第11章 想いを奏でて
今回、お知らせしたいことがあります。詳しいことは後書きに書いています
レー兄のそばにいること――。
小さい頃からそれが私の夢だった。
どんなにレー兄を困らせてしまっても、私はレー兄からずっと離れようとはしなかった。お父さんとお母さんがどんなに一緒に寝ようね、と言っても、私はレー兄と一緒に寝たがっていたんだって。
初めての宝物は、レー兄からもらった大きな水晶がついた杖だった。どんなに可愛いお人形さんを買ってもらっても、私はその杖の方を大切してたってお母さんは言っていた。どんな機嫌が悪くてもグスッていても、水晶の杖を持たせれば歯の生えそろっていない顔で笑って、重い杖を無理やり振り回そうとしてこけそうになっていたってお父さんは言っていた。
それから数年後、お父さんとお母さんと一緒に、レー兄が家から旅立ってゆくのを見ながら、私はいつしかレー兄のために何かしたいと思った。なぜだがわからないけれど、そう思ったのだった。
―だけど、それ願いはもう叶えられない―。
・・・・・・そう思っていたけれど。
ドンドンッ!
ノックの音も騒々しく、駆け込んできたのは元気いっぱいの少女。年の頃は一四歳くらいだろうか。
赤い髪の毛を頭の上で左右に爆発させたようにまとめている。それ以上に目立つのは、自分の背丈くらいはある長い杖。
「レー兄―っ、起きていますか―!」
ベットから上半身を起こしているのは少女よりも年下の少年。
さらっとした銀色の髪がトレードマークの少年だ。もっとも、今は寝癖でだらしなく形が崩れている。
地の魔王レークス=エンタシス、その人である。
「なんだ? ティナー?」
レークスは首を回して寝ぼけた声で訊く。
「あのね、今日、リモネの森の方で爆弾テロみたいなことがあったみたいだよ! 行かなくていいの?」
思い出したのかレークスはうなずいた。
「ああ、あれか。 面倒だな。 どうせ俺の森の方ではないのだ。 問題ないだろうが」
「えっ―――!?」
口を大きく開いた後、ティナーはぶすっーとした顔で不満そうに言う。
「で、でもでも、一応、行っといた方がいいと思うよ!」
「はあっ〜、仕方ないな」
「じゃあ、早く行こうよ!」
まるで融通のきかない兄の面倒を見るようにティナはレークスを引っ張り起こした。その間中、楽しそうなニコニコ顔を浮かべているティナーを見て、レークスはげんなりとした顔になった。
こいつがこうやって急かす時は、必ず何かある時だな。
レークスはティナーを不服そうに見上げると、はあっ、と溜息を付く。
と、その時、扉の方から呼び声がした。
「レッ、レークスさん、大変です!」
レークスには振り向かなくても、すぐに相手はわかった。
「アグリーか」
アグリー=ピースである。人々から『光の勇者』『星の戦士』とうたわれている勇者である。もっとも今では、レークスとの戦いに負けて、彼の家来になってしまったという複雑な身分だったりするのだが。
「で、おまえの用はなんだ?」
「なっ、何言っているんですか! リモネの森が襲撃されたのかもしれないんですよ!!」
レークスの顔を見るなり、アグリーはいつも以上にきつい口調で進言した。拳を力強くぎゅっと握りしめる。
「だから、なんだ?」
「えっ?」
レークスの問いに、アグリーはあからさまに慌てた様子で答えた。
「えっ〜と、だからリモネの森が燃えているんですよ。 急がないと――」
レークスはアグリーをジッと見て、不機嫌そうに言い放った。
「別に俺の森の方ではないのだ。 急がなくてもいいだろうが!」
「そんなこと――」
あっけらかんとして言い放つレークスに、アグリーは言葉を失ってしどろもどろになる。
「・・・・・・まあ、いい。 暇つぶしに行ってやるか」
レークスはそう言うと、リモネの森の方に向かった。
「はあ〜」
助かったと一息をついて、小さくなってゆくレークス達の姿を、しばらく見送っていたアグリーはそうつぶやいた。
そして、慌ててハッとすると、彼らの後を追いかけ始めた。
「ここか」
レークス達はぽっかりと開けた砂地に佇んでいた。それは、到底、そこが森だったとは思えないほど、木は折れ、草地は焼け焦げている。
どうすれば、これほどの大惨事になってしまうのか、アグリーには全く理解することができなかった。
レークスはその光景を見て、にやりと笑みを浮かべた。
「これは、なかなかの破壊力だな」
レークスは興味深そうに、周りをぐるりと見回した。
どうやら、被害があったのはこの森だけらしい。乾いた砂地には、丈の低い草の固まりがところどころに生えている。
森の周辺には、ひょろひょろとした木が周りを取り囲んでいた。もちろん、街には何の被害もでていない。
「どうして、こんな風になってしまったんだろうか・・・・・・」
意外そうにアグリーはつぶやいた。まるで、森だけを狙ったかのようだ。その正確さに驚きと恐怖を隠せない。
「うーん」
アグリーはじっーと考え込むように、腕を組んでいた。
その時、その肩を、誰かがトントンとつついた。
「おい、アグリー!」
「アグリー様」
「リアク! アクア!」
後からやってきた二人を見て、アグリーの顔がぱっと輝いた。
鷹揚にビシッと手を上げると、リアクは感心したかのように、何度も何度もうなずいてみせた。
「それにしても驚いたよな。 なあ、アグリー!」
「あっ、ああ」
「まさか、これほどのことができる奴が、俺様の他にまだいたとはな! うんうん」
満足そうに笑みを浮かべたリアクを見て、アグリー達はふかふかと溜息を漏らした。
「そんなことを考えたりするのは、兄さんだけだと思うのですが・・・・・・」
アクアが悲しげにそうつぶやく。
だが、そんなアクアの突っ込みも虚しく、すでにリアクの耳には届いていなかった。
「だが、だが・・・・・・」
リアクがうつむき、細かく肩を震わせた。表情は影が差して窺い知れない。
きっと、この森の悲惨な惨状を悲しんでいて言葉にならないのだ。と、アグリーがそう思った瞬間。
「だが! 俺様よりは格下だろうけれどな!」
リアクはころりと態度を変え、体を大きく反らして笑い始めたのだ。
唖然としたアグリー達を尻目に、リアクはねちっとした笑みを浮かべ、ブツブツと独り言を言い始めた。指折り何かを数えているが、両手ではすぐに足りなくなったらしい。にんまりと笑み崩した顔は、威厳もへったくれもなかった。
・・・・・・バカである。向かうところ敵なしのバカである。リアクの笑い声を聞きながら、通り過ぎてゆく人々の誰もが「なんだったんだあのアホは」という表情を浮かべていた。アグリーもアクアも顔を真っ赤に赤らめてしまう。
その光景をしばらく黙って見つめていたレークスが吐き捨てた。いぶかしげに眉をよせる。
「おい、こいつ、頭でも変になったんじゃないのか?」
「さ、さあ・・・・・・」
「元々から、変な人だったよ! レー兄!」
がっくりと肩を落とすアグリーに、ティナーが嬉しそうな声で追い討ちをかける。
アグリーは再び、はあっと深い溜息をつくしかなかった。
レークス達が森だった場所のさらに奥へとどんどん進んでゆくと、突然視界が開けた。同時に騒がしい音が左右いっぱいに広がる。
「アズリアの街ですね」
アクアはぼかんと口を開けて街を見上げた。
「大きいですね」
「ああ、街にしてはかなり大きさだよな」
アクアの言葉に、アグリーも不思議そうにうなずいてみせる。
アグリー達もこれほど大きな屋敷を見たことはなかった。金持ちの保養所という場所柄、かなり大きさなのだということはわかっていたが、これほどまでとは思わなかったのだ。
アグリー達は圧倒されてゴクリと喉を鳴らすと、とりあえず街の入り口に向かおうと歩き出そうとした。
――その時。
ひとりの女性が手に弓を持って駆けてゆくのが見えた。
赤いロングヘアーの髪のスレンダーな女性だ。年は三〇歳半ばというところだろうか。どこか、ティナーに似た精悍な女性といったイメージである。
と、アグリー達に気づいたのか、女性は振り向いて、腕を突きつけると鋭い声を上げた。
「申し訳ないのですが、この街は部外者は立ち入り禁止なんです! 早く立ち去りなさい!」
森があった場所の向こうを指差すと、女性は走り去っていった。
「強烈な人・・・だな」
アグリーは圧倒されたという顔で女性を見送っていた。
リアクはそれを聞いて、フンと鼻で笑った。
「まあ、俺様の方が強烈だろうけどな」
「・・・・・・そ、そうですね」
自分であっさりとそう認めたリアクに、アクアはうなずくしかない。
「何者だ? あいつは」
腑に落ちないといった顔で、レークスがつぶやく。どこか、不満そうだ。
ところがティナーからは何の言葉もない。レークスが横を見ると、ティナーは呆然と立ち尽くしていた。
「あっ・・・・・・」
強ばった声を上げて、ティナーは女性の向かった方を見つめていた。息が止まってしまったかのような苦しげな顔だった。
「おい、ティナー?」
レークスはティナーをまじまじと見つめた。
「ティナーさん?」
返事が返らないのを不審に思って、アグリーがもう一度声をかける。
「あれって――」
強ばったままの顔でつぶやくと、ティナーは急に走り出した。
「ティナーさんっ!?」
そう叫んだアグリーの声は、荒地に無駄に響くだけだった。
「ティナーさん、待ってください!」
アグリーがティナーの背中に声をかけるが、聞こえていないのか、どんどん先に進んでゆく。ついには、いつのまにか、アズリアの街の奥にある噴水広場のすぐ近くにまで来てしまっていた。
アグリー達の二〇メートルほど先に剣を磨いている騎士がいる。そして、その周囲にも数人の戦士がいた。
ようやく足を止めたティナーに走り寄り、レークスは耳元でささやいた。
「おい、どうかしたのか? 急に走り出したりして」
突然のことに、レークスはぶすっとした顔をしてみせる。
ふと、近くにいた騎士がレークス達に気づいたのか、ジッとこちらを見つめていた。
アグリーは急いでティナーの肩を叩いた。
「早く、ここから出ないと!」
ところがティナーは、逆に街の奥へと向かおうとする。慌ててアグリーは彼女の腕をつかんで引き留めた。
「駄目ですよ。 ここにいたらまずい――」
「いたの・・・・・・」
アグリーの声をさえぎって、呆然としたまま、ティナーはつぶやいた。
「誰がだ?」
ふんぞり返ってレークスが訊く。
「間違いないよ。 私のお母さんが――」
「お母さん?」
思わず聞き返したアグリーの顔を、レークスは凝視する。
「お母さん・・・・・・だと!?」
レークスはふと振り返って、ティナーをじっと見つめた。
確かにあの女性も羽翼人だったが。
レークスはきょとんとした顔で目を瞬き、肩をすくめてみせる。
と、その時、
「そこで何をしているのですか?」
凛とした女の声に近くにいた騎士は膝をつき、戦士は頭を下げる。
「あっ、えっと・・・・・・」
さっきの女性がこちらにやってくると、アグリー達を見て呆れた顔になった。
「先程の者達ですね。 まだ、いたのですか」
「お母さん!」
ティナーは女性を真っ直ぐに見て叫んだ。
女性はティナーを見た瞬間、驚いて、目を見開いた。
「リバイバル!?」
女性は唖然としてつぶやいた。ティナーの瞳から大粒の瞳がこぼれ落ちる。止まらなかった。
瞳を潤ませながら、ティナーは女性に駆け寄った。
「おっ、お母さん―――――!」
「リバイバル!」
彼女――ミューズは、ティナーを強く抱きしめた。
「ううっ・・・・・・」
「リバイバル、あなたが無事で本当によかった・・・・・・」
ミューズはティナーを見下ろしている。その眼差しは慈愛に満ちていた。
まるでそれは、我が子を見守るかのようなとてもとても優しい瞳だった。
「家族・・・・・・か」
ティナー達をじっと見つめていたレークスがつぶやく。しかし、その声には嫌悪も冷やかしの調子もなかった。
「俺にはそんなものはわからないな」
レークスは力なくかぶりを振ると、ぽつんと言った。
彼がそうつぶやいたことには、誰も気がつくことはなかった。
「あのね、お母さん」
ティナーは嬉しそうにミューズの腕を握りしめた。幸せいっぱいの顔だ。
「なぁに? リバイバル」
ミューズはそれを見てくすりと笑っていた。
満面の笑顔だ。ティナーはずっと待っていた。その顔を。
「お父さんは今、どこにいるの?」
ティナーは人差し指を立てながら、不思議そうに問いかけた。
「このアズリアの街で、魔王と再び戦う準備をしているの。 ラストは、その総大将というわけよ」
にこっと笑うと、ミューズは誇らしげにそう答えた。
アグリー達はそれを聞いてハッとする。
「・・・・・・ラ、ラストって、あの、伝説の大勇者、ラスト=エンターティナー様のことですか!」
「そんな大げさな人ではないわよ」
目を輝かせながら叫ぶアグリーに、ミューズは苦笑まじりの笑みを浮かべた。
興奮冷めやらぬ表情で、アグリーは再び、訊く。
「・・・・・・ってことは、あなたは、あの時音の女神、ミューズ様ですよね!」
「ええ」
アグリーの言葉に、ミューズは、慈愛に満ちた笑みを浮かべ、ゆっくりとうなずいた。
どくどくと、急にアグリーの心臓が騒がしくなり始めた。
伝説の大勇者様だけではなくて、時音の女神様にも会えるなんて・・・・・・!
しかも、それがあのティナーさんのお父さんとお母さんなんて・・・・・・!!
そう思うと、ラストに会うのが楽しみになってきて、アグリーはきょろきょろと辺りを見回した。
とにかく、あの、大勇者、ラスト=エンターティナー様に一目、会ってみたい!
アグリーが高鳴る想いを押さえらずにいると――。
「おい、アグリー!」
「うわあ!」
どこから現れたのか、リアクがものすごい勢いでアグリーに迫ってきた。
「なあ、おまえからも頼んでくれないか!」
「はっ?」
リアクは有無を言わさず、アグリーに色紙を押し付けてきた。突然のことにアグリーは戸惑いを隠せない。
「なっ、何をだよ・・・・・・」
「大勇者様のサインだ!」
恐る恐るアグリーが顔を上げると、腕組みをしたリアクが不適な顔でこちらをのぞきこんでいた。こころなしか、目元がわずかにほころんでいるような気もする。
アグリーはぽかんと口を開いた。
「かっ、勘違いするなよ。 べっ・・・、別にファンとかではないからな!」
力なくビシッと指を突きつけてそう叫ぶと、リアクは、颯爽とアグリー達に背を向けて歩き始めた。
「はあ〜」
残されたアグリーとアクアは、呆れた顔で溜息を漏らした。
「兄さん・・・・・・、ファンなんですね」
アクアが氷点下の視線で突っ込む。
それに応えるように、アグリーは無言で頷いてみせた。
バレバレだった。
彼は彼なりに隠そうとしていたのだろう。だが、誰の目から見ても、明らかにそれはうろたえているしか見えなかった。
レークスが吐き捨てるように言った。
「あいつ、やっぱり、頭がおかしくないか」
肯定する者はいなかった。が、不定する者もいなかったのだった。
「ここで少し待っていて下さい!」
ミューズはアグリー達にそう告げると、ラストの前に進み出た。
レークス達が招かれた場所は、アズリアの街の一画にある大きな屋敷だった。
それは、とにかく大きな屋敷だった。周りにある屋敷とは比べ物にならないほどの大きさだ。
レークス達は、その屋敷の中でも一際広い部屋に案内された。
「ラスト!」
「・・・・・・ミューズか、どうした?」
ラストはミューズを見ると、頷き、報告を促した。
ミューズはちらっと後ろを見ると、ティナーに手招きをする。
「ティナー!」
「はぁ〜い❤」
陽気な返事をして、ティナーは前に進み出た。
ラストはハッと顔色を変えた。
「ティナー!」
「えへへ、お久しぶりだね。 お父さん!」
満面の笑みを浮かべて、ティナーは手を上げた。
ラストは何も言わず、ただただ、彼女を抱きしめた。彼の目には涙はなかった。
だが、やっと胸を撫で下ろしたかのように、安堵の表情を浮かべていた。
アグリー達は、涙腺が緩むのをこらえきれそうもなかった。
「よかったですね・・・・・・」
「ああ・・・・・・」
アクアのつぶやきにそう答えるアグリーの瞳にも、なんだか涙が浮かんでいるようだった。
「おい、ティナー」
とたんにぼそりとそう言ったのは、そっぽを向いたままのレークスだった。
散々、無視されたままだったためか、かなり不満そうだ。
ティナーはあっ、とつぶやく。
「あのね、レー兄、紹介するね! 私のお父さんとお母さんだよ!!」
ティナーは朗やかに、さっとラスト達を指し示した。
「レーナティ・・・・・・」
ミューズはハッと顔色を変えた。そっと、口元を押さえる。
遅れて、ラストが顔をしかめた。
二人とも喜びのあまり、言葉が出なかった。
ティナーと再会できたことだけでも嬉しいというのに、死んだと思っていた息子のレーナティが生きていたのだ。
言葉なんて見つかるわけがなかった。こんなとき、一体、どんな言葉が見つかるというのだろう?
「レーナティ・・・・・・、あなた、生きて――」
ミューズはそこで言葉を詰まらせる。
代わりに小さく微笑んで、彼の頭を優しく撫でた。
――今、自分の目にしているのが、夢ではないのか確かめるかのように――。
――どんなに運命に翻弄されようと、確かに彼は生きていたのだということを、感じ取るかのように――。
「あなたが生きていてくれてよかった・・・・・・」
ミューズは顔を伏せると、目を閉じて再び微笑んだ。
そして、レークスを優しく抱きしめる。
しばらくバツが悪そうにそれを見つめていたレークスだったが、意を決したかのように告げた。
「・・・・・・勘違いするな。 俺は地の魔王、レークス=エンタシス様だ!」
レークスはフンと鼻で笑った。
「ああっ!」とティナーがうめいたような気がしたが、空耳だろう。
「地の魔王・・・・・・?」
「そういうことだ」
ミューズとレークスが、しばし視線を合わせる。
ラストとミューズは顔を見合わせ、小首を傾げた。ラストが頷いた。ミューズはラストに微笑みかけ、それからレークスの手をとった。
「・・・・・・そうなのね」
「ああ」
満足げにそう答えたレークスの顔を、ミューズは熱い視線で見つめた。
「レーナティ、記憶喪失なのね?」
ミューズの真面目な問い返しに、レークスだけではなくアグリー達もひっくり返ってしまった。
「どうしてそうなるんだ!」
「違うの?」
「当たり前だ!」
不機嫌そうにレークスはじろりと睨んでみせたが、彼らは全く気づかずに考え込んでいる。
「じゃあ、まさか――、本当に地の魔王なの・・・・・・。 それって――」
何かを言いかけて、ミューズは口をつぐんだ。
レークスには、ミューズが何を言おうとして、何をためらったのか、よくわからなかった。
しかし、ミューズが沈黙したのはほんの一瞬だけで、彼女はすぐに顔を上げて言葉を続けた。
「いえ・・・・・・」
と、すぐにミューズはつぶやいた。
レークスは不満げに腕を組んで、鼻を鳴らした。
「なんだ?」
「・・・・・・では、レーナティは地の魔王になってしまったというの?」
祈るような困惑したかのような瞳で、ミューズは言った。こころなしか、瞳が潤んでいる。
ラストとミューズの夫婦は困ったような笑顔を浮かべ、お互いの顔を見合わせた。
「きっ、貴様らっ!」
レークスは不機嫌にそう怒鳴った。目を剥いて、拳は小刻みに震えていた。
やっぱり、ティナーさんの親族だな・・・・・・。
その光景を見守っていたアグリーは、しみじみとそう思った。
「貴様ら、いい加減に――」
と、レークスがそう叫びかけた時だった。
「たっ、大変です!」
一人の騎士らしき男が、慌しく部屋に駆け込んできた。
ラストはいぶかしげに眉を寄せる。
「何事だ?」
「そっ、それが、みっ、見たこともない魔物の群れが突如として現れました!」
「なにっ!?」
ラストは、声を上げて立ち上がった。すぐに窓の方を見つめる。
「なんだ、あれは!?」
ラストは驚愕の叫びを上げた。
その目には信じられないスピードで襲ってくる魔物の姿が映った。疾風のように駆けてくる。いや、駆けるというより飛んでくるといった方がいい。それくらい速い。
「狙いはこの街か」
ラストは唸り、大剣を構えた。
すぐにでも外に飛び出ようとしたラストとミューズを、レークスの腕がさえぎった。
「なっ?」
「下がっていろ・・・・・・!」
口元に愉快そうな笑みを浮かべて、レークスは魔物の群れを見下ろした。
「ティナー! 窓を開けろ!」
「はぁ―ーい❤」
言われるがままに、ティナーは部屋の窓を開ける。
レークスは片足を窓に乗せると、魔物の群れに指を突きつけた。
「こんな雑魚、俺の敵ではない!」
レークスは意気揚々に拳を突き上げた。自信満々に断言する。
「レークスさん、無茶だ!」
アグリーは慌てて、レークスを止めに入った。
いくら、レークスさんが地の魔王だといっても、あの数百にも及ぶ魔物の群れと一人で戦うのは無茶にもほどがある。それに、みんなで一緒に戦った方が、勝てる確率は高いだろう。
それに、とアグリーは思う。
もし、あの魔物の群れがこの街を通り過ぎてしまったりしたら、次はラミリア王国が狙われることになる。
そうなれば、本当にそれこそ、かなり深刻な被害をもたらすことになってしまうだろう。そうなってしまってからでは、もう、何もかもが遅すぎるのだ。
だが、アグリーの言葉など、聞く耳持たないといった表情で、レークスは魔物の群れを睨んでいる。
未だに脅威のスピードで迫ってくる魔物の群れの前に、アグリーは緊張した面持ちでレークスを見つめていた。
背中に、少し離れたところで見守るリアク達の視線を感じた。
「レークスさん!?」
我慢できなくなってアグリーが口を開きかけた時、レークスは拳に魔力を込めて、一気にそれを解き放った。
「貴様ら! 地の魔王、レークス様の偉大な力をその目にとくと焼き付けておくのだ!」
不適に笑って、レークスは眼下の街に向かって大音響を上げた。
「くらえっ!」
レークスは念を送るように拳を突き上げる。
ひとつの炎から、ふたつに分裂した炎の魔法はからみ合い、闇に覆われたアズリアの街の地表を駆け抜け、そそり立つ魔物の群れに向かっていった。
青白い閃光が周囲の魔物を呑み込みながらとぐろを巻くように突き進み、そして、中央のいた魔物の群れに激突した。
その瞬間、閃光が弾け、街は真っ白に染まった。
理解を超える破壊と爆発のせいで視覚も聴覚も全く役に立たなくなった。ただ、もの凄いパワーが結界の中で破壊の限りを尽くしているというのが、わかるだけだ。
それが消えると、静寂が街を支配した。
「すっ、すごい!」
アグリーは思わず呆気に取られた。リアクとアクアも呆然と立ち尽くしている。
辺りは痛いほどの静寂に包まれていた。
ラストとミューズは静かに、魔物の群れがいた場所を眺めていた。魔物の群れを消し去ってしまった跡には、まるで何事もなかったように乾いた砂地も石畳みの街道も、平然とそこに存在している。
「ふん、あっけなかったな」
レークスは手のひらを払って、パンパンと大きな音を立てた。
「すごいね、レー兄!」
ティナーは感心した声を上げながら、街をそっと見上げて、内心、ホッと胸を撫で下ろしていた。
無数とも思えた魔物の群れは、すでにどこにも存在していなかった。
レークスはにやりと笑った。
「当然の結果だ!」
「そうだね!」
笑いながらティナーが応じる。
わああああっ!
そのとき、遠くから突然、大歓声が沸き起こった。
「何事だ?」
「レー兄、あれ、見て!」
ティナーは、窓から屋敷の外を指差した。
街の入り口付近から一斉に、人々が喜びの表情で飛び出してきている。口々にレークスの名を呼びながら、人々はこちらに集まってきていた。
すでに安全なところへ移動していたはずの彼らは、至るところから姿を現す。壁の陰から、植え込みの中から、とにかくものすごい数である。
「こいつら、一体、どこに隠れていたんだ!?」
「・・・・・・どうやら、こっそり見ていたみたいですね」
驚くリアクに、アクアが髪をかき上げながら言った。
「それだけ気になっていたんでしょうね。 この街のこと・・・・・・」
「・・・・・・ふん」
レークスはそっぽを向いて、鼻先をかいた。その耳がほんのり赤いのを、ティナーは見逃さなかった。
「えへへ〜❤」
人々に囲まれ苦々しい顔をするレークスを想像し、ティナーはくすくすと笑った。
ミューズはしばらく、ぽかんとしていたが、やがて口元をゆるめた。顔がどんどん輝いてゆく。
「レーナティ!」
「だから、俺は――!?」
突然、レークスの前にミューズは進み出て、片膝を曲げてレークスに頭を垂れた。
これには、レークスだけではなく、ティナーも、そして、アグリー達も唖然、呆然を通り越してまさに愕然としていた。
ラストだけがひとり、静かにそれを見守っていた。
戸惑いを隠せないでいるレークスに、ミューズはにっこりと微笑んだ。
「わたくし、時音の女神、ミューズ=エンターティナーは、地の魔王、レークス=エンタシス様に力を尽くすことを誓います」
と、ミューズは力強く宣言した。
ミューズはすっとレークスの目を覗きこんだ。たちまちレークスは落ち着かなくなる。
だが、この近距離では、視線を逸らそうとしてもうまく逸らせない。
しばらく黙って見守っていたラストだったが、ミューズの隣に並ぶと、同じように片膝を曲げてレークスに頭を垂れた。
レークスはぽかんと口を開けた。
どこかで見たことがある顔だな、とティナーは思った。だけど、すぐにそれがどこだったのか彼女には分かった。
初めてレー兄と出会った時も、あんな顔をしてたよね・・・・・・❤
思い出したように、ティナーは楽しげな笑顔をしてみせる。
「わたくし、時音のミリテリアであるラスト=エンターティナーは、地の魔王、レークス=エンタシス様のお力ぞえとなることを誓います」
と、ラストはきっぱりと言った。
お互いの顔を見合わせると、ラストとミューズは頷きあった。
ミューズは胸に手を当てて、誇らしげに胸を張った。
「その見返りとして――」
ミューズはまじまじとレークスを見つめた。不意をつかれたように、レークスは息を呑む。
あくまで真剣にラストが続けた。
「・・・・・・我が主として運命を共にすることを許されよ!」
「なっ!?」
リアクはぎょっとする。アクアもハッとして口元を押さえた。
「そ、それって・・・・・・」
驚きの声でアグリーはつぶやいた。
「ラスト様達がレークスさんの仲間になるってこと・・・だろうか」
いや、もしかしたら、もっと、深い意味があるのかもしれない・・・・・・!?
「何故だ――――!!!!!」
リアクが絶叫した。眼下の街まで響く大音響である。
落ち着きのないリアクを見て、アクアは慌てて止めに入った。
「兄さん、落ち着いて」
「これが、落ち着いてなんかいられるか! 何故、あのくそ生意気なレークスのガキが、大勇者様に認められるんだ!!」
「リアク、そんなこと言ったら、レークスさんが・・・・・・」
アグリーはきょとんとした。てっきり怒るとばかり思っていたレークスが、不適な笑みを浮かべて空を見上げていた。
「・・・く・・・くくく! 本当におめでたい奴らだな。 やはり、ティナーの親だけはあるな!」
レークスがにやっと、愉快そうに――本当に面白そうに笑った。
「いいだろう。 貴様らを俺の配下として認めてやる! ありがたく思うんだな!」
どこか、レーナティの微笑によく似た、無邪気な表情だった。
あっ・・・!
ティナーは心の中でつぶやいた。
「地の魔王である俺を信じるなどと・・・アホなことを抜かしやがったのは、貴様ら親子だけだな」
「えへへ〜❤ そうかもね!」
ティナーも頬を桜色に染め、とびっきりの笑顔をみせた。
何もかもが最高だった。子供の頃からの夢を叶えた感激は言葉にできなかった。
言葉にできない代わりに、私は笑うことでこの感動をみんなに伝えたかった。
私は満面の笑顔で笑った。力いっぱい。これからも笑い続ける。
頑張れ。希望を捨てないで。未来があるから、夢はきっと叶うから。
私の思い、笑顔に乗せて届け。レー兄に。
そして、みんなの心に――。
お知らせです。
13章から4巻のお話に入るのですが、まだ4巻は残っている状態なので12章が終わったら先に番外編のお話をしようと思います。