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ライム・ア・ライト2(第一章、あなたが教えてくれたもの)

そこは暖かな木漏れ日と柔らかな花の匂いで満ちていた。

 鳥のさえずりがさながら熟練のオーケストラのように聴くものの心を和ませ、そこにいるすべての住人達誰もが、素晴らしい笑顔を浮かべずにはいられなかった。

一面、天使の羽をまき散らしたように真っ白な花畑。

 ミルドレットの街の中にある庭園。

それがこの場所の名前だった。

だが、その中に一つだけ異彩を放っているものがあった。

 そのミルドレットの街の庭園の中心に位置する場所で、二人(?)の男女が差し向かいに座り、どこか険悪なムードのまま、言葉を交わしていたからだ。

「・・・・・どういうことだ」

「だからね、さっき話したとおり、未来の世界はもう大変な状態なんだよ!」

 その言葉に、赤い髪の少女はまるでなんてことでもないように、愛らしい笑顔でそう答えた。 

 少女の名前はララティア。あどけなさの漂う大きな青い瞳で、髪と同じ赤色のリボンを髪と両腕につけた、可愛らしい少女である。白いワンピースから伸びる、透き通るような華奢な腕。ちょこんとした少しとがった耳が、彼女がエルフであることを示していた。

 少女の視線の先にはイスとテーブルが置かれ、(とう)のイスには不思議な小動物らしきものが座っていた。まるでそれは、人の手がそのまま、生き物になったような生き物だった。

 ララティアは両拳を胸の前で力強く握りしめ、その生き物に向かって勢いよく叫んだ。

「だからね、何とかしないといけないんだよ! お父さん!」

「・・・・・人事のように言うなよ」

 まるで本当に他人事のように言うララティアに、俺――ラトは、呆れたように溜息をついた。

ララティアは、俺のことを『お父さん』と呼んでいたりするが、実は俺はララティアの本当のお父さんではなかったりする。

何でもララティアは、この時代より未来の世界から時を越えてやってきた時、初めて出会ったのが俺だったため、俺のことを本当のお父さんと勘違いしてしまったと言うわけだ。

まあ、普通、『エルフ』であるララティアと『ちょうちょ』という種族である俺の外見を見たら、誰でも一目でそうでないと分かるものだが・・・・・・。(ララティア以外は)

まあとにかく、俺が『お父さん』ではないと分かった今でも、ララティアは俺のことを『お父さん』と呼んでいる。

まあ、俺も今では、そういう呼称で呼ばれるのも悪くないかな、と思ってしまっている。まあ、最初の頃は、面倒くさいとか思っていたりもしたのだが。

ちなみに、ララティアの本当の父親の名前はエレニックというらしい。そして、母親の名前はフロティアだ。

エレニックとは出会ったことはないのだが、フロティアとは名もなき大陸にあるバリスタの港町で、

俺は一度出会ったことがある。まさに、ララティアの母親というのにふさわしいというくらい、彼女と同じくらい天真爛漫でしかも暴走気味な性格なのだ。フロティアと一緒に旅をしていた時は、まるでララティアが二人いるかのようにそら恐ろしく思えたほどだ。

ララティアがいた未来の世界――-。

そう、そこにも、ララティアの本当の両親はいるはずである。

それなのに、何故ララティアはこの時代に来たのか?

そのことがどうしても気になった俺は、単刀直入でララティアに疑問を投げかけてみたのだが、そこで驚愕の事実を知ることになる。

なんと、あのララティアの本当の両親は、未来の世界では行方不明になっているらしいのだ。まあ、だからこそ、ララティアはこの世界――過去の時代へやってきたのだろう。何らかの手がかりを得るために・・・・・。

でも、俺が驚いたことはそれではない。

実は未来の世界では、あのララティアが勇者の導き手と呼ばれ、聖女として称えられていたという事実だ。前に一度、俺はララティアの口からその話を聞いたことはあった。だが、俺自身、半ば半信半疑だった。とても、ララティアがこの世界を救う『勇者の導き手』とか『聖女』とかには思えない。軽いジョークのように思っていた。

だが、それが真実だと知り、俺はただただ口をぽかんと開けるよりほかなかった。

 そんなラトの思惑とは裏腹に、ララティアは嬉しそうに言葉を続けた。

「お父さんも一緒に何とかしてくれるよね?」

「あ、あのな・・・・・」

 ラトはうろたえ、そして困り果てた。

これは、いつものララティアのわがままとは、わけが違う。未来の世界のことさえ、俺は何も知らないのだ。ララティアが何故、勇者の導き手と呼ばれているのか、ララティアの本当の両親は何故、未来の世界では行方不明になってしまっているのか、そして、そもそも未来の世界がどのような大変な目に遭っているのかも俺は知らないのだ・・・・・。

 困る理由はそれだけではなかった。

 大変な状態――。

それは言うまでもなくとんでもないことが、この世界に起こっているということなのだ。

 恐らく、俺なんかが想像すらできないような、遥かに重大で恐るべき事態が世界を捉えようとしているのだろう。それなのに、俺一人の力が加わったからといって、どうこうなる問題ではない。むしろ、俺なんかがいたら、ララティアの邪魔になるのではないだろうか?

 ララティアはそんなラトの気持ちを汲み取ったのか、優しい笑みを浮かべて言った。

「お父さんと一緒なら、何とかなるよ!」

「ララティア」

 だんだん、ラトの胸が熱くなってきた。

 確かにそうかもしれない。

 と、俺は思った。

ララティアがそう言ったように、俺もララティアと一緒なら何とかなるような気がしてきた。

 いや、絶対にそのはずだ!

 ラトは気持ちを、やる気満タンの気持ちに入れ替えると、ぐぐっと拳を握りしめた。

 それに、ララティアのいた未来の世界にも興味が湧いてきた。

 どんな世界なのだろうか?

 この時代とは違う感じなのだろうか?

 いや、ひょっとすると、この時代と全く同じような世界なのかもしれない!?

 う―ん、意外にも、この時代の世界とは似ても似つかない世界になっているかもしれないな・・・・・。

 ちょっと想像がつかない。でもはっきりしていることは、この時代の世界みたいに平和ではない、ということだ。そうでなくては、ララティアが俺に大変な事態とかいうわけがない。

「いいよね? お父さん!」

 ララティアに穏やかにのぞきこまれては、もうラトに断る理由など思いつくはずもなかった。

 イスも机もラトにとってはそうとう重たいが、ララティアのためなら、持ち上げてぐるぐる回したっていい! そんな気にすらなって、ラトは瞳をらんらんと輝かせた。

 まあ、実際のところ、イスや机を振り回すなんて、そんな馬鹿げたことは、俺は間違ってもしないが・・・・・。

「・・・・・仕方ないな」

 しぶしぶ承諾するラトに、ララティアはとろけるような微笑みを向けた。

「お父さん! 有難う!」

 そう言うと、ララティアは躊躇なくラトに思いきり飛びついた。

「ぐわっ!」

 突然飛びつかれた方はたまったものではない。ラトは飛びつかれた勢いでバランスを崩し、ララティアを抱え込むような形で尻餅をついた。ララティアはお構いなしに、ぎゅっと首元にしがみつき、何度もその名を呼ぶ。

「おい、こら、首っ! 首をしめるなぁぁぁっ!」

「あぁぁぁ、ごめんね! お父さん!」

 そんなやり取りをしているラト達の後ろが、急に騒がしくなった。

「大変っス! 大変っス!」

 というけたましい声が付近から聞こえてきたからだ。

 声の主はかなり動揺している様子である。

 だが、その声を聞くと、ラトは呆れたように溜息をついた。

「・・・・・いつも、何の前ぶりもなく登場するな」

 そのラトのぼやきが聞こえたのか、えびフライのような生き物は、いきなり180度方向転換するとラト達の方へと進み出た。

「やあっス! 頑張っているっスか?」

「頑張っているっスよ!」

 ララティアがそれを見て、嬉しそうに右手を上げて応える。

 だが、対照的にラトは嫌そうに顔を背けた。

「貴様、何の用だ!」

「重大なことが起こったっスよ!」

「・・・・・何だか、大したことなさそうだな」

 ラトはそれを訊くと、溜息まじりにそうつぶやいた。

 この生き物――えびこは、ララティアと同じ時代、つまり未来からララティアを追ってやってきたらしい。最も、えびこはララティアのことを知っているらしいが、ララティアの方はというと、えびこのことは全く知らないらしい。

 だから、えびこが何でララティアを追ってやってきたのかさえ、俺は知らなかったりする。まあ、もしかしたら、未来の世界でララティアとは何らかの関係があるのかもしれないが、俺としてははっきり言ってどうでもよかったりする。

 かなり無責任な性格で、我を忘れると暴走する始末の悪い奴だったりする。

そのせいで俺は、殴る、尻尾で蹴られるなど、こいつに散々な目に遭わされたのだ。これで、えびことの再会を喜んで受け入れる奴がいるとすれば、そいつはただの馬鹿だろう。

「わ―い! えびこさんだ! えびこさんだ! お久しぶりだね!!」

 ラトの思いなど露知らず、ララティアは喜びの表情でとび跳ねた。

「おまえな・・・・・!」

 疲れ果てたように、ラトは溜息をついた。

 えびことはいつも毎日のように会っているだろうが、とラトは心の中でそう突っ込んでしまう。だが、いつまでもそんなことに構っている場合ではないのも事実である。

「で、どういうことだ?」

 ラトはそう言って仕切り直した。

 えびこはその言葉に、満足げに頷いてみせる。そして表情を引き締め、神妙な口調で言った。

「実はっスね、ゼフィアがこの時代にやってきたっスよ!」

「えっ!? ゼフィア先生が・・・・・!?」

 それを訊くと、ララティアの顔がみるみる青ざめていった。

 ラトは不思議そうに首を傾げた。

「ゼフィア? 誰だ、それは?」

 ラトがそう言って何度も何度も首を横に傾げていると、真顔になったララティアが決意めいた声で言った。

「・・・・・『サークジェイド』のこと、覚えているよね? お父さん」

「当たり前だ!」

 真剣な眼差しのララティアに戸惑いながらも、ラトはきっぱりとそう答えた。


 サークジェイド――。

 ラト達は以前、ララティアの内に眠る力、つまりミリテリアマスターとしての力を狙っていたサークジェイドと戦ったことがある。彼はラト達とともに戦った仲間、ルカの実の兄で、天の魔王を呼び出そうとしていた。だが、彼の狙いとは裏腹に、天の魔王ではなく『天魔』と呼ばれる天の魔王の配下が呼び出されてしまったのだ。戦いは苦戦を強いられたのだが、何とか、ラト達は天魔を倒すことに成功したのだった。

そもそもラト達が生きるこの世界は、人々からアーツと呼ばれている。その名の意味するところはよく分からない。

誰が名づけたのかも知らない。恐らく、この星の神々がそう呼んでいたのを、いつのまにか人々の間に浸透したのだろう。

アーツは巨大な海と、いくつかの大陸によって成り立っている。大陸の大きさは様々で、大きな大陸と呼べるようなものから、小さな島と呼べるものまである。

それらの大陸に住む種族も多種多様だ。人間。人より耳が尖ったようなエルフ。天使を思わせる容姿の羽翼人。人の手のひらに似た容姿を持つちょうちょ。そして、魔族や魔物。

もしかしたら、他にも別の種族が存在するかもしれない世界。それがアーツだ。

ラト達が今いるのも、もちろんアーツにある大陸のひとつだった。

そもそもこの世界には、六人の神々がいる。

天の魔王、地の魔王、夢月の女神、魔王、星の女神、時音の女神。普通、魔法は、このうちの一人から力を借りて使うものである。だが、ミリテリアと呼ばれる存在は、そのうちの一人の力を最大限に借りて発揮することができる。

だけど、ララティアはそれとは違った。実は、六人の神々すべての力を借りることができるらしい。なんて言うと、まるで本当にそれができるみたいに聞こえるかもしれないが、実際はそう大したことはない。できるかもしれない、その可能性がララティアにはある、というだけなのだ。それだけの話だ。そんなことはすべて嘘だと思えるくらい、ララティアは星の魔法、つまり星の女神から力を借りる魔法ぐらいしか扱えなかった。

ただ、ララティアの場合、普通の人よりも魔力の潜在能力(キャパシティ)がはるかに高かった。それが、サークジェイドに見出され、目をつけられた原因だった。


「・・・・・・・・・・」

ラトがララティアの言葉に即答した後、しばらくの間、ララティアもえびこも黙っていた。

気まずい沈黙が辺りを覆っていく。

ラトのこめかみあたりからタラリと冷たい汗が流れ落ちた。

 ミルドレットの街の庭園は、他の街の人達の談話で溢れ返っていた。活気に溢れる空間の中で、ラト達のテーブルだけが何とも言えない沈黙に支配されている。

ラトはその沈黙に耐えきれず、おそるおそる勇気を出して尋ねた。

「・・・・・で、サークジェイドとそのゼフィアとかいうのは何か関係があるのか?」

「大ありっス!!!」

 そう答えたのはララティアではなく、えびこだった。

えびこはどこかもったいぶったかのようにコホンと咳払いをすると、ラトの疑問に答えた。

「ゼフィアは、サークジェイドの親っスから!」

「なにぃ――--!!!!!」

 ラトは思わず、驚きのあまり絶句する。

 ラトにはえびこの言葉の意味が、すぐには理解できなかった。

 えびこはラトの戸惑いなんて関係ないようで、続けざまにさらに衝撃な言葉を告げた。

「それに・・・・・ララティアの魔法の先生なんっスよ!」

 えびこはそう告げると、じっとララティアのことを見つめていた。

その瞳に、どこか哀れむようなものを見るような表情が浮かんでいるように感じたのは、はたして俺の思い込みだろうか?

ラトはたまりかねたように、ララティアに訊いた。

「ど、どういうことだ!? そのゼフィアがララティアの先生・・・・・だと!!」

 驚きを隠せない表情のまま、ラトがララティアに視線を移すと、ララティアはおもむろにすくっと立ち上がった。

 思わず、ラトはビクッと身体を硬直させてしまった。

 何故なら、一瞬、ララティアが泣いているかのように見えたからだ。

「・・・・・私、未来の世界であの人と戦うことになるまで、あの人がゼフィアだってこと知らなかったの・・・・・」

 噛みしめるようにそうつぶやくと、ララティアは少し潤んだ瞳でラトの顔を見た。

「・・・・・でも、あの人は魔力がうまく使えなかった私に、魔力のコントロールを教えてくれたりした、大切な人だよ・・・・・!」

「!?」

 ララティアの言葉の弾丸が、ララティア自身気づかないうちに発射され、強烈にラトの心臓を撃ち抜いた。

た、大切な人・・・・・だと!?

俺は、俺の心臓が「ドクンッ!」と一度大きく鐘を打つ音を聞いたような気がした。

ララティアにとって、そいつは俺よりも大切な存在なのだろうか?

そう思うと、ラトはいてもたってもいられなくなった。

 ラトは吐き捨てるように――そして、たたみかけるかのように叫んだ。

「・・・・・だけど、そいつは敵だろうが!」

「お父さん・・・・・?」

驚いた表情を浮かべて、ララティアはラトを見た。

ララティアが、心配げに俺の顔をのぞきこんでいるのが気配でわかった。

 でも俺には自分の感情をコントロールすることができなかった。顔を上げることもできなかった。テーブルの下の自分の足(?)に視線を固定させたまま、俺は自分でも驚くくらいの強い口調で言っていた。

「そいつのせいで、未来の世界は大変な状態になっているんだろうが!」

「・・・・・そうかもしれないけれど、でも!」

「・・・・・ゼフィア、っスか」

 えびこが突如、しみじみとそうつぶやいた。

 ラトもララティアもどこか愚にもつかない口論はやめて、えびこの顔を見た。心なしか、えびこの瞳が潤んでいるようにも見えた。

「ど、どうかしたのか?」

「どうかしたの? えびこさん」

 ラトとララティアが不思議そうにそう訊くと、えびこは目をこすり、テーブルの上にある水の入ったコップを一度あおってから言った。

「いや、ちょっと、彼女のことを思い出してしまっただけっス」

「彼女・・・・・?」

 ラトは思わず、目を丸くする。

 えびこが何を言おうとしたのか、まるで想像がつかなかったからだ。

 ひとしきりの間をあけた後、おずおずとララティアが口を開いた。

「えっと・・・・・、多分、ゼフィア先生のことだと思うよ、お父さん」

「なにぃぃぃぃぃ―――――!!!!!」

 ラトは絶叫した。

 当たり前だ。先程まで男だと思っていたゼフィアが、実は女だと聞かされたのだから。

 ラトはおそるおそる――そして確認するかのように、ララティアにもう一度、尋ねてみる。

「ま、まさか、ゼフィアは女なのか?」

「うん、そうだよ!」

 と、ララティアが嬉しそうな顔で追い打ちをかける。

 ラトは一瞬、ララティアが何を言ったのか理解できなかった。

 ぽかん、とラトは口を半開きにして、心配げにあらぬ方向に視線をやっているララティアの横顔を見た。ゆっくりと彼女の台詞の意味が、ラトの脳に染み渡っていく。

「・・・・・それってまさか、ルカやサークジェイドの母親なのか!?」

「うん、そうだよ!」

 と、早口でララティアは答えた。

 ラトはまじまじとララティアを見つめた。

意外さによる衝撃が去ると、彼の中に不可思議な感情が頭をもたげてきた。未来の世界を支配しているゼフィアという人物が、ルカやサークジェイドの母親。

それは普通に考えれば納得できることでもあったが、ラトにとってしてみれば、信じられないことだった。

ルカと出会ってからここ数十日、ラトは何故、ルカが未来の世界では迫害されているのか、詳しいことを知らなかった。ただ巨大な魔力を持っていたからだということしか訊かされていなかった。それにラト自身も、それだけだろうと鷹をくくっていたところもある。

しかし今、ラトの先入観にくさびが打ち込まれた。

大した理由ではないだろう。

そんな風に思い込んでいた自分自身を、何だか俺は恥ずかしく思った。

少し迷い、二度三度躊躇して、ラトはララティアに話しかけた。

「あの、な・・・・・」

「どうかしたの? お父さん」

「いや、その・・・・・あのな」

「ん?」

 目をパチクリさせて、ララティアがこちらに顔を近づけた。

 ラトは、ひとつ深呼吸をして、頭を軽く下げ、そして口を開いた。

「おまえも・・・・・ルカ達も、大変な目に遭っていたんだな。 それなのに、俺はてっきりゼフィアが男だと思って、おまえにやつあたりとかしてしまってわるか――」

「君はバカっス!!!」 ラトはハッとして、背後からの声に振り返った。いや、振り返ろうとした。でも、それより早く、かなり強い衝撃がどんっ! とラトの背中を打った。

どんっ!

「ひどすぎるっス!!」

「うえっ!?」

 ドカッ!

 ラトは誰かに押されて、そのまま地面に激突した。

「ぐえぇっ!」

 悲鳴を上げて背中から床に墜落したラトの目の前には、声から予想がついたとおり、瞳は怒りで真っ赤に染め、口をわなわな震わせたえびこの姿があった。

「何するんだ、貴様!」

 と、ラトはえびこに抗議しようとした。

 当然だろう?

 何だか分からないうちに俺は突き飛ばされ、あげくの果てには地面に激突ペッチャンコになってしまったのだ。これで怒りも疑問も抱かなければ、そいつはきっと仏さまかただのバカだし、俺は仏でもバカでもない。

 だが、実際に俺の口から出た言葉は「な」の一文字だけだった。俺が「な」

と言った瞬間、猛烈なえびこの平手打ちが俺の両頬を襲ったのだ。

「な――」

 べしべし!

「な――」

 ばしばし!

「なに――」

 べちんばちん!

「・・・・・ぁぁ――」

 ばっちぃぃ―ん、どすどす!

 人はこうはなりたくないものである。人じゃないが。

 まるで虫歯なのに歯医者に行くサボり続けた子供のように、いやそれ以上に両頬を真っ赤に腫らし、グロッキー状態となったラトのむなぐらをつかみ上げ、えびこは鬼気迫る声で怒鳴った。

「君はどうして、いつもいつもそうっスか! もっと、人のことを理解できるような大らかな心を持つべきっスよ!」

 言いたいことは分かったが、腹ただしいのも事実だった。

 確かに理解しあうことは必要だろう。それは俺も思うし、実感できる。

だが、少なくともえびこは、理解しあう前に相手をノックアウト寸前まで追い込んでしまっている。

これでどのようにして、理解しあおうというのだろうか?

むしろ、えびこのその言葉は、俺よりもえびこ自身にこそ、最もふさわしい言葉に相違なかった。


「ハッ! つい、我を忘れてしまったっス!?」

 ようやくえびこがそのことに気づいたのは、それからかなりの時間が経過してからのことだった。空を見上げても、夕暮れの太陽は見当たらず、その代わり、月がラト達の営みを見下ろしていた。

「すまなかったっス!」

 そう言って、えびこはペコリと頭を下げる。

「・・・・・毎度毎度、そう言えば許されると思っているのか!」

 ラトが胡散臭げに、えびこに言った。

 すると、えびこは尻尾を優雅になびかせ、いたずらっぽく答えた。

「無論、許されるはずっス!!」

「許すか!!!」

 ラトは即座に、えびこの謝罪をはねのけた。

 えびこは瞳にクエスチョンマークを浮かべる。そして右手を掲げると、自信に満ちた声で宣言した。

「間違いなく、許されるはずっスよ!」

「貴様っ・・・・・!」

「そ、そんなことよりもっス!」

 ラトの言葉をさえぎって、えびこはバツが悪そうに大きな汗をかくと、さっと話題を戻した。

しらじらしいえびこの態度に、ラトはげんなりとする。

「また、逃げたな!」

 怒りで打ち震えるラトを無視して、えびこはさらに言葉を続けた。

「ゼフィアが、ついにこの時代に来てしまったっスね!」

「そういえば、そんな話だったな・・・・・」

 えびこの言葉に、ラトは軽く手をポンと叩いてみせる。

 まあ、今まで、全く無関係のことばかりでもめていた気もするが・・・・・。

 一度、仕切り直すと、ラトはえびこに向かって言った。

「で、これからどうする気だ?」

「・・・・・それはっスね!」

 えびこは、その場で意味もなくターンを決めた。尻尾がくるりとたなびき、えびこは高笑いをあげる。

まるで理解不能な行動をとった後、えびこはラトをびしりと指差し叫んだ。

「もちろん、ゼフィアの野望を止めるに決まっているっスよ!!」

 ラトは、背後のララティアと顔を見合わせた。

 えびこはますます得意げな顔になり、拳を突き上げ、演説を続ける。

「例え、ゼフィアがララティアと同じミリテリアマスターだとしても、こちらにもララティアというミリテリアマスターがいるっスからね!! だいじょうぶっスよ!! それに何としても――」

 だが、えびこが最後まで言葉を告げる前に、ララティアが遠慮がちに言葉を挟んできた。

「・・・・・あの―、えびこさん」

「・・・・・何っスか?」

「えっと・・・・・ね、その、やっぱり・・・・・」

「んっス?」

 えびこは首を傾げた。

ララティアは口をもごもごとして、何かを言いかけては閉じてしまう。普段の天真爛漫で元気いっぱいな彼女とは思えないひそひそ声に、えびこは思わず首を何度もひねってしまった。

 そんなララティアを見かねたのか、ラトは一呼吸置くと、あくまでもひどく冷静な口調で言った。

「・・・・・当然、貴様も戦うんだろうな?」

「へっス?」

 ラトが進み出て、苛立たしげにえびこに訴えた。

「貴様が先陣を切って、ゼフィアと戦うんだろうな!!」

「えっ、えっ、えっ、えええええっス―――!!!!!」

 あまりに意外な一言に、えびこのあごが大きく落ちた。

 えびこが恐る恐る、怯えた声でラトに訊いた。

「ま、ま、ま、ま、まさか、一人で戦えっていうんっスか?」

「そうに決まっているだろうが! 貴様はゼフィアとは知り合いだろう? 当然、何とかする義務があるはずだ!!」

 ラトの言葉に頷き、ララティアも続けた。

「そうだね! えびこさんならきっと、ゼフィア先生を説得できるよ!」

 ララティアはそんなえびこの動揺を無視して、とびっきり嬉しそうな声で言った。

そして、人差し指を頬につけると、えへへと笑う。

「それに――」

 ララティアは一瞬、冷たく目を細めた。

「もしもの時には、えびこさんを敵陣営に放り込めば、きっと何とかなるよ!」

 そう言って、突如、凄みのある薄笑いをしたララティアに、えびこは「ひいっ!」と悲鳴を上げて硬直した。

「ええええええええええっっっっス!?」

 あまりといえばあまりという言葉に、えびこは絶叫してしまった。

ララティアは瞬時にして表情を切り替えるという特技の持ち主だ。最初の頃は、一緒に行動している時、俺はいつもその天然ボケなテンションと腹黒いテンションについていくのに苦労させられたものだ。

この時もそうだった。突然、腹黒い調子に変化した彼女の声に、えびこは面食らってしまった。

まあ、俺はえびこよりララティアと一緒にいた時間が長いためか、こんなのは日常茶飯事と化してしまっているが。

混乱しきっていた思考がどうにか収まり、えびこは素っ頓狂な声を上げた。

「ひっ、ひどいっス―――――!!!!!」

「ひどいのは、貴様だ!」

 ラトは間一髪入れずに即答した。

 するとそれを見て、ララティアは顔をしかめた。

「ひどいね、お父さん!」

「おまえが言うな、おまえがっ!」

 えへへと笑いながら言うララティアに、ラトはげんなりとした。

 ラトは溜息まじりに訴えた。

「で、結局、どうするんだ?」

「ゼフィア先生を止めるよ!」

「っスね!」

 とてつもなく無責任な答えが返ってきた。

「どうやってだ?」

 ラトの言葉は正鵠を射ていた。

 ララティアとえびこはそう訊かれると、だらだらと嫌な汗をかき始めた。

「き、きっと、何とかなると思うよ! お父さん!」

「そうっスよ!」

 えびこもそれに続く。

「おまえらな・・・・・!」

 物言いたげな瞳で、ラトは二人(?)をじっと見つめた。

 すると、ララティアが頬を膨らませて不満そうに言葉を漏らした。

「・・・・・じゃあ、お父さんはどうしたらいいと思うの?」

「うっ・・・・・!」

 いきなり正論を指摘されて、ラトは顔をうつむかせた。そして、真剣に考え込む。

 どうしたらいいと言われても、

俺は未来の世界のことはほとんど知らないからな・・・・・!

 というか、あの魔雲の大公、セルウィンでさえ勝てなかった相手に、俺達が正攻法で勝てるはずがないだろうし・・・・・。

 こうなれば、えびこをひたすら特攻させるか?

 だが、それだとララティアが絶対に抗議をしてくるしな・・・・・。

 と、あくまでも真剣に、ラトはそういうことばかりを考えて考えて考え込んでいた。

 そんなロクでもないアイデアしか浮かんでこないほどに、ラトは自分で自分を追いつめ、自暴自棄になってしまっていたのだった。

 しかし、その時だった。谷底に落下してしまえば、あとは昇るだけである。

ラトは自分の思考の中に引っかかるものを感じた。

 魔雲の大公、セルウィン――天の魔王のミリテリア――この世界(現在)の支配者!!

 この世界(現在)の支配者ッッッッ!!!!

 それはラトのいる絶望という名の谷底に差し込んだ一筋の光だった。

 ラトはうつむいていた顔を勢いよく上げると、咳払いして明るく返した。

「そ、そう言えば、セルウィンはどうした? この世界の支配者、魔雲の大公、セルウィンは未来の世界にはいないのかよ!」

「セルウィンって――天の魔王のミリテリアの・・・・・?」

 ララティアがきょとんとした顔のまま、ラトを見つめた。

「ああ」

 満足げに頷きながら、えびこに視線をやって、ラトは目を剥いた。

何故ならそこには、まるでラトに言われて、やっとそのことに気づいたかのように、「そうだったっス!」「そうだったっス!」とえびこがいっせいに騒ぎ出していたからだ。

「セルウィンのことを、すっかり忘れていたっス!!」

「忘れるなよ!」

 呆れたように、ラトは溜息をつく。

「あのセルウィンも、この時代にいるっスよね!」

「当たり前だ!」

 吐き捨てるように、ラトは叫んだ。

 この時代での世界の支配者たる者は、魔雲の大公、セルウィンである。この時代の者なら、誰でも知っていることだ。別に意外なことではなかった。

意外でなかったのは、えびこの次の台詞だった。

「あの未来の世界で、この世界の支配者をかけてゼフィアと幾度となく争っているセルウィンが、この時代では世界の支配者っスか・・・・・!?」

「なにぃぃぃぃぃ―――――!!!!!」

 ラトは声が張り叫びそうな勢いで叫んだ。

「未来の世界では、あのセルウィンとゼフィアが戦っているのか!?」

 だが、そんなラトとは裏腹に、ララティアは落ち着きのあるような声で言った。

「・・・・・そうみたいだね」

 ララティアの声が一オクターブ低くなった。

 内心、気圧されるものを感じるラトではあったが、再び咳払いすると、ララティアに多少強引ではあるが尋ねた。

「・・・・・その、セルウィンと互角以上に渡り合えるゼフィアという人物は一体、何者なんだ? それに、そいつがララティアと同じミリテリアマスターというのはどういうことだ?」

 未来の世界で、セルウィンと互角以上の力を持つ者が世界をかけて争っている。それが本当なら、確かにとんでもない話だ。

 ただでさえ、セルウィン――ただ一人の力でこの世界が滅びかねんというのに、それにさらに輪を増して上をいくかもしれない者がいるというのだ!?

 あのララティアが、『大変な状態』と言っていたのも頷ける気がした。

まあ、俺なら間違っても、そんな時代には住みたくないが――。

「この時代にいないのは当たり前かもしれない・・・・・」

ララティアの言葉が耳に飛び込んできた。

ラトはララティアを見た。ララティアもラトを見た。ララティアは言った。

「だって・・・・・、ゼフィア先生は異界から来たんだから・・・・・!」

 ラトはぽかんと口を開けた。

 異界から来た?

 どういうことだ?

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