2日目―――関西
2016年3月17日。夜明け前の薄暗い京都駅で、夜行高速バスを降りた。バス自体は三ノ宮まで行くので、降りた客は3分の1くらいだった。人の流れに任せて、改札を目指す。
それにしても、尻が痛い。夜行高速バスに乗るのは3度目くらいだが、あんな席で寝たのは初めてだ。結局、浅い眠りしか出来ず、何度も目が覚めた。普段は割と眠れるのだが。せっかく関西まで来て、電車内で寝てしまっては もったいない。あんな席に何時間も乗っていられた自分を褒めてやりたいくらいである。
まあ、年明け直後に高速バスの大きな事故があったばかりだし、まずは無事に到着できたことにホッとする。
やってきた改札口は、「八条口」。しかしシャッターが下りたままで、そのシャッターが開くのは、しばらく後のようだ。これから、6時前の電車に乗る予定なのに、ここで待っていては乗り遅れてしまう。
私の不確かな記憶では、京都駅の烏丸中央口という改札が、最も早く開いたはずで、確か4時半くらいだったと思う。しかし、そこへの行き方が分からない。烏丸、というくらいだから京都タワーの側なんだろうが、見渡す限り京都タワーは見えない。どうやら反対側に来てしまったようだ。
取り敢えず歩き出す。適当に方向を決めて、室内と外を出たり入ったりしながら、やっと それらしい改札口へやって来た。が、ここで私は一旦外に出て、コンビニで朝食の菓子パンと飲み物を調達した。
有人改札で青春きっぷに新しいスタンプを押してもらい、ホームへ。電光掲示板に並ぶ列車案内は、全て行き先が奈良、永原、米原など、いかにも近畿地方の地名である。昨日の朝は関東にいたと言うのに、その翌日に京都駅にいるというのも変な気分だが、実感が沸いてきてテンションも上がる。ホームで止まっている207系電車や321系電車も、見るのは1年ぶりだが感慨深い。
今日は目的地の候補がいくつかある。1つ目は、京都から奈良線、大和路線、おおさか東線を経由して大阪へ至る案。2つ目は、湖西線のどこかの駅で途中下車して、琵琶湖を見に行く案である。どちらも捨てがたいが、私は湖西線を選んだ。以前 湖西線に乗ったときは、新快速で早々に通り過ぎてしまったが、今度は途中下車をして琵琶湖散策でもして、真価を楽しみたい。
琵琶湖線・湖西線のホームで、京都発5時54分発の普通列車 永原行きを待つ。この電車は湖西線の一番電車で、こんな機会が無ければ滅多に乗れるものではない。
隣のホームで琵琶湖線の普通列車を見送った後、永原行きが入線してくる。電車は全体が濃い緑色に塗られた111系で、京都周辺の111系・115系はこのタイプが多い。恐らく共通運用なのだろう、草津線や奈良線もこのタイプの車両が使われている。111系は、昨日 群馬で乗った115系と近しい形式の車両だが、こちらは転換クロスシートに改造されている。111系を改造するとは何事かと言う人もいるが、私は特に気にしない。223系と同タイプの座席なので、座り心地も良い。さすがに始発は空いていて客はまばら。私は琵琶湖側の座席を押さえることができた。
山科の前後で長いトンネルを通り、湖西線に入る。線路が高架になり、踏切が無くなる。スラブ軌道の線路は、新幹線のようだ。
琵琶湖線と別れて数分しか経たないが、早くも琵琶湖が見えてきた。大津京駅も随分と琵琶湖が近い。この間隔のまま、列車はぐんぐんと加速する。
どこかで途中下車をしようと思う。途中下車する駅は決めていないが、琵琶湖に近く、そして あまり拓けていない駅がいい。
比叡山坂本を過ぎた辺りで、夜が明けて来た。琵琶湖の対岸の方の山々から、真っ赤な太陽が顔を出す。絵に描いたような朝焼けで、山の間から太陽の淵が光を放ち、水面がキラキラと輝いた。
贅沢の極みのような朝である。私は菓子パンをかじりながら、あまりに美しい光景を見入った。どこかで下車しようかとも思うが、もう少し乗っていたい。湖西線は高架線なので、この情景は格別よく見え、車内からでも十二分に堪能できる。思わずカメラのシャッターを切った。
↑早朝の湖西線から望む朝焼け。筆者撮影
陽が完全に昇り、そろそろ途中下車をしたいと思う。この後も予定が詰まっているので、遠くても近江今津までに下車しなければならない。
比良という駅に着いた。琵琶湖は目と鼻の先で、なかなか良い駅である。降りようかと腰を浮かしかけたところで、電車のドアが閉まった。
次の近江舞子という駅は、待避設備もある2面4線の比較的大きい駅である。琵琶湖は相変わらず近いが、周囲は随分と拓けている。さっきの比良駅で降りればよかったと後悔しかけたが、幸い、ホームの反対側に京都行きの普通電車が停車していた。私は緑の111系を降り、さっきの比良駅を目指そうと思う。
乗り換えた京都行きは、223系であった。223系電車は大好きだが、1区間で降りる。
↑筆者お気に入りの223系電車。画像は東海道線で撮ったもの。参考画像のため、撮影日と旅行日は異なる。筆者撮影
という訳で、比良駅に戻ってきた。小さな駅だが、湖西線の駅なので当然 高架線だし、外から見ると新幹線の駅と遜色無い。
駅の目の前に、江若交通という、琵琶湖近辺のバス会社の停留所がある。
江若交通の前身は、江若鉄道といって、かつては琵琶湖の西側でローカル私鉄を運行していた。ちょうど、湖西線の走る地域である。ここで、突然だが湖西線の歴史に関する雑学を一席。割と有名な話なので、知っている方も多いと思う。
今でこそ、湖西地域も湖東地域もそれなりには栄えているが、平地が少ない湖西地域は、かつては湖東地域よりも鄙びていた。湖東地域では北陸本線が大動脈として貫き、大阪と北陸を結んでいた。その一方で、湖西地域はローカル私鉄が通るだけの田舎であったのだ。
状況が変わったのは、東海道本線や北陸本線の列車が増えすぎて、米原~大阪の線路がパンク寸前になったときのこと。北陸本線のバイパス線として、国鉄は湖西地域に新線を建設することを決めた。ところが、そこには江若鉄道というローカル線が通っていて、国鉄の幹線が通っては運営が成り立たなくなるのは必須だった。
そこで国鉄は、江若鉄道を「買収」という形を取りつつも線路のほとんどを造り変え、湖西線を開業させたのである。江若鉄道は廃止となり、その翌日からバス事業に転換させて現在に至るという訳。
その、江若交通のバス停を横目で見ながら、琵琶湖を目指す。駅から琵琶湖は、本当に言葉通りの“1本道”で、300mくらいの距離である。拍子抜けするほど近い。駅から徒歩数分で、湖の波打ち際までやってきた。
↑琵琶湖の波打ち際。筆者撮影
一見、海のようである。正面には、はるか遠くに対岸が見える。しかし、ここまで波打ち際まで来ると、琵琶湖の大きさが より一層体感できる。
湖水は、割と綺麗である。青緑の水面は透き通っていて、東京辺りの海よりは断然 綺麗だ。まだ昇ったばかりの太陽に照らされ、キラキラと輝くさざ波が美しい。
十分に琵琶湖を堪能したし、比良駅に戻ろうと思う。
駅に向かって歩きだした。この辺りは京都や大阪の通勤・通学圏だろうが、新快速の停車駅ではないためか、家はあまり多くない。家がちらほらと建っているが、駐車場や空き地が多い。比良駅の山側は、田んぼが広がっていた。この辺りは海沿いのような景色で大変美しいが、海と違って潮風にやられることはない。ここに家を建てれば どれほど住みやすいのかと思う。京都までは出やすいし、私の移住地の第一候補(?)である。
比良駅に戻る。階段を昇ってホームに出る。琵琶湖を一望でき、本当に美しい。
私はバッグから、ルーズリーフを取り出した。昨日、今日と今回の旅行の日程が書かれたもので、○○駅に何時何分、といった要領である。
今日は帰り道で、関西線の快速「みえ」に乗車したいと思う。これからの行程には候補がいくつかあって、草津線、関西線を経由して津へ至る案と、一旦大阪へ向かってから、近鉄特急を使って松阪まで飛ぶ案の2案がそれである。
いずれにしても、京都まで戻ろうと思う。が、しばらく電車は来ない。どうせなら新快速に乗って湖西線を楽しみたいが、京都方面行きの新快速は、9時半まで無いようだ。湖西線のように しっかりした線路だと、新快速も楽しいのだが、さすがに9時までは待ってられない。
目の前を快速電車が通過していく。さすがの高速運転で、一瞬で通り過ぎてしまう。
その後、反対側のホームに近江今津行きの普通電車が入線してきた。電車は117系電車で、しかも緑色ではなく、アイボリーホワイトに焦げ茶色の帯の、新快速時代の塗装である。私は嬉しくなって、逆方向だが衝動的に乗る。乗る前に、先頭部分をカメラに収めようと写真を撮ったが、慌てて撮ったのでピンぼけだった。
↑新快速塗装の117系。筆者撮影
湖西線は意外と車両の種類が多いらしく、現時点で111系、223系、117系の3種類に乗ったことになる。短時間で、ずいぶんと関西の電車を堪能した気がするが、まだ朝である。それにしても、この117系はJR東海の管内では全廃になったと聞いているが、ここではまだ走っているのかと思う。私は117系が新快速で使われていた頃を知らないが、目立った改造も受けずに新快速時代を偲ばせる電車が、湖西線を快走する。
私は再び行程表を取り出した。まだ考える余地はあるが、一旦大阪へ向かう案で半ば決まりかけていた。 取り敢えずは京都へ向かわなければならないので、次の近江舞子で降りる。さっきと同じパターンで、反対側のホームに京都方面行きの普通列車が停車しているので、すかさず乗り換える。
乗り換えた電車は またまた223系で、高槻から快速になって大阪まで行く列車である。
いい加減、ここからの行程を決定させたい。おおむね大阪、近鉄経由で松阪へ向かう案で腹は決まっているのだが、近鉄特急は運賃+特急料金で2880円である。鶴橋~松阪が3千円弱というのは安いのだろうが、それでも18きっぷの1回分の価格よりも高い。少し勇気が要る。
さて どうするかと日程表を再び取り出そうとすると、はて、日程表が無い。どうしたかと思って、バッグをひっくり返して探すも、見つからない。もしや、さっきの117系に忘れてきただろうか? そう思ったときには 時すでに遅し、ドアが閉まって近江舞子を発車してしまった。
行程表の内容はおおまかには覚えているので、この先 路頭に迷うということは無いが、それにしても我ながら迂闊なことをした。せいぜい、忘れたのが財布でなくてよかった、と気を慰めるくらいしかない。
そんな事をしている間に、さっきの比良まで戻ってきた。今日は比良と近江舞子の間を行ったり来たりしている。
そのうちに、電車が混んできた。各駅で人がどんどん乗ってきて、堅田辺りで立つ人も現れ始めた。私は座っているのでいいが、通勤電車の雰囲気になってきた。今はちょうど通勤時間帯で、京都や大阪へ向かう人が集中する時間のはずだ。客は高校生がほとんどだが、サラリーマン風の人もいる。一応 旅行客の私は、少し場違いなカンジになる。
これから大阪へ向かうので、山科で新快速に乗り換えようと思う。湖西線の新快速は まだ当分来ないが、米原から来る列車は、割と早くから走っているはずだった。
電車は、山科に着く頃にはずいぶんと混んでいた。私と同様に新快速に乗り換える客は、みんな山科で降りるはずなので、結構な人数が降りるかと思っていたが、思った程は降りない。
数分後の新快速で大阪まで行く。私はホームの先端まで行って、そこで電車を待つ。新快速は満員のはずで、座れないと思うが、ならば一番前の運転席後ろの窓から前を見ていたい。
私は席が空いていれば座りたいと思う人間だが、新快速―――特に京都~西明石は前面展望の方が面白い。関東では滅多に味わえないスピード感、複々線を走る電車の数々。この区間の新快速は、特に楽しくて立っていることが苦にならない。
降りたホームの反対側に入線してきた新快速 姫路行きは、223系ではなくて最新鋭の225系電車である。東海道線で使用されているのは少数派で、しかも姫路寄りの何両か だけだったように思う。関西に何度も来たことのある私でも、乗ったのは過去に一度しかない。結構レアなのだろうが、私は223系の方が好きである。
↑225系の参考画像。画像は阪和線仕様で、撮影日は旅行日と異なる。筆者撮影
車内には液晶ディスプレイがあって、停車駅等の案内とCMを流している。関東では今や当たり前だが、関西地域ではまだ珍しい。しかし、関東の電車の液晶ディスプレイと違うのは、位置がドアの上ではなく中釣り広告のような向きで設置されていることで、転換クロスシートを採用している同車ならではの配置だ。
思った通りの満員で 座席は全て埋まっているが、幸い、私の特等席である運転席後ろの窓は空いていた。子供のように窓の前を陣取る。
山科を発車した新快速はぐんぐん加速し、長いトンネルを一気に通過する。トンネルを抜け、新幹線やたくさんの線路が寄り添ってきて、京都着。ここでもたくさんの人が乗る。
さすがにギュウギュウ詰めで、旅情はどこへやら、すっかり都会の通勤電車の雰囲気だが、座席がクロスシートなためか、東京近郊の通勤電車とは風景が異なる。
さて、京都を出た電車は、一気に加速して速度が100km/hを越える。新幹線の線路をくぐるあたりで、先発の各駅停車を追い抜いた。速度は110km/h。これはいいぞと思っているうちに、さらに各停を追い抜く。テンションが上がってきた。
長岡京を通過する。ここは、一度は遷都されたこともある街だが、新快速はそんな事を気にも留めず、一気に通過する。この辺りから、速度は120km/hとなる。もうすぐで最速速度になるだろうから、前と計器類を交互にニラメッコする。
新快速は、駅を通過する際も ほとんど減速しない。関東の優等列車は、ホームドア設置駅だとしても多少は減速するものだが、関西の新快速は、それこそ100km/h超で通過するので、乗っている方もスリルがある。通過線側には金属製の柵が設置されているものの、列車ギリギリを歩く人がたくさんいるので、なかなか怖い。中には、柵ではなくロープで遮っている駅もあって、自殺の名所にならないのが不思議なくらいである。
また、踏切だってある。私は、以前は湖西線のような完全高架でないと高速運転ができないものと思っていたが、全くもって訳が違う。踏切も一瞬で通り過ぎてしまう。
そのうちに、ついに新快速の最高時速である130km/hに到達した。なんとも痛快で、京阪間で阪急と京阪に圧倒的な格差を作ったという速度を体感する。223系の登場によって新快速は130km/h運転が実現でき、京阪神を結ぶ私鉄各社は速度面ではJRに太刀打ちできなくなったという。当初の223系の開発は近畿車輛だが、近鉄グループの同社は、近鉄に文句を言われた、などという逸話もあるくらいのいい電車である。関東ではJR東日本のE231系やE233系がいい電車と言われ、関東VS関西のように223系とE231系が比べられることもあるが、個人的には両者を同じ土俵に並べないで欲しい。まあ、私は223系贔屓なので言うことも偏ってはいるが。
ミュージックホーンを鳴らしまくって、混雑する高槻駅に着く。京都から たったの15分くらいなので、さすがに速い。
そこから さらに走って、大阪に着く。京都から約30分。姫路まで乗っていたくなるが、ここで降りる。なんだか、再び新快速に乗りに来そうな予感を抱きつつ、225系とその後ろに繋がっている223系と別れ、私は人でいっぱいの階段を降りた。
という訳で、大阪駅のコンコースへやってきた。先述の通り、大阪へは毎年のように来ているので知らない場所ではないのだが、今回はかなり人が多い。いつも来るときはラッシュ時から ずらしているからで、こんなに人が多い時間は恐らく初めてだと思う。大阪は関西の一大ターミナルなので人が多いのは当然だが、少々場違いな思いに駆られる。
取り敢えず、みどりの窓口に行って時刻表を拝借し、予定を立て直そうと思う。さすがに私の記憶だけで半日を過ごすなんて、危険すぎる。
そう思って、有人改札から外に出た。が、振り返って電光掲示板を見ると、8時57分発「しなの9号」の表示がある。この「しなの9号」は、1日に1往復しかない大阪発 長野行き特急で、通常は長野と名古屋を結んでいる特急「しなの」が大阪まで延長運転されるという便である。存在は知っていたが、実際に見るのは初めてである。しかも、この便は今年のダイヤ改正で大阪~名古屋の延長運転が廃止されるという。となると、大阪駅のホームに「しなの」の383系が入るのも後わずか。これは見ておかねばと思い、私は来た道を引き返した。さっき通ったばかりの有人改札を再び入ろうとするので、係員が変な顔をしているが、気にせず私はホームへ向かった。
↑「しなの9号」発車間際の電光掲示板。こちらもピンぼけになってしまった。同駅での「長野行き」の表示は異色の存在だったが、2016年春のダイヤ改正で見られなくなってしまった光景である。
エスカレーターに乗ってホームへやってくると、意外と人が待っていて、しかも みんな大きな旅行かばんやキャリーバッグを持っている。案外 利用者が多いなと思いながら、私は電車の到着を待った。こんなに利用者がいるなら廃止にする必要も無いと思うが、こういうのは廃止が発表されると急に客が増えるものである。
そして発車10分前くらいに、丸みを帯びた先頭形状の383系電車が入線してきた。大阪駅のホームに停車している姿を見るのも、これが最初で最後であろう。
ところが、扉が開いてもホームの停車位置に長い行列を作っていた旅行客は、一向に乗る気配が無い。どうしたのかと思って、ホームの電光掲示板を見ると、後続の列車は北陸行き特急「サンダーバード」となっている。どうやら、この人々は北陸へ向かう客らしい。やはり、北陸方面に比べれば、大阪から長野へは人の流れが少ないのかもしれない。関西から長野へ行きたければ、名古屋までは新幹線で行くのが一般的なはずで、わざわざ在来特急で行く客が少ないのも頷ける。JR東海としても、「しなの」より新幹線の利用客が増えたほうが ありがたいはずで、この大阪発「しなの」が区間廃止になるのも納得はできる。
そんな訳で、「しなの9号」はまばらな客を乗せて出発を待っていた。しかし そうは言っても、383系を見るのは始めてではないし、風景も名古屋辺りで見るのと変わらない。特別な感慨もなく、私は「しなの9号」の出発を待たずにホームを後にした。
みどりの窓口で時刻表を拝借する。私が愛用している時刻表は「JTB時刻表」なので、みどりの窓口に置かれている「JR時刻表」の勝手が分からず、少し時間を要した。取り敢えず、9時頃の大阪環状線外回りに乗ろうと思うが、さすがに環状線の時刻までは書いていなかった。
このあと、鶴橋から近鉄特急に乗ろうと思っている。先述の通り代金は3千円弱で、一般的な18キッパーなら絶対にやらなそうな手段だが、私はどうしても乗る必要があった。私が今回の旅行で乗ると決めていた列車は、湖西線、新快速、大阪環状線、快速「みえ」なのだが、これらを全て欲張るためには、速い近鉄を活用せぬ訳にはいかなかったのである。大阪環状線の201系は、近いうちに置き換わるという衝撃的なニュースが入っていたので、是非とも乗りたいと考えていた。なので、近鉄特急で巻く案は、これらに全て乗車するための苦肉の策だったのである。この3千円を払わないと、どこかの線区が抜け落ちてしまう。
それにしても、201系が置き換わるなんてびっくりである。JR西日本はJR東日本と違って、あんまり頻繁に車両の置き換えはしないから、まだ当分は残すのかと高を括っていたが、やはり国鉄勢も淘汰される時代が来たということか。そうは言っても、JR東日本が201系を全廃させて何年も経つし、結構 大切に使ってきたなという感はある。
↑ついに大阪環状線からも引退が決まった、201系電車の参考画像。撮影日は旅行日と異なる。筆者撮影
そう思いながら大阪環状線ホームへやってきたが、入ってきた電車は223系の京橋行き。201系に乗りに来たのに、これに乗っては無意味である。223系は好きだが、この場においては やり過ごす。
次の電車は天王寺行きである。行き先が「環状」でないと201系が来ない可能性もあるが、あんまり時間もないので、何便も見送る訳にはいかない。そう思ったが、入線してきた天王寺行き各駅停車は、オレンジ色の201系であった。サイリスタチョッパ特有の走行音を聞くべく、私はモハの車に乗る。私は“音鉄”ではないのだが、サイリスタチョッパ制御の電車は減りつつあるし、聞いておきたいと考えていた。
201系は、1年前に環状線で乗ったのが最後で、その時に電車置き換えのニュースを知った(中刷り広告に書いてあった)。まあ、全て置き換えるのには当分かかるだろうし、まして置き換えはまだ始まっていないから、あと何回かは乗れるだろうが、それでも乗れてよかったと思っている。
9時近い電車は空いていて、私は青いロングシートに腰を下ろした。走り出した電車は、ブーンという独特の音を出していた。前に乗ったときはサハの車だったので、聞けなかった音である。
そんな訳で、鶴橋までやってきた。距離にして大阪から7.7km、所要時間は20分弱。大阪環状線の3分の1周に相当する。どうせなら1周丸々したいところだが、時間も押しているので先を急ぐ。
鶴橋は大阪有数のコリアンタウンで、韓国料理店や韓国の雑貨店が軒を連ねる街である。以前来た時は、韓国風のもつ鍋を食べた。
駅は割に古く、高架の環状線はコンクリートが煤け、薄暗い箇所もある。JRと近鉄の改札をつなぐ通路は昭和の裏通り感が満載で、実に興味深い。
券売機で乗車券と特急券を買う。予定よりも1本前の特急に乗れそうだが、大和八木乗り換えであった。近鉄特急は特急同士の乗り換えでも料金は通しで計算され、総延長が日本一長い私鉄ならではである。取り敢えず、「鶴橋→(八木乗り換え)松阪」の切符を買う。黄色い乗車券と、裏が白い特急券が吐き出されたが、ふと時計を見ると発車数分前。慌てて改札を抜けるも、特急がどこから出るか分からずに混乱する。3千円も払って特急に乗り遅れては、目も当てられない。階段を駆け上がって、オレンジの車体の名古屋行き特急に乗ったのは発車直前で、すぐに出発する。電車はビスタカーこと30000系(正式にはビスタEXというらしい)であった。
何も考えずに乗ってしまったので、座席のある車両が遠い。席に座るころには、電車は東大阪の高架を快走していた。
さすがは近鉄特急で、席は大変に座り心地が良い。クッションがよく効いていて、足元には足置きまである。3千円の価値はあるが、それでも18キッパーらしからぬ乗り方であることは変わらない。せめて環状線の電車が変わるなどということに ならなければ、このような乗り方をせずに済んだのだが―――と妙なところを責めてみる。
しかし、おかげで全ての線区を満喫できそうだ。別途料金は痛いが、この“欲張りコース”は まあまあの出来だと思う。
改めて特急券を見る。八木で乗り換える電車には太陽のようなマークが付いているから、恐らくは伊勢志摩ライナーで、八木乗り換えなのを察するに京都発なのだろう。私が乗る予定だった伊勢志摩ライナーは1本後の大阪難波発 賢島行きなので、賢島行き特急は難波発と京都発が交互に運行されるパターンダイヤになっているらしい。なかなか よく出来たしくみである。
大阪と奈良の県境に近づき、山深くなってきた。電車の速度が速いので山岳路線の趣は無いが、割と山は近い。この辺りは生駒山地の南端で、JR関西線と近鉄大阪線は、この生駒山地を避けるために大きく南にせり出した経路になったと言われている。近鉄奈良線が ほぼ真っ直ぐに大阪と奈良を結んでいるのは、長大トンネルの掘削技術が確立されたからで、この問題を解決したことで生駒山地をぶち抜くような経路が誕生した。
そんな山の中を過ぎると、八木はすぐである。周囲が拓けてきて、10時キッカリに八木に到着した。
乗り換えの伊勢志摩ライナーは反対側のホームに停車していて、しかも発車は5分後である。近鉄特急の乗り換えは対面乗り換えが常識で、基本的に階段の上り下りをさせないので楽チンだ。また、席番が出来るだけ前の号車に近いところが選択されるので、歩く距離も少ない。ホームの端から端まで歩くハメにはなりにくいという長所がある。近鉄のこだわりなのか知らないが、これらは近鉄のお家芸で、随所に工夫が織り交ぜられている。
伊勢志摩ライナーこと23000系は、オレンジに近い黄色の新塗装で、レモン色っぽい従来の塗装よりも はっきりとした色合いになっている。新塗装にはこの他に、赤と白の塗り分けもあるが、私はいずれも従来の塗装の方が、伊勢志摩ライナーらしくていいように思う。
平日の10時台の伊勢志摩ライナーは客が少なく、席は大変空いていた。指定席なので混雑具合などどうでもいいのだが、電車は空いている方が快適ではある。
伊勢志摩ライナーは志摩半島への行楽客輸送が主体で、通勤客輸送を担う名阪特急と比べると車内の雰囲気も異なる。観光客に特化した車両なので、ビスタカーよりも窓が大きく、座席もゆとりがある。サロンカーやデラックスカーなど、景色を楽しむに特化した特別席もあって、同じ近鉄特急でもビスタとは全くの別物といった感じだ。
10時05分、定時に出発した伊勢志摩ライナーは、長閑な田園風景を進んでいった。三重県に入って名張を出ると、いよいよ山が近づいてきた。
この辺りはまだまだ大阪の通勤圏で、上本町まで直通の普通電車は もとより、伊賀神戸始発の特急電車も運行されている。青山町始発の快速急行は、朝7時頃まで異常に多く、時刻表を見ていると この辺りが通勤圏であることを思い知らされる。始発(5時ごろ)から6時までは快速急行しか来ないなど、割と通勤客が多いらしい。特急に乗らずとも青山町から上本町まで最速1時間40分程度で行けるので近そうに感じるが、距離にして約80km、2回も県境を超えるのである。なかなか大変な通勤だと思う。
伊賀神戸までやってきた。かつての近鉄伊賀線である伊賀鉄道との接続駅である。この駅は「神戸」を「コウベ」でなく「カンベ」と読むのが特徴で、「コウベ」で読み慣れていると少々読みにくい。また、群馬県のわたらせ渓谷線には同じ字で「ゴウド」という駅もあり、「神戸」は少なくとも3通りの読み方があるという訳だ。
その伊賀神戸駅を過ぎると、またまた山道を行く。この辺りは布引山地で、峠越えの区間である。青山峠という峠をぶち抜く新青山トンネルは、一時期は日本の私鉄最長と呼ばれた長大トンネルで、総延長は5,652mにも及ぶ。是非とも見ておきたい。
この伊勢志摩ライナーには、運転席の後ろに簡易展望室があって、デッキと運転室を仕切る壁が、丸々1枚のガラスになっているのだ。前面展望はもとより、計器類まで丸見えという特等席で、誰でも入ることが出来る。寄りかかるためのポールが置かれ、そこから見る前面展望は臨場感が半端なものではない。普段は小さな子供で賑わうのだろうが、今日は先客はいなかった。
その青山峠に差し掛かる。トンネルが増えてくるが、比較的短いものばかりだ。西青山を一気に通過し、いよいよ新青山トンネルのある区間に入る。
名盤を見逃すまいと思うが、速すぎて よく見えない。再びトンネルが口を開けていて、高速で一気に突っ込む。高速で入ったせいか、耳の奥がツーンとやられた。運転士は大丈夫なのかと思う。
出口が見えない。かなり長く、どうやらこれが新青山トンネルらしいが、名盤を見逃したので分からない。光が遠くに見えたが、それは出口ではなく対向車のヘッドライトで、速度を落とさぬまま一気にすれ違うので再び耳をやられる。
さすがに速い。このトンネル内では名阪甲特急も130km/hで運転するそうだし、この電車も110km/hで運転している。この速度のままトンネル内で電車とすれ違うのだから、耳をやられるのにも頷ける。
普通、列車はトンネルに入るときに、運転席後ろの窓にカーテンを閉めてしまうものだが、この電車は持ち前の前面展望のまま、トンネル区間を走行している。前面展望もサービスの一環、との考えなのだろうが、なかなか大したものである。
やっとトンネルを抜け、山が後方へ遠のいていくと、次の伊勢中川まではすぐである。
伊勢中川は、駅の直前に名古屋方面への連絡線との分岐点があって、地図で見ると三角形を描いている。電車が減速してくると、なるほど分岐点があって、単線が進行方向左側へ分かれていく。その先には名古屋方面から来た名古屋線があって、ちょうどそこから連絡線に、アーバンライナーが入ってきたところだった。賢島行きの特急が通った直後の線路を、連絡線から入ってきたアーバンライナーが平面交差する―――なかなかギッチギチのダイヤである。
ポールにずっと寄りかかっていたので、尻が痛くなってきた。そろそろ座席に戻ろうと思う。指定席を差し置いて前にいるのは損な気もするが、あの臨場感はなかなか楽しめない。私は満足して、座席に戻った。伊勢中川の次は下車駅である松阪である。この大きな窓は、伊勢市から先のオーシャンビューで効果を発揮するのだろうが、私はオーシャンビューを楽しまぬまま下車する。鳥羽まで行けば、これから乗る快速「みえ」に始発から乗れるだろうが、できるだけ節約したいところだ。3千円も別料金を支払っておいて節約と言うのも、矛盾している気はするが、敢えて気にしてはならない。11時01分、松阪着。
さて、私はこの駅から快速「みえ」で名古屋へ至る予定であったが、予定よりも1本前の近鉄特急に乗れたこともあって、時間に余裕があった。この駅の周辺を散策するなどして時間を潰してもいいのだが、幸い数分後に発車する鳥羽行きの紀勢線普通列車がある。私は跨線橋を大急ぎで渡って、JRのホームに行き、エンジンを震わせて発車を待っていた気動車に乗り込んだ。車両はキハ11形で、JR東海管内の非電化区間では主力車両である。最近では、JR東海管内の非電化区間には、313系電車そっくりの最新型気動車 キハ25形が投入され始めていて、国鉄型や旧型の気動車は淘汰されているようだが、このキハ11形は当分走るのではないかと予想している。特にこの形式に思い入れは無いが、画一化が進むJR東海の車両の中でも活躍し続けてくれればとは思う。
↑関西線キハ11形気動車。筆者撮影
↑キハ11形とともにJR東海管内の非電化区間運用に就くキハ48形。国鉄型ゆえ、引退も近いと思われる。筆者撮影
近鉄特急から乗り継いだ身には、気動車が相当遅く感じられる。それもそのはずで、さっきの特急は100km/h超の高速運転を行っていたが、この形式はそんなスピードが出せない。80km/hくらいで、山道や田園地帯を行く。車両は1両編成のワンマンカーで、本線とは思えないような風情を出している。
どこまで行こうかと思う。せっかくなら鳥羽まで行きたいが、参宮線は時間が掛かるので、快速「みえ」に乗り遅れてしまうだろうから、2つ先の多気まで行くのが妥当である。それはそうと、「多気」とは凄い名前である。気が多いなんて字だが、語源は何なのかと思う。「タキ」と言われると貨車を連想してしまうことは秘密だ。11時14分、多気着。
多気駅は、紀勢線と参宮線が分かれる駅で、構内は割と広い。使われているのか使われていないのか分からないような線路が、何本も敷いてある。駅はなかなか古びていて、消えかかった看板、朽ちた跨線橋など、哀愁漂う風景が興味深い。
お伊勢参りが国民の習慣であった時代は、さぞかし賑わったことだろうか。関西線や紀勢線には、このように不必要に大きな駅が多く存在する。かつては多気駅も長大編成の臨時列車が乗り入れたりして、この広大な構内をたくさんの列車が出入りしていたに違いない。今では1~3両編成の列車しか発着しないので、持て余し気味の古線路は手持ち無沙汰な様子である。
今では、志摩半島への観光も、お伊勢参りも、ほとんどのシェアが近鉄に持って行かれた。参宮線・紀勢線と関西線は、速くて価格も安い近鉄に全く歯が立たない。電化路線で本数も多い近鉄線に軍配が挙がるのは当然で、近鉄に対抗するために登場した快速「みえ」も、近鉄には敵わないと言わざるを得ない。
そうは言っても、私は快速「みえ」を気に入っていて、去年乗ったばかりなのだが再びここまで来てしまった。先述の通り、私は速い列車が大好きで、ディーゼルカーが100km/h超の高速で運行するところは圧巻である。
さて、ホームで快速「みえ」を待っていると、特急「南紀」が入線してきた。丸みを帯びたディーゼル特急で、高山線の特急「ひだ」に使われているのと同じ車両である。3両編成の列車は7割くらいの座席が埋まっている。
その特急と、後続の普通列車を見送ると、11時半を回った。その数分後、定刻通りに快速「みえ10号」が入線してきた。使用されるキハ75形はJR東海 自慢の高性能で、ディーゼルカーながらも350馬力もあり、速度は特急並みで、多気~名古屋の所要時間は特急と変わらない。近鉄に負けまい、というJR東海の意気が伝わって来るような列車である。
車内は転換クロスシートを採用しており、車両中央部には簡易デッキも設けられている。また、指定席(座席は普通席と同じ)もある。
私は座席に腰を下ろした。松阪や津 辺りで混んでくるのだろうが、ここではまだ空席が多い。11時34分、多気発。
↑快速「みえ」に使用されるキハ75系気動車の参考画像。撮影日は旅行日と異なる。筆者撮影
車掌が、「途中で伊勢鉄道線を経由するので、一部の企画乗車券(=青春18きっぷなど)をご利用の方は精算が必要です」としつこいくらいに言っている。伊勢鉄道は、紀勢線の時間短縮のために作られたバイパス線で、亀山経由よりも近道だ。津から途中の河原田という所を結んでいて、運賃は510円である。
私はそんなことも知っているから、回ってきた車掌にお金を出すと、車掌は「松阪を出るまで待ってください」と言う。
列車は山道を快調に飛ばし、さっきの気動車とは比べ物にならないような速度で快走する。7分くらいで松阪まで戻ってきてしまう。駅の直前で近鉄の各駅停車と並走する。ここからは すぐ近くを近鉄が通っているので、本格的に競合区間に入る。
松阪を出て、津に到着する直前に車掌が回ってきた。今度こそ精算を、と思ってお金を差し出すと、車掌は「念のため、18きっぷの日付を確認させてください」と言う。失礼なと思ったが、それもそうかと思い直し、きっぷを見せる。当たり前と言われればそれまでだが、ずいぶんと厳格である。
510円を支払い、レシートのような伊勢鉄道の乗車券をもらう。ここに限らず、JRは車内できっぷを買うと必ずこれで、ペラペラした味気ないきっぷである。津駅では、確か窓口で硬券も売っていたはずなので、そちらを買われることをお勧めする。
津に到着する。私が以前 快速「みえ」に乗ったのはここからで、伊勢鉄道線内での高速運転に感銘を受けたのだった。伊勢鉄道線に乗り入れるここからが本領発揮である。
津を出ると、しばらく紀勢線の線路を走った後、進行方向右へ分かれる。急に加速してくるこの辺りからが伊勢鉄道線で、高架のスラブ軌道は北越急行ほくほく線のような雰囲気である。非電化区間なので頭上はすっきりしており、複線化するための用地も確保されているようである。交換待ちが無くなれば、さらに所要時間短縮に繋がるのだろうが、そんな工事をするほど本数が多いわけでもない。
列車は三重県の平野部を、110km/hで走行していた。通過駅は全て1両分の小さな駅なので、一瞬で通過してしまう。なんとも痛快で、快速「みえ」を心から楽しむ。
鈴鹿を発車すると、伊勢鉄道線もクライマックスである。鈴鹿川を渡ると、進行方向右側に四日市のコンビナートが見えてくる。四日市は次の停車駅で、すぐそこだ。
河原田付近の立体交差で関西線と合流し、頭上に架線が現れる。関西線の亀山~名古屋は電化されているので、ここからは電化区間である。313系と、よくすれ違う。
…と思っている間に、さっきまで遠くに見えていたコンビナートが、真横に付く。四日市は目前で、巨大な工場の中を進んでいく。景色はJR鶴見線だが、本線の風格を見せる複線の線路が、また違った雰囲気を醸し出している。
四日市はコンビナートによる大気汚染問題があったことで知られ、当時は空までも汚れていたと言われている。それから何十年も経った今、コンビナートからたくさんの煙が立ち上っているのは変わらないが、空は青い。実際には煤煙なども混ざっているのだろうが、ここから見る分には綺麗である。
赤と白のシマシマの煙突、薬の錠剤のような形の石油備蓄タンク、引込線にたくさんの貨物列車を止めている工場、すべてはコンビナートに固有の風景である。列車はそんな工業地帯を、減速することなく進む。
四日市を出ると、コンビナートから離れ、あとは一気に名古屋まで向かう。近鉄の線路や貨物駅などを横目に見ながら、愛知県に入った。
途中駅で運転停車をする。1分ほど待つと、反対側から特急「南紀」がやって来て、真横を通過していく。この辺りは単線で、急に交換待ちが増えてくる。電車を待っている人が、扉の開かない列車を前に神妙そうな顔をしている。
駅の待合室の広告が目に入った。新幹線の高速化を宣伝している広告で、JR東海の管轄内であることを実感する。JR東海の管内では、駅でも車内でも新幹線の広告が目立つ。「東京へお出かけの際は、速くて便利な東海道新幹線をご利用ください」という宣伝文句は、JR東海の合言葉みたいなもので、あちこちに書いてある。
その後、各駅で交換待ちを繰り返し、もはや実質的に各駅停車になっていた。貨物列車や普通列車との交換待ちで停車したときは、「どうして格下(?)を待たねばならないのだ!」と苛立ってしまう。ここまで順調に来ていただけに、残念である。
線路が増えてきて、ビル群が乱立してくると、次の名古屋まですぐである。結局、桑名~名古屋を40分以上もかけ、他の便よりも5分くらい余計に時間を要した。13時10分、名古屋着。
ここまで来れば、あとは完全に帰路で、東海道線を乗り継いで関東地方の自宅まで戻るだけである。東海道線は全国屈指の大動脈で、電車はバンバン来るので安心だ。
13時17分の豊橋行き新快速に乗る。当然ながら使用車両は313系。電車は非常に混んでいて、私は またまた運転席後ろの窓を陣取る。
さて、JR東海の新快速は、英語表記は「New Rapid」。一方、JR西日本の新快速は、英語表記が「Special Rapid」となっている。前者は直訳すると「新しい快速」で、後者は「特別快速」である。同じ種別でも英語表記が異なるなんて面白いが、そうなっている理由は簡単で、JR東海の東海道線には「特別快速(=Special Rapid)」が別に存在するからで、それを区別するためである。「New Rapid」で英語圏の人に意図が伝わるかは謎であるが、そういう事になっている。
名古屋を発車した電車は、金山を経てビル群から遠のくと、ベットタウンの中を進む。しばらくして複々線から複線になるが、脇に用地や電柱が確保されていて、複々線化工事の真っ最中と言った感じである。新幹線の隣を進みながら、高架を120km/hで進む。新幹線が脇から追い越していく。この辺りは そこまで高速運転はしないはずだが、それでも180km/hくらいは出ているはずで、早々に追い抜いてしまう。大府で電化されて間もない武豊線と分かれ、刈谷まで来る。少し都市から離れた雰囲気になり、宅地とともに田畑も見えるようになる。新快速は120km/hで東海道線を快調に進み、新幹線駅である三河安城を通過する。新幹線の駅を通過するとは、実に痛快であるが、その代わりとばかりに次の安城に停車する。
岡崎を経て次は蒲郡である。この電車は豊橋行きだが、次で降りようと思う。豊橋で接続する浜松行きの各駅停車は、蒲郡で乗り換えても同じ電車なのである。そう思った私は、蒲郡で新快速と別れ、反対側に止まっている またまた313系の各駅停車に乗り換えた。こちらは大変 空いていて、私は水色の転換クロスシートを押さえることが出来た。14時ちょうど、蒲郡着。
ここから先は、言ってしまえば退屈な道中である。速い電車が大好きな私からすれば尚更で、絶景ポイントもあることにはあるが、全体的には退屈である。
三河三谷に着く。蒲郡を発車して間もないのに、早くも眠くなってきた。忘れかけていたが、昨夜の高速バスで寝不足である。これに2日間の疲れも相まり、また、春の昼下がり、窓際の座席で日差しをまともに受けていれば―――3拍子揃った、眠くもなる……。鉄道旅行中に昼寝とは何事かと言う人もいるだろうが、私の旅行は大概 どこかで寝落ちしてしまう。
それはそうと、これで気づいたら往復してきて蒲郡、という事態では洒落にもならない。紀行文のネタとしては素晴らしいが、逆にネタにしかならない。さらに欲を言えば、浜名湖も見ておきたい。絶景というほどの景色でもないが、琵琶湖を見た日の昼間には浜名湖を渡る、とは、なんとも感慨深い旅ではないか。
そう思ってはいたが、いつのまにか眠っていたらしく、愛知御津あたりからの記憶が無い。ハッと思って気づいたら、新居町を発車した直後だった。ギリギリセーフ、私は普段から寝起きの良い方では無いが、今回は偶然、グッドタイミングで目覚めた。新幹線と道路が両脇に近づき、鉄橋で浜名湖を渡る。一見すると やや大きな川のようで、日本で10番目に大きい面積を誇る湖沼、という意識も出ぬまま、渡り終える。その後は寝落ちせず、14時57分、浜松着。
浜松で、13分後に発車する各駅停車に乗り継ぐ。問題なのは席に座れるかどうかで、私は扉が開いた瞬間にホームへ飛び出すと、向かい側に停車中の熱海行きに駆け込む。電車は またまた313系電車であるが、座席はロングシートで、覚悟していたものの落胆する。取り敢えずは進行方向右側の座席に腰を下ろす。後から人がたくさん乗ってきて、席はすべて埋まり、立ち客で視界も遮られる。
静岡地区の東海道線の車両は、(特に通勤時間帯の)混雑が非常に激しいため、転換クロスシートではなくロングシートを採用している。これから2時間半以上も乗りっ放しだと言うのに、ロングシートは少々辛い。稀にボックスシートの車両が来たりするが、今回はご縁が無かったようである。15時10分、浜松発。
ロングシートでは、外の景色を見るのもままならない。多少無理をして、背面の窓から景色を見ようかと思ったが、隣の客にカーテンを閉められてしまった。スマホをいじっている客で、画面を見るのに眩しかったのかもしれない。
さて、いよいよ やることが無くなった。鉄道旅を楽しむことすらできない。そうなってくると昼寝しか出来ないが、眠気は吹っ飛んでしまった。
静岡まで来た。この駅で客が入れ替わるが、車内の混雑はだいぶ緩和され、隣の席も空いたのでカーテンを開ける。さて、静岡では約10分の停車時間があるので、何か飲み物でも買ってこようと思う。カバンを座席に置いて、車外へ出て売店は無いかと探す。大きな駅なので売店はあるはずだが、見つからない。10分停車とは言え、私は心配症なので探し回りたくない。手近な自販機で済まそうと思う。コーヒーでも買おうと思ったが、その自販機には置いておらず、お茶と炭酸飲料しかない。仕方なく、静岡らしく「静岡茶」というのを買う。柱に隠れた売店の存在に気づいたのは、電車に乗り込む直前であった。
後ろに211系電車を連結して16時29分静岡発。お茶のペットボトルは至ってシンプルなパッケージで、オモテ面には「静岡茶」の文字とお茶っ葉の絵が描かれているだけである。メーカーの名前も書かれていない。
ウラ側を見ると、販売者の欄には「ジェイアール東海パッセンジャーズ」。やられた! またまたJRに金を払ってしまった。昨日から、JR系の企業ばかりにお金を落としている気がするが、気のせいだろうか? 売店を見つけられなかったのを悔やむしかない。
興津を過ぎると、一気に視界が開け、国道1号が脇に付き、高速道路がオーバークロスしてきて、かの有名な薩埵峠を通る。ここは、歌川広重の「東海道五十三次」の中で「由比」の題で描かれた場所であり、東海道一の絶景とも称される景色である。駿河湾と富士山が一直線上に並び、上りの東海道線に乗ると、ちょうど真正面に富士山が見える。しかし昔は「親知らず子知らずの難所」とも言われた東海道の難所の一つであり、旅人泣かせの地であったという。
ここは、歌川広重の描いた東海道の景色を現在まで残している地としても知られる。国道1号、東海道線、東名高速という、現代の3線の大動脈が並ぶ風景は江戸時代とは大違いだが、広重ブルーとも言われる駿河湾と、その先に見える富士山の姿は健在で、現在も多くの人々に愛でられている。
私は昼間の東海道線に乗ったのは久しぶりなので、この景色もご無沙汰なのだが、幸い今日は晴れていて、富士山も頂上までくっきりと望むことができる。富士山と、その下の穏やかな駿河湾が美しい。
静岡県側から見る富士山は、駿河湾側にコブのようなもの(宝永山)が付いた形に見えるのが特徴で、関東から見るのとは違った眺めである。
薩埵峠を過ぎると、しだいに富士山が進行方向左側へ移り、右側に座っていた私の真正面に見える。遮るものが少なくて眺望が美しいが、他の客はというと、みんな下を向いてスマホに夢中である。そんな車内の光景は どこへ行っても変わらないが、もったいないことである。まあ、恐らくはこの景色を見飽きてしまったのだろうが、それはまた羨ましい。先頭寄りで、初老の登山客風の5人が、カメラを向けるなどして騒いでいる。
富士山を進行方向左側に付けたまま、富士に着く。ここは製紙業の町で、大きな製紙工場を横目に見ながら富士を発車、それからしばらく走り、富士山がやや後方へ回った辺りで沼津に着いた。
沼津は御殿場線との接続駅である。御殿場線は丹那トンネルが開通する以前の東海道線で、同トンネルの開通に合わせて支線へと転落した。当時の名残で、不自然に大きな構内の駅や複線跡の用地などが各所に残されている。また、沼津駅構内には機関区があったときの名残で電留線があり、373系電車などが体を休めていた。以前は371系電車が止まっていたりしたが、特急「あさぎり」の沼津~御殿場 部分廃止により、姿を消した。なお、同車両は小田急20000系とともに富士急行に転属し、第二の人生を歩んでいる。表富士から裏富士へ転属とは面白いので、狙ってやっているのかと思うが、とにかく そういうことになっている。
三島まで来た。次に函南という駅があり、その先が先述の丹那トンネルである。私は丹那トンネルを見ようと思い、席を明け渡して運転室後ろの窓を陣取った。3枚ある窓のうち、進行方向右側の窓はトンネル区間でもカーテンが閉められないだろうと思い、そこを陣取る。案の定、他の窓はカーテンが閉められ、三島を発車した。
函南駅の目の前が丹那トンネルの入り口である。函南を早々に発車した電車は、一気にトンネルに飛び込む。またまた、耳がツーンとする。
さすがに長い。総延長7,804mで、開通当初は日本で2番目に長い鉄道トンネルだった。掘削はかなりの難工事で、大量の湧き水はもちろん、地形的な問題が進捗の阻害要因になっていた。というのも、このトンネルは活断層である丹那断層を横断しており、しかもトンネル工事中の1930年にはこの断層を震源とする北伊豆地震が発生するなどした。この他にも4つの大きな断層地帯を貫いていて、かなりの困難を極めたに違いない。
途中で対向列車とすれ違ったが、電車は313系でなくE231系であった。朝夕に出現する三島直通の便だが、ずいぶん戻ってきたな、という感がある。
トンネルを抜け、山と海に囲まれた熱海に着いた。この駅は地形的な関係でエスカレーターと階段がホーム中央に1つあるだけの構造なので、乗り換え客で大混雑である。せめて対面乗り換えが出来ればいいのだろうが、営業上の会社境界であるためか、対面乗り換えはほとんど行われていない。
そんな訳で混雑した通路を抜け、東京方面行きの電車が停車するホームへやってきた。私は車両後方を猛ダッシュして、ボックス席を押さえた。車両はE231系で、座席はかなり硬い。
さて、この電車は上野東京ライン経由の普通電車 深谷行きであるが、深谷行きとは珍しい。高崎線の運転系統では、普通 一つ手前の籠原止まりが多いので不思議だが、昨日の高崎線運休が尾を引いているのかとも思う。ともあれ、深谷行きの電車が存在するところを見ると、高崎線は復活したようである。
熱海~小田原は海が比較的近く、天気が良ければ相模湾のビュースポットである。18時近くで薄暗いが、かろうじて海が見える。先ほどの薩埵峠でも思ったが、並行する国道1号と東名高速の橋脚が海岸線に大きくせり出していて、景観を台無しにしている。道路から見たほうが海はよく見えるのだろうが、ここから見ると道路が少々邪魔に思えてしまう。
小田原に着いて、ここで数分間の停車である。この旅もクライマックスである。と思った矢先、駅の自動放送がこの電車のことを「上野東京ライン 籠原行き」と案内している。はて、この電車は深谷行きだったはずだが、と思って駅の電光掲示板を見ると、確かに「籠原行き」になっているのだが、列車の行き先表示には「深谷」と書かれている。お? 食い違っているぞ?
そう思った私は、柄にも無くおせっかいになって、車掌に尋ねてみると、車掌は「この電車は深谷行きで合っていますよ」とあっけらかんと言った。駅の放送では籠原行きと言っている、と食い下がるも、明らかに疑いの視線を送られた。鉄道マニアがいたずらをしに来たと思っているのかもしれない。そして「後で調べてみますから」と気の無い返事をよこされ、私は仕方なく席に戻る。私は突っかかる思いを抱きつつも、駅と車内の案内で行き先の異なる奇特な電車で、小田原を発車した。
その数十分後の平塚を発車した。件の案内は何事もなかったかのように籠原に変更されていたのには面食らった。
今は通勤時間帯に入っている。大船を過ぎた辺りで、乗客も増えてきて、私で独占状態だったボックス席も他の3人分の座席が埋まった。横浜を過ぎ、東京方面に近づくにつれ、混雑も増してくる。山手線の沿線に入れば、相当な混雑になるのだろう。もう、ほとんど日常生活圏で、この旅もクライマックス。だが、ここまで来ればもう安心、1時間やそこら遅れたって大丈夫である。ここからは、東海道線の太いパイプに身を任せていれば良い。私は、車窓を流れるビル群の明かりをぼんやりと眺めながら、早くも次の旅行について考え始めていた。
―完―




