ユカイ犯
ハンコウセイメイ
バクダンヲシカケタ
サンガツニジュウサンニチ ショウゴ ニ バクハツスル
くちかけのにんぎょう ハ ドコカナ
ムノウナケイサツドモヨ セイゼイサガスガイイ
築四十年は下らないだろうと思われる古い木造アパートの二階。
そこへ至る階段は錆びついており、足を置くたび、ぎしぎしと金属音がきしむ。ところどころ塗装がはがれたドアがいくつも並んだ、その一番奥の部屋。そこに、足音を殺しながらやってきた二人の男がいた。
「ツカさん、犯人のアジトはここです」
二人の男のうち、若いほうが小声で言った。
ツカさん、というのは年長の男――塚口が尊敬と信愛を込めて呼ばれている名である。
「よし、イナ。踏み込むぞ」
イナ、というのは、若い方の男――猪名寺の愛称である。
ベテランの塚口と若手の猪名寺。この二人の刑事が、爆破予告をした犯人の住むアパートの部屋に、今まさに踏み込もうとしていた。
「犯人の野郎、爆破予告なんぞしやがって。絶対に阻止するぞ」
塚口は押し殺した声で言ったあと、行け、と目で猪名寺を促した。
猪名寺は表情をひきしめながら小さくうなずくと、ドアノブに手をかけ、ゆっくりと回した。鍵はかかっていない。大きくドアが開かれると、それを合図とばかりに、二人は一気に部屋に突入した。
だが――
「なんだ!? これは!?」
二人は言葉を失い、茫然とその場に立ちつくした。
暗く狭い六畳間。そこが無数の人形によって埋め尽くされていたのだ。
四方の壁はすべて天井まで届く棚で囲まれており、そのすべてに人形がびっしりと詰め込まれていた。あたかも壁がすべて人形でできているかのようである。
壁ばかりではない。足元にも、ずらりと人形が並べられている。そのほとんどは日本人形だが、ざっと見ても二百体以上、いや、それ以上あるかも知れない。
薄暗い部屋のなか、無数の人形たちの目に一斉に見つめられたような、そんな嫌な錯覚が二人を襲った。
「気持ち悪りぃ……」
思わず顔をしかめる猪名寺をよそに、一方の塚口はすぐにある言葉が思い浮かんでいた。
「まさかこれが『くちかけのにんぎょう』ってことか」
――くちかけのにんぎょう。
この言葉の謎を追って塚口と猪名寺はこの部屋にやってきた。犯人の予告文のなかに、ただひとつあった手がかりと言える言葉。予告された爆破までの時間が迫るなか、その答えが犯人のアジトにあるとにらんだ塚口は、猪名寺にこのアパートを割り出させ、すぐさま急行したのである。
「まずは犯人を探す」
塚口は靴のまま、わずかな足の踏み場をずんずんと進んでいった。その後を、あわてて猪名寺が追う。
所狭しと居並ぶ人形たちに見つめられながら犯人を探したが、広くもない部屋のこと、その姿がないことはすぐに分かった。
猪名寺は落胆したような声を出す。
「犯人はすでに逃げ出した後のようですね」
「ここに警察が踏み込むことを読んでいたんだろう。まあ用心深い野郎だ」
残念そうな猪名寺とは対照的に、塚口は感情の混じらない言い方をした。はじめから犯人がこの場に留まっていないと思っていたのだろう。
犯人の姿がない以上、残る問題はおのずと一つとなる。
猪名寺は犯行声明文のコピーを取り出した。
「『くちかけのにんぎょう』……それがこの中にあるんでしょうか」
「多分な。だが、こうも人形だらけじゃあ、どれがそうなのか見当もつかん」
塚口は不機嫌に頭を掻いた。
「まさに人形を隠すなら人形の中、ってことですね」
何気なく言った猪名寺の言葉に、塚口は太い眉をふっと上げる。
「犯人の狙いはそれか。つまり、この人形の中に『くちかけのにんぎょう』が隠されていて、それに爆弾が仕掛けてある……」
「えっ?」
猪名寺はびくりと身体を固くし、持っていた人形を放り出しそうになった。
塚口の推測が正しければ、これは犯人の罠という可能性もある。『くちかけのにんぎょう』という言葉で注意を引き、いかにも怪しそうなアパートにおびき寄せ、おびただしい数の人形で混乱させる。爆弾魔が何の要求もしてこないことから考えても、いわゆる愉快犯というものだろう。
「手の込んだことしやがって。犯人の奴、いかれてやがる」
塚口の胸に、ふつふつと犯人への怒りがわき上がってきた。
腕時計を見れば、犯人の爆破予告時間まで、もうすでに三十分を切っている。
「爆発物処理の応援を呼んだところで、どんなに急いでも三十分以上はかかるだろう」
つまり、二人で『くちかけのにんぎょう』を見つけ出し、処理するよりほかにない。その事実を理解した猪名寺はごくりと生唾を飲み込む。
ひとまず塚口は、所轄や消防へ連絡を回すように猪名寺に指示をだし、自身は『くちかけのにんぎょう』探しにとりかかった。
「さて。そうは言ったものの、どうすればいいやら」
無数の人形を前に、塚口はさすがに閉口した。二百体以上あると思われる人形をひとつずつ調べていくのは、あまりにも時間がかかり過ぎる。
ここで塚口は、ふと思いついた。
――そうか、時間か。
犯人が爆破の時間を明示しているのだから、時限爆弾を仕掛けた可能性が高い。それならば、爆弾に時計が組み込まれていることも考えられる。
塚口は大きく息をつくと、目を閉じ、精神を両耳に集中させた。爆弾に仕込まれた時計の音を聞き分けようというのである。
これまで、幾人もの犯人の声を聞き分けた長年の経験と、それに裏打ちされた自信が塚口にはあった。集中力が高まるにつれ、次第に聴覚が研ぎ澄まされていく。カチカチという、時計の音を、爆発までのリミットを刻む音を、丹念に探る。
「ツカさん!」
「わっ! 急に声かけんな、お前」
「すみません。とりあえず各方面には連絡は済ませました。付近の住民も、近くの所轄によって退避する手はずになっています」
塚口は驚かせた猪名寺をにらんだが、ひとまず、ご苦労、とねぎらった。
「ところで、ツカさん。『くちかけのにんぎょう』なんですが……」
猪名寺はいつの間にか手にしていた人形を塚口に示した。塚口は眉をゆがめ、人形の顔を覗き込む。
「これだけ口のところが欠けてるんですよ。もしかしたら、これが『くちかけのにんぎょう』なんじゃないでしょうか」
猪名寺の言うとおり、確かに人形の口の部分に深い傷が入っている。『欠けている』という表現もできなくはない。つまり、『口欠けの人形』という訳だ。
「なるほど、犯行予告にあった『くちかけ』という言葉には漢字があてられてなかったからな」
塚口は猪名寺からそっと人形を受け取ると、まじまじと眺め、やがて乱暴に着物を剥いだ。
その様子を見て、猪名寺は眉をしかめた。
「なんだか、祟られそうですね……」
「馬鹿野郎、そんな事言ってる場合じゃないだろう」
「それもそうですね」
猪名寺は部屋に無造作に置かれていたカッターナイフを手にすると、塚口の持つ人形の背中に突き立てた。塚口が人形を支え、猪名寺がざくざくとカッターで切り込みを入れていく。
「慎重にな。爆弾を傷つけるなよ」
「はい」
やがて人形の背中はぱっくりと割けた。人形の内部は空洞になっているが、爆弾は見つからない。はずれ、という事だろう。
猪名寺はふう、と息をついた。
「ホッとしたような、残念なような、複雑な気分ですね……」
「時間がない。次を探すぞ」
塚口は無残に引き裂かれた人形を放り出し、再び『くちかけ』の人形と思しきものを探しはじめた。すぐに、おや、と塚口が手を止めた。
「おいイナ、こいつはどうだ?」
「げ! なんですか、それは?」
塚口が猪名寺に見せたのは、髪の毛のかたまりだった。質感からいって人形のものだろう。
「気持ち悪ぅ。それ、毛だけじゃないですか。もはや人形じゃないでしょう」
非難がましく言う猪名寺に対し、塚口は真剣な表情を変えない。
「良く見ろ。ちゃんと頭がくっついている」
塚口はそう言って、手にしたものを、ぐい、と猪名寺につき出した。確かに人形の生首である。
「でも、それのどこが『くちかけ』なんです?」
「こいつは、目鼻が潰されている」
人形の生首はマジックか何かで目と鼻を塗りつぶされていた。猪名寺はまるで意味が分からない、といった顔を塚口に投げかける。
「そ、その心は……」
「つまり……『口か毛』だ」
それを聞いた猪名寺は例えようのない表情をした。が、先輩の意見を尊重しようという意識がはたらいたのであろう。無言でその『口か毛』の人形を受け取ると、ナイフで慎重に割いた。残念ながらというか、当たり前というか、何も見つからなかった。
「ツカさん。次です」
気を取り直すようにして、猪名寺は再び人形漁りをはじめた。さすがに塚口も残念そうな顔をしたが、残された時間はかなり少なくなっている。すぐに人形をかき分けだした。
すると、またしても塚口が声をあげた。
「イナ、こいつだけ他と違うぞ!」
ふたたび塚口が見つけ出したのは、日本のものとはまるで違う、南国の木彫り人形のようであった。裸に腰ミノ姿で、頭には鳥の羽のような飾りをつけている。目鼻立ちがはっきりしていて、唇は厚く、大きく飛び出している。
猪名寺は一瞬、喜色をあらわしそうになったが、すぐに厳しい表情に変わった。
「で、それのどこが『くちかけ』なんですか?」
「それは……分からないが、もしかしたら、どこかの民族で『クッチー・カケー』人形とか呼ばれているかも知れないだろ」
そう言った塚口の声には、焦りからくる苛立ちが含まれている。
「……もういいです。とにかく中を調べましょう」
仕方ない、という風に、猪名寺は木彫りの人形を割ろうとした。が、なにせ木でできているのだから、そう簡単には真っ二つにはできない。ならば、と何かしらの細工の跡を探した。爆弾が仕込まれているのであれば、木でできている以上、継ぎ目くらいはあるはずである。しかし、そうした形跡は一切見つからなかった。
「これも駄目です。……ていうか、そりゃそうですよ。なんなんですか『クッチー・カケー』って。真面目にやってくださいよ、もう時間がないんですから」
「分かっとるわ!」
塚口は顔を真っ赤にした。
だが、猪名寺が言うとおり、残された時間はあと十分もない。
「悔しいが、俺たちもそろそろ退避しないと危険だ……」
そう言って塚口が腕時計から目線を上げたその時だった。
視覚の隅に違和感のある人形が映った。
――あれは……!
慌ててその人形を指差す。
「おい、そいつも他とは違うぞ!」
塚口の声に、猪名寺は手を止め、うんざりしたような目でその方向を見た。その先には、古びて真っ黒になった人形がある。
「確かに他と違いますけど、えらく汚いですね」
猪名寺は恐る恐る人形に触れた。その瞬間、ぼろりと人形の袖が落ちた。
「腐ってますよ、これ。腐った人形です」
「腐った人形……か」
塚口はそのあとに何かを言いかけたが、それをやめ、
「とりあえず、中身を調べろ。そいつで最後にしよう」
と、決意を固めるように言った。
「今度こそ大丈夫でしょうね。そろそろ退避しないとまずいですよ」
猪名寺の表情にも、焦りの色が濃厚に出ている。
時間はもうほとんどない。
「いいから、調べろ!」
塚口に怒鳴られ、猪名寺が仕方なさそうに人形に手を伸ばした、その時。
突如として、ピリピリと猪名寺の携帯電話が鳴った。緊迫した状況ゆえ、二人ともその音に、どきり、と身を固くする。
「出ろ。人形は俺が調べる」
塚口は猪名寺にうながした。切羽詰った場面ではあるが、電話の内容は重要な情報をもたらすものかも知れない。
猪名寺は携帯を取り出し、通話のため部屋の入り口へと歩いていった。
かわりに、塚口が腐った人形へと手を伸ばす。
人形は劣化しすぎて、顔の造形もなにもあったものではない。気を付けて触らなければ、くずれてしまうかも知れない。
「これこそ、まさに……」
そう塚口が呟こうとしたのを、猪名寺の切り裂くような声がかき消した。
「ツカさん! 人形作家の、朽掛実展で爆弾が発見されたそうです! ただちに現場へ向かえとの連絡です!」
「くちかけ……みのる?」
あまりの急な話に呆気にとられた塚口は、ぽかんと口をあけて猪名寺の顔を見た。
猪名寺は、じれったそうに腕時計を気にした。
「ここはダミーだったんですよ。時間がありません、とにかく現場に向かいましょう!」
「いや、そんなはずは……」
塚口の長年の勘は、それでもこの場に爆弾がある、と言い続けている。
――しかし、その勘が鈍ったのか?
逡巡する塚口に業を煮やした猪名寺は、
「とにかく、僕は先に行きますからね! ここはツカさんにお任せします!」
と言い捨て、駆け出していった。
途中で誰かとぶつかったのか、すみません、などと謝りながら、どたどたと走っていく猪名寺の足音も、やがて聞こえなくなった。
気づけば、腕時計の針は爆破予告の時間まで残り一分のところを指し示していた。