立花君の忠誠
「戸田君の真実」、「村上君のリアル」、「江戸川君の靴」、「菅原君の重力」の続編です。
年が明けて、冬のバーゲンが始まったので、最寄りの繁華街にやってきた。
本来バーゲンは、ひとりで行くものだ。
誰かを持つのも待たせるのも気持ちの良いものではない。
私の考えは変わっていないはずだけど。
なぜか、隣にマフラーをぐるぐる巻いた戸田君がいる。
電話がかかってきて、遊びに行こうと誘われて断ったら、アパートまでやってきて無理やりついてきてしまったのだ。
このパターンで強引に押し切られる。
大みそかだって、蕎麦をゆでていたら、大きな海老のてんぷらを持った戸田君がやってきて、食い意地に負けて部屋に上げてしまった。
なぜ、実家に帰ってくれないんだ。
おかげで、戸田君と一緒に紅白歌合戦を見て、戸田君と一緒に除夜の鐘をつき、戸田君と一緒に初もうでに行かなければならなかった。
108の煩悩を取り払ったはずなのに、初もうでの人混みで手をつなぐ理由ができた戸田君は嬉しそうだった。
境内でおみくじを引いたら、戸田君は大吉で私は中吉だった。
その場で「交換してあげる」と言われた。
交換してもらったところで、私の運が変わるわけでもないのに。
バーゲンに来たら来たで、嫌な顔ひとつせず一緒に服を選んでくれて、荷物を全部持ってくれるから、優しくしてあげた方がいいかなと思ってしまう。
「女の子の買い物付き合わされるのは、嫌じゃないの」
「あんたと一緒だから、嫌じゃないよ」
そんな台詞を真顔で言われたら、赤面するしかないじゃないか。
気が付いたら、ケーキをおごってあげることになっていた。
いつも戸田君のペースだ。
それでも、戸田君が幸せそうにモンブランをほおばっているから、ほのぼのした気分になった。
それにしても、私にかまってばかりの戸田君は、他に興味があることはないのだろうか。
「戸田君、将来何かやりたいこととかあるの」
「あんたの旦那」
笑えない冗談を言うので、頭痛がしてきた。
「そういう意味じゃないよ。就職とか」
「P社に入るんじゃない」
戸田君はつまらなそうに答えた。
P社は業界最大手の旅行代理店だ。
元カリスマ社長(今はおじいさん)と彼を支える親族の結束が固い、安定した経営で知られていて、就職ランキングでも上位に入る優良企業だと聞く。
いわゆる、ゴットファーザーの世界だ。
「戸田君、旅行代理店で働きたいんだね」
「別に働きたいとかじゃなくて、強制的に働かされるんだよ。祖父さんが社長だから」
「どこの」
「P社の」
一瞬言葉に詰まったけれど、思い返してみれば、戸田君のマンションは、高級感が溢れていたような。
それに戸田君は、じゃーなるすたんだーどやあめりかんらぐしーで売っているような服をいつも着ている。
見るからに高そうな服をあっさり着こなしているから、密かに羨ましいなと思っていた。
戸田君が履いている靴だって、かわいいと思って、さっきお店でこっそり値段を見たら、0の数が異常だった。
バーゲンなのに、値下げされていなかったし。
ケーキをおごると言ってしまったことを今すごく後悔している。
私は、モンブランを食べ終えて、チーズケーキにまで手を出している戸田君を恨めしげに見つめた。
「戸田君、お坊ちゃまだったんだね」
「金持ちなのは、祖父さん。俺の家は普通だよ。さくらの家なんか、もっとすごい」
そういえば、戸田君の幼なじみのさくらちゃんの名字は、住友だった。
歴史の教科書にも出てくる旧四大財閥だよ。
その名字の人は、お金持ちが多いと聞く。
さくらちゃんは、超お嬢様だったわけだ。
「あんたは俺のお嫁さんになるわけだから、分かっていることは話しておくよ」
お嫁さんになるなんて一言も言ってないけど。
私の心の声をよそに、戸田君は、チーズケーキをつつきながら、語り始めた。
「兄貴が二人と従兄が三人いるから、社長にはなれないよ。英語が得意だから、入社したら、海外部門の方に回されると思う」
「へ、へえ。がんばってね」
私には関係ないけど。
「今は関係ないと思っていても、卒業前になったら、そう思わなくなっているよ」
戸田君は、私の心を読んだかのように言葉を重ねると、不敵な笑みを浮かべた。
「戸田君だって、気が変わっているよ。ずっと私を好きな保証はどこにもない」
我ながら恥ずかしい台詞だと思いつつも、言い返してみた。
戸田君は、動じた様子はなかった。
「俺、一度好きになったものは、ずっと好きなんだ。食べ物とか音楽とか本とか。それに、弟以外の人間をかわいいと思ったのは、あんただけ」
戸田君は、パーマをかけたばかりの私の髪をくるくると指に巻きつけてもてあそぶ。
墓穴を掘ったような気がした。
戸田君に求められているのは分かったけれど、私にはその気持ちが理解できない。
「もっと大人になったら、わかるのかも。かっこいい大人になりたいな」
思わずぼやくと、戸田君が首を傾げた。
私は、かっこいい大人の話をしてあげることにした。
去年最後の講義は、会津教授の最終授業だった。
教授は九州の方の大学に行くことになったそうだから、もう講義を受ける機会はないだろう。
イギリス文学の研究者である教授は、特にシェイクスピアが大好きで、受け持っている講義は、どれも評判が高い。
斯く言う私も教授のファンなので、1年生の時から教授の講義はいくつも受講してきた。
会津教授は、片手が少し不自由なので、立花君という助手を重宝している。
立花君は、教授への物理的な手助けはもちろん、講義中に的確な質問や指摘をして、講義を盛り上げる役目も担っている。
そういうスタイルの講義は、立花君の相当な知識量と教授の強い信頼がなければ、難しいことだと思う。
講義中、教授が何度も立花君の名前を呼ぶので、そのうち私達も教授に倣って立花君と気軽に呼ぶようになった。
立花君は、院生なので、まだ若く、とてもかっこいい男の人だ。
性格も良くて、質問するとレポートの助けになりそうなことをたくさん教えてくれる。
文学部の女の子達には立花君に憧れている子も多い。
だけど、誰にでも優しい立花君が一番楽しそうなのは、会津教授と話している時だということは皆知っている。
だからこそ、あんな噂が出回ってしまったのだ。
夏休みが終わった頃から、会津教授と立花君が付き合っているという噂が流れだした。
周囲の好奇の目にさらされて、陰口を言われている間も、教授は立花君と普段通りの面白い講義をしていた。
会津教授は言いたいことをはっきり言う女性で、40代で教授になったので、元々他の教授からの風当たりが強かったと聞く。
詳しい事情は分からないけれど、職員同士の色々と話し合いがあった後、いつの間にか会津教授が九州の大学に移ることが決まっていた。
伝統のある有名な大学なので、仕方ないといえば仕方ないことなのかもしれないけれど、私はなんだか納得いかなった。
噂が事実なのかは分からない。
ただ、会津教授の講義は文句なしに面白かったし、講義中の教授と立花君は、シェイクスピアを愛する師弟そのものだった。
最後の講義もすごく良かったから、私はこっそり泣いてしまった。
会津教授の挨拶も素敵だった。
「私は、どこにいても、シェイクスピアを研究し続けます。それが私の一番やりたいことです」
教授はそんな事を言った。
そしたら、立花君が急に立ち上がって、大きな拍手をした。
手が真っ赤になるくらい一生懸命だった。
教授は、立花君を見ると、にっこりと笑った。
私は教授を尊敬したし、その場にいるほとんどの学生も同じ気持ちだったと思う。
話を終えると、戸田君は、いつものように私の頭を撫でた。
「かっこいい大人だね」
「でしょ」
私が鼻息荒く言うと、戸田君はクスクス笑った。
「俺は、立花君の気持ちの方が分かるかも」
そう言って、戸田君は、私の頬にキスをした。
「キスじゃないよ。クリームがついていたから取ってあげただけ」
戸田君は、いつも忠犬ぶるのだ。
教訓:
何かに忠誠を捧げることができる人は、かっこいい大人だ
戸田君がお祖父さん(P社の社長)に車を買ってもらったらしい。
「戸田君の恋人」シリーズ、まだ続いてしまうようです。