証拠は?決定的な証拠がないよな
死んだのは月曜の朝だった。
通勤途中、トラックに撥ねられた。運転手は大手物流会社の役員で、現場から立ち去った。俺——鈴木誠一、享年三十四歳、地方紙記者——の死亡記事は、翌日の社会面の三段に収まった。
目が覚めると、見知らぬ天井があった。
双月。石造りの壁。ガス灯の匂い。
異世界だと気づくのに、十秒もかからなかった。
この世界には戸籍がない。少なくとも、俺には。
どこの国の人間でもなく、どの貴族にも属さない。王都の外れに転がっていた正体不明の男。それが俺の、この世界における全てだった。
鑑定ギルドに拾われたのは、路上で飢えていた一週間後だ。突然、スキルを見せろと言われた。手をかざすと、文字が浮かんだ。
【真実看破】
物に触れると、その来歴が見える。誰が作り、誰が壊し、何が隠されているか。嘘と事実の区別がつく。
上官のバルトという男が値踏みするように俺を見て、一言だけ言った。
「明日から来い。住む場所と飯は出してやる。報酬は後で決める」
契約書はなかった。でも俺に選択肢はなかった。異邦人に、ここ以外の居場所はない。
事件は三ヶ月目に起きた。
ヴェルナー侯爵家の馬車が持ち込まれた。轢死事故。被害者は農民の子供で、歳は七歳。御者は「子供が飛び出した」と言った。侯爵家の代理人は「不可抗力だ」と言った。
車輪の木材に、乾いた血が黒く残っていた。
俺は馬車に触れた。
【鑑定結果】
速度:通常走行の約3倍
制動操作:痕跡なし
血痕付着位置:前部右側面(追突痕と一致)
隠蔽処理:確認
車輪付着土壌:
一次付着層の除去痕を確認
二次付着層の人工的再付着を確認
処理推定時期:約三日前
報告書を書いたさ。勿論、事実だけを書き記した。
翌朝、会議室に呼ばれた。バルトと、司法ギルドの男と、侯爵家の紋章をつけた男がいた。
「訂正しろ。己が立場も分からんのか?甚だしいほどの阿呆だな。貴様の脳みそは胡桃分しか詰まっていないのか?」とバルトが捲し立てた。
「できません」
「スキルの誤作動だ。違うか?目で見たものと内容に相違がある。」
「誤作動はしていません」
侯爵家の男が、初めて口を開いた。静かな声だった。怒ってもいなかった。
「...証拠がなければ、事実ではない」
「鑑定に基づいた報告書があります」
「それはお前が書いた文書だ。その時、お前のスキルが正確だったという証明がないではないか。」
俺は言葉に詰まった。
そうだ。このスキルの精度を、客観的に証明する方法がない。俺の証言以外に。
男が続けた。
「それに——お前は何者だ。戸籍もない、身元もない劣等人種の異邦人だろう。そんな者の証言に、どれほどの重みがある?」
翌週、ギルドを追放された。理由は「虚偽報告による信頼毀損」。
子供の両親は侯爵家から見舞金を受け取り、訴えを取り下げた。農民が十年働いても届かない額だったと、後から聞いた。
御者は不問。侯爵は不問。
大通りに出ると、王都はいつも通り美しかった。
石畳、ガス灯、花屋の色。馬車が行き交い、紳士が山高帽を傾けた。
死んだ子供と同じくらいの歳の子が、笑いながら走っていた。
俺は報告書の写しを握った。捨てなかった。
戸籍のない異邦人の書いた文書など、この世界では紙切れ以下だ。それはわかっている。
それでも捨てなかった。
転生する前も、思いは...同じだった。
証拠がないから不起訴。素晴らしきかな。




