ライム・ア・ライト(第二章、あなたと再会の約束を)
今回から第二章です。
イヤな空だ・・・・・。
明け方に起きたラトはそう感じた。
朝焼けがまるで赤さびのように赤い。
空気が肌に吸いつくように湿っぽい。
気温は低くないはずなのに、悪寒が走った。
朝日の温かさはあるはずなのに、まるで素通りしていくような感じをラトは恨めしく思った。何故なら、この不気味な感覚を暖めて解きほぐすことができないのだから。
サークジェイドがララティアの――ミリテリアマスターとしての力を本格的に狙ってくる、というえびこの言葉も気になる。何か事件でも起きそうな空模様だ・・・・・。 そんなことを考えながら、ララティアが眠っているはずの寝袋にラトは向かうが、何故かすでにもぬけの殻だった。注意散漫になっていたのか、ラトはいつもみたいに、すぐにララティアを探す事はせず、昨日と同じように鉄の柵にもたれかかると街を一望する。
「で、これから、どうするかだな」
ラトは寝ぼけた声でそうつぶやくと、溜息を吐いた。
「・・・・・それにしても、ララティアの奴、どこに行ったんだ?」
先に、ララティアを探すか。
そう腹を決め一人頷いたラトは、視線の先に偶然、大聖堂に続く階段を昇ってくる人影をとらえた。人影? いや、違う。それは、人ではなかった。黒猫だ。瞳が大きく、黒目がくりくりしてなかなか愛らしい顔立ちをしているのだが、普通の猫よりはどこか冷めた眼差しをしている気がした。
二匹(?)の距離が普通に言葉をかわせるぐらいになってからやっと、黒猫はその場に立ち止まった。
「・・・・・・・・・・!」
何故か驚いたように目を見開き、黒猫は息を呑む。もちろん、ラトとは初対面だ。なのにそこには憎悪と哀しさが入りまじっているように思えた。
どうして、そんな顔をするんだ!?!?
ラトは思わず、声をかけようとした。
だが、黒猫はラトを見て驚いているのではなかったらしい。
「この波動は・・・・・、まさか、あれが目覚めるのかしら・・・・・!」
黒猫は空を見上げると、表情を険しくした。それから小首を傾げた。
突如、どこからともなく、鐘の音が聞こえてきたからだ。
ラトが辺りをきょろきょろと見回していると、黒猫は真剣な表情を浮かべて言った。
「・・・・・時間がないようね。ルカに知らせないと」
そう告げると、黒猫はその場からフッと姿を消した。
高台はまた一瞬にして静寂に戻った。取り残されたラトは、ただただ呆然としていた。
「猫がしゃべった!?」
鉄柵を持つ手をわなわなと震わせながら、ラトは驚きのあまり、声を張り上げた。エビフライのような姿のえびこをいつも見ているとはいえ、猫がしゃべるというあまりにも衝撃的な現場を目撃し、ラトは言葉を失ってしまった。
ラトは一度、自分を落ち着かそうと、深く大きく深呼吸した。ふと横を見ると、街へと続く階段が目に入った。
ラトは無理やり表情を取り繕い、もう一度、階段を見た。
「とにかく、追ってみるか!」
などとぼやきながら黒猫を探しに街に戻ったラトは、街中を覗き込んで、そして見回して、我が目を疑うことになる。
「誰もいないのか!?」
ラトは目を疑った。街には、黒猫どころか、人一人いない。
大聖堂から街に戻ってきたラトが見た光景は、まるで何かの終末を思わせるほどはかなく荒涼たるものだった。
「どうなっているんだ?」
途方に繰れたように、ラトは周囲を見回す。自分が場違いなところにいるような気分なのか、居心地悪そうにブルブルッと身を震わせた。
「とにかく、探してみるか」
自分に言い聞かせるようにつぶやきながらも、ラトは街中をドンドン進んでいく。足取りは言葉ほど迷ってはいないようだ。
「それにしても、本当にララティアはどこに行ったんだ?」
まだ、サタナエル達にさらわれたかもしれないという可能性に気づかないラトの緊張感の全くない独り言。一応、身を隠しているつもりなのか、家の壁から壁へとラトは駆けていった。
「それにしても誰もいないっていうのは、本当に殺風景だな」
好き勝手な批評を加えながら、ラトは歩き続ける。
やがて道は行き止まり、街の門にたどり着いた。しばらく迷った挙げ句、ラトはビシッと指を指して自信たっぷりに宣言した。
「こっちだな」
断固とした足取りでラトが歩き出した直後、背後から誰かの話し声がした。
「・・・・・そのようね」
ラトは振り返って、声の出所を見当づける。
「やっぱり、こっちだな」
あっさりと前言を翻すと、ラトは声のした方向へと向かっていった。そこには、先程の黒猫と銀色の髪の青年が立っていた。
「遅かったようだな」
銀色の髪の青年は辺りを見回すと、ぽつりとつぶやいた。すると、先程の黒猫が、彼を静かに見据えて言った。
「まだ、チャンスはこちらにあるわよ・・・・・」
真面目な声色に、ラトはぱちくりと瞬きした。やはり、猫がしゃべったのは聞き間違いとかではなかったらしい。
「そのようだな。奴らは何故か、焦っている。その証拠に、奴らはミリテリアマスターのみならず、この街の人々全てをさらっていった・・・・・」
「そのようね」
青年が哀しげに街から目を逸らすと、黒猫は静かに頷く。
「奴らの狙いが分かるまでは、うかつにこちらからは手を出せないか・・・・・」
「少なくとも、レベル1の魔法戦士では相手にならないわ」
「だけど」と、黒猫は言葉を続ける。
「彼が、サークジェイドが、あなたの失った記憶の手がかりを持っていることは間違いないわ」
黒猫の言葉に、青年は意を決したかのように顔を上げた。
「・・・・・・・・」
俺はもう少し、この街を探ってみる。アリエールは先に行っていてくれないか」
「分かったわ。気をつけてね、ルカ」
「ああ」
アリエールの言葉に、ルカはそう応えた。それを訊くと、アリエールは再び、その場からフッと姿を消した。
その直後、不意にルカが、ラトが隠れている壁を振り返って告げた。
「さて、何用だ。モンスター」
「まさか、俺のことか!」
ラトは突然のことに動揺しまくった。
だが、それとは対照的に冷静な眼差しで、ルカはラトが隠れている壁の方を鋭く睨みつける。明らかに敵を見るかのようなその眼光に、ラトは思わず、身を震わせてしまう。
「貴様も、サークジェイドの使いの者か!」
「違うわい!!!」
そんなラトの言葉にも、ルカは耳を貸さなかった。
ラトを見据えると、ルカは吐き捨てるように言った。
「ちょうどいい。貴様らがさらったミリテリアマスターのことを吐いてもらおう!」
「だから、違うって言っているだろうが!」
ラトは絶叫した。そう叫んだのだが、その時にはすでに、ルカは自分の剣の柄に手をかけていた。
ルカは、力強く断言するかのように言った。
「すべての悪夢を終わらせてもらう!!!」
「人の話を聞け!!!」
ラトは半ばヤケになって叫んだ。
だが、ルカは無言で抜く手も見せずに、ラトに剣を突きつける。ラトは思わず、声にならない悲鳴を上げた。
そして――
ドカン! ズガン! ドガガァァーンッッッ!
ルカは、何度も何度もラトを吹き飛ばすのだった。
この後、ラトがどうなったのかは言うまでもないことだと思う。
「おかしい!? サークジェイドの使いの者がこんなに弱いとは・・・・・!」
信じられない者を見るかのように、ルカはうめいた。途端、ラトは不機嫌そうに毒づく。
「・・・・・悪かったな!」
ルカはまじまじとラトを見つめた。そして、押し殺したような声で訊いた。
「まさか、サークジェイドの使いではないのか!」
「だから、さっきからそう言っているだろうが!!!」
即座に、ラトは勢いよく叫んだ。
しばらく、ルカは何事か考え込んでいたが、ちらりとラトの方を見ると、そのまま視線を止めた。
「すまない。どうやら、間違いだったらしい」
ルカはそう言って、あっさりと自分の非を認めた。
それでも、ラトは不満そうに、ルカから顔を背ける。
「謝れば、許されると思っているのか!」
不審そうに眉根を寄せながら、ラトはふてくされる。
そんなラトの剣幕に、ルカは苦笑する。それから静かにこう告げた。
「ここは危険だ。君も俺達と来るといい」
「はあ?」
意味を図りかねて、ラトは硬直した。だが、ルカはラトの答えを聞く前に、ラトとともにその場から姿を消した。
「ここは?」
思わずという様子で、ラトはつぶやいた。
そこには、旧都ソルレオンが眼下に広がっていた。
強い陽射しがラトに降り注いだ。ルカの髪をなびかせる風は、どこかさわやかだ。白い雲がラトの目と鼻の先に見える。そして、二階建て二部屋の小さな家。家の隣には、大きなのっぽの木。裏側には、ちょっとした高台がある。これ全部を取り巻いているのは、緑溢れる平原だ。周囲には一面の空が広がる、一軒きりの空に浮かぶ小さな島――それが今、ラト達がいる浮遊島だった。
「俺達のアジトだ」
ラトの問いに、ルカは軽く答えて、そのまま家の中へと入っていこうとする。
「おい!」
ラトはそんなルカを呼び止めようとしたのだか、ルカは気にせずに家の中に入っていった。
その場に一人、取り残されたカタチとなったラトはぼやくようにつぶやく。
「置いていきやがった!」
そして、家の方をちらりと見ると、ラトは不満そうに腕を組んだ。
「仕方ない。行くか・・・・・」
深い溜息をつくと、ラトは慌てて、ルカの後を追うのだった。
からんころんとドアについているベルが鳴って、ドアを開いたラトが見た光景は、ルカとアリエールと呼ばれていた黒猫が何やら深刻な会話をしている真っ最中だった。
「どうだ? アリエール。サークジェイドの居場所は判明したのか?」
「ええ、場所はここ、旧都ソルレオン。かって異界への扉があった場所よ」
「やはり、奴は異界への扉を開こうとしているのか!」
ルカの表情がわずかに動いた。「くっ!」。口に出してはそう言った。
「ええ。恐らく、始まりの地に存在する『天の魔王』と契約を交わす気だわ」
「それには、ミリテリアマスターの力が必要というわけか・・・・・」
ルカは頷き、アリエールの横に並んで、壁に背を向けもたれかかった。
「・・・・・そうね。ミリテリアマスターだけではなく、他の街の人々さえもさらっていったのは、その成功の確実性を増すため・・・・・なのかもしれないわね」
「なにぃ!?」
突然のラトの叫び声に、アリエールは目をぱちくりと瞬きする。
ラトはアリエールの戸惑いなんて関係ないように、続けざまに言った。
「そんなことのために、ララティアはさらわれてしまったのか!!」
・・・・・・・・・・今の今まで、そのことに、事の重大さに全く気がつかなかったラトだった。
ラトは思わず動揺し、あちらこちらを円を描くように回り始める。当然、そんなことをしてもどうにもならなかったりするのだが、それでも何かしなくては気がすまなかったらしい。
「・・・・・彼は?」
アリエールが無表情のまま、ボソリとつぶやいた。
ルカが静かに応える。
「あの街に残っていたモンスターだ。敵かと思ったのだが、あまりにも弱かったのでな」
「悪かったな!」
すかさず、ラトが突っ込む。
「・・・・・そうね。サークジェイドの使いの者なら、あんなマヌケ面はしていないわよね!」
「貴様らぁぁぁぁぁぁ!!」
立て続けの暴言に、ラトはついに怒りの咆哮を上げた。
だが、ルカは全く気にせずに、先を進める。
「あのまま、あの街に置いておくわけにはいかないからな。それに何か、知っているようだ」
「わかったわ・・・・・」
アリエールは小さくそう頷くと、促すようにラトの方を向く。ルカも同じように、ラトを見つめた。
「何か、納得いかないが・・・・・!」
ラトは仕方なく、ララティアのことを彼らに話すことにした。ミルドレットの街の庭園でララティアから突如、『お父さん』と呼ばれたこと、ララティアと同じく未来からやってきたえびこに、ララティアを守ってほしいと言われたこと、ララティアのミリテリアマスターとしての力を狙って、サタナエルとかいうバカな奴らが襲ってきたことなどを、ラトは要点だけをふまえて簡潔に話した。
「・・・・・・・・・・。やっぱり、サークジェイドの使いの者が現れていたみたいね」
「・・・・・ああ」
アリエールの言葉に、ルカは顔を曇らせる。
アリエールは一呼吸おくと、少し考え、ラトに訊いた。
「ところで、その『えびこ』っていう人物は何者なの?」
「なにぃ!? 貴様らの知り合いじゃないのか!」
なっ、なんだと!? とラトは驚愕した。
今までの話の流れだと、えびこもこいつらの仲間だと思っていたのだが!?
というか、それなら、一体、えびこは何者なんだ???
ラトは秒速千キロのスピードで、パニックの谷に落とされた。
「・・・・・残念だけどね」
あくまで無表情で、アリエールはそう答えた。
「なるほどな。そいつが彼女をさらっていった可能性が高いか」
ルカがそう結論づけた、その時だった。
辺りに突如、砂嵐が巻き起こった。まるで音に例えれば、ドンという感じだ。
足元から突き上がってくるような衝撃が、ラトだけではなく、ルカやアリエルにも襲いかかる。そして、その衝撃の発生ポイントから、見慣れた生き物が姿を現した。
「違うっスよ!」
その生物は高々と片手を掲げ上げた。
途端、ラトは呆れたように溜息をつく。
「おい! いきなり、出てくるなよ!」
「いきなりではないっス!」
そう叫び終えると、えびこは瞳をきらりと輝かせた。
そして、何の前ぶれもなく、えびこはビシビシとまるで音が聞こえるかのように、拳を何度も何度も打ち込み始めた。それから、足をペタペタと足踏みさせながら、「戦いでは何よりも自信が大切っス!」と繰り返し、ひたすら繰り返し、つぶやいていた。
「このようにして、自分自身の心身を鍛えて、出てくる機会を見守っていたっス!」
まるで一仕事終えた時のように、えびこは満足げな表情で言ってみせた。
「余計、悪いわい!」
ラトはキッ、とえびこを睨みつけた。
「・・・・・敵か!」
声がして、ラトが視線を動かすと、いつのまにか、ラトの後ろにルカが立っていた。ルカの背後には、アリエールも顔を覗かせていた。
ラトは二人の表情を見て、思わずド肝を抜かれた。ルカだけではなく、いまいち表情のわからないアリエールの顔にも、冷酷な顔を浮かべているように見えたからだ。
「・・・・・そのようね」 あくまで冷めた口調で、アリエールは言葉を続ける。
「いや、だから違うっスよ!?」
慌ててそう不定すると腕振りまじりで、えびこは必死で無実を訴えかける。
だが、あくまで聞く耳持たずといった感じでルカは剣を突きつけると、えびこに迫り寄った。一歩、また一歩とまるで死刑執行人のように。
じりっと、えびこはずり下がった。とびっきり大きな汗をかく。頭の中で、アラームがけたたましく鳴り響いているのは間違いないだろう。
「ちょうどいい。貴様らがさらったミリテリアマスターのことを吐いてもらおう!」
ルカはえびこに鋭く言った。一瞥に、思いもかけない凍土のような厳しさを宿して。「・・・・・はっ、話を聞いてほしいっス!」
どんっ! と無情にも、えびこの背中が壁にぶつかる。額には、びっしりと珠のような汗が噴き出した。
逃げ場はない。アラームは最音量。
それでも、えびこは周囲に視線を走らせ、身を守ってくれそうな避難場所を探したが、小さな家の小さな一部屋にそんなものがあるはずはない。
そんなえびこの行動に、アリエールは冷たく目を細めた。
「・・・・・サークジェイドの使いの者が見苦しいわね」
「すべての悪夢を終わらせてもらう!」
ルカはそう宣言すると、えびこに剣を突きつけた。
ひいっス! とえびこは悲鳴まじった声を上げた。
「・・・・・たっ、助けてっス!」 えびこは懇願した。だが――。
バキベキバキベキっ!
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ―――――ス!!!!!」
ルカの容赦ない強烈な剣さばきを喰らい、えびこはたまらず悲鳴を上げた。
ルカは手を休めず、攻撃を続ける。
「自業自得だな」
思わず、ラトは笑った。皮肉ぽい笑い方だった。
旧都ソルレオンでのえびこの怪しげな行動や言動の数々。砂嵐を起こしてでの登場の仕方。そして、突然の不可解な行動。・・・・・・・・・・エンドレス。
彼らが敵と判断するのは、むしろ当然のことなのかもしれない。
「ひどいっス!」
えびこは必死の形相で訴えかけた。すでに、ボロ雑巾のようにへろへろになっている。
そんなえびこを、ルカは真剣な眼差しで見つめた。
「おかしい!? サークジェイドの使いの者がこんなに弱いとは・・・・・!」
「だから、さっきから違うって言っているっス―――――!!!」
えびこは抗議の叫びを上げた。傷だらけのまま、よろよろと起き上がる。
ルカは少し神妙なトーンで言った。
「まさか、サークジェイドの使いの者ではないのか!」
「信じてほしいっス!」
「信用性ないだろうが! 貴様は!」
ムッと、ラトが頬をふくらませる。
しかしえびこは、完璧に何食わぬ顔でまじまじとルカ達を見つめた。自分の無実を必死で訴えかけるかのごとく。
しばらくしてから、ルカは言った。
「すまない。どうやら、間違いだったらしい」
「・・・・・そのようね」
アリエールもそう言って、あっさりと自分の非を認めた。
「やっと、信じてもらえたっスね!」
えびこはパッと目を輝かせ、放すもんかとばかりにラトの手を握りしめた。
嫌そうにえびこの手を引き離すと、ラトは刺々しく言った。
「俺は信じていないけれどな!」
「愛は必要っスよ!」
カッと、えびこは怒りで瞳を真っ赤にした。そして、速射砲のようなキックが三連打で、ラトの顔面を砕いた。ラトはそれに耐えられず、よろめき崩れ落ちてゆく。
だが、ラトをダウンに追い込んだ程度では、怒れるえびこは満足しなかった。
「バシッ!」 一発。
「バシッ! バシッ!」
二発。
「バシッ! バシッ! バシッ!」
三発。
「バシッ! バシッ! バシッ! バシッ! バシッ! バシッ!」
四発五六発七発八発とにかくいっぱいだ。
消えいく意識の中で、ラトはひたすらこう思っていた。
こいつには学習能力がないのかよ! と――。
「ハッっス! また、我を忘れてしまったっス!」
「殺す!」
あくまで能天気なえびこのセリフに、殺気まじった声でラトは告げた。
まるでえびこが憎悪の対象であるかのように――。
というか、まさしくそうなのだが。
「ところで、あなたは何か、知っているようね」
「そのようだな」
振り向くと、しばらく沈黙を守っていたアリエールが、真剣な瞳でこちらを見つめていた。その背後には、ルカも顔を覗かせていた。
「・・・・・・そうなのか?」
ラトはえびこに小声でささやくように訊いた。
そう聞かれて、やっと状況を思い出したのか、「そうだったっス!」「そうだったっス!」とえびこはいっせいに騒ぎ出した。
「わ、忘れていたっス!!」
「忘れるなよ!」
呆れたようにラトは溜息を付く。
「サークジェイドの使いの者に、ララティアがさらわれてしまったみたいっス!」
「知っているわい!」
吐き捨てるようにラトは叫んだ。すでに(とっくの昔にというわけではないが)、知っていることだ。べつに意外なことではなかった。意外でなかったのは、えびこの次の台詞だった。
「しかも異界の扉を開く準備は整った・・・・・・って言っていたっス!」
「なっ、なにぃぃぃぃぃ―――――!?」
ラトは声が張り叫びそうな勢いで叫んだ。だが、そんなラトとは裏腹に、ルカとアリエールは落ち着きのあるような声で言った。
「もうすでに準備は整っているということか」
「・・・・・・予想以上に早いわね」
「・・・・・・ああ」
「急いでその旧都、・・・・・・なっ、何とかにいくべきっスよ!」
背筋をピンと伸ばして、左手をビシッと伸ばして、えびこは訴えようとした。訴えようとしたのだが、名前が思い出せず、彼は大粒の汗を出した。
アリエールはそれを見て、冷ややかに溜息をついた。そして哀れむようにつぶやく。
「・・・・・・この街、旧都、ソルレオンよ」
「それっス! そこにいくべきっス!!」
うつろな視線でラトは思った。
俺達のこと、見守っていたんじゃないのかよ・・・・・・!! と。
その晩。
ラトはルカ達の家で泊まることになった。電気を消して寝袋にくるまりながら、ラトはまたもや寝付けずにいた。だから、ラトは元々ララティアとともに食べるつもりだったポテチをばりばり食べながら、またもやじっとララティアのことを考えていた。
それからやっぱり自分のことも考えた。
半ばやけくそだったとはいえ、あの時、ララティアを『守る』って約束したのだ。それなのに、奴らにあっさりとララティアを連れていかれてしまった。
そうだ・・・・・・。あの時はどうせ、酒場にでも行ったんだろうと鷹をくくっていた。大聖堂の高台の上で、のんびり景色を眺めてしまっていた。その結果がこれだ。
俺はララティアのお父さんだった。例え、本当はそうでなくとも、ララティアにとっては、俺は『お父さん』だった。請われてお父さんになったからには、俺にはララティアの信頼に応える義務がある。応えるように全力を尽くす義務もある。たとえとっくにララティアの失望を買っていたとしても、俺には諦めることなんて許されない。そんなことはできない。
それにララティア。俺はララティアを守りたい。ララティアはなんだかんだいっても、俺を信じてくれていた。彼女がいなかったら、もしいなくなってしまったら、俺はまた、あの厳しい現実の世界にひとり放り出されても、以前のようにやっていくことができるのだろうか。そう考えるだけで、どうしようもなく不安になり、恐怖に駆られてしまう。
前に、ラミがこう言っていたことがある。
「会いたい人に会えない辛さは、本当にすごく悲しいことなのだから・・・・・・」
本当にそうだ。あの時は、彼女の言っている意味がよく分からなかった。でも今は少し分かる。何故なら、今、この場には、俺の隣には、あいつが・・・・・・、ララティアがいないのだから―。
宿屋で、酒場でララティアと会えることが毎日楽しかった。だから、俺はララティアに会いたい。そして今度こそ、あいつらの手から守ってやりたい。
こんこん。
思考の迷路に彷徨っていたラトを再び現実世界へと戻したのは、突然のノックの音だった。
こんこんこん。
時計を見ると、深夜の一時を回っていた。もうすでに皆、寝ている時間だ。
こんこんこんこん。
いったい、誰だ、こんな時間に俺の部屋のドアを叩くのは。
ラトはうさん臭さ半分、不満と怒りも半分でドアを睨みつけた。
「・・・・・・誰だ?」ラトはできるだけ不機嫌な声を出すよう努力しながら、ゆっくりとドアを押し開いた。
「・・・・・・少し、いいか」
物静かな青年の声がした。
ラトが顔を見上げると、ルカがラトを見据えるようにして立っていた。