ゲーム世界で副作用
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ぐ、…いたた。
空間移動の魔法を唱えていたことは覚えている。そうだ、途中にルティとシエルそれと美冬が入って来たんだ。
不用心に魔法陣を踏むものだから副作用が起きて……といってもこれといって大きな障害は見たところ無いな。目の前で一時的に気を失っている美冬も傷は無さそうだ。
ルティとシエルが見当たらないが、元が発光体だから目覚めが早かったのだろう。俺たちを置いて探検に行ったに違いない。
「ん…ぅう、あぁぁ……」
俺がこの短い間の記憶の模索、状況整理し終わったらタイミングよく美冬が声を上げた。
声といってもうめき声みたいなもので、中々に聞き取りにくい。
少しばかり官能的だが、俺にとってはどうでもいいことだ。
「おい、美冬。起きろ」
「…ぅん……?あの…」
「目が覚めたか。取りあえず…見たところ何も怪我は無いようだな、運のいい奴め」
「は、はぁ…」
何だ、随分と歯切れの悪い返事だな。着地に失敗でもして頭を打ったのか?
まあ、俺も着地時の記憶は無かったから、その線は無いな。無意識の範囲で出来ることではない。
「あの……」
ここで、再び美冬が俺に何かを言いたそうに声を掛けてきた。当たり前か。
しかし歯切れが悪い。本当に無傷なのだろうか。
「どうした?まさか自分が分からないなんて、言うんじゃないだろうな」
「失礼ですが……どちら様でしょうか?」
「……は?」
俺の肩から、あのロングコートがずれ落ちた。
♦ ♦
「なるほど……つまり貴女は魔王様なのですね?」
「ああ、そうだ。魔法は使えないがな」
何故美冬が俺を見た時に『魔王』と見抜けなかったのか。話を聞いてようやく分かった。
なんと、俺の姿は女になっているようだ。しかも人間の、だ。
近くに鏡が無いので自分が今どんな格好なのか分からない。一つだけわかることは、今述べた通りだ。
「ところで魔王様」
「何だ?こんな姿になったのは俺の責任じゃないからな」
人間の女の姿になった要因は、間違いなくあの二人の所為だ。だから俺には何も責任はない。何回も云うが、趣味ではない。他意はないのだ。
「いえ、そのことではございません。…魔王様、ここは?」
「俺のお気に入りのゲームの中だ」
俺は若干違和感のある胸を軽く張って、そう言った。
―――。
「では、あの空間移動の目的はギャルゲームの世界に行くことだったのですね」
「ああ。もう普通には飽きてしまってな」
ひとまず、表情には出ていないが驚いている様なので美冬にこの世界は何なのか、そして俺の目的を話した。美冬は意外と理解力というか、心が寛大らしくすんなりと事実を受け止めた。今の俺の状況ですら容認しているのだ。
「これからどうなさるのですか?」
「取りあえずゲームを進めるしかないな。俺が勝手にクリアするまでは帰れないように設定した」
さて、ここからどうしようか。通常の場合では、ゲームは家から始まるのだ。大体がベッドから起きるところだな。
しかし、今俺たちがいる場所は住宅地の道路。アスファルトという如何にも人間界といった感じだ。さっきから立って話しているが、誰一人住民と会わないことも違和感がある。
「まあ、いい。家に向かうぞ、何かゲームを始めるきっかけでも見つかるかもしれない」
「かしこまりました」
いつまで経っても進展が無いので、ゲームの始発点である主人公の家に向かうことにした。
♦ ♦
物音が一つもしない。まさに閑静な住宅地を歩くメイド姿の美冬と、体格にまったく合わないロングコートと大きすぎる隙間のある指輪を嵌めた俺が歩く姿は、何というか滑稽だ。
俺がやってきたゲームでも見たことが無い。
「美冬よ」
「はい、どうなさいましたか」
主人公の家まで、性格な距離が分からない。だが、今から俺が言おうとしているのはそんな事では無く、もっと重要なことだ。
「…くらくらするのだが、これは人間が受ける洗礼なのか?」
「え……?洗礼ですか?」
「だから…その、脚がふらつく現象だ……」
普段なら絶対に感じることのない倦怠感、しかもこれが下半身という限定的な部位だ。これがゲームの世界なのか?だとしたらゲーム内の人間は常日頃この重力下で生活しているのだな…。そういう経験が無いから分からん。生まれた時から浮遊魔法を掛けられていたからか。
「……」
「み、美冬?」
止めろ、そんな目で俺を見るな。この体が悪いのだ。あの姿の俺ならこんな重力下であっても問題ないのだ。というか美冬はよく耐えられるな、人間には感じない特別性なのか?
「魔王様、飴がございますがお食べになりますか?」
「頂こう。……はっ」
な、何なのだ今の気持ちは。美冬の口から飴というフレーズがでた瞬間、俺の意識とは反して声が出た。口調はいつも通りだったからまだいいものを、もしこれが俺らしからぬ口調だったらどうなっていたのだろうか……想像するのも恐ろしい。
何が起きたというのだ。
「やはり…魔王様は身体的な部分に加え精神的な部分までも若干ですが、後退しているようですね」
「なん…だと?この俺が、容姿は愚か中身まで人間の幼女になっているというのか?」
「はい。事実、魔王様は今とても眠たそうなお顔をされています」
つまり…俺は魔王という感情・思考を兼ね備えた幼女になった、ということか。
素直に喜べないし、喜んでいいのかも分からない。いや、喜びを表したら俺は魔族としてもマズい気がする。
「私の手伝えることなら、何なりと申してください。魔王様の容姿が変わろうと、私は貴女のメイドなのですから」
嬉しい言葉だ…だが、今字体がおかしかった気がする。『貴方』ではなく『貴女』に見えた。
一刻も早く、俺がどんな状況なのか確忍したい。
そのためか結局、美冬に背負われ家に向かうことになった。
むぅ…おんぶ、というものは不思議なものだな。初めての感覚だが、何故か懐かしく感じてしまう。ふあぁ…眠気まで襲ってくるとは。
「魔王様、失礼ですがお眠りになるのは後で、でお願いします」
「美冬…君は意外と厳しいのだな……」
「今の魔王様は私の妹に見えますからね、それに私は魔王様の家となる場所の所在を存じておりません。なので案内をしていただきたいのです」
失礼なことを言われた気がする。
♦ ♦
「ここが、家だな」
「随分と大きな家ですね、城とまでは流石にですが人間界では中々のものですよ」
なるほど、主人公は裕福な暮らしなのか…。そんな設定があったかは覚えていない、寧ろ標準を知らないからな。人間の情勢を知っている美冬のことだから信用していい。
主人公の家は二階建ての一軒家。内装は見えないにしても、外装から判断するに比較的最近造られたものだと分かる。それともゲームにありがちなグラデーション効果なのか。
しかしこれほど立派だと魔城を思い出すな。大きさは全く似ていないが……あ、城にアルを残したままだった。…まあ、あいつなら何とかなるだろう。AAAだし。
「入るか。もしかしたゲームが始まるかもしれん」
――――。
ぎいぃ、と造りに合わない引き音を立てて扉が開く。腕の位置より若干高いところに引手があってより負荷がかかる形で引いた。嫌がらせか。
さて、家の中はどんな内装なのだなのだろう。
期待は大きいのだ、がっかりさせないでくれよ。
「……普通、なのか?」
「ええ、標準の家庭ですね」
内装は美冬曰く、中の上らしい。ややこしいな。
美冬が『日ノ国』という国の風習を教えてくれた。『日ノ国』という国では玄関で靴を脱ぐのが当たり前らしい。城では脱がないから違和感がある。逆に考えれば美冬は『日ノ国』という国の姓を持っている、そうなると美冬は城ではいつもこの違和感を味わっていたのだな。大変だったろう、カルチャーショックというやつか。
玄関で靴を脱いで上がると、真っ直ぐに廊下が伸びている。突き当りを右に曲がると居間という城でいう大広間があった。玄関に近い場所にある部屋は和室と呼ばれる、独特の草の香りがする部屋だ。『畳』といって藺草や藁を編みこんだ厚手のマットレスが敷かれていた。何だか癖になりそうな香り。『日ノ国』の文化の象徴とのこと。
そして、廊下の突き当たりを左に曲がると階段がある。城の螺旋階段を思い出す。
短い、という違和感を覚えるのは贅沢な意見か。
「最初は一階から捜索した方がよいのでは?」
「そうだな…闇雲に探すよりはマシだろう」
一階にある部屋は居間・何の変哲もない部屋×2・和室・キッチン・洗面所・浴室・レストルームだ。
どの部屋にも、誰かが今そこに居たという感じがしない。気配がないのだ。神経を張り巡らせているのがバカなくらいに。
本当にここが主人公の家なのだろうか。
いや、待てよ。姿が変わろうと俺が主人公であることに、変わりは無い。
俺がこの家を俺の家、と認めればそれで済むのだろうか…。うーむ、分からん。
「魔王様、二階に上がってみますか?」
腕を組み、アゴに手を当てて考え事をしていたら、美冬が階段の近くから声を掛けてきた。和室にいたが、家が小さい(俺の感覚)のでよく聞こえた。
「そうだな。二階には主人公の部屋があるからな」
二階に繋がる階段を上がる。
今更気付いたが、俺は男の時の格好のままだ。ロングコートは居間にソファに掛けてあるが下に着こんでいる服はだぼだぼ。しかも体と合わないので裾をひきずっている状態で歩きにくい。
二階はあらゆるものが詰め込まれた一階部とは違って、部屋の一つ一つが広い。
俺の部屋と妹たちの部屋に加え、客室も入っている。
俺の記憶が正しければ、お手伝いさんの部屋もここにあるのだ。現状と当てはめれば美冬の部屋となる。
階段を上がると学校の踊り場より大きめの壁なしリビングが現れる。ソファと机、簡易棚に小物が飾られていた。談話室のようなものだろうか。
「…あの部屋が俺の部屋となるのか」
壁なしリビングの左側にはベランダに繋がる廊下が伸びており、部屋に通じる扉も左右にあった。
そして、ベランダよりの部屋。そう、そこが…――――このゲームの始まりを告げる何かが隠されている。
…かもしれない、と俺の第六感が告げている。