第2章 うたかたの想い
「あの―、大丈夫ですか・・・?」
心配そうにつぶやく女の人の声が聞こえた。
サザアァ―――。
波の音が聞こえる。
ここは、海岸なのかな・・・。
僕はのんきにそんなことを考えていた。
「―って、何で海岸に!?」
大声で叫んで、僕は跳ね起きた。
そして僕は気がついた。・・・ええと、ここってどこなんだろうか? 空にはどこまでも続く青い空が広がっていて、地面に砂の浜が限りなく遠くまで広がっていた。海岸だろう、と思ったのは、当たりだったらしい。そして跳ね起きた僕の顔を、見覚えのない女性が目を丸くしてじっと凝視していた。先程の彼女と同じく、金色の髪の女性―いや、先程の彼女よりは髪は長かった。彼女は肩下ほどまでだったのだが、この女性は、腰まで届くほどの長い髪が印象的だった。
「ええと、大丈夫でしょうか―?」
驚いた表情を浮かべて、彼女は僕を見つめていた。当たり前だ。砂浜に倒れていた僕が、突然、大声を出したのだから―。
・・えっ・・・倒れていた・・・?
「あの―」
「はい」
「ここは、どこなんでしょうか?」
「ここは、バリスタという港町の近辺にあります、海岸ですよ・・・」
僕の問いかけに、彼女は親切に答えてくれた。先程の彼女には、僕の問いかけは無視されてしまったので、なんとなく嬉しかったりする。
「名もなき大陸って・・何処にあるのかな・・・?」「えっ? ここがそうですけれど・・・」
「えっ―――!?」
「ここは、名もなき大陸の北部に位置する場所にあります、バリスタという港町の海岸です」
「ここって、名もなき大陸なの」
「ええ」
名もなき大陸に行くも行かないも、もう既にそこに来ていたら全くもって意味がない。
僕には、選択権はないのだろうか―。
はあ・・・。
「どうかされたのですか?」
心配そうに僕の顔をのぞきこんでいる彼女と、視線が合う。
「な、何でもないです―――!!」
「・・・・・・?」
僕は、慌てて視線をそらす。なんだか、恥ずかしかったりする。
「あの、まだ、お名前、お聞きしていませんでしたね・・・。 私は、マジョンといいます。バリスタの港町で、神官をさせて頂いています。よろしくお願いしますね」
「ええと、僕は、えっと・・・」
僕はしどろもどろになるが、一瞬、先程の彼女との会話を思い浮かべる。そういえば、あの時、彼女は、僕のことを『ダイタ』って呼んでいたっけ。
「ぼ、僕は、ダイタ・・っていいます。よろしくです」
本当の名前なのかはよく分からないのだが、そういうしかない!―と、僕はとっさに判断したのだった。
「ダイタさんも、やっぱり、『ターン』を倒しに来たのですか?」
彼女―マジョンは、ニコッと笑顔を向けてくれた。
「ええと・・・・」
「違うのですか?」
「―というか、その『ターン』っていう人、一体、誰なんですか?」
当然の疑問を言ったつもりだった。だが―。
「し、知らないのですか!? 名もなき大陸の支配者の『ターン』のことを・・・・・」
「う、うん」
「で、でも、『セルウィン』のことでしたら、ご存知ではないでしょうか?」
「その人も、有名人さんなの・・かな?」
「・・『セルウィン』のこともご存知ないのですか! 『魔雲の大公』の異名を持つ、あの『セルウィン』のことを!?」
「う、う・・ん」
マジョンの驚き方からして、どうやら、よほどの有名人らしい。その『ターン』という人物と『セルウィン』という人物は。恐らく、彼らは、日常的、一般的に幅広く知られているのだろう――。
「あの―、実は、僕、自分の名前以外は、何も分からなかったりするんです」
「記憶喪失・・なのですか?」
「うーん、多分」
正直にそう言うと、マジョンは神妙な顔で僕を見た。
「―ところで、その『ターン』という人と、『セルウィン』っていう人は、一体、何者なんですか?」
僕の問いかけに、マジョンは軽く頷き、律儀に答えてくれた。
何でも、『ターン』という人物は、その『セルウィン』という人物の配下の者らしい。十年前、彼は突然この大陸に現れ、誰も気付かぬうちに大陸の一角に《ターン城》なる名前の城を建て、誰の許可も得ずに、勝手にそこの主と、また、この大陸の支配者だと名乗った。
そして、この名もなき大陸に存在していた国々を次々と滅ぼし、勢力を拡大し続けた。
ターンがこの大陸に訪れてから、わずか十年間。わずかその間に、名もなき大陸に存在していた多くの国々は、『フレイム城』という城以外、すべて、ターンの支配下に置かれてしまったというのだ。恐るべき話である。きっと実力も大したものなのだろう。
そして、その『ターン』の君主たる『セルウィン』という人物は、『魔雲の大公』という異名をとる恐るべき力の持ち主らしい。彼が実質上、この世界、『アーツ』の支配者として君臨しているというのだ。
何だか、とんでもない話である。
いいのか!? こんな世界状況で――!!
僕は、内心、そう思わずにはいられなかった。
しかしながら、これがこの世界の現実、現状なのでした。
「うう――ん、すごいことになっているんだね・・・・・」
マジョンの話を聞き終え、僕はうなった。
「でも、こんな状態でどうやって記憶のかけらを探せばいいんだろう」 何の説明もなしに、僕をこんな場所に放り出したあの時の彼女に対して訴えかける。もちろん、彼女から答えは返ってくるわけはなかったのだが――。
「ほしのかけら?」
僕のつぶやきを聞いて、マジョンは聞き返した。
「うん。 何でもこの大陸に僕の記憶のかけらがあるらしいんだ」
「・・・・・・」
「し、知っているの?」
僕は、救いを求めるような瞳でマジョンを見つめた。
「・・・それって、もしかしたら、ターンが最近、手に入れたという『星のかけら』のことかもしれませんね・・・・・」
「星のかけら?」
「はい」
「何でも、6つの星のかけらを集めるとどんな願い事でも叶うとされているものらしいのです」
「ど、どんな願い事でも!?」
「はい。 その一かけらをもうすでにターンが持っているという噂があるのです」
内心、どこかで聞いたことがあるようなパターンだな―と思いながら、僕は力強く何回も何回も頷いた。
希望がでてきました!
その星のかけらを集めたら、きっと、僕の記憶も甦るんだ。そのはずだ。うん。きっとそうに違いない。そしたら、あの時の彼女のことも分かるはずだ。その時に訴えればいいんだ――と。
僕はグッと両拳に力を入れた。
「ダイタさんは、その星のかけらを探すのですか?」
「うん! そのつもりだよ!」
「・・・でしたら、私も一緒に連れていってもらえませんか?」
「え、えええっ――――――!!!!!」
僕は声が張り叫ぶほどの大声を出して驚いた。
「ダイタさんは、今、記憶喪失なのですよね。 だったら、この辺の地理どころか、この世界のことも分からないんじゃないでしょうか?」
「あっ」
僕は、この名もなき大陸のことも、ターンの居場所も分からないのだ。下手に一人で行っても迷うのがオチのような気がする。
「ご迷惑ではありませんでしたら、ご一緒させてもらえませんか?」
「えっ、でも・・・マジョンって神官さんなんだよね? それなのに僕と一緒に行っていいの?」
「はい しばらく、お仕事をお休みさせてもらうことにしますから!」
エヘヘとはにかみながら、僕の質問にマジョンは答えてくれた。
「ですから、大丈夫です!」
「はあ・・・」
と、僕は言った。
「でも、準備とかがあるので、ここで、待っていてもらえませんか?」
「こ・・ここで・・ですか?」
「はい!」
「町で・・じゃないんですね」
「あっ」
マジョンは、ようやくそのことに気付く。
「そうですね。 ここは、砂が多くて大変ですしね」
マジョンは、照れくさそうに頭の後ろをかきながら言った。
そういう問題ではないような気がするんですが――。
マジョンと共にバリスタの港町に訪れた僕は、一人、港でのんびり散歩していた。本当は、マジョンのいる神殿で待っていようと思ったのだが、それは彼女に拒否された。
やっぱり、部外者である――しかも、まだ、出会って間もたたない僕を容易に神殿に入れるわけにはいかないんだろうな―。
しみじみと深々とマイペースに僕がそう考えていた矢先のことだった。どこからかかすかな声が聞こえてくる。町の方からではない。海岸沿いからだ。
女性の声だ。声はメロディを伴っている。
「歌? こんな場所で誰が?」
気になった僕は、港から海岸沿いにへと赴いてみる。
広い砂浜で一人の少女が歌を口ずさんでいた。
蒼い月 満ちかけて
今もまだ 縛るの
震える手を
そっと 空に掲げ上げるの
忘れられた場所は
何もない虚像のようで
繰り返される日々は
何も生まれないの
誰も知らない星がある場所
誰も知らない悲しみがある場所
不思議な歌詞だ。
「あの―」
声をかけるのがはばかられる雰囲気に、僕は思わず小声でささやいた。
「えっ」とその声に少女は気づいたのか、僕の方に視線を向ける。一瞬、僕と彼女の視線が合わさる。
うわおっ!と気を抜いていた僕は、少女を見て驚き口をパクパク心臓をドキドキと高鳴らせた。
年頃は僕と同じくらいの少女が立っていた。16か17歳くらいだろうか。―とはいっても、僕の歳なんて本当のところは分からなかったりするのだが―。どこか憂いに満ちた蒼い瞳と水色の長い髪が特徴的だった。髪は一つにまとめて前に出している。そしてその背中には、白い羽がパタパタとはためいていた。
まるで天使みたいな少女に、僕は、呆然とその少女を見つめていた。
だが、少女の方は、僕を見て何故か青ざめた。
「あっ・・・」
少女はそうつぶやくと、僕の目の前から走り去ってゆく。
「あの、ちょっと・・・!」
僕は必死で呼びとめようとした。
だが、その言葉も空しく、少女は南方に見える森の方へと姿を消していった。
「あ、あれ?」
先程、少女が歌っていた場所に、赤く輝くものが見えた。僕は、恐る恐るその場に行ってみると、そこには、きれいな赤いブローチが落ちていた。
「もしかして、これって・・・さっきの人が・・・・・!」
「あの、ダイタさん、お待たせしてしまってすみませんでした」
タイミング悪く、準備を済ませたマジョンが戻ってきた。
「町中にいなかったので、もしかしたら、ここかも、と思って来てみたのですが、どうやら正解だったようですね」
マジョンはにっこりと微笑んだ。
「マジョン! ちょっといい!」
「えっ? な――」
僕はマジョンの言葉をさえぎって手を握り締めると、大急ぎで先程の少女を追いかけ始めた。
「た、確か、こっちの森の方に行ったはずだけど・・・」
「ちょっと、ダイタさん、ど、どうしたのですか?」
僕の勢いに少し押され気味のマジョンが言いにくそうにつぶやいた。
「さっ、さっきまでそこで女の子が、う、歌っていたんだけど、僕を見ると、そこの森の方へと逃げてい、いっちゃったんだ! で、でも、ブローチを忘れていっちゃったみたいで・・・・・」
走りながらしゃべっているため、なかなか、うまく話せない。
「た、大変ですね!」
マジョンが僕の言葉に同意する。しかしながら、その後、不安げにこうつぶやいた。
「でも、ここの森には入らない方が―――」
「でも、行かないと!」
「えっ! ですから―――」
「でも、この森に入らないと渡せないよ!」
僕はきっぱりとマジョンにそう言うと、森の奥へと入っていた。
「ま、迷った・・ね」
僕は、放心状態でそうつぶやいた。マジョンの言葉をさえぎって『この森に入らないと渡せないよ!』と言ったことを僕はひどく後悔した。
あの後、僕は聞かされることになる。
この森は、並外れた方向感覚を狂わす効果を持っているため、めったに近づく者はいないという。そのことを聞いても何とかなる、と意気込んでいた僕だったが、次第にげんなりとして無気力状態に陥ってしまった。
「もっと、早く言ってくれれば・・・」とマジョンに言いたかった、そう言おうとしたのだが、よく考えてみると、その機会を奪ったのは当の僕自身だった。
僕の脳裏は、あの時の意気込んで森に入った僕を思い浮かべて、ひたすら、後悔という文字の跡を追っていた。
マジョンはそんな僕を見て、すまなそうに謝罪した。
「ダイタさん・・・すみません・・・・・」
「僕の方こそ、マジョンの言葉も聞かずに・・・ごめんなさい・・・・・」
僕とマジョンは同時に頭を下げる。そして、お互い、驚いた表情でお互いの顔を見合わせた。
「えへへ、何だか、おかしいですね」
「う、うん」
僕とマジョンは本当におかしそうに笑った。
そして、真剣な表情で僕は言った。
「とにかく、頑張って探そうか! 出口を!」
「はい!」
マジョンは嬉しそうにそう答える。
「・・・・・・」
突然、僕達を多くの男の人達が囲んだ。
「あ、あの―、すみません!」
僕は、彼らに道を尋ねようとした。
だが、彼らは、僕の言葉など聞こえなかったように、僕達を縄で束縛しようとしてきた。
「ち、ちょっと、何なの!?」
「いけない! どうやら、私達、真紅の森の奥の方まで来てしまったみたいです!」
「えっ?」
「この真紅の森の奥には、羽翼人という種族が住んでいまして、彼らは、外界からの交流を拒んでいるのです!」
「ど、どうして?」
「彼らは『星の民』として、外界にこの森のあらゆる情報がもれないようにこの森を封鎖しているのです!」
「えっ―――――――!!!」
「・・す、すみません・・・すぐにお伝えするべきでしたのに・・・・・」
マジョンは今にも泣き出しそうな顔で僕を見つめた。
「ち、違うよ! だいたい、この森に入ったのは、僕のせいなんだから・・・・・」 僕は、慌てて、そう言い直した。
だが、まっすぐに僕を見つめたまま、マジョンは悲しげにうなだれた。
ううっ、困ったな・・・・・。
いや、もう、こ、こうなったら!
「てぇい!」
僕は、彼らの手を力づくで引き離すと、隠し持っていた旗を取り出す。そして、力強く、旗を振った。
「・・ダ、ダイタさん・・・!?」
マジョンは、その光景を見て驚愕する。いや、その旗に書かれている文字を見て驚いたのだろう。
そこには、こう書かれていた。
『降参します』と―。
「・・・・・」
羽翼人の彼らは、それを見ても無反応で僕達を強引に森の奥へ連れて行こうとしていた。
「ち、ちょっと、降参したんだから、そんなに力強く、引っ張らないでも!」
「・・・・・・」
マジョンは、少し、呆れたような顔で僕を見ていた。でも、先程より、元気が出たような気がするんだけど、僕の気のせいじゃ・・ないよね!
「う―ん、『降参作戦』、大失敗か」 僕は、困ったように頭を抱え込む。『降参』したのに、けっちょく、それを聞き入れてもらえずに、僕達は、羽翼人達の村にある小さな牢に閉じ込められたのだ。
「えっ! 作戦だったんですか!」
マジョンが驚いた顔を見せる。
「私、てっきり、本当にダイタさんが降参したものと思っていました!」
「ははは・・・」
半分は作戦で、半分は本気だったのだが―。
でも、さすがにそれを言ってしまうと、また、マジョンから冷たい目で見られるんだろうし・・・。それは、ちょっと、な・・・。
「・・・・・それにしてもどうしましょうか?」
「うーん、まずは、ここから出ないとな・・・」 僕はそう言いながら、牢の扉に手をかけた。扉の上の部分には格子のついた窓があって、そこから中をのぞける構造になっている。
「誰かいませんか!」
僕は呼びかけながら、扉を開けようと試みてみる。だが、鍵がかかっていてうんともすんとも言わない。
・・だめだ・・・。
やっぱり、そう簡単に開いたりするわけないか。
それに、近くに人はいないみたいだし・・・。
「あの―・・・」
「えっ!」
上を見上げてみると、格子の隙間から、澄んだ蒼い瞳が二つ、僕達を見つめていた。
「あ、あの時の!」
僕は思わず、大声を張り上げる。僕達に声をかけてきたのは、あの時、海岸で歌を歌っていた少女だったのだ。
「あの、これ!」
「えっ?」
僕が格子の隙間から差し出したモノをみて、少女はあっ、とつぶやく。
「これ、落としたでしょう!」
「・・ありがとう・・・」
そう言うと、少女は嬉しそうに、ブローチをそっと握り締めた。
「・・もしかして・・これを届けるために・・・」
「うん! 大切なものなんでしょう?」
「・・・はい・・・」 ほがらかな表情で少女はすごく嬉しそうに微笑んだ。その笑顔はまるで本当の天使のようで、僕の胸は急速にドキンドキンと高鳴っていった。
「あの、私、ふららといいます・・・」
「ぼ、僕は、ダイタっていいます。 ・・よ、よろしくね」
「あ、あなた・・・話せるの?」
ひたすら緊張し、必死に挨拶をした僕は、しどろもどろですべてを言いきってから、ようやくマジョンの台詞の不可思議な部分に気付いた。
振り返ってみると、マジョンが不思議そうにふららさんを見つめていた。
「ど、どうしたの? マジョン」
「う、羽翼人は、外界との交流がないため、お互いテレパシーで会話をすると聞いていたのですが・・・・・」
「そ、そうなの!?」
「はい・・・」
僕の問いにそう答えたのは、マジョンではなくふららさんだった。
「・・マドロスさんが・・マドロスさんが私に言葉を教えてくれたんです・・・」
「マドロスさん・・・?」
「このブローチを私にくれた人です・・・」
しみじみと、そして昔を懐かしむように、ふららさんはつぶやいた。
「マドロスさんは、すごく優しくて、そして、いつも私のことを守ってくれていました。 でも、今は・・・」
「・・・今は?」
「・・今は、もう・・会えないんです・・・」
何で会えないんだろう?
僕の脳裏に当然の疑問が浮かんだ。
ずっと守っていてくれた人が―。
「マドロスさんは・・・マドロスさんは、もう、ここにはいないのですから・・・・・」
「えっ?」
「行方不明なん・・です・・・」
「ふ、ふららさん!?」
驚き、僕は彼女の名を呼んだ。彼女の言葉の語尾が急速にかすれた。
「な、泣いているの、ふららさん?」
僕には直接見ることはできない。でも泣いていた。僕に、僕達に聞かすまいとしているのでだろうか。押し殺した声で「うう、うう」と泣いていた。
彼女の声を聞いていると、僕はむしょうに彼女の涙を拭ってあげたかった。少しでも励ましてあげたかった。 だけど、僕らの間には、分厚い鋼鉄の扉が一枚横たわって、僕には彼女の涙を拭う術も彼女を励ましてあげる術も存在しなかった。
それに、もし、この鉄の扉がなかったとしても、やっぱり僕にはふららさんを慰めることなんかできはしなかった。僕では力不足なのだ。言葉では何とでも言えるかもしれない。でも、それでは、彼女の心を慰めてあげられない。
「ううっ、ごめん・・うう、なさい・・・」
ようやく、彼女の嗚咽が少し収まってきた。
僕は、ふららさんが完全に落ち着くまで待って、どうして、急に泣き出したのか尋ねた。
「自分が不甲斐なかったんです」
とふららさんは言った。
「私は、あの時、マドロスさんを止めることも、守ることもできませんでした。 もし私にもう少し力があったなら、きっとマドロスさんを救い出して、マドロスさんをあんな危険な目に遭わせることもなかったのに。 そう思ったら本当に自分が情けなくて、それで、涙が止まらなかったんです」
その晩。
僕は、牢屋にあった寝袋にくるまりながら、まったく寝つげずにいた。だから僕は、夕食の時に出されたパンをかじりながら、じっとふららさんのことを考えていた。
それから自分のこともやっぱり考えた。
ふららさんとマドロスさんは、お互い、結婚を誓い合った仲だったらしい。マドロスさんは漁師で、二人はよく、海岸の浜辺で会っていた。そう、僕とふららさんが始めて出会ったあの海岸で。マドロスさんの漁師仲間はもちろん、ふららさんと同じ羽翼人の人達も二人の仲を認め合っていた。
でも、そんな二人にも別れの時はやってきた。
マドロスさん達が大海原の深海にあるとされている『海の真珠』を手にいれるため、旅立つことになった。もちろん、ふららさんは同行を申し入れた。だけど、マドロスさん達はそれを断った。きっと、彼女を危険な目に遭わせたくなかったのだろう。でも、「すぐ帰ってくる」・・そう言ったのにも関わらず、彼らは帰ってくることはなかった。そう彼らが旅立ってから、もう既に三年もの月日が流れていた。
結果的に、それが、ふららさんを苦しめることになってしまったんだ。
ふららさんは、ずっとこの森で、彼らの、マドロスさんの帰りを待っているのだろうか。もしかしたら、もう二度と帰ってくることがないかもしれないのに。
探しには行かないのだろうか
と、僕は思った。
そう、僕と同じように―。
僕は、記憶を探しに。ふららさんはマドロスさんを探しに。探し物は違うけれど、何かを探している―僕もふららさんもそれだけは確かだった。マジョンは―マジョンも何か探しているのだろうか。そういえば、僕は、マジョンのことをほとんど知らなかった。バリスタの街の神官であるということ、僕が知っているのはそれだけだった。
いつか、教えてくれるかな。
僕は寝袋にくるまわりながら、静かに目を閉じた。
翌朝。
僕はふららさんに「僕達と一緒に行かないか」と尋ねてみた。
「・・・えっ・・・」
「ここで、ずっと、待っているより、きっと、そっちの方がいいと思うんだ! 絶対!」
でも・・・、と、ふららさんはつぶやく。
「僕も探し物をしているんだ・・・」
「えっ?」
「僕には、マジョンと出会う前の記憶がないんだ・・・」
とは、言っても、最近、マジョンと出会ったばかりだから、全くないといっても過言ではないけれど・・・。
「もしかしたら見つからないかもしれない・・・。 でも、でも、何もしないより、絶対、そっちの方がいいと思うんだ!」
「・・・ダイタさん・・・・・」
そうですね、と、ふららさんは、ほがらかな笑みを浮かべた。
その時、今まで黙っていたマジョンがポツリとつぶやいた。
「・・で、でも、ダイタさん、羽翼人の方々は『星の民』として、外界にこの森のあらゆる情報がもれないようにこの森を守っています・・・。 だから、きっと、外界に行ったりするのは無理なのではないでしょうか?」
「あっ・・」
「・・・それに、今、私達は牢屋の中だったりするのですが・・・・・」
「あ、ああっ――!?」
ようやく僕はそのことに気付く。
今まで忘れていたけれど、そういえば僕達は捕まっていたんだっけ! これじゃ一緒に行くどころの話じゃないよ・・・。
「・・お願いします・・・」
「えっ?」
ふららさんは決然にそう言うと、小さな鍵を取り出し、カチャと牢屋の扉を開けた。
「ふららさん?」
「ぜひ、私も一緒に行かせて下さい・・・!」
「で、でも・・・」
僕とマジョンは困ったようにつぶやく。
「いいんです。 たとえ、それがこの森の掟を破ることになっても・・・!」
ふららさんはそう言うと、ぎゅっと拳を握り締めた。
「私もダイタさんみたいに探しに行きたいんです・・・。 かけがえのない人を・・・・・」
「ふららさん・・・・・」
「お願いです・・・! 私も一緒に連れて行ってください・・・!」
僕とマジョンは、思わず、お互いの顔を見合わせる。
「うん! もちろんだよ!」
(というか、僕から誘ったんだし・・・(笑))
僕がそう答えると、ふららさんは本当に嬉しそうに笑った。
ふららさんってやっぱり本当の天使みたいだな。 そんなことを思ってしまう僕だった。
「・・・・・・・」
「・・あ、あれ・・・・?」
その時になって、僕はようやく、目の前に一人の男性が立っていることに気付く。どうやら、この人もふららさんと同じく羽翼人らしく、背中に羽があった。
それを見たふららさんは驚きの声を上げた。
「デルト兄様・・・」
「お、お兄さん・・なの・・・!?」
「はい・・・」
コクンとふららさんは頷いた。
もしかして僕達を牢屋から出したことをふららさんが責められるのではないだろうか。
僕は、少し心配になってきた。
「デルト兄様・・・お願いです・・・・・。 ダイタさん達と一緒に行くことをお許しください・・・」
「・・・・・・・」
「もう一度、マドロスさんを探しに行きたいんです!」
「・・・・・・・」
もう一度・・・ってことは、前にも探しに行ったのかな?
僕は二人の会話(?)を聞きながら、しみじみとそう思った。
ふららさんはともかく、デルトさんはテレパシーでふららさんに話しかけているため、僕達には何を言っているのか、さっぱり分からない。
「・・・・・・・」
「有難う・・・兄様・・・・・」
ふららさんはデルトさんを見て頬を赤く染めた。どうやら、了解してもらえたらしい。
「・・・行きましょう! ダイタさん、マジョンさん」
ふららさんはそう言うと、手を差し出した。
「うん! よろしくね、ふららさん」
僕とマジョンもそれに答えるように手を握り返すのだった。
「ここがフレストの街なんだね」
「はい」
僕は興味津々に周りを見回す。
真紅の森をふららさんの案内にて出た僕達は、フレストの街と呼ばれる街に訪れた。
名もなき大陸唯一の城、フレイム城の城下街だけあってかなり大きな街である。商店街にずらりと並んでいる市場、広大な広場に設置されてある噴水、歓楽街の通りにある多くの酒場や宿屋、中央通りにある大きな教会、とても一日では全てを見て回るのは無理なくらい大きな街だった。
「バリスタの港町よりすごく大きな街なんだね」
「はい、この名もなき大陸の首都とされています街ですから」
「でも、本当に大きな街ですね・・・・・」
ふららさんは恐る恐る辺りを見回す。ふららさんはピンク色のヒラヒラのブラウスにあの赤いブローチを胸元に付けていた。そして背中の羽を覆い隠すように紫色のコートを羽織っている。
「そ、そうだね」
「ここで少しでもターンの情報が聞けるといいのですが・・・・・」
考え込むように、マジョンは唸る。
「だ、大丈夫だよ! こ、こんな大きな街だし、ターンの居場所とか、そういう情報とかも分かるよ! ・・・きっと・・・」
何の根拠もなくそう断言する僕を見て、はぁ―、と溜息をつくマジョンだった。
「お墓もあるんですね・・・・・」
ふららさんは、悲しげにそうつぶやいた。
もしかしたら、マドロスさんも死んでしまっているのかもしれない、そういった悲壮感がふららさんの言葉からには感じられた。
僕は、深刻な表情でぎゅっと拳を握り締めた。
「あれ? あの人、何しているんだろう?」
僕は思わずキョトンとする。
一人の青年がじっ―とお墓を見下ろしていた。何かを我慢しているかのように歯を食い縛っている。片手には何かを持っているらしく、ぎゅっとそれを握り締めている。
「タ、ターンの野郎め・・・・・」
怒りがこもった声でそうつぶやくと、青年は颯爽とどこかに立ち去ってしまった。
「ダイタさん・・・・。 今の人、確か、ターンって言っていました!」
「も、もしかしたら、何か、知っているかもしれない!」
僕はマジョンとふららさんを交互に見る。
「追いかけてみよう!」
「はい」
「そうですね」
僕の言葉に二人はコクンと頷いた。
「見当たりませんね」
「うん」
あの青年を追いかけて再び真紅の森に戻ってきた僕達だったが、いつのまにか、彼を見失ってしまっていた。
「確か、こっちの方向に来たと思ったのに・・・・・」
僕はうーんと唸る。
「もしかしたら、何処かに抜け道みたいなのがあるのかもしれませんね」
「ぬ、抜け道ですか・・・」
マジョンの言葉を聞いたふららさんは不思議そうに首を傾げた。
「抜け道って・・・獣道のようなものですか?」
「うん、まあ・・・」
「・・でしたら、確か、この近くにあったと思いましたが・・・」
「え、ええっ―ー―!!」
僕とマジョンは驚きのあまり、目を剥く。
「もしかしたら、その道を通っていったのかもしれませんね」
ふららさんは、あくまでも無垢な笑顔でそうつぶやいた。
い、いや、もしかしなくても、多分、そうだと思うけれど・・ね・・・。 ふららさんの話だとその抜け道、もとい、獣道を通っていくとバリスタの港町の何処かに通じているらしい。
どうして何処に通じているのかが、分からないかというと彼女もその道を通ったことがないらしい。何でもマドロスさんがよく、この真紅の森に訪れる際に通っていた道らしいが。
「もうすぐ、出口みたいですね」
ふららさんの言うとおり、奥の方から小さな光が漏れていた。
それにしてもこれは獣道とは言わないんじゃないだろうかー!?
僕は周囲を見渡しながら、しみじみとそう思った。周りは硬い岩に覆い包まれていて、薄暗い場所である。明らかに地下通路といった方がいいのではないだろうか。だが、僕のそんなツッコミもむなしく、既に僕達はバリスタの港町まで辿り着いていた。
「ここは・・・」
「神殿・・みたいですね」
思いっきり背を反らさなければ、てっぺんが見えないほど、大きな神殿だった。
僕とふららさんは、胸の鼓動が高鳴るのを感じながら、「ふぅっ」と大きく息をついた。
「ダイタさん、ふららさん、早く、行きましょう」
「えっ、で、でも・・・」
「早く、行きましょう!」
「う、うん」
いつもとは違う動揺しているような声で、マジョンはそう言った。そんなマジョンを見て、僕もふららさんもキョトンとする。
そういえば、マジョンって、ここの神殿の神官さんだったけ。何か、他の人と会えない理由でもあるんだろうか。
僕は、ふと、初めて出会った時のことを思い出した。
もしかしたら、あの時、僕と一緒に行くことを他の人達には反対されていたんじゃないだろうか!? いや、きっと、そうだ! それなのに、マジョンは僕達のために!
「マジョン・・・」
「はい」
「ありがとう」
「えっ? 何のことでしょうか」
唐突にそう言った僕を見て、マジョンはわけが分からず、動揺した。
「ほ、本当は、僕と一緒に行くことを反対されていたのに、一緒に行ってくれてありがとう・・・」
「えっ!?」
「そうだったんですか。 マジョンさん。 本当にありがとうございます」
僕の言葉を聞いて、ふららさんは深々とお辞儀をした。
「あ、あの、私、反対なんてされていませんけれど・・・!」
慌ててマジョンはそう叫んだ。両手を力強く横に振ってみせる。
「えっ!? でも、神殿には入れないって・・・・・」
「それは別の理由で、今は、神殿には入りたくないのです・・・」
「へっ?」
「すみません・・・」
申し訳なさそうにマジョンはうなだれた。
思わず、僕は、何かを言いかけそうになったが、これ以上は、何も聞けなかった。
「あの人、見つかりませんね」
「うん・・・」
再び、僕達は、ターンのことをつぶやいていた『彼』の捜索を始めた。
マジョンの言葉のことも気にならないといえば、嘘になるが、今は、彼を探すのが先決だと思うし。
「あとは、あの、酒場だけですね」
「う、うん」
僕はその酒場を見て、一瞬、言葉をなくした。 裏街路の奥に通じる道に古びた酒場がある。まるで今にもつぶれてしまいそうな程、寂れてしまっている。
「す、すみません・・・」
恐る恐る僕は扉を開ける。ギイッと低い音をたてながら、扉は開いた。だが。
「だから、ターンのことだ!」
突然、沸いて出た怒声に、僕達は目を丸くする。
「他にもあるだろうが!」
「さっきも言ったはずだ。 悪いが、今は、それしかないんだ・・・。 出直してくれ」
酒場のマスターらしい男が、怒声を上げた男を制する。
僕は、いや、僕達は、それをみて「あっ」と声を上げる。怒声を上げた男は、あの時、ターンのことをつぶやいていたあの青年だったからだ。
「くっ、もういい!」
「あ、あの!」
今にも飛び出していきそうな勢いで去っていく彼を、僕は慌てて止めた。
「今、急いでいるんだ! どいてくれ!」
「わあっ!?」
ドーン
僕は思いっきり、床に這いつくばった。
「ダイタさん!」
マジョンとふららさんが心配そうに僕を見つめていた。だが、それとは対照的に、彼は僕のことなど、お構いなしに酒場の扉を開ける。 もう、こ、こうなったらー―!!
僕は、必死に痛みをこらえながら、体を起こすと、半ばヤケになって叫んだ。
「あ、あーの、ターンのことについて、何か、知っていますよね! 僕達、ターンについて知りたいんです! ターンの持っている『星のかけら』について知りたいんです! お願いします!」
声の続く限り、僕は必死になって叫んだ。そんな僕の努力が実ったのかは分からないが、彼は僕達の方を振り向いた。
「星のかけら・・!?」
「は、は、はい!」
僕は大きく頷いた。
「貴様らも『星のかけら』を狙っているのか!」
そう叫ぶと、彼は、突然、僕の胸ぐらをがしっとつかみあげる。それを見たマジョンとふららさんが、慌てて彼を止めようとするが、彼はそれを軽く振り払った。そして、僕を恐ろしい形相のまま、詰問する。
「さては、貴様も、この俺の命を狙っている輩か!」
「ち、違います! 違います!」
「嘘をつけ! この俺が持っている『星のかけら』を狙う連中だろうが!!」
意味も分からず、彼に揺さぶられながら、僕は必死になってそれを不定した。だが、彼はそれを信じようとせず、ひたすら問い詰める。
「さあ、吐け! 誰の差し金だ!」
「だ、だから、違います! ・・・って・・えっ・・・!?」
僕はその時になって、ようやく、彼の言葉の不可思議な部分に気づいた。
「ほ、『星のかけら』を持っているんですか!?」
「な、なにっ!? き、貴様、知らなかったのか!」
「えっ、あっ、はい・・・」
僕はコクンと頷く。僕の言葉を聞いて、彼は明らかに動揺の色をみせた。
「何だと!? では、貴様らは、この俺の命を狙う輩ではないというのか!」
「だ、だから、さっきからち、違いますって、い、言ったんだけど・・・・・」
かすれかすれになりながら、僕は声を絞り出して言った。
「では、何だ。 貴様らの目的はなんだ!?」
それでも、僕に、疑いの目を向ける彼に対して、僕は、口をパクパクさせながら言った。
「そ、その、僕、記憶喪失で、な、何でも、『星のかけら』があれば、ぼ、僕の記憶がよみがえるかもしれないんで・・・さ、探していたんです」
「き、記憶だとー―!?」
その時になって、ようやく、彼は、僕を掴んでいた手を離す。はあはあっと、一呼吸、置いてから、僕はそれに答えた。
「僕には、何故か、この名もなき大陸に訪れる前の記憶がないんです。 でも、その記憶の手がかりになりそうなものが、その『星のかけら』らしくて・・・」
彼はそれを聞いてふんと鼻を鳴らした。どこか、素っ気ない表情で腕を組んでいる。
「・・・だから、貴様に渡せ、とでもいうのか! ふざけるな! これは、俺のものだ。 誰にも渡さん!」
「そ、そんな! ひどいです!」
どこか、傍若無人ぶりな彼の態度に、マジョンは力強く抗議した。
「ふん。 記憶なんて、そのうち、戻ってくるさ。 気長に待っていればいいことだ」
「お願いです・・・『星のかけら』を譲って下さい!」
ふららさんはすごく切ない表情で彼をじっーと見つめていた。両手を前に組んでいる。それは、横から見つめている僕の方が思わず胸をときめかせるほど、真意に満ちた表情だった。まるで、そう、地上に舞い降りた天使のように、僕の瞳には映った。
「い、いい加減に・・っ・・・」
彼は視線をふららさんに向けると、突然、言葉を失ったかのように固まる。彼は、まるで放心状態になったように、まじまじとふららさんの顔を見つめていた。口をぽかんと開け、緊張してしまったかのようにびしっと姿勢をよくしている。
「あ、あの、だ、だめでしょうか・・・・・」
今にも本当に泣き出しそうな表情でふららさんは言った。そんな彼女の手を、彼は、さっと握り締めた。
「な、何を言っているんだ! もちろん、いいに決まっているさ!」
いきなり、意見を180度変えた彼を見て、僕だけではなく、マジョンも目を丸くする。
「あ、ありがとうございます」
照れくさそうに頬を少し染めながら、ふららさんは、輝くような笑みをこぼした。
「ところで、貴女のお名前は?」
「ふららです」
「ふららさん。 俺は、フレイです。 以後、よろしく!」
「えっ! ちょっと、それって・・・」
言葉の意味からして、もしかして、いや、間違いなく、僕達についてくるつもりなんじゃ!?
「ふん。 貴様に『星のかけら』をくれてやるんだ。 そのくらい、当然だろう」
いかにも当たり前のように言う彼、フレイの言葉に対して、僕とマジョンはあきれたような表情で、呆然とその場に立っていた。
「フレイさん、よろしくお願いしますね」
ふららさんだけが嬉しそうににっこりと言うのだった。