into the white world
世界は白い雪を被った木々と、途方もなく広がった雪だけで出来ていた。音はなく、あるとすればたまに背の高い木の枝から落ちる雪の音。白色のみで彩られた世界ではどれだけ歩みを進めてもあるのは同じ白の世界と虚無だけだった。
吐く息がその場で冷えて固まり、白く色を変えた。肌に突き刺さる冷たさ。「失った」彼女でさえ腕の動きが鈍っていることに気づく。森の中は「自然の脅威」で溢れていた。雪や風、木々までもが人間に牙を向き、気まぐれに人は死んでいく。
彼女はそういう残酷な摂理を理解していた。自然の摂理に殺された同業者は目が腐るほど見てきたつもりだった。その度に教訓を身につけ、そして彼女はここにいる。多くの犠牲の上に職をこなす同業者は少なからずだ。先陣を切り、帰ってきたころには肉塊だったなんてざらにある。だが、そうやって死んでいった者達のおかげで我々は自然の脅威に対抗することが出来る。他でもなく、死んでいった彼らが与えてくれた恩恵のおかげだ。
この森で死体は腐らない。死んだという記憶がただそこに取り残される。成仏したのか否か、それを確かめる手段はない。例え魂は天に昇ったとしても、死体は消えてなくならない。ただ虚しく、地上に残されている。
それが誰なのか、知る由もない。だが、「狩人」であることは分かった。この森の奥に訪れる者なんて「狩人」ぐらいであるし、彼の首には「狩人」の魂、誇り、そんな言葉で形容されるべき「狩人の証」があった。それは「何か」を失った証であり、多くを救った証でもある。
「アリアス・ブラッド」は胸まで雪に覆われたその死体の前に立っていた。この死体はどんな気持ちで死んでいったのか、待ってくれている家族がいたのか、そんなことを考えた。けれどしばらくして虚しくなってやめた。
彼女は死体を覆っていた雪を払い除ける。一人の人間を隠す程度の雪は大した量ではなく、道具はひつようなかった。数分で終わったし、冷たい雪に触れていた手も赤くなりはしたが、すぐに元の白い掌に戻った。
彼の身体全体が現れた時、彼がどうしてこんな姿になったのか推測することができた。胸元に突き刺さっている矢が心臓を貫いていたからだ。たった一本の矢で彼は死んだらしい。一瞬だったのだろう。同業者達はよく「死は突然かつ、あらぬ方向から現れる」と言う。全くその通りだと目の前にある死体は語っていた。
彼女は携帯食料を腰のポーチから取り出し、死体の前に置いた。それから適当な枝を集めて火をつける。死体を持ち帰ることはできないし、処分することも出来ない。だから気休めの暖かさだとしてもこの森の「狩人」はその場で焚き火をする。暖かさを、温もりを、現世に残された死体に与えるために。彼女は自らの首に下げられている「狩人の証」を彼のものに軽く当てる。コツン、という金属の音が静寂の森中に響いた。音は一瞬のものであり、永久的なものではない。残るのはまた、虚無感だ。
「狩人」が死体を見つけた時に行う儀式的なこれに名前はない。死人について考えるこを我々「狩人」は嫌うからだ。死人のことを考えた所でそこには悲しさと虚しさしか残らない。
アリアス・ブラッドは歩みを進める。死体に後ろ髪を引かれることは無かった。彼女は恐怖を、自分もこうなるかもしれない、そんな妄想をすることはなかったからだ。死ぬ時は死ぬべくして死ぬ。それが「狩人」達の持論だ。「狩人」になるような者達は確固たる意思を持っている。それでいて「失う」ことのできるような、志とは言い難い執念を秘めていた。
アリアス・ブラッドは跳んだ。左手に握られたフックショットを近くにある中で最も背の高い木に引っ掛け、糸が巻かれる力に任せて彼女は木に登る。街一番の魔道具師が作っただけはあり、巻き取るスピードが早い。すばやい立体機動までてきる。「狩人」にとって逃亡の手段は多い方が良いにこしたことはないから重宝するものだ。
背の高い木に登っても、あるのは白い雪とそれに隠れた針葉樹林達。かなり遠くまでいつの間にか来ていたのか、街も見えなくなっていた。たまに、この「終わらない冬の森」がどこまでも続いているこのような感覚に襲われる。
雪でできた白い世界を彼女は進む。彼女の足元に道はなく、彼女の後ろに道ができていた。この先数日は雪が降らないと預言者は語ったからしばらく自分の足取りは消えないだろう、帰り道が消えることは無い。しかし重要なのは帰ることよりも生きることだ。死ぬ事がこわい訳では無いが、生きる努力は最大限にする。
森に入ってから3日目の昼が過ぎようとしていた。お昼ご飯という名の作業は済ませた後だ。食料は後四日は足りるが、往復分を考えればそろそろ奥に進む足を止めなければならない。そろそろ帰るべきだろうかと考え始める頃、しかしながら今回の目標を狩れていないから悔しさが残りそうだ。やれやれといった感じで遭遇したくない時には遭遇するのにこうやってこちらから探しに行くと見つからない。
街に帰るタイミングを考えていたこともあり、彼女の足取りには躊躇いがあった。目標が達成出来なければ今回森に入ったことで得られる利益はない。食料なんかを消費しただけになってしまう。だから限界まで目標と遭遇する可能性を信じて進みたいのだが、やはり万が一のために早めに戻った方が良いだろうか。森では何が起こるか分からない。もし預言者の予言が外れ、対策をしていない吹雪でも起きたら死ぬ事は確実だろう。森に滞在する時間が長いほど、森の奥に入るほどに、危険性は増していく。
彼女はため息をついた。今回は赤字だと確信しながら、同時にお金になるものを採るまたは狩りながら進めば良かったと後悔しながら、歩みを進める足を止め、振り返った。単純に遭遇しなかったということもあるけれど、目標を狩る事だけに専念したかった為、それ以外のことは一切しなかった。そもそも、雪の多さで薬草を採ることもできない為、出来ることは少ないけれど。
その時だった。彼女はこんな森の奥まで来てよかったと確信した。同時にやっと会えたという呆れもあったが、すくなくとも、前者の感情の方が大きかったと思う。森の奥に、彼女の目標はいた。豚のような顔をしているが、豚という生き物からは逸脱していて二足歩行をしている。白い鼻息を吹き出しながら、聞き覚えのある大きな足音と共に、その全長4mはあるであろう巨体は木の影から現れた。豚のように鼻息を鳴らし、右手には巨体が持つにふさわしい大きさの棍棒が握られている。一件「オーク」と呼ばれる種類に似ているが、違う。この森の突然変異種で、本来ピンク色の体は白く、全身の体毛が「オーク」のそれよりも多い。それでいて大きな違いは頭に角が生えているという事だ。
街ではこれを「ウィンター・オーク」と呼んでいる。冬の中で突然変異した「オーク」だからその名前なのだろうが、陳腐で安直過ぎないだろうか。他の突然変異種も皆名前に「ウィンター」が入るのだから、やれやれという感じだ。名前をつける人のは大抵狩人だから、狩るか狩られるかの同業者にとって名前などどうでもいいというのが伺える。
そう、名前などどうでもいいのだ。自分がそれを欲していて、それが目の前にある。だから狩る。ここから先は生きるか死ぬかの世界、満を持して彼女は再び木に跳んだ。
狩人の基本は「奇襲」だ。余計なリスクは避ける。ノーリスクハイリターン。それが出来なければ狩人をするにはリスクが高すぎる。死ぬ時はあっさり死ぬ、それが狩人。リスクを持つこと自体を避けなければいけない。幸い街一番の魔道具師が作ったフックショットはほぼ無音といっていいほどに隠密性能が高く「ウィンター・オーク」に見つかることはなかった。
静かに、腰の後ろから武器を取りだす。一件只のいびつな長方形のそれは、彼女が魔力を通すことで形を変え、刃物が飛び出す。しかし刃物と呼ぶにはいびつな形していてギザギザと尖った刃が金属を囲むように連なっている。彼女の細い腕では両手で持つことも難しいと思わせる長さだが、軽々とそれを片手で持ち上げた。
狙うは必中。威力は必殺。奇襲に出せる最大の力を込めて一撃で仕留める。
彼女は深呼吸をする。それから腰のポーチから一つの鉱石を取り出し、握る。すると霧のように消えた。彼女は手を握ったまま小さく口を開く。
「力」と、「速さ」を。
彼女の体が微かに紅く光る。掌から血が垂れたが、傷口を確認する前に傷口は消えていた。再び深呼吸をする。
「ウィンター・オーク」は立ち止まっている。今が好機だと確信すると、彼女は木を蹴り、「ウィンター・オーク」へと飛び降りていく。彼女には一瞬が何倍にも遅く感じられた。ゆっくりと、その巨体へと落ちて行く。まだ武器を構えるのは早い。殺意に気づくのは一瞬でも遅らせることが確実に奇襲を成功させるために必要だ。「ウィンター・オーク」の頭がだんだん近付いてくる。だが、まだ早い。ギリギリまで焦らして確実に一撃を喰らわせる。狙うは必中。威力は必殺。「ウィンター・オーク」の頭がもう目の前の時、彼女の魔力が武器に流れた時、武器が吠えた。
森に鳴り響く轟音。
彼女が隠密を徹底する理由はそこにあった。彼女の武器は轟音を鳴らし、白い空気を吐き出しながら、「ウィンター・オーク」の頭に突き刺さる。「ウィンター・オーク」の頭蓋骨は「オーク」の比にならないほどに硬い。只の鋭利な刃物では肉は貫けても頭蓋骨の硬さで尖端から折れてしまう。しかし、彼女の武器はその頭蓋骨を粉砕した。刃は彼女の魔力が武器の中を回転することで刃も魔力の力で回転する。魔力が多ければ多いほど、回転を増し、対象を一つ一つの刃が削る。「チェーンソー」と呼ばれるその魔道具はいとも容易く「ウィンター・オーク」の脳に到達した。
「ウィンター・オーク」は叫ぶ。雄叫びではない。死にゆくものの断末魔だ。
脳漿が飛び散り始めた所で「ウィンター・オーク」は彼女を振り下ろした。脳にダメージを負っているのに、抵抗する生命力。凄まじいものだ。彼女は振り下ろされても、バランスをくずすことはなく武器を片手に着地した。轟音を立てる武器を構える。
「ウィンター・オーク」の右手の棍棒が彼女には振り下ろされる。死にかけというのにその振り下ろす速さは目で捉えることがむずかしかった、それを体で受ければもれなく内臓が破裂し即死だろう。彼女はなす術ない。ただ向かってくる棍棒を受けることしかできない。しかしながら、彼女にはそれだけで充分だった。
棍棒は真っ二つに切断されていた。切られたのだ。彼女の「チェーンソー」よって切られたのだ。彼女の体に届くことはなく、棍棒は無念にも切断されている。その時生まれた一瞬の隙を彼女は見逃さなかった。
研ぎ澄まされた狩人の反射神経が勢いをもった「ウィンター・オーク」の拳を避け、刃を顔面に押し当てる。今度は叫ばなかった。その代わり、巨体な体がジタバタと動く、声はなく、ただ痛みに悶え苦しんでいた。
ゆっくりと「ウィンター・オーク」の身体は動かなくなっていく。生命力を失う様はさながら魂が武器に吸われる様だった。彼女は己の武器の名前の由縁を理解した。さながら魂を吸い取る様子を、目にしながら。耳をつんざく轟音の中で、この「チェーンソー」が「ソウルイーター」と名付けられた理由を理解した。