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名砂恵理のフェラーリは、街の中心部から郊外へ出た。
車は真っ直ぐに伸びる道を走る。
後部座席に座った森は、長く続く左側の壁を眺めている。
それは、笹島邸の壁である。
敷地面積は東京ドーム3つ分という大豪邸である。
「久しぶりに来たが、相変わらず大層な家だな」
森秀嘉は、苦々しい表情で言葉を吐く。
「こんなにデカくても、使い切れないだろうに」
「それは妬みかしら?」
恵理が、バックミラーを見ながら告げる。
「はっ、冗談だろ。俺はこんな家に住みたいとは思わないね。気疲れするぜ」
「人それぞれに、気質があるでしょうからね」
そんなことを話している内に、正面玄関が迫ってきた。
「おっと、そろそろ俺は隠れるぜ」
森は座席の下に寝転がり、体を小さく畳む。
「そんなことしなくても、普通に入れると思うけど」
恵理は呆れたように言う。
「俺のやりたいようにやらせろ。いいか、バラすなよ。今さら裏切るんじゃないぞ」
「はいはい、ちゃんと承知しているわよ」
面倒そうに、恵理は返答する。
巨大な門の前で、フェラーリは停車する。
大理石の表札に、「笹島」の文字が彫り込まれている。
恵理は車を降りて門に近付き、カメラ付きインターホンを押す。
「私です、名砂恵理です」
顔をカメラに近付けた恵理が、そう告げる。
「どうぞ」
事務的な女性の声が、インターホンから聞こえた。
すぐに、両開きの門がゆっくりと開かれる。
邸宅の中から機械で操作しているのだ。
恵理は運転席に戻り、再びハンドルを握る。
そしてフェラーリを笹島邸の敷地へと滑り込ませる。
門を通過したところで、森は体を起こし、座席に座り直す。
「あら、もういいの?」
恵理が聞く。
「中に入ってしまえば、後は何とかなる」
森が身を乗り出して答える。
それから彼は、周囲を見渡す。
敷地に入っても、屋敷までは随分と距離がある。
屋敷までの間に広がる庭には、ゴルフ練習場やテニスコートが設置されている。
それは笹島本人が遊ぶために作ったというよりも、来客用の施設だ。
とは言っても、最近は来訪者も皆無に等しいらしいと、森は噂に聞いている。
「笹島はいるんだろうな。ここまで来て、留守ということは無いだろうな」
森が確認する。
「間違いなく在宅よ」
「電話して確かめたわけでもないのに、良く言い切れるな」
「まだ私を信用してないの?」
「現時点では、誰も完全に信用することは出来ない。井手以外はな」
「ヒッチの絆は深いのね」
「そういうことじゃない、俺が井手を信用しているだけだ。ヒッチのメンバーが全て絆で結ばれているわけじゃない」
「ともかく、疑い深くなる事情も分かるけど」
恵理は、顔だけを後ろに向ける。
「笹島が在宅なのは確かよ」
「分かった、ともかく前を見て運転してろ」
森は突き放すように言う。
「ちゃんと運転してるわよ」
恵理は口を尖らせ、正面に向き直った。
車は、敷地内の道を走っていく。
道の両側は、赤茶けたレンガで縁取られている。
ようやく、笹島の屋敷が近付いてきた。
木造平屋建て、純和風の屋敷だ。
外観は、どこか高級料亭のようにも見える。
「よし、いよいよだな」
森は、座席に座り直した。
「警戒する必要は無いわ。あの人は何も危害を加えたりしないから」
「それは実際に会って、俺が判断する。警備の人間は、どれぐらいだ?」
「そんなの、いないわよ」
「笹島ほどの男が、警備はゼロだと?」
「ええ、そうよ。昔と違って、今の彼は狙われる心配も無い程度の存在になったのよ」
「にわかには信じ難いが、それも行けば分かることだな」
森は息を吐き、気合いを入れた。
恵理が屋敷の前に車を停めるや否や、森はドアを開けて外へ出る。
「ちょっと、焦らないでよ」
後ろから聞こえる言葉に耳を貸さず、森は玄関へ向かう。
いきなりガラスの入った格子戸を開けようとするが、全く動かない。
「くそっ、鍵が掛かっているのか」
「当たり前でしょ、そんなの」
恵理が車を出て駆け寄り、インターホンを鳴らす。
「はい」
スピーカーから女性の声がする。
「名砂恵理です、開けてもらえますか」
「はい、今行きます」
声が聞こえて間もなく、中年女性が玄関に現われた。
「あれは笹島の女か?」
森が小声で恵理に尋ねる。
「バカね、女中さんよ」
恵理はたしなめるようにささやく。
女中が格子戸越しに森を見て、不信感に満ちた表情になった。
「あの、この方は?」
「この人は私の連れだから、大丈夫よ。笹島も彼のことは知っているわ」
恵理は格子戸に近付き、大きめの声で女中に説明する。
やや疑いが残っているような様子ではあったが、女中は開錠し、格子戸を開ける。
「挨拶は後回しにさせてもらうぞ」
森は女中を押し退けるようにして、土足のまま屋敷に上がり込む。
「あっ、ちょっと」
「森さん、靴ぐらい脱ぎなさいよ」
2人の女性の声を無視し、森は屋敷の奥へズカズカと入っていく。
「どこだ、笹島」
森は叫びながら、手当たり次第に障子を開けていく。
だが、どの部屋にも笹島の姿は無い。
森は広い屋敷を突き進み、金の縁取りがされた障子に辿り着く。
「ここか、笹島」
勢い良く障子を開けると、そこは30畳の和室だった。
その一番奥に、和服姿の老人が鎮座している。
座布団の上で胡坐をかいているのは、紛れも無く笹島だった。
「いたな」
森は和室に上がり込み、笹島に近付く。
「全て吐いてもらうぞ」
しかし、笹島は微動だにしない。
「おい、聞いてるのか」
森は笹島の胸倉を掴む。
「無駄よ」
追い掛けてきた恵理が、鋭く告げる。
「無駄なことがあるか」
振り返り、森が言い返す。
「本当に無駄なのよ、良く見て」
恵理は、悲しげな表情になった。
森は笹島に向き直る。
高ぶった感情を抑え、冷静に相手の様子を観察する。
笹島は口をポカンと開き、呆けた表情でヨダレを垂らしている。
うつろな目は、どこも見ていないように感じられた。
「これは・・・・・・」
森は、笹島の胸元から手を離した。
「半年ほど前から、そういう状態なのよ。何を言っても理解できないわ」
恵理は、ゆっくりと森に歩み寄る。
「これじゃあ、まるで廃人じゃないか」
「その廃人なのよ」
「まさか」
「大病を患ったのは、報道されたから知っているでしょ。それは何とか治ったけど、後遺症でそうなったの。公表していないから、ごく少数の人間しか知らないけれど」
恵理は笹島に歩み寄り、ハンカチを取り出してヨダレを拭いてやった。
「こんな状態で、大それた計画を実行することが出来ると思う?」
「・・・・・・」
森は無言だったが、答えは決定的だった。
もちろん、そんなことは不可能だ。
「犯人が誰なのかは知らないけれど、笹島ではないわ」
「もう言うな。そんなことは分かっている」
森は、鋭い言葉を発する。
確信を持っていただけに、ショックは大きかった。
「だったら犯人は誰なんだ?井手の奥さんは、どこにいるんだ?」
焦りが森に襲い掛かる。
「ここに来て行き止まりかよ・・・・・・」
時刻は10時47分。
タイムリミットまで、残り13分。




