蛾愛ずる美少女
朝霞 渚はその類稀なる美貌により男子生徒達から羨望の眼差しを向けられていた。長く美しい黒髪、きめ細かく真っ白い肌、170cm近い長身に圧倒的小顔、その芸能人顔負けのルックスは地味な集団の中で否が応でも目立った。
一年生の冬に渚が転校してきた時、学校中が騒ぎになり、上級生までもが一目見ようと休み時間にうちの教室を覗きに来ていた。全校の男子達がその女神の到来に歓喜していた。
男子達は彼女の一挙手一投足に注目し、笑顔でも困り顔でも、何か反応があれば喜んだ。一方一部の女子達はというと、そんな渚に対して醜い嫉妬心を抱き攻撃をするようになった。最初は上履きや体操着を隠すといった、思わず「昭和かよ」とツッコみたくなる嫌がらせから始まり、最近ではすれ違いざまにスマホで勝手に撮影したり、わざと聞こえるように嫌味を言うなどする始末だ。
渚に対してそのようなことをする女子達は、総じて太っていて、顔が醜くて、声がやかましかった。僕は彼女達がなぜ自分でさらに醜くなろうとするのかとても不思議に思ったが、女子達がどれほど見た目を重視する社会で生きてるかを考えれば至極当然の反応だったのかもしれない。
渚はそれらの嫌がらせにも全く動じず、結局最後まで教師には報告しなかった。もしかしたら、女子達は自分らの嫌がらせに全く反応しない渚の毅然とした様子に腹を立て、内容をさらにエスカレートさせていったのかもしれない。
ある日、クラス委員のリーダー且つサッカー部キャプテンで、女子人気No.1の前田陽翔の告白を渚が簡単に断ったという噂が学年に流れた。彼は男女問わず友人達に協力(お膳立て)をしてもらい、外堀を固めた上で告白したらしく、その撃沈にかなりのショックを受けたようだった。実際、委員会で帰りが遅くなったその日、彼が友人達に両肩を抱かれ、涙を流しながら体育館を後にするのを目撃した。
その出来事により「あの前田陽翔の告白を断るなんて…!」と一部の男子からの支持が強まると同時に、女子達の渚嫌いがより一層強まった。嫌がらせのターゲットは渚の友人達にも拡張され、いつしか彼女は完全に孤立するようになった。男子達も薄々女子の嫌がらせに気づき始めていたが、その集団の巨大さと敵に回した場合のリスクが恐ろしくて、誰も何もすることができなかった。
僕はというと、元々クラスの空気枠なので全ての出来事をただ傍観する他なかった。勿論朝霞渚とは一度も会話したことが無かったし、もはや嫌がらせをしている女子達の顔と名前も一致していない始末だ。この時僕は「こんな奴らと自分は違う」と考えていたが、今思えば嫌がらせに最初期から気づきながら何もせず見ているだけの自分も、いじめっ子達と別に大差無かったのかもしれない。
金木犀が街に香り始める頃、僕は意外な出来事に遭遇する。
その日、腰を痛めた世界史の教師はその重たい授業資料の運搬を僕に任せてきた。おそらく僕が一番断らなそうだし予定も無さそうだと判断したのだろう。概ね正しいと思うと同時に少し悲しくもなりながら、僕はクソ重たい資料を教室から一番離れた位置にある歴史科教員室まで運んだ。長い道中、何度かサッカー部やバスケ部の男子の集団が走ってきて、肩がぶつかって資料を全落とししそうになったが、なんとか目的地まで辿り着くことができた。他の歴史科教員達はヘトヘトの僕に労いの言葉をかけてくれたが、もう二度と御免だと思った。
歴史科教員室を後にして教室に帰ろうとした時、向かいの中庭に誰かが立っているのに気づいた。よく見ると…いや、よく見なくてもそれは朝霞渚だった。その圧倒的スタイルと長い黒髪は、どこから見てもすぐ彼女のそれと判った。友人達が離れてから、休み時間は教室から姿を消すことが多くなった彼女だったが、どうやら意外な場所に身を隠しているようだ。
そっとしておこう。そう思い足早に通り過ぎようとしたその時、足音に気づいた彼女と偶然目が合ってしまった。しまった――と思ったが、彼女はにっこりと微笑むと、なにやらこちらに向かって手招きをしてきた。彼女の笑顔は瞬時に疲れを癒してしまうほどの可愛らしさがあった。僕は迷うことなく中庭に向かった。
当然、僕は妄想した。ラノベとかでありがちな、「"普段は何もできないしクラスの爪弾き者のボクだけど、ふとしたキッカケで学校一の美少女と仲良くなって、何故かだんだん恋仲に発展する――"」というかなり荒唐無稽なやつだ。しかし、そんな僕の期待を他所に、彼女の口から出たのは意外な内容だった。
「これ、可愛いでしょ?」
彼女が手に持っていたのは小さい蛾だった。この自然あふれる中庭で、彼女は身を隠していたのではなく昆虫観察をしていたのだ。
「えぇ…蛾…?」
「そう、蛾。この子は『ホシヒメホウジャク』って言って、この辺りだと結構珍しいんだよ?私ね、蝶より蛾派なんだ。蝶って、鮮やか過ぎて見てて疲れるから」
たしかに、彼女の手に乗ったその蛾は可愛らしかった。小さいけど、どこか戦闘機を思わせるようなスタイリッシュなフォルムに、枯れ葉で作られたような素朴な色合いの身体。蝶とはまた違った魅力があることに、僕はその一瞬で気づかされた。
「この中庭、何故か蛾がいっぱい来るの。だから休み時間になると、いつもここに来て写真撮ったり、こうやって手に乗せたりしてるんだ」
僕は彼女を誤解していた。そのアイドルのようなルックスから、こういうニッチでマニアックな趣味とは無縁な人物だと無意識に判断していたのだ。人は見かけによらない、それはどうやら正しいみたいだ。彼女をいじめる女子達や運動部の男子達にも、僕が知らないだけでイメージとは全然違う一面があるのかもしれない。僕は、少し自分の世界が広がるのを感じた。
「君も手に乗せてみる?」
僕が恐る恐る手を伸ばすと、ホシヒメホウジャクはその小さい足でテクテクと進み、指から指へと渡り歩いて、僕の手に乗った。近くでよく見ると、体表にはモフモフとした毛のようなものがあり、クリクリとした黒い目もとても可愛らしかった。
「私さ、あと少しで転校するんだ」
「――え?」
突然の告白に動揺し、蛾を落としそうになった。
「ごめん、誰かに話したかったの。私ね、正直もう疲れちゃった…。何もしてないのに嫌われたり、ろくに喋ったこともない人からしょっちゅう告白されたり…。できるなら、もうほっといて欲しいって思ってる…」
分かってはいたことだが、改めて本人の口から聞くと、心にズシンと来るものがあった。
「本当はね、前の学校でも同じような状況になって、それで逃げてきたの。だから、また転校しても多分一緒。私は普通には生きられないんだと思う。この見た目のせいで、親にもいっぱい迷惑かけた…。だからね、将来、自分の見た目を活かせる仕事をしようと思うんだ。それで、周りの人達に少しでも恩返しできたらなぁって…」
彼女は美しく、そして健気だった。彼女の言う通り、転校しても問題は根本的に解決しないだろう。きっと大学へ行っても周囲は彼女をほっといてはくれないし、さらなる苦難が待っているかもしれない。僕は、彼女の将来に幸あれと願うことしかできなかった。
「話聞いてくれてありがとう。少しスッキリした。さあ、教室帰ろっか」
「…うん」
まるで話が終わるのを待っていたかのように、ホシヒメホウジャクは僕の手から飛び立った。空中でホバリングしながら花の蜜を吸うと、灰色の高い壁に囲まれた中庭から太陽に向かって飛んでいった。途中、シジュウカラか何かの鳥が襲ってきたが、それをくるりと旋回して難なく避けると、そのままどこかへと消えた。
「行っちゃったね」
「そうだね」
***
宣言通り、彼女は転校した。男子達は悲観に暮れ、原因となった女子達は知らん顔、という感じだった。転校の理由はほとんど説明されなかったが、皆わかっていた。最初の頃、教室では彼女の転校先とか志望していた大学とか色々と噂されていたが、二ヶ月もすると誰も話題にすらあげなくなった。僕だけはあの中庭での一件を忘れることができず、外で蛾を見かける度に彼女のことを思い出した。
数年後、彼女のことをテレビで見かけた時、僕はとても嬉しい気持ちになった。彼女は苦難に負けず、自分が咲ける場所を見つけたんだと。でも、朝ドラの主演に抜擢され、映画やCMにも引っ張りだこな売れっ子女優になった今でも、きっと彼女は蛾を好きなままだろうなという、どこか不思議な確信があった。




