これは恋の話
これは恋の話だ。
古ぼけた昔ながらの外観の喫茶店。それがお父さんの店であり、わたしの居場所だった。お父さんの店はいつも馴染みのお客さんとたまに新しいお客さんで賑わい、店内はそんな賑わいと共にコーヒー豆を挽いた匂いに包まれていた。わたしはそんな声と匂いが好きだった。いつまでもこの場所に居たい。お父さんと一緒に居たい。そう考えていたんだ。
でもそんな願いも今日で終わり。小春日和な今日わたしはお父さんがやっていた店から去ることになっている。ただわたしはどうやらとても未練がましいみたいで、もうすぐで取り壊されるお父さんの店に一人佇んでいた。そこにはもう賑わいも匂いも存在はしない。
お父さんとお母さんはもう先に行ってしまった。わたしたち家族で一番せっかちで食べるのも早ければ足も速くていつも一生懸命のお母さんが一番に行って、家族で一番のんびりのお父さんをわたしがお母さんの代わりに待っているとお父さんは予想以上に早く勝手にわたしを置いて行ってしまった。お父さんはいつもそういう自由人なとこがあって困ってしまう。少しはこちらの予定を考えて欲しい。お父さんのバーカー。
「……フフ、よし!」
お父さんに心の中でバカと言ってやると気分は少し晴れた。これで未練も無くなったかな?
「…………」
しかしまだわたしの足は動き出そうとしない。残念ながらまだ未練が残っているみたいだ。
お父さんが小物などを飾っていた大きな棚にわたしは背を預けるみたいな気持ちで軽く宙に浮くとゆったりとした気持ちになる。……落ち着く。これでお父さんの淹れてくれたミルクたっぷりの甘いカフェオレと大きな栗がてっぺんにあるモンブランがあれば完璧なんだけど。それは叶わないみたい。
「人生とはケーキみたいに甘くはないんだなぁ。byわたし!」
「何言ってんだお前?」
わたしが自分の考えた名言を口にして悦に入ろうとするとそれを邪魔をする声がやってくる。
「…………やあ、きみはなんで勝手に入って来てるのかな?」
わたしが声の主へ目を向けると青年の彼がドアから入って来ていた。彼は最近オシャレに気を使っているみたいで黒スキニーにデニムのシャツの上に紺色のジャケットを羽織り、しかもサラサラなストレートヘアーなんかにしちゃって。小さい頃なんかクルクルの天然パーマだったくせに。わたしは前のクルクルのが好きなんだけどなぁ。
「こまけーこと言うなチビ子。俺は常連客だぜ。お客様は神様。俺常連客。つまり超神様。オーケー?」
「いやもう店潰れてるんですけど? 潰れた店にやってくるきみは神様は神様でも疫病神ってことだね。オーケー?」
わたしたちはいつもみたいに憎まれ口を叩き合うと彼は可愛くねー女とさらに喧嘩を売ってくる。やる気だなこの元天パめ。
「…………くふっ。フフ、アハハハ」
しかし臨戦態勢に入ろうとしても今日のわたしの笑いのツボは著しく低いみたいでそんな彼とのいつもが堪らずおかしくて、楽しくて、……そして愛しかった。だからわたしは笑うんだ。
「……ねえ、きみも笑ってよ」
なのに彼は笑ってくれない。泣きそうな顔をしている。嫌だなぁ。こんな顔しないでよ。わたしまで泣きそうになるよそれ。
「悪いな。俺は自分の気持ちに正直なんでな」
「そうかな? きみは昔から素直には程遠い捻くれ者だったと思うんだけど」
「うっせぇ。このちんちくりんのチビ女」
「そういう君だって元天パの現高校デビュー(笑)野郎じゃない」
「高校デビュー言うな! バーカバーカ!」
「……そんな幼稚な所も全く変わってないねきみ。ずっと同じわたしと違って、体だけは成長してるくせに」
「…………」
わたしの言葉に彼はさらに顔を曇らせる。本当すぐに人を心配して落ち込む優しい所も昔と同じだ。
「ひとつ教えてあげるよ。カッコいい男の子はね女の子が笑ったら例え辛くても悲しくても苦しくたって一緒に笑ってあげないといけないんだよ」
「……ああ。分かってるさ」
「もう駄目だってば。笑えてないよ。わたしが消えちゃっても大丈夫か心配になっちゃうよ。……でも嬉しいや」
彼が笑ってくれるのが一番だけど、わたしとの別れを惜しんで泣きそうになっている顔を見るのも意外といい気分だ。なんていうんだろうね? わたしってサディストなのかな? だとしたらわたしは変態なのかも。うーん複雑な気持ち。
「お前には言われたくない」
「え?」
わたしは自分が変態かもしれない事実に苦笑いしようとすると彼は悲しい顔のままわたしに言い返してくる。
「お前だって笑えてねえよ。泣いてるぞ」
彼の言葉でわたしは気付く。涙を流していることを。涙はポトリポトリと床に落ちていく。でも涙が跳ねることはなかった。この涙もわたしもこの世には存在している証にはならない。
「……泣いてないし」
だからわたしはそれを認めない。そんなの認めたら嫌になってしまう。
「どっちが捻くれ者なんだか。バカタレ」
そこで彼はわたしを抱きしめる。彼の感触も体温もわたしは感じられない。だけど彼は温かくて、わたしは包まれた気持ちになる。
「……無理すんな。悲しい時は泣け。辛い時はそう言え。誰もお前が泣いてる時に傍に居てやれないとしても俺だけはお前の傍に居てやりたいんだ。お前の父さんと母さんの代わりに……俺はおま、」
「大丈夫だよ」
彼が言い終える前にわたしはそう言い切る。そうだ。わたしは彼の傍がお父さんたちと居るのと同じくらい心地いい。それはもう彼に縋って依存してしまう程に。
でもそれだけは絶対に嫌だ。わたしという曖昧で存在していい者じゃない奴に彼が縛られて欲しくはない。わたしに未練はもうないんだ。
「きみは優しいね。昔も今も。わたしはねちゃんと救われたよ。きみの存在に」
わたしは彼の頬に触れる。彼にとってはゾクリとする感じでヒヤリとしただろうけど、これで最後だ。ワガママにだってなるよ。
「ありがとう」
わたしは今度こそ笑顔を浮かべて彼に感謝の言葉を伝える。本当今すぐにでも嗚咽を漏らしながら泣きそうになっているけれど、意地でも笑って見せる。女の子だもんね。
「未練はもうないよ。お母さんが亡くなって一人でわたしを育てれくれた優しくて大好きなお父さん。そんなお父さんより先に死んじゃった親不孝なわたしにきみはずっと一緒に付き合ってくれた。お父さんを最期まで一緒に見守ってくれた。本当に感謝してる」
わたしは中学に上がる前の十二歳の春に事故で死んでしまった。
強い未練があったみたいでわたしは幽霊になって、でも幽霊だから誰もわたしを見てくれない。お父さんでさえわたしのことが見えていなかった。
それはわたしにとって死んでしまうこと以上に苦しみだった。
そんな時に彼がわたしを見つけてくれた。小さい頃から一緒に遊んでいた泣き虫で強がりな彼。そのくせ人一倍優しい彼だけは幽霊のわたしが見えていた。わたしの存在を認めてくれた。嬉しかったなぁ。
大切な人たちに触れられない幽霊は苦しくて辛かったけれど、そんなわたしに彼は五年間も付き合ってくれた。彼はわたしの代わりに何度もお父さんにわたしの言葉を届けてくれた。
「それとごめんね。何度も拗ねて、いじけちゃって」
この五年間彼とは何度もケンカした。彼がちゃんと生きている女の子たちと話しているのを見ただけでわたしは劣等感で一杯になった。彼が大きくなって大人に近づいているのにわたしは子供のままの姿なのがとても悲しかった。不安でしょうがなくて彼に八つ当たりをした。
「……お前さ、ケンカした後はウチから飛び出すだもんな。性質が悪いぜ」
彼は呆れた感じで言う。それについては何も言えない。
「ごめんね。許してよ」
「ヘッ! ヤなこった」
「ケチんぼ」
だけどそんなケチんぼな彼はケンカして飛び出してしまったわたしをいつも探しに来てくれた。彼はわたしを見つけると何も言わないでずっと傍に居てくれた。それが夜でも夜中だろうがテコでも動かないくらいに。そしてわたしが彼に傍に居ていいのかと訊ねると彼は怒った声で当たり前だと言ってくれた。その後に彼が口にする帰るぞという言葉がわたしは大好きだった。触れられないってことは知っているくせに手を差し伸べる彼が好きで好きで堪らなかった。
「ねえ」
「なんだよ?」
「きみで良かった」
きみが幼馴染で、きみが幽霊が見える人で、きみに恋が出来て。わたしは最高に幸せな女の子なんだと思う。
もう未練はない。親不孝なわたしのせいでひとりぼっちにしちゃったお父さんを最期まで見届けることは出来たし、それに好きな男の子と一緒に暮らしたり、一緒に笑い合ったり、たくさんの仲直りが出来た。大好きな彼に抱きしめてまでもらっている。もう心残りは一つしかない。
「最後に一つ言わせて」
そして今あと一つだけ残っている心残りを自分の身と共に成仏させるためにわたしは彼に伝える。
「好きだよ。ずっとわたしはきみが好きだったんだ。きみに恋してた。恋することが出来た」
「…………」
ああ、ようやく言えた。生きていた時からいつか言おうと思っていたこと。胸のつかえが完全にとれた気がする。気付けばだんだんと体が薄まっていき、どんどん軽くなる感覚に入っていく。少し暖かいや。
「……っ。お前体が……。…………クソ! なあ、俺もおま、」
彼が告白に答えようとする。……ごめんねきみには悪いけど、それは聞くわけにはいかないんだ。
「――――――…………」
「…………!」
だからわたしは彼の言葉を止めるためにキスをした。彼の唇に触れられはしない。それでも触れられない体でも彼と唇を重ねたら彼の息づかいが感じられ、少し耳がくすぐったい感覚になる。
「えへへ。しちゃった」
最後の最後に幸せな気持ちで一杯になる。……これがキスか。ただ唇と唇を重ねる行為。思ったよりも簡単で、でも想像よりもずっと最高だった。
「いきなりごめんね。でもきみ隙があり過ぎだよ。あと告白ね、あれ答えないでくれると嬉しいな。……聞かなくてももうわたしはもう充分満たされたから」
「…………行っちまうのか?」
「うん。たぶんもうすぐで消えちゃう」
わたしは決心を決め、抱きしめてくれた彼の元から離れて、ヒラヒラと舞うように回って自分の薄れていく体を見せる。
残念な気持ちもあるけれど、でもわたしは自分の言葉通り満たされてしまった。もう存在する理由はちゃんと無くなった。だからもういい。
「ずっとね心残りだったの。死んじゃう時に告白できなかったなぁって。でも今日出来た。わたしはもう満足だよ!」
「…………」
わたしが笑うと彼はその反対の顔をする。胸が痛むけど大丈夫。きっときみのその悲しみは晴れるよ。誰かがちゃんと忘れさせてくれる。わたしじゃない誰かがきっと。
「辛い思いをさせてごめんね。幽霊でごめん。成就なんかしないのに好きになってごめん。でもきみはちゃんと生きなきゃダメだよ。大事な命だもん。それと……あーもう時間だ。…………残念。じゃあバイバイ」
眠い。意識が薄らいでいく。体は凄く薄くなって空気と溶け合っていく。何度だって言える。わたしは最高に幸せな女の子だ。そしてこのまま成仏しても次の人生も頑張れる。良かった。―――――として生まれることが出来て。…………ついに自分の名前も思い出せなくなる。彼の名前は、彼は、中島、中島……郎……なんだっけ?
………………嫌だ。やっぱりまだきえ…………こわ……い……――――――――――――――――。
「……づ……き! 柚希!」
……ゆずき。そうだ平岡柚希。それがわたしの名前だった。……そして、ああそうかきみの名前は――――
「……こう……た、ろう……」
――――幸太郎。きみの名前思い出せた。……よ、か……った。
「…………。……あれ?」
消えてない。わたしは見覚えがある部屋で宙に浮きながら眠っていたみたいだ。ここは彼の、幸太郎の部屋だ。
「起きたか?」
「……幸太郎」
声の方に反応してわたしは体勢を整えながら顔を向けると彼は酷く疲れていそうな蒼白な顔で壁に寄りかかって座っていた。
「どうして?」
「あ? どうしてって……ああ。大変だったんだぞ。寝てるお前を部屋に連れて行くの。お前触れねえし、いざって時の幽霊道具を持って行って良かったぜ」
彼は笑いながらそう言うが、違う。それはわたしの聞きたいことではない。
「どうしてきみはそんなにきつそうなの? ……どうしてわたしは消えていないの?」
わたしはお父さんの店で消えるはずだった。未練が全て無くなったわたしは成仏して、幸太郎の前から居なくなるはずだった。なのに未だにわたしは幸太郎の目の前に存在している。代わりに幸太郎が今にも倒れてしまいそうだった。
「お前に俺の精気与えたんだ。ただちょっとやり過ぎたみたいでもうヘトヘトってだけさ。けど大丈夫。心配すんな」
「……な、何やってんの?」
精気。それは生き物が生きていくために必要な力で、わたしたち幽霊にとっても成仏や消滅しないために必要な力。悪い幽霊たちなんかは精気を奪うために人に取り憑いたり、直接襲い掛かることも多いくらいには貴重なものだ。
そして稀に精気を失って死にかかった人や動物、幽霊に精気を与えることが出来る人たちが居る。幸太郎もそんな才能を持つ一人でだから今もこうして幽霊のわたしと会話も出来るし、ずっと一緒に居ることが出来た。
でも一緒に居たからこそ知っている。幸太郎のその才能はまだまだ未熟で、ましてや自分の精気を成仏しかけている幽霊に無理矢理現世に留まるまで与えるのは一歩間違えれば死に繋がることを。
彼は、幸太郎は……、
「バカ! 何やってるのよ!!」
嬉しくない。確かに成仏しかけている途中にわたしは恐怖を感じた。まだ消えたくないという想いは残っていた。それでも今の彼を見て喜べるはずがない。自分のために誰かが傷つくことをわたしは許せない。しかもそれが大切な人ならばわたしは死んでも消滅してでも自分を許せなくなる。
「なんでそんな危険な真似をするの! 死んじゃうかもしれないんだよ? なんでわたしのためにきみは……バカ! 幸太郎のバカ!」
せっかく笑って逝けると思っていたのに全部台無しだ。また気持ちは怖くて悲しくて視界は滲んでしまう。もう最後にケンカなんてしたくなんてない。それでもわたしは彼の行為を非難するために彼を睨む。
「…………ああ、謝るよ。危険なことをした自覚はある。俺がお前の立場でもたぶん怒る。だけど柚希、お前は勘違いしてるぜ。俺はお前のために精気を与えたんじゃねえ」
彼はフラフラした足取りながらも立ち上がり、わたしに負けないくらいに目に強い光を秘めてわたしを睨みつける。
幸太郎は怒っていた。
「俺はお前に文句を言うために精気を与えた! 俺は俺のために自分の命を危機に晒したんだ。文句あっか!」
もう立っていることでさえ限界なくらいに疲れているはずなのに幸太郎はそんな様子を見せずにわたしに対して怒鳴っていた。
「あるに決まってるじゃん! なんでわたしを助けることがきみのためになるのよ! 意味が分かんない!!」
「柚希が大切に決まってるからだろ! そんな簡単なこともお前は分かんないのかよっ!」
「っ!」
「だからムカつくんだ。自分の気持ちだけ言いたいだけ言って、キスして、……そんで最後がごめんなさいってそんなの自分勝手じゃねえか。それじゃあ柚希が満足できても俺が無理なんだよ! ………………悪い。言ってて気づいたわ。やっぱこれ全部俺のエゴだ」
「…………」
わたしの好きな人はさっきまで怒っていたくせに今度は情けないくらいに悲しい顔になる。それはわたしが消えそうになる直前していた顔と同じだ。
今すぐにでもわたしみたいに彼は泣きそうだ。それでも彼は泣かない。懸命にわたしに想いを伝えるためなのか話し続ける。
「最初はちゃんと今日お前と別れるつもりだった。意地でも笑ってお前と別れるつもりだった。でも無理だった。柚希に好きだって告白されて、キスされたらどうしたって諦められねえ。そのまま大人しく送り出すなんて出来ねえ。………………好きだ。俺も柚希が好きだ」
彼の言葉にわたしは反応できない。上手く息さえも出来ない。胸が熱い。そして彼の言葉でわたしの悲しい気持ちは引っ込んでしまった。なのに視界は滲んだままだ。
「行くなよ柚希。俺はお前が居てくれたら辛くない。幽霊でも幽霊じゃなくても俺はお前がいい。だから成就出来ないなんて言うな。大事な命ってなら俺はその大事なものを柚希にやる。……だから行かないでくれ柚希」
わたしのお別れの言葉を彼は全部跳ね返す。それはどうしようもなくわたしを高揚させてしまう言葉で、凄くドキドキしてしまう。だから告白の返事なんて聞きたくなかったんだ。想いが叶ってしまったらこんな気持ちをなるのが分かっていたから。また新たな大きな大きな未練が出来てしまう。彼の傍にずっと一緒に居たくなってしまう。でもそれは――――
「――――無理だよ。だってわたしは幽霊だよ? 例えきみが良くても世界は許さないよ。わたしは本来存在しちゃいけないから。それに未練があって成仏があってもきっとわたしの魂はいつまでも存在は出来ない。いつか魂は消えて消滅しちゃうもん。……ほらね? 無理でしょう」
この世界には幽霊を除霊させようとする人が居る。そんな人がわたしと彼を見たらわたしだけじゃなく彼にまで危険な目に遭うかもしれない。人と幽霊が結ばれるのは間違っているから。それに幽霊が見えない人にとってはわたしと話す彼はおかしい人に見えてしまうかもしれない。何よりわたしが成仏も出来ずに無理矢理消えちゃったら彼は悲ませることになる。……生まれ変わって彼と再び出会うみたいな夢話さえ完全に消滅してしまう。
……それはヤだな。
だから彼は諦めないといけない。そうじゃないとわたしの気持ちは取り返しがつかなくなってしまう。
「無理じゃねえ」
だけど彼はやっぱり諦めない。
「俺はお前が幽霊でもいい。それこそ世界が許さないからどうした? 他の誰が柚希が存在しちゃいけないって言うなら俺が体を張る。いくらだって無茶をする。お前が消滅しそうになったらまた精気を与える。だから無理じゃねえ!」
「…………。それが……それが無理だって言ってるの! きみが言ってることって全部きみが危ない目に遭うってことだよ。失敗したら死んじゃうことばっかりなんだよ! 何が無理じゃないよ! 幸太郎はなんにも分かってないっ!」
もう彼の言葉を聞きたくはない。彼の言葉は全部無理のことばかりだ。これ以上聞く価値はない。彼は、……幸太郎は本当に何も分かっていない。幸太郎の言葉がどれだけわたしに希望を与えるかを。
「柚希が無理って言うのはそんな理由か? 俺がお前と居ると死ぬかもしれないから無理だって言うのか?」
「……そうだよ」
「そうか。それが理由なら今この場で誓うよ」
彼はもう泣いていない。彼はわたしにゆっくりと近づき、触れられないのにわたしと手を重ねようとする。
「俺が死んじまってお前を悲しませることになることを覚悟する。その代わりどんなことがあってもお前の傍に居るためならなんだってすることを誓う。ちゃんと命を懸ける。……だから柚希、俺の一生の頼みだ。お前も誓ってくれよ」
「……誓う?」
「ああ、お前の全部を俺にくれ。俺が死にそうになったらお前が守ってくれ。俺が辛い思いをするなら傍に居てくれ。……一緒に俺と生きてくれ」
「…………」
やっぱりバカだ。幸太郎は大馬鹿だ。簡単に命なんて懸けるだなんて。そんな覚悟は要らない。……わたしの望みはお父さんを見届けることと幸太郎に告白することだけだった。それ以上は幽霊のわたしが望むのはあまりにも強欲で悪にさえ感じた。一度死んだ人間が多くを望むのは間違っている。間違っているのに……でもどうしても望んでしまう悪い自分が存在していた
「バカ」
わたしは触れられない体をギリギリまで彼の体に密着させる。離さないために触れられなくたった力一杯抱きしめてみせる。
「幸太郎はきっと後悔する。今だって幸太郎はわたしに触れられないんだよ。好き同士なのに触れ合えないんだよ」
いくら抱きしめたってお互いに体温を感じることは出来ない。それはきっとお互いに寄り添って行く上で大きな障害になる。
「だな。でも……、――――」
彼は一瞬躊躇するかのような顔をしたと思った瞬間、すぐ近くにあった彼の顔はさらに近付き、少しの間だけ唇と唇は重なる。今度は幸太郎にキスをされた。
「――――ほらキスは出来る。……さっきも思ったけどお前とのキスはヒンヤリするな。ハハ、これから暑くなって行くからちょうどいいな」
彼は面白くない冗談で笑っているがその顔は真っ赤だ。そんなに照れられるとこっちはなんだか逆に落ち着いてくる。……せっかくさっきまで成仏するつもりだったのに幸太郎のせいで台無しだ。
わたしはいい幽霊になろうと思っていた。少なくとも極力この世界に関わるべきじゃないと考えていた。恋心だなんて持つべきじゃないと信じていた。でもわたしは告白をして、幸太郎にキスをして、そして幸太郎に好きだと言ってもらって、幸太郎からもキスをされた。何より幸太郎から一緒に生きてくれだなんて言ってもらえた。幸太郎はその言葉の意味を本当に分かっているんだろうか。どっちにしても幸太郎が覚悟するならばわたしだってもう誰にも遠慮はしない。
だからわたしは例え悪霊になろうが、地縛霊になったって今この瞬間の気持ちを消さないことを誓う。
「……呪うよ」
これは自分勝手の欲望丸出しの悪い幽霊の第一歩だ。
「の、呪う!?」
突然のわたしの言葉にキスでデレデレしていた幸太郎は目をクルクルとアタフタさせている。いつまでもデレデレしてもらっても困るからね。
「……きみは言ったよね。わたしと一緒に生きるって。だったらこれからはきみが少しでも他の女の子にデレデレするごとに呪うから」
「……お、おう。余裕に決まってんだろ!」
「そうかな? 幸太郎女の子凄く好きだし、心配だなぁ」
「バカ野郎! さっきちゃんと誓うって言ったろ。だから絶対に大丈夫だ!」
「でもわたしずっと子供の姿のままだし」
「いいよ。お前がいいんだって」
「……ロリコン?」
「ちげぇよ! 普通に大人の姉ちゃんの方が好きだよ! ただ柚希のことはそれよりもっと好きなだけ!」
「そっか……。あっでも幸太郎このままだとアレだね。童貞のままだね」
「…………」
「呪うよ?」
「だ、だ、大丈夫! ちゃんと考えるから。幽霊ともヤれる方法を! だからお前も安心して処女でいろ」
「……キモい」
「おめぇから始めた話だろ! なんなのお前!?」
「へへっ。わたしきみの慌てるとこ昔から好きだよ。可愛いから」
「可愛いって……あーそうかよ。そりゃあ良かった」
「うん良かった良かった。…………ねえ、幸太郎」
「なんだ?」
「もう一回キスして」
「………………」
「………………――――――――っ」
三回目は前の二回よりもずっと長い間していた。お互い触れられないことを知っていながらもそれでもわたしたちは相手の存在を求め合った。きっとこの時間をわたしは今度こそ幸太郎の名前と一緒に覚え続ける。例え消えることになってもわたしはもう忘れはしない。
「幸太郎」
長いキスを終えて、すぐ鼻の先に居る彼の名前を呼ぶ。恥ずかしくて顔は見れない。
「もう一回言うよ。わたしと居るときっと幸太郎は危ない目に遭う。不幸になるかもしれない」
「どっちみちこのままお前を放っておいたら俺はずっと心残りが出来て不幸になる。だからお前が責任をとって俺を幸せにしろ」
「責任ってどうかな? わたし幽霊だし、すぐに嫉妬して呪おうとしちゃうだろうし、いつまでも子供で、すっごく厄介だと思うよ?」
「じゃあ俺ももう一回言う。俺はそんな厄介なお前がいい。だから柚希、ちゃんと言葉に出して誓ってくれ。俺と一緒に生きることを」
彼は少しわたしと距離を取ると手を差し出してわたしに誓えと言う。そんな幸太郎の手をわたしは――――
「……誓います。きみと生きることを」
――――しっかりと握った。触れられなくても幽霊でも他の誰に見えなくたってわたしは彼の手を握る。
そうしてわたしは今日改めて一人の男の子に取り憑いた。
もう一度言おう。これは恋の話だ。
彼は素敵な男の子だ。誰がなんと言おうとそれは事実で、いつの日かそんな彼に負けないくらい素敵な女の子が彼の目の前に現れる。そして女の子はきっと彼に恋をするし、彼もたぶん女の子に惹かれていくはずだ。
なんとなくだけど直感的にそうなってしまうことが分かる。わたしと幸太郎は決して運命の相手ではないことも薄々とだけど感じている。
その時にわたしは彼の重荷になってしまうだろう。でもわたしはもう悪霊でもなんだってなってやるつもりだから素敵な女の子に恋をする彼を思いっきり呪ってやるつもりだ。そして散々呪った後はわたしをちゃんと失恋しようと思う。精々彼の幸せを願いながら身を引いて恋の終わりと共に消えようと決意している。それが幽霊のくせに彼の隣に居ることを選んだわたしの業であり、末路だ。
そんな運命だとしてもわたしは彼と隣ならば進んで行ける。もう後悔はしない。迷ったりはしない。いつか終わらせないといけない恋物語でもこの恋物語のヒロインはわたしだ。だから今だけはわたしは笑おうと思う。
そのためにわたしは四度目のキスを彼にしてみせるのだった。
これはいつの日か失恋で終わらないといけない恋、そしてそんな運命でも諦めきれないわたしが必死にあがいてみせる恋の話だ。