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タイムリミット7200  作者: 古川ムウ
11/23

<11>

 ジャズバー『AJ』を後にした井手は、須藤博士の家へと向かっていた。

 この数分は、男からの通信は無い。


 「どうだったね、先程の店は?」

 しばらく黙っていた男が、話し掛けてきた。

 妙に嬉しそうな口ぶりだ。

 「別に、どうということは無いな」

 井手は感情の無い返答をする。


 「同じ店は無理でも、なるべく似たような店を選んだつもりだが」

 「それは御苦労なことだな」

 「昔のことを思い出したんじゃないか?」

 「お前が思い出させたいだけだろう」

 「ちょっとした趣向を凝らして、君に喜んでもらおうかと思ってね」

 「ありがたい配慮だな」

 井手は苦々しい表情で告げる。


 (やはり、この男は楽しんでやがるな)

 敵の言葉を聞いて、井手は確信する。

 (須藤博士の殺害が敵の目的だが、それだけではない)

 ずっと引っ掛かってはいたが、それが井手の中で確信に変わった。

 (この男は個人的に、俺を苦しめることも目的にしているな)


 そもそも、男が姿を見せていないにもかかわらず、仲間をよこして拳銃を渡させることに不自然さを井手は感じていた。

 手渡しの方が確実ではあるが、コインロッカーにでも預けておけば済むことだ。

 拳銃の受け渡し場所にジャズバーを選んだのは、嫌な過去を思い起こさせるため、それだけのためだ。

 そう井手は確信した。

 


 その過去とは、11年前、井手がヒッチとして活動していた頃のことだ。

 武闘派で知られる暴力団が、政治家を標的にした暗殺計画を企てているとの情報が入り、ヒッチは調査を開始した。

 井手は中国から帰国した武器商人に成り済まし、暴力団の若頭とコンタクトを取ることに成功した。

 そして、組長との最初の面会に指定された場所が、『AJ』と似た雰囲気を持つジャズバーだった。


 井手は店でソファーに腰掛け、暴力団組長と向かい合った。

 組長の傍らには若頭が座り、周囲を4人の組員が固めていた。

 店の外ではヒッチの仲間が待機し、井手の体に装着した小型カメラとマイクで中の様子を観察している。

 ただし、店内に入ったヒッチのメンバーは井手だけだ。

 暴力団サイドが同行者を認めなかったため、井手は単独で面会することにしたのだ。


 井手は巧みな弁舌で、組長から情報を聞き出そうとした。

 だが、そこへいきなり、感情を高ぶらせた1人の中年男が現われた。

 暴力団の恨みを買い、命を狙われていた人物だった。

 男に関する情報はヒッチも入手していたが、今回の計画とは無関係のため、特に気にしていなかった。


 その前日、中年男は暴力団の組員に襲撃され、殺されそうになっていた。

 しかし彼は臆することなく、逆に組長の馴染みの店を突き止め、乗り込んで来たのだ。

 単身で乗り込むとは、あまりにも無謀だ。

 井手は慌てて立ち上がり、男に駆け寄って追い払おうとした。

 だが、完全に頭に血が昇っているらしく、まるで相手にしない。


 中年男は井手の手を振り払い、組長へ近付こうとする。

 井手は視線の端に、組長がアゴをしゃくって指示を出す動きを捉えた。

 4人の組員がうなずき、一斉に銃を構えた。

 中年男を殺そうとしたのだ。

 先んじて攻撃しようにも、井手の特殊拳銃は身体検査に備えて靴底に隠してある。


 咄嗟に井手は男に向かってダイブし、彼を突き飛ばした。

 その結果、井手が代わりに銃撃を浴びることになった。

 脇腹に1発、腰に1発。

 腹から床に倒れ込み、井手は苦悶した。


 銃撃があっても、中年男は怯えて逃げ出すようなことはなかった。

 むしろ、さらに怒りに火が付いたらしく、組長に飛び掛かろうとした。

 すぐに組員が、中年男を狙撃しようと銃を構える。

 だが、その時には既に、井手が痛みに耐えながら、素早い動きで靴底の銃を取り出していた。

 彼は瞬く間に、暴力団の連中を全て射殺した。


 数秒後、ヒッチの仲間が店に突入した時、井手は銃を手にしたまま血まみれになっていた。

 井手は病院に運ばれ、大手術の末に一命を取り留めた。


 ヒッチ時代、井手が命に関わる大怪我を負ったことは、その一度しかない。

 裂傷や骨折は何度もあったが、長期に渡る入院生活を送ったのは、それが唯一のことだ。

 乗り込んできた中年男には、笹島が裏から手を回して口を封じ、ヒッチのことが外に漏れないようにした。

 ジャズバーでの事件は、暴力団の内輪揉めとして処理された。



 イヤホンの向こうにいる男は、明らかにその事件について知っている。

 暴力団の内輪揉めとして処理されたにも関わらず、井手のことは外に漏れていないにも関わらず、そのことを知っているのだ。


 「もしかして、わざわざ店の様子が似るように改装でもしたのか」

 井手が嫌味っぽく尋ねる。

 「さすがに、そこまで暇じゃない。たまたま似たような店を見つけたので、利用させてもらっただけさ」

 「苦い過去を思い出させて楽しもうとは、いい性格だな」

 「お褒めに預かり、光栄だな」

 男が軽く言葉を返す。

 だが井手は、相手が自分を苦しめようとしているのなら、それは好都合だと考えていた。

 冷徹に計画を進められる方が厄介だ。

 しかし、そこに個人的な感情が混じると、必ず隙が生じる。


 「いよいよ武器も手に入れたし、どうだ、ワクワクしてきたか」

 男が嬉しそうに、井手に問い掛けてくる。

 「どうやら、そっちはワクワクしているようだな」

 井手は歩きながら、嫌味っぽく言葉を返す。

 「危険な仕事に挑むんだぞ。君もヒッチ時代を思い出して、気持ちが高揚してこないか」

 「ヒッチの頃も、ミッションの前にワクワクしたことは一度だって無かった」

 「そうか、それは意外だな」

 「意外なものか。お前がヒッチを勘違いしているだけだろう」

 「さあ、それはどうかな。もしかすると、お前が勘違いしていたのかもしれないぞ」

 男は意味ありげに言う。

 「何が言いたいんだか・・・・・・」

 井手は、独り言とも取れるような言い方をした。


 「そんなことより、そろそろ仕事の具体的な方法を教えてもらおうか」

 「具体的な方法?」

 「道具は分かった」

 井手は、内ポケットに収めた拳銃に、スーツの上から触れる。

 「だが、これだと遠くから狙うには不向きだぞ」

 「スナイパーとして動いてもらうわけではない」

 イヤホンの声は、平坦な口調に戻って告げた。

 「君には、正面から堂々と須藤博士に会ってもらう。そして、彼を射殺するんだ」

 「そんなことが可能なのか」

 「普通に彼の家へ行き、面会を求めればいい」

 「いきなり訪問しても、追い返されるぞ」

 「大丈夫だ、そのために君を選んだのだ。須藤博士も、大切な恩人を追い返すようなことはしないさ」

 男は、余裕を込めて言った。


 (こいつ、そこまで知っているのか)

 井手は、額にシワを寄せる。

 男と同じく、井手本人も、須藤博士が自分を追い返すことは無いだろうと考えていた。



 須藤は日本にいた頃、笹島との個人的なパイプからヒッチに協力していた。

 もちろん、秘密裏での協力だ。

 そのために、井手は彼と面識がある。

 しかし仕事による知り合い、という程度の関係ではない。

 4年前の出来事で、井手は須藤にとって大切な恩人になった。


 その頃、須藤博士は新たな解毒薬の研究を行っていた。

 しかし研究室に何者かが侵入し、研究資料が奪われるという事件が起きた。

 ヒッチが調査した結果、あるテロ組織の仕業であることが判明した。

 カルト教団の狙いは、解毒薬の情報ではなかった。

 副産物的に生じた毒薬の精製方法こそが、彼らの目的だった。

 ヒッチはテロ組織の本拠地を突き止め、一網打尽にする作戦を練った。


 井手と仲間達は、深夜に本拠地を急襲した。

 しかしテロ組織の大半は拘束、もしくは射殺されたものの、ボスと彼の右腕は資料を持ってミャンマーへ逃亡した後だった。

 標的が国外に渡った場合、ヒッチが手出しすることは困難になる。

 だが、井手は半ば強引に笹島の許可を取り付けてミャンマーへ渡り、テロ組織のボスと右腕を始末して研究資料を奪還した。



 そんな出来事は、もう随分と前のことではあるが、それでも井手が行けば須藤は喜んで迎えるだろう。

 問題は、男がそんなことまで知っているということだ。

 ヒッチに深く関わった者でなければ、そこまで分かるはずがない。

 (そうなると、こいつの正体は随分と絞られてくるな)

 しかし、今は犯人の正体を考えるより、敵の計画から脱出する方法を考えることが先決だった。


 井手は、空を見上げて思考する。

 美しい満月が浮かんでいたが、井手の目には映っていない。


 「どうした、臆したか」

 沈黙を怯えだと誤解したのか、男が声を掛けてくる。

 「須藤博士の家を訪れるにしても、もう夜も遅い」

 井手は、男に言った。

 「もしかすると、博士は寝ているかもしれないぞ」

 「それは無いだろうな。須藤博士は夜型人間で、ほぼ毎日、夜中の2時ごろまでは起きている」

 男は即答する。


 「全て調べ上げているというわけか」

 「当然だ」

 「しかし博士本人が歓迎してくれるとしても、その前に止められるんじゃないのか」

 「その前とは?」

 「ボディーガードがいるらしいじゃないか。しかも、来訪者には身体検査をしてもらっているとか。そこで拳銃が出てきたら、どうなると思う?」

 「それは大丈夫だろう」

 男は、自信ありげに言った。

 「冷静に考えろ、井手君。君は博士の友人だぞ。さすがに友人の身体検査まではしないはずだ」

 その意見には、一理あった。


 「そういう意味で、俺を選んだのか」

 「君がそのように思ったのなら、そうかもしれんな」

 「だが、もしもボディーガードが身体検査を求めてきたら、どうするんだ?」

 井手が質問を重ねる。

 「その可能性は低い」

 「だから、もしもの話だ」

 「しつこいな、君も。仮に身体検査で拳銃が見つかったとして、ボディーガードを撃ち殺せば済むことだよ」

 そう言って、男は小さく笑った。

 「ふざけたことを」

 「いや、ふざけてはいないさ」

 「表から行かず、裏から潜入すればいいんじゃないのか。そうすれば身体検査を求められる可能性はゼロになる」

 「いや、正面から行くんだ」

 「無駄にリスクを犯す必要は無いだろう」

 「これは命令だぞ、正面から行くんだ」

 男は頑として譲らない。


 (その方法に固執するのは、なぜなんだ・・・・・・?)

 井手は首をひねった。

 どう考えても、ボディーガードとの接触を避けた方がリスクは少ないはずだ。

 わざわざ正面から面会に行くという方法は、暗殺が目的にしては理解し難い。


 「それで、仕事を終えた後、どうすればいいんだ?」

 井手は、苛立ちを含んだ質問を投げ掛ける。

 「後は、上手く逃げ延びてくれ」

 男は、簡単に言う。

 「何だと?それじゃあ、博士を殺した後の逃亡方法は、何も考えていないのか」

 「そこまで面倒を見る必要は無い」

 「言ってくれるじゃないか」

 「博士を殺害したら、奥さんのMG=フィンを解除し、居場所を教えよう。上手く逃げ延びることが出来れば、無事に再会できるだろう。まあ仮に仕事に失敗しても、あの世で再会できる可能性はあるがね」

 また男は小さく笑う。

 「貴様、外道だな」

 井手は歯ぎしりをした。

 「君だって元ヒッチだ、危機的状況からの脱出は得意だろう。今の内から、逃げる方法でも考えておくんだな」

 「言われなくても、考えるさ」

 井手は、激しい口調で言い返した。


 そもそも、それ以前から井手は必死に脳を動かしていた。

 そして、あえて遅い足取りで、須藤の家へと向かっていた。

 もちろん詠美を助けるためには、急いで行動したいところだ。

 しかし須藤博士の家に到着してしまえば、もう抹殺指令から逃れることは不可能になる。

 何とか博士の抹殺を回避し、それによって詠美が殺されるという事態も防がねばならない。


 その方法を考えるために、ゆっくりとした足取りで井手は進んでいる。

 足を止めれば、それだけ須藤の家に到着する時間は遅らせることが出来る。

 だが、止まってしまうと敵に不審を抱かせ、逆に急ぐよう指示されるのではないかという危惧が井手の中にあった。

 少しずつでも移動していた方が賢明だろうというのが、彼の判断だった。


 皮肉なことに、彼は敵の脅迫で追い詰められたことによって、ヒッチ時代の鋭敏な感性を取り戻しつつあった。

 だが、それでも全てを上手く運ぶための策は、まだ思い浮かばない。

 (何とかしなければ・・・・・・)

 焦りばかりが強くなり、そのことが冷静な思考を妨げていた。


 (落ち着くんだ、落ち着け)

 井手は、自分に言い聞かせた。

 パッと時計に視線を落とす。

 9時55分。



 タイムリミットまで、残り1時間5分。


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