第3話:気づいてしまった想いと、雪の予報
十二月半ば。
冬休みが近づき、学校全体がどこか落ち着かない空気に包まれていた。
それでも、窓の外に飾られた小さなツリーや、教室に貼られた雪の結晶の飾りを見ると、自然と心が浮き立つ。
(クリスマス……どうなるんだろう)
早瀬結衣は、窓際の席から外を眺めながら、ふとそんなことを考えていた。
(木島……はどう思ってるのかな)
あのショッピングモールの日から、二人の距離は確かに縮まった。
話すときの空気が前より柔らかくて、少し照れくさくて、心臓が無駄に動く。
でも、それが——何なのか。
名前をつけようとすると、胸がくすぐったくなって考えられなかった。
「おーい、早瀬。先生来るぞー」
「わ、はい!」
前の席の女子に声をかけられ、結衣は慌てて席へ戻った。
その拍子に、ぽたりと一つ、胸の奥で小さな波が動く。
——気づき始めていた。
この気持ちは、ただの意識じゃない。
もっと特別なものだって。
◆
放課後。
結衣は、今日は久しぶりに自主練習に参加することにした。
トラックには吐く息が白く残り、冬らしく冷たい風が吹く。
顧問はいないが、部員同士で軽くアップを始めていた。
「結衣、今日は来たんだね」
「うん、なんとなく走りたくてさ」
「なんとなく、ねぇ? なんとなく誰かさんに会ってソワソワしてるとか?」
「なっ……!! ち、違うし!」
先輩がにやにやして肩をつつく。
しかし先輩は容赦ない。
「結衣さぁ、最近すっごく顔に出てるよ?」
「え、えーと、その……」
「好きな人できた?」
「ち、ちが——っ!」
否定しようとすると、言葉がつっかえる。
(なんで言えないんだろ……)
本気で違うなら、即答できるはず。
でも言えないのは、それが嘘だから。
(いや、でも……まだ“好き”って決めつけるのは……)
内心でぐるぐるしていると、先輩はまた肩を軽く叩いた。
「まあいいよ。中学の恋ってさ、気づく前に始まってるからね」
からかい半分の言葉なのに、胸の奥がずきん、と反応した。
(……気づく前に、始まってる……)
その言葉が、練習中もずっと心に残った。
◆
一方そのころ、木島悠斗は家の机に向かっていた。
……が、定跡書(戦法書)をを開いただけで、ページはまったく進んでいない。
(集中できねぇ……)
将棋の定跡を覚えようと決めたのに、読んでいるところは同じところにとどまり続ける。
結衣が笑った顔。
差し出したチョコを嬉しそうに抱えた顔。
ふらっとしたときに近くで見た、マフラーの向こうの柔らかい目。
(全部、思い出すんだよな……)
昔から口喧嘩ばっかりしてきた相手なのに。
お互い言いたいこと言って、からかいあって。
意識なんて、一度もしたことなかったのに。
(なんで……あの日から、こんなに気になるんだよ)
それを考えようとすると、胸の奥で何かがうずいた。
「……あーもう」
ごろりとベッドに転がる。
そのときスマホが振動した。
画面を見ると――結衣から。
『今、何してる?』
胸が一瞬で熱くなる。
(なんだよこれ……)
返信するべきなのに、指がすぐには動かない。
深呼吸して、ようやく打ち込む。
『棋譜呼んでた。そっちは?』
数秒後、返ってきた。
『走ってきた! いま帰り!』
(走ったあとに送ってきたのか……)
そこまで考えて、気づけば顔が緩む。
『風邪ひくなよ』
送ってから、しまったと思う。
(なんか……優しすぎたか……?)
けれどすぐ返事がくる。
『えへへ。ありがと』
短いのに、妙に心臓に刺さる。
悠斗はスマホを置き、枕に顔を押しつけた。
(……俺、やっぱり)
胸の奥が、はっきり言葉を持ち始めていた。
(早瀬のこと……好きなのかもしれない)
その自覚に、心臓がひどく跳ねた。
◆
次の日の昼休み。
悠斗は教室で弁当を食べていると、結衣が自然に隣の席に座った。
「木島、今日さー、天気予報見た?」
「見てない。なんかあんの?」
「雪だって。今日の夜から明日の朝にかけて、初雪の可能性だって」
「マジで?」
「うん! 今年まだ降ってないし、なんかワクワクしない?」
結衣は目を輝かせて身を寄せるように言った。
その距離が、悠斗には危険すぎる。
(……近い!)
一気に心拍が上がる。
しかし結衣は全く気づいていない様子で続ける。
「木島は雪好き?」
「べつに……嫌いではないけど」
「わー、似合わないー。木島が雪で遊んでるの想像つかない」
「誰が遊ぶって言ったよ」
「じゃ、雪だるま作らないの?」
「作んねぇよ!」
「えー!将棋の駒とかつくりそぉ(笑)」
ふざけて肩をぽすぽす叩いてくる結衣。
そのたびに、悠斗の鼓動が無駄に反応する。
(なんで……こんなことで……)
(俺……ほんとに……)
弁当を食べるフリをしながら、心臓を落ち着かせようとした。
(好き……なんだよな)
その事実をようやく言葉にした瞬間、胸の内側で何かがじんわり広がる。
だが結衣はそんな悠斗の変化に気づかず、
「ねえねえ、雪降ったらさ——」
と言いかけて、ふっと口をつぐんだ。
「どうした」
「ううん……なんでもない」
「なんだよ」
「……あのさ」
結衣の指が、弁当袋の紐をきゅっと結んだ。
「もし雪降ったら、さ……なんか、こう……」
まっすぐ悠斗の目を見られなくて、視線を落とす。
「写真とか……一緒に撮ってみる?」
その小さな声は、冬の気配よりずっと暖かかった。
「べ、べつに……いいけど」
悠斗は、そっぽを向いた。
「じゃあ……雪、降るといいね」
「……そうだな」
結衣は微笑んだ。
その笑顔は、悠斗の胸の奥の雪まで溶かしてしまいそうだった。
◆
その日の夜。
結衣はスマホの天気アプリをなんども更新していた。
(降るかな……どうかな……)
雪が降るかどうかより、もっと気になるのは。
(木島と……写真……)
昼休みのあの言葉を思い出すたび、顔が熱くなる。
好きって言葉はまだ怖い。
でも、一緒にいたいと思う気持ちは嘘じゃない。
(雪……降ってほしいな)
窓の外を見つめたとき——
ふわり。
一つ、白いものが舞い落ちた。
「……あ」
小さな雪片。
そこから次々と、白い粒が夜の空に溶けてゆく。
「……降ってきた」
胸の奥も同じように、静かに満たされていく。
そのとき、スマホが震えた。
『雪、降ってるな』
木島からだった。
『うん、いま見てた!』
『……明日の朝、もし積もったら』
『うん?』
『ちょっと早く来いよ。写真撮るんだろ』
その言葉が、胸いっぱいに広がった。
『うん! 行く! 絶対!』
送ると同時に、布団に顔を埋める。
(……なにこれ)
胸の奥が、もう誤魔化せないくらい、あたたかい。
(好きになって……きちゃったんだ……)
雪の予報は、二人の心に降る予報でもあった。
静かで、小さくて、でも確かに積もり始める。
明日の朝、白い世界が広がる頃——
二人はきっと、その気持ちにもう気づいてしまうのだった。




