ライム・ア・ライト2(第一章、あなたが教えてくれたもの2)
何だか本編より番外編の方が長くなってきました
ララティアが『勇者の導き手』と呼ばれ、『聖女』と称えられ、世界の希望の一端を引き受けることになる前――ラト達がいるこの時代から十年後のある出来事によって、ゼフィアの存在は知らされた。
その日、この世界の空は赤く染まり、一つの存在が大地に降り立った。 巨大な空中要塞の到来――。
異界からの侵略者――。
そして、ゼフィア。
かって千もの世界を略奪し、真のミリテリアマスターとさえ呼び称された最強のミリテリアマスター。
すべての生きとし死せる者に恐怖を平等に与え、そしてある日忽然と歴史の表舞台から姿を消した伝説の存在。 その伝説のミリテリアマスターが、長きに渡る沈黙を破り、この世界アーツに突如現れたのだ。
そんな話を聞かされた時、所詮ははるか別世界の話だとこの時、ララティアは思っていた。自分には全く関係のない話だとずっと思っていたのだ。
だが、この日を境に、この世界――アーツの地上から六人の神々は姿を消した。その理由はわからない。もしかしたら、ゼフィアによって彼らは元々存在していた『始まりの地』と呼ばれる世界へと封じ込まれたのかもしれない。ただひとつ確かなのは、その瞬間から魔法という力は、この世界から消え失せてしまったということだけだった。
何をすべきか迷う者。
自暴自棄になる者。
これからどうすべきかという意見など、容易にはまとまらなかった・・・・・。
彼らに――異界からの侵略者に対抗できる者は、彼らと同じく魔法を使える者は、いや、かって最強として称えられたミリテリアの力さえも失ってしまっていた人々にはどうすることもできなかったのだ。
ただ一人をのぞいては――
ゼフィアと同じくミリテリアマスターとしての資質を持つ少女。そして、普通の人よりも魔力の潜在能力がはるかに高かったためか、彼女だけは六人の神々がいなくなった後でも、魔法を使うことができたのだった。
人々は魔法を使うことのできる、ただ一人の少女――ララティアを『聖女』として祭り上げた。
ゼフィアを倒す唯一の手段として――。
ミリテリアマスターとして――。
きたるべきその日には、その折にもたらされた少年とともに、この星を守るべく戦う勇者の導び手として。
「・・・・・それからだと思う。私が本当のお父さんとお母さんから離されて、魔法の修行のために神殿で生活をし始めたのは」
夜風に長い赤色の髪をなびかせながら、ララティアは深く大きな溜息をついた。
「でも結局は神殿で修行しても、最初から使えていた星の魔法しか使えずじまいだったんだけどね」
「・・・・・・なるほどな」
ララティアの長いゼフィア話を聞き終え、ラトは唸った。
「未来の世界では、そんな大変なことが起きていたのか・・・・・!」
それから首を傾げた。
「でも、どうしてだ? それなら、そんな状況なら、あのセルウィンも魔法が使えなくなっているはずだろうが! それに、そのもたらされた『少年』というのは一体何者だ?」
セルウィンがいくら最強の魔王のミリテリアとはいえ、他のミリテリアが魔法を使えなくなってしまっているのに、さすがに彼だけが魔法を使えているというのはおかしな話である。
他のミリテリアが、ミリテリアとしての力を失ってしまっていたとしても、彼だけがその力を使えるものなのだろうか?
それとも、ララティアと同じく魔力の潜在能力がはるかに高かったためだろうか?
本当にそうか・・・・・?
俺はそうは思わなかった。
むしろ、セルウィンとララティアとでは違う理由からではないだろうか。
ララティアに関して言えば、俺も魔力の潜在能力がはるかに高かったためだと思う。なにしろ、その力のせいでララティアはゼフィアの息子であるサークジェイドに見出され、目をつけられてしまったのだから。
けど、セルウィンはそうではない。確かに、天の魔王のミリテリアだけあって巨大な魔力を持っていることだろう。間違いなく、ララティアをしのぐ魔力を持っているはずだ。と、そこまでは、ララティアとセルウィンは確かに同じ理由とも言えなくもない。
だが、セルウィンの場合は、ララティアの話を聞く限り、以前と――つまりこの時代の時と変わらぬ強さを兼ね備えている。とても魔力の潜在能力がはるかに高かったという理由だけでは説明できないだろう。
それに、その時にもたられされた少年というのも気になる。
一体、何者なのだろうか?
ラトの話を黙って聞いていたララティアが、「なるほど」と唸った。
「そう言えばそうだね!」
それから不思議そうにつぶやいた。
「それにしても、どうしてセルウィンだけが、ミリテリアとして普通に魔法を使えるんだろうね・・・・・?」
「本当にな」
もしかすると、ゼフィアとセルウィンは何らかの関係があるのかもしれないな・・・・・。
そう言えば、さっきララティアが気になることを言っていた。
ゼフィアが現れた日を境に、六人の神々は姿を消した、と――。
だが、いくらゼフィアの力が巨大だとはいえ、六人の神々全てをその日のうちに『始まりの地』と呼ばれる世界に封印するなんて、本当にそんなことありえるのだろうか・・・・・。
「ところで、ラトくん」
ラトの思案は、えびこの呼びかけによって中断を余儀なくされた。
気を取り直してラトは言った。
「なんだ?」
ラトはそう言いながら振り向いた。
そしてえびこと視線がぶつかると、ラトは溜息まじりに訴えた。
「・・・・・まだ、いたのか?」
「ひ、ひどいっス!!」
右手を掲げたポーズを決めたままの態勢で、がくん、とえびこは腰を落とした。
「で、まだ何か用かよ!」
「当たり前っス!」
と、強く言ってから、少し考え、えびこは付け加えた。
「まだ、これからどうするか決めていないっスよ!」
「・・・・・そんなの、とっくに決まっているだろうが!」
ごく当然のことのように答えたラトに、えびこは慌てて叫んだ。
「ど、どういうことっスか!?」
もちろん、答える義理はなかった。えびこは先程、俺に対して手痛い仕打ちを仕掛けた張本人なのだ。ついでに言えば、一番信じられない憎むべき存在でもある。
だが、俺は答えた。
それはむしろ、えびこに話したというよりも、ララティアに話したというべきだったのかもしれないが。
「セルウィンが、六人の神々がいなくなった未来の世界でもミリテリアとしての力を使えるのは必ず何らかの理由があるはずだ! なら、この時代にいる六人の神々やそのミリテリアと会えば、きっとゼフィアを倒す秘策とかがつかめるはずだろうしな!」
えびこはぽかんと口を開けた。
そばで二人の会話を聞いていたララティアも、思わず戸惑いの表情でラトを見つめる。
しばらく間を置いて、えびこは恐る恐る口を開いた。
「・・・・・そ、そこまで考えていたっスか!? 意外っス!!」
「どういう意味だ!」
えびこの予想以上の驚愕ぶりに、ラトは思わず刺々しく言った。
その間に、ララティアが邪気のない口調でえびこに聞いた。
「えびこさんも、今回は私達と一緒について来てくれるんだよね?」
「ぎくっス!」
ん・・・・・?
えびこはわざとらしく咳払いをした後、とびっきりの笑顔で言った。
「・・・・・む、無理っスよ。 今から急用があるっス!!」
「そうなんだ」
いつのまにか、うつむき、考え事をしていたラトが顔を上げた。
「・・・・・貴様のことだから、急用とか言いながらも、どうせ何の用もないような気がするが!」
またもや、えびこが「ぎくっ!」と飛び跳ねた。
「まあ、いい」とつぶやいて、ラトは姿勢を正した。
えびこからララティアに視線を移すと、ラトは言った。
「とにかく、まずは時音のミリテリア――大勇者ラスト=エンタ―ティナーに会いに行くぞ!」
相変わらず仏頂面でそう言うと、ラトはララティアに背中を向けた。
「はぁ――いっ!!」
元気はつらつといった感じでララティアはそう答えると、そのままラトの後を追いかけるように走っていく。
ただ一人、その場に取り残されたえびこは、ホッと胸をなで下ろした。
「・・・・・な、何とか助かったっスね」
誰に言っているのか分からない言葉で締めくくった後、謎の高笑いを残して、えびこはその場から姿を消した。
どこまでも続く大平原に一人の男の声がこだまする。
「・・・・・久しぶりだな、小動物に小娘!」
騎士風の男はそう言って、兜の鉄仮面に手をかけた。
鉄仮面を上げたそこには、端正な顔立ちのいかにも騎士であることを象徴しているような男の姿があった。
平原に一陣の風が吹きぬけ、鉄仮面を投げ捨てると、騎士風の男は絶叫する。
「かっては確かに私は貴様らに敗れもした。 しか―し、今は違う!」
叫ぶと同時に、騎士風の男は突然、右方向に側転する。
「ふっ、侮ったな、小動物。 見えない光線など、この白炎騎士団のサタナエル様にかかれば、まるでスローモーションのようだぞ!」
続いて騎士風の男は、猛烈な勢いで、かつ表情はあくまでスタイリッシュさを崩さずに、今とは反対方向に側転した。回転を止めると、ビシッとポーズを止め、再び誰に向かってでもなく絶叫する。
「何度、やっても無駄だ!!! 貴様らの攻撃など、私には手に取るようにわかるのだ!!!」
「素晴らしいであります!! サタナエル様!!」
突然、どこからか威勢のいい、歓喜の声がかかった。
サタナエルは満面の笑みを浮かべる。どこからか現れた、彼と同じく騎士風の一団が彼に近づいていった。先頭に立った男が、真剣な眼差しでサタナエルに声をかけた。
「さすがはサタナエル様、イメージトレーニングによって実戦を試み得ようとは素晴らしいであります!」
兜を脱ぎながら背後から一歩進み出たのは、二十歳前後の青年だった。意志の強そうな眼差し、真一文字に引き結ばれた口元、いかにも熱血漢然とした好青年に見える。
「おおっ、ベクル! やはり、貴公にはそれが分かるのか!」
「もちろんであります!」
ベクルが答えると、残る四人も次々と、
「ですとも!」
「なんだな!」
「そうですわ!」
「そうですよぉ!」
口々に褒め称える。誉められたサタナエルは、満面の笑みになった。
「わあっはっはっはっは、見ろ、小動物に小娘! この次、戦った時、敗れているのは貴様らの方だ。 やはり、私こそが正義!」
ほとんど猿芝居の域である。
まるで夢見る乙女の口調で、サタナエルはこうつぶやいた。
「これならばもう、私の勝利は約束されたも同然だろう・・・・・」
その頃、ラトは訝しがっていた。自分の隣を歩くララティアのことである。
時音のミリテリアであり、大勇者として名高いラスト=エンターティナーに会うため、ラト達はアズリアの街に向かっていた。
だが、その道中でラトは驚愕の事実を知らされることになる。何故なら、ララティアが、あの大勇者ラスト=エンターティナーのことを全く知らないと言うのだ。挙げ句の果てに、何で知らないのかと質問すると、ララティアは至極真面目な顔でこう答えたのだ。
「・・・・・だって、会ったことないもの」
「会ったことなくても、名前くらいは知っているだろうが!」
「えっ!? その人って、そんなにすごい人なの!」
このふざけた発言を聞いた時、ラトは耳を疑った。
大勇者、ラスト=エンターティナー。
この世界に数多くいる勇者の中でも、最強とさえ呼び称された勇者の中の勇者。
それを知らないと言うのだ。
いくら未来の世界では知る機会がなかったと言っても、この時代では彼の活躍の節々は嫌でも耳に入ってくるものだ。それなのに、ララティアは彼の名前すらも聞いた事がないと言う。
まったくもって世間知らずと言わざるを得なかった。だが、ここまで世間知らずだと、かえって不気味なことも事実である。大勇者、ラスト=エンターティナーを知らない。こう言いきりながら、その表情に満面の笑顔を浮かべているのも胡散臭い。あるいは、こう言っておくことで、また俺をびっくりさせようとしているのではないだろうか。
ラトは改めて、ララティアに訊ねてみた。
「本当はおまえ、ラスト=エンターティナーのこと、知っているんじゃないのか?」
「知らないよ!」
と、ララティアは即答した。
それでも、ラトはララティアのことを訝しげに見つめた。
「本当かよ! ・・・・・だいたい、あの大勇者、ラスト=エンターティナーのことを知らないなんて、嘘をついているとしか考えられないが・・・・・!」
「だって、本当のことだもの!」
そう話すララティアの瞳は、どこまでも澄んでいた。まっすぐな瞳だ。
ついに、気がつくとラトはこう頷いていたのである。
「・・・・・そ、そうみたいだな」
「うん!」
と、ララティアは満足げにラトに微笑みかけた。
――と、まあ、そんなドタバタ劇がありながらも、ラトはララティアとともに歩みを進めているわけだった。
だが、ラスト=エンターティナーのことを知らない、と語ったララティアの言葉はとりあえず信用したものの、まだラトには不審に思っていることがあった。
つまり、以前、ララティアが話してくれた話の中に出てきた『もたらされた少年』とは何者か、という疑問だ。きたるべきその日には、その折にもたらされた少年とともに、この星を守る使命がある、とあの時、ララティアは話していた。
それなのにどうしてだろうか?
未来の世界では、ララティアは一人でこの星を守ろうとしている。たった一人で、ゼフィアと戦おうとしているのだ。
俺はララティアの力を信じている。
星の魔法しか使えないとはいえ、ララティアの魔法の威力はすごいと思っている。
だが、しかしだ。
それでも、やはり魔雲の大公、セルウィンやゼフィアといった連中に敵うはずがないだろう。
それなのに、本当に未来の世界の人々はララティア一人に戦わせているというのだろうか?
俺はララティアを信じている。しかし、確かめなければならない。本当にララティアは一人で戦い続けてきたのかを・・・・・!
「・・・・・あれ? あの人達、何しているんだろう?」
ラトの思考を、ララティアの素っ頓狂な声がさえぎった。
「ど、どうかしたのか?」
考えを邪魔され不愉快さを感じながらも、ラトもララティアの視線を追う。
平原の真ん中で、騎士風の男が、ときおり叫び、ときおり高笑いをあげながら、怪しげな動きを披露している。その周りを同じく騎士風の人物たちが取り囲み、ときどきその中の一人が「素晴らしいであります!」などと声を挟み、騎士風の男と激しい言葉の欧州を繰り広げる。
「何だろうね、あれ? 新しい宗教団体か何かかな? それとも、新手のパフォーマンス集団なのかも? ・・・・・でも、何だかどこかで会ったことがあるような気もするんだけど」
確かに視線の先の集団は怪しさ全開で、ラトもララティアの意見に全く同感だったが、その時、
ラトの脳裏に一つのグッドアイデアが閃いた。
ラトは表情をつくろい、ララティアに言った。
「何、言ってるんだ」
「えっ?」
「あれはな」
と、ラトは断言してみせた。
「あのお方こそ、大勇者ラスト=エンターティナー様だ!」
「え、えっ!?」
ラトの台詞に、ララティアの表情が驚きに染まった。
「ほ、本当にっ!? あの人が? あの人が大勇者様なの? 何だか想像していたより、す、すごい人だったんだね・・・・・!」
「だ、だろうな!」
「それに、な、何だか声をかけづらい人だね・・・・・」
「ああ、確かに――」
そう言いかけて、ラトは思わず口をつぐんだ。
確かにララティアの言うとおり、
声をかけづらい相手なのは間違いないだろう。少なくとも、俺は声をかけたくはない。
ラトは首を一度振り、喉のところまで来ていた言葉を、もう一度、呑みこんだ。そして、代わりに、こう言った。
「・・・・・なら、あえて声をかけずに戦いを挑んでみたらどうだ? あの大勇者様のことだ! もしかしたら、時音のミリテリアの力をみせてもらえるかもしれないぞ!」
「あっ、なるほど! お父さん、頭いいねっ!!」
ラトの言葉に、ララティアが輝くような笑みを浮かべるのを目撃して、ラトは握りしめていた拳を開いた。
「ま、まあな・・・・・。 それよりも、早くミリテリアの力をみせてもらったらどうだ?」
あえてせかすような口調でラトは言った。
もちろん、あの騎士風の男が大勇者、ラスト=エンターティナーである、と強弁することが無茶だということは、ラトも百も承知していることである。なぜなら、あの騎士風の男は大勇者ラスト=エンターティナーではないからだ。
では、一体何者なのか?
それはラトにもさっぱりわからない。確かにララティアの言うとおり、どこかで会ったような気もするが、多分、気のせいだろう。ラトにわかることは、あれが怪しげなただのキワモノだということだけである。
ラトのグッドアイデアとは、つまりこういうことだった。
あの怪しげなキワモノを使って、ララティアの本当の実力を測ろうというのだ。
誰だか知らないがあんなキワモノならララティアにバッサリやられてしまっても一向に惜しくないし、例え苦戦させられたとしても、ララティアがあの程度のキワモノにやられるということはありえないだろう。
案の定、ラトの狙いどおり、ララティアは挑発にあっさりと乗ってきた。
「よぉ―し、じゃあ、行ってくるね!」
狙い通り、というよりも、ラトの想像以上にララティアの思考は単純であったようだ。ララティアは拳を固く握り締めると、平原で奇妙な動きをする騎士風の男に向かって一直線に走り出した。
そんなララティアを見つめながら、ラトは大きく息を吐き出した。
「・・・・・ララティアの真の力か」
ひどく真剣な表情で、ラトはララティアを見つめていた。
イメージトレーニング開始から早や数時間。
サタナエルたち白炎騎士団はいまだ勝利へのイメージトレーニングの真っ最中だった。
サタナエルは気妙なポージングを決めながら、誰もいない空間に向かって言い放った。
「はっはっは。 これでは、さすがの小動物と小娘であろうと手も足も出まい!」
今日が貴様らの命日になるであろう!
自信満々に、サタナエルが勝ち台詞を発しようとしたその時だった。
「てぇぃいいいいいっ!!」
どこからか、あまりにも不釣合いな雄叫びが聞こえた。
驚き、サタナエルがそちらに視線をやると、ベクルら騎士団のさらに後方から、
叫び声をあげながら、エルフとも見える赤髪の少女がこちらに向かって走り寄ってくる。
「あ、あれはミリテリアマスターの小娘! 誰か、奴を止めるのです!!」
ベクルの言葉に反応して、他の騎士団の連中が、赤髪の少女の前に立ちふさがった。が、「どいてっ!!」の一言で、彼らは次々と赤髪の少女の魔法によって吹き飛ばされていく。
「な、なんてことでありますかっ!!」
ベクルが頭を抱えて悲鳴をあげ、他の騎士団の連中もオロオロとその場を動き回る。
だが、サタナエルにはわかった。走り寄ってくるあの少女の必死の表情。
仲間達の妨害にも、決してひるまないあの決意。
サタナエルはあの眼差しを知っていた。
ああした態度を向ける人々を知っていた。
ミリテリアマスターのあの小娘は、私との戦いを望んでいる。私との決着を望んでいるのだ。
ああ、やはりミリテリアマスターの小娘どもも、私のことを忘れてはいないではないか。
やはり、私とミリテリアマスターの小娘達とは戦わなくてはいけない運命なのだ。
サタナエルの心を何か温かいものが満たしていく。失われていたものが戻ってきた、そんな感覚に襲われながら、サタナエルは言った。
「ベクル、下がるがよい!」
「サタナエル様?」
「あれは、私との戦いを望んでおるのだろう。 そうに決まっている。 やはり私は、小娘とは決着をつけなくてはならないようだ」
ついに赤髪の少女はベクル達を大きく飛び越えて、サタナエルの眼前へと迫る。サタナエルは得意げなスマイルを浮かべ両手を大きく広げながら、闖入してきた少女を温かく出迎えた。
「わぁっはっはっはっは、久しぶりだな、小娘。 貴様とはいつか決着をつけねばならんと思っておったわ! だが、今は忙しい! しばらく、待っていてもら――」
「てぇいっっ!!!」
誇らしげにそう告げるサタナエルの言葉をさえぎって、赤髪の少女は、手のひらから光の球を出すと烈火の勢いで放った。
「のぐぉ! ふ、不意打ちとは、ひ、卑怯なりぃぃぃぃっっっっっっ!!!」
少女の魔法によってしたたか打たれ、サタナエルは呆気なく西の空の彼方へと飛んで行った。
天空を高く高く飛びながら、意識を失う前にサタナエルが思ったこと――。
私の完全勝利は一体、どこへ・・・・・?
「サタナエル様!!!!! カムバック!!!!!」
ベクル達の絶叫が、空に吸い込まれて消えた。
ララティアによる騎士風の一団への虐殺ショーを見学していたラトは、内心ひそかに舌を巻いていた。何故なら、あのキワモノ男とその取り巻きたちを倒すララティアの手際は、まったくもって見事だったからだ。
まさに一撃必倒。瞬殺という言葉がこれほど似合う光景も珍しい。
ただ一撃の反撃も許すことなく、ララティアはキワモノ男の一団を倒してしまったのだ。以前、天魔との戦いで、ララティアの戦いぶりを見たことはあったのだが、正直言って、あの時は俺も戦いに集中していて、ララティアの方をよくは見ていなかったのだ。
未来の世界の人々がララティアならゼフィアを倒せると息巻いているのも頷ける、とラトはある程度は納得した。『もたらされた少年』については全く分からずじまいだったが、少なくともララティアがかなりの魔法の使い手だということはよくわかった。例え、あの騎士風の男がただのキワモノで雑魚なだけだったとしても、だ。
でも、いいのだろうか?
確かに戦いを挑んでみたらどうだ、と言ったのは自分だ。
だが、しかし、有無を言わさずに不意打ちというかたちで倒すのは、聖女としてどうなんだろうか、と自分でけしかけたにも関わらず、ラトはしみじみとそう思ってしまった。
「あれ? ミリテリアの力は?」
思わず、ララティアは目を疑った。不思議そうに首を何度も傾げてみせる。
そして、やっとある事に気がついたらしく、ハッと顔を青ざめた。
「――って、どうしよう!? ラストさん、どこかに飛んで行っちゃったみたい! 追いかけないと!」
「・・・・・追いかける必要はないぞ!」
慌てて追いかけようとするララティアを、ラトは制止した。
「えっ! どうして?」
「何故なら、あいつは、大勇者ラスト=エンターティナーではないからだ」
「えええっっ―――――!!!!!」
まぶたを見開き、口をあんぐりとさせて、ララティアはラトを見つめた。
「ど、どういうこと?」
「つまり、だ。 俺の見間違いだったということだ」
「そ、そんな・・・・・」
それを訊くと、ララティアはへなへなとその場に崩れ落ちた。
「じゃあ、さっきの人って?」
ララティアはまぶたを上げ、ラトの顔をじっと見つめた。
しばらくララティアの視線を正面から受け止めた後、ラトは小さく溜息をついた。
「・・・・・まあ、多分、どこかの変質者だな。 気にすることもないだろう」
「そ、そうなんだ。よかったぁ・・・・・!」
ラトがそう答えると、ララティアはそう言って、ホッと胸をなで下ろした。
「よく――」
よくないだろうが!
思わずそう言いかけて、ラトは口をつぐんだ。
よくよく考えれば、そもそもの原因は、自分がララティアを挑発したためだ。ララティアを責めるのはオカト違いである。
ラトは首を一度振り、喉のところまで来ていた言葉を、もう一度、呑みこんだ。そして、代わりに、こう言った。
「そ、そうだな・・・・・」
ラトは、自分の言葉に半ばヤケになって頷いてみせる。
「うん!」
ララティアはがばっと立ち上がり、まだ渋い顔をしているラトの手を、嬉しそうにぎゅっと握りしめた。
そんなララティアを見つめながら、申し訳ないような呆れたような気持ちで、ラトは顔をしかめてみせた。
そんなやり取りがあった次の日に、ラトはララティアと共にアズリアの街に辿り着いた。
アズリアの街の門をくぐる前に、ララティアはつぶやいた。
「今頃、ルカさん達、どうしているんだろうね?」
「さあな」
ララティアの言葉もどこ吹く風という感じで、ラトは無表情にそう言った。
ラトがルカとアリエールに最初に会ったのは、ララティアがサークジェイドの手下によってさらわれてしまった時のことだった。
その当時は、まだララティアと出会ってから間もない頃で、家を家出同然で飛び出したラトには、頼るべき相手もなく、進むべき道もなかった。サークジェイド達からララティアのことを守るという使命も、えびこのしつこいくらいのミリテリアマスターに関する長い話も、ラトにとっては、それほどさしたる方針にはならなかった。そもそも、ラトはこの当時、ララティアがさらわれてしまったということに、全く気づいていなかったのだから。
これから俺はどうすればいいんだ?
そんなふうにラトが迷っている時、アリエールはラトの前に突然、現れた。
その時、ラトは何者かによって財布をすられて無一文になっていた。
そのため、大聖堂でララティアとともに野宿を明かしていた頃だった。
「で、これから、どうするかだな」
明け方、ラトは寝ぼけた声でそうつぶやくと、溜息を吐いた。
「・・・・・それにしても、ララティアの奴、どこに行ったんだ?」
先に、ララティアを探すか。
そう腹を決め一人頷いたラトは、視線の先に偶然、大聖堂に続く階段を昇ってくる人影をとらえた。人影? いや、違う。それは、人ではなかった。黒猫だ。瞳が大きく、黒目がくりくりしてなかなか愛らしい顔立ちをしているのだが、普通の猫よりはどこか冷めた眼差しをしている気がした。
二匹(?)の距離が普通に言葉をかわせるぐらいになってからやっと、黒猫はその場に立ち止まった。
「・・・・・・・・・・!」
何故か驚いたように目を見開き、黒猫は息を呑む。もちろん、ラトとは初対面だ。なのにそこには憎悪と哀しさが入りまじっているように思えた。
どうして、そんな顔をするんだ!?!?
ラトは思わず、声をかけようとした。
だが、黒猫はラトを見て驚いているのではなかったらしい。
「この波動は・・・・・、まさか、あれが目覚めるのかしら・・・・・!」
黒猫は空を見上げると、表情を険しくした。それから小首を傾げた。
突如、どこからともなく、鐘の音が聞こえてきたからだ。
ラトが辺りをきょろきょろと見回していると、黒猫は真剣な表情を浮かべて言った。
「・・・・・時間がないようね。ルカに知らせないと」
そう告げると、黒猫はその場からフッと姿を消した。
高台はまた一瞬にして静寂に戻った。取り残されたラトは、ただただ呆然としているしかなかった。
それが、ラトがアリエールと初めて出会った場面であった。その後、アリエールを追いかけていったラトは、ルカとも対面することにすることになる。
そして、それがきっかけで、ラトはララティアがサークジェイドによってさらわれたという事実を知ることになったのだった。
「ねえ、お父さん」
そろそろ酒場らしきものが見えてきた頃、ララティアはラトに呼びかけた。
「なんだ?」
と、ラトは顔をしかめた。
「アズリアの街って、静かな街だね」
「何っ!?」
驚きのあまり、ラトは思わず絶句する。
言われるままに街中を覗き込んで、そして見回して、我が目を疑うことになる。
「何だ? これは」
ラトは目を疑った。街には、今にも戦に出向こうとする騎士や傭兵の部隊で結成されていた。街のあちらこちらにも、部隊によって埋め尽くされている。
アズリアの街に入ったラトが見た光景は、まるで何かの終末を思わせるほどはかなく荒涼たるものだった。
「どうなっているんだ?」
途方に繰れたように、ラトは周囲を見回す。自分が場違いなところにいるような気分なのか、居心地悪そうにブルブルッと身を震わせた。
「とにかく、ラストさんを探してみようよ!」
「あ、ああ・・・・・」
ララティアに押されるかたちで頷くと、ラトは街中をドンドン進んでいく。足取りは言葉ほど迷ってはいないようだ。
「あの、すみません」
ララティアは何やら忙しそうに指揮を送っている騎士の一人をつかまえた。
「大勇者ラスト=エンターティナー様に会いたいんですけれど」
男は、少し気を悪くしたような顔でララティアを見た。
俺のような得体の知れない生物やララティアのような十代半ばの少女が、
こんなところにいるのを不審に思ったのかもしれないし、いきなり大勇者様に会わせてほしいと言ったのに気を悪くしたのかもしれない。
それでも、騎士の男はちゃんと答えてくれた。
「ラスト様? 多分、あの人ならここにはいないよ」
「えっ!? いないの?」
「ああ。 今頃、娘さんを助けに行っているはずさ」
「娘さん?」
男の言葉に、ララティアは思わず、きょとんとする。
隣で話を聞いていたラトも目を丸くした。大勇者ラスト=エンターティナーに娘がいたなんて初耳だったからだ。
「ああ」
ララティアの言葉に、男は軽く笑ってみせた。
「リバイバル様っていう明るいお嬢さんでな」
「それにな」
と、ララティア達の話を聞いていた別の騎士が割り込んできた。
「リバイバル様を助けに行ったというより、地の魔王様の救援に行かれたというのが正確だな!」
「地の魔王さん・・・・・!?」
「地の魔王だと!?」
衝撃的な台詞に、ラトとララティアは思わず、絶句してしまう。
だが、ラト達の驚きなんて露知らず、男は話を続ける。
「地の魔王レークス様だ。 以前、このアズリアの街が危機に陥った時、救ってくださったお方でな。 それ以来、ラスト様もその妻で時音の女神であるミューズ様もよく会いに行かれているのさ!」「そうそう。 あの時の戦いはすごかったよなあ。 数十万といた魔物の群れを一瞬で葬ってしまったし!」
最初に声をかけた方の騎士の男が、興奮ぎみにさもありなんと頷いた。
「俺達もこれから、その地の魔王様の救援に向かうところでな。 まあ、俺達が行った頃には、戦いは終わっていると思うがな」
「はっはっ、言えてるな。 地の魔王様、万歳!!」
「地の魔王様、万々歳!!」
「あ、有難うございます・・・・・!」
ララティアは二人にお礼を言って、その場を離れた。
大勇者様がいないのには当てが外れたし、地の魔王に関しては何だか意外な評価だった。でも、俺達はとにかく大勇者様に会って、ゼフィアのことを伝えなければならなかった。
「地の魔王を、大勇者様達が助けに行っているのか?」
二人の話を聞き終え、しばらく沈黙した後、ラトがつぶやいた。
「大丈夫だよ、お父さん! きっと、地の魔王さんは優しい人なんだよ!」
「あのな・・・・・」
ラトは顔をしかめ、そして反論した。
「おまえは天の魔王のことを知らないから、そんなことが言えるんだ!!」
自分でも意外なほどに、ラトは声を荒げた。
その様子を見つめていたララティアが、不思議そうに小首を傾げた。
「じゃあ、お父さんは天の魔王さんに会ったことがあるの?」
「・・・・・いや、会ったことはないが」
ラトはそう訊かれると力なくかぶりを振った。そして、ぽつりとつぶやいた。
「じゃあ、お父さんも、天の魔王さんが本当はどんな人なのかは知らないんだね!」
これ見よがしに、ララティアは言った。
ラトは無言のまま、そんなララティアを見た。
沈黙を守るラトに、ララティアはにっこりと笑みを浮かべて言った。
「なら、地の魔王さんが悪い人だって決めつけるのはおかしいよ!」
ララティアのその言葉に、ラトは思わず溜息をついた。
「なあ」
と、ラトは言った。
「おまえも、地の魔王が天の魔王の弟だと言うことは知っているよな」
「うん」
「天の魔王のミリテリアであるセルウィンのせいで、この世界は今、危機に陥っているんだぞ! 分かっているのかよ!!」
ラトは怒鳴った。どうして怒鳴るのか自分でもよくわからなかった。ララティアに怒鳴ってもどうにもならない。そんなことは分かっていた。でも、頭で自分の感情を整理するより前に、俺の口は動いていた。
「・・・・・分かっているよ」
と、ララティアは小さく笑みを浮かべる。
そしてぎゅっと上着を握りしめると、大きく息を吸い、切り出した。
「・・・・・でも、それだけで地の魔王さんが悪い人って決めつけるのは、やっぱりおかしいよ!」
「・・・・・それは」
ラトは口ごもった。
天の魔王は最強の魔王だ。そのため、彼のミリテリアとなって、彼の力を得ようとする者は数多くいる。
そして、天の魔王自身もそれを楽しみ、それによって世界が滅びようと全く構わないと思っているだろう。
なら、その弟である地の魔王も、天の魔王と同じくこの状況を楽しんでいるのだろうと思っていた。世界が――俺達がどうなろうと構わないのだろうと思っていた。
だが、本当にそうなのだろうか?
ララティアの言うとおり、根も葉もない噂だけで物事を決めつけていいものだろうか?
「ねっ! 会いに行こうよ、お父さん! 地の魔王さんに!」
ララティアは拳を握りしめて、満足げにうなずいてみせる。
そんなララティアを視野に納めて、ラトはぽつりとつぶやいた。
「おい」
「えっ?」
「その前に聞いておきたいことがある」
ラトは、今にも歩き出そうとしたララティアを呼び止めた。
「ずっと、気になっていたんだが、本当にゼフィアを止められる自信があるのか? 確かにおまえは思っていたよりも、なかなかやるみたいだが、それでもゼフィアやセルウィンといった輩に挑むにはあまりに無謀だと思うが・・・・・。 それとも何か、とっておきの秘策でもあるのか?」
「秘策じゃないけれど・・・・・根拠ならあるよ!」
「何ぃ!? 本当か!」
「うん!」
ララティアのその言葉に、ラトは心の中でガッツポーズを作った。
これでララティアの秘密が分かる。もしかしたら、あの魔雲の大公、セルウィンやゼフィアを上回る力を――魔力の潜在能力を、ララティアは持っているのかもしれない。だからこそ、未来の人々はララティアのことを『勇者の導き手』とか『聖女』だと祭り上げたのではないだろうか?
いや、そうに決まっている!!
その可能性を想像しただけで、ラトの胸は高鳴った。
ドキドキワクワクしているラトに、ララティアが言った。
「お父さん、私とゼフィア先生の共通点って分かる?」
「ん?」
ララティアの意図がよく分からなかったが、言われるままにラトはララティアが以前、語ってくれた話を思い出してみた。「・・・・・共通点? 確か、ゼフィアも、おまえと同じミリテリアマスターで・・・・・」
言ってみて、ラトは不自然さに気がついた。
「・・・・・ん? ミリテリアマスター? そう言えばゼフィアも、ララティア、おまえと同じミリテリアマスターだったな」
ララティアは頷いた。
「未来の世界の中で、私だけが魔法を使える。 しかも、ゼフィア先生と同じミリテリアマスターなんだよ! これには、絶対、何か意味があると思うの!」
「な、なるほどな。 それで・・・・・?」
核心に迫りそうなララティアの話に、思わずラトは身を乗り出した。
はたして、ララティアは言った。
「それだけだよ」
「は? それだけ?」
「うん」
ラトは愕然とした。
「そ、それだけの根拠で、何とかなるなどとバカげたことを言っていたのか、おまえは?」
「うん。 おかしい?」
「おかしいどころか・・・・・アホだろう!?」
あまりのララティアの無謀無策ぶりに、思わずラトはそう口にしていた。
「勇者の血縁者であるとか、セルウィンやゼフィアに対抗できる力があるとか、そういう根拠があるんじゃないのか? 普通、もっと明確な根拠がないと、巨大な敵に立ち向かおうとは思わんだろうが!」
「・・・・・うん、そうかもね・・・・・・。 でも――」
重ねてラトに言われて、ララティアは少し考えた。
そしてうつむき、一度言葉を切った。
「そういった根拠とかがなくても、何とかなるってことをお父さんが教えてくれたじゃない!」
「俺が・・・・・?」
ラトはただ呆然と、そうつぶやいていた。
意味ありげに微笑みながら、ララティアがラトに言った。
「うん! 私がお父さんとお別れしないといけなかったあの時、私、お父さんに言ったよね? 私がこの世界の――未来の世界の希望の一端を背負っていたってことを。 ・・・・・でも、その責務に耐えられなくて、私はこの時代に逃げ出してしまった」
ラトが唖然としたまま、ララティアの目をじっと見つめた。
にこっと笑みを浮かべると、ララティアは言葉を続ける。
「だけど、お父さんは、みんなは教えてくれた。 逃げてばかりじゃだめだって。 立ち向かわなくてはだめだってことを教えてくれたんだよ!」
ララティアの顔には、一転の曇りもない、100パーセントの笑顔が浮かんでいた。
そしてラトの顔にも、どこか照れくさそうな申し訳なさそうな笑みが浮かんでいた。
ラトはララティアに何か言うべきだと思った。
しかし、どんな言葉をかければいいのか、ラトにはすぐには分からなかった。
どんな言葉も、口に出せば嘘くさくなってしまう、ラトはそう思った。
結局、ラトが口にしたのは次のような言葉だった。
「ララティア・・・・・」
ラトは小さく、彼女の名をつぶやいた。
「お父さんは私に希望をくれたんだよ! だから、また、一緒に希望をつかみに行こうよ! お父さんと一緒なら、絶対に大丈夫だよ!!!」
ララティアはそう言うと、満面の笑顔で笑った。
「・・・・・そうだな」
ワンテンポほど遅れて、ラトはそうつぶやいた。そうつぶやいたラトの声は、どこか苦しげに響いていた。
・・・・・悪かったな、ララティア。
ラトは内心でララティアに繰り返し謝っていた。
「なんだ、貴様ら!」 広大な荒野に高らかに声が響き渡った。
声の主はまだ少年のように見える。銀色の髪にスカイブルーの瞳の少年は、尊大そうに両腕を組み周囲を睥睨している。
その年齢にしてそのような尊大な態度を取っていること自体すでに奇怪だが、その少年の隣にいる少女もまた奇抜そのものだった。真っ赤な髪の毛を左右にきゅっとまとめている少女は、まるで楽しいことでもあったかのように瞳をらんっと輝かせている。
さらに奇怪なことはこの少年達を取り巻く光景である。
少年が顔を向ける荒野には、千人もの屈強な大人達がひしめしあっていた。ある者は岩を寸断せんかという巨大な斧を、またある者は一刺しで鉄版を貫こうかという鋭い槍を、というように千人すべてが思い思いの武器を持ち、そして誰もが眼には確実に殺意を宿らせていた。
千人もの屈強の大人達が、たった二人の、しかも見るところ丸腰の少年少女を取り囲み、今にも襲いかからんとの態勢を取っているのだ。
これは奇怪といわずして何を奇怪というのか?
しかし、何より奇怪なのは、このような状況にも関わらず、少年と少女は全くの余裕のポーズを崩していないということだった。どこか面白がるような表情を浮かべ、少年は対峙する群集に向かって言い放った。
「地の魔王である俺に、戦いを挑むとはいい度胸だな!」
――そう、これはラトとララティアがアズリアの街にいるころの出来事。
――そして彼こそは、この世界を統べる六人の神の一人である、地の魔王、レークス=エンタシスである。まだ少年のような外見ながら、この世界で最も強大な力を持つ天の魔王と同格以上の力の持ち主であり、最強の魔王と呼ばれている二人のうちの一人である。もちろん、もう一人は天の魔王だ。
だが今、彼はまさにその魔王の名にふさわしく、千人もの勇者達と、この荒野で雌雄を決する戦いを始めようというわけではない。
「おい、話と違ってねえか?」
群集の先頭に立っていた、岩のような筋肉を身にまとった男が殺意がこもった――と言うよりもちょっと泣きそうな顔で言った。
「あれが地の魔王か? どう見ても子供じゃないか?」
「ああ!!」
集団の別のところからも、大声で同意を表明する声が聞こえてきた。
「ゼフィア様の見当違いではないのか!!」
「だが、ゼフィア様が間違うことなどあり得るのか?」
すぐに抗議の声はあちらこちらから次々と上がり、それまで静寂に支配されていた戦場は、一転抗議の喧騒に包まれてしまった。
「うるっさいっっ!!」 騒ぎ始めた群衆に、レークスが一喝を浴びせた。辺りは瞬時に静まり返る。
呆れたように右手で頭をかきつつ、レークスは言った。
「結局のところ、貴様らは一体何しに来たんだ!」
「地の魔王をゼフィア様のところまで連れて行くことだ!」
最初に抗議しようとした筋骨隆々の男は、きっと顔を上げた。そして、懐から封筒らしきものを取り出した。
一面に大きな文字で《指令状》と書かれていた。
男がばっと中から手紙を取り出し、レークスに見えるように勢いよく広げた。
ちなみに、以下がその文面である。
《六人の神々を我の下に連れてくること。 ―-ゼフィア》
「それがどうかしたのか?」
レークスは不思議そうに首を傾げた。隣にいた赤い髪の少女の方も、人差し指を立てると首をひねってみせる。
レークスの言葉に筋骨隆々の男は、ぷるぷると身を震わせる。いや、筋骨隆々の男だけではない。荒谷にひしめく千人もの男達が、いっせいにその身を震わせた。一同を代表してのことだろう。筋骨隆々の男が叫び声を上げた。
「どうしてだと!! 見て分からないのか!! 我々の使命は、地の魔王をゼフィア様のところに連れていくことだ!!!」
「そうだ!」
「そうだ!」
と他の者達も再び賛同の意思を表明し始める。
ある者は、指令状を地面に叩きつけて叫んだ。
「だいたい、最強の魔王だからというから、千人もの勇士を集めて戦いに挑んだというのに、来てみれば、ただの子供しかいないだと!!!」
「ただの子供ではないぞ! 地の魔王だと言っているだろうが!」
「嘘つけっっ!!」
またもや、筋骨隆々の男が雄たけびを上げた。
「そんなお子様が魔王のはずがない!!」
「本物の地の魔王を出せっっ!!」
レークスは、千人の男達のニセモノコールに、不満げに鼻を鳴らした。
「レー兄、すごい言われようだね!」
「・・・・・おい、ティナー」
「なぁに?」
と、ティナー、とレークスに呼ばれた少女は、自分の背丈よりも長い杖を揺らしながら、元気一杯に返事をした。彼女こそ、地の魔王レークス=エンタシスの家来であり、唯一、彼が苦手としているといわれるリバイバル=エンターティナーその人だった。
「何故、俺がここにいるというのに、あいつらはここにいないのだ?」
「仕方ないよ、アグリーさん達は今、ラミリア王国の方に火急の用で出かけているもの! ・・・・・でも、火急の用って何だろうね?」
「知るか」
ハイテンションでしゃべりまくるティナー。それとは対照的に、レークスの方は口を真一文字に結んで、ティナーのことをじっと見ている。
「・・・・貴様ら、よくもぬけぬけと話をそらしやがって! いい加減、とっとと本物の地の魔王を出せっ!!」
そこに怒り心頭といった様子で、男の一人が怒鳴った。
「そうだ! 俺達は貴様らのような子供に用はない! さっさと家に帰れ!!」
「・・・・・ふん。 俺達がこのまま、帰ってもいいのか? 貴様らの目的は、そのゼフィアとかいう奴のところに地の魔王を連れていくことだろう? 俺達が帰れば、地の魔王の行方は分からずじまいだぞ!」
レークスの反論に、怒号していた筋骨隆々の男はぐっと言葉を詰まってしまった。
まあ、分からずじまいというか、どちらにしても間違いなく目的は果たせないだろうな。
と、レークスは呆れたようにしみじみとそう思う。
「いや、文句を言わせてもらうぞ!」
代わって、別の男がレークスに食ってかかった。
「何だ、貴様も俺のことをニセモノよばわりか? しつこい奴だな」
「違う!! そのことじゃない! 私が言いたいのはそもそも!!」
叫びながら、その男は自分と同じ周囲の人間を見回した。
「どうしてこんなにたくさんの人間が集まっているというのに、貴様らはそこまで余裕をぶっこいていられるんだ!」
「・・・・・決まっているだろう。 俺が地の魔王だからだ!」
「嘘つけっ!!」
「まったく、貴様らという奴は・・・・・」
レークスは両肩をすくめて溜息を漏らした。
「どいつもこいつもくだらない信念を持っている。 ・・・・・だが、気にすることはないぞ。 俺にとっては千人を相手にするより、貴様ら一人一人を相手にした場合の手間と時間のロスの方がよっぽど恐ろしいからな」
「わ、私達を雑魚扱いするのか! 私達はあのゼフィア様の配下の――」
だが、彼が言葉を告げる前に、ティナーが言葉を挟んできた。
ティナーはひどく冷静な口調で――つまり微塵も恐怖を感じさせない口調で――レークスに訊いた。
「・・・・・そもそも、そのゼフィアさんっていう人、一体、誰なんだろうね?」
「・・・・・さあな」
「ええっ!!!!!」
あまりに意外な二人の一言に、千人の男達は同時に叫んでしまった。
筋骨隆々の男が身体中から汗を噴き出しながら、二人に抗議する。
「あ、あの、『魔雲の大公』と呼ばれるセルウィンと互角以上の力を持つといわれている、ゼフィア様のことを知らないだと?」
別の男も筋骨隆々の男同様に食って掛かる。
「そうですよ!! こんな、こんな有名な人を知らないとは!?」
だが、二人の男の言葉にも、レークスは不思議そうに首を傾げた。
「知らぬ。 一体、何者だ?」
業を煮やしたのだろうか。別の男が一歩進み出て、絶叫した。
「ゼフィア様は、この時代より未来の世界での支配者、最強のミリテリアマスターなのですよ!!!」
「・・・・・未来の世界の支配者だと? だったらなおさらだ! そんなの、俺が知るわけないだろう!」
レークスはむしろ傲然と胸を張った。
とっておきのつもりで言ったセリフを、知らん扱いされて、千人の男達は焦った。 レークスとティナーは明らかに本気だった。嫌味でも冗談でもなく、本気の本当にゼフィアのことを知らなかった。それだけに、彼らの受けた衝撃はただ事ではない。
筋骨隆々の男がレークスに詰め寄る。
「ほら! ほらほら!! 天の魔王のミリテリア、セルウィンのことなら知っているだろう? ゼフィア様はそのセルウィンと互角以上の力を持っているのだぞ!」
しかし、彼らの狼狽がピークに達するのは、この次のレークス達の台詞によってであった。
レークスは首を傾げながら、ティナーに向かってこう言ったのだ。
「そうなのか? それはすごいな」
「そうだね! 誰だか知らないけれど」
「えええええええええええっっっっ!?」
あまりと言えばあまりの言葉に、彼らは絶叫した。
彼らは――つい数分前まで自分達を大物だと思っていた千人の男達は、がっくりと膝をついて崩れ落ちた。あまりの痴態に、敵であるはずのレークス達からもなぐさめの声をかけられてしまう始末だ。
そこに場違いなほどの高笑いが響き渡った。
「ハーッハッハッハッハ!! 最強勇者、リアク様、ただいま参上っ!!!」
見れば、バサバサの黒い髪に茶色の瞳の青年があらん限りの大声で笑っていた。その隣では、金色の髪の青年とピンク色の髪の女性が呆れたようにその場に立ち尽くしている。
レークスはそれを見ると、顔をしかめた。
「おい!」
「なあに?」
答えるティナーの声は対照的に弾んでいる。
そんな彼女に若干の苛立ちを感じながら、レークスは言った。
「・・・・・なぜ、あいつらはあそこにいるのだ?」「えっ・・・・・? あっ! アグリーさん達、戻ってきたんだね!」
「そうなのか?」
少々の期待を込めて尋ねると、ティナーはなんとも複雑な顔で頷いた。
「えっ――と、・・・・・多分」
ティナーはしゅんと肩を落とし、情けない声でつぶやいた。やっぱり、質問と答えが今ひとつかみ合わない。
「えぇい、もういい! 貴様に聞いた俺がバカだった」
後でアグリー達を問い詰めればいいだろう。
ティナーを振り払うように、ざかざかと歩き出そうとしていたレークスを、金色の髪の青年が引き留めた。
「レークスさん、待って下さい!」
「なんだ、アグリーっ!? 早速、俺に問い詰められたいのか?」「いえ、そうじゃなくて・・・・・」
「この人達、このままにしていていいの?」
お気楽なティナーの声に、レークスはハッと振り返った。
レークスの視界から数メートル。ひっそりと伸びた脇道に、すでに忘れられていた(少なくとも、レークスには)千人の男達はたたずんでいた。
「そういえば、そうだったな」
さもありなんといった表情で、レークスは言った。
「ぐぅぅぅ、どこまでも私達を虚仮にしおって・・・・・、だ、だが、まだだ! まだ、私達は負けたわけではない!! 我々の目の前には、すでに地の魔王がいるのだからな!!!」
「当たり前だろう。 まだ、戦ってもいないぞ」
筋骨隆々の男の叫びに、レークスが冷静な突っ込みを入れる。
「余計な茶々を入れるな!! 小僧っっっ!!!」
プライドを傷つけられた筋骨隆々の男は、もはや紳士の仮面をかなぐり捨て、半狂乱になりながら叫んだ。
「貴様らが余裕をかましていられるのも今のうちだぁぁっっっ!!! 我々は既に、どいつが『地の魔王』なのか、分かってしまったのだからなっっっ!!!」
「そ、そうだ!」
筋骨隆々の男の叫び声に、打ちひしかれた他の男達も顔を上げた。
「貴様が地の魔王だということは、既にお見通しだっっっ!!!」
「えっ?」
突然、男から指名を受けたアグリーは、思わず目を丸くする。
「アグリー、おまえ、いつのまに、地の魔王なんかになってしまっていたんだ?」
「そんなわけないでしょう。 兄さん」
それを聞いてピンク色の髪の女性――アクアは、呆れたようにリアクを見つめた。
「ちょ、ちょっと、待って下さい!」
慌ててアグリーが抗議の声を上げた。
が、千人の男達は剣を抜いてアグリーに剣先を向けた。
「黙れ、地の魔王め! どうせ言い逃れをするつもりだろうが、我々の目はごまかせないぞ!!」
「なっ!」
アグリーはそれを聞いてカチンとくる。
この言葉に、彼は勇者としての心に熱い炎を燃え上がらせた。
いいさ――。
どうせ、元々戦うつもりだったんだし!
アグリーはクルリと向きを変えると、千人の男達を指差して叫んだ。
「僕は、光の勇者、アグリー=ピースだ! 貴様らが抱く野望は、絶対に阻止してみせる!!」
「俺が地の魔王なんだが・・・・・」
と、レークスは恨めしそうな顔でアグリーを見る。
そこに筋骨隆々の男が、アグリーに食ってかかった。
「ほざけ! 地の魔王! 我々はあのゼフィア様の――」
ドッカカァァァァァァァァァァッッッッッッッンン!!!!
「えっ?」
不意に後方に不可思議な音を耳にして、アグリーは振り向いた。
振り向いたその瞬間、彼の顔は紅蓮に染まった。
悪夢のような光景を、アグリーは目の当たりにした。
ズガァァァァァァァァァァッッッッッッッンン!!!!
突然のことだった。
男達の足元から巨大な爆発が起こり、火柱が立ち昇ったのである。
すさまじい爆風が吹き荒れて、
「うひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッ!!」
「おぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッ!!」
まるでできたてのポップコーンのように、千人の男達は軽々と宙に吹き飛ばされていく。
「ど、どうなっているんだ?」
ポップコーンもどきとなった男達をバックに、アグリーはただただ愕然としているだけだった。
何が起きているのか、分からない。
彼の心情はまさにそれだった。
アグリーは自分の置かれている状況がまるで理解できなかった。
ゼフィアという人物が何故、六人の神々を狙っているのか理解できなければ、自分が地の魔王と間違えられたことも考えられない。だが、何よりも理解できないのは、今、この目の前に起きた惨状だろう。にも関わらず、それらすべてが今、現実として、彼の前に降りかかってこようとしている。
ピクピクッとなっている黒こげの男達の一人が、身体を震わせながら、アグリーに向かってうめいた。
「・・・・・き、汚い・・・・・ぞ・・・・・」
「ち、違うんだ! 僕じゃない!」
アグリーは慌てて、それを不定した。
だが、別の男がアグリーに食ってかかる。
「・・・・・最強の・・・・・魔王だと言うから・・・・・俺達だって・・・・・わざわざここまで出向いてきたというのに・・・・・だまし討ちだなんて・・・・・まるで三流の悪党のやり口じゃないか・・・・・」
「そうだ・・・・・セコイぞ・・・・・」
「言い逃れ・・・・・するなよな・・・・・」
ほとんどゾンビ同然となった男達のあちこちから、そんな声が漏れてくる。
「なっ!」
落ち着き取り戻しかけていたアグリーに再び、勇者としての魂が一気に燃え上がった。
拳をぎゅっと握り締めると、アグリーはまるで力説するかのように叫んだ。
「だ、だから、僕は地の魔王ではなくて、光の勇者なんだ! それに今回のことだって、僕が仕組んだことじゃなくて――」
「ハーッハッハッハッハっハッハッハッハッハ! 見たか! この、最強勇者、リアク様の力を!!!」
懸命にアグリーが彼らを説得しようとしている時、何者かが突然、大音量の高笑いで彼の言葉をさえぎった。もちろん、この高笑いの声には聞き覚えがあった。当然だ。いつも耳にしているのだから。
弾かれたように、アグリーは振り返った。
マイクを手にし、背後で高笑いを上げているのは、声で想像していたとおり、彼の仲間のリアクだった。
「リアク・・・・・?」
「見たか、アグリー! 俺様の力を!! 今までこの俺様が勝てなかったのは、こういった緻密な作戦がなかったからなのだ! だからこそ、預金をはたいてまで、もし何かあった時のために、ここに爆弾を仕掛けておいたというわけだ!!!」
あまりに予想外なリアクの行動に、アグリーだけではなく、アクアも思わず口をパクパクさせてしまった。
勇者なのに、そんなセコイ勝ち方をしていいのか、という思いもある。
というか、実力で戦おうとは思わないのか、という思いもある。
だが、何よりもそんなことのためだけに、大量の地雷を仕掛けていたというリアクの発想力に彼らは驚かされてしまっていた。
それらすべての想いを代表して、レークスがつぶやいた。
「・・・・・そういうことでいいのか?」
成り行きを見守っていたティナーが、嬉しそうに締めのコメントを残した。
「リアクさん、ついに初勝利だね」
・・・・・って、締めの言葉はそれですか?
そういうことでいいんですか?
アグリーは悲しげに深い溜息をつくのだった。