第1話:ショッピングモールの偶然と、知らなかった心臓の音
十二月に入ったばかりの金曜日、期末テスト前の補習を受けたあと、結衣は家の近くの大型ショッピングモールへ向かっていた。陸上部は試験前で休部期間に入っており、久しぶりに放課後がぽっかり空いたのだ。
——だからといって、別に目的があるわけでもない。
ただ、冬物の靴下がほしいとか、あったかい飲み物を飲みたいとか、そういうぼんやりした気分だった。
モールのガラス張りの自動ドアを抜けると、外の冷たさとは別の、天井から流れるクリスマスソングの暖かさが降り注ぐ。
(もう、そんな季節かぁ)
結衣は軽く肩をすくめつつ、ホットココアを買って歩き出した。
そのときだった。
「……あれ? 早瀬?」
少し間延びした声が、後ろから聞こえた。
振り返ると、そこに立っていたのは——同じクラスで、普段はやたら口うるさい将棋研究部の男子。
「え、木島? なんでこんなところにいるの?」
「え、って……。俺の家、この近くなんだけど。なんでお前が驚くんだよ」
「いや、木島って休日も将棋盤に張り付いてそうだから、外出るイメージなくてさ」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ」
「人間じゃない、将棋する機械?」
「やかましいわ」
いつも学校で交わすやり取りとまったく同じ。
結衣の口も自然に軽く動き、悠斗も軽く眉をひそめながら、どこか楽しそうだった。
「で、お前は何しに来たんだよ」
「靴下。ラン用の。あとココア」
「小学生みたいな理由だな」
「うるさい。じゃあ木島は?」
「……本屋。新刊の戦術書が出たから」
「あー、もう意味わかんない」
「お前に理解される気はないから安心しろ」
二人は言い合いながらも、なぜかその場を離れようとしなかった。
気づけば、同じ方向に歩いている。
「……なんか、帰るのも面倒だし、フードコート行ってみる?」
「なんで俺に聞くんだよ」
「いや、なんとなく? 暇でしょ?」
「お前に言われる筋合いはない」
と言いつつも、悠斗はしれっとついてきた。
結衣は満足げに笑った。
フードコートは、夕方でちょうど混み始める時間帯だった。
二人は空席を探し、少し離れたソファ席を確保する。
「俺、ラーメン買ってくる。お前は?」
「タピオカ」
「……お前、さっきココア買ってただろ」
「別腹!」
「飲み物で別腹主張する奴初めて見たわ」
そんなふざけたやりとりをしながら、二人は席に戻る。
湯気の立つラーメンをすすりながら結衣が言う。
「でも意外だよね。木島がおとなしく外でラーメン食べてるの」
「おとなしくないラーメンってなんだよ。暴れるスープでも出るのか?」
「いやさ、木島って静かなのに口だけ達者じゃん。なんか……ギャップ」
「褒めてるのかバカにしてるのかどっちだよ」
「どっちもかな?」
「……はぁ」
悠斗は呆れたように息を吐いたが、口元は緩んでいた。
(なんだろ、木島って、誰かと話すときこんな顔してたっけ?)
結衣は、学校では見たことのない柔らかな表情に、少しだけ胸がくすぐったくなるのを感じていた。
——そのとき。
「ちょっと、そこの子」
背後から低い声が飛んできた。
振り向くと、見知らぬ男子高校生三人。別の学校の制服。
まだトレイも置いたままなのに、彼らは結衣の隣へ無遠慮に立っていた。
「君、陸上部だよね? さっきから見てたんだけどさ」
「俺達も、陸上やってんだけど……。」
結衣は体がこわばる。無理やり明るく返す。
「え、あ、はい。なんですか?」
「いやーさ。ちょっと今から俺たちと一緒に——」
その瞬間だった。
「どいてください」
聞き慣れた声が、鋭く彼らの言葉を遮った。
結衣の前に、悠斗が立っていた。
普段なら声を荒げるタイプではない。
穏やかで、どちらかといえば関わり合いを避ける性格だ。
そんな悠斗が——目を細めて、相手を睨んでいた。
「ここ、俺たちの席なんで。関係ないんで、どいてください」
「は? なんだお前、中学生のくせに……」
「どいて。話通じないなら呼びますよ。店員さんでも警備の人でも」
普段の悠斗とはまるで違う、研ぎ澄まされたような空気だった。
高校生たちは一瞬たじろぎ、舌打ちをして離れていく。
「なんだよ……行こうぜ」
彼らが去ると同時に、悠斗はふっと息を吐いた。
手が、わずかに震えているのを結衣は見逃さなかった。
「……あ、ありがとう」
「いや、別に」
悠斗は顔をそむけた。
耳まで真っ赤だった。
結衣の胸がドキン、と跳ねる。
でもそれは——
なんだかいつもと違う意味の、胸の高鳴りだった。
「木島、もしかして……怖かった?」
「当たり前だろ。俺、喧嘩なんかしたことねえし」
「でも……助けてくれた」
「……イラッとしただけだよ。お前に意味わかんないこと言ってたし」
「そっか……」
結衣は自分の手を胸に押さえた。
(なんでだろ。さっきの木島、なんか、格好よかった……?)
自分でも気づいていない頬の赤み。
そして、悠斗もまた、視線を落としながら胸の奥で感じていた。
(なんだよ……さっきから心臓、落ち着かねぇ)
二人はその後、気まずいような、落ち着かないような沈黙の中でタピオカとラーメンを食べ終えた。
フードコートを出る頃には、外のイルミネーションが輝き始めていた。
「じゃ、じゃあ俺、帰るわ」
「うん……また学校でね」
「いつも学校にいるだろ……」
「そこまで言う?」
気の抜けたいつものやり取りが戻ってきたのに、心の奥だけはまだ熱かった。
結衣は自動ドアを抜けながらふと振り返った。
悠斗は、少し離れたところで立ち止まっていた。
そして一瞬だけ、結衣を見た。
すぐに目をそらし、歩き出す。
(……木島、どうしたんだろ)
でも、胸に灯った小さな光は、もう消えそうになかった。
その光は、これから訪れるクリスマスへ向かって
少しずつ、少しずつ大きくなっていくのだった。




