<18>
「そろそろ、いいだろう」
肘井は応接室の柱時計を見て時間を確認し、つぶやいた。
ソファーから腰を上げ、応接室を出る。
階段を上がり、書斎の前に立つ。
肘井は緊迫した表情で、ドアを静かに開ける。
須藤が椅子にもたれ掛かり、こちらに背を向けて座っている。
「博士」
肘井が歩み寄りながら、そっと声を掛ける。
「おお、肘井君か」
博士が、椅子ごと向き直る。
「うわっ」
大きな声を発し、肘井は一歩後ろへ下がる。
「どうした、肘井君?」
須藤は、けげんな表情を浮かべる。
「何を驚いているんだ?」
「いえ、別に」
肘井は、激しく首を振る。
「ところで君、ドアはノックしたかね?聞こえなかったように思うが」
「ええ、ちゃんとノックしましたが」
肘井は動揺を抑えながら、嘘を口にする。
「そうか、私が気付かなかったのかな。そうだ肘井君、あまり詳しくは言えないが、私はしばらく死んだことにしておきたいのだ」
須藤が言う。
「死んだことに?」
「だから、電話があっても取り次がないでほしい。もし来客があったら、全て追い返してくれ」
「わ、分かりました」
肘井は頭を下げ、書斎を出た。
彼は階段を早足で下り、応接室へ戻って携帯電話を取り出した。
「もしもし、肘井です。大変です、須藤博士は死んでいません」
「何だと?」
電話の相手は、静かに驚きを示した。
「撃たれた形跡も無く、元気にしています。どうしますか、リーダー」
肘井が聞いた。
そう、電話の相手は、井手を脅している男と同一人物である。
「井手の奴め・・・・・・」
電話の向こうで、男がうなった。
「須藤博士を始末しないと、今までのことが全て無駄になってしまいます」
「分かっている、しばらく考えさせろ」
男は、苛立ち混じりに言う。
「リーダー、こうなったら、私自身の手で始末します」
「何を言い出すんだ。そういうことを避けるために、わざわざ井手を利用したんだぞ」
「分かっていますが、もう他に方法がありません」
肘井は、切羽詰まった様子で告げる。
「任せてください、必ず成功させますから」
「おい、待て」
肘井は男の言葉に耳を貸さず、電話を切った。
激しい動揺のせいで、彼は完全に冷静さを失っていた。
バイクを走らせていた養陸は、バイブ機能にしてあった携帯電話の着信に気付いた。
彼は停車してヘルメットを脱ぎ、携帯電話を取り出した。
「もしもし」
「俺だ」
電話の向こうで、低い声がする。
「ああ、リーダーですか。もうすぐ到着しますが」
「勲、少しだけ計画が狂った。まだ須藤博士が生きている」
「えっ?」
養陸の顔が険しくなる。
「井手の奴が、騙しやがった。射殺しなかったんだ」
男が憎々しげに言う。
「その井手はどこに?」
「既に須藤博士の家を後にしている。今頃は女房を捜しているんだろう」
「どうします?」
「そちらは何とかする。お前はそのまま予定通りに行動しろ」
「しかし博士が生きているとなれば、予定が大幅に狂います」
「いや、何を血迷ったか、肘井が博士を殺すと言って来た」
「肘井が?」
「止めようとしたが、電話を切ってしまった」
「バカな奴だ。しかし、どうしましょうか?」
「今さら止めようとしても遅いだろう。まあ何しろ秘書だから、殺し自体は簡単に成功するはずだが」
「肘井め、勝手なことを」
養陸は呆れたように言い、ヘルメットをバシッと叩く。
「お前は気にせずに行動しろ」
男が養陸に指示する。
「ただし、1つ仕事が増えるぞ」
「了解しました。それで、何をやればいいんですか?」
周囲を見回しながら、養陸が聞く。
「やってやるさ」
肘井は床に視線を落とし、つぶやいた。
それから応接室に置いてあったアタッシェケースを開け、書類の束を外に出す。
アタッシェケースは二重底になっており、シグ・ザウエルP228が隠してあった。
唇を舐め、肘井はシグ・ザウエルに銃倉をセットする。
「もう、やるしかない」
肘井は張り詰めた表情でつぶやく。
そして足早に、書斎へと向かう。
肘井は、乱暴にドアを開けた。
驚いた様子で、須藤が立ち上がる。
「どうしたんだ肘井君、ノックも無しに」
「ここで死んでもらう」
肘井は須藤に対して、初めて敬語を使わずに言った。
「何を言って・・・・・・」
須藤の言葉が途中で止まる。
肘井がシグを構えるのを目にしたのだ。
「なぜだ?私に恨みでもあるのか」
肘井の目に宿る殺意に怯えつつも、須藤は問い掛ける。
「恨みなど無い。ただ、博士が死んでくれないと、全てが水の泡だ」
「むうっ・・・・・・」
須藤が後ずさる。
「死ねっ」
肘井が鋭く言い放つ。
須藤は体を硬直させ、観念する。
そして銃声。
しかし、それは須藤が思っていたより小さな音だった。
銃声とほぼ同時に、うめき声が発せられた。
その声を発したのは須藤ではなく、肘井だ。
肘井は腕を押さえ、苦痛の表情を浮かべた。
「むうっ・・・・・・」
その視線は、ドアの方へと向けられている。
「い、井手君」
須藤が目を見開き、言葉を発した。
その視線も、ドアへ向いている。
そこには、ワルサーPPKを構えた井手が立っていた。
先程の銃声は、彼が肘井の手を狙撃した音だった。
床には肘井のシグが転がっている。
「井手・・・・・・なぜ、ここに?」
肘井が狼狽する。
「お前が何かやらかすんじゃないかと思って、戻ってきたのさ」
井手は言いながら、部屋の中に入る。
「人が出て行ったら、ちゃんと玄関の鍵は掛けることだな。計画に夢中で忘れたのか。まあ、仮に鍵を掛けたとしても、俺は簡単に開けることが出来たがな」
鍵開けの技術も、井手はマスターしている。
「私を、疑っていたのか」
肘井は後ずさりながら尋ねる。
「博士が俺のことを話すとしても、昔の関係まで明かすはずが無い。それに、俺の顔まで知っているのはおかしい。そこで怪しいと感じた。それでも犯人グループかどうかは断定できなかったし、一旦は立ち去ろうとしたんだが、帰る時の挨拶を思い出してな」
井手は肘井から目線を外さず、落ちているシグを向こうへ蹴り飛ばす。
「挨拶?何のことだ」
肘井は、右手首から垂れる血を気にしながら尋ねる。
「何気無く言ったつもりだろうが、『ご苦労様』という表現は不可解だ。それは、犯人グループだからこそ口を突いて出てくる言葉だと確信した。それで戻ってきたのさ。もう博士が死んだと思って、気を抜いていたのか」
「なるほど、それは失敗だったな」
肘井は唇を噛む。
「1つだけ感謝しておこう。お前が身体検査を中止して家に通してくれたおかげで、戻ってくる時は楽だった。忘れ物をしたと言ったら、ボディーガードは簡単に入れてくれたよ」
「スムーズに暗殺計画を実行させるために、身体検査を止めたのに、それが裏目に出たわけか」
「さあ、教えてもらおうか。詠美の居場所はどこだ?」
井手が鋭く尋ねる。
「それを教えると思うのか」
肘井は、強がりの笑いを浮かべた。
井手は無表情でワルサーを構え、彼の左足を撃った。
「ぐあっ!」
その場に倒れ込み、のた打ち回る肘井。
須藤が机の向こうで、顔を背ける。
「じわじわと脅しを掛けている時間の余裕は無いんだ。教えないのなら、次は右足を撃つぞ」
井手は、再び引き金を絞る。
「わ、分かった」
それまで強気だった肘井は、一気に弱腰になった。
「さあ、早く言え」
井手が催促する。
だが、すぐに彼は、
「ちょっと待て、静かに」
と唇に人差し指を当てた。
不審な気配を感知したのだ。
「誰か入ってきたな」
井手はささやく。
その“誰か”の気配は、玄関とは真逆の方向にあった。
井手は、そこに殺気を感じ取っていた。
「博士、こっちに裏口はありますか?」
井手は気配のする方向を指差し、小声で尋ねた。
「ああ、しかし全く使わないし、鍵が掛かっている」
須藤も小さな声で返答する。
だが、鍵を開けるような音はしなかった。
瞬時に井手は推察し、肘井に視線を向ける。
(こいつが裏口の鍵を開けて、仲間が入れるようにしておいたんだな)
井手は素早く肘井の口を押さえ、銃床を首の後ろに叩き付ける。
ガクッと肘井の頭が下がり、座った姿勢のまま失神した。
そのままだと、肘井が叫んで仲間に井手の存在を知らせるだろうと考え、気絶させたのだ。
「博士、隠れて」
井手は小声で須藤に指示を出す。
言われた通り、須藤は机の下に隠れて体を小さくする。
井手はドアに近付き、開いた時に陰になる場所に隠れた。
何者かが、ドタドタと足音を立てて階段を上がってくる。
(無防備に足音をさせるということは、俺がいることには気付いていないな)
井手は考えを巡らせながら、体勢を低くしてワルサーを構える。
ノブが回り、ドアが開く。
侵入者が部屋を見回す。
ベレッタM92を手にした養陸だ。
だが、特に警戒して銃を構えているわけではなく、無造作に手に持っているだけだ。
まさか、室内に井手がいるとは思っていない。
「おい、どうした?」
肘井を見た養陸が、駆け寄ろうとする。
ドアの陰に隠れた井手の視界に、養陸の姿が入る。
井手がワルサーの引き金を引く。
「うっ」
弾丸が命中した音に、養陸のうめき声が重なる。
狙い通り、右手の付け根に弾は命中し、養陸はベレッタを落とす。
井手は素早くドアの陰から出て、養陸の背後に回る。
養陸のこめかみにワルサーを突き付け、足でドアを閉める。
「動くなよ」
「い、井手・・・・・・。なぜ、ここに?」
養陸が憎々しげな顔をする。
「お前は質問できる立場に無い」
井手はピシャリと言い放った。
「肘井の仲間だな。だが、お前の役目は何だ?博士を殺すのに、肘井では力不足というわけか」
「俺の仕事はクリーニングだよ」
意外にも、養陸は素直に答えた。
「クリーニング?ああ、殺人現場の後処理か」
すぐに井手は理解した。
「しかし残念ながら、須藤博士は死んでいないぞ。その前に、俺が戻ってきたからな」
「くそっ、肘井の役立たずめ」
養陸が苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てる。
「さあ、詠美がどこにいるか、教えてもらおう」
井手は銃口を押し付ける。
「女の居場所か・・・・・・」
そう言うや否や、養陸の体がスッと沈み込んだ。
続けて、井手の右手首にパンチを突き上げる。
「うっ」
不意をつかれ、井手の手からワルサーがこぼれ落ちる。
すかさず養陸は、振り返りながら腰の捻りを利用して左フックを放った。
井手はスウェーバックでかわし、ボディー目掛けてアッパーを打ち込む。
しかし養陸は、その拳を大きな両の掌でキャッチし、頭突きを見舞う。
「ぐおっ」
井手の体がよろめく。
間髪入れず、養陸は眼球を狙ってストレートを打つ。
ダッキングで回避した井手は、胴タックルを仕掛ける。
バランスを失った養陸の体が、井手に押されて背中から倒れ込む。
ズシン、と床が重い鳴りを発する。
すぐに井手は体勢を起こし、落ちているワルサー目掛けて飛び込む。
養陸も床を転がり、ベレッタに手を伸ばす。
井手が一瞬早く拳銃を握り、引き金を引く。
わずかに遅れて、養陸も発砲する。
井手の弾丸は、養陸の腹部に命中した。
「ぐはっ」
養陸がうめく。
一方、養陸の銃撃は狙いを外していた。
「しまった」
その声を発したのは養陸ではなく、井手だった。
慌てて井手は、肘井に駆け寄る。
養陸の放った弾丸は、肘井の胸を貫いたのだ。
「おい、しっかりしろ」
肘井の肩を抱き上げ、井手は呼び掛ける。
だが、肘井の返事は無かった。
即死していたのだ。
「貴様、なんてことを」
井手は振り返り、養陸を睨み付ける。
「はっ、どうせ肘井は始末するつもりだった。ちょうどいい」
腹からドクドクと血を溢れさせた養陸が、苦しそうに息をしながら強がってみせる。
「お前が博士を殺していれば、そいつも死なずに済んだのにな、井手よ」
「詠美はどこにいるんだ?教えたら医者を呼んでやる」
井手は瀕死の養陸に近付き、尋ねる。
だが、撃った張本人の井手は、相手が助からないことを知っている。
そもそも、生かすつもりで撃ったのではない。
情報を聞き出すには肘井がいればいいと判断し、殺す意図を持って撃ったのだ。
「へっ、お前の奥さん、いい女だよな・・・・・・」
それだけ言って、腹を真っ赤に染めた養陸は息絶えた。
「くそっ」
井手は自分の行動が招いた最悪の結果に、苛立ちを爆発させる。
そこへ、階段を駆け上がる騒がしい足音が聞こえてきた。
ドアが乱暴に開き、2人のボディーガードが姿を現す。
ベレッタの銃声を耳にして、駆け付けたのだ。
室内の様子を見て、彼らはうろたえる。
「こ、これは・・・・・・」
拳銃を持った井手を見て、彼らは警戒した様子を示す。
「いや、彼は違うんだ」
須藤が机の下から姿を現し、井手の代わりに釈明しようとする。
そんな状況が全く視野に入っていないかのように、井手は苦悩の中に落ちていた。
「こんなことになるとは・・・・・・」
言葉と視線を床に落とし、井手は焦燥感を募らせる。
時刻は10時37分。
タイムリミットまで、残り23分。




