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6.化学室に呼び出される



 入学初日のホームルームは生徒達の自己紹介と明日からの簡単な予定の通知、教科書配布であっさりと終了し、田崎先生そこはもっとのんびりゆっくり時間をかけてねっとりとやってくれてよかったのに、とわたしは落胆した。

 明るいお喋りとともに皆が帰る準備を始める。いやー。皆様お悩みがなさそうで羨ましいですこと!

「お疲れ、真野。野球部見に行くんだろ?」

「おう。お疲れー。お前は……化学室だっけ? また明日な」

 恨めしさを顔に貼りつけながら振り向くと、小金丸友春少年がこちらに気付いて優しく微笑む。彼はすでに鞄を持っていた。

「八木原さん、一緒に行こうか」

 どこに? とか馬鹿な質問はしない。

 したいけど。

 一方野球の道具が入っているとおぼしき大きなバッグを手にした真野忠司少年は、同情をありありと込めた視線をわたしに向けた。

「ええと、八木原さん頑張ってな」

 何、を、頑張れと?

 わたしは力なく笑い、真野君に手を振った。

「ありがとう。真野君も部活頑張ってね」

 はぁー。超憂鬱。

 なにが憂鬱なのかって? それは愚問というものだわ。

 二時間ほど前、二年生の金髪不良を突き飛ばして危うく秘密の暴露を防いだわたしは、残念ながら教室からいらぬ注目を浴びたことで自らの失態を悟った。エマージェンシー! エマージェンシー!

 いやいや待てよ、今の暴挙についてはいくらでも言い訳がきく!(ちょっと目眩がしてよろめいたとか、耳元で卑猥なことを言われたとか!)まずはこの金髪の口を封じなければ!

 前の席の黒髪眼鏡女子の突然の行動にぽかんと口をあけた真野少年と小金丸少年を尻目に、わたしは慌てて教室を出た。そして金髪不良の安西とかいう馬鹿の腕をがしっと掴んでぐいぐいと窓際に引っ張る。

「ちょっと! 留年してるとか大声で言わないでよね!」

 わたしは金髪に小声で抗議した。

「普通そういうのは気付いてもそっとしておいてあげるのが人情でしょ!」

「ああ?」

「いいから、わたしはこれから何事もなかったかのように高校生活をやり直そうとしてるの! こっちはあんたが髪の色を紫にしようが鼻で煙草吸おうがまったく興味ないんだからそっちもわたしの生活に変な波風立てないで! 今度話しかけてきたらあんたが煙草吸ってたこと先生に言うわよ!」

 頭に血が昇ったわたしはそう一方的にまくしてた。しかし困ったことに周囲の状況に注意を配っていなかったのである

「留年?」

 と投げかけられた声に背筋が凍る。

 ああああこの二人の存在忘れてたあああああ!

「へぇー。八木原さん留年してるんだ?」

「留年? お前みたいなちんちくりんがなんでまた?」

 ぎぎぎ、とたてつけの悪い扉みたいにして振り向くと、そこには楽しそうに笑う王子と疑わしいものを見るように顔をしかめる熊が立っている。

「ええええええええええと!」

 考えろ考えろ考えろ。

「いやいやいやわたしってば実は留学してて安西君とはモロッコ時代に知り合って!」

「へぇ?」

 駄目だーーーー!

 どう聞いても嘘だし! てゆうか嘘だし!

 もう駄目だ。これでわたしが留年しているということは全校生徒の知るところとなり、後ろ指さされ友人の一人もできずに下を向いて過ごし高校生活を悲惨な思い出として記憶に刻み付けることになるんだわ。うううできることなら今朝からやり直したい! リセット! リセットおおお!

「お前らもう教室に入れー」

 ……おやおや? 向こうからやってくるのは丸くてうっすら禿げた頭に眼鏡をかけてスーツに身を包んだどう見ても職業的教師ではありませんか! もしかして担任だっていう田崎先生!? 救いの神!? だとしたらわたし今この瞬間から数学の下僕になります!

「なんだお前ら、一年の教室で何やってるんだ?」

 と安西達に気付いた先生が顔をしかめる。

 そうですよね! こいつら本当一年の教室で何やってるんですかね!

「いやちょっと懐かしいクラスメートに会ったんで挨拶してただけっすよ」

 しかしわたしの目の前にいる金髪がそう答えると、先生は一瞬考えるように目を細めてから「ああ」と言った。

「そういや安西も去年A組だったか?」

 ちょ、このセンコー。留年の留の字でも出しやがったら数学は一生赤点とって補習もさぼったあげく授業ボイコットすんぞ。

「ならなおさら自分の教室に戻れ。人の再出発を邪魔するな」

 あああああ先生! やはりあなたはわたしの神です! ゴッド!

 すると金髪は意外とあっさりと息を吐いて「はいはい、わかりましたよ」と踵を返した。どうやら大人しく教室に戻る……のか? なんか右手にある渡り廊下を渡ろうとしてるけどそっちに二年の教室はないよ!

「安西!」

 と先生は呼び止めたが金髪はそれを無視して廊下の角に消えてしまった。

「さて」

 と残った王子が言う。

「僕達はきちんと教室に戻ろうか玄」

「かったりぃなぁ。俺もさぼろうかなぁ」

「申請書に須磨の名前書かせるんだろ?」

「あ、そうだったそうだった。やー、あいついると本当便利だわー」

「じゃあ先生失礼します。八木原さん、またね」

 と王子は礼儀正しく挨拶をしてなにやら意味ありげにわたしに微笑みかけると、熊を促して教室の向こうの階段を上がって行った。二年生の教室は、この校舎の二階にあるのだ。

 あれ……? マジで悪夢の高校生活危機を完璧に回避できたの……?

 わたしがそれを呆然と見送っていると、ぽんと誰かが肩を叩く。

「大丈夫か?」

 心配そうな顔をした先生に気遣わしげに聞かれたが、わたしは大丈夫ですと答えた。

 これくらいでへこたれてる場合じゃないのです!

 そしてやっぱりその先生はうちの担任の田崎先生で、彼は教室に入ると大きな声で「席につけー!」と言って騒がしかった教室の中を一瞬でまとめた。

 わたしがこそこそと席に戻るとそこにはノートを破ったとおぼしき紙が一枚ぺらりと置いてあって、その時わたしはあの王子の意味ありげな微笑みの意味を理解した。

 そして同時に悪夢の高校生活危機は回避なんてされていなかったのだと悟ったのだ。

『ホームルームが終ったら、小金丸と一緒に化学室へ来るように』

 神経質そうなその字はおそらく行武王治のものなのだろう。

 助けを求めてわたしが窓際の小金丸少年を探すと、ばちと視線があった彼はにっこりと優しげに微笑んだ。

 そして今に至る。のである!






 小金丸少年の後ろととぼとぼと歩いてついていく私は囚人のような気持ちだった。それかドナドナ。

「……小金丸君はあの人達の後輩なの?」

 部活見学や家に帰ろうとする生徒達で騒がしい廊下を、今日知り合ったばかりのわたし達はゆっくりと歩いている。いやゆっくりなのはわたしの足どりが重いからだろうっていうのはわかってるんだけどね。小金丸君はわたしを急かしたりはしなかった。

「そうだよ」

 と彼は振り向いて答えた。

「中学の時の先輩」

「三人とも?」

「いや、行武先輩と綾小路先輩だけだよ。八木原さんはどうして先輩達を知ってたの? 中学遠いんだよね?」

「……今朝、車に轢かれかけたところを助けてもらったの」

「え! 車に!?」

 と小金丸君は立ち止まった。

「なにそれ大丈夫? 病院は?」

 こっちが驚くくらい心配してくれたので、わたしは慌てて両手を振った。

「王治……行武先輩が助けてくれたから膝擦りむいただけで済んだの。保健室にも行ったから全然平気」

「行武先輩が?」

 そう言うと、小金丸君の目がきらきらと輝きだした。

 ……あれ?

 と思ったその瞬間、わたしの両手ががしりと掴まれる。ちょ、なにすんだ。

「すごい! さすが魔王先輩だ! 新学期からいきなり女生徒の命を救うなんて!」

「……」

 はい?

「え? ちょっと待って。魔王先輩って、あっちの熊の方じゃ……」

「熊?」

「じゃなくて綾小路先輩? のこと?」

 そう尋ねると、小金丸君は破顔した。

「あはは。まさか、違うよ。魔王先輩は行武先輩のこと。ここだけの話、あの人中学時代はすごい不良だったんだよ。名前がオウジなもんだから、それをもじって魔王ってあだ名がつけられたらしいんだけど、僕にとっては神様にも等しい人だよ」

 へー。

 うん。この子やばい子だわ。

 とわたしは直感した。

 だって目がすっごいきらきら輝いてる。さっきまで理性的な優等生って感じだったのにただの信者の目になってる。

 てゆうか王子が魔王なの!? あー。そういや車に轢かれかけた時かけられた声が妙に口が悪い感じだったけどあれ素が出ちゃったってこと? え? これからわたし熊と魔王に会いに行くの? それ死ぬってことじゃなくて?

 一気に逃げ出したくなったわたしは、けれど狂信者の手にがっちりと掴まれてて逃げられない! ピンチ!

「八木原さんは安西先輩とも知り合いみたいだったね。三人はこの高校では有名らしいよ。仲良くしておいて損はないと思う」

 いやいやいやいや、今のところ損しか思い浮かびません!

 しかし無情にも小金丸狂信者友春少年はずるずるとわたしを引きずって問題の化学室まで連れてきてくれやがった。ちきしょう。

 少年ががらりと扉を開ける。

「失礼しまーす」

 そしてそこには、熊、魔王、不良の三拍子が揃っていたのだった。




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