±の好感度
―――ね、ねえね』
『――て、朝だよぉ』
何やら周りが騒がしいな、俺は寝ていたいのだ。昨日だって空間移動魔法に魔力を多量消費してしまった所為で、体が重い。しかも人間界の特別な重力下に充てられているのだ。
つまり何が言いたいかって?簡単だ、俺は今、聞きなれない声の主に起床を促されて苛立っている。
しかし本当にわからん…。俺を起こしに来る者なんて美冬ぐらいしか考えられない。だが美冬はもう少し声が低いのだ。では…新しい召使の者だろうか。
俺がそういった思考を働かせている時、再びその声が俺に襲い掛かる。
「ねえねー‼起きてぇ」
「起きないとイタズラしちゃうよぉ!」
イタズラ、か。ルティとシエルが口癖のように言っていたな。
さて、どうしようか。起きるか、起きないか。
【起きる/起きない】
・起きる
仕方ない、このままイタズラをされるがままになるのは癪だ。起きよう。
「朝からうるさいなぁ……起きてるし聞こえてる。せめてトーンを落としてもらいたいな…」
使用人が変わるとここまで目覚めが違うのか。今度から入りたてのひよっこに任せるのは止めておこう。
「おはよう、寝坊助ねえね!」
「寝坊助ねえね、おはよう‼」
…違う。今、俺がいるのはギャルゲー『みんな幸せで文句あるか?』の世界にいるのだ、思い出したぞ。
おかしい。俺の記憶が正しければ昨日この部屋に入った覚えがない。ドアノブに手を掛けようとしたら、意識が途切れた筈だ。…では何故俺はこの部屋に…?
「ねえね、どうしたの?今日はぼぉぉとしてるね」
「あ、もしかして怖い夢とか見たの?」
しかし目の前の二人、確か…『紅炎熾このめ』と『紅炎熾ひのめ』は再び俺を置き去りにするように淡々と話掛けてくる。
質問したら答えてくれるのだろうか。
…取りあえず、質問してみようと思う。
「…このめ、ひのめ・聞きたいことがあるのだが?」
ベッドから体を起こす。慣れない長さと重さの赤髪が持ち上げた体を再びベッドに引きずりおろされる感覚がした。こいつは強敵だ。
「えー、早くしないとみふゆんが怒るから後がいいなぁ」
「そうだよ、ねえね。みふゆん起こると怖いんだからぁ」
あっさりと断られた。そして何事も無かったかのように、2人は話を続ける。
「いいから行こうよぉ、ねえね」
「早く着替えて下来てねぇ」
「何を言って……わぷっ」
ベッドから立ち上がろうとしたら、高速で白い何かが俺に目掛けて飛んできた。
理由は分からないが避けることが出来なかったことが悔しい。あの双子め…。
しかも何食わぬ顔で下へと降りて行くとは、何とも肝が据わっているというか。
「魔界だったら生誕を後悔させてやるところだったぞ……ん?」
俺に投げつけられたその白い何かが、ふと視界に入った。汚れ一つ見当たらない純白のシャツ、黒色の生地に白色の線が入ったチェック柄のスカート。学園もののギャルゲーをやっていた俺は、これらのものが何であるか直ぐに理解できた。そう、“萌え”の一つ、制服である。
「おぉ…これが実物の制服というものか」
初めて見たぞ本物の制服を。なんというか…その、言葉に表すなら『凄い』だ。
手触りは少し悪い良いの中間位だがそれがまた堪らない。
「これは…着るのがもったいないぞ。……着る?」
しまった…肝心なことを忘れていた…。この制服を着るのは誰だ?俺じゃないか。
…待ってくれ、俺は確かに表面上からいったら万人が女と答えるだろう。だが考えてみろ、俺は精神部分は完全に男であって、故に、この制服を着るという行為が凄まじく恥ずかしいのだ。女装趣味なんて微塵も無い。
「…これを着るか、このまま(いつの間にか着させられていたパジャマ)下に降りるか…。
二つに一つ」
無難なところ、パジャマで行った方が精神的に安全策かもしれない。百歩譲って、な。言っておこう、俺の今身に着けているパジャマは物凄く可愛らしいぞ。
ローマ字で『cake』と書かれ、生地の余すところなく様々な種類のケーキが描かれているのだ。どんな趣味をしているのだろうか、それに俺は甘党ではない。
くっ…完全に嵌められた。このゲームはもしかして裏イベントで謎解きでも発生しているんじゃないかと、俺が何十年ぶりの葛藤をしていると一階から『ねえね早くぅ‼お腹と背中がくっついちゃうよぉ‼』とはもり声が聞こえてきた。
要するに腹が減ったのだろう。みふゆん関係ないじゃないか、俺を急がせるための口実だったに違いない、みふゆんさんに謝っておけよ。
はぁ…もう制服を着るしかないようだな。パジャマで降りたらこのめ・ひのめにギャーギャー言われるのが目に見えてる。きっと行儀が悪いとか根拠のないことを言ってくるだろう。そこがゲームだと可愛いのだがな。
俺は渋々Yシャツに袖を通し、目を瞑りスカートを穿いた。
嫌いな食べ物を食べる時に鼻をつまむあれと、まったく同じ理論だと言い聞かせておくのも忘れずに。
―――。
「すまない、色々と立て込んでな…」
階段を降り、昨日散策したリビングに向かう。キッチンが併設してあったのを覚えていたので、迷う事なく行けた。家で迷子になるなんて二度とするか。
「ねえねがやっと…」
「来たぁ」
テーブルには既に着席済みで準備万端と言わんばかりの妹たちが頬を膨らませていた。
元気がないように見える口調だが、実際は良い血色をしているので心配無用。
「まったく…朝食を抜かしただけで力が出なくなるとは情けない」
遅れてきた身分の俺が云うには中々失礼かもしれないが、ゲーム内だから気にしない。
しかも今日はどんな事をしても好感度には影響がないから、ある意味好き放題だ。
忘れているようだが、これはギャルゲーの世界である。
「うえぇん、みふゆーん」
「ねえねが苛めるよぉ」
なんだ、みふゆんさんとやら人物はすぐそこにいるのか。どれ、名目上だが兄…この姿では姉か。姉らしく挨拶でもしてこよう。
丁度、キッチンから顔を出しに来たぞ。
『そんなことより妹様方。今日は早めの登校ではございませんか?』
今聞きなれた声がしたような…。
もしかして、このめ・ひのめが言っていたみふゆんというのは……
「委員会の仕事を遅刻することには関心致しませんよ?」
……予測通り。俺の空間移動に巻き込まれた魔界での専属メイドの美冬であった。
♦ ♦
「美冬、俺のことは覚えているか?」
妹たちが嵐のように去った後、美冬が席に着いたところで話を切り出した。
「はい、勿論覚えております。魔王様に拾われてから今に至るまでの全てを忘れたことなどありません」
「そうか。…美冬、俺は昨日部屋に入ろうとしたところから記憶が無いのだが…何か知らないか?」
皿に盛られたベーコンエッグとトーストを食べながらの会話。行儀が悪いが、今は疑問だらけで困惑中。気にしていたら頭の容量がバグを起こしそうだ。
美冬は『そうですね…』と言い、コーヒーを口に含み俺の質問に答える。
「魔王様は昨日部屋の入口でお倒れになっていました。何度も呼びかけましたが反応が無かったため、恐縮ですがベッドにお連れしました」
美冬曰く、俺は意識が無かったとかそんな単純なものではなく、精巧に作られた人形の様だったらしい。魂が抜けたというか何というか。
俺をベッドに運び終えたら、早速情報収集に励んだようだ。
だから美冬が今、俺と同じ制服を着てその上にエプロンを着けて主である俺と共に食事をしていることに納得がいく。
「…あの二人はやはり」
「妹様方ですね。シエル様とルティ様、それぞれの魔界での記憶や自我が無いところから、別の存在であることは明らかです。あのお姿も、変身後にそっくりでしたし」
要するに、空間移動魔法によってゲーム内に連れて来られた物は俺(魔王)とメイドの美冬、そしてルティとシエル(謎の発光生命体)ってわけか。そして副作用を受けたのが女体化した俺と中身を失った2人…。美冬は変化無しっと。何故だ。
「情報はどれくらい集まったんだ?」
それにしても今の美冬の情報量はどれくらいなのだろうか。妹たちの登校時間を知っていることから大よそは知っていると見える。
因みに、俺はイベントなどの情報ならほぼ全て覚えている。
「手さぐりで探しましたからご期待に添えるようなものはあるかどうか……。ですが、ゲームの初期段階での事象は見つけることができました」
初期段階、ということは…大体の人物の把握や初日イベントの辺りだな。
確か…初期イベントは俺、というか転校生の紹介だった。
こんな内容だ。
♦ ♦
一般的な大きさの教室、隣り合う机で二人の男子がとある話について話題を盛り上げている。
「聞いたか犬介、今年の新学期から転校生が来るってさ」
先にこの話を振ったのは落ち着いた雰囲気を持つ大人っぽさと少年らしさの中間、まさにマージナルマンといった男子生徒。八王子蒼
そして、彼が話し掛けているもう一人の男子生徒というのがニックネーム3種類の持ち主。仁谷犬介イヌ・G・精神無敵生命体、などを持つ自称みんなの王子様。ギャグ要因との声も。
決して苛められているわけではないので、安心してほしい。
「転校生…だと?」
蒼の話を聞いた犬介は『転校生』というワードに過剰なほどの反応を見せつける。
そして椅子から激しく立ち上がり、こう叫ぶ。
「女ですか!?美少女ですか!?女王様ですかー!?」
クラス中の視線を一気に集める犬介。しかし彼の眼には今、自分に優しく語りかけてくる美少女の姿しか映っていないのだ。しばしの視線を送った後、クラスメイトも『またイヌか』と慣れた様子で各々の話を続ける。
つまらない反応かと思ったが、ここで一人の女子生徒が同じように叫んだ。
『何を言っているの、つるぺた幼女に決まっているじゃない!?』
割り込んできたのは、長月梢。妄想の国から来たプリンセス、という異名を持つ危険人物。何故梢が、転校生と聞いて幼女を思い浮かべたのか。理由は簡単、梢曰く妄想の果てにあるものが同性愛らしい。そして個人的な価値観としてロリになったようだ。
重度のフェミニストと重度のロリコンが集まったこの空間は形容しがたい程淀んだ空気が流れている。色で表すなら黒紫色だ。
「タイプは何ですか!?ナースですか!?お姉さんですか!?女王様ですかー!?」
「何言ってるのよ、妹一択に決まってるわ‼」
再び転校生について自分の好みを当てはめていく2人。いや、今回だけは三人だった。
「メイドさんだろがぁ‼」
沈着冷静である蒼まで介入してきたのだ。人の好みなど様々である事の象徴か。
♦ ♦
これがイベントだ。この後は本来男である俺が出てきて2人が椅子から転げ落ちるというオチがあるのだが、女になってしまった今では大きく変わるだろうな。
「まぁ、このまま家にいるわけにもいかないな。学び舎に行く仕度をしなくてはならないし……」
席を立って二階に上がろうとした瞬間、美冬が突然俺の前に立ちふさがる。
「学び舎、学校へ行く準備なら既に済んでおります。誠に勝手ながら魔王様は学校に行かれた経験が無いと思いまして、私が見繕わせていただきました」
なるほど。俺がいくら学園ものギャルゲーをやっていたとはいえ、実際の学校に行ったことが無いため何が必要か分からない、という算段か。ありがたいことだ、流石は美冬。
「……筆記具?なるほどこれをもっていけばいいのか」
渡された鞄を確認すると、ペンケースやらノートやらが入っていた。これが学業に必要な物か、なるほど、ギャルゲーの主人公やヒロインの鞄の中にはこれらに類似したものが入っているのだな。ふふふ、これでまた一つ違った視点からギャルゲーを楽しめそうだ。
「それと、もう一つやらなければならないことがございます」
「はぁ?これ以上の準備が必要なのか」
魔界ではすべて城内の一つの部屋で学習を行っていたから準備も何もなかった。しかし人間界ではまだ準備がいるのか。学校で寝泊まりをすればいいものを。
「はい、ですので。こちらにお掛けください」
「座ればいいのだな、ほれ」
「では、失礼しますね」
「………」
「…ふふ」
「美冬」
「はい、如何しましたか」
「何をしている」
「お嬢様の髪を梳いております」
頭に違和感があると思ったら髪に触れていたのか。
「それは学校に行くのに必要なのか?」
「はい。人間界では身だしなみを整えることは一つのマナーでもありますから」
「…それはつまり、今の俺は醜い容姿をしている言いたいのだな、美冬?」
さすがにそこまで言われると傷つく。
「違いますよ、寝癖が立っておりましたのでそれを直しているのです。妹様方は後ろにいらっしゃらなかったのでご指摘されませんでしたよ?」
「あぁ、なるほど。確かに俺は普段から鏡を見る習慣はないからな。髪お長いわけではないし寝癖などきにしたことがない」
「ここは魔界とは異なる文化で満ちております。分からないことや不安なことは私にお申し付けくださいね」
おそらく、髪を触られるのは母親以外では初めてかもしれない。俺のような上位種族は下位のものによる干渉や接触を拒む。普段は無意識に発しているオーラの様なものが安易な接触を拒んでいるが今となってはそれが微塵もない。
それでも他者に触られることはあまり好きではないが、こうして美冬に自然と自分を触らせているのは自分でも理由は分からない。
だからこの一件については、不意にやられたので対処しきれなかった。ということにしておこう。
「助かったぞ、美冬。では向かおうか、学校とやらに」
そう宣言した後、やはり重かった玄関の扉を開け外に出る。
「そうですね、私にとっても勉強に勤しむことができるのは光栄です」
当然だと言わんばかりに美冬が俺の真後ろに陣取った。同じ学校に行くのは良しとしよう、そういう設定なのだから。だけどな、真後ろに立つ行為は止めてくれ。いつもの様に振る舞っているのは分かるが、これではこの前テレビで放送されていた『初めてのお○かい』ではないか。少なくともそう見えてしまう。
もう一つ付け加えるが――
何気なく俺の荷物を持とうとするな。これくらいの重さで辛そうに見えるのか、美冬は。
♦ ♦
私立古原木学園高等学校、ここが俺の通うことになる学校だ。
自由な校風をテーマに掲げる傍ら、生徒一人一人に責任の言葉を植え付けるという
強固な一面も見られるとか。これでは生徒が自由にやり放題ではないのか、といった疑問が浮かぶが問題無用。学校側の意思に応える様に生徒たちもそれなりの秩序を持っているのだ。まぁこの世界がゲームなのでそういう『設定』が絶対だからだろうがな。
そして、俺は今その古原木学園に『魔王』の専属メイドである紫水美冬と共に向かっている。何故『魔王』、としたのかと云うと、簡単に言えば俺は現在『魔王』ではないからだ。
正しくは…魔女王?ゴロが悪いが、そんな感じ。俺は女になってしまっているから。
悲しいことに俺の身体は『魔王』であった時に比べて大分縮んで、世界観が変わってしまった。いつも見下ろしていた美冬の顔がはるか上に見えるし、羽織っていたコートが裾を引きずっている。因みにあのコートは汚れたら困る(一応)のでクローゼットに押し込んでおいた。魔界に変える時に制服のままだと色々と変な噂をされそうだから、捨ててはいない。
「美冬、俺の記憶が正しければお前は2年生に入ると思うのだが…」
学園までの道、通学路を歩いている時に暇だったので美冬にそう問いかけた。
「いいえ、昨晩の調査からだと私は3年生ということが分かりました」
「…そうか」
ふむ…俺の記憶が違っていたのか。それもそうだな。美冬の誕生日は確か12の月、出会った年から逆算すると現在の年齢は17くらいだ。ゲームの設定からすれば3年生が相応だろう。
そしてしばしの沈黙。『魔王』時代からの癖である。決してコミュニケーション能力が無いわけではなく、執務に取り掛かる際の余計な会話を減らした結果がこれなのだ。
沈黙のまま、ひたすらに道を歩いた。
『おはよーございまーす』
『はい、おはよう』
家から歩いて約10分、俺が通うことになる私立古原木学園の前に着いた。校門らしき所にジャージ姿の教員が立って、生徒や他の教員と挨拶を交わしている。ああいう熱血タイプは苦手だ。
しかしあのジャージ教員を避けては通れない。もしダッシュで通り抜けようものなら首根っこを掴まれて至近距離の挨拶地獄である。ゲームの方で選択肢を間違えたらそうなった。
だから――――
「どうなさいましたか、お嬢様?」
前方にある『学園前』と書かれた停留所の看板の後ろに隠れチャンスを窺っている。
「…いや、日光が強くてな」
「何を仰っているのですか、日光が弱いのはアルバートさんですよ」
そういうことではないのだ。もっとこう…な。それとな、美冬。お前まで一緒に停留所の看板に隠れる必要は無いと思うぞ。寧ろ逆効果かもしれん。
はぁ、このまま時間が過ぎるのを待っていても変わらないか。
仕方がない、あのジャージ教員の試練を乗り越えよう。
「美冬、行くぞ」
「はい。(何故、これほど警戒しているのでしょうか…)」
1回だけ深呼吸をして、看板から抜け出す。
ジャージ教員はこちらに気付いていないようだ、よし上手くいってくれよ。
この時俺は心の中で密かにほくそ笑んでいた。何せあのジャージ教員は左方向から来る俺より、前歩に居るピアスをしている男子生徒への指導に夢中だ。
これを絶好のチャンスと言わず何と言えばいいのか。
『ピアスをとれ。校則違反だぞ』
―――勝った。ざまぁみろジャージ教員。
確実な勝利を手にした様に感じた。
――刹那。
『そこの赤髪の君。待ちなさい』
振り返ると、ジャージ教員の顔があった。しかもドアップ。
脳裏に蘇るあの挨拶地獄。一刻も早くヒロインたちと接触したいプレイヤーのトラウマと化す最悪のストーリーだ。せめてもの救いは、この光景をヒロイン勢に見られて『校門で生徒のみんなに見られて可哀そう…』という感情を持たれない、±0の好感度ということ。
頬に伝う生温い冷や汗。どっちですか、といったツッコミにすら返せそうもない緊張感が俺を襲う。
「あぁ?んだよ…」
面倒くさい展開になりそうだ。ゲームの世界だがそれとは違ってスキップもできそうにない。
『君は…見ない顔だね、新入生…は先に登校しているからな。ちょっと職員室まで来てもらおうか?』
「ぉいおい、設定はどうなってるんだよ。俺はもう古原木の生徒じゃないのか?」
ちょっと待て、ストーリーが可笑しいことになっている。
俺が実際にプレイした方だとこの場面で職員室行きになったことは、一度も無かった。
最悪のパターンでも、その場で説教だった。
何故だ…?それにこの状況だったら美冬も同じの筈。だがジャージ教員の目的は俺一人。
『設定?何を言っているのだね、とにかく来てもらうよ』
「くそっ、離せ‼」
ジャージ教員は俺の話を聞く気もないようで、鞄を持っていない右腕を掴んだ。
どうやら職員室への連行は冗談ではないらしい。
俺とジャージ教員の騒動は相当だったらしく、通学してくる生徒の殆どが立ち止まるや振り返るやで大騒ぎだ。口々に飛び込んでくるヒソヒソ話も、一つの合唱の様に聞こえる。
何とかしてこの手を振りほどこうとするが、まったく歯が立たない。イライラしてくる。
すると…
「先生、お嬢様が何をなさったと仰るのですか?理由もなしに職員室へ連れて行くのは些か、乱暴だと思います」
美冬がジャージ教員の手を取り上げて、抗議に入った。
助かった…口が上手い美冬のことだ、1%の勝率さえあればこの状況はひっくり返すかもしれん。この学校の生徒として認識されているらしいからな、信じよう。
『理由か?簡単だよ、この学生がうち(古原木)の生徒ではないかもしれない。だ』
「確かに、お嬢様は殆どの先生方と生徒が見慣れておりません。何故ならお嬢様は今日をもって古原木学園の生徒として登校するのですから」
一歩も退かない美冬。それどころか表情一つ変えずにジャージ教員を論破していく。これで何とかなりそうだ。美冬の手柄だな。
「証拠としてお嬢様の生徒手帳でもご覧になられますか?」
『そんなに云うなら。ほれ、見せんか』
その後の展開は一方的だった。生徒手帳の提出を求められて俺だが、そんなもの持っていない。職員室行きが決定したかのように思えたが、その心配は無かった。美冬が俺の生徒手帳を持っていたのだ。それを見せられたジャージ教員はぐぬぬ…と唸った後、軽い謝罪をし職員室に戻って行った。
圧勝である、流石は美冬。
…ん?何故美冬が俺の生徒手帳を持っていたのだ?
「さ、行きましょうかお嬢様」
「…あぁ、済まなかったな」
まったく、人間という生き物はつくづく理解できん。見ろ、先ほどの騒ぎの所為でギャラリーからの視線が増えてしまった。何が面白いというのだ。
……違和感が。
「美冬、何故俺の呼び方が変わっているのだ?」
これだ。俺は魔王の筈なのだが、いつのまにか『お嬢様』に変わっていた。
「『魔王様』と呼ぶのは違和感がりまして」
何なのだその理由は…。納得できそうで、できない。