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家族ごっこ。  作者: 電子機械
3/11

3

読んでくださっている方がいることに驚きです。


僕のような若輩者のご都合主義の痛々しい妄想ではございますが、何卒よろしくお願いします。

 ――目が覚めると目の前には女性の顔。驚きつつも、自分の状況を思い出す。


 同じベッドの上で女の子と一夜を共にする。……ひとつき前の俺だったら想像することも出来なかった状況だ。


 自分の心の進歩と言っていいのだろう。方向が少し逸れている気がするが。


 そんなことを考えつつ、起き上がる。血反吐を吐いたせいか、貧血気味だ。頭の中がクラクラとして、視野の光が薄くなる。


 二度寝したくなる欲望に駆られるが、いかんせん今日から学校だ。


 俺は歯を食い縛り、ベッドから出る。足を地面につけ、背筋を伸ばす。ひとつひとつの動作に気を遣い、身体の調子を確かめる。


 ――大丈夫そうだ。これくらいなら飯を食えばなんとかなる。


 そういえば、今は何時だろうか。姉さんにも言ったが、転校初日から遅刻するのは印象が悪かろう。出来るだけ目立たないようにしたい俺としては、周囲の印象には敏感だ。


 少し開かれた窓から覗く外の風景は薄暗く、まだ日の出まで少し時間がありそうだ。九月の日の出はだいたい五時過ぎだから、今は五時前と考えてもいいだろう。


 再び姉さんの方に視線を戻すと、枕元にスマートフォンが見えた。――姉さんのだ。


 俺は正確な時間を知るために、姉さんのスマホを拝借し電源をつける。すると、淡い眠気が遠い彼方へと吹き飛ぶような衝撃が俺の視界と脳髄を襲う。


 俺を驚かせたのは、姉さんのスマホの待ち受け画面。今時の女の子らしく待ち受けの画像を変えている。そこは別にいいのだ。姉さんのスマホなんだから何をしようと姉さんの自由だからいい。問題は待ち受けにしている写真だ。


 ――俺なのだ。姉さんのスマホの待ち受けは俺の写真なのだ。しかも、無防備に寝ている俺の寝顔だった。


 毎日見ている自分の顔を見間違えるわけがない。何の嘘偽りなく、俺の顔をだった。


 どうやら俺が寝ている隙に写真を撮ったらしい。しかも、ご丁寧なことにプリクラの如くキラキラとデコレーションされている。さらに目を引くのは『I LOVE 暁くん♡』の文字。目立つようピンクで、大きく書かれている。


 ――何やってんだ、この人……。人の寝顔を盗撮したうえに、こんな辱しめを俺に与えるとは……。


 スマホを置き軽く引いていると、姉さんが唸り声を上げ、寝返りを打った。暑かったのか、仰向けになった姉さんのパジャマの胸元はボタンが外されていて、豊かに実った胸と淡い水色の下着が露になっている。


 姉さんは俺がこの家に来るまで、風呂上がりは服を着ずに下着姿だったらしい。俺を引き取るに合わせて、服を着るようにしていたらしいが、かなりの頻度でそれを忘れて下着姿でリビングに来ることがある。最初は驚きつつも、内心ガッツポーズだったが、五回目辺りで流石に慣れてしまった。


 俺は姉さんの豊満なバストを拝みながら、夏風邪をひかないようタオルケットをかけてあげる。ついでにパジャマのボタンをつけてやろうと思ったが、途中で姉さんが起きたらと思うと怖かったのでやめた。性犯罪者に仕立てあげられるのが怖かったのではなく、姉さんに嫌われるのが怖かった。


 気持ち良さそうに寝ている姉さんの頭を優しく撫で、部屋から出る。


 ――そういや、何時か見るの忘れてたな……。


 俺は自室に戻り、愛用の腕時計を身につける。時刻は先程の読み通り、五時前だ。少々早く起き過ぎてしまったな……。


 特にやるべきことはないのでジャージに着替える。ランニングに出掛けるためだ。


 俺は運動が嫌いではない。むしろ、得意な部類だ。


 特に長距離走が得意で、中学生の頃に学校の代表として全国大会まで登り詰めたことがある。当時は部活動をしておらず、『帰宅部のエース』という異名がつけられた。目立つことが嫌いだった俺としては喜ばしくはなかったが……。


 そんな経験から、俺は時々こうしてランニングをすることがある。


 長距離走というのは、一日でもサボれば体力が落ちるが、まあ俺はそこまで本気でやってる訳ではない。飽くまで趣味程度だ。


 あと、俺がランニングに出掛けるのはあの夢を見た日に限る。走ることで気だるい身体を叩き起こし、頭の中を空にして自分を切り替えるためだ。


 俺は水分を摂ったあと、運動靴を履き、外に出た。ようやく日が昇った空は白み始め、少し気の早い蝉が静かに求愛行動をとる。この声はアブラゼミ、よく見掛ける種類だ。


 暦上ではもう秋だが、十分夏でも通る。しかし、この時期は流石に朝方は肌寒い。姉さんにタオルケットをかけて正解だった。


 そんなことを思いながら、入念に準備運動をして走り出した。


 コースは決めてある。この地に来てから二回目となるランニングだが、前回は何も考えずに前に突き進み、道に迷った経験があるため、早急にコースを定めた。


 そのコースは約十五キロ。一時間あれば完走できる。俺は思考を空にして、走った。


 そして約一時間後。蓮見家の前にたどり着いた。腕時計を見やれば時刻は六時過ぎ。このままのんびりとシャワーを浴びて着替えればちょうど朝食の時間帯だろう。


 自室から替えの下着を持ってきて汗で濡れたジャージを脱ぎ、シャワーを浴びる。


 冷水が身体に当たる度に、心地好い倦怠感が消えていく。少し冷たいが、火照った身体には丁度良い温度だ。


 寝汗とランニングをしてかいた汗を流したあと、身体の水気を拭き取り、髪を乾かしたらもう一度自室に戻る。制服に着替えるためだ。


 今日から俺が通うことになる私立高校はワイシャツにブレザー、ネクタイにスラックスというシンプル……というか有りがちな制服だ。今は夏服着間で半袖のワイシャツの上にニットベストの着用が認められているらしい。


 先週、姉さんと小百合さんと一緒に高校に挨拶に行ったが、そのとき男子の制服姿を目にしていない。サイズ合わせの時に少し着たが、制服姿を鏡で見ていないし、姉さんがものすごい勢いで写真を撮ってくるので恥ずかしくてすぐに脱いだ。


 つまり、まともに制服を見て着るのは今日、この時が初めてなのだ。


 俺は少し緊張しながら、制服をクローゼットから取り出す。


 まず、七分袖のアンダーシャツの上からワイシャツを着てボタンを閉じる。次にスラックスを穿きベルトをつける。そこで忘れずに社会の窓を閉める。――ここまでは順調だ。


 ――しかし困った。ネクタイの結び方がわからないのだ。


 俺が前に通っていた高校は詰襟だったためネクタイをつけた経験などない。勘で結んでみたが、首を絞めるような形になってしまった。


 姉さんか小百合さんに結び方を聞くしかないな……。少し恥ずかしいが、仕方がない。


 俺はネクタイとクリーム色のニットベストを手に取り、リビングに向かった。


 リビングに行くと、美味しそうな匂いが俺の鼻孔を撫でた。どうやら俺がネクタイ結びに四苦八苦している間に小百合さんが朝食を作っていたらしい。


 軽く空腹を覚えた腹をさすりながらキッチンの方を見やれば、いつものエプロン姿の小百合さんがなにやら口ずさみながらソーセージを焼いていた。


 俺の存在に気づいた小百合さんは、ニコリと微笑みながら言った。


「おはよう。今日から学校よね? 始業式だけだから午前中には帰ってこれるけど、お弁当欲しいかしら?」


「いえ、大丈夫です。腹が減ったら何か勝手に食べるので……」


「じゃあ遥香の分だけで大丈夫そうね。もう、あの娘健啖家だから困っちゃうわ」


 唇を突き出して拗ねるように言う小百合さんに、つい笑ってしまう。


 この人は美麗な見た目に反して下ネタに抵抗がなかったり、子供のように振る舞ったりと、まるで読めない。そんなことから俺は小百合さんに対しては畏敬の念を込めて丁寧口調にしている。


 そんな可愛らしい一面を持つ小百合さんだが、その手の界隈ではかなり有名な脚本家らしい。あまりテレビを見ない俺でも聞いたことのあるようなドラマの脚本も手掛けていて、初めて聞いたときは自分の耳を疑ったものだ。これで中身がオッサンではなかったら完璧だと思う。


 俺が改めて感心していると、小百合さんがそういえばと続けた。


「暁君、制服似合ってるわね。身長が高くて脚が長いから何でも似合いそうだわ」


 言われて、顔を赤くしてしまう。面と向かって言われるのはむず痒い。


「まあ、不恰好よりマシですけど……照れますね……」


「あらま、顔真っ赤にしちゃって。遥香じゃないけど、抱き締めたくなっちゃうわ」


「勘弁してくださいよ……」


 全く、この家の女性は何故、こう過剰にスキンシップを取りたがるのだのだ? 別に嫌という訳ではないし、むしろ喜ばしいことなのだが、今のところは姉さんで手一杯だ。


「――遥香といえば遅いわね、あの娘。いつもならもう起きてくる時間なのに……」


「確かに遅いですね……。寝坊でもしているんでしょうかね……」


 蓮見家では朝七時に朝食を食べるというルールがあり、「お腹空いたー」と欠伸をしながらリビングにやってくる姉さんは見慣れたものになった。


 先程の小百合さんの言葉の通り、姉さんは健啖家だ。男の俺よりご飯を食べる。身長やら胸やらが大きくなるのも納得できる。


 そんな姉さんだから朝食の時間には必ず起きている。


 現時刻は六時四五分。俺も早起きな方だが、姉さんも早起きなので少し心配になるが、ふと、数時間前のことを思い出す。あんな深夜に起きたら、少しくらい寝坊してもおかしくない。つまり俺の責任だ。


「……あー、もしかしたら姉さんが寝坊してるの俺のせいかもしれないです。昨日の夜にちょっと色々ありまして……」


「……そっか。遥香も大人になったのね。暁君になら安心して遥香を任せれるわ。……で、どうだったかしら? うちの娘は」


「…………小百合さんの想像しているようなことではありませんよ?」


「あら残念。孫の顔が見れるかと思ったのに」


 言葉の通り、本当に残念そうに言う小百合さんについため息がこぼれでる。


 俺は事情を簡潔に説明する。ちなみに一緒のベッドで寝たことは伏せておいた。


「――ということなんで、残念ながら大人の階段はまだ登っていませんよ。とりあえず起こしてきます……」


 男としてアレのため、『まだ』をつけておいた。


 俺は残念美人の下ネタを適当にあしらい、姉さんの部屋へと向かった。


 寝ているであろうから、デリカシーも躊躇もなく扉を開ける。


 すると、すでに起きていた姉さんが下着姿でチェストの中を物色していた。


 扉が開かれて、姉さんはチェスト――よく見れば下着が入っている引き出しだ――から視線を俺に向ける。


「暁くん……?」


 びっくりしたように目を見開き、両手で身体を隠すように覆う。……何がしたいんだ? この人は。


「あ、起きてたのか、姉さん。もう朝ごはんだぞ。……あと、さっきはありがとな、姉さんのおかげでよく眠れたよ」


「うん、それはいいんだけど……。ちょっと待って? 今、ノックもせずに部屋に入ったよね?」


「ん……? あぁ、まあそうだな。寝てるかと思ってたから、ついな……」


 それがどうかしたのか? ……いや、確かに配慮に欠けていたかもしれん。相も変わらない自分の愚かしさに腹が立つ。


「悪い、デリカシーがなかったな……。今度から気をつける」


「うん、いいよ? そのことに関してはいいんだよ? そうだね……今、あたしはどんな格好してるかな?」


 姉さんは寝ぼけているのか、訳のわからない質問をしてくる。そして何故かその可愛らしい顔には羞恥の色が浮かんでいる。


 姉さんは天然で、ぬけているところが多々存在するが、ここまで訳のわからないことを言うなんてどこか具合でも悪いのだろうか。顔が赤いのも羞恥ではなく、熱があるからかもしれない。


 とりあえず、姉さんの質問に答えることにした。


「変ななぞかけではないなら……下着姿だな……」


「そう、正解。あたしは今服を着ていません。……暁くん、よく考えて? 女の子が服を着ていないのに平気でいられるのはおかしいと思うよ?」


 なるほどな。ここでようやく姉さんが言わんとすることが理解できた。


 ――少し太ったんだな、姉さん……。


「何言ってんだか。もう見慣れたよ、その格好には。……相変わらず綺麗な身体してるから安心しろって……」


 何度も繰り返すようだが、姉さんは健啖家だ。


 姉さんは俺が来る前まで水泳部に入っていたようだ。大会で優勝するほどの運動能力の持ち主であったらしいが、大学受験に集中するため引退して、運動をしなくなった。空手も経験していたようだが、水泳と同様にもう辞めてしまったらしい。


 しかし、食べる量は変わらないためか、年頃の女の子らしく少し体型を気にしていると前に言っていた。


 無論、姉さんは太っていない。むしろ、でるところは出て、ひっこむところは引っ込んでいる。さらに運動部で鍛えられた、女性にしては高い身長としなやかに伸びる手足は筋肉質ではなく、しっかりと女の子の柔らかさを孕んでいる。……なんだこの人、完璧か。


「うーん。褒めてくれるのは嬉しいんだけどなぁ。違うんだよなぁ、あたしの言いたいことは。それに見慣れてるって……」


 なおも手で身体を覆う姉さん。恥ずかしいのなら速く服を着ればいいのに。


「まあ、よくわからんが……朝ごはんだから早めに支度しろよ? 俺も少し腹減ってるからさ……」


「うん、そうだよね。暁くんってそういう人だよね。常識もデリカシーもない鈍感な人だったね。もぉ! あたしが悪かったよぅ! 暁くんのバカっ!」


「なに怒ってんだよ。せっかくの可愛い顔が台無しだぞ……。まあ、怒っている姉さんも好きだけどさ……」


「もぉ! もぉっ! あたしも大好きっ!」


「――っと、危ないだろ……」


 怒鳴りながらも、姉さんが俺に突進し、抱きついてきた。


 本当に何がしたいんだ、この人は……。顔を真っ赤にして怒ったかと思えば、今度は嬉しそうに口角を吊り上げ喜んだりと感情の起伏が激しい人だ。


 まあ、そういうところも含めて、俺は姉さん――蓮見 遥香という女の子が好きなんだがな……。シスコンと呼ばれても否定できない領域に達しつつある。


「…………む?」


 姉さんを抱き締めていると、ふと違和感を感じた。


 やけに感触が柔らかいなと思い、俺の胸板に顔を埋めてゲヘゲヘ笑っている姉さんを見やる。綺麗な黒髪から覗くうなじから背中、腰のラインが驚くほど美しく、柔肌は眩しいほどに白い。


 ――そう、白い。姉さんのお気に入りの黒のタンクトップではない。


 この人服着てないことを忘れていた。


「ね、ねねね姉さん……。ふふふ、服を着た方がいいと思うぞ……」


「今更っ!? ちょっと遅すぎじゃないかな!?」


「見るのと触れるのとは決定的な違いがあるんだよ……」


 服を着ていたならまだいい。しかし、下着姿だと女の子が女の子たる部分――無駄にデカイ胸のことなんだが――が、肌と肌で触れ合うことで理性が吹き飛びそうになる。


 ただでさえ、俺のアレがアレしそうでアレなのに……よし、落ち着け、皐月 暁。


「え、なになに? 暁くん、恥ずかしがってるの? さっきまで『見慣れたよ』とか言ってたのに? へぇ~、やっぱり暁くんは女の子のおっぱいが好きなんだね~」


「……誰もそんなことは言ってない」


「え……? ま、まさか男の子の方が好きだったの……?」


「断じて違う。……違うからな? いや、本当にその勘違いは辛いから……」


 決して俺はホモでもゲイでもない。


 異性愛者の俺に同姓愛者が言い寄って来ても、相手が男だから遠慮なしにブン殴る。


 人の趣味を否定することは愚かな行為であるが、自分の趣味を他人に押し付けるのもまた、愚かな行為である。……と、俺は考える。


 健全な野郎なら理解できると思うが、自分が『そういう』人間だと勘違いされるのは、精神的にくるものがある。事実、前に通っていた高校で、女の子と上手く話せなかった俺はそっち系だと脳髄が腐った女の子に勘違いされた。


 …………本当に辛かった。


「あのな、姉さん。俺は女の子が好きだから、安心してくれ。おっぱいが好きなのは……まあ、事実だから否定はしない……」


「う、うん……。なんかゴメンね……?」


「いや、いいんだ。……なんか悪いな、着替えの邪魔して……。朝ごはん、先に食べてるよ……」


 心底名残惜しいが、姉さんを離して再びリビングへと向かうため階段を降りる。


 口元が自然と緩み、口角が上がっている。心臓がドクドクと跳ね、温かい感情を身体中に送り込む。顔が熱くなり、胸がキュッと締め付けられる。不思議と嫌いになれない感覚だ。


 ――ふと、ナニかが俺の耳元に語りかけた。


『オマエは何をやっている?』


 途端に落ち着いたはずの寒気がしてきた。視界が明滅し、歯の根がガチガチと鳴り始める。――発作の前触れだ。


 五月蝿い。俺に話しかけるな。俺とお前は違う。――絶対に。


 ナニかの言葉は止まらない。止めることが出来ない。


『女にに情欲を抱いるのか? 嗤わせるな、それでもオマエは皐月 暁か?』


「…………やめ、ろッ」


 ――俺は……。


 姉さんや小百合さんと話しているうちに女の子に対する扱いは慣れてきたと思っていたが、根のところは変わっていない。二人の優しさが、俺にそう錯覚させただけだ。


 『家族を教える』と姉さんは言っていた。恐らく小百合さんもそう考えているのだろう。――例えそれが、俺にとって毒になったとしても。


 普通がわからない。当たり前が理解できない。常識が受け入れられない。


 ――俺はどうすれば普通になれる? 俺はどうすれば当たり前を理解できる? 俺はどうすれば常識を受け入れられる?


 俺は……俺は……。


 ――あの日、決心したのに何も変わっていない。本当に何一つ変わっていない。


 だからいつまでも同じ夢を見る。同じ夢にうなされる。


 無様にゲロを吐いて、女々しく涙を流して、いつか終わって楽になることを努力もせずに待っているだけの俺に、果たして幸福になる権利はあるのだろうか。


「――あ、わかった! 暁くんっってどーていなんでしょ? だから見るのはいいけど、いざ触るとなると緊張しちゃうんでしょ?」


 閉ざされかけた意識を、二階から顔を覗かせた姉さんの声がが叩き起こしてくれた。


 気づけば俺は階段の途中で棒立ちになっていたようだ。


 ようやく服を着た声の主の元に向かい、姉さんの頭に軽くチョップする。


「あいたっ!!」


「あのなぁ、女の子がそんな下品なこと言ってはいけません……。ハァ、小百合さんの教育の賜物だな、こりゃ……」


 俺は姉さんに罰として抱擁の刑に処すことにした。


 やはり柔らかくて、いい匂いで、安心する。このまま眠りについてしまえそうなほどに脳を蕩けさせてくる。女の子ってのは男を狂わせる力を孕んでいると、姉さんを抱き締める度に感じる。


「ふふっ、暁くん、あたしのこと好きなんでしょ? そうなんでしょ?」


 からかうように問うてくる姉さんをさらに力を込めて抱き締めた。


「そうだよ……。俺は姉さんがいないと生きていけないんだよ」


 また甘えてしまう。姉さんの優しさに……俺にとって毒にしかならないものに。


「……なあ、姉さん」


「なぁに?」


「……姉さんは死なないよな? 俺を置いていかないよな? もう大切な人を失いたくないんだよ、俺は。だから……だからっ――」


「――死なないし、いなくならないよ。もう、暁くんはホントに甘えん坊さんだね」


 ポンポンと俺の背中を叩き、優しくさすってくれた。


 相変わらず姉さんは俺を受け入れてくれる。駄目だとわかっていても、俺の弱い部分は目の前の快楽に沈み、依存していく。それはまるで、麻薬のようで恐ろしいほどに甘美だ。


「……もう少しこのままでいさせてくれ……」


「……うん、いいよ」


 また、俺は考えるのを放棄した――


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