原作と何かが違う
俺が編入するクラスはB組。別にどこのクラスに行こうが知ったことではないが、これもゲームのご都合主義というものだろ。設定が全ての世界だからな。
この学校(古原木)には世間一般的と言われる式典はほぼ行わないようで、クラス担任が言伝するらしい。ご苦労なことだ。B組の担任はゲームだと確か久能沙月、設定では20代としか書かれていなかった謎多き女である。
そして話が長いのが特徴、まるで年増のすることが趣味であり特徴。
そういうわけで、俺は今B組の教室の前に居るのだ。
「それにしても…ゲームとはいえ細部まで作られているのだな……」
クラス内で担任の教員がぺらぺらと話す声が聞こえるが、それは俺と何かしらの関係があるわけではない。あるとしたら既に俺の紹介を終えているはずだ。だから暇である。
広い廊下に俺一人がぽつりといるので暇つぶしになるものがない。さきほど漏らした感想もただのため息と等しかった。
「ゲームの世界に居た主人公も、こんな感情を持っていたのだろうか…」
改めて立場が変わってみると、こうも違うものか…。次からはなるべく早送りで進めてみることも検討しよう。…なるべく。
『――以上、ほかに伝えなきゃいけないことは……。あっ、そういえば一つあったかな』
っと、急に教室の雰囲気が変わった。外にいるから詳しい詳細は不明だが、長年の勘からそんな気がした。まぁ、恐らく転校生紹介だろう。何回もこのイベントというかパターンはプレイしてきたからな、予測というより予知…よりかは正解を知っていただけのこと。
『何と…今学期からみなさんの学友が一人増えまーす!』
やはりこのフレーズか。シナリオ通りに生徒たちの騒ぐ声を聞こえてくる。
そしてこの後教室に入った瞬間、あの犬(犬介)と妄想壁女(梢)がバラエティ並のずっこけを見せる。ふっ…オチが見え見えなのだよ。
『はーい、入って来て』
やっとだな。
さぁて、あの哀れな2人のリアクションを生でみるのが待ち遠しい。
早く見たいがここで勢いよく開けるのは得策ではないのでゆっくりと扉をスライドさせる。いざ、B組へ。
『初めまして貴女のプリンス、仁谷でございます』
……何が、何が…起きているのだろうか。整理させてくれ、俺が教室に入ったら目の前に犬(犬介)が片膝でひれ伏していた。…何なのだ一体。こんなイベント『みんな幸せで文句あるか』に有ったのか?もしかして隠れイベントなのか。
どうやら俺の予測は当たったらしく、選択肢が出てきた。
【よく分からないので無視する/話しにくいので面を上げろ、と言う/邪魔なので蹴る】
これは俺の考えとは別に表示されるのだろうか、確かにこいつが邪魔だとは思っている
いきなり蹴ろう、とは思わない。いくら魔界の王といっても無差別に暴力を振るうほど非道ではないと自負している。ここは、無難に無視する、だ。
選択肢を1に脳内クリックした。すると…
『ま、待って。無視しないで、我がプリンセスよ‼』
文字通り『犬』のような歩き方で迫ってきた。気持ち悪いので、後ずさりしようとしても脚が動かない。まさか…これが1の選択肢の結果なのか?
『もう一度、もう一度私めにチャンスを――』
「くっ……‼」
鬼気迫る犬、丁度俺の脚に触れるか触れないかのタイミングで、救世主が現れた。
「どりゃあぁぁっ‼」
『きゃいん!?』
そしてナイスと云わんばかりのキックを犬にかました。動物の方の犬だったらひどく罪悪感を覚えるが、相手が犬なので問題ない。犬は見事黒板下の壁にもたれかかっていた。
「まったく、油断も隙もないわね…。ところで大丈夫だった?」
ナイスキックの張本人は軽くホコリを掃う仕草を見せた後、俺に近寄ってきた。
……ん?よく見ればこいつ長月梢じゃないか。妄想が趣味の女だ。
それにしてもこんなルートがあったとはなぁ、隠れルートに一発目から当たるとは俺も運がいい。
「あぁ、助かった。すまなかったな」
「あいつ見境なく女の子に告白するチャラ男だから気を付けてね、君みたいな可愛い子はすぐ狙われちゃうから…… ね」
どうしたのだ、今の会話の中には何も不自然なところなど無かったのだが。
「君…」
何を言うつもりなのだ。まさか俺が魔王ということに気が付いた、とか…。
生唾をごくりと呑み込み、梢の発言に備える。
「……って呼んで」
…は?
おい、よく聞こえなかったからもう一度言ってくれ。
「私のことお姉さまって呼んで‼」
はあぁぁぁ!?
「ほら、遠慮なく私のことをお姉さまって呼んでいいのよ!」
犬の這いよりを防いでくれた恩人、長月梢が突然こんなことを言い出した。
当然の様に俺はフリーズ、一日で何回固まれば気が済むのだろうか。
「さあ、さあ!」
この世界も主軸は設定。固まり中の俺のことなどお構いなしで展開が進むのだ。
リアルタイムといえば響きが良いのかもしれないが、実際に体験してみるとイライラの連続。自分の意見など通している暇がない。コントローラーのボタンを押せばポーズ画面になる機能がどれほど便利なものか、改めて実感した。
「あ、もしかしてお姉さまよりお姉ちゃんの方がよかった?それなら好きな方で構わないわ。カモンッ!」
白色の人肌をした民族みたいなノリで手を広げてくる梢。梢が独り言のように喋っている間、俺は魂の抜け切った生物のように只々黙っていた。
あぁ、俺はこんなに哀れな性格の持ち主に100時間もかけていたのか…。裏ルートの梢が残念で仕方ない。
「……断る」
「えぇー!?そんなぁ…せっかく可愛い転校生が来て生きる希望が見つかったっていうのにぃ…」
随分と重い負担を命じられたな、俺。先ほど犬を蹴った時なんてCGショットにできるぐらい輝いていたぞ。
「うぅ…私の桃色パラダイス計画がぁ」
…うわ、ついには泣く真似かよ。演技派だな、おい。正規ルートでも梢が泣くシーンは告白後だけだった。妄想癖のお蔭で強靭なメンタルを持っていた筈だが…。
…もしやこれは俺のギャルゲー力が試されているのか。ならば…よし。選択肢がないから泣き止ますことに専念しよう。
「あー、そのだな…。俺が梢をお姉さまだとか呼ぶのが嫌とかじゃなくて、梢だけを特別扱いするのが嫌いなんだ。だから…その、泣きやんでくれ」
…取りあえずこれでいいのか…。この言い訳というかセリフは正規ゲーム、つまり主人公が男の時に使われた。このめ・ひのめが主人公・井槌に自分たちの事は『ひののん・こののん』と呼んでくれ、と言われ恥ずかしさを回避する為にとっさにでた(らしい)言葉。
使いどころさえ間違わなければ、こういう場面でも使えるので汎用性が高い。
しかし言う側も結構恥ずかしいな、自動的なのか顔が熱い気がするぞ。
さて、苦し紛れの言い訳にも近いが…梢はどうだろうか。
♦ ♦
梢視点。
「…断る」
がぁーん、こんな可愛い子にそんなことを言われるなんて思わなかったよぉ…。
しかも断り方が「断る」の一言だけなんて…余程私をお姉さまって呼ぶのが嫌なのね…。
あ、でもロリ少女体系なのに男っぽい口調なんだ。自分のこと『俺』って言ってる…可愛いなぁ、どうしても私のことをお姉さまって呼んでほしいし…。うーん、何か良い策は無いかな。…土下座でもする…ううん、そんなことしたら犬と同類じゃない。私は出会ってそうそう王子様宣言するような変態じゃないわ。そうよ、自信をもちなさい淑女・長月梢。
わたしだって、やればできるのよ。
「えぇー!?そんなぁ…せっかく可愛い転校生が来て生きる希望が見つかったっていうのにぃ…うぅ…私の桃色パラダイス計画がぁ」
どうだ、必殺・泣き落とし。妄想に更ける日々で身に着けた技、とくとご覧あれ幼女よ。
っとと、本音も一緒に出てしまった。
さあさあ、どうでるの。おろおろしちゃう、それともあやすの。
「あー、そのだな…。俺が梢をお姉さまだとか呼ぶのが嫌とかじゃなくて、梢だけを特別扱いするのが嫌いなんだ。だから…その、泣きやんでくれ」
…鼻血出してもいいですか。いいですよね、だってしかたないじゃないですか。
顔真っ赤のロリ少女が男口調で不器用ながらも言い訳ですよ、萌えの最上級・萌えすと認定ですよ。今のシーンをビデオカメラに撮っておけばよかったわ。
…あれ、今このロリ少女私のことを梢って……。もしかして――。
♦ ♦
先ほどから梢が黙ったままだ、もしかして失敗だったか…。そうだよな、実際の恋愛とゲーム内の恋愛を一緒にしてはいけないものだ。今回はゲームにしてやられたな。
裏梢ルートの攻略はこれでまた一つ難易度が上がった。ルート変更も考えなければ。
と、おれが善からぬことを考えているのが分かったのか、梢が急に近づいてきた。
魔王姿の俺であれば簡単に気配で気付くのだが女の姿が今。危機察知能力など持ちあわせてなどいない。
そして、不意に―――梢が片膝をついた。出会いがしらの犬である。
更に、口がゆっくり開いたかと思えば…
「私の名前、知ってるの?…もうっ、このツンデレめ。私の名前を知っているぐらいだからきっと私に気があるのね!?あぁー、やっぱり可愛いわぁ」
脳内の妄想を次々と言葉に並べだしたのである。俺が今まで会った生物の中で一番恐怖を感じた瞬間であった。
・・・・・・
・・・
・
『はい、それじゃあ改めて転校生の紹介です。どうぞ~』
やっとか、犬と梢が暴走した所為でかなり無駄な時間と労力を費やした気がする。
しかしその奇行を止めに入らない久能も担任失格である。HRの時間は少ないのだから。
それともあれか、ルートのシチュエーション確立のための特別な時間進行か・
っと、今は自己紹介だったな。
「…えぇと…」
違う、俺はこの世界では魔王とは別の存在だ。この名前を使うには違和感があるし、設定と反してしまう。設定を変えたら世界が崩壊する、という恐ろしいことにはならないかもしれないが、このめ・ひのめが『紅炎熾』の姓を使っているので俺は必然的に『紅炎熾』の姓を使わなければならない。
えぇと、『みんな幸せで文句あるか』では男だったから参考にならない……。
いや、一つだけ手段が残っている。オールクリアをした後に出てきた特別ルート、そこでは生き別れた姉に出会うという摩訶不思議なルートがあるのだ。この情報は全プレイヤーの一割未満にしか知られていない。
そして、その生き別れになった姉が確か…。
紅炎熾神流。
名前を借りようか。
「失礼した。…紅炎熾神流、よろしく……」