第16章 夜空しか知らない
今回はアグリーがメインです。そして久しぶりに夜に更新です
夜が明ける頃、アグリーはみなが寝ている中を一人起き出す。
どうしても、いかなければならないところがあるからだ。
城の廊下に隠しておいた荷物を拾い、みんなを起こさないように外に出る。
スチアを、魔王グレイスの魔の手から救い出す!
そう決意を固めたのは、クロレスとブレインとの戦いの後だ。気づかれないようにそっと準備を整えていた。
「アグリー、水くせぇんじゃないのか」
「リアク!?」
城門を出た直後、すぐ側から声をかけられ、アグリーは飛び上がるほど驚いてしまった。
「魔王のところに行くんだろう。 なら、俺様の力が絶対に必要だろうな! だよな!」
リアクは、自分で自分の言葉に納得するように何度も何度も頷いてみせた。
アグリーは思わず、げんなりとした表情をみせる。
「・・・・・兄さんの力は必要ないと思うのですが」
そっと、物陰からアクアが顔を出す。
「そんなことはないだろう! 俺様なしで、魔王グレイスに勝つことなど不可能に決まっているからな!」
それはないと思うのですが・・・・・。
恨めしそうな目で、アクアはリアクを見つめていた。
それを見て、アグリーは苦笑してしまう。
どうやらリアクとアクアには、アグリーの考えなどお見通しだったらしい。
「それにしても、敵もなかなかやるな!」
突然、思い出したかのように、リアクはふふんと得意げに鼻を鳴らした。
「はあっ?」
アグリーはびっくりして、目を丸くした。
そして、絶句する。
何故なら、リアクが凄みのある薄笑いをしていたからだ。
「だってそうだろう! いきなり、そのスチアって子をお持ち帰りとはな!」
その言葉に、アグリーだけではなく、アクアも唖然とする。
だがそんなリアクに即座に反論したのは、アグリーではなくアクアの方だった。
「兄さんってば!」
感情を露にするアクアに、リアクはたじたじとなってしまう。
そんな二人を、アグリーは呆れながらも、穏やかな笑顔で見つめていた。
そして、昔のことを思い出す。
あの時も、初めてリアクとアクアに出会った時も、こんな感じだったな。
アクアになだめられるリアクと、リアクを穏やかに諭すアクアを交互に見やりながら、アグリーは二人と初めて出会った場面を、頭の片隅に思い浮かべていた。
「兄さん、これからどうするんですか?」
「決まっているだろう! この俺様に無礼を働いた奴をそのままにしておいては、俺様の最強勇者としての沽券にかかわる」
「兄さんは、別に勇者でも何でもないと思うのですが・・・・・」
「そんなわけないだろう! 俺様以外に勇者と呼ばれるにふさわしい奴はいないだろうが!!!」
「そんなわけないでしょう。 兄さん」
・・・・・う、う―ん、・・・・・なんだなんだ、騒々しいな。せっかく人がぐっすりスリーピングで良い気持ちになっていたのに。
暗闇の中で突然聞こえてきた二人組の騒音にも似た話し声に、アグリーはいたく気分を害した。
「何なんだよ!」
怒鳴って、アグリーは跳ね起きた。
そして、アグリーは気がついた。
・・・・・ええと、ここってどこですか?空はどこまでも続く青空が広がっていて、地面には草木が生い茂り、どこからか鳥の鳴き声が聞こえてくる。
そして、跳ね起きたアグリーの顔を、見覚えのない二人の人物が目を丸くしてじっと凝視していた。
一人は、ピンク色のストレートの髪を一つに纏めている桜色の瞳の女性だ。年はアグリーより、少し年上くらいだろうか。
彼女は、まるで何かを願うかのように、天に祈りを振り仰いだ。
もう一人は、バサバサの黒い髪に茶色の瞳の青年だ。それも、ピンク色の髪の女性よりは四、五歳年上の青年だった。
彼はじれったらそうに、アグリーをじろっと睨んでいる。
と言うか、だからここはどこなんだ?
そして、彼らは何者なのだろうか?
混乱で頭がビックバンになりそうだったので、アグリーは慌てて記憶の糸を辿り始めたのだが・・・・・。
実はさかのぼることほんの数分か数十分か数時間か、とにかくちょっと前。
やはりアグリーは自分に何が起きたのかさっぱりわからない体験をしていた。
アグリーが目を開けると、深くフードを被った誰かの顔があったのだ。
「あの―、大丈夫ですか?」
「えっ? あ、は、はい、どうも」
響いてくるような少女の声に、反射的に反応してから、「え―と、僕はどうなったんだっけ?」と当然の疑問がアグリーの頭に浮かんだ。
そして、これまた、当然のことながら、アグリーの頭は混乱した。
とにかく現状確認と、周囲を見回した。
それから目をゴシゴシとこすってみた。もう一度目を見開いて左右を見る。
けれど何度目をこすっても、どれだけ目を凝らしても、結果はすべて同じだった。
周囲の風景は、まるで何もない殺風景と化している。ここがどこなのか、それさえも全然わからない。
しかたなく、アグリーは目の前のフードの人物に視線を移した。
全身をすっぽりと真っ白なコートで包み込み、フードで隠れて顔の表情を読み取ることはできない。ただ、その奥からあどけなさが漂う大きな赤い瞳がアグリーの顔を見つめていた。
「お待ちしておりました。 光の勇者、アグリー=ピース」
「へっ?」
動揺している時に突然衝撃的な言葉をかけられれば、誰だって声を高めて叫ぶに決まっている。
アグリーは声を裏返しながら、フードの人物の顔を凝視した。
「ええっ!」
さらにマヌケな声がアグリーの喉から踊り出た。
フードのその奥に潜んでいた顔は、長い黄緑色の髪、大きな瞳、ふっくらした頬、細い身体、吸い込まれそうな美少女だったからだ。歳は、アグリーよりは少し年下に見えた。
「私は夢の聖女、レミィラン。 あなたに、夢のお告げをお伝えします」
「お告げ?」
アグリーの瞳が心なしか輝いた。
「ということは、この星に何か危機が迫っているんですね!」
熱い勇者魂を燃やすアグリーに、冷めた表情のまま、レミィはゆっくりと首を横に振った。
「違います」
気まずい沈黙が、空間の中をじんわりと覆っていく。
「そ、そうですよね・・・・・。 そんなわけないですよね・・・・・」
重圧に耐えかねたのは、やっぱりアグリーの方だった。落ち着かないように、視線をきょろきょろと漂わせている。
しばらく何回か深呼吸をしてすっかり冷静さを取り戻すと、アグリーは訊いた。
「じゃあ、お告げって何なんでしょうか?」
「まもなく、エローゼという街に災厄が訪れます。 それを防いでほしいのです」
「災厄・・・ですか!?」
消えかかっていた熱い勇者魂を再び燃やすと、アグリーは力強く叫んだ。
「それって一体――」
だけどそんなアグリーの質問には答えずに、レミィはどこからか剣を取り出し、それをアグリーの目の前に置いた。
「夢の聖剣です」
と、レミィはアグリーに言った。
アグリーはしげしげと目の前に置かれた剣を眺めた。どこか不思議な感じのする剣だ。
「あの、それで僕は何をすれば――」
けれど、レミィは無表情だった。
アグリーの問いかけには答えずに、彼女は言った。
「お願いします」――と。
そうだそうだ、そうでした。再び、アグリーは周囲に視線を巡らせた。
そうか。ここはエローゼの街か。
何だか自然も多いし空気も綺麗だし、全然災厄が起こるなんて思えなくてちょっとばかし拍子抜けだけど。
ということは、この目の前にいる二人はやはりエローゼの町の住人なのか?
などと、状況分析にいそしむアグリーに、青年の方が不機嫌そうに声をかけてきた。
「おい、おまえ、のほほんとした表情を浮かべているが、状況がわかっているのか?」
「えっ? ああ。 ここエローゼの街だよね?」
アグリーがそう答えると、ピンク色の髪の女性は不安そうに青年を見た。
「兄さん・・・・・、何だか、この人、わかっていないみたいです」
「えっ? じゃあ、ここエローゼの街じゃないのか?」
「ここがエローゼの街だった、の間違いだろうが! それより、自分の体をよく見てみろ!」
言われるまま自らの体に視線を落として、アグリーは目を剥く結果となる。
な、なんだ、これ?
何故かアグリーの手足が、ロープで縛られていたのだ。
何故、僕が縛られないといけないんだ?
たまらず、アグリーは訊いた。
「こ、これってどういうことですか?」
「どういうこと、だと? この最強勇者であるリアク=ディプ様の命を狙っておいて、ただですむとでも思っていたのか? これから即刻、さらし首の刑に処してやる!」
「さ、さらし首ィ!?」
時代錯誤な上に衝撃度満開なフレーズに、アグリーは全身を震わせた。
あまりにも驚いたせいで、思わず「どういうことなんだ!」とアグリーは口走った。
「ちょっ、ちょっと、待って下さい!」
「ジタバタするな。 見苦しいぞ! おまえも暗殺者ならば、死して屍拾う者なし、の精神でいたらどうだ? なあ、アクア! 俺様なら、当然そうするが!」
「・・・・・そ、それは兄さんだけだと思うのですが」
意気消沈したまま、ピンク色の髪の女性は悲しげにそうつぶやいた。
「さあ、吐け! 誰の差し金だ! ブレインか! それとも、クロレスか!」
「だ、だから、何のことかわからないんですが・・・・・」
アグリーがそう説得を試みても、リアクと名乗った青年はただ、「はぁっ~はっはっはっはっ!」と高笑いを上げていた。
冗談ではない!
と、アグリーは思った。
僕には、エローゼの街を災厄から守るという使命があるのだ。
なのに、エローゼの街に来た早々、すぐに殺されてしまうというのか?
光の勇者、アグリー=ピース。
エローゼの街の災厄を防ぐ前に、さらし首の刑によって死亡。
マヌケすぎるし、バカすぎる。
この街を守る前に、そんなバカな目に遭ってどうしろというんだ!
ロープで縛られているので、アグリーは手足の自由を失っていた。だから、首だけを左右にじたばた振って、アグリーは全身全霊の力を込め、激しく抗議した。
「お願いです! はっ、話を聞いて下さい!!!」
「往生際が悪い奴だな。 そろそろ観念したらどうなんだ? なあ、アクア!」
次第に、絶望にうちひしがれ、首をぶんぶんやる気気力さえも失ったアグリーを救い出してくれたのは、アクアと呼ばれていた女性だった。
「ただの事故だと思うのですが・・・・・」
彼女は困ったように、深い溜息をついた。
だが、アグリーにとって地獄の水先案内人ことリアクは、しかし不満げに腕を組んで鼻を鳴らした。
「そんなはずないだろう! こいつは、俺様を殺しかけたのだぞ!」
「・・・・・そ、そうかもしれませんが」
「ちょっと、待って下さい! だからそれって、何のことですか?」
通りかかった助け舟に、アグリーは勢い込んで乗り込もうとした。
「しらばくれるな! おまえが、あのブレインとクロレスの手先だということは、既にお見通しだ!!!」
「・・・・・いや、本当に何のことだかさっぱりなんですが」
事情の呑み込めないアグリーに、アクアが簡潔に話してくれた。
何でも彼女と彼女の兄であるリアクは、アグリーらがいるこのエローゼの街の西南に位置する平原にピクニックへと来ていたらしい。今日の朝食のあと、どうしても日光浴がしたいとリアクが言い張ったのだという。
二人はビニールシートを広げ、太陽の日差しを浴びながらのんびり横になり、うつらうつらと数十分の時間を過ごしていた。
その時だった。
突然、空から、リアクめがけてアグリーが降ってきたのだ。
てなわけで、リアクはあわや激突死のピンチ。大パニックに陥った。
「まさに、間一髪といったところだったな!」
リアクが自慢げにアクアの話に割り込んできた。
「だが、そこは最強の戦闘能力を誇るこの俺様! 例え、どんな窮地だろうと慌てたりはしなかったぞ! 瞬時に事態を理解し、おまえの陰謀など切り抜けてやったのだ! はぁっ~はっはっはっはっ!」
「すれすれのところで、兄さんに当たらなかっただけなのではないでしょうか・・・・・」
悲しげに、アクアはボソリとつぶやく。
「とにかく、だ。 これでもう弁解する気など失せただろう! さあ、誰に頼まれ、俺様の命を狙った! ブレインか! それとも、クロレスか! 言え、言うんだ! さっさと吐けば、それなりにあっさり風味な処刑方法にしてやるぞ? さあさあさあ!」
リアクに首をつかまれぐわんぐわんと揺すられながら、アグリーは必死に釈明した。
アグリーは名もなき大陸のバリスタの港町から旅立ったばかりで、夢の聖女様からエローゼの街の災厄を防いでほしいと頼まれたあと、気づいたらここにいただけで、リアクのことなんか何も知らなかったし、すべてはただの事故なんだと。
リアクはうさんくさい表情を浮かべて言った。
「怪しいな」
「本当なんですってば!」
アグリーは抗議の声を上げた。
「う―む」
リアクは腕を組んで十秒ほど考え込んだ。
「よし、わかった」
やがて顔を上げて、彼は言った。
「おまえの話、信じてやってもいいぞ」
「本当ですか! じゃあ、僕を自由してもらえるんですね?」
「それは、却下だ」
一瞬にして、アグリーの喜びは複雑骨折してしまった。
「ど、どうしてですか!」
「おまえはその災厄っていうのを防ぎにきたのだろう? なら、俺様も、この最強勇者である俺様が行くのは当然のことだ!」
リアクは、にやりと凄みのある含み笑いを浮かべた。
「兄さんが行っても、邪魔になるだけだと思うのですが・・・・・」
がはっと両手を広げて雄叫びを上げるリアクに、アクアが氷点下の視線で突っ込む。
あ、しまった。
どさくさに紛れて言った言葉をしっかり聞いていたんだ。
アグリーははあっと溜息をつくと、がっくりと肩を落とした。
「あの―」
不意にアクアが、それまでとはがらりとトーンを変えた声を出した。
「えっ?」
激しい混乱の中をさまよっていたアグリーは、いつのまにかうつむいていた顔を上げてアクアを見た。
「私達も、一緒に行かせてもらえませんでしょうか?」
アグリーは即答できなかった。
急に一緒に組もうと言われても、一体なんて答えたらいいんだろうか?
それに、彼らを危険に巻き込む形になる。
――って、あれ?
「行くって・・・・・、エローゼの街じゃないのか?」
アグリーがそう訊くと、アクアは悲しげな表情を浮かべた。
「エローゼの街は、ほんの数時間前に滅びてしまったんです。 ブレインという魔族とクロレスという魔物によって・・・・・」
アクアは表情を曇らせた。胸に手を当てて、瞳にうっすらと涙を浮かばせる。
てことは、つまり、僕が気絶しているうちに、エローゼの街は滅びてしまったということなのか!?
アグリーは悔しげに言葉を呑んだ。拳をふるふると震わせる。
その隙をついて、リアクがひよっこり口を挟む。
「よし、こうなったら、さっさとブレインとクロレスを追いかけるぞ! アクア、それに――」
拳を突き上げて叫ぶリアクだったが、ふいに言葉をさえぎり、アグリーの顔をまじまじと見つめる。
そこで、アグリーはハッとする。
・・・・・そういえば、自己紹介もまだだったんだ!
アグリーは思わず言葉に詰まり、言葉を探した。
だが幸い、それはすぐに見つかった。
ひとつ頷くと、アグリーは言った。
「僕はアグリー。 アグリー=ピース」
それから、顔をしかめて付け加えた。
「一応、夢の聖女様には、『光の勇者』だって言われたんだけどね」
「光の勇者に、最強勇者と魔法使いか。 悪くない組み合わせだな!」
不敵な笑みを浮かべて、リアクは何度も何度も頷いてみせた。
「そうだな」
アグリーはそう言って、にっこりと微笑んでみせた。
「そうですね」
つられて、アクアも笑みを浮かべる。
アグリーは、リアクとアクアを見据えると、今度こそ、しっかりと言った。
「これから、よろしくな。 リアク、アクア」
「はい!」
アクアは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「よろしくな、アグリー!」
リアクもぶっきらぼうな言い方だったが、力強く答えた。
アグリーは笑顔を二人に向けた。
そして、思った。
戦いだ――。
アグリーは空を見上げると、両拳をぎゅっと握り締めた。
ついに、アグリーにとって、初めての魔族との戦いが始まろうとしていた。
そんなこんなでブレインとクロレスが向かったとされる西を目指して二時間後、アグリーらは問題の敵と遭遇することができた。
クロレスは、巨大な悪魔のような魔物だった。身の丈は国の城の塔に達し、二本足で歩くたびに地震を起こしている。頭には二本の角が伸び、目は溶鉱炉のように真っ赤に燃えていた。
ブレインは、すらりとした長身に、ディープブルーの髪の端正な顔立ちの青年だった。
恐らく、かなりの上級魔族なのだろう。
「リアクは、僕と一緒に、まずはクロレスから攻撃しよう! アクアは後方から援護して!」
「アグリー様! にっ、兄さんが・・・・・」
戦に備えて、アグリーが指示を飛ばしていると、アクアが突然、悲鳴まじった声を上げた。リアクがいつのまにか、いなくなっていたからだ。
アグリーは指示を止め、眉をしかめた。
「えっ?」
「あ、あれは――」
『今度こそ、貴様らの最後だ!』
アクアが言い終わる前に、アグリーらから見るとただの黒い点であるそれは、なにやらメガホンを使って話しかけてきた。
『俺様は、サィィィィィィィィ――』
メガホンを使って叫びながら、黒い点がコマのようにくるくると回転をし始めた。それに合わせ、声が近づいては遠ざかる。
なんだ?
一体、何のショーが始まったんだろうか?
『キョゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――』
語尾を果てしなく伸ばしながら、まだまだ黒い点は回転を続けた。すでに見ているだけでも二十回以上は回っていた。もしあれがリアクだと仮定して、あんなに回転して三半規管がおかしくはならないのだろうか。
『勇・者!!!』
スババァァン!!!!
どこからともなく効果音が鳴り響き、同時に黒い点は回転を止めた。よ―く目を凝らしてみると、手足をぴしっと伸ばして見事に決めポーズを作っている。どうやら三半規管の方は大丈夫のようだ。
『リアァァァァクッッ!』
ドッカァァァァァァーン!!!!
黒い点が叫ぶと同時に、今度はその背後から巨大な花火が打ち上がった。
アグリーも、アクアも、ブレインやクロレスの面々も、ただただ唖然とその光景を見つめていた。
「あっ、こちらを指さしたみたいです」
アクアが、律儀にアグリーに報告した。
黒い点がまた叫んだ。
『さあ、勝負だ! クロレスにブッレイィィィーン!』
「・・・・・タ、ターンを決めながらこちらに向かってきます」
アクアはそうつぶやくと、深々と溜息をついた。
・・・・・バカである。向かうところ敵なしのバカである。
アクアの言葉を聞きながら、アグリーも、いや、ブレインやクロレスの誰もが「なんだったんだ? あのアホは」という表情を浮かべていた。
ブレインが吐き捨てた。
「私の名前はブッレイィィィーンなどではありません。 ブレインです」
クロレスが言った。
「いいからブレイン、とっととあんなアホはぶちのめしてくれるわ!」
エローゼの街の言いがかりや、アグリーらの前方でくるくるターンをしていたリアクを目の当たりにして、アグリーは激しく脱力し、ついで初めての戦いで緊張していた自分のバカさ加減を笑い出しそうになってしまった。
それから、夢の聖女様のお告げは一体なんだったんだ、と怒りさえ覚えた。
あんなバカが仲間なら、この戦いは絶望的だ、と愕然もした。
ところが、だ。
それらの考えは戦闘が開始するとすぐに打ち砕かれてしまった。
リアクは確かに、全くといっていいほど、役に立たなかった。
だが逆に、アクアはかなり魔法に優れていた。
アグリーの剣は、直接的な攻撃しか役に立たない。
それにアグリーは今回が魔族との初めての戦いで、どちらかといえば無鉄砲で、ときどき思慮に欠ける行動をとってしまいがちだった。
アクアの魔法は、治癒魔法だ。
穏やかな性格が災いしてか、彼女はさして攻撃魔法が得意ではない。
しかしその分、アグリーよりは魔族とは戦い慣れしており、常に冷静で落ち着きを失わなかった。
そんな具合にアグリーとアクアはお互いの短所を長所で補うことができた。
ふたりのパートナーとしての相性は悪くなかった。むしろ、最高と言い切ってしまってもいいほどだった。
次第に、アグリー達はブレインとクロレスを追い詰めていった。
「はぁぁぁぁぁっ!」
ざくっ!
それまで、アグリーが繰り出していたのと同じ一薙。
ところがそれはタイミングを図っていたはずのクロレスの体を深く傷つけ、大きく吹き飛ばした。
ざっくりと切り割られた肩先を押さえ、クロレスがよろめいた。どっと吹き出した脂汗が、ぽたぽた地面に落ちていく。
やがてクロレスは、力尽きたかのように地面に倒れ伏せた。
「なっ・・・・・貴様、今どんな小細工をしたのですか!?」
それを見たブレインが、驚愕の声を上げた。
「ありえません。 なぜ、貴様ごときに、クロレスが・・・・・!?」
「これが、光の勇者の実力だ!」
胸を張ったものの、理由を知りたいのはアグリーの方だった。
今、夢の聖剣に後押しされるように、急に体が軽く感じたのだ。追い風に吹かれた時のような、圧倒的な開放感だった。
「バカな・・・・・今のは錯覚です。 そう、そうに決まっていますよ!」
得体の知れないものを見るように、ブレインがアグリーをねめつけた。
「ふっ」
ブレインは突然、にやりと笑うと、虚空から剣を取り出した。
それは、炎に包まれた真っ黒い剣だった。
がぃん!
「こ・・・・・今度こそどうです! これならば、小細工は使えませんよ!」
かみ合った刃が、二人のちょうど中央地点でがくがく震えた。一瞬でも別のことに気を散らせば、瞬く間に体勢が崩れるだろう。
「は・・・・・はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
雄叫びを上げたアグリーの刃が、じりじりと確実に、ブレインを押しやり始めた。
「バカな・・・・・バカな!?」
「はぁぁぁぁぁっ!」
ばん!
ついにアグリーのパワーがブレインを上回り、刃をはねのけた。
続けざまにアグリーは渾身の力を込め、ブレインに剣を振り下ろした!
一撃に耐えかね、バランスを崩し、ブレインはどさっと倒れ伏せた。
そしてやがて、ブレインはクロレスとともに消滅していった。
「勝ったのかな?」
アグリーは独り言のようにつぶやいた。
リアクはしばらくぽかんとしていたが、やがて口元をゆるめた。顔がどんどん輝いていく。
「当たり前だろうが! 当然、俺様達の勝ちに決まっている!!! この最強勇者である俺様がいるのだからな!!!!!」
最初にクロレスによって吹き飛ばされ、気絶していたにも関わらず、がばっと立ち上がると、リアクは豪快に笑い始めた。
その高笑いに、アクアは悲しげに顔をしかめた。
「兄さんは、何もしていないでしょう・・・・・」
きっぱりと言い放つと、アクアはアグリーにとびっきりの笑顔を向けた。
「やりましたね、アグリー様!」
「ああ!」
アグリーは空を見上げると、噛み締めるかのように応えた。
「それにしても意外だったな」
リアクの言葉で、アグリーは回想から現実へと意識を戻した。
リアクは掛け値なしに真剣な顔で、アグリーに言った。
「まさか、あのレークスのガキも一緒についてくるとはな!」
「一緒に行くわけではない。 貴様らを見張っているだけだ!」
「えっ?」
アグリーは突如聞こえてきた第三の声に固まってしまった。
ぎこちない動きで後ろを見る。案の定、銀色の髪の少年と赤いツインテールの髪の少女が立っていた。
「アグリーさん、私達も一緒に行くよ!」
ティナーは楽しそうに言った。
そして人差し指を立てると、えへへとはにかむ。
「お城は、お父さんとお母さんが守ってくれるしね!」
アグリーに視線を固定させて、レークスはしっかりとした口調で付け加えた。
「スループットとメシアロードもいるしな」
アグリーとアクアは嬉しそうに顔を見合わせ、リアクが張り裂けんばかりの絶叫の雄叫びを上げた。
「では出発するぞ!」
先頭をさっさと歩き始めたレークスを慌てて追いながら、アグリーはその背中を熱い視線で見つめた。
もしかしたら、レークスさん、僕達のためにわざと?
だとしたら、これほど嬉しく素敵な口実はない!
アグリーの胸に、喜びの火種がぼうっと一気に燃え上がった。
魔王は残虐にて、冷酷無比。
レークスさんに出会う前までは、僕達もそう思っていた。
しかし、レークスさんはこうして、僕達と一緒に来てくれようとしてくれる。
レークスさんは、やっぱり他の魔王とは違うんだ!
「おい! 何をもたもたしている! さっさとついて来ないと置いていくぞ!」
「はい、今行きますっ!」
バリスタの港町の神殿に帰ったら、姉さんに言わなくちゃな。
噂よりずっと、地の魔王は優しかったってことを!
アグリーはこみ上げてくる笑いを隠そうともせず、レークス達の後をついて行った。
「ここにスチアがいるんだな!」
感慨深げに、青い髪の青年がつぶやいた。
白い尖塔が幾つもそそり立ち、屋根には旗が風にたなびいている。周りを白い城壁が取り巻き、広さもかなりのものだ。
「すごいね」
「ああ」
魔王城を目の前にして、フロティアとメリアプールは感嘆の声をあげた。
しばらくはぼっ―と城を見つめていたメリアプールだったが、すぐにフロティアの方を振り向いて言った。
「スチアを、魔王グレイスから救いだそう!」「うん、頑張ろうね!」
「あ、ああ」
あっさりそう答えたフロティアに驚き隠せずにいながらも、メリアプールは相打ちを打った。
(スチア――)
メリアプールの瞳に彼女の、スチアの笑顔が映る。
桜色のふわふわした髪。薄蒼い瞳。
そして何よりも、嬉しそうに笑うあの笑顔が大好きだった。
昔、スチアが言ったことがある。
『――想いには力があるの』
あれは多分、スチアと初めて会ってから少し経ったぐらいのときだ。
意味を図りかねて、まだ、幼かったメリアプールは首を傾げてしまった。
だけど、今のメリアプールになら、どうしてあの時、彼女がそんなことを言ったのか理解できるような気がした。
何事も諦めてしまいがちだったメリアプールの愚を、彼女は遠巻きにいさめていたのだろう。きっと――。
そうだね、スチア、そのとおり。
想いには力がある。
願えば、それはきっとかなう。
だからスチア、必ず、魔王グレイスから―魔のミリテリアという束縛から救い出してみせるよ!
――そう、約束するよ。 君を守ると!
最終巻の5巻はまだ沢山残っているのと小説のデータが紛失してしまいましたので(汗)更新はかなり先になりそうですとりあえず、番外編の方が先になくなりそうなのでそちらを先に載せていきたいなと思います。