第18章 遥か遠くにいるあなたに
私は夢の中でいろんなことを考えた。
私は誰?
私は何故、ここにいるの?
私はどうしてここにいるの?
私は何のためにここにいるの?
夢というものには実体がなく、夢によって構成された私にも実体はない。そして、私の周囲は真っ暗で何も見えない。いや、何も存在していない。無音の世界のように、辺りは静まり返っていた。
やがて私は、自分が誰から生まれた存在なのかを知ることになる。
天の魔王、フレイム−−。
この世界の現実の世界での最強の魔王。私の生みの親。
でも、彼は私を知らないし、私が彼を知っていることも知らない。
それでも、私は彼を父と呼ぶことにした。
どうして私は彼を父と呼ぶことにしたのだろうか?
彼は私を知らないのだ。私が生まれたこと−−つまり、彼の魔力から自然発生した存在であることさえも知らないのだ。
例え、知っていたとしても、彼は私を必要とはしていなかった。そういう男だ。
でも彼を見た瞬間、私は感嘆の吐息を吐き出した。
私は一目で彼を認めた。彼の力を−−私より、遥かに大きな力を持つ彼自身を認めた。
私は嬉しいのか、悲しいのか、よく分からなかった。例え、知らないとはいえ、実の父親が見つかって天にも昇る気持ちになる、というほどには私は単純な性格をしていなかった。でも、今までの孤独や、何も知らないよりはマシなはずだった。その考えで満足するべきだった。
なのに、どうして私は、そこに一抹の寂しさやわずかな怒りの感情を感じたのだろうか?
この時、私は本当は、どのような父の存在を期待していたのだろう?
それから本当の意味で、私の私を見つけてくれる誰かを探す旅は始まった。
そして、時間は瞬く間に過ぎていった。
『・・・誰か、気づいて!』
私は幾度も、そう人の夢に語りかけたけれど、私の声を聞き取ることができる人はいなかった。
どのくらいの時が過ぎただろう。
私はその時には何も考えず、何も見ることもせずにその場にただ立ち尽くしていた。
「そこで、何をしている?」
「えっ?」
突然、声をかけられて、私は我に返った。
目の前に、銀色の髪の少年が私を見上げるようにして立っていた。
彼は腕組みをして睨みつけるような目つきで、私のことを見つめていた。
私はしばらく、じっと少年を見つめていたが、ややあって質問した。
「あなた、誰?」
聞きながら、私は周囲に視線を巡らせた。そこはいつもと変わらぬ無音の世界だった。もし、ひとつだけ、いつもと違うところがあるとすれば、私の他にもう一人誰かがいることだった。
「貴様こそ、誰だ?」
こちらを威圧するように少年は睨んでくるものの、まだ幼さが残る顔では、今ひとつ迫力が出ていなかった。
「私はレミィラン。天の魔王の娘よ」
「フレイムの娘だと!?」
「知っているの?」
私は首を傾げた。
父はそんなに有名なのだろうか?
少年はぶすっとした顔で、
「当たり前だ!知らん奴などおらん!」
「そうなのですか?」
「ああ!それにしても初耳だぞ!あいつに−−フレイムに娘がいるとは!」
少年はうつむき、細かく肩を震わせた。表情は陰が差して窺い知れない。
きっと、彼のことを思って、言葉にならないのよ。
私がそう思った瞬間。
「問い詰めてやる!」
少年はふふんっ得意げに鼻を鳴らした。
「と、問い詰めるのですか?」
私はびっくりして、つぶらな瞳を丸く見開いた。意外な言葉だった。
唖然としている私を尻目に、少年は激しく地団駄を踏みまくりながら、その場から姿を消した。
私はそれからずっと、あの時の少年のことをよく考えた。
私は寝ても覚めても『少年』のことを考えた。それにこの世界では、少年について想像するくらいしか暇つぶしがなかった。
私はよく考えた。
彼は一体、何者だろうか?
彼はどこから来たのだろうか?
彼は何故、ここに来れたのだろうか?
また、会えるのだろうか?
それはひょっとしたら恋に似ていたのかもしれないし、全然違うものなのかもしれない。
確かなのは、私の中に少年への『感謝』という気持ちが芽生えていたということだ。少年に感謝する理由が、私にはちゃんとあった。
彼は私に生きる理由をくれたのだ。
もし、少年が現れなかったら、私は未だにそこに生きる意味を見い出せなかったのだから。
つまり、まだ名前さえも知らない少年は、私に生きる理由をくれたのだ。ある意味では。
やがて私は本当の意味で、この夢の世界と共に忘れられた存在となった。
少年と別れてからかなりの時が過ぎ去った時、私はこの世界に私とは別の存在を創り出そうとした。
私は思い描いた想いを、この世界へと放ってみた。
けれど、この世界は私の想いを、私の夢を排除した。何度か繰り返したけれど、私の想いはすぐに消えてしまう。
私は考えた。
ならば何故、私は排除されずにここにいるのだろう?
私は気がついた。
私は現実世界の写しではなく、この世界のオリジナルの存在だからに違いない。
私は夢に自分のことを描き込んで、この世界に放った。私の想いを含んだ夢は、まもなく、この世界を私の色で染め上げた。
夢は私の世界、夢は私自身。
私は私の世界を、私自身を愛しんだ。
天の魔王の城は、不気味なほど静まり返っていた。
数日前に、魔物と遭遇したこともあって僕達は半ば魔物達が待ち構えているであろうことを覚悟していた。仮に魔王城まで知らせが届いていなかったとしても、ここは城だ。人間の王城なら守備兵が多数待機して門兵や巡回の兵だって必ずいるはずだろう。
でも、ここにはそういった役割を果たす魔物はいなかった。というよりも、どのような類の魔物も見当たらなかった。
石畳の廊下に響くのは、僕達五人の足音だけで、いかなる気配も感じ取ることはできない。当然あるべきものがないことが、僕達の不安を増大させていた。
「本当にここにセルウィンがいるのか?」
それまで敵に気づかれぬよう無言のまま城内を進んできた僕達だったけれど、ついに我慢しきれなくなって、フレイがマジョンを問い詰めた。
「そのはずですけれど・・・・・」
「だが、もぬけの殻とはどういうことだ。セルウィンの奴は、すでに別の場所に新たな拠城を構えたのではないのか?」
「待ってよ!フレイ」
僕は二人の会話に割って入った。
戦いを前に気が高ぶるのはわかる。
でも、いつものことだけど、フレイは絶対に誰かに八つ当たりしているとしか思えない・・・・・(涙)
「ここに、誰かがいるのは間違いないよ!ほら、見てよ!壁にはちゃんとろうそくの灯りが灯っているよ!」
「そうですね。少なくとも、ここに誰かがいるのは間違いないみたいです」
ふららさんも、フレイとマジョンの間をとりなした。
「・・・・・ふん。それなら何故、魔物どもは一匹も姿を現さないんだ!」
「それは−−」
マジョンがフレイの疑問に何かを答えようとした。その時だった。
「お待ちしておりましたよ」
僕達は一斉に身構えた。
どこからともなく、謎の声が聞こえてきたからだ。
敵襲・・・・・とか?
僕達は息を凝らし、周囲の様子に警戒をはらう。でも、四方に延びる通路のどこにも、誰の姿も見当たらない。そして、石の壁や床に反響して、どちらの方向から声が聞こえてくるのかもつかめない。
「新たに選ばれし、夢月のミリテリア−−、星の女神よ。そして、久方ぶりですね。マジョン」
謎の声は姿を現さないままに、僕達をあざ笑うかのようにそう言った。
「誰だ!?」
苛立ちを滲ませて、フレイが叫んだ。
噛みつくような勢いでそう吐き捨てるフレイの後ろで、マジョンはがたがたと体を震わせていた。
「私が何者か、ですと?」
フレイの言葉に、謎の声は楽しげに答えた。
「私はセルウィン・・・・・。『魔雲の大公』・・・・・と申し上げれば、お判りになられると思いますが・・・・・?」
「貴様がセルウィンか!」
「そうですよ」
声に合わせて、パチッ、と誰かが指を鳴らす音がした。
「・・・・・なに、これ?」
次の瞬間、呆然と僕はつぶやいていた。
僕だけではなく、マジョン達も目の前で展開される光景に言葉を失っていた。
それまで壁から通路のすべてを照らしていた無数のろうそくの灯火が一瞬にしてすべて消え、辺りは真っ暗闇に包まれた。と思った次の瞬間には、四方の通路のうち、一つだけ灯りが灯ったのだ。
「私に会いたければ、その道をお進みなさい。まあ、その勇気がありましたらね?」
声の残響音を残して、セルウィンの声は消えた。
僕達は顔を見合わせた。
「わ、罠・・・・・だと思います」
ガチガチに強張った体から、力が抜けていく。マジョンは長い長い溜息をつき、くたりと身をその場に横たえた。
「マジョン、大丈夫?」
「は、はい・・・・・」
ひょこひょこと心配げに近寄ってきた僕につかまって、マジョンはどうにか立ち上がった。
恐怖の余韻からなのか、マジョンはマリオネットのようにぎこちない動きになってしまっている。
そんな彼女の前に、僕はそっと手を差し出した。
「・・・・・大丈夫だから!」
「は、はい・・・・・」
僕がきっぱりと言うと、マジョンは小さく頷いて、手を僕のその手にあずけてきた。
マジョンの手は少し震えていた。
僕がしっかりとその手を握って上げると、マジョンもまた、健気な力でそれを握り返してきた。
「どう見ても、罠としか思えんだろう!」
と、フレイは僕達に言った。
僕達は頷いた。
誰の顔にも思案の表情が浮かんでいた。それに隠しきれない不安も。
先程のセルウィンの様子では、やはり僕達は待ち伏せされていたのだ。
このまま先に進むのは、あまりにも危険なことではないだろうか。
僕は−−いや、僕達はそんな不安を抱いていた。
「それがどうしたのですの?」
「えええっ−−−−−−!!!!」
沈黙を破ったのは、ファミリアさんだった。
そら恐ろしさを感じてしまうほどの場違いな明るい声で言うファミリアさんに、僕は絶叫した。
「魔王の城ですから、罠があるのは当たり前のことですわ!」
ファミリアさんの言葉に、虚勢の色はなかった。
「それに、見て下さいですわ!」
と、ファミリアさんはそのまま続けて、僕達が来た方向を指差した。
「先程の様子では、魔物さん達がわたくし達の位置を把握していることは間違いないですの!それに向こうは真っ暗闇ですし、戻るのは危険ですわ!」
さも意外なように、僕は目を丸くした。
振り返れば、マジョン達もびっくりして目を見開いている。
僕は思った。
きっと、マジョン達も思っただろう。
ファミリアさんが、まともなことを言っている!?
と−−。
いつもはただ傍観しているだけなのに、たまにファミリアさんは、僕達がドキッとさせる言葉を言ったりするんだよな・・・・・。
まあ、でも、そこがファミリアさんのすごいところだったりするんだけど、ね。
僕は一つ頷くと、そうやって当たり前のことを当たり前のように言えるファミリアさんが少し羨ましく思えた。
こうして、僕達の方針は決まった。
ファミリアさんの自信に満ちた言葉が、僕達一人一人の心に勇気を与えていた。
「よし、行こう!」
と、僕は言った。
ろうそくの炎が指し示す道を、僕達は歩き始めた。
ろうそくの炎に導かれ、僕達がたどり着いたのは、巨大な鋼鉄の扉の前だった。物々しい紋様が扉一面に描かれて、それだけで一種異様な雰囲気を醸し出していた。
この向こうで、セルウィンが待っている。
否応なく高まる緊張感に、僕は息を呑んだ。
「お待ちしておりましたよ。さあ、どうぞ」
扉の向こうから、さっきと同じ声が響いた。さっきと一つだけ違うのは、声の発信源はこの向こうだとはっきりしていることだった。
「お呼びだ。行くぞ!」
フレイの言葉に僕達は頷き合い、そして巨大な扉を押し開いた。
その向こうに広がっていたものは−−
そこは巨大な広間のようだった。天井には、美しい不死鳥のような生き物が描かれた壁面が飾られ、壁には美しいステンドグラスがはめられていた。
僕達が押し開いた扉から一直線に豪華な真っ赤な絨毯が敷き詰められて、そしてその遥か先には、宝石をいくつもはめ込まれた、きらびやかな玉座があった。
その玉座に、彼はいた。
マジョンと同じ金色の髪と、端正な顔立ちの壮年の男性が、壮厳な雰囲気を醸し出していた。若そうだが落ち着いた物腰で、本当の年齢は分からない。
マジョンのお父さんだから、それ相応の年齢はいっているとは思うけれど。
「逃げずにここまで来られるとは、感心ですね」
玉座の上から僕達を出迎えたセルウィンは、両手を高く掲げて立ち上がった。
「ここ最近、私も暇を持て余していましたからね。久しぶりのお客様で嬉しいのですよ。それに、ふふふっ・・・・・!!」
「茶番はそこまでにしろ!セルウィン!」
剣を鞘から抜き放ちながら、フレイが叫んだ。
「茶番、ですか?これは手厳しいですね・・・・・」
セルウィンは微笑んではいるが、その声にはほんのりと怒気が含まれていた。
まあ、確かに怒るよね、と僕は思う。
セルウィンは以前戦ったターンの君主で、『魔雲の大公』という異名をとる恐るべき力の持ち主だ。そして、彼が実質上、この世界『アーツ』の支配者として君臨しているのだ。
言ってみれば、いまやこの世界を恐怖のどん底におとしいれている存在なのだ。
それほどの彼が、たかだか数人のほとんど名も知られていない僕達に、話を中断させられただけではなく、茶番だとののしられたのだ。怒らないわけがない。
セルウィンは、不愉快そうにフレイを見た。
フレイは構わす、セルウィンに向かって言った。
「レミィランは何処にいる!」
「レミィラン・・・・・?ああっ!夢の聖女様ー−、フレイム様のご令嬢のことですね」
苛立つ心のまま、声を限りに叫ぶフレイとは逆に、あくまでセルウィンは冷静に答えた。
あ、あれ・・・・・?
僕は目を丸くする。
セルウィンはレミィさんがフレイムの娘だということを知っているのだろうか?
驚いた表情を浮かべて、僕はセルウィンを見つめた。
ということは、フレイムもレミィさんが自分の娘だということも知っているんだ!
僕がそう考えている間にも、フレイは鬼気迫るような声で怒鳴った。
「何処にいやがるんだ?」
「おや?あなた方のような方々が、夢の聖女様にご用があるのですか?」
髪をかき上げながら、セルウィンは大げさに驚いてみせた。
こうなることはお見通しだったと言いたけな余裕が、僕達に対しての当てこすりにしか思えなかった。
というか、多分そうだろうと思うけれど。
うーん。
セルウィンは肩をすくめ、愉快そうに告げた。
「夢の聖女様のいる世界へは、この玉座の後ろの水晶の宝石から行くことができますよ」
右手を差し伸べ、聖者の笑みを浮かべながら、セルウィンは言った。
「ですが・・・・・」
ふと、セルウィンの笑みがいたずらっぽくなる。
「私とて、そう簡単にやられたりはしませんよ・・・・・。これはあなた方に対する試練・・・・・。一応、暇つぶしでお相手させて頂きますが、・・・・・もっとも、この程度の力の私に勝てなければ、彼女に会う資格も何もありませんけれどね」
「ふざけるな!暇つぶしだと!」
聖者に見せかけた悪魔の誘惑を払うように頭を振り、フレイは叫んだ。
フレイの怒りは当然だった。セルウィンは遊び半分で僕達の相手をするというのだ。これでセルウィンの提案を喜んで受け入れる人がいるとすれば、そいつは本当に、ただの負け犬だろう。
セルウィンは余裕の表情で、フレイの怒りに笑いながら応じた。
「ふふふ・・・・・!!!私はこの世界の支配者であり、そして天の魔王のミリテリアなのですよ。あなた方ごとき、暇つぶしにしかならないに決まっているのですよ」
「私達はレミィさんを止めたいんです!この世界を守りたいんです!」
ふららさんは目にいっぱいの涙を溜め、両手を胸に掲げた。
別に意外なことではなかった。ふららさんなら、争いを止めようとするのは、むしろ当然のことだ。
当然でなかったのは、セルウィンの次の台詞だった。
「そんなことはどうでもいいのですよ」
「へっ?」
僕は間の抜けた声を上げる。
一瞬、セルウィンが、何を言ったのかが分からなかったからだ。
「ふふふ・・・・・」
と、セルウィンが楽しげに喉を鳴らした。
「いいでしょう。もはや言葉ではなく、拳で語り合うべきでしょう」
セルウィンは肩をすくめ、軽く首を振ってみせた。そして、ぼそりと小さくつぶやく。
「・・・・・・・・・・彼女のためなら、この世界ー−そんなことはどうでもいいのですよ」
そんな低く冷淡なつぶやきは、誰の耳にも届かなかった。
僕達とセルウィンとの戦いが始まった。
「喰らぇぇぇぇぇっ!」
だんっ!
宣戦布告するやいなや、セルウィンに駆け寄ったフレイが剣を振り落とした。その隙をつき、ふららさんが風の魔法で援護して僕が必殺の一撃を抜き放つ。
それらすべての攻撃をいとも簡単にセルウィンは防いでみせた。圧倒的な力と、圧倒的な存在感だった。
僕達がこれまでの旅で培ってきた陣形が、セルウィンには通じない。相手は一人で僕達は五人(ファミリアさんは応援だけど・・・・・)だというのに、そのことの不利もまったく感じさせない。
「ふふふ!その程度では、私には勝てませんよ!」
哄笑しながら、セルウィンはいつのまにか手にしていた剣を横殴りに振るった。
「くっ!」
それを受け止めようとしたフレイの手から、剣が弾き飛ばされる。
「終わりですね!」
無手になったフレイにとどめをさそうと、セルウィンは剣を振りかぶった。
「フレイさん!」
と、フレイの名前を呼びながら、ふららさんはセルウィンの一撃を止めようと、再び、魔法を放った。
「エルドランド!」
ふららさんが放った魔法をわずらかしそうに手で払いのけ、しかしまるで痛みもなさそうに、セルウィンは余裕の笑みを浮かべる。
「り、リーティングさん、力を貸して!レバエレーションズー−っ!」
雄叫びを上げた僕の叫びとともに、剣が虹色の光に包まれていく。
かって追い風に吹かれたときのような、圧倒的な開放感だったと形容したそのままに、僕は高く高く飛び上がる。
そのまま重力に加速の力をのせて、僕は渾身の力を込めて、セルウィンに剣を振り下ろした。
しかし、わずかに剣ははずれ、彼に避けられてしまう。
「まだまだですね・・・・・」
セルウィンの呪文の詠唱とともに、大爆発が僕を包み込んだ。
「うわああああああっ!」
渾身の一撃があっさりとはずされ、僕の身体は大きく弧を描いて宙に舞った。
そして、どさりと地面に落ちる。
「くっ・・・・・!」
ボロボロの身体を気力で立ち上げようと、僕はもがく。
セルウィンはそんな僕を見て、余裕の笑みを浮かべていた。
そんな!
夢月の力が通じないなんて・・・・・!?
「・・・・・」
つ、強い−−。
僕は無意識にそうつぶやいたつもりだったが、唇がかすかに動いただけだった。
その心のつぶやきは、セルウィンの圧倒的なパワーに対する、恐怖と驚きから出た本年であった。
だけどそれでも僕は諦めずに、起死回生のチャンスを待った。
避けられたことに、夢月の力が通じなかったことに、僕はいつまでも執着しなかった。
それに、と僕は思う。
まだ、みんなは戦っているんだ。
そう−−、僕には護らなければいけない大切な人がいるんだ。
だから−−!
「−−うおぉぉぉぉぉぉぉ!」
僕は雄叫びを上げた。
僕はあえて剣を投げ捨て、無手になると、再び、セルウィンに身体ごとぶつかった。
今の今まで呆然としていた僕を侮って、視線をフレイとふららさんに移していたセルウィンは、まともにその一撃を喰らってよろめいた。
「ふふふ・・・・・」
セルウィンは、口の端から血をしたたらせながら、ゆっくりと顔を上げた。そこには、満足感をたたえた笑みがあった。
「いいでしょう。とりあえず、合格としましょう」
「・・・・・」
今の僕には、セルウィンのつぶやきを聞き、ぜぇぜぇとあえぎ声を返すことしかできない。
「・・・・・私には分かりますよ。あなた方が恐怖で凍りつく姿が!」
そう告げると、セルウィンはその場から姿を消した。
「・・・・・か、勝ったの、かな?」
だいぶ間があってから、僕は言った。
その時でも、息をはあはあと情けないほど切らせながら、僕は誰にともなく聞いた。
相手はあの『魔雲の大公』の異名をとるセルウィンだった。
もしかしたら、また、僕達の前に姿を現すかもしれない。
その不安が、僕には残っていた。
周囲を窺っていたフレイが、ゆっくりと僕の方を振り向いて答えた。
「もう、出てこないみたいだな!」
僕は息を吐き出した。
尻餅をつき、肩膝をついたまま、僕は広間を見渡した。
僕達は満身創痍という言葉がぴったりのボロボロで、フレイはふららさんに肩を借りて立っていた。そんなフレイやふららさんに、マジョンが回復魔法を唱えている。
傷だらけなのは、僕達だけではなかった。
広間の壁には、至るところに裂け目が走り、あるいは焦げ跡が残されていた。
セルウィンは自分の城をここまでボロボロにしていいのだろうか?
場違いとは思いながらも、僕はしみじみとそう考えてしまった。
それらの光景を眺めているうちに、ゆっくりと現実が僕の中に染み込んでいった。
僕達が、あのセルウィンをしりのけたんだ。
僕は再び、マジョン達に目をやった。
マジョンにも、ふららさんにも、フレイにも、ファミリアさんにも、その表情には笑顔が浮かんでいた。
達成感が、僕を包んでいた。
でも、僕はそこで首を振る。
そして、玉座の背後にある水晶の宝石に目を向けた。
−−まだ、終わりじゃないんだ。
−−まだ、何も終わったわけではないんだ。
僕は顔を上げた。
そしてすぐに、マジョンに目をやった。
マジョンは決然とした表情で、僕に力強く頷いてみせた。
「行きましょう!ダイタさん」
僕もそれに応えるように、こくんと頷いてみせた。
「ここって夢の世界なのかな?確かに現実感が全然ないけれど」
僕は困ったように肩をすくめた。
「夢の中って殺風景なのですね」
「本当ですわ!」
マジョンの言葉に後押しするかのように、ファミリアさんは言った。
「確かに上も下もないというのはなじめませんね」
「ふっ・・・・・、例え、どんなことがあっても、ふららさんだけは俺が守ってみせますよ!」不安そうなふららさんの言葉に、フレイがあまりにも根拠のない台詞を言った。
・・・・・ふららさんだけですか?
僕は悲しげに溜息を漏らした。
僕達が何処へ行けばいいのか分からず、悩んでいると、突然、僕達の前に道が現れる。
「こっちに来いということか!」
フレイは肩をすくめ、そして僕達はそろってその道を歩き始めた。
僕達がしばらくその道を沿って歩いていると、その先に薔薇をあしらった小さな城が姿を現した。
そして、大きな扉がひとりでに開いて僕達を歓迎したかと思うと、僕達が入った直後ですぐに閉じてしまった。
まるで、他に選択肢を与えないかのように−−。
「後戻りはできないみたいだね・・・・・!」
僕はふうっと溜息をついて、ガクンと肩を落とした。
「そうですね・・・・・」
マジョンはうつむいたまま、僕の言葉にこくりと小さく頷いてみせる。
先程のセルウィンのこともあってか、マジョンの表情には、まだ少し恐怖の色が残っていた。
フレイが大げさに拳を突き上げて、高らかにこう宣言した。
「まあ、こちらも決着をつけずに帰るつもりはないがな!」
フレイはそう言って、にやりと笑ってみせる。
そんなフレイに、あからさまに呆れ顔になりながらも、僕はマジョンに言った。
「・・・・・とにかく、先に進もう!」
「は・・・・・はい!」
僕がそう促すと、マジョンは少し戸惑いながらもしっかりと頷いてくれた。
そして、僕達は先に進み始めた。
レミィさんは大きなソファーに座ったまま、僕達を待ち受けていた。
「レミィさん!」
僕はそう叫んだ。
まだ、遠巻きとしてしか、レミィさんの姿を確認できていなかったマジョン達の顔にも動揺が走った。
平然としていたのは一人だけ。乾いた表情で成り行きを見守るレミィさんだけである。
フレイは、喉を裂かんばかりの大音響をあげた。
「貴様、覚悟しろ!」
「思ったより、セルウィンにてこずったのね」
レミィさんはくすくすと笑った。
「でも、私達はここまでやってきました!」
マジョンは意志の光を灯した瞳で、レミィさんを見つめた。そして、ざっ、と一歩前に進み出る。
「本気で、私を消す気?」
「ふららさんを傷つけた奴を許せるか!」
フレイはむすっとした顔で、レミィさんを睨みつけた。
「この世界の未来を、奪わせるわけにはいきませんから!」
ふららさんは落ち着いたトーンの声でそう言った。
「わたくしは、わたくしとダイタ様との素敵な未来のために頑張りますわ!」
ファミリアさんはそう告げると、真意に満ちた表情で僕に迫った。その瞳はどこか、憂いに満ちている。
す、素敵な未来、ですか・・・・・。
ファミリアさんは実際のところ、この世界が崩壊してしまうかもしれないってことを、あまり深刻に考えてはいないのかもしれない。
僕はそう思わずにはいられなかった。
−−あああ・・・・・。
「か、勝手に決めないで下さい!ファミリアさん!」
肩を震わせながら、マジョンは言った。どこか怒りがこもった口調である。
「レミィさん」
だが、すぐにレミィさんの方に振り向くと、マジョンはいつもの調子で、でもいくぶん表情に緊張をみなぎらせて言った。
「私は絶対にあなたを止めてみせます!」
そして最後に、僕は重く息をついた後、レミィさんをじっと見つめた。
「この世界に生きるみんなのために!僕自身のために!僕はレミィさんを止めてみせる!」
僕はそう宣言すると、背中から愛用の長剣を抜き放った。
マジョンもフレイ、それぞれの武器を取って構える。
ふららさんは魔法を唱えるべく、呪文の詠唱に入った。
「が、頑張って下さいですわ!」
少し固い応援の言葉とともに、すすっとファミリアさんの気配が僕達から離れた。
不安、かすかな恐れ、そして希望。色々な想いをごちゃ混ぜにしたような、何とも複雑な声だった。
視線をレミィさんに向けたまま、僕は手を横に突き出し、びしっと親指を立ててみせる。
「大丈夫だよ、ファミリアさん。僕達は絶対に勝つよ!」
僕は身じろぎもせず、きっぱりと言い放った。
レミィさんは立ち上がり、僕達ににっこりと笑いかけた。
「私も、私の世界のために、そしてあの人に会うために、あなた達とあなた達の世界を滅ぼすわ」
そして僕達に向かって、レミィさんは両腕を広げた。まるで、死の抱擁を交わすかのように。
一斉に僕とフレイは、レミィさんに駆け寄り、剣を振るった。ふららさんの放った魔法がレミィさんに向かって放たれる。
だが、レミィさんはそれらを全く避けることはせず、まともに喰らう。
そして、レミィさんは床に倒れた。
レミィさんから流れ出す真っ赤な血が、床に大輪の赤い薔薇を描き出す。
「どういうつもりだ?」
「終わりが、来るのよ」
訝しげに眉を寄せたフレイに、レミィさんは静かにそう告げた。
その言葉を聞いたとたん、僕の身体がぞくりと震えた。
僕の胸に、言い知れぬ不吉な予感が走った。
意味ありげに微かに笑ったレミィさんは、そう言い残して消えていった。だけど、彼女の真っ赤な血は消えないままだった。いや、消えないどころか、どんどん増えていく。
「おい!何か変じゃないか!あいつは消えたのに、血だけが増えていきやがる!」
「どういうことでしょうか?」
訝しげに眉を寄せるフレイに、ふららさんは不安げにそうつぶやく。
そして、僕達の誰もがその光景に、見た目以上の異様さを感じ取っていた。
どういうことなんだろうか?
キョロキョロと周囲を見渡しながら、僕は思った。
『終わりが、来るのよ』
僕の脳裏に、先程のレミィさんの追いつめるような、まっすぐでひるまない視線が思い出される。
もしかして、ここまでレミィさんが僕達を呼び寄せたのも、全部罠だったんじゃ・・・・・!?
その時、突然、消えたはずのレミィさんのくすくすと笑う声が聞こえてきた。
「貴様!まだ、生きていたのか!どこだ!どこにいる!」
フレイが辺りを見回しながら、声を限りに叫んだ。
「あら、私はあなた達の目の前にいるじゃない。それに確かに、あなた達は私を殺したわ。そして、私はこの世界自身。この世界に足を踏み込んだ瞬間から、私はあなた達の目の前にいたわ。だから、この世界は崩壊するの」
レミィさんの語る言葉の意味が、ゆっくりと僕の中に染み込んでいった。
つまり、レミィさんとこの夢の世界が、同じ存在ってこと?
と、呆然としながらも僕は思った。
「そ、そんな・・・・・」
小刻みに震えながら、マジョンがささやくような声で言った。
「もしかして、広がっていくあの赤い血は、夢の世界の崩壊、そのものなのですか・・・・・?」
「そう。あなた達は、夢の終わりを告げる鐘を鳴らしてくれたわ」
無情にも、ふららさんの言葉にレミィさんはそう答えた。
恐怖にわしづかみにされる僕達をあざ笑うように、レミィさんは楽しげに語った。
「・・・・・世界が消えるってことは、新たに世界を創造する必要があるわ。でも、私にはそんな力はなかったの。だからセルウィンに頼んで、手当たり次第に力を集めてもらったのよ。でも、まだ足りない。だから私は、私の想い出を差し出すわ。私の想い出をはぐくんできた私のお城と、私自身を。そう、あなた達が創り出してくれたわ。もうすぐ、このお城は崩壊する。あなた達も、それに飲まれて消えるといいわ」
誰もが言葉を失っていた。僕はレミィさんの言葉を、すぐには理解することはできなかった。
けれどお城の崩壊で、レミィさんの血はじゅうたんを染めるだけでなく、レミィさんが座っていたソファーやサイドテーブルやカーテンや壁を染め上げ、飲み込みながら僕達の足元へ近づいていく。
「くそっ!」
動揺もあらわに、フレイが叫んだ。
僕達はそこから逃れるように、一斉に走り出した。
けど、逃げ場はない。僕達を迎え入れた扉など、もうこのお城にはなかったのだから。
「どうしたら、どうすれば−−」
いいの?と言いかけ、僕は慌てて口をつぐんだ。代わりに瞳で心を届ける。
フレイは無言で、襲いかかってくる血を苦渋の眼差しで睨みつけていた。
手の打ちどころがない。フレイの目は確かにそう告げていた。
僕達は完全に打ちのめされたかのように地面に膝をつき、倒れ込んだ。
どこへも、もう逃げられない・・・・・?
逃げられないのだろうか・・・・・?
「どうしたら、いいのですの・・・・・?」
完全に冷静さを失った顔で、ファミリアさんは叫んだ。
でも、そんなファミリアさんの叫びに応える者はいなかった。いや、応えられなかった。
絶望の沈黙が、僕を押しつぶそうとしていた。
そしてお城はすべて血に飲まれ、薄れていく意識の中で、僕は微かに始まりの鐘を聞いた気がした。
ねえ、ダイタさん。
私も、私の大切な人のことを考えていたのよ。
あなたがあなたのためではなく、あなたの大切な人のことを考えていたように。
次回から少しずつの投稿になります。