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第12章 いつか溶ける涙

 その少年と出会ったとき、彼女は薄青い銀色の長い髪で、顔立ちと身長はまだ少女と呼ぶに相応しい年頃だった。

場所は、リモネの森の中央にある広場で、目の前には丈の低い草の固まりがところどころに生えている。

「迷子か」

 というのが少年の第一声だった。

「お父さん?」

 というのが彼女の第一声だった

 そのとき、彼女は両親を亡くし、預けられていた家から逃げだしていた真っ最中だった。


――すべてはそこから始まった――。




 家族が二度と帰らない、と少女が知ったのは、彼女がまだ幼いころのことだった。

家族が出かけるとき、彼女はとなりの家の夫婦に預けられるのが常だった。その時も、彼女はその家に預けられていた。

すでに預けられてから二週間あまりが過ぎていた。

そろそろみんな戻ってくる頃だな、彼女はそんなふうに思っていた。

それまでの経験から、それぐらいのことはわかるのだ。

 しかし、その日、戻ってきたその家の主人が彼女に告げる。

「君のご家族は、もう帰ってこないんだ」

 主人の顔には、見たことのない厳しさが浮かんでいた。

「依頼人から連絡が届いた。 残念ながら、仕事の最中に、二人とも命を落としたそうだ」

「いのちを落とす?」

 言葉の意味が分からず、主人の厳しい表情に少し恐怖を覚えながら、彼女は小首を傾げて尋ね返した。

「いのちは落としたりしないよ」

 主人は苦しげに首を横に振った。

「そうじゃない。 死んだ、ってことだよ」

 と、主人は言った。

「二人とも、死んだんだ」

「死んだ?」

 少女は驚き、目を見開いた。

「そんなの、うそだよ」

 と、少女は言った。

「そんなの、うそだよ!!」

 と、少女は叫んだ。

 でも、もう主人は彼女の方を見ていなかった。

溜息を付き、まるで彼女の声が聞こえなかったように部屋から出て行ってしまった。

 彼女はその場に立ち尽くした。涙が溢れ、止まらなかった。


 その晩。彼女がふとんにくるまり、父や母のことをぐるぐると考えていると、居間の方から話し声が聞こえてきた。主人とその奥さんの声だった。

「・・・・・・あの子のことはどうするんです?」

「心配ない。 もう引き受け先は見つけてきた」

「本当ですか?」

「ああ。 いつまでもあの娘をここに置いてはおけないからな。 こういうことは、早い方がいい」

 ふとんから出ると、彼女は声が耳に入らないように、耳を押さえた。何か、とても不快な気持ちがしたからだ。

彼女は足音を立てないように通路を歩いて、家の扉を開けると逃げ出すかのようにその場から走り去った。

 彼女は森の小さな木の陰で身体を温めようと身を小さく縮めた。

彼女は目をしっかりとつむり、意識を遮断しようとした。もう何も考えないようにしようとした。

だけど、その晩、彼女の元に、ついに眠りは訪れなかった。

 翌朝、彼女は一人、両親を探して森の中を歩き始めた。

家族のみんなが死んだなんて、彼女はまだ信じていなかった。

いつか、両親と再会できると、少女は強く信じていた。

もしかしたら、もう戻ってきているのかもしれない。

そう信じて、彼女は再び夫婦の家を覗き込んだ。

だけど、両親はいなかった。

そればかりか、へらへらと笑いながら、夫婦の夫は、昔、彼女がここに来る前、何度も聞かされた台詞を口にした。

「魔族の子供なんて何をしでかすかわからない。 どんな能力を隠し持っているかわからないんだからな。 係わり合いにならない方が一番だ」

 夫がにこやかにそう言い、妻がまるで悪びれた様子もなく頷くのを見て、彼女は絶望的な気持ちにとらわれた。胸が引き裂かれたかのように痛かった。

 彼女は再び、森の奥へと駆け出していった。

 歯を食い縛り、手と足を大きく動かし、「お父さん!」「お母さん!」と大声で呼びながら、森の方向へ戻ってゆく。

ふと、森の奥にある広場が彼女の目に入った。いつも、両親と一緒に遊んでいた場所だ。

お父さんとお母さんは、あそこにいるかもしれない。

 そう思うといてもたってもいられなくなり、彼女はそこを目指して走り出した。

だけど、そこには両親の姿はなかった。

彼女は膝を抱えて、顔をうずめた。小さく身を縮ませて震わせる。


・・・・・・それから、何時間が過ぎただろうか。


ふと、遠くから、足音のような音が聞こえてきた。サクサクと落ち葉を踏みしめる足音だ。

「おとうさん?」

 少女はつぶやいた。

 足音はどんどん近づいてくる。

だが、霧が立ち込めているせいで、誰なのかはわからない。

彼女は深呼吸をしてみた。

「お母さん・・・なの?」

少女は再びつぶやいた。

 返事はない。彼女は重ねて問いかけた。

「だっ、誰なの?」

 だけど、誰も答えない。

そして、彼女は霧の中から現れた別の人物の姿を見て、さらなる驚きを体験することになる。

 少年だった。彼女と同じくらいか、それより年下の少年だった。

「迷子か?」

 怯えた様子で、彼女はキッと少年を睨んだ。

 その様子を見て、少年は満足げに頷いてみせた。

「そうか。 俺が怖いか。 怖いんだな」

 少年はにやりと笑った。

 彼女はきょとんとした。首を大きく横に振ってそれを不定する。

「なにぃ!?」

 少年の眉がピクリと引きつる。何故だ! とばかりに、頭を掻きながら顔をしかめた。

そんな少年の態度に、彼女は思わず、ぷっと噴き出してしまった。

ますます、少年は不機嫌になってしまう。

 少年は少女をしっかりと見据えて―、そして尋ねた。

「名前はなんだ?」

「メシアロード・・・・・・」

「俺はな、聞いて驚くなよ。 地の魔王、レークス=エンタシス様だ!」

 自慢げにレークスは胸を張った。

 だが、メシアロードは首を傾げるだけ。

「ちのまおう、ってすごいの?」

 レークスはこめかみを押さえ、がっくりと肩を落とした。

「・・・・・・?」

一方、メシアロードは心配そうに、レークスの顔を覗き込んだ。

「まあ、いい」

 あっさりとそう言い捨てて、レークスは森の奥へと歩き始めた。

それに続くように、メシアロードも歩き出す。

 しばらく歩いていると、大きな街らしき影がぼんやりと見えてきた。

 突然、レークスが口を開いた。

「もう、ここまででいいだろう?」

 メシアロードは、力なくコクンと頷く。どこか、寂しそうな瞳だ。

「じゃあな」

 そそくさと立ち去ってゆくレークスの姿を、メシアロードはじっと見つめていた。


 ―もう、あの人とは会えないの・・・・・・?


 突然、メシアロードの心がざわめいた。

 初めて感じる感情だった。

 だんだん、メシアロードの胸が熱くなってきた。


 ―また、あの人と会ってみたい―。


 そう思うと、メシアロードは、頬をそっと桜色に染めた。


 翌朝、地の魔王の城に続く道を、メシアロードは一人、走っていた。銀髪はぼさぼさに乱れ固まり、服の裾はびりびりだ。

 すぐに脇に生えていた草に足が絡まり、メシアロードはべしゃっと転んだ。

「うっ・・・・・・」

 だけど、痛がっている暇はない。メシアロードはすぐに起き上がり、街道をひた走る。むき出しの膝は、乾きかけた血で赤くなっていた。

 あの人のお城まで、あとどれくらいなの?

 肺が痛い。体全身が痛い。足が重い。

けれど、レークスがそこにいると思うと、メシアロードはなんだか頑張れる気がした。

 不思議だ。昨日まで全く知らなかった人がこんなにボロボロの体に力を与えてくれるなんて。

何をしに来た、と怒鳴られるかもしれない。

 だけど、なんだか、あの人の近くへ行ってみたいのだ。巻き込まれてみたいのだ。

「・・・・・・あっ!」

 感慨深げにメシアロードはつぶやいた。

地の魔王の城の門らしきものが、前方に見えてきたからだ。

 もう少しで会える!

 白い歯をのぞかせて、メシアロードは笑った。


「はあ・・・・・・」

 魔王城の門前で、メシアロードは大きく息をついた。

 思いっきり背を反らさなければてっぺんが見えないほど、巨大な城だった。塔がいくつか集まった造りで、敷地はぐるりと森に囲まれている。

 森の小道をてくてくと歩くこと数時間。扉から城までは思ったよりも距離があった。

 なだめるように胸に当てた左手からは、自分の鼓動がはっきりと伝わってくる。いつもとは明らかに違う、速いビート。

 落ち着かないと・・・・・・。

 メシアロードはすがりつくように、自分の服の袖を握りしめた。

 大丈夫・・・・・・。 大丈夫・・・・・・。

 自分に言い聞かせるように、メシアロードは心の中でつぶやいてみせた。何度も何度も深呼吸をしてみせる。

 メシアロードは門番に取り次ぎを申し出た。

やる気のなさそうな魔物は、ろくに調べもしないまま、あっさりと中に入れてくれた。

天の魔王の城や魔王の城を守る門番は、顔なじみの相手に対しても、一通りチェックをするのに。

 構えていたメシアロードはちょっと拍子抜けしたが、きっと信用してもらえたのだと嬉しくなって、思い切って城に足を踏み入れた。

 城内は、まだ昼間だというのにどこか薄暗かった。窓の数が少ないせいである。

 それに廊下は、不思議なほど人気がない。

「あ、あの――っ」

 眉を寄せながら、メシアロードがつぶやいたのとほぼ同時に――。

「なんだとっ!」

 ちゅどご―んっ!

「きゃあああっ!?」

 聞き覚えのある少年の叫びと一緒に、突然、目の前の部屋のドアが爆発し、吹き飛んだ。誰かの切羽詰まった悲鳴がした。

「だ、だから、これがこの城の現状なんですよ。 レークス様!」

「何故、地の魔王である俺の配下がこれだけしかいないのだ!?」

「なっ、なあに?」

 一瞬、腰を抜かしかけたメシアロードだったが、ぐぐっとこらえた。

あれほど会いたいと思っていたレークスの声が聞こえたのに、無視などできるわけがない。

メシアロードは思い切って、爆発の起きた部屋に飛び込んだ。

「貴様、どうしてここに?」

「レークス様」

 本物だ。銀色の髪も、ぶっきらぼうな声も・・・・・・。

 メシアロードは躊躇なく思いっきり飛びついた。

「どわっ!」

 突然飛びつかれた方はたまったものではない。レークスは飛びつかれた勢いでバランスを崩し、メシアロードを抱え込むような形で尻餅をついた。

「何をするんだ! 貴様!」

「・・・・・・ごめんなさい」

 メシアロードはぺこりとお辞儀をした。腰からきっちりと折る、丁重な一礼である。

 まさか、あっさりと謝ると思っていなかったのか、レークスはたじろいた。

「・・・・・・まあ、いい」

 そう言って、レークスは頭を振った。

「時間の無駄だ。 それより、貴様、まだ、何か用か?」

 メシアロードはただ黙って微笑んだ。レークスの言葉に対して、軽く頷く。

「・・・・・・」

 渋い顔で、レークスがメシアロードをじろじろと観察した。いつも不機嫌そうではあるが、なんだか普段より余計いらだたしげだ。

「あの、レークス様」

「なんだ?」

「あの・・・・・・」

 指先をごにょごにょといじりながら、メシアロードはしょんぼりと肩を落とした。

 そして、不安そうにレークスに問いかけた。

「ここで雇ってもらえませんか?」

「なに!?」

「・・・・・・行くところがないんです」

 先程、悲鳴を上げていたやる気のなさそうな魔族の青年がぱん、と手を叩いた。

「なるほど。 それなら、人員不足は少しは解消されますし、いいんじゃないですか。 レークス様」

「う―む」

 渋い顔でメシアロードを値踏みするレークスに、やる気のなさそうな魔族の青年が髪をかき上げつつ言う。

「彼女は見たところ、かなりの力を持っているみたいですし、いいと思いますが・・・・・・」

 めんどくさそうに、魔族の青年は吐き捨てた。

見よう見まねといった感じで、まるで雨を手のひらに受けるかのように、彼女に両手をかざした。力を探っているらしい。かなり適当ぽいが。

 どうやら、彼は、早く、この会議を終わらせてしまいたいらしい。

「いいだろう。 貴様を俺の配下として認めてやる! 有難く思うんだな! メシアロード!」

 気がつかなかった、とばかりにレークスは手を打った。

そして、付け加えるように言う。

「・・・・・・おい、スループット。 貴様がこいつの教育をしろよ」

スループットを見て、レークスがにやりと面白そうに笑う。

 途端、スループットが恨めしそうにメシアロードを見つめた。

 冷めた表情でそれを受け流すと、メシアロードはレークスに力強く宣言した。

「はい!」

 かくして、メシアロードの魔王城生活が始まったのである。



 それから彼女の時間は瞬く間に過ぎてゆく。

 レークスの配下になってから、メシアロードの生活はそれまでと一変した。

今までは、メシアロードは一人で食事をしていた。預けられていた家では厄介者扱いされていたし、両親はいつも仕事でなかなか戻ってはこなかったからだ。

 だが、ここではレークスいわく、「結束は、共に学び、食べて、寝ることだ」。

もうひとつ、「どんな大事業もまず足元固めから」。

 ・・・・・・もっともらしく聞こえるのだけれど、魔王がそんな考えでいいのかな?

 そう思いつつ、メシアロードが食堂で黙々とハンバーグ定食を食べていると――。

「一緒に食べよう〜♪」

彼女の隣の席に強引に座った赤いツインテールの羽翼人の少女が、ニコニコと笑いかけた。

彼女は先日、新しく仲間になった、リバイバル=エンターティナーだ。

「・・・・・・」

 黙って彼女を無視し続けているメシアロードは、手で小刻みにナイフとフォークを操り、見る見るうちにハンバーグを口の中に放り込んでゆく。決して、むだ口を叩いたりしない。

「ねえ、ハンバーグ、好き?」

 けれど、ティナーはその事は全く気にせず、さぞ興味ありげにそう問いかけてきた。

 メシアロードは何も言わずにそっぽ向く。

 ティナーはにこやかに言った。

「私は好きだよ! でね、あと・・・・・・」

 ひたすらしゃべり続けるティナーを無視して、メシアロードはレークスの方を向く。

 ・・・・・・どうして、レークス様は、彼女を配下にしたのかな?

 冷たい視線で、今もしゃべり続けるティナーを見ながら、メシアロードは首を小さく横に振ってみせた。


 レークス達と暮らすようになって、メシアロード自身を取り巻く環境は、嵐のように激変した。

それ以前の生活とは、もはや何もかも変わってしまって、まるで別の世界にやってきてしまった、と思うことがあるほどだった。

けれど、もちろん、メシアロードがいるのは、『アーツ』の星だし、世界は以前と何も変わっていない。

レークスの配下となったことは、間違いなく、メシアロードにとってプラスに働いた。

レークス達に対してはなかなか素直にはなれなかったが、メシアロードの心は確実に彼らに癒されていった。

みんなで食堂の食卓を囲んでいるときや、レークスや他の人達と話してたり、言い合ったりしているとき、あるいは、些細な仕事をこなしたりなど、本当に日常の何気ないことをしているときに、世界もそれほど悪くないところかもしれない、とメシアロードはときどき思うことがあった。

そして、そう思える自分に気づいて、とてもくすぐったい感覚にとらわれるのだった。

もしかしたら、自分はもう、ずっと手に入れたいと願っていたものを手に入れてしまったのかもしれない。

そう思ってしまう。

 でもそれだけに、メシアロードはときどき恐怖に駆られることがあった。

 こんな穏やかで平穏な日々がいつまでも続くわけがない。

 いつか終わりがくるかも。

 メシアロードは、半ば盲目的にそのことを確信していた。

 もしも、この生活がある日突然失われ、あの厳しい現実の世界にひとりで放り出されたら、私はうまくやっていくことができるのだろうか。

 そう考えるだけで、どうしようもなく不安になり、メシアロードは夜も寝つけなくなるほどだった。


 ある晩、真夜中にメシアロードはひとり、食堂にいた。

その日もやはり、それについて考え、うまく寝入ることができなかったのだ。

食卓について物思いにふけていたメシアロードは、人の気配を感じて振り返った。

「こんな時間にどうしたんだ?」

 入り口のドアのところに、もうとっくに自室で眠っているはずのレークスの姿があった。

「・・・・・・寝つけなくて」

「そうか」

 レークスはひとつ頷くと、彼女の隣にふん取り返って座った。そして、そのまま黙って、肘で食卓を叩く。

 メシアロードも何も言わず、そのまま、ずっと黙っていた。

「あの―」

 だいぶ間があってから、メシアロードがつぶやいた。

「なんだ?」

「・・・・・・私、このまま、ここにいていいのかな?」

 メシアロードの胸がきりきりと痛んだ。

 なら、出ていけばいい、と言われたら、どうしよう。

 質問してから、メシアロードはひどく後悔した。

だけど、もう取り消せない。

メシアロードはきつく瞳を閉ざし、身を固くした。胸がぎゅっと苦しくなる。

「・・・・・・俺は許さないぞ!」

 ギリッときつい眼差しで、レークスがメシアロードを睨んだ。

「貴様がなんと言おうと関係ない! だいたい、貴様の方から雇ってほしいといったのではないか! いいか! 貴様は、一生、俺の配下だからな!!」

「えっ・・・・・・?」

 メシアロードはレークスを見た。

 そして、ためらいながら訊いた。

「ずっと、いてもいいの?」

「当たり前だ! 一生、こき使ってやるからな。 覚悟しておけよ!」

 憮然とした態度で、レークスはにやりと笑ってみせた。

 メシアロードはきょとんとしてから、弾けるように笑った。

「はい!」

 気がつくと、メシアロードの心から、嘘のように不安や恐怖の存在が取り除かれていた。

 レークスの言葉が、それらを溶かし崩してしまったのかもしれない。

 レークスが言った。

「貴様も早く寝ろよ」

「はい」

 メシアロードはレークスの言葉に頷いた。

レークスとメシアロードは立ち上がり、お互いの部屋へと戻った。


 ・・・・・・でもその晩も、やはりメシアロードは寝付くことができなかった。次の晩も、その次の晩も、メシアロードのもとには安らかな睡眠はやってこない。

 夜になり、ベットに身体を倒して、眠りにつこうとまぶたを閉じると、とたんに心臓がものすごい勢いでどくんどくん、どくんどくん、と暴れ出し、メシアロードから睡魔を追い出してしまうのだ。

 メシアロードは何かに悩んでいた。

そして何かに動揺していた。

でも、何に悩み、何に動揺しているのか、自分でもまるでわからなかった。

わからないままに、メシアロードの症状は、さらにひどいものとなっていった。

 ときどき食事中でさえ、息苦しさを覚えて、食べ物がのどに通らなくなってしまうことさえあった。

 それどころが、レークスを眺めているだけで、突然、胸が締められるような思いに駆られてしまうこともあった。


 そんな眠れない日々をどれだけ送ったことだろう。

 ある日、メシアロードは、自分が恋に落ちたのだと知った。

 きっかけは、レークス達がアズリアの街から戻ってきた時のことだ。

 帰ってきてから、早々、魔王城の城内で即席パーティーが開かれていた。

 新しく、彼女――ティナーの両親が仲間になった。その歓迎パーティーのようなものだ。

 でも、実際のところ、ただ、彼女がパーティーをしたかっただけなのかもしれないけれど・・・・・・。

 それはとにかく、魔王城内には今、活気に満ちていた。それは、先日、行われた野外パーティーにも劣らないほどの活気だった。

 城のみんなが、生き生きとした表情を浮かべ、弾む動きでパーティーを楽しんでいる。

 メシアロードはひとり、バルコニーから森の様子を見渡し、溜息を漏らした。

「何をしているの?」

 凛とした女性の声がした。

 振り返ると、赤いロングヘアーの髪のスレンダーな女性が立っていた。

 彼女の名は、ミューズ=エンターティナー。

 ティナーの母親で、時音の女神らしい。

「別に・・・・・・」

 素っ気なく、メシアロードは答えた。

「そう・・・・・・」

 ミューズが言った。

 いつのまにか、うつむいていた顔を上げて、メシアロードは訊いた。

「あの?」

「はい?」

「ラスト・・・さんと初めて出会ったときって、どんな感じでした?」

 メシアロードの言葉に、あくまで真剣な表情でミューズは答えた。

「・・・・・・衝撃が走った感じ・・・だったかしら」

 と、少しはにかみながら、ミューズは話を続けた。

「別れてしまうとき、思ったの。 もう、この人とは会えないの? また、会えないのかしら、と。 私は動揺に襲われた。 この機会を逃したら、もう二度とこの人とは会えない。 そんな気さえしたの。 私の目は、ラストに釘付けにされたまま、彼から目を離すことが出来なかったの。 ・・・・・・きっと、一目ぼれだったのね」

 ミューズが語ったそのときの彼女の心の動きは、そのまま、メシアロードの場合にも当てはまった。

 それはそっくり、そのまま、メシアロード自身の心臓に今、起こっていることだった。

 その後もミューズは、ラストとの馴れ初めの様々なエピソードを披露したが――例えば、最初、ラストはまるで相手にしていなかったというか、彼女の気持ちを分かっていなかった、とか――そのほとんどをメシアロードは聞き流した。

 メシアロードにとっては、たった今知った、自分がレークスに恋しているという事実の方がはるかに重要だったからだ。

 メシアロードは、そのときまで恋に落ちたことがなかった。

ひとりで生きていくことに精一杯で、男性と知り合う機会などほとんどなかったのだ。

自分が恋に落ちたと仮定してみると、様々なことが府に落ちた。

・・・・・・なんて、皮肉なの。

メシアロードは心から思った。

初めて誰かを好きになってみれば、それは地の魔王なのだ。

何も、初めから報われないとわかっている相手を好きにならなくてもいいのに。

と、自分のことながら思って、メシアロードは溜息をついた。

けれど、メシアロードはパーティーが終わっても、その思いをレークスに告げたりはしなかった。

何より、実際に思いをぶつけてみて、それを拒絶されてしまうことが、メシアロードは怖かった。

まして、受け入れてもらえるはずないとわかっていてはなおさらだった。

彼は地の魔王なのだ。自分とは立場が違う存在だ。


 メシアロードは必死に、自分の思いを封印しようとした。


 ・・・・・・でも、そんなことはできなかった。







 時刻はもう夜だった。空を見上げても、夕暮れの太陽は見当たらず、代わりに金色の月が、私達の営みを見下ろしていた。

 まだそう思ってから一時間しか立っていないだけあって、自分の心臓のモチベーションは落ちていない。


 ――明日こそは、この思いを封印できるのだろうか?


 だけど、例えば、明日いきなり、この思いを封印しなければならないのなら、きっと私には無理だと思う。

 時間が止めたり、未来を覗くことができたら、と私は思う。

 でも、もちろん、そんな夢のような話はありえないし、できるわけがない。

 それにしても、と、現在から未来、未来から過去へと思いをはせ、私は思った。

 まさか、私がレークス様を好きになってしまうなんて。

「・・・・・・何も、初めから報われないとわかっている相手を好きにならなくてもいいのに」

手すりに手をかけ、メシアロードは独り言のようにぼやく。

「・・・・・・そんなこと、分かりませんよ」

 穏やかな女性の声がした。

 振り向くと、ピンク色のストレートの髪を一つに纏めている桜色の瞳の女性が立っていた。

 彼女――アクアはにっこりと笑みを浮かべながら、メシアロードの隣に並んで言った。

「・・・・・・報われないなんて、そんなこと分かりませんよ」

「・・・・・・どうして、そう思うの?」

「その人を好きだと思う想いは消せません。 ・・・・・・それが、なくなることなんてないんですよ」

 アクアは、何かを願うように天に祈りを振り仰いだ。

 そうかもしれないけれど・・・・・・。

 メシアロードが心の中でそう考えて、密かに心で溜息をついていると、アクアは身を乗り出して下を覗き込んだ。

 彼女のピンク色の髪が、風になびいてふさふさと揺れた。

 アクアの視線の先には、魔族や魔物達がたいまつを手に、周囲の見回りをしていた。炎が揺れながら、城の周りを小刻みに移動していた。

 アクアが訊いた。

「どうして、報われないなんて分かるんですか?」

「そんなの分かるに決まってます!」

 その問いかけに、メシアロードは顔を上げることができなかった。両手をぎゅっと握りしめる。

 手すりに視線の固定させたまま、メシアロードは自分でも驚くくらいの強い口調で言っていた。

「私とは立場の違う存在(ひと)なんですから!」

 自然とぶっきらぼうな言い方になってしまった。

 だが、アクアの方は、特に気分を害した様子はなかった。

 アクアはにこやかに言った。

「・・・・・・決して報われないことなんてないです。 こうして、ただ、その人のそばにいるだけで幸せだって思えるんですよ」

「・・・・・・どういうこと?」

「大切な人のために何かをしてあげたい、力になってあげたい、その人を喜ばせてあげたい、・・・・・・私はそう願っています。 その人が喜んでくれた。 ・・・・・・ただ、それだけで、私は、すごく、すごく幸せなんです!」

 メシアロードは言葉が出なかった。

 そうかもしれない。

 と、メシアロードは思った。

 私がレークス様のためにできることは、きっとあるはずだから・・・・・・。

 レークス様の喜ぶ顔が見てみたい!

 レークス様のことが好きだから! 

誰よりも絶対に愛しているから!

だからこそ、レークス様のために、私は頑張りたい・・・・・・!!

 メシアロードは手をポンと叩いた。

「・・・・・・は、はい」

 メシアロードは瞳を潤ませて微笑んだ。力なく頷いてみせる。

「・・・・・・うん」

 アクアもつやつやした頬を染めて、はにかむように笑った。



 お父さんとお母さんは、あの時、帰ってこなかった。だけど――。

 もう一人じゃない。

 アクアと別れた後、メシアロードは、無意識のうちにバルコニーから駆け出した。



 ――心から大切に思う人の名を呼んで。



 彼女にとって、新しい何かが始まる瞬間を、夜空の星々が優しく見守っていた。


次回から番外編の話になります。

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