私の遺書
私たちはいつから死を避けるようになったのだろうか
戦後から?
世紀が変わった頃から?
それとも
もっと昔から?
必要としない死を生身ではないものから受けるようになったのだろうか。
なぜ死を避けるようになり
目の前に死を置かなくなったのだろうか。
人の死が近づくと白い病院に隔離し遠ざけ
置いてくる。
どこにいても死は訪れるのに
どこにいても見送ることはできるのに
なぜ残された人は死を遠ざけるのか。
なのに、まま事のような死への儀式をする。
写真をならべ、語りかける。
おぼろげな歌詞の子守歌も。
死を待つものには
戯言
無駄事。
どうぞお邪魔をしませんように。
まま事は母親役の心の中だけに。
どうぞ静かに送ってください。
淋しくも、空しくもありませんから。
生き方に後悔があるのならば
それは私の罪。
そのまま先まで持って行きます。
誰もがその先の世界を教えてはくれないでしょう。
生き戻った人はありませんから。
その後悔を残しても、
後でこっそり取りには戻れませんから。
その後悔も一緒に持って行きますよ。
私が残して行っても、誰ぞも拾ってくださるな。
どんな姿でも生きていてほしい。
そんなことを思いなさるな。
通夜の場で
やり残しや想いの残りも
言葉にしてくださるな。
生も死も私の責任で、私のものです。
あなたの思いを被せなさるな。
死の概念が、白い病院からいつ出ていくのだろう。
住み慣れた家には死に場所はないのか。
後続にみせるべき死の姿は
すでにこの世にはなくなったのだろうか。
死は怖くないと
教える人がいつまで残るのだろうか。
人間は限りある。
どうぞ残ったものが死を怒りなさるな。
人間は限りある。
受け入れて、逃げないで。
私の思いを勝手に忖度しないで
私の思いは残された人にはわかりませんでしょう。
どうぞそのまま事切らされてください。
自分で面倒を見なくて済むからと
白い病院に最後に送らないで。
制度があるから、お財布を勘案して
白い病院に送らないで。
簡単に一般論の死生観で
白い病院に送らないで。
延命は合法的な復讐。
できるだけ手を尽くして
何度も私を傷めないで。
何度も苦しめて
何度も私を傷めないで。
最期の終わりは同じなのだから。
尽くした手に
周りの人は「頑張った」と同情してくれるでしょう。
それは私のための頑張りか。
私の自然治癒力が削がれていくならば
それは私の寿命。
老いと死には誰もが無力。
どうぞ先の入り口の前に
ランプの一つでも掲げてください。