16 ご愁傷様でした
状況がまだ呑み込めていない玉木にとりあえずシャワーを浴びるように促した黒沢高志は、部屋の中央にある大きなベッドの上で一足先に横になっていた。
気分が悪いと言った彼女を休ませるために取ったホテル。ここがどういうホテルか玉木は気づいていないだろう。
と、そのとき、黒沢のケータイが鳴った。相手を確認してから電話に出る。
「もしもし。達夫か」
『うーっす。今どこにおるん?』
「ラブホ」
『マジ!?もうそんなとこまでいったんかい!確か、いきなりお見合いせんかって言うてきた変な親の娘やろ?』
「ああ。金持ちだし、世間知らずっぽいから楽勝だな。俺のこと好きみたいだし」
『ええなー。今回はがっぽり儲けそうで。なんか協力してほしいことがあんなら言うんやで』
「今回は大丈夫そう・・・じゃあな」
玉木が浴室から出てきた気配がしたので、黒沢は慌てて電話を切る。些細なことでも気を抜くわけにはいかない。玉木の前では小学校時代の優しい男を演じなければならない。
これが成功するまでは。
▽
気持ち悪い・・・玉木有子がシャワーを浴びた感想だった。酔いが醒めるどころかますます気分が悪くなっていく。
なんでだろう・・・・普段はこんなに気持ち悪くならないのに。
家に帰りたくなったが、その前にやらなければならないことがあることを思い出した。黒沢につきあえないって言わなければならないのだ。
服を着て出て行くと、ちょうど黒沢が誰かとケータイで電話しているところだった。こっちには気づいていないようで、ベッドに座って背を向けている。
「・・・・・・・・大丈夫・・・」
最初に聞こえたのはその言葉だった。
「それよりじーちゃんこそ無理すんなよ・・・え?大丈夫だって。お金なら俺がなんとかする。もうだいぶ溜まってきてるんだ」
それから二言三言話してケータイを切った黒沢は突然玉木のほうを振り返ってきた。思わず立ち聞きしていた玉木は驚いて身構えてしまった。
「びっくりした・・・・・」
「あ、あの・・・おじいさんどうかしたんですか・・・」
おそるおそる尋ねると、黒沢はきまり悪そうな顔で俯く。それが余計に気になってしまった。
「黒沢君・・・私でよかったら相談にのります」
玉木が隣に座ると、彼は顔を背けようとするが、それでもその口を開いてくれた。
「・・・・・俺のじいちゃん・・・病気なんだ。手術しないとやばいって・・・」
「うそ!」
そういえば、小学生の頃、黒沢は両親と離れて暮らしていると聞いたことがある。あの頃はおじいさんの家に預けられていたらしい。
「あと半年もあればお金が溜まるんだ。だから頑張らなきゃ」
これは玉木からお金をもらうためについた嘘だったのだが、彼女にとってそんなことを少しも疑う余地がなかった。
「いくら足りないんですか?」
「・・・・・あと150万」
少しずつ少しずつ戻れなくなっていく。
▽
「ほな!行こか!」
しばらく黙り込んでいた玉木が開口一番に言った言葉がそれだった。もう自分の思い通りに進んでいると思っていた黒沢高志は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにいつものように柔和な笑みを浮かべた。
「行くってどこに?」
「決まってん。ウチと遊んでる暇があんのやったら、地道に稼ぐべきや。はよ立ち!」
わけがわからぬまま立ち上がる。おかしい、いつもだったら大抵の女はここで金を貸してくれるはずなのに・・・
「えぇっと・・・せっかく入ったのにもう出るの・・・?」
「くどいなぁ。なんべん言わすんや。働かんとお金は入ってこないやろ?だったら働く!」
「でも、今日は休みだよ・・・?」
「アホ!バイトでも探しぃ!」
まるで人が変わったかのように接する玉木にますます混乱してしまう。そういえば、待ち合わせ場所に来た玉木は少しお酒臭かった。もしかして、酔っているのだろうか。
そこまで考えたとき、彼女はふらふらとした足取りでベッドに横になった。そして、そのまま寝入ってしまった。
「・・・・・・」
よく見なくてもかわいい。黒沢は確かに小学生の頃、玉木のことが好きだったのだ。
ゆっくりとした動作で彼女にまたがる。当初の予定とは違ったが、今は純粋に1人の男として玉木を見ている自分に気づいた。
頭を下げていく。玉木の唇に触れるのはあと少し。
「・・・菅沼先生・・・・・」
玉木の声ではっとして顔を上げる。彼女は一筋の涙を流して、自分ではない誰かの名前を呟いた。それが男か女かもわからないが、直感でこれが玉木の好きな人だと気づいた。玉木の目にはもう自分は映っていない。
「バカだな・・・・・」
誰に対して呟いたのだろうか。もう1度黒沢は自分の顔を近づけていった。
ばたんっ!
その音は突然部屋中に響いた。驚いた黒沢が振り返ると、そこには黒いコートを着た少し暗い茶髪の若い男が立っていた。
「誰だ!?」
「どーも。名乗るほどの者じゃないんでお気になさらず」
どうやってここに入ってきたのか男はつかつかとベッドに歩み寄ってきて、寝ている玉木を見つめる。
「もし玉木先生があんたのことを好きだったら俺は完全に悪役だなぁ・・・」
「なんなんだ、あんた・・・玉木の知り合いか!?どうやってここに入ってきた!?」
黒沢は混乱してまくしたてるが、男のほうはいたって冷静にベッドに座り込む。
「いえね、大阪に行った元教え子に頼んで玉木先生を捜してもらったんですよ。先生の家に電話かけたら映画見に行ったっていうしね。そしたら映画館の近くで具合悪そうにしている先生を男がホテルに連れ込んでるのを見たそうなんですよ。だから来てみたんですけど・・・」
割と早口で言い終えた後、玉木をちらりと見る。まだすーすーと寝息をたてている。
「寝込み襲うなんて最低だと思いますよ?」
「まだ何もしていない!」
慌てて弁解すると、今まで無表情だった男がようやく安堵の顔つきになったのは気のせいだろうか。それよりもこのままじゃやばいという危険信号が黒沢の中で鳴り続けている。
それにしてもこの男は何者なんだろう。先生と呼ぶのだからたぶん同じ教師なんだろうが・・・・・え?
そこでようやく玉木が呟いていた言葉を思い出した。
「あんた・・・もしかして菅沼・・・さん?」
「へー、俺のこと知ってるんですね、黒沢高志さん」
「なんで俺の名前・・・!!」
危険信号が警告音に変わる。男は愛想笑いを浮かべているだけなのに、それだけで怖い。これ以上関わり合いになりたくなかった。
しかし、極めつきはこれだった。
「新幹線の中でケータイ使ってるバカがいましてね、ちょーっと会話聞いてたらよろしくない会話だったんで、懲らしめたんですよ。そうしたら、偶然電話の相手が黒沢さん、あなただったみたいです」
「・・・・・・・・」
達夫が東京に行っていたことを思い出した。なんて不運だったんだろう。
「あんまりこういうことはしないほうがいいと思いますよ?次に会ったら俺容赦しませんし」
黒沢の中で警告音が爆発した。
「ご愁傷様でした」
さいごににっこりと菅沼克也は微笑んだ。
ちなみに元教え子は玉木先生の顔を知らないので
菅沼に特徴を言ってもらって捜したんだと思います。
見つかったのは小説だからなんでもあり、ということで;;