<4>
井手は頭を巡らせる。
尾西へのSOSサインとして、キーホルダーは残してきた。
だが、それに気付いてもらえる保証は無い。
仮にキーホルダーに気付いたとしても、尾西が上手く行動してくれるとは限らない。
さらなる策を講じるため、井手は考えながら歩いていた。
自身は発信機やカメラで監視されており、行動できる幅は狭い。
そうなると、やはり誰かの助けが欲しい。
だが、誰でもいいというわけではない。
先程から井手は、複数の人間とすれ違い、様々な人々を目にしている。
だが、そういった通りすがりの見知らぬ人物に助けを求めたところで、何の意味も無いことを彼は知っている。
助けを求める相手は、慎重に選ばなければいけない。
まず何よりも、他人を助けてやろうという気持ちを持った人間でなければいけない。
その段階で、多くの人が省かれることになる。
詳しく事情を説明することは出来ないので、短いヒントで察知してくれる相手でなければいけない。
余計な行動を起こして、無闇に騒ぎを大きくするような人物も避けねばならない。
つまり、洞察力が鋭く、正義感があり、慎重に行動できて、かつ大胆さも兼ね備えた人物であってほしいのだ。
出来ることなら、自分が知っている人物に出会えれば、それにこしたことは無い。
しかし、そんなに都合のいい人物に、そう簡単に巡り合えるはずもない。
焦心を抱きながら、井手は歩き続けていた。
「どうした、もう質問しないのか」
沈黙が続いたことが気になったのか、男が話し掛けて来た。
「静かにしていた方が、周りの人間に怪しまれる危険性が少ないぞ」
井手は言葉を返す。
「しかし無言の時間が続くと、君が何か策を講じているようにも思えるのでね」
まるで見透かしたように、男が言う。
「どうせ質問しても、答えてくれないんだろう」
周囲に気を配りながら、井手は会話に応じる。
「君が答えられないような質問をするから、拒否しているだけだ。内容によっては、答えられる場合もあるだろう」
「だが、俺が尋ねたいのは、たぶんお前にとって都合の悪いことばかりだろうからな」
「例えば、どんなことだ?試しに言ってみろ」
「仕事の方法は、どうなっているんだ?博士が家にいるのは分かったが、どこかビルの屋上から狙うのか、あるいは誘い出すのか。具体的なやり方を教えてもらいたいものだな」
「その説明は、もう少し待つんだな」
「ほら見ろ、やはり答えないじゃないか」
「ギリギリまで手の内を見せたくないのだよ」
「MG=フィンを使ってタイムリミットを設定したのも、そういうことか」
「その通り。あまり多くの時間を与えると、想定外の反撃を食らう危険もある。それほど君は恐ろしい人だからね。まあ、だからこそ我々は君を選んだわけだが」
「無関係の女を拉致するような恐ろしい奴に、恐ろしいと言われたくないもんだな」
「ふっ、これは一本取られたかな」
皮肉めいた井手の言葉に、男は微笑を返した。
男の作戦は今のところ、功を奏していると言えた。
井手は短い残り時間の中で、まだ有効な手立てを打つことが出来ないでいる。
彼は歩みを進め、飲食店の並ぶ通りを折れ曲がる。
直後、井手は向こうから歩いてくる1人の男に注目した。
それは目付きの悪いアイロンパーマの中年男で、黒のロングコートを着ている。
(あの男・・・・・・)
井手は、心の中でつぶやいた。
それから、また辺りを見回す。
「あの男・・・・・」
今度は声に出して、井手がつぶやく。
「どうした、何かあったのか」
「向こうから刑事が来る」
「刑事だと?」
「ああ、見たことがある顔だ」
井手はアイパーの男が城南署の刑事、清水剛一だと気付いていた。
探偵稼業の中で、井手は清水と会ったことが2度ある。
最初は、浮気調査でターゲットの男性を尾行していた時だ。
尾行相手がキャバレーに入ったため、井手は後を追い、近くの席に座って様子を伺った。
たまたま同じキャバレーでは麻薬密輸の容疑者が飲んでおり、清水が同僚刑事と共に張り込んでいた。
清水は、井手が容疑者の様子を伺っていると思い、不審を抱いたらしい。
彼は容疑者の張り込みを同僚に委ね、尾行相手を追って店を出た井手に声を掛けてきた。
実は、井手は店に入った時から、そこに刑事がいることに気付いていた。
刑事には独特の匂いがあり、それを嗅ぎ分ける感覚が井手には備わっている。
清水の尋問を受けた井手は、素直に名前や職業を説明した。
そこで無意味に抵抗しても、ややこしくなるだけだ。
尾行相手には逃げられてしまったが、それは仕方が無い。
キャバレーで何をしていたのかという質問にも、尾行の最中だったと正直に語った。
もちろん、依頼者や尾行相手の素性に関しては話さなかったが。
しかし清水は、簡単には納得しなかった。
「お前、本当に探偵か?」
疑惑の目で、井手をジロジロと見回した。
「お疑いなら、事務所に案内してもいいですよ。正真正銘、ちゃんとした探偵ですから」
井手は、丁重な姿勢で言った。
「俺は長く刑事をやってきて、複数の探偵と会ったことがある。だが、そいつらとお前は、何かが違う」
「そりゃあ、人それぞれに個性がありますからね」
「そういうことじゃない。お前は普通の探偵より、もっと闇の匂いがする。何か、妙な殺気とでも言うか、緊張感とでも言うか」
(ほう、そこいらの刑事とは少し違うようだな)
心の中で、井手はつぶやいた。
前の仕事を辞めてからは、その匂いを意識して消すように努めていたが、まだ残っていたということだろう。
しかし、そんなことを指摘されたのは、その時が初めてだった。
正直、清水を見た時には冴えない男のように感じられたため、その感性の鋭さは意外だった。
「ただの思い込みでしょう」
井手は、清水の疑念を軽く受け流した。
しかし清水は強い疑いを抱いたらしく、署に連行して取り調べようとした。
井手は任意同行をキッパリと拒否し、立ち去った。
そこまで警察に対して従順になるほど、井手は生温い男ではない。
結局、容疑者は数日後に逮捕され、その一件に関して井手が取り調べを受けることも無かった。
2度目に会ったのは、殺人事件絡みだった。
井手は行方不明者の調査をしていたのだが、その人物が他殺体で発見され、清水が捜査に当たることになった。
その流れで、井手は清水の取り調べを受けることになったのだ。
井手は、清水が自分を重要な容疑者と見ていることを察知した。
それは大きな間違いだったが、しかし疑いが自分に向けられるのは当然だとも思っていた。
何しろ、全身メッタ刺しの死体を発見したのは自分であり、その様子を第三者に目撃されていたからだ。
しかし井手は、自分が誤認逮捕される可能性は皆無だと確信しており、余裕を持って尋問を受けた。
清水は脅すような口調、高圧的な態度によって、井手を落とそうとした。
ただし、決して暴力だけは振るおうとしなかった。
一度だけ首根っこを掴んだことがあったが、すぐに手を離した。
勘違いによる尋問だったが、井手は腹立たしさを全く感じていなかった。
彼は大半の警察官を信用していないが、一部の例外もある。
清水が愚直で出世を望まず、頑固だが正義感に熱い男だという情報を、ある筋から井手は事前に聞いていた。
井手にとって、取り調べの時間は、その情報を確かめるための時間でもあったのだ。
そして彼は、「確かに頑固で熱い男だ」という印象を、清水に対して抱いた。
2日間の取り調べの末、井手は釈放された。
しばらくして犯人は逮捕され、それ以来、清水との接点は全く無い。
その清水に、井手は目を留めた。
それほど親しい関係ではないが、見ず知らずの他人よりは遥かに希望が持てる相手だと井手は考えた。
(奴ならば・・・・・・)
井手は、賭けてみることにした。
「しばらく交信はやめておこう」
そうマイクに言いながら、井手は右手をズボンの右ポケットに突っ込み、何やらモゾモゾと動かす。
「どうしてだ?」
男が尋ねる。
「誰もいないのに俺が喋っていたら、刑事に怪しまれるぞ」
「分かった、しばらく交信は中断しよう」
イヤホンの向こうで、男が承知した。
歩みを進めながら、井手は、じっと清水に視線を送る。
自分から声を掛けるよりも、清水に気付かせた方が、犯人に不審を抱かせずに済むだろうという判断だ。
思惑通り、清水は井手に気付き、近寄ってきた。
「おい、お前」
「俺のことかな?」
井手は、自分を指差した。
「そうだよ、他に誰がいるんだ?」
「ああ。それで、俺に何か用か」
「それはこっちのセリフだ。お前、こっちを見ていただろう」
「いや、とんでもない」
井手は大げさに首を振った。
「ただ、チラッと目に入っただけだ」
「嘘をつくな、嘘を」
「たぶん、嘘じゃないさ」
「お前、こんな所で何をしているんだ」
「何って、ただ歩いているだけだ。それ以上でも、それ以下でもない」
「妙な言い方をしやがって。どうも怪しい雰囲気がプンプンするぞ」
清水は、井手の顔を覗き込む。
「別に何でもないと言っているじゃないか」
井手は右手をポケットから出して、誤魔化すように強引に握手を求めた。
「まあ刑事さん、お仕事、せいぜい頑張ってくれ」
「何だよ、いきなり」
清水は意外な井手の行動に戸惑い、後ずさりする。
「それじゃあ急ぐから、これでな」
そう告げて、井手は駆け足で去った。
「あっ、おい」
清水の呼び掛けにも、井手は振り返らなかった。
しばらく走った後、清水が追って来ないことを確認してから、井手はマイクに語り掛けた。
「もう喋っても大丈夫だぞ」
「刑事に怪しまれたのはマズいな」
男は言う。
「そんなこと、今さら言っても仕方が無い」
井手はサラッと口にした。
「それに怪しんだとしても、追い掛けて来ないのだから、大して気にしていないということだろう」
「ほう、余裕のコメントだな」
「余裕なんて、あるわけがないさ」
井手は、やや怒ったように言った。
そう、余裕など無い。
ギリギリの緊張感の中で、彼は必死にもがき、そして戦っていた。
時刻は9時20分。
タイムリミットまで、残り1時間40分。