4 真琴のお願い
玉木有子が教員専用の駐車場に車を停めていると、黒い普通車が斜め向かいにバック駐車しているのが見えた。運転席を見てすぐに菅沼克也の車だとわかる。
「菅沼先生・・・!」
克也が車から降りてきたところで声をあげたのだが、それよりも近くにいた別の女の声で遮られてしまった。
「菅沼先生、おはようございます」
「あ・・尾崎先生、おはようございます」
保健室の尾崎先生。年齢は玉木と同じくらいだが、その抜群のプロポーションが男子に人気の先生だった。そのうえ綺麗で美人だ。
2人は仲良く会話しながら学校へと向かっていく。玉木に気づくことなく。
もしかして、菅沼先生のタイプって、尾崎先生みたいな人なんじゃ・・・
そこまで考えたところで、克也がこっちを見るのがわかった。目が合いそうになる前に慌てて目をそらしたがもう遅かった。
「玉木先生!おはようございます」
「あ・・・おおはようございます・・・」
結局その流れで一緒に行くことになったのだが、明らかに尾崎から邪魔するなオーラが出ているのがわかる。これは生徒の1人から聞いた話なのだが、尾崎は周りから見てわかるほど克也ラブだそうだ。
「あははー・・すいません、巻き込んじゃって」
克也と玉木が受け持つ3年F組の教室に向かう途中、克也は苦笑しながら謝罪する。
最初は何を言われているのかわからなかったが、やがてさっきのことだと気づいて玉木は曖昧に頷く。
「尾崎先生はなんていうか・・・大人の女みたいで・・・2人で話すの苦手なんですよ」
「そっそうなんですか・・・・・でも年上の女の人が好きなんじゃないんですか?」
どきどきしながら尋ねる。しかし、克也と目が合った瞬間そのどきどきが爆発しそうになった。
「玉木先生はどうなんですか?」
「え?」
突然質問をされてきょとんとなる。
「先生は年上と年下、どっちが好きなんですか?」
「わっ私は―・・・」
この年で誰にも言えないのだが、いまだに誰かとつきあった経験がない。正確には、大学生のときに告白されたことがある。だけど、玉木自身が相手を好きになることができなくて断ってしまったのだ。
「私はどっちでもいいです。好きになった相手が年上でも年下でも関係ないです」
「・・・・・俺もそんな感じです。関係ない」
そのとき、玉木は優しく微笑む克也の表情を見た。それはとても悲しくて、泣きそうで、きっとその笑顔は玉木には向けられていないということに気づいてしまった。
それと同時に、教室で弘樹の目の下にクマができていることにも気づいた。
▽
坂井真琴に出会ってから、成瀬弘樹は授業のほとんどを寝て過ごすようになった。それには理由があるのだ。
偶然真琴と駅で会い、偶然真琴が人に押されてサングラスを落とし、偶然それを踏んづけたのが弘樹だったのだ。さすがに弁償しなきゃと思って、サングラスの値段を聞いてみると、
「5万円」
通帳に5万円という数字は入っているのだが、それを下ろすと残金が寂しくなるので、仕方なく知り合いのやっているラーメン屋で働かせてもらうことにした。
そして、10時の閉店まで3時間やっているだけで、ここのラーメン屋は忙しすぎて疲れるということに気づいた。
「いらっしゃいませー!」
働き始めて3日。だいぶ慣れてきた。もともとここのラーメン屋は昔から通いつめていたので、メニューを覚えるなんてことはしなくてよかった。
「はい!味噌ラーメン一丁!」
「はいっ!」
ラーメンのスープをこぼさないように運んでいく。今日はあんまり忙しくない。いつもより客が少ないように思えた。
そのとき、店の扉ががらがらと開いた。
「いらっしゃ・・・・・」
弘樹の口がそこで止まった。なんと入ってきたのは克也だったのだ。
瞬間的に体が動いて、厨房の奥へと走りこむ。店の大将のもとへと慌てて駆け寄った。
「大将!克也が・・・担任の克也が来ちゃった・・!学校バイト禁止なんです!」
「おっ!かっちゃん来たのか。久しぶりだなぁ」
大将はあごをなでて昔を思い出すかのように懐かしむ。弘樹としては、懐かしんでほしいわけではなく、克也にバイトがバレないようにしてほしかった。
「わかったわかった。今日はそんなに忙しくないし、かっちゃんが帰るまでは奥で休憩してていいぞ」
「どーも、大将。お久しぶりです」
大将の声と聞き覚えのあるその声が重なって聞こえた。ぎくっとして振り返ると、厨房に入る一歩手前の所で壁にもたれるようにして立っている克也が見えた。
「久しぶりに大将のラーメンが食べたくなってさー」
「おうよ!かっちゃんにだったらサービスするぜ」
克也は大将と話し、とにかく弘樹なんて目に入っていないかのように話し続けた。大将も大将で克也と久しぶりに会えたもんだから、弘樹とのさっきの会話をすっかり忘れてしまっている。
やっべぇ・・・どうしよう。
例えば制服姿でここの厨房にいたんだったら、大将と話していたと言い訳ができるが、今はここのエプロンをつけている。とても言い逃れができない。
っていうか、大将と克也の会話にはさまれている状態なので、とりあえずその場から離れることにした・・・・が、
「ひーろーきー」
やけに間延びした声で克也が呼び止める。
「明日の放課後、科学室に来いや」
「・・・はい」
やっぱり逃げることはできないようだ。
▽
翌日のバイトは休ませてもらい、放課後、弘樹は科学実験室を訪ねた。
いつもは何の遠慮もなく入っていくのだが、今日はおそるおそる扉をがらがらを開ける。すでに中には克也が待っていて、さらに坂井真琴の姿もあった。
「おせーよ。ホームルーム終わってから何分たってると思ってるんだ」
「悪かったよ。っていうか、なんで2人が一緒にいるんだよ」
「坂井に話は聞いた。お前、わざわざバイトなんかしなくても貯金から5万くらい出せるだろ」
全てお見通しの上で克也は話している。その隣に立つ真琴は、今日は別のサングラスをかけていた。
「ちょうどいい機会だしバイトして金貯めようと思ったんだよ」
「お前なぁ・・・高校生はもっとバレないように奥でバイトしろよ。ホールなんかじゃ見つけてくださいって言ってるようなもんだっつの」
怒る論点が他人よりずれているような気がする。弘樹はそう思ったが、克也は地毛であるやや茶髪の髪の毛をぐしゃぐしゃとかいて、
「俺の授業中に寝るくらいならもう少しバイト減らせ。やめろとは言わねぇから」
「・・・・・わかったよ。大将に相談してみる」
渋々頷くと、何を思ったのか今度は弘樹の頭をがしがしとかき乱してくる。そのまま真琴の前に弘樹を差し出してきた。
「ほら、坂井がお前に話があるってよ」
「え・・・?はい、なんでしょう・・・」
真琴は気まずそうに俯いていたが、やがて顔を上げた。サングラスをかけていたが、その表情はどこかやわらかいように思える。
「あのさ・・・もうグラサンの弁償はいいから、お願いがあるんだ」
「お願い?」
しかし、やわらかい表情から出てきた言葉は予想もしていなかった言葉だった。
「ストーカーを退治してよ」