新しい始まり
私は未だ、宗を直視できなかった。
私が悪いわけではないのは、分かっている。でも傷ついてる宗に、無傷な私は余りにも不釣り合いだった。
足の一本、腕の一本が折れていたら、私は宗に話しかけて、あげられたのだろうか。
小さい頃から、家族ぐるみで宗と付き合っている。少し気が弱いけど、他人を第一に考えて、一生懸命だった。
私が落ち込んでいる時も、周りにバレないように無表情をしてるのに、宗にすぐ当てられた。
あの笑顔で、私にいつも話しかけてくれた。
私は病室を飛び出した。
「おーい、雫。どこにいくんだ?」
「あー、トイレに行ってくるの!来栖はもう少し空気読もうよ」
「あ、便所か。わりぃわりぃ」
私は、早歩きでトイレへと向かい、一番奥に入った。
人は皆、生まれながらにして個人差はあるものの、魔力を持っている。治療の魔術は、患者自身の魔力に順応させながら、傷に治療を施す。
他人の魔力で無理矢理治すと、拒絶反応が起きて、体内から壊すことになる。
そして、宗はあの塔の事故以来、魔力が無くなったのだ。つまり、魔術での治療はできない。
涙が頬を伝って、手の甲に落ち、垂れていく。
コンコンとノックされた。
他のトイレは誰も使ってないのに、どうしてここをノックしてくる?
「すいませーん、あなたに用事があるんですが」
男性の声だった。
「変態っ!」
「嬉しい言葉ですね」
女子トイレに入って、使用者に暴言を吐かれて喜ぶ知り合いはいない。
「……宗君を助ける方法を教えるために、あなたに会いに来ました」
「信用できません」
「ですよねー。でも、私は塔の事件について、真実を知っている。世間一般では、空中で塔が消失し、あなたを含めた五人が、空から降ってきた。までしか知りません。しかし、実際は宗君がその塔を壊した、というより消滅させたのです」
「……遠くから、見てたんですか?」
「はい、そうなんです。私は、国の安全を裏で支えてきた組織の一人で、宗君のあの特殊魔術を是非、私達の所で活用させたいのです」
信じるには情報が少ないし、私みたいな一般人に対して、頼むのはお門違いだ。
「帰ってください」
「……残念です。もし、私に力になって欲しいことがあったら、電話をお願いします」
ドアの隙間から、電話番号が書かれたメモの切れはしが出てきたので、一応貰っておいた。
「それでは、失礼します」
「ちょっと、あなた!ここ女子トイレなんですけど!」
昌子お姉さんの声だった。
「間違ったんです、すみません」
「早く出ていってちょうだい!」
駆け足気味で、男は去っていった。
「雫、変なことされてないよね?」
「大丈夫」
「それなら良かった。雫はさ、泣く時はいつも、トイレに閉じ籠って声を圧し殺してたよね。私の胸の中で泣いても良いんだよ」
「いらない」
「姉の胸なんかより、宗の胸が良いってことね」
頬が熱くなった。
「……はぁ!?そんなことない!」
「トーナメントの時に、胸の中で泣いてたでしょ。宗に、めっちゃ嫉妬した」
返す言葉は無く、下を向いた。
「早く告白すれば良いのに。あのミチって子にとられるぞー」
大きな針が胸に突き刺さったような気がした。
「私が宗のこと好きなわけ……」
「あぁ、じれったい!鍵開けなさい!!」
ゆっくり鍵を開けると、勢い良く扉が開かれ、強引に手を引かれた。
「ちょっ……どこいくの……?」
「決まってるでしょ!」
手を引かれて着いたところは、病室だった。
いつの間にかミチは起きており、宗の手を握っていた。
「来栖、龍地君、ミチちゃん、少しの間でいいから外に出てちょうだい」
「あいよー、それに、もう遅いし帰るわ。おい龍地、せっかくだからゲーセンに寄ってこうぜ」
「分かった」
二人は出ていってくれたが、ミチは動かなかった。
「……側にいたい」
「ミチちゃん、少しで良いから、お願い」
昌子お姉さんがミチに対して頭を下げた。
『バーーカ』
私と昌子お姉さんは目を丸くした。
『てめぇらはどっかに行きやがれ。宗君にはアタシ一人で十分なんだよ!』
こんな柄の悪いミチは知らない。
「えーと……あなた、ミチちゃんだよね?……あ、もしかして二重人格とか?」
『アタシはもう一人のミチだよ。なんか文句あっか!?』
「よし、こっちの性格なら無理矢理連れ去っても、悪い気しない!」
そう言うと、昌子お姉さんは嫌がるミチを抱えて、病室から出ようとした。
『なにしやがんだ!離せ!宗君の傍にはアタシがついてないと「はーい、黙って黙って」
ジタバタするミチの口を手で塞ぎながら、昌子お姉さんは出ていった。
病室に、私と宗の二人だけになる。
差し込む光は色の濃さが増し、病室が暖かいような気がした。
私はベッドの側にある椅子に座った。
「宗、あなたが寝て一ヶ月が経った。クラスメイトも、龍地も、私も心配してる。早く元気になれ……。……涙が出てくる。あー、回りくどいのは、やめよう。…………私、宗のことが好きだ。どうしようもないくらい」
外で風が強くなり、落ちた桜の花びらを舞い上がらせる。
「子供の頃から、いや、初めて会ったときから好きだったのかも。私が起こしたあの事件のせいで、宗が他人と仲良くなることを避けて、私を頼るようになって複雑な気持ちだった。……でも……もう、大丈夫。…………次は私が救ってあげる」
病室の扉が大きな音をたてて、開いた。
『おいコラ!アタシの宗君になんもしてないよな!?』
なんだろう。こういうミチはギャップ萌えというのだろうか、とても可愛く見える。
『急に頭なでなでするな!』
「もういいよ。宗の側にいてあげて」
『あ、う、うん』
私は病室から出て、ミチにさよならを言った。
「もう大丈夫みたいね。姉の私は頼りになるでしょう?」
「うん、お姉さんでありがとう」
「………………ちょっと待って!いきなり笑顔は反則だって!」
私は早歩きで、病院から、夕焼けに染まる町へと溶け込んでいった。
○●○△▼△
「つーわけで、今日は生徒会の仕事を始めようと思う!」
「とっくの前からやり始めてるよ。来栖がしてないだけ」
俺は少し不服ながらも、席につき、書類に目を通し始めた。
せっかく大変そうな昌子のために、言ってあげたのに、今日は機嫌が気持ち悪いほど良くて、叱られることが無いのだ。
ドアが控えめな音をたてて開いた。
「……すみません。掃除と日直と調教に時間がかかって遅れました」
「今、変なワード入ってなかった!?」
俺が全力突っ込みをしても、結衣は不思議そうな表情をした。
結衣は一年生の生徒会書記である。小柄な体格ながら体力には自信があり、派手な事が意外に好きな女の子だ。
「はいはーい、オレも掃除と日直と校舎裏に呼び出されて、遅れましたー!」
「また、告白されたのか……」
結衣の次に現れたのが、二年生の後輩だが、イケメンで色々と生意気な泰我という男である。
「いや、違うっすよー。結衣ちゃんに呼ばれたんす」
「えー、なになに?二人付き合っちゃうの?」
恋沙汰になるとすぐに、昌子は首を突っ込みたくなる。
「それも違うっすよー。オレと結衣ちゃんはぐへっ!」
結衣ちゃんが、かかとで泰我の爪先をグリグリと押していた。
「泰我先輩、あまり口に出しちゃダメですよ。……あとでお仕置きね」
最後の方は小さな声だったから聞こえなかったが、人に言えないことは沢山あるだろうから、見逃しておこう。
「あいつはまたサボりか……」
「そのあいつって、いったい誰なんですか?私、まだ見たときが無いです」
「あぁ、根は真面目なんだが、学校に縛られるのは嫌だってサボってるやつなんだよ。たまにあいつの力を借りなきゃいけねぇときがあるし、更正の意味も兼ねて生徒会に入ってるやつ。名前は明智冥治郎だよ」
「縛られるのが嫌……調教のしがいがありますね」
「今、なんて言った?」
「なんでもないです」
「それなら言いんだけど」
現実逃避から離れて 、目の前の書類と対峙するか。
視線を書類に戻すと、さっきまでは無かったはずの紙の切れ端があった。
メモを読むと、
『今日の深夜一時に職員室に向かえ』
と書かれてあった。