<23>
午後11時20分。
井手は『フィッシャー』事務所のドアをノックする。
しばらくして戸が開き、尾西が顔を出す。
「こんな遅くに誰かと思えば、井手じゃないか」
尾西が大げさに驚いた様子を見せる。
「入るぞ」
井手は挨拶も抜きに、無表情で中へと足を進める。
「何だよ、強引な奴だな」
尾西は文句を言うが、井手はお構いなしだ。
事務所は10畳ほどのスペースだが、半分以上は荷物で埋まっている。
机の上は綺麗だが、床にはビールの空き缶とゴミ袋が散乱している。
奥の棚には軍事関係の書物が何冊も並んでおり、その隣には複数の計器類が置いてある。
「1時間ぐらい前に、森から連絡があったぞ。お前、こんな場所で油を売っていてもいいのか」
尾西が尋ねる。
「いったい何のことだ?」
「何って、奥さんを人質に取られたんだろう?」
「正確には元妻だ」
「そこは、どっちでもいいじゃないか。俺も森から協力を求められて、動画を調べていたところだ」
尾西は机の上のパソコンを指差す。
そんな言葉を、井手は適当に聞き流し、室内を見回している。
向かって左側に、金属製の扉がある。
「そこからガレージに入れるんだな」
井手は冷めた目でチラッと見やる。
「おい、人の話を聞いてるのか」
尾西が腰に手を当てて、文句を言う。
「とりあえず、キーホルダーを返してくれ」
井手は視線を合わさず、そう言った。
「えっ?ああ、あれか」
尾西はポケットに手を突っ込み、キーホルダーを取り出した。
「すまなかったな、お前が助けを求めているサインだとは気付かなくて」
「尾西よ、理由を教えろ」
井手はキーホルダーを受け取り、質問を投げた。
「はっ?理由って何の?」
「お前が今回の作戦を実行した理由だよ」
井手は向き直り、尾西を鋭く見据えた。
「何を言っているんだ?」
尾西は、乾いた笑いを発する。
「もうシラを切っても無駄だぞ、尾西」
「シラを切るも何も、お前が何を言いたいのか分からないな」
一瞬にして、尾西が真顔に変わる。
「そうか、まだ無関係を装うのか」
そう言うが早いか、井手は金属製の扉を開けてガレージに入る。
事務所から差し込む明かりの中で壁のスイッチを見つけ、それを切り替える。
ガレージの照明が点灯した。
中には野戦服やヘルメット、ブーツや記章など様々なミリタリー用品が並んでいる。
井手はガレージ全体を見回し、ショーケースの裏側で身をかがめている女を発見する。
賀庄美奈だ。
「そこの女、両手を挙げて立つんだ」
井手はワルサーPPKを取り出し、構える。
「立たないと撃つぞ」
怯えた顔をして、美奈が静かに立ち上がる。
「どうやら武器は持っていないようだな」
井手はツカツカと歩み寄り、いきなり美奈の首筋に手刀を落とす。
「ひっ」
甲高く短い悲鳴を上げて、美奈の体が崩れ落ちた。
気絶したのだ。
「悪いが、しばらく眠っていてくれ。話をするのに邪魔だからな」
井手は、振り返る。
扉の傍らで、尾西が忌々しげに眺めている。
「これでも、シラを切り通すつもりか?」
「いや、もう無理だろうな」
尾西が重厚な物言いをする。
「だが、どうして彼女がここにいると分かった?」
「こういうのは、お前の専売特許じゃないんだぜ」
井手は美奈の腰の辺りを探り、取り付けてあった発信機を見せた。
「いつの間に?」
「ジャズバーで拳銃を渡された時に、付けさせてもらった」
「ってことは、部屋を出る際に発信機を持って行ったのか」
「役に立つこともあるかもしれないと思って、念のためにな」
「なるほど、さすがは元ヒッチのリーダーだ」
硬い表情で尾西が言う。
「途中でお前じゃないかという疑惑は浮かんだが、間違いであって欲しかったよ」
井手は、無機質な口調で告げた。
「俺に疑いを?」
「ああ。犯人がヒッチの関係者だろうとは思ったが、時間の経過と共に、お前に絞り込まれていった」
「どうして、そう思った?」
「こんな大胆な計画を立て、一方でつまらないミスをやらかすような間抜けは、ヒッチのメンバーではお前ぐらいしかいない」
井手は真剣な顔で告げる。
「言ってくれるぜ」
尾西は苦い笑みを浮かべた。
「富士見捨夫を自殺に見せ掛けて殺したのも、尾西、お前だろう」
「ああ、そうだ」
尾西はうなずいた。
「あいつは昔から俺を慕っていたからな。ヒッチの仲間では唯一、今回の計画に誘ったんだ。だが、断りやがった」
「計画を知っているので、口封じに殺したというわけか」
「そういうことだ」
「この計画が成功した後で、俺も殺す気だったのか」
「当然だろう、それ以外に選択肢があるのか」
「なぜだ?なぜ俺を罠に掛け、須藤博士を狙わせた?博士の家に来た男を使えば済んだことじゃないのか」
「養陸のことか。奴の本職はクリーニングだ。それに、奴には今後も働いてもらわないといけないからな。使い捨てにするには、他の人間を使った方がいい」
尾西はニヤリと笑う。
「だが、その使い捨ての対象が、なぜ俺なんだ?」
「お前を使ったのは、それが最も確実だと思ったからだ。その道のエキスパートを使った方がな」
「理由は、それだけかな」
「というと?」
「お前の中で、俺に対して特別な感情があるように思えたがな」
「なるほどな」
尾西は、深くうなずいた。
「確かに、お前に対する妬みの気持ちがあったことは、否定できないな」
「妬み?」
「ヒッチの頃、お前は常に優秀で、わずかなミスも犯さなかった。俺はヒッチのトップに立ちたかったが、お前を抜くことは出来なかった」
「トップに立つ?そんなことを考えていたのか」
「ああ、そうさ。そして、その頃から、一度でいいからお前に屈辱を味あわせたいと、心のどこかで思っていたんだろうな」
「そんなことで、そんなつまらない理由で、詠美まで巻き込んだのか」
井手は、愕然とした。
「だったら尾西、今回の計画が失敗したことで良く分かっただろう。お前がトップに立てなかった理由が」
「どうだろうな」
尾西は、とぼけたような言い方をした。
「それより、詠美さんは、どうなった?」
「病院にいる。精神的な疲労は大きかったようだが、しばらく休めば元気になるだろう」
「そうか、それは良かったな」
尾西は何の感情もこもっていない言葉を口にする。
「須藤博士を狙った理由は、金だな?誰かに雇われたんだろう」
感情の爆発をこらえて井手が聞く。
「ご名答。さすが探偵だ」
「お前が博士を殺しても、何の利益も無いからな」
井手が言う。
「だが、それで利益を得られる人もいるはずだ。たぶん、アメリカで博士を狙ったのと同じ人物だな。いや、人物ではなく、もっと大きな組織だな」
「博士が開発中の解毒薬を完成させると、迷惑を被る組織もあるってことさ」
「なるほどな、そこの絡みか」
井手は納得した。
「なぜ博士の家に正面から入らせたのか、分かったよ。ボディーガードを目撃者にするためだな。そして、俺が殺人犯として警察に追われるように仕向けたわけだ」
「ほう、相変わらず優れた推理力だな」
そう言って、尾西は冷やかすように短く口笛を吹く。
「今回の仕事は、博士を殺すだけではなく、犯人が明確に分かるような形にする必要があった。そういう依頼なんでな」
「犯人が特定されなければ、アメリカでの暗殺未遂もあって、その依頼主に捜査の手が及ぶ可能性が無いとは言えない。それを嫌ったんだな」
「その通りだ」
「だから警察が俺を犯人と断定した後で、自殺か事故にでも見せ掛けて始末する予定だった。そして個人的な人間関係のトラブルを、犯行理由としてデッチ上げるつもりだった。そういうことだな」
「そこまでお見通しとはな。新しい仕事に私立探偵を選んだのは、正解だったようだな」
尾西は、皮肉めいた言い方をした。
「そんな話に乗るとは、よほど高い報酬を貰ったんだな。だが尾西よ、金に転ぶとは、お前も落ちぶれたものだ」
「落ちぶれたわけじゃないさ。むしろ、今までが落ちぶれていたんだ。つくづく痛感したよ、情報部員ってのは潰しの利かない職業だってな」
「そんなことはない、現に俺は私立探偵をやっているし、お前だって店を持っているじゃないか」
「だが、そこに充実感があるか?俺は無いね。この店を始めた後、俺は自分の能力を発揮できずに悶々としていたんだ。そんな時、この話が舞い込んできた。またヒッチの時と同じように、充実感を満喫できる場所に戻れるチャンスだ。俺は一も二も無く飛び付いたさ」
「何が充実感だ。悪党の手先になることを、ヒッチと同じにするな」
「やってることは大して変わらんさ」
「どうやら、考え方に相違がありそうだな」
「その違いは、幾ら語り合っても埋まらないぞ」
「なるほど、完全に黒く汚れたらしい」
「ほざけ。俺は俺なりの生き方を選んだだけだ」
「呆れた奴だよ、全く」
井手は、不快感を露にした。
「さて井手よ、どうするつもりだ?」
尾西は、すました顔で尋ねた。
「俺を殺すか」
「かつての仲間だ、どれだけ悪党であっても、命まで奪いたくはない」
「だったら、見逃してくれるか」
「そういうわけにはいかない。警察へ行って、全て話してもらおう」
「ははっ、バカなことを」
尾西は、大口を開けて笑う。
「警察で全てを話す?そんな要求、俺が飲むと思うのか」
「限りなくゼロに近い可能性だと思っていた。だが、一応は確かめておかないとな」
「俺は警察の世話になどならん。誰にも捕まらん」
「国外にでも逃亡するか?」
井手は言いながら、尾西の手の動きに意識を集中させている。
尾西の右手は、扉の向こう側に隠れている。
「そうだな、それが一番の方法だろう」
そんな言葉を返した尾西も、井手がダラリと下げた手の先にあるワルサーPPKを気にしている。
「だが尾西、ここから逃げるには、俺が邪魔になるぞ」
「黙って通してくれると嬉しいんだがな」
「それは出来ない相談だ」
「だろうと思った」
そう言い終わると同時に、尾西は右手を伸ばし、隠し持っていたグロック17を構えた。
尾西が井手に銃口を向ける。
引き金に掛けた指に力を入れる。
そこまで辿り着いたところで、彼がイメージした動作は破綻した。
一瞬早く、井手のワルサーが発射音を上げたのだ。
「ぐむっ」
潰れたような声と共に、額を撃ち抜かれた尾西が、膝からグニャリと崩れ落ちた。
井手は拳銃を構えたまま、慎重に尾西の元へ歩み寄る。
見下ろした視線の先に、愚者の成れの果てが転がっていた。
即死であった。
「バカ野郎が・・・・・・」
井手はポツリとつぶやき、唇を噛む。
それから彼はガレージの隅へ行き、シャッターの自動開閉スイッチを押す。
ゆっくりとシャッターが上がっていく。
井手は、シャッターの上昇と共に下から覗くアスファルトに目を移す。
腰の辺りまでシャッターが上がったところで、井手は腰をかがめて潜り抜け、外へ出る。
ガレージの外では、清水と森が待っていた。
「やはり、撃ち合いになったか」
森が重々しい口調で尋ねる。
「ああ」
井手は短く答える。
「尾西は、死んだか」
「ああ」
「女はどうなった?女も死んだのか」
今度は清水が質問する。
「いや、気絶して倒れているだけだ」
「そうか」
清水は、うなずく。
「さて刑事さん、俺を捕まえるか?」
井手は拳銃を見つめながら、質問を投げた。
「俺は、アンタの目の前で人を殺している。しかも二度もだ。明らかに殺人犯だよな」
「逮捕してほしいのか?」
「いや、出来れば遠慮したいところだ」
「だったら、行くがいいさ」
清水は言った。
「いいのか」
「お前を捕まえても、この事件の全貌が明らかになるわけでもない。それに、どうやら迷宮入りしそうな匂いがプンプンしてくる事件だ。お前一人を見逃したところで、どうってことはないだろう」
「寛容なんだな、刑事にしては」
森が、感心したように言う。
「まあ命を救ってもらったからな。お返しだよ。貸し借りは無しにしておきたい」
清水は、ぶっきらぼうに告げる。
「では、遠慮なく好意に甘えさせてもらおう」
井手はハンカチを取り出し、ワルサーPPKの指紋を拭き取った。
そして、拳銃をガレージの中へと滑り込ませる。
「悪いが、いつか町で会うことがあっても、他人のフリをさせてもらうぞ」
井手は清水に言う。
「どうせ他人だろ」
清水がすかさず言い返す。
「違いないな」
井手は小さく笑い、腕時計に目をやった。
時刻は11時30分。
タイムリミットは、もう無い。
【完】




