第19章 スミレ、空をゆく
今回からいつもより短めだったりします
長い間、夢の海にたゆたいながら、私は夢を見続けた。いつの日か、あの時の少年が現れ、私とともに歩み出し、一つの世界を創り上げてくれることを。
それは、私の創世。
けれど夢の存在である私の夢は、所詮夢でしかなく、私自身も夢にすぎないという現実を私に突きつける。
だから、私は現実になることを夢見た。
いつか私の現実がかなう時、この世界がもろとも夢と化して消えるとしても、今夢たる私に憂いはない。
だから、私は私にできるささやかなことを、何度も何度も繰り返すことによって私の夢をかなえようと努力してきた。
幾度もの失敗と、幾度もの予想外の結果。
積み上げた石が何度崩れようとも、そのたびにやり方を変え、修正を試み、高みを目指した。
父である天の魔王にも−−誰の力を借りることなく、たった一人で。
私が存在し、私が夢を諦めない限り、いつかこの夢がかなうと信じて。
彼と会える日が必ず来ると、ただそれだけを信じて。
−−でも、私の夢は最後の最後で途切れてしまった。
あの時、お城は全て血に飲まれ、薄れていく意識の中で、私は始まりの鐘とともに彼の声を聞いた。
人はもとより、目覚めたとたんに見たはずの夢を忘れてしまうもの。
なのに、何故だろう?
彼は、私のことを覚えていた。ずっと忘れることもなく、覚えていてくれた。
そのことが、その想いが、私からこの世界を消滅させるという思考を失わせてしまった。
完全な予想外の結果−−。
でも、どうしてだろう?
彼がこの世界で生きることを望んでいる。そう思った瞬間、私は彼の生きているこの世界でまた彼と会いたいと思った。そう思ったのだ。
・・・・・だから、いつかまた会えるその時まで。
いつか、あなたの想い出となるこの時代の物語を−−。
「大丈夫ですか・・・・・?」
えっ・・・・・?
僕が目を開けると、藍色の帽子とコートを羽織った見慣れた女性の姿があった。
「あの、大丈夫ですか・・・・・?」
「えっ・・・・・?あっ、うん・・・・・」
彼女−−リーティングさんの問い掛けるような声に反射的に反応してから、
「僕は、どうしてこんなところにいるんだっけ?」
と当然の疑問が僕の頭に浮かんだ。だが、すぐに気づく。
そうだ・・・・・!
僕達はあの時、レミィさんの血に飲み込まれて・・・・・!?
とにかく、僕は現状把握と、周囲を見渡そうとした。何度も何度も目を見開いて左右を見る。・・・・・何度も何度も・・・・・。
けれど、どんなに目を凝らしてみても、結果は全て同じだった。辺りは真っ暗で何も見えない。いや、何も存在していないのだろうか−−。無音の世界のように、辺りは静まり返っている。
どうやらここは、最初にリーティングさんと出会った場所らしい。
僕は再び、リーティングさんに視線を戻した。
「ここって、あの時の・・・・・?」
「ダイタさん、許して下さい・・・・・!許して下さ・・・・・い・・・・・!」
「リーティングさん・・・・・?」
驚き、僕はリーティングさんの名を呼んだ。彼女の言葉の語尾が、急速にかすれた。
「な、泣いているの、リーティングさん?」
リーティングさんはその場で膝をつき、泣いていた。ずっと泣いていた。
でも、僕に聞かすまいとしているのだろうか。押し殺した声で「うう、うう」と泣いていた。
「うう、うう」という彼女の声を聞いていると、僕はむしょうに彼女の涙を拭ってあげたかった。そして抱きしめて、「大丈夫だよ」と耳元で言ってあげたかった。
けれど僕は、リーティングさんの想い人ではなかった。全くの別人なのだ。いや、人でもない。
そんな僕が、リーティングさんを慰めることなんか、できはしなかった。僕では力不足なのだ。
リーティングさんの笑顔や、星のかけらで見た、リーティングさんとレーナティさんが過ごした日々、楽しかった思い出が、何度も何度も僕の頭をよぎっては消えていった。
泣きながら、ふとリーティングさんがささやくような声で言った。
「私、最低です・・・・・」
「えっ?」
僕は首を傾げた。
「あなたの気持ちも考えずに、私はレーナティさんのことばかり考えていました・・・・・」
「そ、そんなことないよ」
「でも、あなたを傷つけてしまった・・・・・」
「そんなことないよ」
僕は繰り返した。
本当にそんなことはなかったのだ。
「確かに・・・・・、僕がリーティングさんの想いによって創られた存在だったって聞いた時は、ショックだった・・・・・。・・・・・でも、それでも、みんなは言ってくれたんだ。大切な仲間だって!だから、大丈夫だって!」
と、とても嬉しそうに僕は言った。
そして、遠い目をして、「それに」と続けた。
「リーティングさんはいつも僕を見守ってくれていた。僕やマジョン達のことを守ってくれた」
まるで走馬灯のように、これまでの出来事が僕の脳裏に浮かんでは消えていった。
リーティングさんに導かれた名もなき大陸。バリスタの港町の海岸で、マジョンやふららさんに出会ったこと。フレストの街で、フレイやファミリアさんに出会ったこと。名もなき大陸の支配者、ターンとの戦い。レーブンブルクの街でのこと。ラミリア王国でのこと。夢の聖女、レミィさんとの出会いと戦い。
僕はリーティングさんに目をやった。
リーティングさんは、驚きと戸惑いの表情を浮かべていた。
「でも・・・・・」
と、リーティングさんはつぶやいた。
そして、悲しげに首を横に振る。
「私が、あなたを傷つけてしまったことは事実です。・・・・・ここをまっすぐに進んだら、そこから『アーツ』の世界へと戻れます。他の方々はすでに送り届けました。あとはマスター、あなただけです!」
「ダイタでいいよ!」
僕は真剣な顔で訂正した。
「あの、リーティングさんが最初に僕のことを呼んでくれた名前で・・・・・!」
「ダイタさん・・・・・」
リーティングさんは呼び直した。
「もうすぐ、ここは消滅します。ダイタさん、ここにいてはいけません!戻って下さい!」
「リーティングさんは?」
僕がそう聞くと、リーティングさんは小さく首を横に振った。
「・・・・・私は、ここに残ります」
「えっ?だってここ、消えてなくなっちゃうんでしょう?だったら、早く戻らないと!」
僕は掛け値なしに真剣な顔で、リーティングさんに言った。
「いいんです・・・・・」
少し考えて、リーティングさんは口を開いた。
「本当にいいんです・・・・・。私は−−」
「よくないよ!」
リーティングさんの言葉をさえぎって、僕は叫んだ。
それでも、リーティングさんは続ける。
「私はレーナティさんを守れなかった。本当に、最も大切な時にレーナティさんを守ることができなかった・・・・・。そればかりか、今度はダイタさん、あなたまで傷つけてしまった・・・・・」
再び首を横に振ると、リーティングさんは顔を曇らせた。
「だから・・・・・」
リーティングさんは力なくかぶりを振るとぽつんと言った。僕に視線を向けないまま。
「だから・・・・・、早く行って下さい・・・・・!そして、生きて下さい!ダイタさん、あなたは生きて・・・・・!」
「リーティングさん・・・・・」
僕は噛みしめるようにつぶやき、うつむき、しかしすぐに顔を上げた。
僕の脳裏に、リーティングさんの笑顔が過ぎる。
『ダイタさん』
僕の名を呼ぶリーティングさんの声が、聞こえた気がした。
あくまでも真剣な顔で、僕はリーティングさんに言った。
「リーティングさん・・・・・、死んでも償いにはならないよ。生きて周りの人を幸せにして!・・・・・それが本当の償いだよ・・・・・!」
リーティングさんはそれでも、首を縦には振らなかった。
思い詰めたような、悲しい顔のまま、リーティングさんは言った。
「ダイタさん、早く戻って・・・・・。もうすぐ、この空間は消滅します・・・・・。早くしないと、あなたが死んでしまう・・・・・」
リーティングさんはうつむいたまま、たたずんでいた。
おもむろに、僕はリーティングさんを見つめた。大粒の涙が僕の頬に流れた。
「リーティングさん・・・・・」
僕は、やっと聞き取れるような小さな声で言った。
「・・・・・レーナティさんを守れなかったこと、そんなに傷つけてしまっていたんだね。・・・・・リーティングさんはいつも、僕を助けてくれた。僕なんかを、リーティングさんのミリテリアとして認めてくれた。優しいリーティングさん・・・・・。それが、本当のリーティングさん・・・・・」
僕は瞳を潤ませ、リーティングさんの手を取った。
「・・・・・リーティングさんがここに残るって言うんなら、僕もここに残るよ!」
僕はそう言うと、優しくリーティングさんの肩を抱きしめた。
リーティングさんは涙をこらえるかのようにぎりっと唇を噛みしめていた。
だけどこらえきれなくなったのか、リーティングさんはじっと僕を見つめると、いきなり僕の胸に顔をうずめ、声を上げて泣いた。
「ダイタ・・・・・さん・・・・・。・・・・・ううっ・・・・・、ダイタさん・・・・・。あなたは、私のために−−、私なんかのために・・・・・!」
「リーティングさん・・・・・、僕は・・・・・っ!?」
君に会えてよかった。
そう言おうとした瞬間だった。
突如、まるで力が抜けてしまったかのように目眩を起こし、僕の視界が真っ白になった。
どさっ。
「ダイタさん!」
リーティングさんは絶叫した。
その時、リーティングがびっくりして、僕を抱き起こすのがわかった。
どうやら僕は突然、よろめき、地面に崩れ落ちてしまったらしい。
「ダイタさん!ダイタさん!私はそんなつもりじゃないのに、あなたを不幸にしてしまう・・・・・!」
リーティングさんはうろたえた表情で、何度も何度も僕の身体を揺さぶった。彼女の瞳から、涙がこぼれ落ちていく。
「死んではだめです!死んではだめです!ダイタさん!」
いつのまにか、リーティングさんの目からは大粒の涙がぽろぽろとこぼれていた。悲痛な叫びを上げ、僕をきつく抱きしめていた。
僕は浅い呼吸を繰り返しながら、リーティングさんにちらっと視線を送った。
「ご、ごめん・・・・・。ちょっと、疲れたみたいで・・・・・」
僕はふらつきながら、上半身を起こすと、エヘヘと笑った。
よく考えたら、セルウィンと戦った後に、レミィさんとも戦ったんだよな。
それにそれまでの間に、迷路のような城をずっとさまよい歩いていたし。
うーん。
やっぱり、無理がたたってしまったらしい。
僕がふらつきながらも、何とか立ち上がったその時。
「ダイタさん・・・・・!」
リーティングさんが僕を強く抱きしめてきた。
「リーティングさん・・・・・?」
僕は思わず、唖然としてしまう。
一呼吸置いてから、リーティングさんは僕の顔を覗き込んだ。
「私は生きます!ダイタさんと同じ時代で!レーナティさんがいたこの世界で!」
「うん!」
リーティングさんの決意に満ちた眼差しに、僕は力強く頷いてみせた。
「ダイタさんと一緒に!レーナティさんと一緒に!」
リーティングさんはそう言って、にこっと微笑んだ。
つられて、僕も笑みを浮かべる。
そして、思った。
そう−−、生きるんだ!
リーティングさんと一緒に!
同じ時代を−−。
同じ時を−−。マジョンと、そしてみんなと一緒に!
暖かい光が辺りを照らし出した。
不思議な感覚が、僕の身体を、そしてリーティングさんの身体を包み込んだ。
「ありがとう」というリーティングさんの声が聞こえた気がした。
何かに吸い込まれるような、どこかへ連れて行かれるようなそんな感覚だ。
自然と、僕は目を閉じていた。
リーティングさん。
と、僕は思った。
『必ず、行く。どんなに遠くにいても、僕は必ず行くよ。忘れないで、リーティングさん!』
消えいく意識の中、僕は誰かの声を聞いた気がした。