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ここからご都合主義になっていきます。
苦手な方はご遠慮ください。
「いってきます……」
「いってきまーす!」
「は~い、いってらっしゃい。気をつけるのよ」
異口同音に出発の挨拶をあげ、小百合さんの間延びのした言葉に背を押され、俺と姉さんは学校へと向かう。
ようやく……と言ったところか。
学校行く前から色々あって大分疲れた。ただでさえ初日で緊張しているというのに運が悪すぎる。まあ、姉さんに沢山甘えることができたし、プラスマイナスで言えばプラスだろう。……いや、俺の一時の欲求を満たしただけか……。
ともあれ、心を入れ換えなくてはならない。今日から学校なのだから。
バスに揺られること二十分。そこに高校はある。
私立花守学園高等学校。通称『もり高』――これが俺の通うことになった高校の名前だ。
全校生徒八○○人ほどの、至って普通の高校。規模も平均的で、偏差値もそこそこ。部活動の強豪校というわけでもない。……恐ろしいほどに特徴がない。
そんな名前がカッコいいことくらいしか取り柄のない高校の校門に立ち、一呼吸。
「……緊張してるの?」
乗るバスが同じだから、必然的に一緒に登校してきた姉さんが、俺の顔を覗き込むように上目遣いで訊ねてくる。
「まぁな……。いや、前の高校だと友人っていう友人がいなかったからさ……」
「ふぅん、そうなんだ。ぼっちでどーていって暁くんらしいね」
「聞き捨てならんな、それ……」
何故か俺のことを童貞呼ばわりしたがる姉さんの頭をガシガシと撫で、再び校舎に視線を戻す。
……行きたくない。早く帰って小百合さんのご飯食べたい。
中々学校に入りたがらない俺に呆れつつも、見守ってくれている姉さんの制服姿を見て元気を出そうとしたが、『学校に行きたくない』という本能はヒラヒラ揺れるスカートより強いらしい。
因みに、周りに人はいない。転校生の俺は早めに学校に来なくてはならないため、始業の時間まではまだ余裕がある。よって、今登校してきいるヤツは余程学校が好きな馬鹿か、来る時間を間違えた馬鹿だけだ。
まあ、ここで駄々をこねても時間の無駄だ。俺は意を決して、校門をくぐる。
そのまま昇降口に向かい、指定された靴箱でローファーから上履きに履き替えた。
学年が違うため、下駄箱の位置も違う姉さんと合流し、職員室の扉の前に立つ。色々と渡したいものがあるらしく、早めに来て職員室に来いと言われたのだ。
生徒会執行部である姉さんは慣れているようで、あっけらかんとしているが、職員室に入ることが嫌いな俺は心臓の鼓動を抑えることで必死だ。
「……失礼します、皐月です。失礼します、皐月です。失礼します、皐月です……」
「緊張しすぎだよ!」
ブツブツと予行練習を繰り返す俺に苦笑いで姉さんがツッコむ。
「職員室にいい思い出がなくてな……。第一、職員室に呼ばれたら、大抵怒られるだろ。雰囲気からして、俺には合わないんだよ……」
「怒られるようなことしてたんだ……。ちょっと、意外だね」
「中学のころ、ちょっとな……。俺は女の子を虐めてる野郎をブッ飛ばしただけなのに……何が悪いんだよ……」
俺は知らない女の子が路地裏で虐められていたから、少しの問答のあと、加害者に少しだけ制裁を加えただけなのに、何がいけないというんだ。
暴漢を片付けたあとはとっととその場から退散したが、なんと学生証をその場に落としてしまい、それを拾った助けた女の子が御礼をしたいということで俺のいた中学まで来たため、俺は教師にバレて少し怒られたのだ。
まあ、俺は中学時代、超がつくほどの優等生だったからかもしれない。
だからと言って、見逃すわけにはいかない。そんな事、俺が絶対に許さない。
「でも、暴力は駄目だと思うよ? 暁くんが怪我しちゃうかもしれないんだよ?」
「安心してくれ。もう悪目立ちするのは御免だから、そんなことしないよ。……多分」
「はぁ……。でも、そこで見て見ぬふりするくらいだったら、怒られてでも助けたほうがいいよね。うんうん、さすがあたしの自慢の弟だよ!」
そう言って、俺の頭をポンポンと撫でる。姉さんは身長が高いほうだが、それでも俺とは差がある。必然的に距離は近くなった。
不意に薫る姉さんの優しい匂いに、体温が上昇する。少し汗ばんだ身体に新鮮な空気を送るために、胸元をパタパタと手で扇いだ。
その行為に何か感じたのか、姉さんが小さく声を出す。
「あれ? 暁くん、ネクタイは?」
「あ……締めるの忘れてた……」
俺はカバンから藍色のネクタイを取りだし、ネクタイを締めれないことを説明した。
「そんなわけだから……締めてくれ」
「仕方ないなぁ」
恥ずかしげもなく懇願する俺に呆れたかと思ったが、姉さんは意外と嬉しそうだ。
姉さんは上機嫌に鼻歌を歌いながら俺のワイシャツの襟をあげ、ネクタイを結ぶ。
この高校の女子生徒はネクタイとリボンで選べるらしい。いま姉さんはリボンをつけているが、ネクタイの結びかたが達者なのも頷ける。
「なんだか、新婚さんみたいだね」
「恥ずかしいこと言うなよ……」
姉さんを嫁にもらったら、こんな感じなのか……。フム、悪くない。
「はい、いいよ。はやく結び方覚えないとだね」
正直、今ので大体覚えたのだが、ある天才的な閃きが俺の脳内をよぎる。
「……ネクタイ……姉さんが毎日締めてくれないか? 別に嫌ならいいんだが……」
「もぉ、ホントに甘えん坊なんだから。シスコンってみんなに言われちゃうよ?」
「いいよ、シスコンでも……。というか、俺がシスコンなら姉さんはブラコンだろ」
急に抱きついてきたりと距離感が少し異常だと思う。まあ、悪い気分ではないし、俺から抱きつくこともしばしばある。あらやだ、俺ってばシスコン。
「ブラコン……。お、お姉ちゃんは弟のことが大好きでも許されるの!」
姉さんはブラコンと呼ばれるのが恥ずかしいのか、大きな瞳をパチクリとさせ動揺している。頬もほんのり赤い。
「それなら万事オーケーだろ? 言葉にするのは……なんというか恥ずかしいが、相思相愛ってやつだよ……」
「もぉ、おバカ! なんでよゆこと真顔で言っちゃうの!? あたしだってさ……女の子なんだからさ……その……」
尻すぼみになっていく勢いに反して、姉さんの顔は真っ赤になっていく。
「あたしたち……姉弟なんだよ……?」
上目遣いで弱々しく問うてくる姉さんに、俺は盛大にため息をついた。
「ハア……。あのなぁ、俺たちは血が繋がってる訳じゃないんだから、普通に結婚できるからな? するかどうかは別だけどよ……」
「結婚できるの!? うそ!?」
「小百合さんから聞いてないのかよ……」
俺は蓮見家に引き取られたが、養子になったわけではない。遠い親戚ではあるが、法律的には結婚しても何も問題はないはずだ。まあ、細かいことはよくわからないが。
姉さんは俺の立場をよく理解していなかったのか、開いた口が塞がらないようだ。
「…………ま、まあ、知ってたけどね。わかってて、あえて言ったんだもん。暁くんを試したんですぅ!」
若干上擦った声で強がる姉さん。腰に手を当て、大きな胸を張る姿はなんとも愛らしく、本当に年上を感じさせない。そこが姉さんの凄いところだ。こんなこと本人には言えないが。
そんなことを考えていると、聞き覚えのない声が耳に届いた。
「――先輩……結婚するんですか……?」
その声は俺の背後から発せられていた。反射的に振り向いてしまう。
俺の背後にいたのは深い黒の髪を肩のあたりまで伸ばした、ショートカットの少女だ。身長は女子にしては高いほうで、スタイルがよく、モデルのようだ。小さな顔は細部まで拘った芸術品のようで、泣き黒子が印象的な目元の眼は髪色と同じように綺麗な黒に輝いている。大人びて見えるが、制服を着ているということはこの高校の生徒なのだろう。
控えめに言って、美少女だ。
――俺へ視線が辛辣なのを除けば。
「あ、おはよー! 早いね、朝陽ちゃん」
「おはよございます、先輩。用事があって、早く登校しました。――そちらの方は?」
朝陽と呼ばれた少女は、なおも鋭い目付きで俺を見つめてくる。
朝陽女史と姉さんの会話から察するに、知り合いなのだろう。姉さんを先輩と呼ぶことから俺と同じ歳、あるいは後輩にあたるようだ。
会ったばかりの人間に向ける目付きではないが、悪意をぶつけられることは慣れている。さらに言えば、その対処法も心得ている。
姉さんは俺を朝陽女史の前に立たせ、パンと俺の背中を叩き、言う。
「この子はね、あたしの弟だよ。ほら、自己紹介して? 練習した通りに」
朝陽女史は俺が姉さんの弟と知り、目付きをやわらかくした。
姉さんに言われるがままに、この日のために練習してきた文を機械的に言葉にする。
「はじめまして、皐月 暁です。縁あって、この高校に転入することになりました。よろしく……」
「――――」
完璧だ。笑顔も絶やさなかったし、噛みもしなかった。練習の成果が出たようだ。
そんな俺の完璧な自己紹介に、朝陽女史は疑問を顔に出した。まあ、当然だろう。俺を弟と呼ぶ姉さんと苗字が違うのだから。
俺は朝陽女史の整った顔を注視した。その表情には、疑問とはまた別の感情が紛れているようだったが、その正体を探る前に朝陽女史は言葉を紡いだ。
「……胡桃 朝陽です、よろしく。キミが転入生だったんですね」
簡潔でわかりやすい自己紹介だ。大体の朝陽女史――もとい胡桃の性格が理解できた。
コイツは中々に聡いヤツだ。俺と姉さんの苗字が違っても、訝しげな態度をだしつつも、深く聞こうとしない。そういうヤツは社会で上手く出世していく。所々、欠点はありそうだが。
「朝陽ちゃんは同じ水泳部の後輩なんだ。暁くんと同い年だよ」
「へぇ……」
姉さんの中身が幼いから余計に胡桃が大人びて見える。俺もおじいちゃんみたいだねと姉さんによく言われるが、胡桃は俺とは違うものを感じる。
「皐月くん。キミはわたしと同じクラスですよ。わたしが今日早く着たのは、先生にキミのお世話を頼まれたからです」
「色々とツッコミたいが、まあいい。なんか悪いな、迷惑かけて……」
「いいえ。学級委員なので当然のことですよ。それに……」
そこで胡桃は言葉を止めた。少し疑問に思ったが、触れるのは止しておいた。
淡々と告げる胡桃の表情は台詞の抑揚と同じように起伏がない。冷たい視線に一文字に引き結ばれた口元。先程から俺のことを凝視しすぎだ。睨み付けられているわけではないが、少し怖い。
俺も目付きが悪く、表情に乏しいと言われるが、胡桃はせっかくの美人が台無しだ。根は優しいヤツのようだが、もったいない。
「さあ、担任の先生のところへ行きましょう。先輩も行きますか?」
「うん。あたしは暁くんのお姉ちゃんだからね」
「……すみません。少し意味がわかりません。――失礼します」
胡桃はコンコンとノックをして扉を開けた。
胡桃と姉さんを先に行かせて、俺は後ろからノロノロと進む。
教師連中とすれ違う度に赤べこの如く、「どうも」と首を上下させる。
大体教室二つ分ほどの広さの職員室は教師の机がところ狭しと並んでいる。俺の担任教師は窓側にいた。
「おはよう。元気そうだね」
そんな担任――三十路手前の独身女性。ソースは姉さん――の挨拶を聞いて、職員室の雰囲気にやられた俺は意識をシャットアウトさせ、オートモードに切り替えた――