第8章 悲しき女神のみる夢
今回の話はティナーの過去話です。
ずっと、覚悟はしていたの。
レー兄と彼女を救うこと。
それは死を意味することだって。
でも―。
暗い闇から再び目をにする温かい光―。
そこには、ティナーを守るようにして倒れていた兄の姿があった。
そこから先のことは、ティナーはよく覚えていない。
気がついたときには、彼女と二人、力無く横たわる兄の傍らにいた。
震える指で、兄はティナーの頬に触れた。
「ティナー、ごめんな・・・」
兄の指が、赤い一筋の線を自分の頬に残して崩れ落ちた時、ティナーの心に冷たく重い鍵がかけられた。
―ワタシガノゾンダモノハ、ケッシテコンナケッカデハ・・・・・
―――ナカッタノニ―!
「遅い!」
ティナーがぶすっとした顔で不満そうにつぶやいた。
「そういわれても・・・」
アグリーはふうっと溜息をついて、ガクンと肩を落とした。
アグリー達がやっとの思いでパーティーの準備を終わらせた時には、既に一日が終わりそうな時間帯だったのだ。
不機嫌きまわりないような様子でティナーはぷんぷんと怒る。
「本当だな」
レークスは凄みのある笑みを浮かべて、アグリー達を凝視した。だが、目は全く笑っていない。
「役には立たないとは思っていたが、ここまでとはな!」
「いや、その実は―――」
アグリーの言葉とかぶさって、レークスは声を荒げた。
「言い訳など聞く耳持たん!」
レークスは玉座から飛び降りると、憤然とした顔で玉座の間を立ち去った。
「レークスさんって、どうしていつもあんな風なのでしょうか?」
アクアは手を顎に触れると、はあっと溜息をついた。それを訊いたリアクが呆れたように非難じみた声を上げる。
「あいつはいつも、ああだろうが!」
リアクは興奮さめやらぬ顔でムッとする。
「そうとは――」
「そんなことないよ!」
否定しようとしたアグリーの言葉をさえぎって、ティナーははにかんだ笑顔をアグリー達に向けた。先程までの怒りはどこへいったのか、にこにこと笑みを浮かべる。
「どういう意味なのでしょうか?」
「うーん、とね」
アクアの疑問に、ティナーは頭を悩まし、人差し指を立てながら答えた。
「うーんと、レー兄は優しいよ!」
それだけ言ってとびっきりの笑顔をアグリー達に向けると、ティナーはパーティ―会場へバタバタと駆けていった。
「どういう意味なのでしょうか?」
アクアは人差し指を立てて、不思議そうに首を傾げる。そして、何やら思い出したかのように言葉を続けた。
「でも、そういえば、どうしてティナーさんはレークスさんのことを『レー兄』って呼んでいるのしょうか?」
「そういえば・・・!」
確かにレークスさんよりティナーさんの方が年上に見える。なのに、何故か、ティナーさんは、レークスさんのことを『レー兄』って呼んでいる。
―何でなのだろうか?
神妙な顔つきでアグリーは言葉を呑んだ。
一瞬、アグリーは考え込んでいたが、すぐに頭を切り替える。
いや、まずは、パーティー会場に向かうべきだよな!
そう思うと、アグリー達もティナーの後を追うようにパーティー会場へと向かっていった。
アグリー達が大急ぎで作り上げたパーティー会場は、時間のなさにも関わらず、想像以上の出来だった。室内でのパーティーの準備はどうしても間に合わなかったため、野外にしたのだが、それが功を催したらしい。
満天の星空のもと、レークス達は赤々と燃え上がる炎を囲んでいた。
城からアクアが作ったありったけの料理が運ばれ、歌あり、踊りあり、武芸ありの大宴会状態になっていた。
悪のりして、魔法できついお灸を据えられるレークスの配下の魔族や魔物もいる。
レークスはもうすっかり上機嫌で、ティナーと議論を戦わせていた。
「だぁ――め! 絶対にスノ―ティルの花じゃないと駄目だよ! ねえ、アグリーさんもそう思うよね?」
ヒートアップしたティナーが同意を求めるように、アグリーの肩をトントンと二回叩く。
何でも、パーティー用のブーケの話のことで、レークスさんとティナーさんは言い争いをしているらしい。何でも毎年、この時期には、レークスさんは、ティナーさんにスノーティルの花束をプレゼントするらしいのだ。
アグリーは目を見開き、困ったようにリアク達に助けを求めた。
「そういわれても・・な」
「そうですね・・・」
アグリーの言葉にアクアは同意する。
「そんなの別にスノーティルの花でなくてもいいだろうが!」
めんどくさそうにリアクはつぶやく。
「スル―ティルの花じゃないと駄目なの!」
ティナーの声はさっきより硬かった。キッとした鋭い眼差しでリアクに詰め寄る。おずおずとリアクは一歩後ろに下がった。
「な、なんでだ?」
ティナーの迫力に押されて、リアクの声からは力が抜けている。
だが、それを訊いた途端、ティナーは顔を真っ赤に赤らめながら、頬をそっと指先で触れた。
「だって、ティナーにとって、スノーティルの花は特別なものだもの・・・!」
ティナーは瞳を潤ませて念を押すように言うと、城の方向へと転がるように走っていった。
「特別な花・・か」
ティナーが駆けていった方向をしばらく黙って見つめていたレークスだったが、ガクリと膝をつき、そうつぶやいた。しかし、その声には嫌悪や冷やかしといった調子は一切、含まれていなかった。
屈み込んだレークスは、持っていた白い花を震える手でそっと差しのばしていた。
「ティナー・・・」
白い花びらに触れようか触れまいか迷っているかのように、手を近づけたり離したりしながら、レークスは花に向かって語りかける。
「おまえは、まだ、忘れられないんだな。 いや、決して忘れられるわけがないか。 誰かに置いていかれてしまうことは―――」
その後の言葉は、押し殺すようなつぶやきですごく聞き取りづらかった。それでも、ほとんど偶然に近い幸運で、アグリーはレークスの言葉を最後まで聞き取ることに成功した。
――俺だって怖いんだ・・・!
彼は「しまうことは」のあと、確かにそうつぶやいた。
レークスさんにしては珍しく弱気なセリフにアグリーは首を傾げた。
「どういうことなんだろうか?」と疑念が矢となってアグリーの胸に刺さった。「スノーティルの花」。確か、それはレーブンブルクに咲いている白い小さな花だったはずだ。その花を何故、レークスさんがティナーさんに毎年、手渡しているのだろうか。
何か特別な意味でもあるのだろうか?
そこでアグリーはハッとする。
もしかしたら、ティナーさんがレークスさんのことを『レー兄』って呼んでいることと何か関係があるのかもしれない。
そういえば,ティナーさんだけ、他の人達とは違って魔族や魔物ではなく羽翼人だよな・・・。確か、羽翼人って外界との交流がないため、お互いテレパシーで会話をするって聞いていたけれど・・・・・。
「レークスさんとティナーさん、一体、どうしたのでしょうか?」
アグリーの思考はアクアの呼びかけによって、中断を余儀なくされた。気を取り直して、アグリーはリアク達の方を見つめる。
いつのまにか、レークスはアグリー達の元から去っていた。
「・・・分からない。 だけど――」
それだけ言うと、アグリーは自分が言った言葉を頭の奥で反芻しながら、空に浮かぶ月と星を見上げていた。
城のバルコニーからはラミリア王国を一望することができる。それは広い広いこの大陸全土からすれば、彼女の目に映るものはほんの一部だけなのだろうけど、それでもここから見る景色はここが以前、自分がいた場所とはまるで違う場所なのだということを嫌でも思い出させてくれる。
城からすぐ近くのところには、彼女が先程までいたパーティー会場がある緑生い茂る平原が広がっている。さらにその奥には、深い森が広がっていた。
「ティナー!」
手すりに手をかけラミリア王国の風景をぼうっと眺めていたティナーは、背後からの声に振り返った。そこでハッと顔色を変える。その鼻先に、ふわりと優しく甘い花の香りが漂った。
「・・・レー兄、スノーティルの花、手に入らなかったんじゃなかったの?」
「いや、一輪だけは何とかな」
苦笑しながら、レークスはティナーにスノーティルの花を手渡す。
「ありがとう! レー兄!」
両手で一輪のスノーティルの花を抱えて、ティナーは頬を染めて微笑んだ。赤いツインテールの髪と純白の服が星の光にまばゆく照らされていた。
「ああ」
レークスは少し照れくさそうに頭をかいた。
「――もう、8年も前のことになるんだね。 レー兄と出会ったのは・・・・・」
懐かしそうにそうつぶやきながら、ティナーは物思いにふける。そして、少し悲しげな表情のまま星空をそっと見上げた。
そよそよと心地よい風が彼女の赤いツインテールを揺らしていた。
「私も行く!」
真っ白な雪原が広がる街の中、憮然とした態度で少女はその場に座り込んだ。その近くで、銀色の髪の少年と金色の髪の少女が困った顔を浮かべ、お互いの顔を見合わせている。
「ティナーはここでお留守番だろう? お父さんとお母さんに約束したじゃないか?」
少年が優しく諭すように、ティナーの前にしゃがみこんだ。
「でも、でも、やっぱりここで一人でお留守番なんて嫌だよ!」
駄々をごねるように、ティナーが手足をバタバタさせて叫ぶのを見て、うーん、と少年は唸る。それを見た少女は、真剣な瞳でティナーを見つめていた。
少女はふうっと溜息をつくと表情を崩した。少年もそれを見て、なぜだか不意に、息苦しさを覚えたかのように、はあっ―、と溜息をついた。柔らかな笑みを浮かべたまま、少女は言った。
「・・・仕方ないわね。 一緒に行きましょう!」
「本当!?」
少女の声に弾かれるようにティナーは「わ―い!」と歓声を上げた。少年は一瞬息を止め、すぐに少女に向かって何かを言おうとした。でも、彼が何かを言おうとする前に少女が彼に対して軽くウィンクする。
「・・・一人でいる方がきっと辛いわ」
「リーティング・・さん・・・」
少年はぽかんと口を開けた。
そうか。 リーティングさんは僕達と出会う前は、ずっと一人でいたんだもんな。
「いいでしょう。 レーナティさん」
リーティングは日だまりのような笑みを浮かべた。レーナティは思わず絶句した。
そして――
「うん、わかったよ。 一緒に行こう! ティナー」
「ありがとう! レー兄!」
レーナティーがコクンと頷くと、ティナーは嬉しそうにぴょんぴょんと周りを飛び跳ねまくった。
「はあ・・・」
「ふふ・・・」
「わ、笑い事じゃないよ! リーティングさん!」
頭を抱えながらぼやいたレーナティに、リーティングはくすっと微笑んだ。
だが、すぐに真剣な顔で、リーティングはティナーに諭すように言った。
「でも、魔王城の前までですからね!」
「えっ――――!!」
「城には、魔のミリテリアのデリルと魔王グレイスがいるの。 はっきりいって私達でも勝てるかどうか分からないんです」
「・・・・・」
ティナーは顔を曇らせる。リーティングはすっとティナーの目をのぞきこんだ。
「そんな顔をしないで・・・・・。 私達は、ううん、お父さんもお母さんも、みんな、無事に帰ってきます。 だから、ね」
そう言うと、リーティングは薬指を立てた。ティナーもまた同じように薬指を立てる。
「約束だよ?」
「ええ!」
二人は薬指をぎゅっと握り締める。
「絶対だよ! 嘘じゃないよね!」
「ああ、もちろんさ!」
ティナーの問いかけに、レーナティが代わりに答える。
「約束だよ!」
「ああ、約束するよ!」
レーナティは確信に満ちた表情で頷いた。
「ねえねえ、レー兄」
「ん?」
魔王城へと向かっている最中、ティナーがレーナティの服をぐいぐいと引っ張った。
「レー兄達っていつもどうやってお金を稼いだりしているの?」
「え、えっ――と」
目を輝かせてわくわくしながら問いかけてくるティナーに、レーナティは間の抜けた声を出した。
「そ、そうだな。 まず第一に――」
レーナティは自慢話をするかのように、人差し指を立てた。
「街や村にある家に無断侵入するだろう。 そして、タンスやつぼを調べたりとかだな!」
「うんうん!」
「まあ、例え、誰かに見つかったとしても、とりあえず、『勇者ですから』とか『兵士ですから』とか適当なことを言っていえば何とかなるものだ!」
「うんうん!」
「そして第二に、人助けだな!」
レーナティは指で二を指し示す。
「それで――」
促すように、ティナーは目をキラキラさせた。それを見て満足げにレーナティは言葉を続ける。
「誰か困っている人がいたら助ける! そうすれば、『お礼です』とかいって、その街や村の家宝とかもらえたりするかもしれないしな!」
「わあ―、ドキドキするね。 レー兄」
「ま、まあな!」
ふふんとレーナティは胸を張ってみせた。そんな二人を冷めた表情のまま、リーティングは無言で見つめていた。
―どこまで本気なのでしょうか?
リーティングは首を傾げながら、真剣に悩むのだった。
「ねえ、レー兄、これのどこが徒歩、に、二十分なの。 もう、一時間は歩いたよ!」
城を目の前にして、ティナーは滝のような汗をかきながらぼやいた。
「うーん。やっぱり、魔王の城のことなんて正確にはよく分からないんだよな・・・」
ここまで手にしてきた地図を皮袋にしまうと、レーナティは城を見た。
白い尖塔が幾つもそそり立ち、屋根には旗が風にたなびいている。周りを白い城壁が取り巻き、広さもかなりのものだ。
「すごいね」
「ああ」
城を目の前にしてティナーとレーナティは感嘆の声をあげた。しばらくはぼっ―と城を見つめていたレーナティだったが、すぐにティナーの方を振り向いて言った。
「じゃあ、ティナーはここでお留守番だよ!」
「う、う・・・ん」
レーナティの言葉に、ティナーは戸惑いの表情で顔を背ける。リーティングがそっとティナーの顔を覗き込んだ。
「約束でしょう?」
「う・・・うん!」
まだ、納得のいかない表情を浮かべていたティナーだったが、一時して、首を縦に力強く頷いてみせた。
「ありがとう、ティナーちゃん」
「絶対だよ! 絶対に戻ってきてね!」
「ああ!」
レーナティはそう言うと、魔王城へと歩き始めた。リーティングもそれに続く。
「絶対だからね!」
背後で心配そうなティナーの声がした。振り向かずとも声色だけでどんな顔をしているのかわかる。不安、かすかな恐れ、そして希望。色々な想いをごちゃ混ぜにした、なんとも情けない顔だろう。
視線を魔王城に向けたまま、レーナティは手を横に突き出し、びしっと親指を立てた。
「僕達がやられるわけないさ。 ティナー。 ここで信じて待っててよ!」
「・・う・・うん!」
泣き出しそうな返事とともに、すすっとティナーの気配が遠ざかった。
―ありがとう。 ティナー。 そして約束するよ。 必ず、戻ってくるって―。
念を押すようにレーナティは心の中でつぶやいた。
「これって、一体・・・!?」
城門の目の前で、レ―ナティは拍子抜けしたかのような声を出す。
塀にかかる橋は降りたままで、城門も既に開かれていた。誰かが攻めてくるということを考えていないのか、それとも?
「もうすでに、ラスト様とミューズ様が侵入されたのでしょうか?」
「う、う―ん」
二人が開け放たれた門をくぐって城の中に入ったところで、リーティングは感心したような声を上げた。
城門から城までには、多くの魔族や魔物が倒れ伏せていた。恐らく、先に侵入した父と母に倒された者達だろう。
「さすがは、時音のミリテリア、ラスト=エンターティナー様と時音の女神、ミューズ様ですね・・・・・」
「よーし!」
拳をぎゅっと握り締めて、俄然やる気を出すレーナティ。
「僕達も負けていられないな! リーティングさん!」
「そうですね」
ニコッとリーティングは満面の笑みを浮かべた。
「夢月のミリテリアの僕の力と夢月の女神、リーティングさんの力、デリルとグレイスに見せ付けてやろうよ!」
「はい!」
リーティングは目を見開き、そしてこくこくと頷いた。だが、実際のところ、彼女にとってはただ、レーナティのそばにいるだけで、もうやる気の充電は完了だった。
「行こう!」
レーナティがそう叫ぶと、彼らは再び、城の奥へと歩き始めた。
真新しいマント姿の青年が玉座に腰かけようとした時、玉座の間のドアが、何者かによって大きく開かれた。
「やあ、ようこそ、お客人! お待ちしていましたよ!」
ぱりっとしたスーツと真新しいマントに身を包んだ青年が、ばさりと大仰な仕草でマントを翻した。
玉座の周囲には、幾人かの魔族がひざまずいでいた。
青年はわざとらしく間をおいて、ねちりと嫌な笑いを浮かべた。
「おやおや、よく見れば大勇者、ラスト=エンターティナーくんの息子レーナティくんではないか。 早速、父親と母親が処刑されるところを見に来られたのか?」
「な、なにぃ!?」
「ラスト様とミューズ様が・・・!」
レーナティとリーティングは目を丸くして驚愕する。
「くくくっ・・・」
青年はレーナティ達からふと視線をそらす。その先には、漆黒ボールのような結界がじわりと浮かんでいた。そこには、ほのかに二人の人影があった。
「父さん! 母さん!」
「そんな・・・」
予想外のことに、二人の額にじわりと汗がにじんだ。
「あなた方はなす術もなく、ここで見ているといいですよ」
「デリル!」
ざっ、と、レーナティは一歩前に進み出た。そのまま、真っ直ぐデリルに近づいていく。
「僕は約束したんだ! みんなで無事に帰ってくるって!」
「誰にですか?」
デリルのその問いには答えなかった。変わりに、だから、と、レーナティは全身から一気に怒りの炎を燃え上がらせた。
「それを奪おうとするお前は、お前達は、絶対に許さない!」
「面白い、君の成長を見させていただきますよ!」
二人の殺意が、辺りに激しくどす黒い火花を散らした。
「食らえっ!」
だんっ!
宣戦布告するやいなか、レーナティは素早くデリルの懐に飛び込んだ。
デリルがすいっと軽く身をよじり、レーナティの突進から逃れる。が、素早くレーナティはデリルに寄り添うように追いすがり、重心の移動を利用して剣を抜き払った。
しゅっ!
そのまま一閃。しかし、剣は宙を斬り、代わりにデリルの魔力光が眼前に現れる。
「っ!」
身体を反らすことで、レーナティはなんとかこの攻撃を避けた。
どごぉぉぉっ!
「があああああっ!」
「ぎゃあっ!」
目標を失った光は、少し離れたところに着弾。退避しきれなかった魔族が数人、爆発に巻き込まれ、吹き飛ばされる。
「くっ!」
それを見てレーナティは舌打ちする。自分が攻撃を避けただけで、この被害だ。もし、攻撃が結界にでも当たってしまったら・・・!?
「レーナティさん! お二人は私が守ります!」
先程の攻撃から逃げおおせたリーティングは、レーナティに向かって大声で叫ぶ。それを訊いたレーナティは、リーティングに対して親指を立てて見せる。
「リーティングさん、頼んだよ!」
「はい!」
レーナティの言葉に、リーティングは力強く頷いた。
その間にもデリルの攻撃は容赦なく、レーナティに襲いかかってくる。
がっ! しゅしゅっ、どごっ!
城壁や周りの魔族達を巻き込みつつ、レーナティとデリルの攻防は続く。
ぎぃんっ!
つばぜり合いになり、レーナティとデリルの鋭い視線が近距離で絡み合う。
「くっ! デリル、貴様、仲間がどうなってもいいのか!」
先程からの攻防戦に巻き込まれていく魔族達を見て、レーナティは唇をキッと噛み締めた。
「仲間? いえ、それは違いますよ。 彼らはただの――」
デリルはにやりと唇を緩めた。
「捨て駒ですから!」
「デリルっ! 貴様!」
レナティは歯がみしながら、デリルを睨んだ。
勝負はほぼ互角。いや、素早さからみれば自分の方が上かもしれない。
かって戦った時はもっと、強敵というイメージがあったのだが・・・・・。
いや、きっと、あの頃は今より、もっと、幼かったからそう見えたのだろう。
一気に押し倒そうと、レーナティはぐっと両足を踏ん張った。
「ぐっ!」
切羽つまったレーナティの声。
やっとのことで結界を解いたリーティングがハッと体を強張らせ、振り返った。結界から出られたラストとミューズも慌てて、声のしたほうを見る。
体勢を崩したレーナティが、入り組んだ城脇の通路に転がりこんだ。その後を、デリルが追う。
「いけない、あちらは・・・・・」
リーティングが、鉄砲玉のように駆け出した。
「リーティングさん!」
ミューズは、一瞬、大怪我をしているラストを見て躊躇した。だが、ラストは行けというばかりに、レーナティのいる方向を指で指し示した。それを見て頷くと、すぐにミューズも後を追う。
苦しげに歪んでいたレーナティの顔が、リーティングの目に焼きついていた。
「ぐっ!」
レーナティはいきなりの激痛に、思わず叫んでしまった。
苦しげに振り向くと、背後には、不気味な笑みを浮かべる魔王、グレイスの姿があった。
油断した!?
くそっ!
こんなことなら、もっと姿が見えなかったことに気をつけるべきだった!?
だが、もうそれは、すでに後の祭りだった。
右足はもはや絶え間なく悲鳴をあげている。怪我の痛みに、レーナティの右膝がいとも簡単に屈してしまった。
しまった!
まともにバランスを崩したレーナティはそのまま地面を転がって一撃を避けた。体勢を整えようと、目の前の通路に飛び込む。
ところが、場所が悪かった。
城の周囲に張り巡らせた高く堅固な塀と、城の城壁。それがレーナティの行く手を阻んでいたのである。
「くそっ! 一体どうすれば!」
考えもなしに、自ら袋小路に転がり込んでしまった。
右足の痛みやいらだちをごまかすように叫んで、レーナティは身を翻した。
その目前に、壁よりもっと厄介な障害が立ちふさがる。歓喜に目を輝かせ、上段に構えたデリルだった。
「レーナティくん! 安らかにお眠りください!」
魔力光の一撃が、真っ直ぐレーナティへと振り下ろされた。
「くっ!」
レーナティは唇を噛み締めた。
リーティングが走った。ミューズが走った。だが、間に合わない。
「だめぇ!」
レーナティとデリルの間に、小柄な赤い影が飛び込んできた。ティナーである。
「ティナーさん!」
「リバイバル!」
リーティングが、ラストとミューズが悲痛な叫びを上げた。
レーナティは瞳を、大きく開いた。
かばうように手を広げた姿が、遠い昔に見た懐かしい背中に重なる。
幼い頃、ティナーと一緒にスノーティルの花の周りで駆け回っていたあの頃の――。
『レー兄! 大好きだよ❤』
真っ白な頭の中で、レーナティは誰かの叫び声を聞いた気がした。
「・・・ティナーっ!」
腕を限界まで伸ばし、レーナティはティナーをかばうようにして倒れた。
そこから先のことは、ティナーはよく覚えていない。
気がついたときには、リーティングと二人、力無く横たわるレーナティの傍らにいた。
震える指で、レーナティはティナーの頬に触れた。
「ティナー、ごめんな・・・」
レーナティの指が、赤い一筋の線を自分の頬に残して崩れ落ちた時、ティナーの心に冷たく重い鍵がかけられた。
―私が望んだものは、決してこんな結果では・・・・・
―――なかったのに―!
何でもあの後、ティナーをかばったレーナティが最後の力を振り絞って、夢月の力である大魔法『レバエレーションズ』を使って、デリルを倒したらしい。だが、グレイスによって城は崩壊させられてしまい、ラストとミューズの行方も分からずじまいになっていた。
あの戦いの後、ティナーは延々とリーティングを攻め続けた。
どうして、早く戻ってこなかったの。
どうして、レー兄を助けてくれなかったの、と。
荒れ狂うティナーをリーティングはうまくなだめられなかった。
―自分がいたのに、大切な人を守れなかった―。
理不尽に目の前で失われていった、マスター(レーナティさん)の命。あの人を守ると誓ったのに。
レーナティのために、何かしたかった。してあげたい、ではなく、『自分』がしたかったのだ。
だけど、もうその願いは叶うことはない―。
レーナティさんのそばにいたいです。 これからもずっと―!
昔、二人で語り合った言葉。
想像するだけで、リーティングは胸がぎゅっとしめつけられる気がした。
「ティナー・・ちゃん・・・」
「うわあぁ―ん! リーティングさんのバカあぁぁぁっ―――!」
ティナーは泣き叫びながら、一人、魔王城の外へと走ってゆく。
「ティナーちゃん!」
リーティングが最後に見たのは、城に背を向け、脱兎のごとく駆けてゆくティナーの背中だった。
本当は分かっていた。
私が約束を守らなかったからだ。
魔王の城には入るな、って言われていたのに、約束を破ってしまったから―!
ティナーは来た道を戻るように、雪原を走り続けていた。
「あっ!」
ティナーの足が抜き出しになっていた木のねっこに引っかかり、転がるようにして倒れ込んだ。ごろごろ、と前転したティナーの体が、どすんと誰かの足にぶつかって止まった。
「うっ、ううっ・・・」
目を回しながら、ふと、自分をかばうようにして抱きついた兄を思い出し、ティナーは心を痛めた。瞳からは大粒の涙が絶えることなく流れてゆく。
レー兄、レー兄、会いたいよ!
だけど、その叫びは届くことはない。
ティナーはぐっと持っていた杖を握り締め、きつく目を閉じた。
一緒に行きたいとか、そばにいてほしいとか、言葉でどんどん伝えれば、必ず届くと思っていた。でも、それは、本当にレー兄やリーティングさんのためにいいことだったのだろうか?
『私も行く!』
軽はずみで言ったあの一言が、レー兄にはどれだけ不安だったのだろう。
『リーティングさんのバカあぁぁぁっ―――!』
勢いで叫んだあの一言が、リーティングさんには、どれだけ悲しかったのだろう。
閉じたまぶたの奥に、遠ざかっていくレーナティの背中がちらついた。
「レー兄、会いたいよ――!!!」
ティナーはふっと顔を上げながら叫んだ。
もう二度と会えない。分かっている。
だけど――。
「貴様、大丈夫か?」
「レー兄・・・?」
澄んだ青い空のような瞳が、ティナーの顔を覗き込んだ。
本物だ。銀色の髪もスカイブルーの瞳も・・・。
ティナーの瞳に、ゆっくりと驚きと理解の色が広がってゆく。
「レー兄だ!」
と、ティナーは叫んだ。
「レー兄だ!」
と、ティナーはもう一度叫んだ。
彼女の顔が理解と喜びの顔で輝いた。
「レー兄だ!」
ティナーは躊躇なく、少年に思いっきり飛びついた。
「どわ!?」
突然飛びつかれた方はたまったものではない。少年は飛びつかれた勢いでバランスを崩し、ティナーを抱え込むような形で尻餅をついた。ティナーはお構いなしに、ぎゅっと首元にすがりつき、何度もその名を呼ぶ。
「レー兄! レー兄! よかった。 生きていたんだね!」
「おい、こら、首っ! 首をしめるなぁぁぁっ!」
「あぁぁぁ、ごめんね! レー兄!」
ティナーは慌てて立ち上がる。そして、瞳を潤ませ、じっと少年を見つめた。
「・・・そんなことよりもだな」
少年は力なくかぶりを振ると、ぽつんと言った。ティナーに視線を向けないまま。
「俺の名はレークスだ。 断じて貴様の兄などではない!」
「レー兄じゃ・・ない?」
ティナーはさっと顔色を変えた。答えはすぐ隣から聞こえてきた。
「えと、まあ、そのままの意味ですよ。 このお方は、地の魔王、レークス様です」
隣にいたやる気のなさそうな魔族の青年がそう応えた。意気消沈したまま、ティナーは瞳を潤ませた。
「レ、レー兄じゃないの・・・?」
「残念だがな」
「うっ」
ティナーは目を見張ってレークスを真っ直ぐに見た後、肩を震わせた。
「そ、そんな・・・。 そんなのって―」
嗚咽を漏らし、大粒の涙をこぼすティナーを見て、レークスの方がわけもわからずに動揺してしまった。
「お、おい! なぜ泣くのだ?」
「だって、だって、レー兄が生きていたと思ったのに、記憶喪失なんて・・・・・」
今度は、レークスの目が点になる番だ。
「はあ? おまえはアホか? 俺はレークスだ。 何度、言わせれば分かるんだ!」
「えっ? じゃあ、レー兄とレークスは別人なの?」
「当たり前だ! それに俺を呼ぶときは、『様』をつけろ! 『様』を!」
不機嫌そうにレークスはじろりとにらんでみせたが、ティナーは全く気づかず考え込んでいる。
「あぁ、そうなんだね!」
ティナーは手をポンと叩いてみせる。
「やっと、わかったのか?」
レークスが少々の期待を込めて尋ねると、ティナーはなんとも複雑な顔で頷いた。
「レー兄って双子なんだね!」
「・・・き、貴様っ!、俺をバカにしているのか!」
肩で息をしつつ、レークスはぴりぴりとティナーを睨みつけた。
「? あれれ?」
当の本人であるティナーは、彼が何でそんなに怒っているのかが分からず、?マークを浮かばせるしかなかった。
「あのね、レー兄❤」
先頭をさっさと歩き始めたレークス達を慌てて追いかけながら、ティナーはその背中を熱い視線で見つめた。
「レー兄ではないといっているだろうが!」
ぶすっとした顔で、レークスは眉を寄せる。
「私、レー兄のために何かしたい!」
「何か、だと?」
レークスはぽかんと口を開いた。初めてみせた彼の無防備な表情に、ティナーは陽だまりのような笑みを浮かべた。
「はい!」
ティナーはしゃきっと背筋を伸ばした。
「私もレー兄の味方になりたいと思ったの! だからレー兄がなんと言おうと、勝手についてっちゃうもの!」
ティナーはきっぱりと言った。思い切って彼らの後をついて来たのも、そのためだった。
レー兄のために、何かしたかった。してあ゛げたい、ではなく、『自分が』したかったのだ。例え、それが兄ではない全くの別人だったとしても―。
けれど、ティナーは、魔法が使えるわけでもないし、特別な力もない。唯一できるのは、レークスの隣にいること。だから――。
ティナーはパンッと胸を叩いた。
「これからは、私もレー兄の力になるね。 まだ、未熟者かもしれないけれど、役に立てないのかもしれないけれど、それでも、精一杯、お手伝いします! だから、一緒に、そばにいさせてほしいの! ・・・お願い! レー兄―!」
最後の方は叫びになっていた。
ティナーはすっとレークスの目を覗き込んだ。たちまちレークスは落ち着かなくなる。
だが、この近距離では、視線を逸らそうとしてもうまく逸らせない。
ふと、ティナーが何やら思い出したように、手をポンと叩いた。
「あっ! まだ、私の名前、言っていなかったね! 私の名前はリバイバル=エンターティナーっていいます! ティナーちゃんって呼んでね❤」
エヘヘと満足げに笑みを浮かべながら、ティナーは誇らしげに胸を張った。
「・・・・・目眩がしてきた」
レークスがこめかみを押さえ、がっくりと肩を落とした。
「つまり、おまえは俺の家来になりたいというのか?」
「う、う―ん、そうじゃなくて、えっと・・・・・」
目をぐるぐると回しながら、ティナーは唸った。でも答えは単純だ。
ティナーは、持っていた杖を握り締めて笑った。どうか、この気持ちが伝わって、レー兄の心に広がってくれますように、と。
「で、でも、私はレー兄を信じるよ! 誰よりも信じてるから!」
レークスは絶句した。そして――
「・・・く・・・くくく! 本当におめでたい奴だな。 その根拠のないわけも分からない理屈は、一体どこから来るんだろうな!?」
レークスがにやっと、愉快そうに――本当に面白そうに笑った。
「いいだろう。 貴様を俺の配下として認めてやる! ありがたく思うんだな! ティナー!」
どこか、レーナティの微笑によく似た、無邪気な表情だった。
あっ・・・!
ティナーは心の中でつぶやいた。
「地の魔王である俺を信じるなどと・・・アホなことを抜かしたのは貴様が初めてた。 羽翼人のくせに、おかしなことをいいおって」
「正確には、羽翼人と人間のハーフだよ!」
ティナーも頬を桜色に染め、とびっきりの笑顔をみせた。その隣で二人を見つめていた魔族の青年が、退屈そうに一つ大きなあくびをしてみせた。
「私、レー兄に会えてよかったって思っている。 本当だよ!」
「何だ!? 突然!」
くすっとティナーが思い出し笑いをした。城のバルコニーの上でたんたんっと足を踏み鳴らしながら、レークスは顔をしかめる。
「初めて、レー兄が私に見せてくれた笑顔、今でも私、覚えているよ!」
「そんなものは忘れろ!」
レークスはぼうっと頬を火照らせた状態で怒鳴る。
「えへへ〜❤」
はにかんだ笑顔を見せながら、ティナーは思った。
―忘れられるわけないもの―。
だって、レー兄が初めて私のことを認めてくれたのは、あの時だもん―!
幸せそうに、ティナーは胸を膨らませた。
「レークスさん! ティナーさん! 大変で
す!」
城のバルコニーで語り合っていたレークスとティナーを呼ぶ声がした。ふと、耳を傾けてみると、それはアグリー達のようだ。
「リアク兄さんが焼酎を8杯も飲んでしまったらしいんです。 そのせいで、何でも正義の味方についてのことで、会場内で他の方々と議論を言い争っているらしいのです!」
アクアの声はすでに悲鳴にも近い。呆れたように、レークスは頭をかいた。
「何をやっているのだ!」
レークスは左足をバネにしてバルコニーから飛び降りた。
「あっ!」
ティナーの反応が一瞬遅れた。その間に、レークスが地面へと着地した。
一人、バルコニーに取り残されたティナーは、会場内の声に耳を傾けてみる。
正義の味方とは、を題目に、その話は始まっていた。
第一に、オリジナリティあふれる端正、インパクある顔たちが必要だとか。
子供達に親しまれることとか(?)
第二に、愛と勇気だけが友達。
孤高のヒーロー。 かっこいい! とか。
第三に、時には冷酷。
敵には容赦ない! とか。
明らかに正義の味方とは矛盾しているのではないのかと思う内容もあった。」
そこへ怒りの表情のレークスがドカドカと割りこんできた。周囲のリアク達の表情が目に見えて凍りついた。
「何をやっているのだ!」
こめかみをピクピクさせながら、レークスは問いただす。
「いや、あの・・・」
「言い訳など聞かん!」
レークスは左足をだんっと前に出す。
「こ、こうなったら、俺様の新必殺技で・・・」
「遅い!」
「ぐわぁ!」
ずがべし〜ん! とばかりに、レークスの放った炎の玉によって、リアク達は勢いよく夜空にぶっ飛んだ。そのまま雲を突き破り、星の彼方へと消えていった。
どうやら、彼らはお星様になってしまったらしい。
「リアク!」
「リアク兄さん!」
慌てて、アグリー達は、リアクを追いかけ始める。
「レー兄、やったね❤」
「ふん、当然の結果だ!」
嬉しそうにバルコニーから手を振るティナーを見て、威厳溢れる声でレークスはそう叫び返した。
「レー兄、大好きだよ〜❤」
ティナーはにこっと微笑んでみせた。ティナーのつぶやきとともに、持っていた白い花が風でゆらゆらと揺れた。
優しい微風の囁きの中に、ティナーは元気な男の子と女の子の笑い声を聞いたような気がした。