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ライム・ア・ライト(第二章、あなたと再会の約束を5)


「ターンが倒された!」

フレストの街に足を踏み入れた瞬間から、街を覆う気だるさのようなものには、みんな気づいていたけれど、酒場の投げやりな女主人(マダム)の言葉に、フロティアは食事の手を止める。

「そうよ。以前はここも、あなた達みたいに冒険者や旅人で賑やかだったのよ」

 何でも数日前、数人の冒険者達がターンを倒したと、この街に報告に訪れたらしい。

 そのおかげで、この名もなき大陸に平和が訪れたというのだ。

「まあ、平和になったことはいいのだけど、こう客先が少なくなったのにはちょっと、ね・・・・・・・・・・」

 お皿のロールケーキの最後の一口を平らげると、フォークを口に挟んだまま、フロティアは動きを止めた。

「そっ、それで、そのターンを倒した奴って――」

「やめておけよ!」

 フロティアが言い終わる前に、青い髪の少年――メリアプールが口を挟む。

何でも彼は、フロティアの義理の弟らしい。数日前、メリアプールの兄であるエレニックとフロティアは式を挙げたばかりだということだ。

 もちろん、フロティアはすぐさまメリアプールに言い返した。

「何でよ!」

「ターンを倒した奴と戦うっていうんだろう。無理だから、やめろよ」

「いきなり無理だって決めつけていたら、何もできないよ! 例え、一人じゃ無理でもみんなで戦えば――」

 またしてもメリアプールは、最後まで言わせない。

「今までターンに立ち向かった冒険者達が、みんな俺達より弱かったというのか? それに、そんなことより早くスチアを探さないと・・・・・!」

 フロティアはぐっと不満そうに押し黙る。

 『スチア』というのは、何でも彼、メリアプールの幼なじみらしい。数日前、行方不明になってしまった彼女を探しているというのだ。

 フロティアとメリアプールの何度目かの舌戦は、ついに彼に勝利をもたらすかに見えた。

けれど、それは一瞬のことだった。

「お姉さん! ロールケーキをもう一つ、おかわりね」

 どうやら、フロティアはロールケーキが大好きらしい。

 近くでその光景を見つめていたラトとララティアは、必死で笑いを堪えていた。

「えへへ お父さん! 私もロールケーキがほしいな!」

「あのな・・・・・」

 だが、すぐさまララティアが笑顔で追加の注文をすると、ラトは肩を竦めた。

 メリアプールは、フロティアのいきなりの話題の切り替えについていけず、何かを言い返そうとして咽そうになり、慌てて口の中身を飲み込むと落ち着こうとして一息ついて、コップの中に残っていた水を全て飲み干すと、タン! と音を立ててテーブルに置いた。

「何だよ! 突然!」 けれど、フロティアは可愛い弟に対するお姉さんの笑顔を崩さない。

「あれ? メリくんもロールケーキ、食べるの?」

 メリアプールは何も言わずにそっぽ向く。

「あっ・・・・・! そうだね。ごめんね、メリくん」

 フロティアは辛らつな顔でコクンと頷いた。

 メリアプールはそれを見て、一瞬、ホッとしかけた。だが――。

「わかった! 今日はこのまま、無礼講よ! お姉さん! お店にあるだけロールケーキ、全部持ってきて!!!」

 大げさに片手を上げて、フロティアは明るい声で叫んだ。

「おい! 何でそうなるんだよ!」

 メリアプールは視線で、ラト達に助けを求めるが、彼らは彼らで、すでにランチを楽しんでいる。いや、少なくとも、ララティアは。

「おいしいね。お父さん」

 楽しそうにララティアはくすくすと笑う。

「こっちもこっちで、誰かのせいで資金が底をついてしまった・・・・・」

 眉間に縦皺を深くしながら、ラトはボソリとつぶやいてみせた。






「さて、これからどうするかだな」

「お父さん、そうがっかりしないでも・・・・・」

 テーブルにのしかかり、ラトが毒づくと、ララティアがラトの肩を慰めるように軽く叩いた。

「おまえが気楽しすぎだ!」

 ララティアの言葉にもラトの心は休まらず、ラトはテーブルの上の水の入ったコップに手を伸ばして一気にぐびぐびっといった。 フレストの街は、この大陸唯一の国、フレイム城の城下街だけあって、本当に色々な施設がある。ラトとララティアがいるのはこの街の一角にある、小さな聖堂だった。

 ターンを倒したという冒険者達を追いかける前に、目的を失って気落ちしているラトを気づかって、フロティア達が案内してくれたのだ。

「ここはね、結構、色々な情報とかが聞けるのよ!」

 というフロティアの説明どおり、聖堂のそれほど広いとは言えない広間は人で溢れ返っていた。それも、普通の街の人とかではなく、冒険者や旅人といった類の人々が、ワインを片手に自分の手柄を語っていたりする。

 そんな冒険者のための広間の中で、ラトはララティアに思いのたけをぶつけていた。ぶつけずにはいられないほど、ラトの胸のうちには不満が強く渦巻いていたのである。

「結局のところ、おまえの両親のことは分からずじまいなんだぞ! いいのかよ! それで!」

「よくないよ」

「だったら、もっと真剣に探せよ! 意外と、おまえの両親は近くにいるかもしれないんだからな!」

「うん・・・・・!」

 ララティアは、急に冷静な声で言った。

「近くにいるもの」

「・・・・・はぁ?」

「すごく近くに・・・・・」

「どういう意味だ?」 怪訝そうに言うラトに、突然、ララティアは楽しげに笑った。

「――だったらいいな」

「・・・・・びっくりさせるな」

 深い溜息をついたラトに、ララティアは嬉しそうに叫んだ。

「それより、ほら、お父さん、フロティアさんだよ!」

 ラトはララティアが指さした方向に顔を向けた。そして訊いた。

「・・・・・フロティアって、歌うまいのか?」

 どうしてラトがそんなふうに念を押したのか?

 ララティアが指さした方向には小さなステージがあって(というか、何故、聖堂の中にステージがあるのかが問題だが)その上では一人の女性がスポットライトを浴びながら、歌を口すさんでいた。ステージの前には何人かの人達がつめかけ、熱い声援を送っていた。他の人達も、ステージでの彼女の歌を心の底から楽しんでいるらしかった。

 てっきりラトは、フロティアは歌とかは下手だろうな、とばかり思っていた。そのためか、なかなか驚きを隠せずにいた。


蒼い月 満ちかけて

今もまだ 縛るの

震える手を

そっと 空に掲げ上げるの

忘れられた場所は

何もない虚像のようで

繰り返される日々は

何も生まれないの

誰も知らない星がある場所

誰も知らない悲しみがある場所


 不思議な歌詞だ。そして、しっとりとした心にしみてゆくような素敵な歌だった。

 ラトは尋ねた。

「何の歌だ?」

 ララティアはほんの少し、寂しそうに言った。

「私のお母さんが、いつも歌っていた歌だよ・・・・・」

「そうなのか・・・・・?」

 それはエルフや羽翼人だけに古来から伝わる星の歌だった。安堵を与える優しい音色は、やがて歩き疲れたラトやララティアのまぶたを重くした。フロティアの歌声は、ラト達の寝息を優しく包みこんだ。



 翌日、フロティアとメリアプールは、ターンを倒したという冒険者を追って、バリスタの港町に向かうことにした。

「ララティアちゃんとラトくんも来ない?」

 フロティアはエヘヘと笑いながら言った。片手をそっと差しのべる。

 だが、ララティアは小さく首を振った。手のひらを横にひらひらとさせながら。

「私達はいいよ」

「ん? 行かないのか?」

「うん」

 小さく、はかなげにそう頷いたララティアに、ラトは思わず顔をしかめた。

「ひょっとして、熱でもあるんじゃないのか?」

 別にからかうつもりでそう言ったわけじゃなかった。ラトは本当に本当に驚いていたのだ。素直なララティアというのはラトの常識では、おとなしいえびこと同じくらいに有り得ない存在だった。

 そういえば、フロティア達と出会ってから、ララティアは何か考え込んでいるような気がしたな。

 もしかしたら、ララティアの本当の両親って、フロティアやメリアプールと何らの関係があるのではないだろうか?

 そんな馬鹿馬鹿しい疑念が浮かんでしまうほどに、ラトは呆気に取られていた。

「馬鹿馬鹿しい・・・・・? ・・・・・そうなのか」

 ラトはぽつりとつぶやいた。そして、思った。

 その可能性は不定できるのか? と。

 ララティアの両親については、名前も、歳も、そして、どこに住んでいたのかも分からないのだ。

彼らがララティアの両親ではないと不定できなかった。

 その時、ふといたずら心のようなものが、ラトの心に浮かんだ。

これを言ったら、ララティアはフロティアはメリアプールは、どんな反応をするのだろう?

そう思った時、自然とラトの口は動いていた。

「フロティア」

 と、ラトは言った。

「おまえのフルネーム、フロティア=ネブレストって、あの『ネブレストの森』と同じ名前だな」

 フロティアはラトを見た。ララティアもラトをまじまじと見つめた。メリアプールは首を傾げた。

彼らの顔にはどことなく、驚きの表情が浮かんでいた。でも、俺が言いたかったことはそれじゃない。彼らの反応が見たかったのもこの台詞じゃない。次の一言だ。

ラトは軽く呼吸を整えて、できるだけ自然に聞こえる口調を心がけて、言った。

「意外とおまえも、ネブレストの森から時を超えてきたのかもな」

 フロティアは――

 ララティアのように驚いた様子もなければ、メリアプールのように何を言われたのかわからないといった戸惑いの表情も浮かべなかった。フロティアは、まるで微笑ましい出来事があったように微笑した。

 彼女はただ一言だけ言った。

「ふうん」

 せっかくの告白だったのに、拍子抜けするような反応に、ラトは落胆を隠せなかった。

 以前、旧都ソルレオンでララティアが言っていた。

『私のお母さんも、ネブレストの森からこの時代に来たんだよ』と。

 それが確かなら、ネブレストの森と同じ名前であるフロティアも、そこから時を越えてやってきたのではないかと思ったのだ。だが、それはどうやら違ったらしい。だから、そのことに彼女が何の反応を示さないのは仕方ない。

 でも、それなら何故、最初はフロティアは驚いたのだろうか?

 いや、ただ、ネブレストの森の名前が出たから驚いたのかもしれないな。

 ラトはそこで、自分の考えを不定するように、首を何度も何度も振った。そして、再び、腕を組んで考え込む。

 ――それなら、「すごいね」とか感嘆の言葉を漏らすなり、「そうなんだ」とか共感の意を示すなり、他に反応の仕方があるのではないか。それなのに、あんなふうに笑うか。あれじゃまるで――。

 ラトはふと、フロティアの表情を見つめ直した。

 驚きも、疑問のかけらもない微笑。

 もしかして、フロティアは――

 ごくん、とラトは唾を飲んだ。

「一つ、いいか?」

 と、ラトは言った。

「なあに?」

「ネブレストの森って、時迷いの森って言われているよな」

 それだけをラトは言った。

 もしかしたら、フロティアは未来から時を越えてこの時代にきたのではないか。

 ラトはそう思ったのだ。

 普通、人は自分の理解できない事実や言葉を投げつけられれば、戸惑いや驚きの表情を浮かべるものだ。でもフロティアが、ラトの言葉に対して浮かべた表情は、ただ微笑みだけだった。あれではまるで、ラトが何を言ったのか理解しているみたいだった。

「うん!」と、短くフロティアは答えた。

 やっぱり、俺の考えすぎか。

 ラトがそう思いかけたその時、フロティアはにこっと笑みを浮かべて言葉を続けた。

「私が死んだお父さんやお母さんともう一度、会いたいと思っていたから、もしかしたら、森が願いをかなえてくれたのかもね! まあ、私もダーリンに聞くまで、ネブレストの森が時迷いの森なんて、気づかなかったんだけど」

 それがフロティアの返事だった。

 ラトは言葉を失い、言葉を探し、でもやっぱり見つからなかった。どうにか探し当てた言葉は、「本当かよ?」というひどく陳腐でありきたりなものだった。フロティアがララティアの母親。それだけの事実が、激しくラトの心臓を打ち鳴らし、ひとかけらの冷静さをも奪い去ってしまっていた。

「ララティアちゃんとラトくんはやっぱり、一緒には行かない?」

 と、フロティアはまた言った。

「うん。でも」

「――でも?」

 動揺するラトは、鸚鵡返しにつぶやいた。

 ララティアが何を言わんとしているのか、まるで想像がつかなかった。

 ララティアは言った。

「私、フロティアさんに出会えてよかったよ」

 ラトはララティアを見た。

 言わなくていいのかよ?

 そう訊きたかったが、ラトは思わず、言葉を詰まらせた。

「私も、ララティアちゃんに出会えて本当によかったよ!」

 フロティアは柔らかな笑みをたたえながら、こちらを見つめていた。

「う、うん!」

 と、ララティアは言った。そして、少しだけ寂しそうな表情でつぶやいた。

「また・・・・・、会えるよね?」

「会えるよ!」

 フロティアは即答した。

そして、ララティアの手を取り、にこりと笑った。

「絶対に会えるよ!」

 そう言うと、フロティアはメリアプールとともにバリスタの港町に向けて歩いていった。


 フロティアとメリアプールとも別れたラトは、一人、フレストの街の宿屋へと向かった。

 部屋のテーブルの上に並んでいるいくつかの椅子の一つを引き、腰を下ろす。 ふうっ、とラトは無意識のうちに溜息を漏らしていた。

 その時、部屋のドアが開き、廊下の明かりが差し込んできた。

「誰だ?」

「お父さん!」

 姿を見せたのはララティアだった。

「どうしたの? 明かりもつけないでこんなところで」

「ちょっと、考え事をしていただけだ」

 と、正直にラトは答えた。

「考え事?」

言いながら、ララティアは部屋の明かりをつけた。

「これからのこととか?」

「・・・・・そんなところだ」

 嘘だった。その答えでは四十点がいいところだった。それも、かなり甘めに採点した四十点だ。

 ラトが暗がりで考えていたのは、フロティアについてだった。ララティアの本当の両親についてだった。時間が経つにつれ、ラトの不安がまたよみがえってしまったのだ。

 確かにミルドレットの街でララティアから言われた言葉で、一度は俺は本当のお父さんだろうとそうでなかろうと、そんなの全然関係ないだろうなという気持ちになった。俺は初めからララティアの父親ではないと薄々分かっていて、それでもララティアを守ろうと思ったのだから。そして、その気持ちはもちろん今でも変わっていない。

 しかし、だ。俺はそれでいいとしても、ララティアはどうなんだろう? ということに俺は不安を抱いていた。

 ララティアは俺と一緒にいるより、本当の両親と――本当のお父さんと一緒にいる方がいいのではないだろうか? と。

 もし、本当のお父さんと出会ってしまったら?

 ありえないことではない。ありえないどころか、それはかなりの確率でありえることだった。メリアプールの兄、エレニック。フロティアと再会することがあれば、会ってしまうかもしれない。いや、きっと会うことになる。そうなった時どうなるのか、俺はそれが怖かった。

「お父さんも不安なの?」

「なっ?」

 ラトの横に腰を下ろしたララティアが、まるでラトの心を見透かしたようなことを言った。

「な、何がだ!?」

「・・・・・私も不安だよ」

 まるで、ではなかった。ララティアは、正確に俺の心を見抜いている?

「あのね」

 かすかに微笑みながら、何かを言おうとしたララティアの瞳に、はらりと何かが降ってくるのが目に入った。慌ててララティアは窓を開けると、そっと手を広げた。

「あっ?」

 手にとって、ララティアはハッとした。

 これって・・・・・プリカの葉!

 巨大な霊力の名残が感じられる葉。何度見ても、間違いなくプリカの葉である。

 この時代にあるはずはないのに・・・・・どうして?

 しかも、葉は次から次へと降ってきた。気づいた街の人々がどよめき、空を見上げる。

 どくどくと、急にララティアの心臓が騒がしくなり始めた。

 ふっと空を見上げた瞬間――。

 ぱぁぁぁっ!

 光のシャワーが降り注ぎ、辺りを温かな白色に染め上げた。

 ラトがバッと上を見上げて叫んだ。

「ララティア、また、変な登場の仕方だぞ!」

 空から、エビフライのような生物が降りてくる。その足元には、白い細長い道。

「えびこさん!」

「お久しぶりっス! 頑張っているっスか?」

 えびこは微笑を浮かべ、ゆっくりと地上に降り立った。

ララティアはえびこのもとへ転がるように走っていった。

「えびこさん、どうして・・・・・」

「ララティアのことが気になって、ではだめっスか?」

「う、ううん!」

 ララティアは瞳を潤ませて微笑んだ。

「で、今回の用はそれだけか?」

 ラトがのっそりとえびこの前に進み出た。

「それだけではないっスよ」

 えびこは即答し、意味ありげにララティアを見た。

 あっ・・・・・!

 ララティアは心の中でそうつぶやいた。そして、不安そうにラトを見据えた。

「まだ、何かあるのか?」

 渋い顔で、ラトがえびこをじろじろと観察した。

 いつも不機嫌な感じではあるが、何だか普段より余計にいらだたしげだ。

 しかし、ララティアはそんなラトの様子を複雑な顔で受け取った。

 えびこさんが心配してくれたことはもちろん嬉しい。けれど――。

 ララティアはごくんと息を呑み、思い切って尋ねた。

 えびこが姿を見せてから、ずっと気になっていたことを。

「もしかして・・・・・えびこさん自ら、私を迎えに来たの?」

「そうっス! もう、いいっスよね? そろそろ、未来(もと)の世界に戻るべきっスよ!」


 未来の世界に戻る。

 ついにこの時が来てしまったのかと、ララティアは複雑な心境になっていた。

 未来から来た住人が、未来に帰る。それはとても当たり前のことだったが、ララティアはすっぱり忘れ去っていた。

 多分、ラトと出会った時から。

「・・・・・俺は許さないからな」

 ギッときつい眼差しで、ラトはえびこを睨みつけた。今にも飛びかかりそうな雰囲気だったが、ぐっとこらえている。

 えびこは穏やかな表情を崩さずに、無言でその視線を受け止めている。

「貴様は俺にララティアのことを守ってほしいって言っただろうが! 期間限定なんて、聞いていないぞ!」

「ずっと、とは言っていないっスよ!」

「・・・・・た、確かにそうだが・・・・・」

 そう言われてやっとそのことに気づいたらしく、ラトは少し声をひそめたが、再びくわっと犬歯むき出しでわめき始めた。

「だが、そんなこと知るか! ララティアは俺の娘だ。俺の許可なしに連れ帰るなど、絶対にさせるか!」

 滅茶苦茶なことを言いながら、ラトは地団駄を踏みまくった。

「お父さん、そんなことをしたら足を痛めちゃうよ」 ララティアがおろおろして声をかけると、ラトはこちらにも怒りの矛先を向けた。

「うるさいわい! お前も何とか言え! 私のお父さんはお父さんだよ、とあれほど意気込んでいたのはどこのどいつだ!?」

「私も、もっとお父さんと一緒にいられると思っていたよ。ずっと、そばにいたいと思っているもの」

「そうだろうが! 俺と一緒にいるより、未来に戻ることを選ぶなど片腹痛いわい!」

「厚かましいにもほどがあるっス・・・・・」

「やかましいわ―い!」

 ・・・・・お父さん・・・・・。

 ラトとえびこを眺め、ララティアは心がぐらぐらと揺れているのを感じた。

 ここにいたい。お父さんのそばにずっといたい。

 だけど・・・・・。

 ララティアはきゅっと唇を噛みしめた。

「ごめんなさい、お父さん。私、やっぱり、未来の世界に戻らないといけないよ」

「何っ!?」

「私、ここへ来れて本当によかったよ。みんなは・・・・・お父さんは教えてくれたもの。世界はそれほどひどいところじゃない、って」

「そ、それならもっとここにいればいいだろうが! この時代の良さと俺の偉大さなら、これからいくらでも見せてやるわい。そのお気楽な脳みそにもわかるほど、徹底的に叩き込んでやる」

 ララティアの胸が、きりきりと痛んだ。

 最初はあれほど、自分を追い返そうとしたお父さん。それなのに今は全く逆だ。こうして不器用な言葉で、引き留めようとしてくれる。

 やっぱり、お父さんと一緒にいたい。素直な気持ちにララティアは心を痛め続ける。

「だいたい、お前が最初に、俺のことを『お父さん』と呼んだんだろうが! それなのに、さっさと俺を置いていこうなどとは虫がよすぎる! これからもよろしくね、と言ったのは、どこのどいつだぁぁぁっ!」

「わたし、です・・・・・」

 ララティアは顔を曇らせた。

 考えてみれば、自分は一番ひどいことをしようとしているのだ。孤独になることを何より恐れる人を、置いていこうとしているのだから。

 それでも帰らなくちゃいけないもの。だって・・・・・私には、応えなくてはいけない義務があるんだから!

「お父さん、私、この時代に来るまでは、人々から勇者の導き手と呼ばれ、そして聖女として称えられていたの。この世界の希望の一端を背負っていた。・・・・・でも、私はその責務に耐えられなくて、この時代に逃げ出してしまったの。でも、お父さんは、みんなは教えてくれた。逃げてばかりじゃだめだって。立ち向かわなくてはだめだって。そう、請われて勇者の導き手となったからには、私はこの世界の人々の期待に応える義務があると思うの! 応えるように全力を出す義務もあると思うもの! だから、このまま逃げ続けるなんて、絶対に嫌だよっ!」

 最後は、ほとんどただの叫びになってしまった。

 お父さんは私を守ってくれた。だから、今度は、私が未来の世界を――、人々を守らなくちゃいけない。そう思ったのだ。そう、お父さんが私を守ってくれたように・・・・・。

 ララティアの決意の固さに、ラトがたじろいた。それでも必死に、頭からぶすぶす煙を出して理由をひねり出そうとしている。

 その気持ちが嬉しくて、辛かった。

「りっ・・・・・立派に育ててほしいと言ったではないか? まだ、全然、立派でも何でもないだろうが!」

「そうっスか?」

「黙れ!」

 げしっ!

 ラトは、場の空気を読めないえびこを蹴り飛ばした。

 ふらふらとさせながらも何とか立ち直ったえびこが苦笑して、ぽんとララティアの頭に手を置いた。

「それなら、心配は無用っスよ! ララティアはもう、充分、立派っスよ!」

「し、しかし・・・・・」

 ラトは完全に言葉を詰まらせ、悔しそうに歯ぎしりした。

その様子を見たえびこは、ようやくラトの気持ちが分かったらしく、首を困ったように横に振ってみせた。

「やれやれっス。もっと、優雅に話し合えないっスか?」

 えびこが苦笑混じりに、ララティアに視線を送った。そして、唸るラトの肩にぽんと手を置く。

「男は、引き際が肝心っスよ。無理やり引き留めようと無様な姿を見せ続けるくらいなら、せめて、ララティアを未来のネブレストの森まで送ってあげてはどうっス?」

「俺が?」

「私を、お父さんが?」

 ラトとララティアは、顔を見合わせた。お互いの脳裏に出会った頃のドタバタがよぎる。

「あの、えびこさん。私は嬉しいけれど、いいの?」

 ララティアが聞くと、えびこは当然のように頷いた。

「構わないっス。一緒に行くのは、ネブレストの森だけっス。街とかでは問題になるかもしれないっスが、森だけなら大丈夫っスよ!」

「うん、ありがとう、えびこさん!」

 嬉しい言葉に、ララティアはしゃきっと背筋を伸ばした。

「それでは、決まりっスね!」

 ばさりと尻尾を翻したえびこが、とん、と地を蹴った。雲のようにふんわりと、体が天に舞い上がる。

「じゃあ、一足先に帰って、お茶の準備でもしておくっスよ。ララティアのお父さんの直々の訪問スっからね!」

 愉快そうな笑みを残して消えたえびこに、ラトは慌てて叫んだ。

「おい、待て! 俺はまだ、行くとも決めていないぞ!」

「えええっ!? 来てくれないの!? 私、お父さんに見てもらいたいところ、いっぱいあるのに」

 ラトが、ぽりぽりと鼻先をかいた。

「あ―、まぁ、この俺をぜひに、と言うなら行ってやってもいいがな」

「本当!? それなら早速」

 ララティアはしゃんと背筋を伸ばし、深々とお辞儀をした。

「どうか、お願いします、お父さん」

「・・・・・」

 腕を組み、ラトはあらぬ方向を向いた。耳先まで火照らせたままで。

「し、仕方ないな」

「えへへ」

 ララティアもつやつやした頬を染めて、はにかむように笑った。






 そしてララティアと別れてから数日後――。

 旧都ソルレオンの宿屋のテラスに、物思いにふけるラトの姿があった。そよそよと心地よい風が、開けっ放しの部屋のカーテンを揺らしている。

 そこへ、澄んだ青い髪の女性が姿を現した。

「ラトくん、・・・・・何しているの?」「別にどうでもいいだろうが! だいたい、貴様らは未来の世界に帰らなくていいのかよ!」

 ラトにたんたんっと足を踏み鳴らされ、声をかけたアリエールはげんなりとした。せっかく、久しぶりに出会ったというのに、いきなりこれではとりつく島もない。

「・・・・・わたし達は、この時代の方があっているから・・・・・」

 悲しげに溜息をつくと、落ち着いたトーンの声でアリエールはそう答えた。

 ルカとアリエールとそしてラミは、この時代に残ることにした。

サークジェイドと戦いの後、ルカとアリエールは各地を転々と回り、華々しい戦果をいくつも挙げてきた。魔王の右腕だと自称する死者の王、ラックと戦い、これを討ち取ったりもした。魔物の奇襲を受けた街の救援に向かい、住民の六割を脱出させることにも成功した。

 いつからかルカ達の活躍の噂は、旧都ソルレオンを飛び出し、大陸の街という街に、村という村へと伝わった。サークジェイドを倒してからほんの数日間の間で、ルカという名前は多くの人々に知られるようになっていた。ルカという名前は希望を表した。彼の名が『勇者』という称号と一緒に語られるようになるまで、それほど時間は必要なかった。

 そして、このことに一番驚いたのはルカ自身だった。この時代に来るまでは、人々から『化け物』だの何だのと恐れられていたからだ。

だが、この時代ではどうだ? 

人々は恐れるどころかルカのことを、今ではあの大勇者として名高いラスト=エンターティナーに続いて、多くの人々に知られる勇者となってしまっている。人々の恐怖の声は、この時代では歓喜へと変わった。人々の絶望は希望へと変わった。

ルカはこの時、苦笑混じりにこうつぶやいた。

「恨んでいたはずの自らの力が、こんなカタチで人々の役に立つなんて・・・・・な」

 そう語るルカの表情には、憎しみや怒りの要素がほとんど感じられなかった。まるで憑き物が落ちたような、そんな清々しい表情だった。

アリエールはそんなルカを見て、より一層愛しく思った。

「・・・・・・そうね」 アリエールはそう言って、くすっと笑みをこぼした。

 ラミはというと、今でも旧都ソルレオンの酒場で働いている。彼女は、例えこの思いが決して届くことはないと分かっていても、それでもルカの側にいることを選んだらしい。


 ふと、アリエールは気にかかっていた話題を引っ張り出した。

「・・・・・そういえば、ラトくん。結局、ララティアさんのことはどうなったの?」

 ラトがこの時代へ帰ってきたのは、未来の世界に行って数日後のこと。その間何があったのか、どんな会話を交わしたのか、ラトはほとんど口にしなかった。

 折りに触れては聞き出そうとしてみたが、いつもごまかされてしまうのだ。

「そういえば、そうだな・・・・・」

「あれからどうなったんですか? ラトさん」

 いつのまにかアリエールの後ろに、ルカとラミが立っていた。

「それは・・・・・」

 ララティアがいた数日間を思い出したのか、ラトは少し照れくさそうに頭をかいた。

「貴様らには関係ないだろうが!」

 だが、すぐにそう吐き捨てると、ラトはかあっと怒りで顔を赤く染め、ドスドスと部屋から出ていった。

「あっ、ラトさん、待ってください!」

 慌てて、ラミがラトの後を追いかけてゆく。

「・・・・・変わらないわね」

 結局今日もごまかされてしまったと、アリエールは肩を落とした。




 ラトは一人、街の中を歩いていた。特に目的はない。ただ、彷徨い歩いているという感じだ。

 まるで走馬灯のように、これまでの出来事がラトの脳裏に浮かんでは消えていった。ミルドレットの街で泣き叫ぶララティアから『お父さん』と呼ばれたこと。ラミとの出会い。えびこに振り回されたこと。ララティアと交わした数え切れない会話。サタナエル達とのドタバタ劇。ルカとアリエールとの出会い。そして、ラミとの再会。サークジェイドとの戦い。天魔との死闘。仲間達との色々な場面。

 ラトは空を見上げた。一瞬、ララティアの笑顔がラトの瞳に映った。

 ラトは、ララティアに聞きたかった。

 おまえが望んでいたものは見つかったのか? と。 でもその答えは、聞かなくてもわかっていた。

 ララティアなら、「もちろんだよ!」って答えるに決まっているからだ。

そう考えるとラトは思わず、噴き出してしまった。元気いっぱいに両拳を突き上げるララティアが思い浮かんだからだ。ララティアなら間違いなくこうするだろうな、そう思ったら、ラトは笑いをこらえることができなかったのだ。

「なぁ―んで、笑っているの?」

 思いっきり思い出し笑いをしていたラトの肩を、ちょんちょん、と誰かがつついた。

「誰だ? 人が思い出に浸っている時に邪魔をするのは」

 ぶすっと振り返ったラトは、ハッと顔色を変えた。その鼻先に、ふわりと優しく甘い葉の香りが漂った。

「お久しぶりっスね、元気にしていたっスか?」

 彼女の隣にいたえびこの言葉は、ラトの耳には届いていなかった。

「・・・・・未来の世界が平和になってから、こっちに来るのではなかったのか?」

「だって、お父さんに早く会いたかったんだもの! それに未来の世界には、いつでも戻れるように魔法の修業をいっぱいしたからね!」

両手いっぱいにプリカの葉を抱えて、ララティアが頬を染めて微笑んだ。そんなララティアの姿は、キラキラと陽の光にまばゆく照らされていた。ラトの瞳には、まるで目の前に天使がいるかのようにも感じられた。

ララティアはにっこりと笑って、ラトに言った。「お父さん、これからはずっとずっと、一緒だよ!」

「ラトくん。ララティアを末永くよろしくお願いしますっスね!」

 えびこは満足げに、にこっと笑顔を浮かべた。そして、何度も何度も頷いてみせた。

 しばらく、ラトは意味を図りかねたように、ぽかんと口を開いていた。

「これからは、・・・・・ずっと一緒にいられるのか?」

 だいぶ間があってから、ラトはララティアに訊いた。

「うん、これからはずっと、一緒だよ!」

 ララティアは笑顔をラトに向けた。

ラトはララティアを見た。ララティアもラトを見た。

 ラトとララティアはお互いの顔を見つめ合うと、ひとしきり笑い合った。

 ラトはその笑顔を、心からいとおしいと思った。彼女の笑顔には、不安も迷いも微塵もない。

 そうか、それでいいんだな。

 ラトはそう、自分に言い聞かせた。

俺の隣には、ララティアがいる。ララティアの隣には、俺がいる。それだけで――、それだけでいいんだな。


 そして、ラトとララティアは、ルカ達が待っている宿屋へと向かった。





 止まることなく、どこまでも二人一緒に。

 未来へと――。

今回でひとまず、番外編の方は完結だったりします。でも、まだ5巻は残っている状態なので次回も恐らく番外編の続きだと思います今度の話は本編完結後のお話だったりしますので、レークス達も出てきます。ダイタ達は出てきませんが

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