第5章 始まりの地
今回はダイタ達の話です。
すべての始まりの場所。
そこはどんな地というわけではなく、どんな場所というわけではない。
光と闇が重なっている世界――。
彼の地がどこにあるのか。
それは定かではない。
だが、誰しもが心の奥底でその存在を信じ、敬っていた。
それが始まりの地――。
この世界、アーツとは別の場所にある世界。
そして、神々や魔王が住まう世界。
長い間、そう信じられてきた。
しかし、一つの出来事が契機となり、時代は変革の時を向かえる。
それはー―。
「う―ん、いい天気だな」
僕は、透きとおった空を見上げながら、ぐっーと背伸びをした。
燦々と降り注ぐ太陽の光。歌うように身をすり寄っては奏でられる水の音。透きとおった空気が生命に息吹を宿す。
僕達を乗せた船はあてどもなく大海原を進んでいた。
僕は、ぼっ―と空を眺めながら、また、あの時のことを思い出していた。ターン達との戦いの後、再び、『星のかけら』に触れた途端、僕の脳裏に再び、不思議な光景がよぎったあの時のことを―。
辺り一面の雪景色――。
僕は必死になって誰かを探していた。
いや、違う。 誰かではない。 彼女を探していたんだ。
藍色の帽子とコートを羽織った女性――。
そう、夢月の女神であるリーティングさんを―。
満天の星空の下を、透き通った風が駆け抜けていく。
リーティングさんは、真っ白な雪原の上に立ち、風の中に両手を広げて空を仰いでいた。
無数の星空をそっと見上げ、深く息を吸い込む。心を静めて耳を澄まし、彼女は、意識の全てを星の瞬きに委ねていた。
「遥かなる星達よ・・・、輝ける星達よ・・・。 どうか、あの人をお護り下さい・・・・・」
それは、いつも通りの彼女の祈りだったのかもしれない。そう、いつも通りの。
しかし、祈りを口にしながらも、リーティングさんは、周囲の空気に、普段とは違う何かを感じているみたいだった。
「・・・これは」
彼女は不安げに空を見つめていた。
「どうしたのかな?」
僕はうーんと考えてみる。だが、もちろん、考えても分かるわけがない。
「・・・あの人に危機が迫っているのでしょうか。 いえ、たとえ、彼に何らかの危機が迫っているとしても、私はあの人を護るだけです。 必ず、護ってみせます!」
リーティングさんは、決意に満ちた瞳で、そっと、空を仰いでみせた。
「どういう意味なんだろう?」
僕は、再び、うーんと唸る。
それに、リーティングさんが言っていたあの人って一体、誰のことなんだろうか。
その時、僕の耳に不思議な音が聞こえてきた。くすくすと不思議な音。いや、笑い声。
驚いて僕は顔を上げる。
僕の目の前で彼女は肩を小さく、ではなく、大きく震わせていた。やがて、リーティングさんは顔を上げ、こらえきれないものを吐き出すように、頬を染めてはにかむように笑った。
笑っている・・かな? どうして?
まるで、先程までの深刻な表情が嘘だったかのように思えるほど、彼女は本当に嬉しそうに笑っていた。
どうしたのかな???
ふと、気付くと彼女は僕の方を見つめながら笑っている。
僕、何か、おかしいのかな?
僕はキョロキョロと自分の周りを見回してみる。だが、別に何も変わったところはない。
彼女は笑いを収め、代わりに口をゆっくりと開く。リーティングさんの口から言葉が放たれる。
「・・・ありがとう」――と。
「ありがとう」、確かにあの時、彼女はそう言った。あれは、一体、どういう意味だったんだろうか。
(それは、あなたが私にとって大切な人だからです)
僕が彼女の、リーティングさんのミリテリアになった時も、彼女は僕のことを知っているかのような言い方だったっけ。
やっぱり、リーティングさんは、僕のことを知っているのだろうか。
「本当ですね。 ダイタさん」
僕の隣で、金色の髪の女性がくすっと笑みをこぼした。腰まで届くほどの長い髪が印象的な女性だ。
彼女の名はマジョン。
僕が名もなき大陸に訪れたときに初めて出会った仲間だ。
僕は夢の中に出てきた女性、リーティングさんの言葉に誘われて(本当は無理やりだったりするけれど・・・(汗))名もなき大陸に訪れたんだけど、その時、何でも、僕の記憶の手がかりになるらしい『記憶のかけら』のことをマジョンから教えてもらったんだ。
フレイが持っていた星のかけら。
ターン達が持っていた星のかけら。
少なくとも、星のかけらは、僕になんらかの記憶の手がかりを教えてくれているみたいだし。 う―ん。
「あれ、そういえばフレイ達は?」
「ふららさんは、マドロスさんのことを探してみるそうです」
マジョンはそう言うと、少し表情を曇らせた。
真紅の森で出会ったふららさんには、結婚を誓い合った恋人、マドロスさんがいた。
マドロスさんは漁師で、二人はよく、海岸の浜辺で会っていた。そう、僕とふららさんが初めて出会ったバリスタの港町の近くの海岸で。マドロスさんの漁師仲間はもちろん、ふららさんと同じ羽翼人の人達も二人の仲を認め合っていた。
でも、そんな二人にも別れの時はやってきた。
マドロスさん達が大海原の深海にあるとされている『海の真珠』を手にいれるため、旅立つことになった。もちろん、ふららさんは同行を申し入れたんだけど、マドロスさん達はそれを断った。きっと、彼女を危険な目に遭わせたくなかったのだろう。でも、「すぐ帰ってくる」・・そう言ったのにも関わらず、彼らが戻ってくることはなかった。そう彼らが旅立ってから、もう既に三年もの月日が流れていた。
その後、僕はあの浜辺で悲しげに歌っていたふららさんと出会ったんだっけ。
「フレイさんは――ですね」
マジョンははあっと頭を抱える。
「ふららさんと一緒に駆け落ちするそうです」
「はっ?」
僕は思わず顔をしかめる。
駆け落ち!?
――って、きっと、また、フレイだけが思い込んでいることなんだろうな。
僕はうんうんと納得する。
フレイとは、名もなき大陸、唯一の城、フレイム城の城下街であるフレストの街で出会った。なんでも、名のある盗賊団の一員だったらしんだけど、名もなき大陸の支配者であるターン、そして、その右腕と呼ばれる存在であるロクスに全滅を余儀なくされたんだ。
でも、その時、フレイだけは何とか、生き残って、ターンの持っていた『星のかけら』を手に入れることに成功したんだけど、そのせいで、ターンの手下から執拗に追われていたらしい。
まあ、だからこそ、最初に出会った時、フレイは、僕達のことをターンの手下と勘違いしたんだけど・・・(汗)
「ははは、フレイらしいね」
僕は、フレイの大胆発言に苦笑いするしかなかった。
しかも、どういうわけか、フレイはふららさんのことが好きらしい。ふららさんに、マドロスさんという恋人がいることを知っているのにだ。
フレイいわく、マドロスさんは「過去の男」らしい。
「じゃあ、ファミリアさんはどこにいるのかな?」
「さあ、船に乗ってからは、お会いしていませんし・・・」
僕の問いかけに、マジョンは困ったように首を傾げた。
ファミリアさんとは、フレイと同じくフレストの街で出会った。でも、何故か、僕のことを『運命の人』だって言うんだよな。
何でなんだろう???
何でも、ファミリアさんは、スタンレチア家のお嬢様らしいんだけど、お嬢様が一人旅をしているというのも、僕的にはどうなのかな? と思うこの頃である。
「うーん、じゃあ、ファミリアさん、何処に行ったんだろう?」
「・・・ダイタさん、気になるんですか」
「えっ・・・」
驚いた表情を浮かべて、僕は、マジョンを見つめた。マジョンは何故か、顔を上げない。海面に視線を固定させたまま、マジョンは、僕でも驚くくらいの強い口調で言った。
「・・・ダイタさん、やっぱり、ファミリアさんのことが気になるんですか?」
「そ、そ、そういうわけじゃなくて・・・ただ、仲間だし――」
食ってかかるという表現そのもののマジョンに気圧されながらも、僕は必死に答える。
「そ、そうですよね・・・」
僕の言葉を聞いて安心したかのように、マジョンは嬉しそうに顔を上げた。
何なんだろう?? 本当に・・・。
「はあ―」
ひとまず、安堵の表情を浮かべた僕の肩を、ちょんちょん、と誰かがつついたような気がした。
「えっ?」
振り返ると、僕達の目の前に、紫色の髪の女性が立っていた。エルフだろうか。いや、それにしては、少し、違うような―気が。
「ねえ、ねえ、ダイタっていう人、捜しているんだけど,知らないかな?」
「えっ、ダイタなら、僕のことだけど――」
「あなたがそうなのね!」
僕の言葉を最後まで聞き終えずに、彼女は、突然、僕のむなぐらをつかみあげた。それを見たマジョンが、慌てて彼女を止めようとするのだが、彼女はそれを軽く振り払った。そして、僕を恐ろしい形相のまま、詰問する。
「あなたのせいで、ダーリンとの新婚旅行が! 夢のハネムーンが壊れちゃったじゃないの!!」
「うわあぁ!」
突然、彼女が僕を地面に叩きつける。
悲鳴を上げて背中から床に墜落した僕の目の前には、声から予想がついていたとおり、瞳うるうる、口をわなわな震わせた、彼女の顔があった。
「なっ、なにするんだよ!」
と、僕は抗議しようとした。当然だろう? 何だかわけがわからないうちに僕は突き飛ばされたんだから。
だが、実際に僕の口から出た言葉は「な」の一文字だった。僕が「な」と言った瞬間、猛烈な彼女の平手打ちが僕の両頬を襲ったのだ。
「な――」
べしべし!
「なっ――」
ばしばし!
「なに――」
べちんばちん!
「ななな――――」
ばっちぃぃん、どすどす!
まるでトマトのように両頬を真っ赤に腫らし、原型をとどめていないような状態となった僕のむなぐらを、持っていたロープのようなリボンのついた杖で縛り上げ、彼女は鬼気迫るような声で怒鳴った。
「あなたがターンを倒したちゃったから、私の『ターンを倒して、名もなき大陸でダーリンと新婚旅行をする』っていう計画が台無しになっちゃったじゃないの!」
? 言っている意味が分からない・・んだけど―。
ビンタを喰らってすっかり働きがにぶってしまった思考回路で、よくよく彼女の話を整理してみると、どうやら彼女もターンを倒すために旅をしていたらしい。でも、僕達が先にターン達を倒してしまったため、彼女の計画というか、目的である『新婚旅行先の確保』というのができなくなってしまったらしい。
でもでも、それって早合点にもほどがあるのではないかな。
よくよく考えてみると、別に確保とかしなくてもいいと思うし、ターンはいなくなったんだから、普通に旅行したり、訪れたりすることはできると思うんだけど・・・。
ともかく、そのことを、僕は、殴られすぎてろれつが回らない口で一生懸命、説明しようとした。
「あ、あのですね――」
「何よ、やる気!」
あくまで聞く耳を持とうとしない彼女は再び、攻撃態勢に入ろうとする。
「やめろ! フロティア」
突然、彼女の背後から声がした。
振り返ると、青い髪の青年が大慌てでこちらに向かってくる。
「止めないでよ、メリくん。 もう、これしかないんだから!」
「くそっ!」
彼は説得は無駄だと思ったのか、抜く手も見せずに銃を構えると、トリガーを絞った。緑色の光線が僕のむなぐらに縛りついていたリボンに命中する。
「うわあっ・・・!」
僕の身体を縛っていたリボンがほどけ、ようやく、僕は自由の身になる。はあはあっと、一呼吸、置いてから、僕は助けてくれた青年を見た。
先程の女性よりは年下だろうか。頭に、サングラスのようなゴーグルを被っている。手には、金色の銃のようなものを構えていた。
「何やっているんだよ、フロティア!」
「ううっ――、私のリボンが・・・・・」
彼女、フロティアさんは、彼の言葉など耳に入っていないかのように、どんよりと破れたリボンをじっ―と見つめていた。そのすさまじい落ち込み方に、僕だけではなく、マジョンも何も言えずに、無言で彼らを見つめていた。
「どうして、見ず知らずの人を襲ったりしたんだ!」
「み、見ず知らず・・じゃないもの! ちゃんと聞いたんだから! この人達がターンを倒したって!」
「あのな・・・」
フロティアさんの意味のわからない理屈に、ただただ、彼は頭を抱えながら言った。
「おまえは、彼らのことを誰かから聞いたのかもしれないけれど、彼らにとっては、おまえは見ず知らずの人だ。 そんな人に、突然,襲われたりしたら、誰だって驚くだろう! それに――」
彼は、ずいっと彼女の前に人差し指を立ててみせる。
「おまえが・・・フロティアが犯罪者にでもなったら、エレニック兄さんは悲しむと思うんだけど・・・・」
「うっ――!」
「あっ・・・・」
僕はギョッとする。いや、僕だけではない。マジョンも、彼女に怒鳴った彼でさえ、わけがわからず、動揺する。
嗚咽を漏らし、大粒の涙を流しながら、フロティアさんは泣き出した。
「うっ、ううううぅぅっ・・・」
「フ、フロティア?」
「メリ君のばかああぁぁぁ――――!!!」
彼女の、フロティアさんの叫び声は、船中に届くほどの大音響だった。
「うっ、ごめん、なさい」
ようやく、嗚咽が少し収まってきたフロティアさんは、僕に謝罪の言葉を述べた。
最初は「私は悪くないのに」とあからさまに不満げの表情を浮かべていた彼女も、そのうちに僕の誠意溢れる弁明を聞き入れてくれた。
「すっ、すっ、すみませんでした!」
僕は彼女の謝罪を心よく受け入れた。
「ひゃに、ほふゃいははれひでもひゃるものへふはらッフ・・・。 ・・・じぇんじぇんふぇ―ひッフ! (※ いえ、誤解は誰にでもあるものだし・・・。 ・・・それにもう、全然、平気だよ!)」
どうみても平気そうではないような口調で、僕は答える。
だが、フロティアさんはそれを聞いて満足したのか、嬉しそうに顔を上げた。僕の返り血を浴びて彼女の黒地のコートが、どこか赤黒く染まっているかのように思えた。
それから、フロティアさん達はどこからか、救急箱を取ってきて、僕のことを治療してくれた。マジョンも、僕にそっと触れると回復魔法を唱え始める。
「大丈夫ですか? ダイタさん」
先程の大音響が聞こえたのか、ふららさんやフレイも僕の元へと駆けつけてくれた。
「それにしても、よくもまあ、ここまで、痛めつけられたものだな!」
心配しているのか、感心しているのか、分からないような口調でフレイは言った。
僕は、何はともなれ、みんなの優しさ(?)に心を打たれた。たとえ、怪我をさせたのがフロティアさんだったとしても、優しさは優しさだ。
ひとしきり、治療を終えたあと、おずおずとフロティアさんが口を開いた。
「あの、ダイタくん・・・」
「もう、怪我のことは気にしなくてもいいよ」
苦笑いをしながら、僕は答えた。
だが、彼女は首を小さく横に振った。
「ダイタくん達って、どうやって、あのターンを倒したの?」
フロティアさんはそう尋ねてきた。彼女の言葉には先程までの責めるような調子は含まれていなかった。
僕は沈黙で答えた。
全てを話していいものか、迷ったからだ。ターンのことを話せば、自然とミリテリアのことを、僕の記憶のことを話さないといけなくなる。それに、『星のかけら』のことを話したら、また、ややこしくなるのではないだろうか―。
そういう疑惑が僕の心に刺さった。
そんな僕の思いを露知らずか、まっすぐに僕を見つめたまま、フロティアさんは再び訊いてきた。
「どうやって、ターンを倒したの・・・?」
あくまでも彼女は、僕が答えるまで、この問いかけをやめる気はないらしい。
さて、彼女に真摯な瞳で問いつめられて、どこまで、僕は強情を通すことができるだろうか。何となく、いや、既に八割がたはだめなような気がするが――。
「フロティア、もういいだろう」
フロティアさんの隣にいた彼が、彼女の肩を手で軽く叩いた。僕は、内心、ほっ、と安堵する。
「で、でも――」
フロティアさんが、それでも彼に抗議の声をあげようとつぶやいたその時―。
「ダイタ様――――――❤❤❤」
ドタバタ!
突然、僕に向かって、ファミリアさんは、勢いよく抱きついた。
「ち、ちょっと、ファミリアさん!」
肩を震わせながら、マジョンは言った。どこか怒りがこもった口調である だが、そんなことはおかまいなしに、ファミリアさんは目を輝かせながら僕に言った。
「あの、ダイタ様、聞いて下さいですわ❤」
「えっ? ええ!?」
ファミリアさんは、真意に満ちた表情で僕に迫った。その瞳はどこか、憂いに満ちている。
だ、だからね。一体,何なんですか!?
「ファミリア姉さん!」
彼はファミリアさんを見て、あっ、とつぶやく。それに気付いたファミリアさんは、嬉しそうに彼に手を振った。
「あっ、メル君ですわ!」
「今まで、何していたんだよ。 姉さん」
「『運命の人』を捜していたんですわ❤」
ファミリアさんは嬉しそうに、腕を前に組んでみせる。
「あ、あのな・・・」
彼はそれを見て、はあっ、と溜息をつく。
「一体、それはいつになったら・・・見つかるんだよ・・・・・」
「もう見つけましたわ!」
「あの〜」
僕は目を丸くしながら、恐る恐るファミリアさんに尋ねてみる。
「ファミリアさん・・・、この人達のこと、知っているの・・・・・?」
ファミリアさんは、僕の問いかけに力強く頷いてみせる。
「もちろんですわ! ダイタ様、こちらが わたくしの弟のメリアプールですの。 で、こちらが、わたくしの義姉のフロティアさんですの」
それを聞いた僕達は、げんなりとした表情でファミリアさん達を見た。予想はしていたことだが、やはり、ファミリアさんの親族の人達だったらしい。
「メル君、こちらの方がわたくしの未来の夫のダイタ様ですわ❤」
ファミリアさんはそう言うと、照れくさそうに頬を赤く染めた。
「えっ、えええええっ――――――――!!」
突然のファミリアさんのセリフに、僕達だけではなく、メリアプールさん達も驚愕する。
「だから、メル君のお兄さんになる人ですの!」
「な、な、な、何だよ! それ!」
おろおろとファミリアさんに問い掛けるメリアプールさん。
「か、勝手に決めないで下さい! ファミリアさん!」
怒りがこもった口調で言うマジョン。
「ダイタ・・・。 いつのまに、そんな仲まで進展していたんだ」
知らなかったとばかりに、フレイは不敵な笑みを浮かべた。にんまりと面白そうに僕を見つめている。
うっ、ぜ、絶対に、フレイは面白がっている―。
「じゃあ、ダイタくんは、私の義弟になるのね! うんうん」
フロティアさんは、何故か,納得したかのように、うんうんと頷いてみせる。
拳を突き上げ、ガッツポーズをしているフロティアさんの勢いに押され、僕がなかなか、ファミリアさんの言葉を不定できないでいると――。
「ダイタさん」
真意な瞳でふららさんは僕を見つめていた。
「おめでとうございます。 ご祝福を願っていますね❤」
ふららさんは、嬉しそうに両手を前に組んでみせた。
「だ、だから、ち、違うって!」
僕は慌てて、それを不定しようとする。その時、僕の肩を誰かがポンと叩いた。
「既成事実にしておけよ、ダイタ!」
「ちょっと、そ、そんなぁ―――」
あまりにも無責任なフレイの一言に、僕は非難の声を上げた。
「ダイタ様、幸せになりましょうね❤」
ファミリアさんはそう言って、僕の肩に抱きついてきた。
「だ、だから、違うんだって――――――!」
だが、そんな僕の叫びは、既に誰にも届くことはなかった。
「はあ―」
船上でのわけのわからないドタバタ劇のあと、僕は、一人、海面に映る夜空を見つめていた。
時刻はもう夜だった。空を見上げても夕暮れの太陽は見当たらず、その代わり、黄金色の月が、僕達の乗っている船をほのかに照らしていた。
「わたくしもダイタ様と共にいます。 ダイタ様のお記憶が戻るまで、そして、わたくしのことを考えて頂けるまで、ずっと、そばにいますわ!」
あの時のファミリアさんのセリフが僕の脳裏に過ぎった。
ファミリアさんは、僕のことを本気で考えてくれているんだよな。
僕はしみじみと溜息を付いた。
僕はどうなんだろう―。
僕は自分の心にそう問い掛けてみる。僕にとって大切な人は、愛しい人は誰なんだろうか――と。
フレイは、ふららさんを――。
そして、ふららさんはマドロスさんのことを想っている。
フロティアさんには、最近、結婚したばかりのエレニックさん(ファミリアさんのお兄さん(汗))がいる。
メリアプールさんは、何でも、行方不明になっている幼なじみのスチアさんのことを想っているらしい。でも、そのスチアさんはエレニックさんのことを想っていた、ってメリアプールさんが言っていた。
それってつまり、エレニックさんは、フロティアさんを選んだってことなんだよね。
何でだろうか。
僕の脳裏に当然の疑問が湧いてくる。
どうして、あのフロティアさんを選んだんだろうか???
僕には、よく分からなかった。まあ、僕にとって、フロティアさんは、先程、散々、痛めつけられた相手だから、よく分からないのも無理もないのかもしれないが・・・・。
でも―、その結果、スチアさんは、彼らの結婚式の後に、いなくなってしまったんだけど―。
じゃあ、僕は――。
僕にとって、大切な人は誰なんだろうか―。
ふと、何故か、マジョンの顔が過ぎった。
(どうして、マジョンの顔が浮かぶんだろう???)
僕はどきどきと胸を高鳴らせ、赤らんだ頬にそっと指先を寄せた。
そういえば、マジョンには、誰か、好きな人がいるんだろうか。想いを寄せている人がいるのだろうか。
だけど、そのことを考えると、何故か、僕の心に苦痛が重くのしかかってくる。
「どうして、人は誰かを好きになったりするんだろうか?」
誰に言うでもなく、僕は独り言のようにつぶやいた。決して答えは返ってくることはない。そのはずだった。
「―それが『愛する』ということだからだと思います・・・・・」
「・・・え?」
返ってくるはずもない言葉に、僕は思わず振り返った。
いつのまにいたのだろうか。
水色の髪をなびかせながら、彼女、ふららさんはにこっと自然な様子で微笑んで、僕に言った。
「私はあなたが好きです。 ダイタさん」
「ええ!?」
だが、彼女の一言で高鳴り始めた僕の心臓は、次の彼女の一言で凍りつくことになる。
「ダイタさんも、マジョンさんも、フレイさんも、ファミリアさんも、みんなのことを愛しています」
「・・・・・・」
ふららさんの表情に嫌味やごまかしの色は、なにひとつ浮かんでいなかった。彼女の表情は、百パーセント純粋だった。僕は――自分でも心外だったが――ぷぷっと大きく噴き出してしまった。
「えっ? 私、何か、変なこと、言いましたか―――?」
何で笑われたのかわからず、きょとんとするふららさん。
どうしてって、それはふららさんの返事が僕の思っていたことと、すごくすごく的外れだったからなんだよね――と僕は笑いながら思った。
僕は、すぐにでもファミリアさんに返事をしなくちゃいけないと思っていた。それなのに、なんなんだろうその答えは。それは僕がみんなを「好き」って言うのと同じような意味だと思うんだ。だから、僕が言っている意味とは全然、違うし。
「ごめんなさい。 やっぱり、変でしたでしょうか」
「ううん、そうじゃないんだけど――」
不安げにつぶやくふららさんに、僕は、満足げに笑みを浮かべた。
「有難う、ふららさん」
僕はすっきりした表情で空を見つめた。何か、もやもやしたものが晴れたような清々しい気分だった。
「ダイタさん、きっと、『愛すること』って、その人のために何かをしてあげたいとかそういうことじゃなくて、自分がその人に、その人のために、何かをしたいと想うことだと思います。 きっと――」
ふららさんも頬を桜色に染め、とびっきりの笑顔を見せた。
「ふららさん!」
その時、運悪く、ふららさんを捜しにきたフレイが僕達のところにやってきた。ふららさんの隣に僕がいることに気付くと、すかさず、フレイは僕の胸ぐらをつかんできた。
「ダイタ、貴様、汚いぞ! ふららさんと、ふっ、ふっ、二人っきりになりやがって―! さては、やはり、貴様もふららさんを狙っているな! そうだろう!」
「い、いいい、いや、そうじゃなくてね――」
怒りの表情のフレイに揺さぶられながら、僕は、必死に弁解の余地を求める。
「ダイタ様〜、ご機嫌麗しゅうですわ❤」
「ぐわぁ!」
いきなり、ファミリアさんは僕に抱きついてきた。フレイとファミリアさんのダブルアタックで、僕は既に息つく暇もない。
「ファ、ファミリアさん、、何をやっているんですか!」
それを見て絶句したマジョンが、怒りで肩を震わせている。
「挨拶ですわ❤」
「どこが挨拶ですか!」
二人はバチバチと火花を散らす。マジョンとファミリアさんはにらみ合ったまま、彫像のように固まっていた。
「で、どうするんだ、ダイタ」
先程まで怒りはどこへいったのやら、フレイは愉快そうに僕を冷やかす。
「ど、どうする・・って言われても―」
僕はがくっと肩を落とした。
僕の悩みなんて、実際のところ、考える暇なんてないのかもしれない。
そう思わずにはいられなかった。
――あああ・・・。
「ダイタくん達、楽しそうだね」
羨ましそうに、フロティアはつぶやく。
「・・・フロティア、とにかく、今度は俺の用件だからな。 スチアを捜しに――」
「うん、スチアちゃんを捜すんでしょう!」
「あ、ああ」
あっさりそう答えたフロティアに驚きながらも、メリアプールは相打ちを打った。
(スチア――)
メリアプールの瞳に彼女の、スチアの笑顔が映る。
桜色のふわふわした髪。薄蒼い瞳。そして何よりも嬉しそうに笑うあの笑顔が大好きだった。
誰よりも傍にいてほしいと思った。
例え、君の笑顔が俺に向けられたものでなくても――。それでも俺は――。
「行こう、フロティア!」
「う、うん!」
そそくさと立ち去ろうとするメリアプールの後を追って、フロティアは駆け出した。
船はもうすぐ、ラミリア王国へと到着しようとしていた。メリアプールは右手をゆっくりと広げ、手のひらを自分の胸にそっとのせる。俺は生きている、とメリアプールは思った。今はっきりと生きているんだ。
俺のために―。
そして、――スチア、君のために―。
心臓のどくんどくんという鼓動を感じながら、メリアプールは確かにそう思った。