自称天使
俺は少女の笑顔を見て溜め息をついた。それから考えた。なぜここまで俺の傍にいようとするのか。営業や宗教の勧誘にしては度が過ぎる。ありえない。かといってストーカーされる覚えもない。家出かなにかか? それでたまたま見かけた俺に声をかけてきたのか? しかしそれでは納得できないことがある。俺の名前を知っていたことや寿命のことだ。それらの疑問はいくら頭を回転させても答えは出てこなかった。試しに訊いてみることにした。
「もしかして家出でもしてきたのか?」
俺のその質問に対して彼女は「はあ? なにをいっているんですか?」という顔をした。どうやら見当違いだったらしい。だが他に答えが思いつかなかったのだ。
「なにをいってるんですか? 私家なんてないですよ。ですからここ以外行く宛なんてありませんし、宇佐美さんの傍を離れるつもりもありません」
「家がないわけないだろう」
「そうですね。強いていえば天国ですかね」
少女は空を指さしながら答えた。今から死ぬという人間にそのジョークは止めて欲しいものだ。面白くもないし笑えない。
「そういう冗談は今の俺にとっては笑えないな」
「冗談じゃないですよ。本当のことです」
「冗談にしか聞こえない。あんたはこれからどうするつもりなんだ?」
「宇佐美さんがいくところには一緒についていきます」
「俺が走って逃げたら?」
「私も走ります」
「じゃあ俺が海に飛び込んだら?」
「自殺したいんですか? あまりおすすめできませんけど」
「仮の話だよ。ただでさえ寿命が短いんだ。自殺なんてしない」
「賢明な判断ですね。余命宣告されて、自暴自棄になって自殺しちゃう方も結構多いんですよ」
「俺は自暴自棄になったりしないさ」
「最初はみんなそういうんですよ。でもいざ死の実感が湧いてきて恐怖を感じるようになると、人間変わっちゃうもんなんです」
「自分がそうならないことを願うよ」
「大丈夫です。そのためにも私がいますから」
そういうと少女はまたにっこりと微笑んだ。
俺もまた溜め息をついた。
「もう勝手にしてくれ」
俺が観念してそういうと少女は少し微笑んで、歩き出す俺の後をついてきた。俺はこの少女に対して抱いた疑問を、今は頭の中から追い出すことにした。
行き先はとりあえず、ここから歩いて十分ぐらいのところにある大きな国道沿いのファミリーレストランにした。そこならばなにかしら食べたいものが置いてあるだろうとの考えからだ。
ファミリーレストランまでの道で、少女は周りをきょろきょろしながら俺の隣をちょこちょことついて歩いていた。まるで親鳥の後をついて回る雛鳥のようだ。
しばらく歩き、目的地についた。入店すると冷えたエアコンの風が俺を撫でた。店員に喫煙席か禁煙席どっちにするか訊かれたが、もちろん喫煙席を選んだ。店内はまだ午前中だというのに賑わっていた。やはり国道沿いという立地のせいだろうか。俺たちは奥の四人掛けの席へ案内された。すると、少女は俺の正面ではなく、隣に座ってきた。
「おい、なんでそこに座るんだ?」
「なんで? ってなんでですか?」
「普通、こういう時は向い合って座るだろ」
「そうなんですか? それは知りませんでした。隣に座るとなにか不都合なことでもあるんですか?」
「別に不都合なことはないが……とにかくあっちに座ってくれ」
「宇佐美さんがそういうのなら」
少女はよいしょといって俺の正面の席へ座り直した。この子はなんなのだろう。自分のことを天使だといったり、一日中家の前で体育座りしていたりと色々変わっている。変なのに付きまとわれたものだ。
俺はメニューを見ながらタバコに火をつけた。昨日夕飯を食べていないから酷い空腹だった。どれを注文するか考えていると、
「タバコ吸うとただでさえ短い寿命がさらに減りますよ?」
「もう誤差みたいなもんだろ。死ぬまでが数分、いや、数秒変わるかどうかって程度だ」
「だからこそ貴重なんじゃないんですか? まあ、宇佐美さんがそれでいいというのであれば止めはしませんが」
「ああ、それでいいからほっといてくれ」
しかし少女のいう通りだ。俺の寿命はもうかなり限られている。少しでも時間を有効に使った方がいいのではないかと思った。普通の人間はいつ寿命がくるか分からない。今日かもしれないし、明日かも知しれない、それか数十年後かもしれない。だから心構えなんてできないし、準備もできない。死ぬまでにやっておきたいことなんて考えないだろう。その点俺はある程度分かっている。もちろん事故などで死期が早まる可能性はあるが、ある程度の目安がある。そういった意味では幸福なことなのかもしれない。そんなことを考えていると少し死の実感が湧いてきた。俺はその気持ちをなるべく感じないように、今からなにを食べるかだけに意識を集中させた。
俺はあっさり注文したいものが決まった。少女の方を見るとなにやら、「ううん」と悩んでいる様子だった。
「まだ悩んでるのか?」
「人間の食事って初めて食べるんです。色々種類があるんですね。だから迷っちゃいます」
「自称天使の設定も大変だな。そんな細かい演技なんかして」
俺は鼻で笑いながらいった。
「だから自称じゃありませんし演技でもありません。宇佐美さんもそのうち分かりますよ」
少女は口を尖らせながら、心外だといった風だった。
「じゃあ本当に天使だったら食事なんて必要なのか?」
「必要ありませんよ。ただ、せっかく人間の姿になっているので人間の生活を楽しもうと思いまして」
「じゃあ腹は減らないのか?」
「そうですね。そういった感覚はありません。でも減ったっていう気持ちはあります。」
「だったら食べるなよ」
「今いったように人間の生活を楽しんでみたいんですよ」
「今まではそうじゃなかったみたいないい方だな」
「はい、今までは姿を消して誰にも見られないようにしてました。こんな風に姿を見せて会話したりするのは宇佐美さんが初めてです」
「俺に対しても今まで通り見えないようにして貰いたかったよ」
この子はきっと天使に憧れを持った変わった子なんだろう。だれにでもそういうものはある。俺だって小さな頃はヒーローに憧れていたし、周りの小さな女の子たちも魔法少女に憧れたりして、ごっこ遊びをしたものだ。この子の場合、それが遅れてやってきているのか、それともそういった憧れから未だ卒業できていないのかもしれない。
少女が「私も決まりました」というので、店員を呼んだ。俺は、シーフードドリアを、少女はなにかのパスタを注文していた。それからしばらくして注文した料理が運ばれてくる。俺は熱いドリアに息を吹きかけ、火傷しないように慎重に食べた。少女の方を見てみると料理を不思議そうに見つめていた。
「宇佐美さん、これすごくおいしそうですよ」
「ああ、そうだな。いいから食べろよ」
「はい、いただきます」
そういってフォークで器用にパスタを巻き口に運んだ。
「おいしいです。人間って普段からこんなおいしいもの食べてるんですね。感動です」
「それはよかったな。感動しているようでなによりだ」
「宇佐美さんはなに頼んだんですか?」
「シーフードドリアだ」
「それはどんな味がするんですか?」
「食べてみるか?」
俺はそっけなく答えた。どうせ本当は食べたことがあるだろ。これも演技の一つなのだろうと思った。
「いいんですか? じゃあ一口だけ」
「どうだ?」
「これもすっごくおいしいです。私も人間に生まれたかったなあ」
まるで本当に感動しているみたいだった。普通だったらパスタやドリアぐらい食べたことがあるだろうに。
お互い食事を終え、店を出ることにした。少女はなぜだか名残惜しそうにしていた。そんなにファミリーレストランが気に入ったのだろうか。そして店を出る時、会計で、
「おい、あんた金は?」
「持ってませんよ? 無一文です」
俺はやっぱりな、と思いながら二人分の会計を済ませた。