第10章 星の構想曲
夢と現実が反語なら、私は夢の世界の夢の存在。
つまり、私はこの世界には実在しない。『あなた』にとって、私は夢。
けれど、実在する『あなた』は実在しない夢の存在を知っているし、存在しない私の言葉は、こうして実在する『あなた』に届く。けれど『あなた』の言葉が私に届くことはない。
あなたは本当に、そこに存在しているの?
夢が覚めれば霧散して、思い出を残さないのが、現実ならざる夢の定め。けれど『あなた』が夢を見なくても、『あなた』が忘れてしまっても私はここに存在しているの。
『あなた』は現実の中でいつまで私のことを覚えていられますか?
ねえ、私が現実で、『あなた』が私の夢であったら、どうかな? 『あなた』は夢の中で、私のことを覚えていてくれますか?
でも『あなた』は実在し、私は夢の住人。私のことなど、時が来たら、いずれ忘れてしまう。
だから『あなた』が少しでも覚えていられるように、私の名前を伝えます。
私の名前は・・・・・・。
・・・・・・ううん、今はやっぱり言えない。
いつか、私の現実がかない『あなた』が私の夢となったら、『あなた』は私の夢を訪れ、また、私のことを愛してくれますか?
「う―ん、おはよう〜」
僕は寝ぼけた声で挨拶をしながら、宿屋の階段を下りてゆく。
「おはようございます。 ダイタさん」
「うん、おはよう。 マジョン」
大きなあくびをしながら、僕は宿屋の一階にある椅子に座った。
あれから、マドロスさんは、どっと疲れていたらしく、宿屋に着いた途端、ベットに眠り込んでしまった。
ふららさんは心配そうな顔つきで、眠り続けている彼の顔を見つめている。
どうして、マドロスさんはすぐに、ふららさんに会いにいってあげなかったのだろう。
僕の心に、疑問が突き刺さった。
あの時、マドロスさん達は大海原の深海にあるとされている『海の真珠』を手にいれるため、旅立つことになった。でも、「すぐ帰ってくる」・・そう言ったのにも関わらず、彼らが戻ってくることはなかった。そう彼らが旅立ってから、もう既に三年もの月日が流れていた。
どうしてなんだろうか?
どうして、そんなにも長い間、戻ってこられなかったのだろうか。
それに――。
僕は昨日のことを――、初めてマドロスさんと出会った場面を、頭の片隅に思い浮かべていた。
突然、森の上空に現れた翼竜。何故か、森の広場の――星のミリテリアがいると思われた場所にいたマドロスさん。
そして、彼を見つけた途端、まるで煙のように消えてしまったワイバーン。
いや、それ自体は別に不思議ではない。もともとあの翼竜はミリテリアによって呼び出されてきたのだ。ミリテリアが帰還を命じれば、きっと、この世界から即座に消えてしまうに違いない。
だとすれば――。
僕は天井を仰ぐようにして見上げた。
――だとすれば、マドロスさんが『星のミリテリア』ってことになる。
まだ、はっきりとはわからないけれど・・・・・・。
僕は掛け値なしに真剣な顔で、考えた。
でも、もしそうなら、何のために、あんなことをしたんだろうか。いや、もしかしたらそうではないのかもしれない。
考えられることがひとつだけあった。
「暴発・・・・・・かな」
深刻な表情で僕はつぶやいた。
恐らくワイバーンの召喚は、星のミリテリアの者でしか使う事ができない、大魔法なのだろう。だけどなまじ巨大すぎるワイバーンの力を制御することは、いくらミリテリアとして選ばれた者でも困難なんだろう。
ま、まあ・・・・・・、僕も、また、あの大魔法『レバエレーションズ』をちゃんと使えるかはちょっと、いや、かなり自信がないんだけれどね・・・・・・(汗)
そして、暴発によって呼び出されたワイバーンは、ミリテリアの制御を受けつけない。その衝動の赴くままに暴走する、じつに危険な状態になってしまうんだろう。
「きっと、マドロスさんはその力をコントロールできていないんだろうな」
「えっ? 何がですか?」
マジョンの言葉で、僕は回想から現実へと意識を戻した。
僕は戸惑いながら、慌てて首を振った。
「あっ、いや・・・・・・、き、昨日のことを思い出していただけだよ」
僕は恥ずかしそうに寝癖のついた髪の毛を寝かせながら答えた。
「昨日は大変でしたね」
「うん、そうだね」
僕はあははと力なく笑って付け加えた。
「え―と、ふららさんは?」
「まだ、二階でマドロスさんを看ていると思います」
テーブルに皿を運びながら、悲しげな顔でマジョンは答えた。
「そ、そうなんだ」
僕はやるせない顔でうつむく。
そして、マジョンが運んできてくれた焼きたてのパンをちぎって口に入れた。
「とにかく、僕達もマドロスさんのところに行ってみようか」
重苦しい雰囲気を振り払うかのように、僕はそう提案した。
「まだ、目覚めてはいないのかもしれないけれど、ここでじっとしているよりはずっと、マシだと思うんだ」
「そうですね」
あくまで真剣にマジョンはうなずいた。
僕とマジョンは顔を見合わせ、お互い、こくんと頷いてみせる。
「じゃあ、行こうよ!」
僕はベーコンを加えたまま、勢いよく立ち上がった。
それを見たマジョンが溜息をつき、困ったように首を振る。
「それは、朝食を食べ終えてからの方がいいと思うのですが・・・・・・」
「あっ・・・・・・!」
マジョンの指摘に、僕は顔を真っ赤にして椅子に座り直すのだった。
食事が終わってから、僕達は二階のマドロスさんがいる部屋に向かった。
ドアの前には、明らかに機嫌の悪そうな顔をしているフレイが行く手を阻むかのごとく、立ち尽くしていた。
「あれ、フレイ? どうしたの?」
僕は怪訝そうに首を傾げた。
しかし、フレイの表情はあくまで硬い。しかも、ひたすら挑戦的にマドロスさんの部屋を睨みつけている。
まだ、機嫌が悪いみたい・・・・・・だ。
僕は引きつった笑みで、ははは、とつぶやいた。
「マドロスさん、もう目覚めたのかな?」
ドアの前で僕は不安そうにつぶやいた。
「・・・・・・さあな」
「う・・・うん」
あくまでフレイの返事は素っ気ない。僕はガクッと肩を落とした。
ドアの前でしばらく考え込んでいた僕は、意を決してかのようにドアをノックした。
「あっ、はい」
なかから返事が聞こえる。
ドアを開けて中に入った僕達はおずおずとお伺いを立てた。
「あっ、えっと・・・・・・、マドロスさんの様子はどうかな、と思って・・・・・・」
「まだ、目覚めないみたいです」
悲しげにそうつぶやき、ふららさんは僕に視線を向けた。辛そうにぎゅっと唇を噛みしめながら。
僕はそれを見て、たちまち何も言えなくなってしまう。ぐっと喉を詰まらせ、両拳を握りしめる。
気まずい沈黙だけが部屋の中をじんわりと覆っていく。
その時、男の人の声がした。
「う・・・うん・・・・・・」
ふららさんは驚いて振り返った。いつのまにか、マドロスさんの瞳が開いていた。
透きとおったグリーンの瞳がゆっくりとふららさんの姿をとらえる。
「ふらら・・・・・・?」
ふららさんは口を押さえた。あふれるばかりの涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「マドロスさん!!」
ふららさんは頬を桜色に染め、輝くような笑顔を見せた。マドロスさんもそれに応えるかのように、うっすらと微笑み返した。
ドアの前でその光景を見守りながら、僕は二人にとびっきりの笑顔を向けていた。
やがてもうすぐ日が沈むという頃、「ねえ、マドロスさん」とふららさんが静かに呼びかけた。ふららさんの口調には前よりもずっと親しみが込められていた。その口調には、三年という時間の壁を完全に超えてしまったことが、はっきりと示されていた。
ふららさんが言った。
「どうして、あの場所にいたんですか?」
「そ、それは・・・・・・」
痛いところを突かれて、マドロスさんはぐっと言葉を詰まらせた。
そこにすかさず、誰かががしっと、マドロスさんの胸ぐらをつかんだ。
それは、怒りで顔を赤く染めたフレイだった。
息がかかるほど顔を近づけると、フレイはマドロスさんに対してわめき散らす。
「さては、あの惨状は、貴様の仕業だな! そうだろう!!」
フレイはマドロスさんの胸ぐらを乱暴に揺さぶり、糾弾した。マドロスさんはただ呆然とされるがままになっていた。
「いいか! ふららさんはずっと真紅の森で待っていたんだぞ! それなのに貴様は・・・・・・」
「やめて下さい!」
揺さぶり続けるフレイを、ふららさんが制した。
それでもまだ不満げに、フレイは唇を尖がらせる。
「だけど――よ!」
「・・・・・・お願いです」
語気を上げてそう言ったフレイに、ふららさんは悲しみに満ちた表情でつぶやいた。
フレイはふららさんを見つめる。
ふららさんは真っ直ぐ、ひるまない視線でフレイを見つめていた。どこか、全てを見透かしてしまうような優しくて、そして強い瞳だった。
フレイはぎりっと唇を噛み締めると、たちまち何も言えなくなってしまう。
ふららさんはマドロスさんの方を振り向くと、しゃきっと背筋を伸ばした。
「マドロスさん、答えてくれませんか?」
「ふらら・・・・・・」
ふららさんは両手を前に組んで、にこっと微笑んだ。
「私、ずっと、想っていたんです。 考えていたんです。 マドロスさんのことを」
マドロスさんは何も言わず、ふららさんを見つめていた。
「でも」とふららさんは続けた。瞳がどこか、力なく沈んだ。
「私はマドロスさんのこと、何も分かっていなかったんですね・・・・・・。 私は、あの時、マドロスさんを止めることも、守ることもできませんでした。 もし私にもう少し力があったなら、勇気があったのなら、あの時、無理にでもついていけばよかったのに」
悲痛な叫びだった。
僕はぐっと胸を詰まらせる。
「そんなことないさ」
と、マドロスさんは微笑みを浮かべながら、小さく首を横に振った。マドロスさんの微笑みはどことなく寂しげだった。
「すべては、君に真実を話せなかった僕の責任だ。 君は悪くない」
マドロスさんは困った顔を浮かべ、ちらりと視線を外した。
マドロスさんの声のトーンにはどことなく重苦しい陰鬱なものが漂っていた。その微妙なニュアンスに僕は小首を傾げた。
ちなみに、この時、フレイが「当たり前だ!」と吐き捨てたが、その辺は置いておく。
「話そうか」
遠い目をしながら、マドロスさんは言った。
「えっ?」
「あの時のこと・・・・・・」
ふららさんは言葉に詰まり、言葉を探した。
幸い、それはすぐに見つかったらしい。
ひとつうなずいて、ふららさんは言った。
「はい・・・・・・」
瞳を潤ませながら、ふららさんは柔らかな笑みを浮かべた。
重い沈黙を破るかのように、マドロスさんはそれを語り始めた。
あの時―、マドロスさん達が大海原の深海に赴いたのは、『海の真珠』を手にいれるためだった。『海の真珠』は、昔から幸せの呼ぶ幸運の宝石として人々から親しまれていた。
この宝石を手に入れた者は、どんな願い事でも叶うという伝説があったんだ。
話がそこに指しあたったところで、僕は一瞬、ぽかんと口を開けてしまった。
何だか、それって『星のかけら』のようなものみたいだったからだ。
まあ、星のかけらは、6つ、そろえないと願いは叶わなかったりするんだけど・・・・・・。
確かに、彼らはその航海は危険が及ぶものだと理解していた。だからこそ、ふららさんの同行の申し入れを断ったのだろう。
それに、と大海原の深海へ向かう船の中でマドロスさんは自分に言い聞かせていた。これまでだって、同じように自分達では不可能だといわれる仕事に挑んで、そして自分達は生き延びてきたじゃないか。その経験が、今の自分をつくったのだ。今回だって大丈夫だと――。
しかし、大丈夫ではなかったんだ。大海原の深海付近に到着するなり、『海の真珠』を求めて乗り出そうとしたマドロスさん達だったが、すぐに自分達の失敗を思い知らされることになる。
モンスターや魔物がいるかもしれないということは、到底、彼らの頭の中にも入っていた。だが、そこにいたのは彼らの想像以上の数の魔物だったのだ。それに周りは海に囲まれており、しかも船の周り三六〇度を、今まで見たこともない謎の魔物達が取り囲んでいた。移動するにもうまくバランスが取ることができず、思いのほかスタミナを消耗してしまう。
数的にも劣り、地の利も持たないマドロスさん達には、初めから全く、勝機はなかったのだ。
もし、この場に僕がいたとしたら、ここですでに諦めていると思う・・・・・・(冷汗)
でも、それでも、マドロスさん達は魔物を踏み潰し、なぎ払い、数時間に渡って奮戦した。疲労で腕が鉛のように重くなり、剣を振るうことができなくなると、剣を投げ捨て拳で魔物どもを叩き潰した。マドロスさん達は奮闘し、五十匹以上もの魔物の息の根を止めることに成功した。
うむむ。すごいことだと思う。
――でも、そこまでが彼らの限界だったんだ。
ひとりやられ、ふたりやられ、後退につぐ後退の末に、背後には海しかないという場所にまで追い詰められた時、さすがにこれはもうだめだな、とマドロスさんは天を仰いだ。前方にひしめく魔物達の多くは、いまだ無傷で元気なからだをさらしている。それに対して、自分はどうだろう? マドロスさんにはもう剣はなく、わずかに姿勢を変えるだけでも億劫なほどに、疲れ果ててしまっていた。全身に浴びた傷だってそう浅いものばかりではない。大地に流れ落ちる赤い血が、もうだめです! と大声でマドロスさんに知らせている。
戦うための体力も気力も、とっくの昔にすっからかんになっていた。
しかも、仲間の船員達も皆、すでに魔物達にやられていた。今、この場に立っている人間は、自分だけなのだ。
マドロスさんは覚悟を決めて考え込んた。さてどうしよう。このまま魔物達に玉砕覚悟で突っ込むか。背後の海へと飛び込むか。どちらにせよ、生き延びる可能性はゼロよりもずっと低いだろうけど。
「くっ・・・・・・!」
決断すべき時がきた。とマドロスさんは思った。
その時、マドロスさんの脳裏にふららさんの笑顔が過ぎった。
『ねえ、マドロスさん。 想いには目に見えない力があるんですよ』
そうだね、ふらら。そのとおりだよ。
想いには力がある。
願えばそれはきっとかなう。
君と僕は例え、離れていても、遠くにいたとしても、ずっと、ずっと、想い続けていれば、きっと会える。
だから、とマドロスさんは思う。僕の声は例え届かなくても、想いは届いているのかもしれない。再び、彼女と導き合わせてくれるに違いない。
「神様」
とマドロスさんは呼びかけた。
誰でもいい。夢月の女神様でも、星の女神様でも、時音の女神様でも、魔王でもいい。天の魔王でも、地の魔王でも誰でも構わない。お願いだ。僕をまた、ふららに会わせてくれ。約束したんだ。必ず、帰ってくるって。だから、頼む。
誰でもいい。
誰か、僕の声に応えてくれ!!
もちろん、誰もマドロスさんの声に応えてはくれなかった。
でも――。
突然、「それ」は、マドロスさんにもたらされたんだ。
初め、マドロスさんは、「それ」がやってきたことにまるで気がつかなかった。先に気づいたのは魔物の方だった。最初に、「ぐがぁぁ、ぐがぁぁ」と不気味な声でうめいて、魔物の一匹が後ずさりをした。その魔物の声に不審げに視線を動かした別の魔物が、すぐに恐怖に顔をゆがめた。
マドロスさんは魔物が何に恐怖したのか理解できず、魔物の視線を追った。
魔物はマドロスさんがいる丁度、上空を凝視していた。マドロスさんは空を見上げた。
そして、マドロスさんも「それ」を見ることになる。
マドロスさんの上空でワイバーンが旋回していたんだ。
呆然とするマドロスさんの頭の中に、美しい少女の声が聴こえてきた。それはマドロスさんにとって、聞き覚えのある愛しい人の声だった。
(あなたに、ミリテリアの力を。 星のご加護を)
ふららさんの声だった。
「その力のおかげで僕は助かったんだ」
語り終えたマドロスさんはベットにもたれかかって一息ついた。
僕はもちろん、マジョンも、フレイも、そして、後からこの部屋にやってきたファミリアさんも、信じられないといった顔でその話にじっと耳を傾けていた。皆、ずっと床を見つめ続けている。
なんとなく体全体が寒いのは、窓が開いているせいだけではないだろう。
「ふっ、ふざけたこと、言いやがって!」
噛み付くような勢いでフレイが吐き捨てた。だが、フレイも明らかに動揺の色を隠せないでいる。
その後ろで、ふららさんは小さくがたがたと体を震わせていた。
「そんな、そんなことって・・・・・・」
ふららさんは、まるで打ちのめされたかのようにつぶやく。
僕は一瞬、マドロスさんと再会した時のふららさんのことを思い出し、胸を痛めた。
これは何かの間違いだ。そう思ってしまいたくなるほど、ふららさんにとって、それは非情な事実だった。
自分が『星の女神』の生まれ変わりだと知らされたのだ。とても平常心でいられるわけがない。
もし僕が同じ立場なら、絶対に反感しか持てないと思う。うんうん。
「気がついた時には、ラミリア王国のあの森にある広場で何故か倒れていた。 そしてその時には、すでに三年もの月日が流れていたんだ」
「三年・・・・・・?」
僕の言葉に、マドロスさんはうつむいたまま、こくんと小さくうなずいた。
顔をしかめてマドロスさんは続ける。
「あの後、あのワイバーンが再び、上空に現れたんだ。 それからは、君達が知っているとおりだよ」
こんなことになるなんて、という前に聞いたマドロスさんのつぶやきが、この時になって初めて僕は理解できた。
やっぱり、ワイバーンをコントロールできていなかったんだ。なにしろ、自分自身で呼び出そうとしたわけではなかったのだから。
だから、あの時、マドロスさんは独り言のようにそうつぶやいたんだ――。
実際、僕が、ミリテリアのみが使える『大魔法』のことを教えると、マドロスさんはすごく驚いた顔をしていた。予想外の攻撃を受けた戦士によく似たうろたえ方だった。
「そう、だったんだ」
納得したかのような声で、マドロスさんはうなずいた。それから、何やら考え込むかのように口元を押さえた。
マジョンは深々と溜息をつくと、窓越しから空を見上げた。
「想い・・・・・・なんですね」
マジョン? と僕は口に出さずにつぶやいた。どうかしたんだろうか? マジョンの言葉は、まるで自分に言い聞かせているみたいに聞こえた。どこか、そういった微妙なニュアンスがあるように感じられた。
まあ、僕には、は、はっきりとはわからなかったんだけど・・・・・・(汗)
「ふらら」
マドロスさんはふららさんを自分に向き直らせて、押し殺したような声で言った。
「決して君を悲しませるつもりはなかったんだ。 もし、このことを知ってしまえば、君は悲しんでしまう。 君を苦しませてしまう。 その事は分かっていたんだ。 ――だけど、それでも僕は、君にこのことを知っていてほしかったんだ。 君の力で僕は助かった。 そのことを――。 僕を恨んでくれてもいい! だけど、これだけは分かってほしい!!」
ふららさんはマドロスさんの話を真剣な眼差しで聞いていた。
マドロスさんは最後にこう言って、自分の話を締めくくった。
「僕は君を守りたい。 ミリテリアとしてではなくて・・・・・・。 今更かもしれない。 呆れてしまうかもしれない。 だけど――」
マドロスさんは、にこりと柔和な笑みを浮かべてみせた。それから優しくふららさんを抱きしめる。
肺に息を吸い込んだ。ためらいも恐れも感じてしまう前に、マドロスさんは声と一緒にそれを吐き出した。
「ふらら、君が好きなんだ! 君を愛しているんだ!! ・・・・・・本当に今更だよな。 でも――」
「そ、そんなことないです!」
ふららさんは首を大きく振った。それから、急に立ち上がり、両手を伸ばして、その手でマドロスさんの顔を優しく挟み込んだ。
「ふらら?」
手のひらを通して、朝の光のようなぬくもりが頬に伝わってくる。どぎまぎして、マドロスさんは舌が上手くまわらない。
ふららさんは、決してその事に迷惑な顔をしたりはしなかった。
彼女はにこっと自然な様子で微笑んで、マドロスさんに言った。
「私もマドロスさんのことが好きです」
ふららさんはつやつやした頬を染めて、はにかむように笑った。両手を前に組んでいる。
「あっ、うん」
頭をかきながら、マドロスさんはあらぬ方向を向いた。耳先まで火照らせたままで。
「これからもずっとそばにいてくださいね、マドロスさん」
「ああ、約束するよ」
マドロスさんの力強い返事に、ふららさんは小さなその手を口に当て、輝くような笑みをこぼしていた。
僕はほっと安堵した。やはり、ふららさんには笑顔がよく似合うと思った。
彼女の天使のような笑顔に、ぼくは胸をどきまぎさせながら指をからませていた。
というか、本当はふららさんは天使ではなくて、本物の星の女神様だったりするんだけどね。
あの後の夜のこと。
宿屋のテラスで物思いにふけるふららさんの姿があった。そよそよと心地よい夜風がテラスの側を吹き抜けてゆく。
そこに、僕はひょっこりと姿を現した。先程、鍛冶屋で鍛え直してもらった剣を、重そうに抱え直す。
「ふららさん、どうかしたの?」
「昔のことを思い出していたんです。 マドロスさんと初めて出会った時も、こんな月の日でしたから・・・・・・」
ふららさんは優しげな目で、夜空を見上げるとつぶやく。黄金色のような鈍い金色に染まった月が、薄い雲にかすんでいた。
「そ、そうなんだ・・・・・・」
僕はグッと唇を噛みしめる。
寂しそうに剣をぎゅっと握りしめると、僕はぽろぽろと涙をこぼし始めてしまった。
だけども、僕は涙を拭うことはせず、ただ流れるに任せていた。
「ダイタさん、どうかされたんですか?」
突然泣き出してしまった僕に、ふららさんは戸惑いの表情をみせた。
慌てて、僕は涙を拭く。
「いや、たいしたことじゃ・・・ないから・・・・・・」
「ダイタさん・・・・・・」
無理に笑みを浮かべた僕を見て、ふららさんの表情が曇った。
「そう・・・ですか・・・・・・」
ふららさんはひとつうなずくと、僕の隣に立った。そしてそのまま黙って、僕の顔を見つめていた。
僕も特に言うべきことが見つからなかったので、そのままずっと黙っていた。
「何か、悩みでもあるんですか?」
だいぶ間があってから、ふららさんが言った。
「ど、どうして、そう思うの?」
「そんなの、わかります」
突如、慌てふためいた僕を見て、ふららさんはくすりと笑みをこぼした。
「普通、こんな時間に、ひとりでぼっ―としている人はいません。 ――それに、仲間ですから・・・・・・」
「そ、そうだね」
少し照れくさそうに頭をかきながら、僕は言った。
ときどき、ふららさんの声が、僕の心に神の言葉のように響くときがある。
まあ、本当に女神様だったりするんだけど・・・ね・・・・・・。
この晩もそうだった。『思います』『信じています』。それらの台詞にはなんの根拠もなく、何かの保証には決してなりえないことを知りながら、ふららさんが口にすると、まるでそれはすでに約束された未来の出来事のように感じられた。
意を決したかのように、僕はふららさんを見つめた。胸の動揺を抑えるために、大きく深呼吸をする。
「あの、ふららさん・・・・・・」
「はい・・・・・・?」
「その、え―と・・・・・・」
などと、下準備をしていたのにも関わらず、やっぱり、僕は口ごもってしまった。
何故なら、先程涙を流してしまった理由は、まさにそこにあったからだったりする。
「ダイタさん・・・・・・」
ふららさんは噛みしめるかのようにつぶやき、うつむき、しかしすぐに顔を上げた。
そして太陽いっぱいに浴びたひまわりのような笑顔を僕に向けた。
「あの・・・話してくださいませんか?」
心の底では、まだ聞くことを恐れている僕がいたのかもしれない。でも自分でも驚くほど素直に、僕は促されるままふららさんに悩みを打ち明けていた。
「ふららさんはやっぱりここに残るんだよね・・・・・・」
「えっ?」
ふららさんは、不思議そうな目で僕を見つめていた。
ゆっくりと慎重に一語一語、確かめながら、僕は言葉を続けた。
「その、マドロスさんが見つかったし、ふららさんの旅をする理由もなくなってしまったわけだし・・・・・・その――」
「そんなことないです」
僕の言葉をさえぎって、ふららさんは凛とした声で言った。そしてにこっと僕に笑みを向ける。
「えっ?」
僕は呆然としたまま、そうつぶやいた。
何を言われたのかわからなかった。
そんな感じだったからだ。
「これからも一緒にいます。 ダイタさん達と」
驚いて、僕は隣に立つふららさんを見た。
一瞬、自分の息が止まっているのではないのかと僕は錯覚した。だけど息は止まらない。
っていうか、止まってしまったら、めちゃくちゃ大変なことなんだけど・・・・・・(冷汗)
「でも・・・・・・」
僕はその言葉を口にするべきか迷った。しかし、こらえきれなくなって、僕は訊いた。
「でも、せっかくマドロスさんと出会えたのに」
「えっ?」
「このまま、僕達と一緒に来たら、また別れ離れになってしまうんじゃ――」
そうなのだ。
マドロスさんは、今回の出来事に責任を感じて、あの森――『リモネの森』をまた再び、緑溢れるばかりの森にしようと、この街に残ることにしたのだ。
「そうじゃないですよ」
笑顔のまま、ふららさんは言った。
そして、遠い目をして「だって」と続けた。
「今回のは悲しい別れではないのですから。 マドロスさんは今回のことが終わったら、真紅の森で私のことを待っていてくれる、って言ってくれました。 それにあの時――」
ふららさんはまた、にっこりと笑った。
「『君と僕は例え、離れていても、遠くにいたとしても、ずっと、ずっと、想い続けていれば、きっと会える』って、マドロスさんは言ってました。 私もそう思うんです。 信じていれば、絶対に会えるって」
「ふららさん・・・・・・」
僕の顔には穏やかな笑みが戻っていた。
そうか、そうだよね。
『想いの強さはカタチになります。 きっと・・・・・・』
マジョンもそう言っていたっけ。
僕はあの時のマジョンの顔を思い出す。
ふららさんがマドロスさんと出会えたように、僕もまた、リーティングさんと出会えるの時が来るのかもしれない。
そう思った後、僕は首を大きく振った。
・・・・・・ううん、きっと、必ず会えるよ!
満足げにひとつうなずいて、僕は言った。
「これからもよろしくね。 ふららさん」
僕は笑顔で手を差し出す。
ふららさんも柔らかな笑みを浮かべて、手を差し出した。
「はい!」
僕達はお互いの顔を見合わせて、しっかりと手を握りあった。
「おい、ダイタ・・・・・・」
声がして視線を動かすと、そこにはフレイが立っていた。まるで僕達のことを見据えるようにして睨み付けている。
「貴様、いつまで、ふららさんの手を握りしめていやがるんだ!」
「あっ!」
僕達は慌てて、手をさっと引っ込める。お互い顔を真っ赤にしながら。
だが、それでもフレイの怒りはおさまらなかったらしく、すかさず、フレイは僕の胸ぐらをつかんできた。
「ダイタ、貴様、汚いぞ! さては、やはり、貴様もさりげなく、ふららさんを狙っているな! そうだろう!」
「だ、だだだ、だから違うって――」
怒りの表情のフレイに揺さぶられながら、僕は、必死に弁解の余地を求める。
「ダイタ様、大変ですわ!」
そう言うなり、ファミリアさんは僕にいきなり抱きついてきた。
「ど、どうかしたの? ファミリアさん」
僕が呆気に取られて口をポカンと開けると、ファミリアさんは血相を変えて叫んだ。
「昨日、言い損ねていましたのですが、『星のかけら』のありかがわかりましたのですわ!」
「えっ、本当!?」
僕は弾かれるように、笑みを浮かばせた。
そう言えば、ラミリア王国の図書館の入り口で会った時に、ファミリアさんは何か言いたそうにしていたっけ。
まあ、あの後、翼竜の騒ぎがあったりして曖昧になってしまっていたんだけどね・・・・・・。
「はいですわ❤」
ファミリアさんは照れくさそうに頬を染めながら、嬉しそうに返事をする。
「で、一体どこにあるんだ?」
さも興味ありげにフレイが問いかけた。
「何でも、名もなき大陸にあります、バリスタという港町にあるらしいですの」
「えっ? バリスタの港町に?」
ファミリアさんの言葉に、僕は怪訝そうな顔をする。
『バリスタの港町』。
名もなき大陸の北部に位置する場所にある港町だったりする。
その近くの海岸で、僕はマジョンやふららさんと初めて出会ったわけなんだけど。
でも、と僕は思う。
初めて名もなき大陸に訪れた時に、マジョンから名もなき大陸の支配者だったターンが『星のかけら』を持っているということを聞かされたのだった。その時は、一かけらだけという話だったんだけど、その後、フレイが持っていた『星のかけら』で、多分、あの後に、ターンは、また、別の『星のかけら』を手に入れたのだろうと僕は思っていた。
でも、だけど――、もしかしたら、ターンが持っていたものとは別に、『星のかけら』はどこかに存在していたのかもしれない。別の誰かが持っていたのかもしれない。
そのことに全く、気づかなかった僕も僕なんだけど・・・・・・(冷汗)
「何でも、それらしき宝石が、機密船でバリスタの港町に運ばれていったらしいですの」
「き、機密船・・・・・・?」
僕はギョッとする。
「はいですの❤」
ファミリアさんがつつっと僕に身を寄せてくる。
「あの、ファ、ファミリアさん!?」
「ご心配は無用ですわ。 わたくしが一緒懸命、ご事情を説明しますわ❤」
寄りそってきたファミリアさんをどうしたらいいのか分からず困り果てた僕は、フレイに視線で助けを求めてみたのだが、素っ気なく目をそらされた。だけども、関心がないというわけではなく、うつむいて肩を震わせている。笑っているらしい。
ううっ・・・・・・(涙)、フレイは絶対に楽しんでいる。
そこに駆け込んできたのはマジョンだった。
「ファミリアさん、何をしているのですか!」
マジョンが、ファミリアさんを僕から引き離そうと彼女の服を引っ張った。
「どうして邪魔をするのですの?」
「ど、どうしてって、ふしだらだからです!」
「愛しあっている二人が寄りそうことは普通のことですわ❤」
ファミリアさんは急に強い口調になって反撃に転じた。両手を胸の前に合わせて祈るように言う。
だが、それにすら負けない勢いで、マジョンは言い返した。
「普通ではありません!」
「普通ですわ!」
じりっとにらみ合うマジョンとファミリアさん。
後ろで面白そうに声を上げずに、反り返って笑い出すフレイ。
「何なの・・かな」
ひたすら、言い争うマジョンとファミリアさんを見ながら、僕はつぶやいた。
「ふっ、もてもてだな、貴様」
フレイが少し不満そうに、僕の肩を叩く。
だが、少しを間をおいた後、フレイはにやりと含み笑いをした。
「まあ、こうなったら、俺もふららさんと二人きりになるしかないか」
当たり前のようにそう言い放つと、フレイはさっとふららさんを自分の方に寄りそわせる。
ふららさんはきょとんとした顔で首を傾げた。
そして、不思議そうに人差し指をそっと頬に触れる。
「だ、だからね、何でそうなるのかな・・・・・」
力なくつぶやく僕を背に、マジョンとファミリアさんの言い争いはいまだ続いていた。
「皆さん、楽しそうですね。 きっと、この場所にマドロスさんがいたら、一緒に笑いあえたと思います」
ふららさんが少し残念そうに両手を前に組んでみせた。
―いや、それは、絶対にないと思う―。
それから――僕達が旅立ってから数ヶ月後、マドロスさんの頑張りがいがあってか、リモネの森は無事に美しい森に戻っていた。
そして、森の中央にあった広場には公園が造営された。公園には翼竜の形をした石碑があり、そこには『星のまどろみ』と刻まれているだけ。
そして、入り口には公園の名前が小さく書かれていた。
想い色の公園――と。
次回はレークス達の話です。