ライム・ア・ライト(第二章、あなたと再会の約束を3)
今年最後の投稿です
一旦、ラミと別れたラト達は、旧都ソルレオンの街を探し回って、ようやく見つけた地下への入り口に進もうとしていたが、そこである人物と遭遇し、思わずその場に踏み留まってしまった。
「おい!」
肩を震わせながら、激しい怒りのオーラを帯びたラトが叫んだ。
「なんっスか?」
「何でここにいるんだ?」
吐き捨てるように言って、ラトはえびこを睨みつけた。
そうなのだ。先に旧都ソルレオンに出発したはずのラト達よりも早く、しかも、鍵つきの扉の奥にえびこはいたのだ。
ラトでなくても、疑問を抱くに決まっている。
「もちろん、先回りしていたからに決まっているっス!!」
えびこはきっぱりと言った。
怒りで震えた声で、猛然とした態度で、ラトはえびこに詰め寄る。
「俺が聞いているのは、どうして俺達よりも先にいるかってことだ!! しかも、何故、鍵つきの扉の奥にいるんだ!!」
ごく当然のことのように、えびこは答えた。
「愛があれば、何でもできるっスよ!」
「できるか!!」
ラトは声を張り上げた。
「それより、気をつけるべきっスよ!」
不意にえびこが、それまでとはがらりとトーンを変えた声を出した。
「この先は迷路になっているみたいっス!」
「だから、俺達を待っていたのかよ!」
ラトはしれっとつぶやいた。
「ぎくっス!」
えびこが、「ぎくっ!」とばかりに飛びはねた。
その間に、ルカは真剣な顔でえびこを睨みつけた。
「やはり、敵か」
「・・・・・そうね」
冷ややかな眼差しで、アリエールも同意する。
「えっス!?」
えびこは一瞬、何を言われたのか分からず首を傾げた。
だが、すぐに事の重大さに気づき、激しく動揺し、えびこは声を荒げた。
「違うっス! 信じてほしいっス! ラトくん!」
「俺に振るな!」
ラトはすかさず反論した。だが、その反論が命取りだった。
ラトの目を見据えると、ルカは言った。
「・・・・・そうか。貴様ら、最初からグルだったのか・・・・・」
冷めた目つきで見下ろしながら、ルカはそう告げた。
そして、ラトとえびこに剣を突きつける。
「たっ、助けてっス!」
えびこはラトの手を掴むと、救いの手を求めた。
「俺に助けを求めるなよ!」
「みっ、見捨てないでほしいっス!」
速攻で引き離そうとするラトに、必死で掴み返すえびこの図。いつまで経っても終わらないその光景に、ラトは思わず絶叫した。
「俺を巻きぞえにするな!」
「今、この手で・・・・・、すべての悪夢を終わらせてもらう!」
「俺は無実だ!」
しかし、そんなラトの言葉も、すでにルカの耳には届いていなかった。
そしてこの後、ラト達は再び、ルカにひどい目に遭わされることになるのだった。
「何とか、誤解が解けて一安心っスね・・・・・」
えびこはホッとして胸をなでおろした。
そんなえびこに、ラトが苛立つように言い放つ。
「誰のせいだ!」
えびこは瞳にクエスチョンマークを浮かべた。
そして、当然のことのように、ラトに言った。
「正義の味方に誤解はつきものっスよ!」
「そんなはずないだろうが!」
苦虫を噛みつぶしたようなラトの声に、えびこは不敵に笑う。
「と、とにかく、頑張るっスよ!」
しゅぱぱぱぱっ!
えびこは、疾風のごとくその場から走り去っていった。
「逃げたな・・・・・!」
ラトはムスッとした顔のまま、しばらくの間、えびこが走り去っていった場所を鋭く睨んでいた。
地下の通路を抜けラト達がたどり着いたのは、巨大な鋼鉄の扉の前だった。物々しい紋様が扉の一面に描かれて、それだけで一種異様な雰囲気をかもし出していた。この向こうで何かが待っている。そして、ここにララティアがいる。
否応なく高まる緊張感に、ラトは息を呑んだ。
「ようこそ」
ラト達は、一斉に身構えた。扉の向こうから、誰かの声が聞こえてきたのだ。
誰だ?
ラトは息を凝らし、周囲の様子に警戒をはらう。でも、四方に延びる通路のどこにも、何ら変わったところはない。
だが、動揺をあらわにするラトとは逆に、ルカ達は落ち着きのある様子で扉を見据えた。
「久しぶりだな、サークジェイド」
「くっ・・・・・、くくくっ・・・・・」
サークジェイドは姿を現さないままに、ラト達をまるであざ笑うかのように哄笑した。
「貴様を倒して・・・・・、すべての悪夢を終わらせてみせる!」
苛立ちを滲ませて、ルカが叫んだ。
「あなたに出来ますかな! ・・・・・・・・・・くくくっ」
哄笑の残響音を残して、サークジェイドの声は消えた。
ラト達は顔を見合わせた。
「罠、ね」
と、アリエールはルカに言った。
ルカは頷いた。
誰の顔にも思案の表情が浮かんでいた。それに、隠し切れない不安も。先程のサークジェイドの声の様子では、やはりラト達は待ち伏せされていたのだ。このまま先に進むのは、あまりにも危険なことではないだろうか。誰もがみな、その不安を抱いていた。
「それが、なんだ?」
沈黙を破ったのは、ラトの声だった。
「今さら、罠の存在とか、気にしても仕方ないだろうが!」
ラトの言葉に、虚勢の色はなかった。
「それに見ろ」
と、ラトはそのまま続けて、ラト達が来た方向を指差した。
「先程の様子では、魔物どもが俺達の様子を把握していてもおかしくない状態だ! こんな状況で、街に戻る方が危険じゃないのか?」
「確かに、そうだな」 ルカは、ラトの言葉に大きく頷いてみせた。
ラト達の方針は決まった。
ラトの自信に満ちた言葉が、ルカとアリエールの心に勇気を与えていた。
「行くぞ」
と、ラトは言った。
ルカとアリエールは頷き合い、そして、その巨大な扉を押し開いた。
その向こうに広がっていたものは――
そこは、巨大な広間のようだった。人間ならゆうに千人は入れるであろう広大な空間で、天井は巨大なドームになっていた。その天井には、金色の髪の青年が描かれた巨大な壁画が飾られ、壁にはステンドグラスがはめられていた。ラト達が押し開いた扉から一直線に豪華な真っ赤な絨毯が敷き詰められていて、そしてその遥か先には、宝石がいくつもはめ込まれた、きらびやかな玉座があった。
その玉座に、彼はいた。
冷たくて、鋭い顔立ちの男だった。暗い目つきをしていた。銀色の髪と、どこかルカに似た印象を受けたけれど、でもよく見ればルカとは違い、左目が隻眼となっていた。そしてその隻眼には、何やら機械のような装置が備わっていた。
「くくくっ! 逃げずにここまで来るとは感心ですね!」
玉座の上からラト達を出迎えた彼――サークジェイドは、楽しげにそう笑うと、両腕を胸の前でくの字に曲げて勢いよく立ち上がった。
ルカは一歩進み出ると、静かに告げた。
「貴様を倒して、すべての悪夢を終わらせてみせる!」
「あなたは、・・・・・本当に全てを忘れてしまったのですね」
「なにっ!?」
動揺もあらわに、ルカが叫ぶ。
そんなルカを、サークジェイドはさぞ得意げに言った。
「自分自身のことも、そして、私があなたの兄だということも!」
「なにぃ!!」
「な、なんだと・・・・・!?」
ラトの絶叫とはもるかのように、完全に冷静さを失った顔で、ルカは言った。
ルカだけではない。アリエールの表情からも、あらゆる生気が失われていた。
「あなたは、あの時、私に助けを求めてきたのですよ。自分自身の抑えきれなくなった力を、私に抑えてもらうために、ね」
ただ一人、顔色も失っていない男が、得意げに笑いながら言った。
ルカは、そんなサークジェイドを無言で睨んでいた。
「・・・・・だが、私にとってはそれは好都合だった」
ルカの表情を見て、サークジェイドはにんまりと笑みを浮かべた。
「貴様の持つ力を、全て奪うチャンスだとね!」
そう叫ぶと、サークジェイドは左目を指し示す。
動揺もあらわに、ラトが叫んだ。
「なんだ? あれは!」
「サーチスコープ・・・・・か」
「なんなんだ、それは?」
驚きも隠せずにラトが問い返すと、サークジェイドはラトの疑問をさえぎるかのように語り始めた。
「・・・・・このサーチスコープで、貴様の力を奪えるはずだった。だが、まだ完全には制御できず、貴様の力を奪うまでには至らなかった」
「無視するな!」
ラトは顔をしかめ、すぐに反論した。
だが、サークジェイドはそれでも言葉を続ける。
「まあ、そのおかげで、貴様は記憶を失いはしたが、な!」
「すべては貴様のせいだったというわけか・・・・・・・・・・!」
「まあ、そうなりますか」
サークジェイドの表情は動かない。
まるで、ごく当然のことぐらいしか思っていないようだ。
反してルカの額には、深い怒りのシワが刻み込まれていた。
自分が記憶を失った理由も、そしてミリテリアマスターである少女や全く関係のない街の人達を誘拐したのも、すべては力を求めようとするサークジェイドの策略だった。人の心を踏みにじる冷酷なサークジェイド。絶対に許せなかった。
「では、アリエールの呪いも、すべては貴様が・・・・・!」
「アリエール? ああ、そいつか」
ルカの肩にいるアリエールを見据えると、サークジェイドは傲然と胸を反らして言った。
「彼女は一部始終を見てしまったからね。口封じせねば、ならなかったのだよ」
アリエールは打ちのめされたように顔をうつむかせた。絶望の沈黙が、彼女を押しつぶそうとしていた。
「貴様だけは、俺が倒す!」
アリエールは顔を上げた。
ルカが、壮絶な目つきでサークジェイドを睨みつけていた。
「くくくっ・・・・・!」
「俺を無視しやがった罪は重いからな!」
ルカの代わりに、ラトが怒りの表情で叫んだ。
だが、大した理由ではないのは間違いない。
ルカは言った。
「貴様を倒して・・・・・、すべての悪夢を終わらせてみせる!」
「くくくっ!」
サークジェイドは楽しげに喉を鳴らした。
「あなたが、私に勝てるはずがない!」
サークジェイドとの戦いは始まった。
左右に分かれ駆け寄ったラトとルカが、剣を振り落とす。その攻撃を、いとも簡単にサークジェイドは防いでみせた。圧倒的な力と圧倒的な存在感だった。ラト達がこれまで培ってきた力が、このサークジェイドには通じない。相手は一人で、こっちは二人だというのに、そのことの不利も全く感じさせない。とはいえ、こちらも実質上、ルカ一人がサークジェイドに攻撃をしていると言ってもいいだろう。ラトは攻撃する以前に、サークジェイドに速攻で吹き飛ばされているのだから。
「私こそが、ミリテリアマスターとなるにふさわしいのだ!」
そう叫びながら、サークジェイドは手にした剣を横薙ぎに振るった。それを受け止めようとしたルカの手から、剣が弾き飛ばされる。無手になったルカにとどめを刺そうと、サークジェイドは剣を振りかぶった。
「ルカ!」
と、ルカの名前を呼びながら、アリエールはサタナエルの一撃を止めようと、ルカの剣をくわえるとサークジェイドに向けて放った。
それをわずらわしそうに剣で払いのけ、しかもまるで何事もなかったようにサークジェイドはすぐに動き出した。
「くらえぇぇぇぇぇっ――――!!!!」
サークジェイドに斬りかかりながら、ラトが絶叫した。渾身の力を込めて、サークジェイドの頭上に剣を振り下ろす。しかし、わずかに剣は頭部からはずれ、サークジェイドの右肩へと突き刺さった。
「おのれ〜」
ラトのサークジェイドへの攻撃が初めて命中し、サークジェイドの肩から激しい鮮血が噴き出したのが、それでも彼は意を介さない。
ラトとルカは危険を顧みず長接近戦を挑み続け、アリエールは後方から二人を援護した。それでも、サークジェィドは倒れない。まるで、不死身の戦士のように、サークジェイドはラト達の前に立ち続けた。
でもやがてついに、最後の時がきた。
ラトは自分の持っていた剣を、サークジェィドに向けて放り投げた。
ラトを侮って視線をルカに移していたサークジェイドは、まともにその一撃を喰らってよろめいた。
その隙をついたルカが、全身全霊の力を込めて水平に薙いた。
サークジェイドはそのまま、見えない刃に全身を切り刻まれて吹き飛ばされた。
「くくくっ・・・・・、もう、貴様らは終わりだ・・・・・」 息も絶えに、サークジェイドはよろめきながら起き上がった。
「なにぃ!?」
剣を再び構え直したルカだったが、呆気にとられてサークジェイドを凝視した。
立ち上がったサークジェイドは何を考えたのか、突如せせら笑いを始めた。
「くくくくくっ・・・・・・・・・・!」
そして、その場一帯を巻きぞえにしながら、サークジェイドは爆発に包まれた。
「自爆しやがった・・・・・・・・・・!」
ラトはぽつりとつぶやいた。
「これで終わったのか・・・・・?」
ルカは唇をクッと噛んだ。
結局のところ、記憶は取り戻すことはできなかった。だが、サークジェイドとは決別することはできた。後は、人質となっていたミリテリアマスターの少女と旧都ソルレオンの街の人達を救い出すだけだ。
ルカの言葉に、ラトが相づちを打つ。
「・・・・・だろうな」
「・・・・・いいえ。残念だけど、まだみたいね」
アリエールは少し自嘲気味に言った。
「このままでは、天魔が甦ってしまうわ」
意表をつかれたように、ラトとルカはまじまじとアリエールを見つめた。
「天魔・・・・・だと!?」
「えっ? 天丼さん!」
「違うわい!」
「じゃあ、展覧さんか!」
「全く、違うわい! ・・・・・って、おい!?」
うつむいていたラトは、がばっと顔をあげた。そこには見慣れた少女がはにかんだ笑顔を浮かべて、ラトを覗き込んでいた。
「お父さん! やっぱり、来てくれたんだね!」
「ララティア!」
目の前に立っていたのは、あのララティアだった。
どうやら、先程からのラトの独り言に答えてくれていたのは、彼女らしい。
ラトはたまらずつぶやいた。
「ララティア、おまえ、どうしてここにいるんだ? というか、どうやって逃げ出して来れたんだ?」
ラトにそう聞かれると、エヘヘと笑いながらララティアは事情を説明し始めた。
「実はね、大聖堂の高台でお父さんと野宿した後、朝起きたら何故か、牢屋の中にいたんだよ! 不思議だよね!」
不思議なのは、ララティアの思考だと思うが。
あの時、すぐにララティアを探さなかった能天気な自分のことは棚に上げて、ラトはしみじみと思った。
「でもね、見張りの牢番の人がね、こっくりこっくりと居眠りしていたの! だから、颯爽と鍵を取って逃げ出してこれたんだよ!」
ラトはすかさず、くるりとルカ達を見た。
その途端、ルカ達はさっとラトから目を逸らした。
よくよく考えてみれば、サークジェイドの部下というのは、あのサタナエル達とかなのだ。ろくな人選ではない。それとも、適当に集めただけの寄せ集めの集団なのだろうか? いや、それにしたって、もう少し、ちゃんとした部下を探せよ!
すでにこの世にはいないとは分かっていても、ラトはサークジェイドにそう突っ込みたかった。
ララティアはアリエールに声をかけた。
「それより、天丼さんがどうしたの?」
ララティアの聞き方は、まるで本当の猫に話しかけるような話し方だ。アリエールの前に進み出ると、ひょっこりとその場にしゃがみこんだ。そして、にこやかに笑う。
「・・・・・・・・・・天魔よ」
戸惑いの表情のまま、アリエールはうろたえる。
「奴が呼び出そうとしていたのは、天の魔王ではないのか?」
ルカが真剣な表情で訊いた。
「彼はそのつもりだったのでしょうけれどね・・・・・」
「天魔・・・か、厄介だな」
「そうね・・・・・」
悲しみに満ちた瞳で、アリエールはそうささやいた。
「天魔というのは、そもそも何なんだ?」
ラトは不満げにアリエールに訊いた。
「天魔というのは、天の魔王の配下よ。ただ――」
「ただ?」
一瞬、アリエールは言葉を呑んだ。しかし、すぐに平静になって。
「ただ、無差別に破壊だけを望む・・・・・、魔物よ・・・・・!」
「なにぃ!」
ラトは驚きのあまり、声を裏返った声を出してしまった。
ルカは、そんなラトを静かに見据えて言った。
「・・・・・このままでは、世界は滅びてしまうかもしれない」
「大変だね、お父さん」
「のんきな奴だな」
まるで他人事のように言うララティアに、ラトは呆れたように溜息をつく。
「お父さんが天丼さんを倒してくれるんだもんね!」
「勝手に決めるな!」
満足げに微笑んだララティアに、すかさずラトは突っ込む。
「・・・・・天魔よ」
戸惑いの表情をさらに深くして、アリエールはつぶやいた。
「・・・・・少なくともそいつを倒さなければ、世界は終わりというわけか」
「・・・・・・・・・・そうね」
と言って、アリエールは溜息をついた。そして、表情を改めた。
突然、ラト達の目の前で砂嵐が起こったからだ。
「お待たせしましたっス! えびこっス!」
「待っていましたっス!」
いつものえびこらしい登場の仕方に、ララティアは片手を掲げて歓喜の声を上げた。
ラトはとてつもなく嫌そうに顔を背ける。そして、怒りのこもった声で叫んだ。
「誰も待っていないわい!」
「仲間は一人でも多い方がいいっスよ!」
えびこの反論に、ラトはそのまま不機嫌そうに視線を反らしていたが、ちらりとえびこの方を見て視線を止めた。
「貴様は何もしないだろうが!」
「ぎくっ・・・・・ス!」
やっぱり、今回も鑑賞するだけのつもりか・・・・・!
えびこはわざとらしく咳払いなどをした後、とびっきりの笑顔で言った。
「そ、そんなことよりも大変なことになってしまったっスね!」
「逃げたな!」
苛立つように、ラトは拳を震わせた。その時だった。
「行くぞ! アリエール」
「ええ・・・・・!」
先程まで無言だったルカとアリエールはそう言い放つと、その場から姿を消した。
不意を打たれたえびこは、目に見えてたじろいた。本来なら――普段のえびこなら、怒鳴るところなのに言葉が出てこない。
「早い・・・・・!」
ラトは思わず、感心してしまう。
やはり、ルカ達もこいつのあしらい方が分かってきたということか・・・・・!
ためらいがちに、えびこはようやく叫んだ。
「む、無視しないでほしいっス!」
「置いていかないでよ!」
えびことララティアの声が、絶妙なタイミングではもった。
ある意味、正しい判断かもしれないな。
ラトだけがそうしみじみと思っていた。
「と、とにかく、追いかけるべきっス!」
えびこは力強く拳を震わせると、そのまま拳を突き上げた。
よほど、無視されたことを根に持っているに違いない。彼の瞳は怒りを帯びたように、真っ赤に染まっていた。
「貴様、気合入れすぎだ!」
どこか乗り気じゃない様子で、ラトは言った。
そんなラトを見ると、えびこはまるで活を入れるかのようにこう叫んだ。
「頑張ってくるっスよ!」
「なら、貴様が行け!」
途端、えびこは大きな粒上の汗をかいた。
「今、準備体操中っス・・・・・」
「何のだ?」
ど、どうしよう・・・・・。
言い合いになりかけた二人の間で進退窮まったララティアだったが、道はえびこのこんな一言で切り開かれた。
「とにかく、頑張ってくるっスよ!」
「頑張ってくるっス!」
ごまかすかのようにえびこが再び、先程と同じ言葉を口にした。そして、それに応えるかのように、ララティアがそれに続く。
「いい加減、真似するなよ!」
呆れたようにラトは溜息をつく。
だが、それ以上は追求してこなかった。
ララティアは笑顔でこう言った。
「行こうよ、お父さん!」
「ああ」 と、ラトは応えた。
この頃はやけに素直だな。ララティアは。
ラトが嬉しそうな笑みを浮かべて、そう思った瞬間だった。突然、ララティアの表情が一変した。
「それに――」
ララティアは一瞬、冷たく目を細めた。
「もしもの時には、私が天魔をズタズタに!」
ララティアはくすりと笑った。その表情は、ラトから見てもそら恐ろしいほどの微笑だった。
「・・・・・うっ!」
思わずラトは、天魔と戦う前から身震いさせてしまうのだった。
「・・・・・遅かったか」
ルカが、動揺をあらわにしてつぶやいた。
「そのようね・・・・・」
動揺を隠せず、アリエールはささやくような声で答える。
虚空の彼方にそれはいた。
無音の世界。
その静寂はひび割れていた。そこに次元を割って出てくる人間の眼球のような白い珠。
次元の狭間に動く瞳。ゆっくりとゆっくりと瞳は開いた。
真空なのだ。音など聞こえるわけない。しかし、重い音を響きかせて瞳は動く。
漆黒の海に強引にねじこまれた部品のようだ。
それは人の瞳の形をした魔物、『天魔』と呼ばれる存在だった。
そしてそれは、この空間に滑稽なほど不釣合いのようにも見えた。
この空間の間に、ルカの重く厳格な声が響いた。
「・・・・・なら、天魔ごと、滅ぼすまでだ!」 ルカはそう宣言すると、剣を抜き払った。
「すべての悪夢を終わらせてもらう!」
ルカは天魔に向かってそう叫んだ。
その時、一瞬だけ天魔の瞳がよどんだ。
「!?」
静寂――アリエールが先にそれに気づいた。
「待って! ルカ!」
地面が低くうなった。ルカはその場から跳んだ。地面の空間ごとバリバリと裂けてゆく。
その直後、裂け目から巨大な手がグニャリと現れた。それは天魔の拳だった。
天魔の巨大な手がシャアッとルカに襲いかかった。
「ルカ!」
アリエールは悲鳴を上げた。
超音速の速さで掲げ上げられた天魔の拳が、ルカの身体を捕らえようとしたからだ。
くそっ、避け切れん!
ルカは唇を噛みしめた。
「ルカ!」
その時、ルカと天魔の間に、小柄な赤い影が飛びこんできた。ラミである。
「ラミさんっ!」
アリエールが悲痛な叫びをあげた。
ルカは瞳を、大きく見開いた。
かばうように手を広げた姿が、遠い、決して取り戻せない懐かしい背中に重なる。
『だから、私のそばからいなくならないで』
真っ白な頭の中で、ルカは誰かの叫び声を聞いた気がしていた。
「ラミっ!」
腕を限界まで伸ばし、ルカはラミの手をつかんで引きずり倒した。そのすぐ脇の地面に、ドカッと天魔の拳が突き刺さる。
「!?」
舌打ちしながら拳を空間に戻す天魔に、どこからか炎の魔法が放たれた。
天魔が避けると地面がえぐれ、粉塵が巻き上がる。煙幕代わりの一撃だった。
「ルカさん、こっちです!」
それは、ルカが追い込まれたと察して駆けつけた、ララティアの援護射撃だった。
その隙をついて、どうにかルカとラミは天魔から離れた。
「だ、大丈夫・・・・・? ・・・・・ルカ」
小刻みに震えながら、ラミがささやくような声で言った。
「ラミ、どうしてここにいる?」
ルカのその言葉に、ラミは寂しげに笑った。
「ここは危険だ。今すぐ、ここから離れろ!」
ラミは哀しげに首を振った。そして、ぽつりとつぶやいた。
「優しいね・・・・・」
「ラミ?」
「ルカは優しすぎるよ・・・・・」
ラミは寂しそうに目を伏せた。
「前に言ったことがあったよね。自分を嫌いにならないで、って。私はあなたのことが好きだから、誰よりも好きだから、だから、私のそばからいなくならないで、って」
力ない笑みを浮かべ、ラミはかすかに首を振った。そして、ルカに向かって手を伸ばした。その手をルカは握りしめる。
「私にとって、それが一番守ってもらいたかった願いだった・・・・・。あなたは何も覚えていないかもしれないけれど・・・・・!」
ラミは笑顔のまま、そう言った。
ルカは何も言えなかった。いや、何も答えられなかった。
遠い目をして、「でも」とラミは続けた。
「それでも、あなたは私にとってかけがえのない人だから・・・・・、こんな私でも、あなたの役に立てたら、・・・・・それだけで、私は幸せだから・・・・・」
せわしい息の下でそれだけを話すと、ラミはルカに微笑んだ。
「だ・・・・・から・・・・・」
すがるようにそうつぶやくと、ラミはまるで力が抜けたかのように仰向けに倒れこんだ。
ルカは急いでラミに駆け寄り、抱きかかえた。
「ラミ・・・・・!」
ルカは、ホッと安堵の吐息を吐く。
どうやら、気絶してしまっただけらしい。
すかさず走り寄ったアリエールが、ルカに声をかける。
「・・・・・ルカ」
何かを訴えかけるような目でルカを見上げたまま、アリエールはそれだけ、つぶやいた。
「アリエール、ラミを頼む!」
アリエールは小さくコクンと頷いてみせた。
「絶対に天魔を止めてみせる・・・・・!」
ルカが叫び、背中の剣を再び引き抜いた。
剣を構えたまま、ルカは一歩前に進み出て、ゆっくりと歩み寄る天魔に対峙した。その背中を見て、アリエールは祈るように目をつぶり、天を仰いだ。
「おい!」
突如、ラトが怒りの表情で、ルカを呼んだ。
「いい加減、俺達を無視するな! だいたい、貴様らだけでいいとこ横取りはないだろうが!」
無茶苦茶のことを言いながら、ラトは地団駄を踏みまくった。
「倒れたヒロインを救う主人公、・・・・・素敵ね!」
うっとりと自分の言葉に酔いしびれるようにララティアが言うと、ラトはこちらにも怒りの矛先を向けた。
「主人公は俺だ!」
憮然な態度でそう断言するラトを無視して、ララティアはルカ達に告げた。
「あの、ルカさん! 私達も一緒に戦います!」
「すまない・・・・・!」
ルカが申し訳なさそうに言うと、アリエールがハッと顔を強張らせた。
「来るわ、ルカ!」
「ああ!」
「おい! ちょっ・・・・・」
ラトが声をかけるよりも早く、ルカは天魔に向かって駆け出していた。それに続く形で、ララティアは魔法を唱え始める。
ラトはひとり、唇をなでながら叫んだ。
「主役は俺だ!」
だだっ!
ラトは唐突に、天魔の方に突っ込んでいくのだった。
ラミはルカ達の家のベットで眠らされていた。静かな吐息をたてている。
その寝顔を、ラト達は心配そうな顔で見つめていた。
その時、ラミが目を覚ました。
「・・・う・・・ん」
「ラミ?」
「あれ? 私、確か――」 そこで、ラミはやっと、ルカの存在に気づく。
ルカはラミを見た。まっすぐな透きとおったグリーンの瞳――、ラミは一瞬、固くなった。ルカの顔がフッと微笑んだ。
「無事か? ラミ」
ラミは動揺したように戸惑った。
「ル、ルカ!」
ラミはまじまじとルカを見た。そして、照れくさそうに顔を背けると、そっと指を頬に触れた。
「う、うん、大丈夫だよ!」
「・・・・・そうか」
ラミは小さく頷くと、顔を上げてルカの顔に再び視線を戻した。ラミはこの時、本当に本当に驚いていたのだ。自分が無事だったことではない。ルカが自分のことを心配してくれたことに驚いていたのだ。それに、ルカの笑顔――、そんな彼の笑顔を見たのは、彼と離れ離れになってしまう以前の、あの時以来だった。
もしかしたら、これは夢かもしれない?
そんな馬鹿馬鹿しい疑念が浮かんでしまうほどに、ラミは呆気に取られていた。
ラミの疑問を無視して、ラトがしみじみとつぶやいた。
「かなり無茶な奴だな」
「愛だね! お父さん!」
ララティアがそれを見て、嬉しそうに右手を上げて応える。
だが、ラトは不満そうに顔を背けた。
「そういう問題か!」
そんなラトとララティアの会話を無視して、ラミはまたつぶやいた。
「ルカ」
「なんだ?」
ルカが聞き返すと、ラミが何か言いたげな顔をしてルカを見た。
ラミ・・・・・?
ラミのその表情が、ルカに何かを思い起こさせた。
『あなたの力になれなかったことが悲しいの』
あの時のラミの言葉がよみがえった。
「無事でよかった・・・・・」
「ラミ・・・・・」
ラミは柔らかな笑みを浮かべた。それに応えるように、ルカも微笑する。
「・・・・・・・・・・」
気がつくと、アリエールは信じられないものを見るように、ルカを見つめていた。
アリエールは愕然としていた。
ルカにとって、ラミさんは大切な存在なのね・・・・・。
急にその事実が、アリエールの胸に重くのしかかってきた。
「アリエール・・・・・?」
「ア、アリエールさん・・・・・」
突然、押し黙ったアリエールを、不思議そうにルカが見つめていた。
ルカが、ラミが、アリエールを呼んだ。
だが、アリエールはすぐにその場から駆け出していた。
どんな顔をして、ルカを見て話せばいいのかわからなかったのだ。
「・・・・・アリエール」
呆然とした表情でつぶやくルカに力はない。
「・・・・・ルカ」
ためらいがちに、ラミはルカの名を呼んだ。
ルカは怪訝そうに首を傾げる。
「・・・・・ラミ?」
「早く、行ってあげなくちゃ! ねっ!」
ラミは哀しいというより、嬉しそうな口調で言った。
それを見たルカは一瞬、顔をしかめたが、すぐに頷いた。
「・・・・・すまない」
そう言ってアリエールの後を追いかけていくルカの背中を、ラミは息を呑んで見守った。まるで身体に電撃が走ったように硬直する。
「・・・・・」
「よかったのかよ、これで!」
途方に暮れた顔で、ラトはラミに訊く。
「お父さん」
「な、なんだ?」
「これも、一つの愛だよ!」
ララティアはラトに笑みを向けた。
ラトは思わず、戸惑う。
「そういうものなのか?」
「愛は愛だよ、お父さん!」
ララティアは即答し、意味ありげにラトを見た。
ラトは顔をしかめた。
「それでわかるか!」
ララティアからすぐに顔を背けて、ラトは叫んだ。顔中を真っ赤にさせたままで。
「えへへっ!」
ララティアもつやつやした頬を染めて、はにかむように笑った。
「本当はわかっていた・・・・・」
ラトの背後から、ラミの声が聞こえてきた。つぶやくような噛みしめるような声だったから、それは独り言だったかもしれない。
「ルカが本当に好きな人・・・・・、それがあの人だって・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
アリエールは、浮遊島にある小さな高台でぼんやりと景色を眺めていた。
「アリエール・・・・・」
浮遊島から見える異常な風景をぼうっと眺めていたアリエールは、背後からの声に振り返った。
「いいの・・・・・? そばにいてあげなくて・・・・・」
「ああ」
ルカは頷くと、アリエールの横に並んで言った。
「あいつは強いからな。俺なんかよりも・・・・・!」
噛みしめるように、ルカは言った。ルカはアリエールを見た。
アリエールは寂しげに言った。
「・・・・・信じているのね」
「・・・・・ああ」
そう言って頷くと、ルカは遠い目をして、「だが」とつぶやいた。
「えっ?」
アリエールはきょとんとした。
ルカは真剣な表情で、アリエールを見た。
「今は、おまえの方が心配だ」
「・・・・・」
「おまえのことだから、一人で無理をしていないか?」
「そんなことないわ」
アリエールはそう答えたけれど、すぐにアリエールは「そんなこと――」と、言葉を詰まらせた。
「サークジェイドを倒したというのに、おまえの呪いは解けなかった。・・・・・それは、おまえが元に戻ることをためらっているからではないのか?」
「・・・・・」
ルカの言葉は正鵠を得ていた。
アリエールは言葉を失い、言葉を探し、でもやっぱり見つからなかった。
ルカは言った。
「アリエール・・・・・」
ごくん、とアリエールは唾を飲んだ。
「・・・・・わかっていたの」
小刻みに震えながら、アリエールはささやいた。消え入るような声だった。
「ラミさんが、あなたの大切な人だって・・・・・。・・・・・でも言い出せなかった。・・・・・いえ、本当は分かりたくなかったのかもしれない」 ルカは、アリエールの言葉を無言で聞いていた。
アリエールはきゅっと唇を噛みしめた。
「言えば、あなたは私の元から去ってしまう・・・・・。・・・・・そんな気がしたの。・・・・・ずっと、怖かったの。私が元の姿に戻ったら、戻ってしまったら・・・・・あなたは私の元から立ち去ってしまうかもしれない。・・・・・それが怖かった。だから――」
「・・・・・そんなことはない」
アリエールの言葉をさえぎって、ルカは言った。
アリエールはハッとして、ルカを見た。
「えっ?」
「これからもそばにいるさ。ずっと・・・・・!」
そう言うと、ルカはアリエールの手を握りしめた。
力強く――そう、もう決してこの手を離さないように――。
意味を図りかねて、アリエールはぽかんとする。だがすぐに、柔らかな笑みを浮かべて、嬉しそうに笑った。
「ルカ・・・・・」
アリエールはつぶやいた。
「ルカ、ありがとう・・・・・」
アリエールは再び、つぶやいた。アリエールの瞳から一粒の涙がそっとこぼれ落ちた。
その瞬間、アリエールの身体は金色の光に包まれた。
その光が消えると同時に、ルカの目の前に澄んだ青いロングの髪の女性が立っていた。
それは本来のアリエールの姿だった。
「えっ?」
「アリエール!」
「ルカ、私、元に戻れたの?」
アリエールは涙で潤んだ目で、ルカを見返した。
ルカは優しいが、毅然とした声で言った。
「ああ」
そう言うと、ルカはアリエールを抱き寄せた。
アリエールがささやくように――、つぶやくように言った。
「ルカ、これからもずっと、そばにいてね」
「ああ、約束する・・・・・!」
ルカはアリエールに向かって、きっぱりと言った。
「うん・・・・・!」
ルカの言葉に、アリエールは力強く頷いた。その一言は、アリエールの心を大きく突き動かした。
理由なんて、何もいらない。
ルカと一緒にいることに、何故、理論武装する必要があるのだろうか?
アリエールはルカと一緒にいる理由を一度は見失ったが、ルカのそばにいる動機を新たに見出した気がした。
いつのまにか、二人の目には涙が浮かんでいた。アリエールには、ルカの姿がにじんで見えた。
俺がララティアの本当のお父さんじゃない――。
それを知ったのは、あの天魔との戦いの後、ルカ達と別れてからすぐ後のことだった。とはいっても、それをえびこから知らされても俺は別に驚いたりすることはなかった。
ララティアは明らかにエルフだ。『ちょうちょ』と呼ばれる種族である俺とは全く違う風貌だ。前々から俺の娘ではないだろうな、とは薄々感じていたことだ。別に驚くことはない。
それなのにどうしてだろうか?
あの後にえびこに呼ばれて泊まっていた旧都ソルレオンの宿屋の部屋から出た瞬間、ラトは息を吐き出した。俺がララティアのお父さんじゃない?
本当のお父さんじゃないのか・・・・・?
ラトは自分が嬉しいのか悲しいのか、よくわからなかった。本来のラトなら、そのことに間違いなく喜びを感じたはずだ。ララティアを守るという使命や、彼女の側について旅をする必要はもうないんだと考えれば、そう思うのがラトらしかった。その答えで充分満足できるはずだった。それなのに、どうして俺は、そこに一抹の寂しさやわずかな痛みの感情を感じたのだろうか。
この時、俺は本当は、どのようなえびこの言葉を期待していたのだろうか?