第4話:白い朝と、止まらない心音
朝の空気は、冷たく澄んでいた。
カーテンを開けると、世界は真っ白だった。屋根も、道路も、電線も、すべてがふわりと雪で覆われている。
「……雪、だ」
結衣はしばらく言葉を失った。こんなにしっかり降ったのは、この冬初めてだ。
胸の奥が小さくざわつく。昨日のこと、フードコートでの出来事が頭をよぎる。
あのとき、座っていた自分の前に突然現れた他校の男子三人。
普段は何事もなく過ごせるはずの時間が、一瞬にして緊張に変わった。
笑ってやり過ごそうとした自分を、悠斗が見ていてくれた。
普段は大人しい悠斗が、あの日だけは静かに毅然と相手に立ちはだかり、何も言わずに追い払った。
——あの姿を見て、胸がぎゅっとなった。
そして、妙に心臓が早く打った。
今思い出すだけで、頬が熱くなる。
胸の奥の音が、昨日からずっと止まらない。
——どくん、どくん。
雪の冷たさとは無関係に、心の中だけが熱くなる。
◆
同じ頃、悠斗も自宅の窓から白い世界を眺めていた。
寝癖のついた髪を手でかきながら、ふと先日のフードコートのことを思い出す。
結衣が座っているテーブルの前に、他校の男子三人が寄ってきたとき。
悠斗はラーメンを取りに行っていた途中で、視界に入った。
しつこく絡む三人に、悠斗は普段の自分なら絶対にしない行動を取った。
言葉は少なく、声も荒げず、ただ静かに相手の前に立っただけで、男子たちは退いた。
——なんであんなに胸がざわついたんだ?
普段は慎重で、まず相手の動きを読むタイプなのに。
結衣を守ろうとしたその瞬間、胸の奥が熱くなるのを感じた。
(……ま、まさか……こんな気持ちになるなんて)
雪の景色を見ながら、悠斗の心臓は止まらず、どくん、どくんと音を立て続けた。
◆
登校すると、校庭にはまだ雪が薄く残っていた。
放課後のことを思い浮かべながら、ふたりの距離を意識する。
教室に入ると、二人とも普段通りにふるまおうとするが、どこかぎこちない。
昨日までなら、軽口を言って笑い合っていたはずなのに、今日は言葉がなかなか出ない。
「おはよ、結衣」
悠斗の声は少し硬く、微かに緊張が滲む。
「お、おはよ……」
結衣もまた、普段より声が小さくなる。
頬が熱いことに気づいていないふりをしながら、胸の鼓動だけが激しく跳ねていた。
クラスメイトの誰かが「また二人、何かあるんじゃない?」と囁く声も、二人には届かない。
心の中で、あのフードコートの光景が鮮明に蘇る。
——結衣を守る悠斗の姿。
その姿に、いつもとは違う感情が心に芽生えたことを、自分でも認めざるを得ない。
◆
放課後。雪はさらに降り積もり、学校の屋根や校庭に薄く積もっていた。
結衣は部活仲間と別れ、ひとりで帰ろうとしていたが、足が自然に止まる。
校舎前には悠斗が立っていた。
昨日と同じく、目が合った瞬間、二人の間に静かな緊張が走る。
「……雪、降ってるな」
「うん……すごいね」
お互い言葉は少ない。
でも、視線だけで何かを伝え合うような空気が漂う。
心臓が暴れ出し、思わず胸に手を当てる結衣。
悠斗もまた、少し顔を赤くして視線をそらす。
「もし……雪が積もったら……」
結衣がそっと言った。
「なに?」
「……写真、撮ってみようかな、って」
ふとした小さな言葉。
でも胸に刺さる。悠斗は無意識に、少しだけ笑った。
「……いいな。それなら、俺も一緒に」
その瞬間、二人の距離は少し縮まった。
肩が触れるか触れないかの距離で、心臓の音だけが大きく響く。
——どくん、どくん。
普段なら気にもしない鼓動が、今だけは止まらない。
◆
その夜。結衣は布団の中で、今日の雪景色と悠斗とのやり取りを思い返していた。
(……やっぱり、気になっちゃう)
スマホを手に取り、そっとメッセージを送る。
『雪、すごいね』
数分後、返事が来た。
『うん。明日も、積もってるかな』
小さなやり取りに、胸が少しずつ温かくなる。
悠斗もまた、窓の外の雪を眺めながら同じことを考えていた。
(……俺、結衣のこと……やっぱり気になってるな)
昨日のフードコートから、雪の朝まで。
心臓の音は止まらず、確かに自分の気持ちを告げているようだった。
冬の白い世界の中で、二人の心だけが静かに、しかし確実に近づいていった。




