひとつはシロップなしで」


 女の子をビニール張りの椅子に座らせ、向かいの席に自分も座る。


 久しぶりだな、ここ。


 ぼくはあたりを見回した。


 昔、ここにはよく来ていた。駄菓子屋だけどちょっと食堂みたいなスペースがあって、遊びの途中に立ち寄ってはかき氷を食べ、また出かけてゆく。ぼくら子供たちの、いわば中継基地みたいなものだった。


 あれからずいぶん経ったけど、おじさんは相変わらずだ。だけど子供の姿はなく、がらんとしている。


 おじさんは店の裏の氷室――でっかい冷凍庫からひとかたまりの氷を出してきて、かき氷機にセットした。


 しゃりしゃりしゃり――。


 白いふわふわが削り出される。おじさんは手に持ったカップをくるくると回して、ふわふわな氷の山を高く高く積み上げていく。単純だけど、いつ見てもおもしろい。


「お待ち。なんだ、柿添さんとこのお孫さんかい? 昂大こうだいくんだっけ? でっかくなったなあ」


「お久しぶりです」


 何年も会っていなかったぼくを、おじさんは覚えていてくれたらしい。


「で、その娘は東京のガールフレン――」


「拾っただけです! そこの道端で!」


 こんな変なの、知らない。知らないったら知らない。 


 だって椅子に座った女の子は。


 ……溶けている。

 おぶって連れてきたせいでぼくの体温でさらに溶けて、スライムみたいに椅子に寄りかかっている。何だろうな、これ?


「ふにゃあ~」


 変な擬音は出さなくてよろしい。


 ぼくはかき氷のひとつを手に取って、女の子の頭からさらさらと振りかけた。

 いくら本人がいいといっても、女の子の頭からロックアイスをぶちまけるというわけにもいかない。


 粉雪のような氷をまぶされた女の子は、とても嬉しそうな、恍惚とした笑みをうかべた。


「ああ……きもちいいですぅ……」


 ぼやけた顔の造作や身体の輪郭が見る見るはっきりしてきて、少女の形を取り戻していく。


(よく見れば、ちょっとかわいい……かも)


 さっきまでの、しなびて黄ばんで二束まとめてスーパーの片すみで投げ売りになっている菜っぱみたいな風情はすっかりなくなっている。冷水につけてぱりっとした新鮮なレタスみたいだ。


「はあ、助けてくれてありがとうございます。でもその菜っぱのたとえは酷すぎです」


「実際、そんな感じだったじゃないか。そのあとちゃんと褒めてやったからいいだろ」


 そんな女の子を眺めていたおじさんは、


「……もしかして、雪女かい?」


「はいっ! そうです雪女ですっ!」


 おじさんの問いに、思い切り元気に自分の正体をばらす雪女。いいのかよ。


「そうか雪女か。いやいや、久しぶりに見たなあ」


「おじさん、雪女に会ったことあるんですか?」


 ちょっと意外に思ってぼくは聞き返した。

 いや意外どころか、充分に不思議体験だろう。


「むかーし、な。ときどき山から降りて、子供と遊んでいったりするらしいんだ」


「へえ」


 この辺りでは普通に実在するものなのか。


 だけど雪女っていったら、白い着物に長い黒髪で、冬の雪山で男をたぶらかし、氷漬けにしてはその精を吸い尽くすみたいな、そんなイメージなんだけど。


「そんなことしませんよお」


 雪女はけらけらと笑う。


「あたしはまだ子供だからそんなことできません。できるのは大人の雪女だけです」


「やっぱりやるんじゃねぇか」


「まあまあ、そんな細かいことは気にしないで」


「するよっ! ぼくだって男だ!」


「大丈夫。コウくんにはそんなことしないから」


 どきっとした。

 なんだ、今の感覚。今の呼ばれ方、どこかで?


「ぼく、名前言ったっけ?」


「ええと、さっきおじさんが……」


 そうだったか? 確かに名前は呼ばれたかもしれない。

 でも微妙に何かが引っかかる。


 それにしても、初対面だというのにずいぶん馴染んでいるな、この雪女。

 そりゃちょっとは可愛いから、嬉しくないこともない。ないのだが、我が物顔で、


「おじさん、おかわり! 今度はメロン味で!」


 とカップを差し出しているのを見ると……。



 ……ま、いいか。



 命まで取られるわけじゃないし。それに何だか、見ているとほほえましい。


 そう思いながら、ぼくもかき氷をかき込む。外を見ると陽射しはまだ容赦なく強烈だ。


(昔はこのまま遊びに行ってたんだよなあ)


 どれだけ元気だったんだか。



 ともかくも、だいぶ涼んだ。


「じゃ、おじさん。ごちそうさま」


 ぼくは席を立った。


「おう。またいつでも遊びに来てくれな」


「ごちそうさまでしたあ」


「……なんで当たり前のような顔をしてついてくる?」


 にこにこ顔の雪女を、ぼくは胡乱げに見やる。


「だってあたし、行くとこないですし」


「山に帰れ。ていうか、かき氷代、払ってないだろ?」


「人間のお金、持ってないんですう」


「いじらしい顔したってだめだ」


 胸の前で手を組んで、目をうるうるさせている自称雪女。ちっとも雪女らしくない。長い黒髪がちょっとそれっぽいかなという程度で、いでたちはキャミソールにホットパンツ、いたって普通の女の子だ。


「じゃせめて、カラダで払いますう」


「そういう冗談はやめろ」


 そう言ったものの、ホットパンツからすらりと伸びる長い素足につい目が行ってしまい、どきまぎする。真夏の陽射しに焼けることもなく、透きとおるような白い肌だ。


(こんな子供相手に、何やってる……)


 目のやり場がなくて空を見上げたとき、ふとぼくは夏休み前、最後に会った女の子を思い出した。


 それを忘れたくて、ここに来たはずなのに。


 代わりに変なのにつかまってしまった……。




 + + + + +



 結局、雪女は家まで付いてきた。


「ばあちゃん、ただいま」


「お帰り、コウくん……。あら、おともだち?」


「はいっ! 雪女ですっ!」


 おまえ、少しは正体隠せよ。


「あらあら、真夏に雪女? めずらしいわね」


 てか、ばあちゃんも少しは驚いてよ。


「はいっ! 行き倒れているところをコウくんに拾われましたっ!」


 もう完全に捨て犬感覚だな。


「なので、ご恩返しをしたいと思います!」


「あらそう。まあ二人ともおあがんなさい。お茶でも飲む?」


「はいっ! おじゃましますっ!」


 だんだん突っ込むのがばかばかしくなってきた。


 何の違和感もなく流れるように上がり込んだ雪女。この一連の進行は、何なんですか? あらかじめ台本でもあったんですか?


 女同士の気安さか、ばあちゃんと雪女は仲良く談笑している。


碧子みどりこちゃんていうのね」


「はいっ! 碧子みどりこです! 緑濃い夏に生まれたからって、里長さとおさが付けてくれました!」


 元気だなー、この雪女。

 ぼくは所在なく、卓上のせんべいをつまみあげる。


「そう。コウくんと仲良くしてあげてね」


「はいっ! お世話になりますっ!」


「ちょっと待て! 誰が世話するって言った!?」


「だってあたし、行くとこないし」


 上目づかいにぼくを見る雪女。精一杯かわいくアヒル口したって駄目なものは駄目だ。


「うちじゃ雪女は飼えません」


「ひどい! 捨て犬扱いですか!?」


 見つけたときは捨て犬以下って感じだったぞ。


「うちはお祖父さんと二人で部屋は余ってるから、泊まる分には問題ないわよ?」


 横からにこにこと口を挟むばあちゃん。


「ていうか、ばあちゃん」


 徒労感を覚えながらも、いちおう説得をこころみる。


「年頃の女の子がひとつ屋根の下に寝泊りしてるって、どうなのさ?」


 その心配をするのは本来ばあちゃんの役目じゃないかと思うんだけど。


「あら、コウくんてば、あたしのことそんな風に思ってくれてるんですか?」


「おまえは口を挟むな。事態がややこしくなる」


「大丈夫よお、コウくんなら。信用してるから。でもいくら仲が良くても、寝床は別々よ?」


 のんびりした口調でばあちゃんが言う。なんか、論点がずれまくっているような気がして、ぼくは内心頭を抱えた。ばあちゃんはこの雪女なる身元不詳の女の子を泊めるつもりでいるらしい。


「若い人がたくさんだと、賑やかでいいわあ。晩ご飯何にしようかしら?」


「わあ、あたしも手伝いますう!」


「あら嬉しい。じゃお願いするわね」


「このくらい、しばらくご厄介になるんですから当然です!」


 しばらくって、どのくらいだよ。


 すると雪女――碧子みどりこは、意味ありげに微笑んだのだった。


「もうすぐ花火がありますよね。ぜひ見たいんです。コウくんと一緒に」





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