3 年上のグラサン女
「知らんかったなぁ・・・」
失恋してから1週間後、弘樹は科学準備室に呼び出された。もちろん、菅沼克也にだ。
表向きは進路調査票を提出していないからだが、最近の弘樹と唯の関係を聞くために呼び出したに決まっている。
そして、弘樹がようやく重い口を開き、克也がが喋った最初の言葉はそれだった。
「俺はずっと唯はお前のことが好きだと思ってた」
「好きな人がいるんだってさ」
克也は白紙の調査票を見て苦い顔をする。
「なんかアレだな。他人事だと思えないな」
「は?」
「それよりお前進路どうするつもりだよ。これ提出しなきゃなんないんだけど」
話をそらされたような気がするが、弘樹はすぐに大学の進路について考えた。今までは唯と同じ大学に行ければいいと考えていたが、今ではもうどうでもよくなってきていた。
と、そのとき、校内放送で克也の名前が呼ばれた。
「俺が戻ってくるまでには考えとけよ」
克也はその場を去っていった。
克也が出て行った数分後、帰ろうとした弘樹は準備室から出て科学室に出てきたとき、突然その扉が開いた。克也かと思って見ると、そこにいたのは野球帽にサングラスをかけた女の人だった。
「・・・?」
まず私服姿の人がいることに驚いた。その次に女と目が合ったような気がしたことに驚いた。
「そこの少年!」
いつ時代の人間なのか、最初に喋った言葉はそれだった。そして、その薄い唇から風船ガムと思われるものが膨らみ、ぱちんとはじけたとき、もう1度その人は喋った。
「菅沼克也先生はどこ?」
「あ・・・えっと職員室」
面食らいながらもなんとか答える。それと同時に怪しさのオーラを醸し出している女への警戒心を強める。
「職員室かぁ・・・どうしよう・・・・・」
女はケータイを取り出したが、たぶん時間を確認してすぐに閉まった。
「菅沼先生だったらたぶんすぐ戻ってくるよ」
「本当?ありがとう、成瀬弘樹君」
「え!?なんで俺の名前・・・!」
「さぁ、なんででしょう」
心底不思議だったが、女はそれを言うことなく鼻歌交じりに黒板に落書きをし始める。弘樹には読めない字だった。ちなみに、外国語で書かれているわけではなく、単純にその女の字が汚いのだ。
「克也への伝言ですか?」
「伝言って・・・これ見てわかんないの?『服装の乱れは心の乱れ』って書いたんだけど。あ、これ私が3年のときの学級スローガンね」
「読めないよ」
あっさりと言い放つ弘樹に、その女は怒ったのか乱暴に黒板消しで書いた文字っぽいものを消し始める。そして、まるで子供のように怒った顔をしてきっと弘樹を睨みつけてきた、ように見えた。
「私を怒らすと怖いぞ・・・・・見てろよ」
と、俯いて何かをしたかと思ったら、
「スガヤンに言っといて!また来るって!」
なんとも強い印象だけ残してその女は乱暴に扉を閉めた。
「それ坂井だろ。坂井真琴」
「名前言われてもわかんねーよ。言ってなかったし」
あんまり印象が良くない人の名前を聞いたって興味がわかなかった。
職員室から戻ってきた克也は科学実験室の教卓の前にどっしりと座り、げらげらと笑っている。
「なんなんだよ、あの人。克也の彼女か?」
「はぁ?いくら俺でも教え子に手ぇ出すほど飢えちゃいねーよ。去年卒業してった子だっつの」
「あんなインパクトのある人見たことないけどな」
「いつもグラサンかけてたわけじゃないし。ちなみに、あいつの誕生日って4月1日。唯と一緒」
絶対面白がってる・・・それがわかって釈然としないが、弘樹は無視することにした。
「っていうか、本当に知らないのか?坂井のこと」
「・・?1コ上の人の名前なんて知るわけないだろ」
それこそ不思議だったが、克也がまたげらげらと笑い出したので悔しくなってしまった。っていうよりも、小さな紙を見て笑っている。
弘樹は気になってその紙を覗き込んで愕然とした。
その紙は弘樹の進路調査票で、なぜか第一志望校に県内トップクラスのY大学の名前が書かれているのだ。
「なんだこれ!!」
「よっしゃー!これでクラス全員分そろった」
「待てよ!それ俺が書いたんじゃないし!・・・・・たぶんさっきの坂井とかいう女が書いたんだって!」
弘樹がさっき坂井の書いた字を汚い字だと言ってしまったことに対する仕返しだということは容易に予想ができた。弘樹の名前を知っていたのはこれを見たからだろう。ほとんど勘だろうが。
▽
玉木有子が仕事の合間に夜食を買おうとコンビニへ行ったとき、その周囲に野次馬ができていることを不審に思った。
「はい、オッケー!真琴ちゃん、いいよー!」
真琴ちゃん?少し迷った後、ようやくそれが今ブレイク中のモデルの名前だということに気づいた。
「ほんとだ・・・坂井真琴だ・・・・・」
同じ女でも惚れ惚れするほどかわいい。夏が近づいてくるからか、涼しげな浴衣姿で歩いている。モデルの撮影現場に出くわすなんて初めてだったので、興奮してしまった。
新任教師のため、去年まで自分の勤めている高校に通っていたなんて全く知らなかった。
▽
唯に会うことを避けて、弘樹は最近早い時間に駅に行っていなかった。
だけど、今日はそのことを忘れていていつもの癖で早い時間に来てしまった。そうして、案の定唯に出くわしてしまいそうになった。
条件反射で唯から離れて人ごみに隠れようとすると、今度はどこかで見たことがあるような顔を見てしまった。
「昨日の・・・!」
変なグラサン女と言いそうになりかけたが、なんとか押さえ込んだ。昨日のような格好で、しかしその口元はにやにやと笑っている。
「おや、Y大学を受ける少年じゃないですか。昨日はどうも」
「ええ。あなたのおかげで県内トップを目指すことになりましたよ。今日は偶然ですねぇ」
お互いに嫌みをたっぷりと込めて言う。
克也の元教え子だろうと、自分の先輩にあたる人だろうと関係ない。そういうところが子供なんだと思われる原因だと弘樹自身は全く気づいていなかった。
と、そのときだ。坂井真琴とかいうその女は誰かにたまたま押されて前のめりに倒れそうになってしまった。そして、近くにあった公衆電話に顔をぶつけそうになって・・・結果的にサングラスが地面に落ちてしまった。
そのとき、弘樹は見た。サングラスの奥の顔を。
「あんた―・・・」
「見ないで!」
慌てて顔を隠そうとする真琴に弘樹はぽつりと呟いた。
「グラサンかけないほうがいいんじゃね?せっかく綺麗な目してんのに」
言った瞬間、がしゃんと弘樹は偶然たまたまサングラスを踏んづけてしまった。
▽
坂井真琴はサングラスを踏んづけられたことよりも、今の弘樹の一言に驚いていた。
さっき自分が顔を隠したのは、モデルであることを知られたくないからと、もう1つ、左右の瞳の色が異なることを知られたくなかったのだ。
祖母がイギリス人だからか、顔立ちは日本人なのだが、右の目だけが黒みがかった青色をしているのだ。普段はカラーコンタクトで隠しているが、サングラスをかけているときははずしてしまっていたのだ。
だけど、それを今日初めて綺麗だと言ってくれる変な人を見つけた。
あらすじに書いた少年は弘樹のことですが、
少女とは真琴のことです。
唯ではないんです。